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2017年9月 5日 (火)

近鉄 I・II代目「ビスタカー」 10000系 10100系

近鉄特急といえば「ビスタカー」と言われるくらい、ビスタカーは近鉄特急の代名詞であり、われわれも関東にあってもその存在は絵本等で学習していました。

近鉄特急「ビスタカー」の歴史は1958年7月に登場した10000系から始まります。世界初の2階建て電車として、国鉄が東海道本線に151系電車特急、153系電車準急・急行を登場させたのに対抗して、名阪間に対抗措置として登場させたものでした。

モ10001 上本町方Mc車 20,450mm 定員64名 MG/CP トイレ洗面台
モ10002 中間M車 20,000mm 定員68名 パンタ、制御装置 車販基地電話室
ク10003 二階展望室付きTc車 17,100mm 定員上22名 下32名 一般席12名
サ10004 中間座席T車 (連接車) 13700mm 定員44名 MG/CP トイレ洗面台
ク10005 二階展望室付きTc車 17,100mm 定員上22名 下32名 一般席12名
モ10006 中間M車 20,000mm 定員68名 パンタ、制御装置 車販基地電話室
モ10007 宇治山田方先頭Mc車 20,450mm 定員64名 MG/CP トイレ洗面台

といった構成の7両1編成で試作的要素の強いものでした。

最高運転速度     110 km/h
起動加速度     3.0 km/h/s
減速度(常用)     4.0 km/h/s
車体幅     2,700 mm
車体高     3,836 mm
主電動機     MB-3020C形
主電動機出力     125kW
駆動方式     WNドライブ
編成出力     2,000kW
保安装置     近鉄型ATS

両先頭車はアメリカ大陸横断鉄道のディーゼル機関車から発想されたスタイルでした。中間3両が連接ユニットで世界初の二階建て電車となりました。運用は大阪~伊勢間の阪伊特急に限定され、利用客の多寡に応じてフル編成7連、5連、平床車のみの4連の編成を組みことが可能でした。
機器は三菱電機のMB-3020系主電動機125kW、制御器も三菱ABF-178-15MDH型で台車はシュリーレン型KD台車を履き、塗装は紺色/窓まわりオレンジのニューカラーでした。

ビスタカーとして人気を集めましたが、翌1959年10100系が登場すると予備車的存在となり、1966年にはモ1007が追突事故で損傷し、前面が貫通式に改められ、塗装も後の近鉄特急標準塗装、窓まわりブルー、上下オレンジに改められ、乙特急用となり、1971年5月には廃車されました。

10100_vista_car_750102 1975/1/2 近鉄名古屋 10100系 ビスタカー B編成 

初代ビスタカーを改良して1959年に登場したのが10100系で、3車体からなる連接車で、

モ10100形 Mc車 36.85t 17760mm 定員64名 パンタ 制御器
サ10200形 T車  19.15t 14100mm 定員上36名下16名 トイレ・電話室・車内販売控室
モ10300形 Mc車 35.8t 17760/17300 mm 定員64名   MG/CP

最高運転速度     110 km/h
設計最高速度     170 km/h
起動加速度     2.5 km/h/s
減速度(常用)     4.0 km/h/s
減速度(非常)     4.5 km/h/s
全長     48,610 mm
車体幅     2,800 mm
車体高     3,600 mm
主電動機     三菱電機 MB-3020D
主電動機出力     125kW
駆動方式     WNドライブ
歯車比     3.85
編成出力     1,000kW
制御装置     抵抗制御
三菱電機 ABFM-178-15MDH
制動装置     発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
抑速ブレーキ
保安装置     近鉄型ATS

A編成 モ10100+サ10200+モ10300 5編成 上本町・名古屋 流 山田 貫
B編成 モ10100+サ10200+モ10300 5編成 上本町・名古屋 貫 山田 流
C編成 モ10100+サ10200+モ10300 8編成 上本町・名古屋 貫 山田 貫

一次車 1959年 ABC各4編成
二次車 1960年 AB各1編成 C2編成
三次車 1963年 C2編成   全車近畿車輛で製造

の流線形と貫通形先頭車のタイプの3編成を用意することで、3連、6連、9連運行、さらに汎用型車両との併結も可能としました。

1959年9月の伊勢湾台風で名古屋線は大被害を受け、その復旧工事と標準軌に向けた改軌工事が同時に進められ、11月に完成、12月12日から10100系による名阪直通特急の運行が開始されました。さらに1961年3月29日には伊勢中川短絡線が開通し、名阪ノンストップ甲特急も実現しました。

10100_vista_car_10207_750102 10207

各台車に三菱電機製125kW4個の主電動機(MB-3020-D)が装荷され、冷房装置は中間車に搭載され冷風がダクトで前後の車両に送られました。

昭和35年度にはブルーリボン賞も受賞しました。東海道新幹線開業後は名阪特急から伊勢志摩や奈良の観光地に誘導する作戦に変更し、京奈、京橿特急にも進出しました。

国鉄末期、相次ぐ運賃値上げで名阪特急にも客が戻るようになったのを見届けるように1977年から1979年にかけて廃車となりました。

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コメント

B767-281様お早うございます。またまた天気がすぐれないですね。ビスタカーまさに絵本の世界で憧れのまとでした。初代はモスラなんて言われていたのも時代ですね。二代目も含め何系だったか?ですが、台車などが流用されたのも関西の私鉄らしくエコだなと思います。東の某会社に見習ってほしいです(笑い)

細井忠邦さま、おはようございます。

近鉄特急、関東の子供たちにとってあこがれの電車でしたが、あの頃はどこを走っているのかもよくわからない、知ってみるといろいろなところを走っていてどうやって乗るのかわからないという感じでした。

日本の鉄道史に残る車両ですね。

近鉄名古屋線の改軌ですが、実際には伊勢湾台風の数年前から工事が始まってました。
予め鉄橋を架け替えたり、枕木を長いものに交換したり、直線区間では狭軌の外側に標準軌のレールを敷いたりしてたそうです。
車両側も台車を交換するだけで対応できるように床下の配線や配管位置を変更しておいたとのこと。
そういう訳なので、仮に台風で被災してなくても改軌は決定事項でした。
予め準備されていたから、台風で被災しても復旧と同時に改軌ができたということです。
まあ、よく考えてみれば当たり前ですけどね。
何の準備もしてなければ狭軌で復旧するだけで精一杯だったはず。

鉄道模型大好きおじさん さま、こんばんは。

近鉄としてみれば、大阪から名古屋に直通出来るのと、伊勢中川で列車を乗り換えるのでは大違いで、なんとか名古屋線の軌間を標準軌にするタイミングを考えていたのですね。

首都圏でも京成電鉄は乗り入れを考慮して改軌を行いましたが、鉄道会社としてみればどこで決断するかが重要なポイントだったことが分かります。

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