貨物鉄道博物館の保存車 7 帝国陸軍軽貨車
三重県いなべ市の貨物鉄道博物館の保存車両、最後はかつて大日本帝国陸軍が軍用物資の輸送用に開発した九一式、もしくは九七式の軍用軽貨車です。
以前に新京成のくぬぎ山のイベントで見たことがあり、今回も見たときに「ああ、あれだな」と思いましたが、やはりそうでした。
九一式とか九七式という名称は
戦闘機、艦上攻撃機、飛行艇、重戦車、広軌牽引車、魚雷などに付けられていますが、紀元2600年、あるいは皇紀2600年が西暦1940年に相当したため、1931年、1937年に制定された武器などは2591年、2597年から九一式、あるいは九七式と呼ばれたそうです。
今の政権は武器を防衛装備品と呼び、アメリカの言いなりで購入、あるいは日本の製品の輸出を進めていますが、戦後70余年で再び、戦争をする国に戻ることだけは絶対に避けねばなりません。
九一式は1931年、1932年に川崎車輛、汽車製造の製造で、九七式は1939年梅鉢車輛の製造です。
九一式軽貨車は帝国陸軍鉄道連隊が使用し、応急運転や鉄道敷設に用いられました。設計者は青村常次郎大尉で1928年8月に設計に着手、1929年3月に試製、1930年11月に試製車で審査が行われ、実働時間8時間で4kmの線路敷設が可能だったことから制定となり、1931年から1938年にかけて量産されました。
台車2、荷匡1、旋回架2より構成される積載許容荷重5トンの貨車で敷設車、長材料運搬車および無蓋貨車として使用可能でした。敷設に使用する場合は架匡を外し、台車上に旋回架を装着する。輪距は1524mm、1435mm、1067mmの3種軌間に容易に改軌対応できます。車軸にボールベアリングが取り入れられているので、空車なら2名で押して動かせる程の改善がなされました。戦後、本土に残存した車両の一部は国鉄、私鉄や民間会社に払い下げられて、保線作業などに使われていました。
九七式軽貨車は積載許容荷重8~9トン、完全武装兵員約40名を乗せることが可能で車軸の締め付けボルトを調整することで1000mmから1524mmの軌間に対応可能でした。泰緬鉄道建設時にはレール輸送で活躍しました。
諸元
全長 7.3m
全幅 2.5m
全高 1.7m
自重 2.196t
車輪径 400mm
積載許容荷重 無蓋貨車 8t、材料車(枕木およびレールを積載) 9t
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B767-281様こんばんは。遅ればせながらこちらにお邪魔致します。なるほど97陸攻と言う飛行機の名前などは紀元から来ているのですね!私も仕事上職場での公的な文書は元号を使わざるを得ませんが、個人的には西暦を使っています。たかが年号とは言え、国民主権とは隔たりがあると感じるからです。日の丸君が代の強制ばかりでなく、この政権は何をするかわからないので、恐ろしいです。早くお引き取り頂けるように頑張ります。ただしこのような貨車は戦争を忘れない為にも大切に保存すべきと思います。
投稿: 細井忠邦 | 2017年11月21日 (火) 19時05分
細井忠邦さま、おはようございます。
仰る通り、公的な文書は未だに元号を使うのが日本の役所ですね。敢えてインターナショナルな流れに逆らっているような気がしてなりませんね。
安倍政権になって首相個人の祖父岸信介崇拝から、改憲だの明治二本への回帰だのの流れがあり、さらにアメリカに対する盲目的隷従の流れも強いですね。
そこへもってきて森友・加計問題、首相の関係者なら国家予算が流れ、それを国会で嘘の弁明をする人間は国税庁のトップになるまさに縁故政治の極みの状態が露になり、そういった状態で衆議院解散総選挙が行われても、選挙制度の欠陥と野党分裂で与党の圧勝という一年になりました。まあ、これから先どうなることやらですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2017年11月22日 (水) 05時32分