京王井の頭線 その路線と3000系の時代 その1
渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線、私は小学校の2~3年頃(1963、1964年頃)に初めて乗車しました。
1987/4/7 井の頭公園 3715F
1969年2月15日 東急車輌で竣工 2004/3/8 廃車 デハ3115は1973/11/22竣工
すり鉢状の地形の渋谷を発車するとすぐトンネルに入り、神泉で抜けます。一方、井の頭線ホームの横から出ていた玉電は道玄坂の頂上に向かって坂を上って行きました。当時、駒場と東大前は別々の駅で、駅間が近いため統合されたのは1965年のことでした。下北沢駅は小田急線との立体交差、乗り換え駅でしたが、かつて小田急と井の頭線の前身の帝都電鉄が同一会社だった時代の名残か、中間改札がありませんでした。そして、現在、新代田と名乗る駅は代田二丁目でした。ここで環状7号線と交差します。
明大前の駅は今も変わらずですが、駅北側の甲州街道、首都高4号線との交差、玉川上水水路橋は東京山手急行電鉄の遺構の複々線のスペースが残されています。永福町には車庫がありましたが、輸送力増強で手狭となり1966年4月に富士見ヶ丘に新たに車庫が造られ、1970年には工場機能や乗務員区も移転しました。永福町駅は1971年の急行運転開始に備えて、2面4線化が進められ、12月10日に工事が完成、同月15日から急行運転が始まり、緩急接続が同駅で行われるようになりました。高井戸では環状8号線とクロスしますが、私が小学校の頃、道路の整備が延伸し、1972年に井の頭線が立体化されました。
井の頭線の開業は1933年8月1日に帝都電鉄により、渋谷~井の頭公園間が開業し、1934年4月1日に吉祥寺まで開業しました。もともとは帝都電鉄の前身、東京山手急行電鉄は大井町~世田谷~滝野川~西平井~州崎間50kmあまりの免許を取得して、山手線外部に第二環状線を形成する予定でしたが、1929年の昭和恐慌でそれどころではなくなりました。
車両的には初めて乗車した頃は1962年登場の3000系が増備されている最中で、まだ「グリーン車」と言われた1000系普通鋼製車が活躍していました。
1984年3月にグリーン車が全廃、荷物電車の運転も終了、関東の私鉄では一番に冷房化率100%を達成しました。
<路線データ>
路線距離 12.7km
軌間 1067mm
駅数 17駅(起終点駅を含む)
全線複線・電化 DC1500V
保安装置 京王ATC 速度制御式
最高速度 90km/h
1962年から製造された3000系、ステンプラカーなどと言われましたが、1991年まで東急車輌で増備が続き、最終的に29編成、145両となり、1996年から廃車が始まり、2011年12月までに全車廃車となりました。現在も北陸鉄道、上毛電気鉄道、岳南鉄道(岳南電車)、松本電気鉄道(アルピコ交通)、伊予鉄道などで約半数が現役で頑張っています。
一方、3000系の後継は二代目1000系で、1995年から製造が開始され、1996年1月9日から営業運転に就きました。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。
« 久しぶりの東急世田谷線 308F 玉電110周年 「幸運の招き猫電車」 | トップページ | 京王井の頭線 その路線と3000系の時代 その2 »
「民鉄:京王電鉄」カテゴリの記事
- 2020年の御用納め、18切符で再び長野へ その1 松本まで(2021.01.04)
- 岳南電車に譲渡された富士急行 1200形 1206編成(2019.09.06)
- 岳南電車の車両達 電車編 2 8000形(2019.09.05)
- 岳南電車の車両達 電車編 1 7000形(2019.09.04)
- 岳南鉄道から岳南電車へ その歴史(2019.08.31)
コメント
« 久しぶりの東急世田谷線 308F 玉電110周年 「幸運の招き猫電車」 | トップページ | 京王井の頭線 その路線と3000系の時代 その2 »
✖富士見台 ⇒ 〇富士見ヶ丘
間違えてますよ
投稿: | 2017年11月28日 (火) 11時36分
ご指摘ありがとうございます。
富士見台は西武池袋線でした。早速修正しました。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2017年11月28日 (火) 18時08分
B767-281様こんばんは。井の頭線の3000系懐かしいですね。3018と3019の編成が搬入された頃を思い出します。その後のリニューアルや廃車で代替新製された車両など結構バラエティーに富んでいました。グリーン車1000系初代も中間に古いサハを挟んでいて面白かったです。2代目1000系のリニューアルも進んでいます。ステンレス製ということもありますが、京王も車両を大事に使っていますね。
投稿: 細井忠邦 | 2017年11月28日 (火) 19時03分
細井忠邦さま、おはようございます。
京王井の頭線、渋谷と吉祥寺に挟まれ、東京西部を斜めに走り、この40年間に車両のタイプも余り変化しない、ある意味コンパクトにまとまった特殊な路線ですね。
二代目1000系の話題もいずれ登場しますが、他の東京の私鉄とは大きく異なった雰囲気があります。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2017年11月29日 (水) 05時52分
井の頭線3000系はいわゆる軽量ステンレス20番台の20編成と27編成が同系同色同装備である以外は各編成で相違が必ず存在しました。
改造冷房車は06編成から13編成までの各先行4両はベンチレーターが残され、増結用の3100は3106〜3109が冷房改造で撤去されたベンチレーターが追加装備されました。
また10編成と11編成の3010〜11と3060〜61のクーラーは側面北側のルーバーが京王標準の“3+3”ではなく“2+2”でしたし、必ずどこかしらに編成間の違いが小学生でもハッキリわかりました。
3000系で最も積算距離が長かったのは両開き扉の量産第1編成目の03編成です。片開きの01編成と02編成は旧型緑色車が全廃後は朝のラッシュ時のみの隠居生活になった一方で03編成は1963年の製造から1996年晩冬の引退まで33年間メジャーで活躍、急行運用にも入りました。
7色中、最もステンレス車体に合っていたのはサーモンピンクだと思いますが、試作冷房車の14編成や全車集中式クーラーで落成時のクハの台車がパイオニア式だった唯一の編成である18編成が好きでしたね。
投稿: ねこたろう | 2023年6月23日 (金) 18時49分
ねこたろうさま、こんにちは。
井の頭線に関しては小学校低学年のころと、大学教養時代の2年間しか接する機会が無かったもので、私の3000系経験はまさに断片的です。第1,2編成が片開扉、車体の形状が違うこと程度は認識していましたが、冷房化が進んだ頃は全く縁が無くなっており、改造、引退も接する機会がありませんでした。今でも中央快速線はしょっちゅう乗るものの、吉祥寺から井の頭線となるといつ乗ったかなと思い返すこの頃です。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2023年6月25日 (日) 08時30分