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2017年11月30日 (木)

京王井の頭線 その路線と3000系の時代 その3

大学時代も教養学部の2年間を終えると、大学院博士課程修了までは全く井の頭線と縁が切れてしまい、普段の生活でも乗ることが無い路線でしたので、3000系の18編成以降の編成はほとんど目にしないものとなりました。

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3774_870407_2 1987/4/7 井の頭公園

                 竣工         廃車    
第01編成 1962/12/30       1996/1/18   
第02編成 1963/10/22       1996/2/1
第03編成 1963/12/30       1996/2/15
第04編成 1964/3/19        1996/2/22
第05編成 1964/12/1        1997/11/17       
第06編成 1964/12/1        1998/1/19    
第07編成 1966/2/1          1998/3/11         
第08編成 1966/2/1          1998/2/16         
第09編成 1966/2/1          1998/3/16
第10編成 1967/1/20         2000/9/22
第11編成 1967/1/20         2002/10/25
第12編成 1967/3/7          2004/2/2
第13編成 1967/3/7          2004/4/26
第14編成 1969/2/15        2004/11/15
第15編成 1969/2/15        2004/3/8
第16編成 1975/2/8          2008/12/4
第17編成 1975/12/26       2009/5/20
第18編成 1977/11/28   2009/6/15
第19編成 1979/12/8        2009/3/26
第20編成 1983/10/21      2008/11/8
第21編成 1983/11/10      2009/2/4
第22編成 1983/11/28      2009/2/23   1991/10/29(事故廃車のクハ3722の新製)
第23編成 1983/12/14      2009/7/13
第24編成 1984/1/26       2009/9/7
第25編成 1984/2/13       2009/10/14
第26編成 1984/2/29       2009/11/11
第27編成 1984/3/16       2009/12/2
第28編成 1987/11/25     2011/12/6
第29編成 1988/3/3        2011/6/27   

冷房装置も初期の編成は分散式冷房装置が搭載されており、デハ3100のみ集中式といったパターンでしたが、第18編成以降は全車集中式になりました。

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3719_150822_3 2015/8/22 京王レールランドに保存されているクハ3719 リニューアル後の姿

第16編成以降は1000系の投入に合わせてリニューアル工事が施行され、
正面の窓は側面まで拡大され顔つきが変わりました。カラーマスクはFRP製から普通鋼製になり、ステンプラカーではなくなりました。側面のラインは2色化されました。車内もシートモケットの交換、壁面化粧板の交換などが行われました。

廃車後は北陸鉄道、上毛電気鉄道、岳南鉄道、松本電気鉄道、伊予鉄道に計71両が譲渡されました。拙Blogでも上毛電気鉄道で活躍中の車両は記事にしました。岳南鉄道、伊予鉄道は撮影した写真があるので今後記事にします。現在、譲渡先で活躍中の編成もリニューアルされずに行った編成と、リニューアル後行った編成で大きくイメージが違う点も面白いです。

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2017年11月29日 (水)

京王井の頭線 その路線と3000系の時代 その2

京王井の頭線という路線は、私の人生において、一時期集中的に利用することはあっても、それ以外の時期は殆ど利用しない路線であったように思います。

その一時期が、大学の教養学部時代(1974年度と1975年度)でした。南大泉の家から、吉祥寺まで自転車、雨の日は西武バス吉61系統、小関(かつての早実グランド前)の停留所から吉祥寺までバスで出て、乗車していました。

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1987/4/7 井の頭公園

その頃はまだグリーン車もいましたが、3000系が主力の時代でした。ステンプラカーと呼ばれた3000系の正面のカラーは
ブルーグリーン
アイボリー
サーモンピンク
ライトグリーン
バイオレット
ベージュ
ライトブルー    の7色(レインボーカラー)で構成されており、編成番号を7で割って余り1がブルーグリーン、割り切れるのがライトブルーといった順番で、回って行きました。この規則は今日の二代目1000系に引き継がれています。

3719_870407
1987/4/7 井の頭公園
第19編成 竣工は1979年12月8日、廃車は2009年3月26日
電動式行き先表示器が最初に設置された編成でした。
クハ3719はリニューアルされた姿で京王レールランドに保存

3000系は第15編成、1969年2月15日竣工までは4連で登場し、1971年4月30日のデハ3106、3107、3108、3109を筆頭にデハ3100が増備され、5連化されました。その後、
3103、3104、3105、3110 1972/11/15
3111             1972/11/29
3112、3113、3114、3115 1973/11/22
3102             1973/11/29
3101             1973/12/6  と、15編成分のデハ3100が増備されました。

ちなみに第16編成の登場は1975年2月8日でした。この編成からは最初からデハ3100を組み込んだ5連で登場しました。
また第1、2編成はそれ以降の編成とは大きく異なり、客用扉は片開き、車体も狹幅でした。5連化でデハ3100を組み込む際、デハ3100はすべて両開き扉、広幅車体であったので、第1,2編成が5連化された姿は異なった中間車1両が挿入された姿となりました。

冷房に関しても第13編成(1967年3月7日竣工)までは非冷房で落成、第14、15編成(1969年2月15日)が試作の新製冷房車、第16編成以降が量産冷房車となりました。ちょうどデハ3100が組み込まれる頃に非冷房で登場した編成の冷房化も行われました。電源は130kVAのブラシレス式MGから給電されました。

第20編成以降は軽量ステンレス構造となりました。

制御・制動方式も編成ごとに変わっており、第1~9編成は抵抗制御・発電制動方式、第10~15編成は落成当時抵抗制御・回生制動方式、1985年頃に界磁チョッパ制御方式に改造、第16編成以降は界磁チョッパ制御・回生制動となりました。5両化用のデハ3100形は第16編成以降と同じ。

主要諸元
最高運転速度     90 km/h
起動加速度     2.5 km/h/s
車両定員     140(先頭車)・150(中間車)
自重     24.5 t - 35.0 t
全長     18,500 mm 第1,2編成は18,000 mm
全幅     2,872 mm
全高     4,100 mm
車体材質     ステンレス
主電動機     直流直巻電動機(第1 - 9編成)
直流複巻電動機(第10編成以降)
主電動機出力     100 kW(直巻)
120 kW(複巻)
駆動方式     中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比     5.60(直巻)
6.07(複巻)
制御方式     抵抗制御・界磁チョッパ制御
制動装置     発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(第1 - 9編成)
回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(第10編成以降)

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2017年11月28日 (火)

京王井の頭線 その路線と3000系の時代 その1

渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線、私は小学校の2~3年頃(1963、1964年頃)に初めて乗車しました。

3715_870407 1987/4/7 井の頭公園 3715F
1969年2月15日 東急車輌で竣工 2004/3/8 廃車 デハ3115は1973/11/22竣工

すり鉢状の地形の渋谷を発車するとすぐトンネルに入り、神泉で抜けます。一方、井の頭線ホームの横から出ていた玉電は道玄坂の頂上に向かって坂を上って行きました。当時、駒場東大前は別々の駅で、駅間が近いため統合されたのは1965年のことでした。下北沢駅は小田急線との立体交差、乗り換え駅でしたが、かつて小田急と井の頭線の前身の帝都電鉄が同一会社だった時代の名残か、中間改札がありませんでした。そして、現在、新代田と名乗る駅は代田二丁目でした。ここで環状7号線と交差します。

明大前の駅は今も変わらずですが、駅北側の甲州街道、首都高4号線との交差、玉川上水水路橋は東京山手急行電鉄の遺構の複々線のスペースが残されています。永福町には車庫がありましたが、輸送力増強で手狭となり1966年4月富士見ヶ丘に新たに車庫が造られ、1970年には工場機能や乗務員区も移転しました。永福町駅は1971年の急行運転開始に備えて、2面4線化が進められ、12月10日に工事が完成、同月15日から急行運転が始まり、緩急接続が同駅で行われるようになりました。高井戸では環状8号線とクロスしますが、私が小学校の頃、道路の整備が延伸し、1972年に井の頭線が立体化されました。

井の頭線の開業は1933年8月1日に帝都電鉄により、渋谷~井の頭公園間が開業し、1934年4月1日吉祥寺まで開業しました。もともとは帝都電鉄の前身、東京山手急行電鉄は大井町~世田谷~滝野川~西平井~州崎間50kmあまりの免許を取得して、山手線外部に第二環状線を形成する予定でしたが、1929年の昭和恐慌でそれどころではなくなりました。

車両的には初めて乗車した頃は1962年登場の3000系が増備されている最中で、まだ「グリーン車」と言われた1000系普通鋼製車が活躍していました。

1984年3月
にグリーン車が全廃、荷物電車の運転も終了、関東の私鉄では一番に冷房化率100%を達成しました。

<路線データ>
路線距離 12.7km
軌間 1067mm
駅数 17駅(起終点駅を含む)
全線複線・電化 DC1500V
保安装置 京王ATC 速度制御式
最高速度 90km/h

1962年
から製造された3000系、ステンプラカーなどと言われましたが、1991年まで東急車輌で増備が続き、最終的に29編成、145両となり、1996年から廃車が始まり、2011年12月までに全車廃車となりました。現在も北陸鉄道、上毛電気鉄道、岳南鉄道(岳南電車)、松本電気鉄道(アルピコ交通)、伊予鉄道などで約半数が現役で頑張っています。

一方、3000系の後継は二代目1000系で、1995年から製造が開始され、1996年1月9日から営業運転に就きました。

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2017年11月27日 (月)

久しぶりの東急世田谷線 308F 玉電110周年 「幸運の招き猫電車」

2015年以来、2年振りの東急世田谷線、今回は沿線の豪徳寺との協力で2017年9月25日から2018年3月末まで走行を予定している308Fの「玉電110周年 幸運の招き猫電車」です。
308_171113_3 2017/11/13 山下

308Fは本来、サンシャインですが、検査入場の時期がキャンペーンの時期と重なる運の持ち主なのか、2015年にはNHK大河ドラマ「花燃ゆ」のラッピングが施されており、今回は招き猫になりました。

まだ乗車はしていませんが、車内には「招き猫形吊革」や床面には猫の足跡もあるとか。

308_171113_5
豪徳寺の招き猫の伝説、江戸時代前期の譜代大名、上野白井藩主、近江彦根第2代藩主の井伊直孝が猫により、豪徳寺に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことが出来,大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたということです。直孝により、寛永10年、1633年伽藍が創建、整備されました。寺の名前は直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」によるそうです。創建は文明12年、1480年、山号は 大谿山(だいけいざん)、曹洞宗の寺です。

308_171113_24
豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、「招猫殿」があるそうです。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も豪徳寺にあります。

171113 因みに小田急線豪徳寺駅にも招き猫の像があり、

171113_2
当地区の街づくり協議会が小田急電鉄との協力で建立したそうです。

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2017年11月26日 (日)

久しぶりの東急世田谷線 305F 玉電開通110周年記念車

2015年に小学校時代久しぶりに東急世田谷線の乗車、撮影を楽しんだ記事を数回に分けて書きましたが、あれから2年、2017年玉電開業110周年記念ということで305F308Fがスペシャルマーキングになって期間限定で走行中ということですので撮影してきました。

305_171117_3 2017/11/17 山下

まずは305F、本来はチェリーレッドですが、2017年4月より2018年3月末まで1年間、玉電開業110周年を記念して、開業当初の狭軌木造単車をイメージしたラッピング、前面は茶色、側面は白地に茶色のラインとなりました。

305_171117_6 2017/11/17 山下

305_171117_21
305_171117_23


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2017年11月25日 (土)

西武2000N系 4扉車を主流にした車両 8次車-2 4連 その2

昨日に続き、西武2000N系8次車4連グループの後半、4編成です。

それぞれの竣工年月日は2539F, 2541F 1989年10月19日2543F, 2545F 1990年3月14日です。

<2539F>
2000n_4_2539_160731 2016/7/31 上石神井~上井草 クモハ2539

2000n_4_2640_161024 2016/10/24 小平 クハ2640

減パン工事は1992年12月24日、MG,CP交換は2007年3月23日です。今年1月の撮影時点ではクモハの歩み板、各車のベンチレータは未撤去でした。

<2541F> 
2000n_4_2541f_160508_21 2016/5/8 東村山 西武園線4連運用 クモハ2541

2000n_4_2642_160530 2016/5/30 井荻 クハ2642

減パン工事、1992年12月22日、MG,CP交換、2007年8月8日
昨年5月時点でベンチレータ、クモハの歩み板は撤去済みでした。

<2543F>
2000n_4_2543_160506_2 2016/5/6 沼袋 クモハ2543

2000n_4_2644_160801 2016/8/1 井荻 クハ2644

減パン工事、1992年12月9日、MG,CP交換、2008年3月31日
ベンチレータに関しては2016年12月の写真では残っていましたが、2017年4月の時点では撤去されたかも知れません。

<2545F>
2000n_4_2545_160627 2016/6/27 井荻 クモハ2545

2000n_4_2545_170901 2017/9/1 中井 クモハ2545

2000n_4_2646_160801 2016/8/1 井荻 クハ2646

減パン工事、1993年1月5日、MG,CP交換、2004年3月2日、歩み板、ベンチレータともに今年9月時点では未撤去でした。

先般の横瀬基地公開で廃車になった9016Fが展示されたように、これから9000系の廃車が進み、次は2000系、2000N系の廃車となると思われます。4連に関しては現在101N系が使用される路線、多摩湖、多摩川線の置き換えになるのか、去就がいずれ注目されるでしょう。

一方で、この春池袋線から有楽町線、副都心線でデビューした40000系が来春から拝島ライナーとして新宿線に投入とのニュースもありました。果たして停車駅はどうなるのか、気になるところです。

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2017年11月24日 (金)

西武2000N系 4扉車を主流にした車両 8次車-2 4連 その1

6月30日の記事で西武鉄道2000N系の話題に触れてから、久しぶりの記事となります。

1989年度製の8次車、4連グループは2531Fから2545Fまでの8編成が製造されました。すべて東急車輌製です。今回は2531F、2533F、2535F、2537Fの4編成の紹介です。

竣工日は2531F, 2533Fが1989年9月21日、2535F , 2537Fが1989年10月5日でした。

<2531F>
2000n_4_2531f_160530 2016/5/30 井荻 クモハ2531

2000n_4_2632_160504 2016/5/4 小平 クハ2632

2531Fからは同時期の8連同様に側引戸窓、側戸袋窓が大きくなりました。補助電源装置、CPは廃車発生品が再用され、Tc台車も再生品でした。最初の形態変化となった減パン工事出場は1992年12月10日でした。
2006年から入場時に補助電源装置はSIVにCPはRW20に交換されました(2006年9月21日)。
クモハ25312012年の入場でパンタグラフ撤去後、残されていた歩み板や通風機も撤去され、ツルツルの屋根になりました。

<2533F>
2000n_4_2533_160502 2016/5/2 萩山 クモハ2533

2000n_4_2634_160506_21 2016/5/6 沼袋 クハ2634

2533Fに関しても2531Fと全く同様の変化があります。減パン工事は1992年12月11日、補助電源、CPの交換は2004年9月3日でした。

2000n_4_2634_161024 2016/10/24 一橋学園~青梅街道
昨年秋に101N系の代走で多摩湖線に入線したのも2533Fでした。

<2535F>
2000n_4_2535_160723 2016/7/23 井荻 クモハ2535

2000n_4_2636_100102_8 2010/1/2 所沢 クハ2636 ベンチレータ撤去前

2000n_4_2636_160711 2016/7/11 井荻 クハ2636 ベンチレータ撤去後
減パン工事、1992年12月17日、MG,CP交換、2005年1月11日

<2537F>
2000n_4_26382616_160723 2016/7/23 井荻 クモハ2537

2000n_4_2638_160723 2016/7/23の時点では各車のベンチレータは残っていました。

2000n_4_2638_170924 2017/9/24 井荻 クハ2638

9月に見たときは各車のベンチレータは撤去されていました。ただクモハの歩み板は残されていました。

減パン工事、1992年12月24日、MG,CP交換工事、2006年12月11日

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2017年11月23日 (木)

伊勢神宮外宮を参拝

伊勢神宮というのは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮」だそうです。

太陽を神格化した天照坐皇大御神を祀る皇大神宮(内宮)と衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)の二つの正宮があり、今回は伊勢市駅から徒歩圏内の外宮のみに参拝しました。

Dsc06934
昔から一般庶民にとって「お伊勢参り」は人生に一度すべきものだったようですが、私も還暦を過ぎて初めてしてみました。

170805_2 2017/8/5 外宮前

Dsc06905
衣食住を司る豊受大御神を祀る豊受大神宮のことと、20年に一度の式年遷宮のことが書かれています。

Dsc06909

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正宮を目指して行きます。

Dsc06910 表参道

Dsc06911 神楽殿

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やがて囲いに囲まれた木造の建物群が見えてきます。

あの中が正宮だということです。

Dsc06915
正面にいっても、塀越しに拝むといった感じです。

その後、土宮、多賀宮。風宮などを見学しつつ、元の場所に戻ります。

Dsc06931
最後に入り口横の「せんぐう館」を見学しました。

せんぐう館の内部には正宮の正殿のレプリカがあり、その建築や装飾の様式の説明を聞くことが出来ます。また外宮宮域の模型も参考になります。

これで漸く伊勢神宮外宮について理解できたという参拝でした。

Dsc06935
因みに3km程、離れた内陸部にある内宮へはこのバス停からバスで行けるようでした。

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2017年11月22日 (水)

三重県のJR,近鉄併設駅 2 鳥羽駅

参宮線の終点、鳥羽駅もJRと近鉄の駅が併設された駅です。近鉄はこの駅で鳥羽線から志摩線に路線名が変わりますが、鳥羽線列車の約半数が志摩線に直通しています。

170805 2017/8/5 JR駅から伊勢市方面 

25_m108_170805t_2
右手のホームは近鉄のホームで、JRの番線は右が0番線、0番線ホームを切り欠いて1番線、反対側に2番線となっています。

170805_2
JR駅の開業は1911年7月21日参宮線山田(現、伊勢市)~鳥羽間延伸で終着駅として開業しました。

1929年7月23日志摩電気鉄道が鳥羽~真珠港間を開業しますが、1944年2月11日、会社合併で志摩電気鉄道の路線は三重交通の一路線になりました。1964年2月1日、三重交通から鉄道事業が分社化され、旧志摩電気鉄道の路線は三重電気鉄道に承継されました。1965年4月1日、近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併し、旧志摩電気鉄道の路線は近鉄志摩線になりました。1969年12月10日、標準軌化で営業休止、バス代行となり、1970年3月1日、標準軌化の完成で営業再開、五十鈴川~鳥羽間が開業し、全通、駅も国鉄駅の北側に移転しました。

170805_3

Jr_170805t

手前のホームは近鉄6番線、左手のホームはJR0番線となっています。

近鉄ホームは島式ホーム2面4線で、北側から番線番号の3~6を使っており、JRの番線との並び順はおかしくなっています。

170805_6 JR鳥羽駅 駅の2階が土産物屋などのコーナーになっています。

170805_kintetsu 近鉄鳥羽駅

170805_4
JRホームの横にはJR口の地上改札が、近鉄ホームから階段を上がると近鉄の改札口があります。両社のホームは中間改札なしに通じていますが、それぞれの改札口にはそれぞれの会社の券売機しかないため切符を買って乗車する際は、(18切符以外では)それぞれの改札口から乗車することになります。

50000_170805t_21 50000系 しまかぜ

今回の旅行では発着頻度が高いせいもあって、近鉄鳥羽駅で多くの近鉄特急車両を写すことが出来ました。

170805_5
逆に天気があまり良くなかったせいもあり、水族館や港は観光せずに帰ってきてしまったのが残念です。

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2017年11月21日 (火)

三重県のJR,近鉄併設駅 1 伊勢市駅

日本を代表する観光地伊勢志摩の中心、伊勢市の代表駅で、伊勢参りの玄関口として利用されている駅です。JR東海は参宮線、近鉄は山田線の乗り入れとなっています。

25_m113_170805 2017/8/5 キハ25形気動車

170805_5 2017/8/5 線路の奥は鳥羽方面 背後の長い跨線橋を介して、近鉄伊勢市駅と繋がっています。

駅構造は手前の単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線からなります。

170805 駅名標

参宮鉄道が宮川~山田間を延伸開業した1897年11月11日、山田駅として開業しました。宇治山田町が市制施行された4年後の1959年7月15日に伊勢市駅となりました。戦前から戦後のしばらくの間は「神都」の玄関口の駅として東京駅や大阪駅からの直行列車も発着していました。

170805_2
奥に架線柱が見える場所が近鉄の線路ですから、かなり距離は離れています。その間には伊勢車両区が存在していました。

伊勢車両区は参宮線開業以来(1989年11月に参宮鉄道山田機関区として設立)の歴史を持つ車両基地で国鉄分割民営化の際に亀山機関区に統合・廃止も検討されていましたが、関西本線の非電化区間および亀山機関区はJR西日本管轄となり、三重県内の非電化区間の運行拠点を確保するため存続されました。その後、気動車の点検体制見直しで2016年3月31日をもって、名古屋車両区、美濃太田車両区に統合されました。

170805_3 ホームで見かけた古そうな木製のベンチ

伊勢の名物「赤福」、江戸時代初期には皇大神宮(伊勢神宮内宮)前、五十鈴川のほとりで「赤福」の屋号を持つ餅屋が営まれていたそうです。

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伊勢車両区の線路を越えて近鉄駅とを結ぶ跨線橋

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跨線橋の内部 JR駅と近鉄駅間で中間改札はありません。

1231_170805
近鉄伊勢市駅も地上駅でこちらは相対式ホーム2面2線です。ホームの番号はJRの1,2,3に続いて4,5となっています。甲特急、しまかぜを含む全列車が停車します。
近鉄が乗り入れたのは1930年9月21日、参宮急行電鉄が外宮前駅(現、宮町前)から延伸し、当駅に乗り入れた時でそれ以来、共同使用駅となりました。

170805_2_3
伊勢神宮外宮に通じる南口

170805_6
駅前から商店街を進むと外宮の正面へ

Dsc06938
かつてこの参道には三重交通神都線が走っていたそうです。

Dsc06937
その頃の写真も展示されていました。
三重県の駅シリーズの後に伊勢神宮の様子も記事にします。

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2017年11月20日 (月)

三重県のJRの駅と近鉄、その他の鉄道の駅が併設されている駅 2 津駅

三重県の県庁所在地の津駅、JR東海、近鉄、そして伊勢鉄道の駅です。

170805_4JRホーム 伊勢市方向
単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線、単式ホームの北東側に切り欠きホーム1線があり、伊勢鉄道が使用しています。
1708052017/8/5 駅名標も遠目に見るとに見えるというユニークな駅です。
仮名・漢字表記では日本一短い駅名であり、ひらがな表記で一画でかける駅として世界一短いであり、1994年から1995年にかけてギネス・ワールドレコーズに「z(つ)」として世界一短い駅名で登録しようとしたところ、1文字のzはツとは読めないとの指摘があり、見送られたそうで、2014年以降、「プロジェクトZ」として再燃し、登録申請に向けた準備がすすめられているとか。
75_170805_22017/8/5 津駅を出発する「快速みえ」キハ75系
この列車、ここから伊勢線に入るため、快速列車といえども18切符で乗車していると別料金がかかる列車です。
1891年11月4日、関西鉄道津支線亀山~津間が開通したときに開業しました。1893年12月31日、参宮鉄道が津~相可(現・多気)~宮川間を開通させた際に乗り入れました。1907年10月1日に鉄道国有化法で関西鉄道と参宮鉄道が国有化、1909年10月12日、津支線と参宮鉄道は参宮線に、1959年7月15日、参宮線多気~亀山間が紀勢本線に編入されました。
Ise_dc_120315
1973年9月1日、国鉄伊勢線が開通。1987年3月27日、国鉄伊勢線は第三セクター伊勢線に転換。
170805_2
駅舎 東口 JRの管理する駅です。駅ビルは「chumチャム」と言います。三重県のJR駅では桑名駅に次いで利用客が多い駅になっています。
170805_3
駅前大通り 海岸までは1km程です。
170805_2_2近鉄の駅名標は漢字・ひらがななのでには見えません。
近鉄の津駅は1932年4月3日、参宮急行電鉄津線として津新町~津間が開通したときに開業しました。1938年6月20日には津~江戸橋間が開通。
170805_5跨線橋で東と結ばれた西口は近鉄の管理する駅となっています。
5812_170805
近鉄の線路は北東方向からJRをオーバークロスしてJR駅の西側に進入してきます。
1347_170805
津駅を出発すると両線は津新町まではほとんど寄り添って進みます。電化と非電化、しかも標準軌と狭軌の線路が寄り添って続きます。

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2017年11月19日 (日)

三重県のJRの駅と近鉄、その他の鉄道の駅が併設されている駅 1 桑名駅

三重県ではJRと近鉄がほぼ並行して走っているため桑名、津、伊勢市、鳥羽などの駅はJRと近鉄の駅が併設されており、改札口も共有のケースが多く見られました。そういった駅を紹介しようと思います。

1708062017/8/6 駅跨線橋 東口はありますが、反対側の西口はありません。
1408122014/8/12 「その手は桑名の焼き蛤」でも有名な桑名
名古屋から関西本線に乗り、木曽川を渡ると三重県に入ります。三重県最初の駅は長島駅、続いて桑名駅です。
170806_2桑名駅前 鋳物の街とは知りませんでした。
この駅はJR関西本線、近鉄名古屋線、養老鉄道が乗り入れており、JRは全列車が停車、近鉄が名伊甲特急・しまかぜ以外の全旅客列車が停車する駅で、養老鉄道は当駅が起点になっています。三岐鉄道北勢線の駅は西桑名で、桑名駅から少し離れています。
170804JR桑名駅の東口改札口 近鉄、養老鉄道も同じ改札を通り乗車、但し養老鉄道の場合は養老鉄道ホーム入場の際にもう一つ改札があります。
140812_22014/8/12 JR1,2番線 2番線の基礎の部分には煉瓦造りの痕跡が残っています。
170804_22017/8/4 養老鉄道改札口
橋上駅舎を持つ地上駅でJR東海は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の2面3線、近鉄・養老鉄道は島式ホーム2面4線で、ホーム番号はJR側から連番で振られていますが、5番線はありません。これは1959年の改軌まで4番線は伊勢中川方面、6番線は名古屋方面の列車が使用し、名古屋寄りに切り欠き乃5番線があった名残だそうです。その当時は養老線は7番線を利用していたぞうです。
上の写真の左手奥がJR桑名駅で、養老鉄道との間ではかつて貨車の入れ換え作業が行われていた関係で現在も側線が残っています。
1116_1708042017/8/4 
近鉄のホームは上り名古屋方面は追い越し、待避が可能ですが、下りは不可能なため、待避は益生駅で行われています。
170804_3
2017/8/4 近鉄ホームから三岐鉄道北勢線方向
この先に北勢線軌間762mm、JR関西本線軌間1067mm、近鉄名古屋線軌間1435mmの3つの異なる軌間を渡る踏切があります。
さらに桑名駅前からは1927年から1944年まで路面電車桑名電軌が発着していたそうです。

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2017年11月18日 (土)

四日市の2つの駅 JRと近鉄駅の歴史と今

2017年8月の愛知・三重旅行では近鉄四日市駅側のホテルに宿泊し、近鉄四日市駅、JR四日市駅の両方を利用する機会がありました。

三重県の市町村の人口ランキングで1位なのは311,089人の四日市市で、県庁所在地の津市は280,016人で二位です(2015年国勢調査データ)。面積では津市が711.11㎢でトップ、四日市市は206.44㎢で11位です(2016年10月1日のデータ)。

1890年12月25日関西鉄道が柘植駅から延伸した線の終着駅として現在のJR四日市駅が開業しました。1894年7月5日には桑名まで路線が延伸され、中間駅となりました。この辺の鉄道は名古屋から延びたのではなく、西から延伸してきたことが注目点です。

1907年10月1日、国有化され、1909年10月12日、線路名称が制定され、関西本線所属の駅となりました。

1915年12月25日、四日市あすなろう鉄道の歴史でも出てきましたが、三重軌道が四日市~諏訪駅間を開業します。

1916年3月3日、四日市鉄道四日市駅~諏訪駅間が開業(近鉄湯の山線の前身)

1922年3月1日、伊勢鉄道 新四日市駅を開業、10月1日、四日市駅に改称

1small
Yahoo地図の上に四日市駅のwikipediaにある旧線の様子を書き加えて作成しました。

かつては三重軌道も伊勢鉄道も関西本線の四日市駅に乗り入れる路線を持っていましたが、急カーブが多いことなどから1927年頃から相次いで廃止されてゆきました。

170904 2017/8/4 JR四日市駅 駅舎

090323_3 駅名標

昭和50年代の駅舎風景のJR四日市駅

090323
090323_2 2009/3/23

駅舎と乗降ホームの間は跨線橋で結ばれており、その下には非電化の着発線が5本通っています。跨線橋に駅名が記入されているのは伊勢市、津、亀山などこの辺りの多くの駅で見ました。乗降ホームは伊勢鉄道の分を含めて1面3線です。

De10_1546_111225_2 2011/12/25 DE10 1546号機による入れ換え
DE10の右手奥に貨物駅があります。

170804
また駅舎と反対側も多くの線路が敷かれ貨車の検修庫のような建物もあります。

170804_2
伊勢鉄道のホームから駅舎と跨線橋を見た風景

かつての長大編成列車時代の名残か、伊勢鉄道のホームは跨線橋から50m以上離れた場所にあります。

貨物がメインで旅客に関しては昔ながらの施設をそのまま使って今日に至っているという感じの駅です。

近鉄四日市駅

170804_3
一方、2キロ程西方に位置する近鉄四日市駅は県内1位の乗降客数を誇る三重県最大の駅です。

170804_4

この駅の歴史は上の地図の諏訪駅を嚆矢とするようで、1956年国鉄四日市駅への乗り入れを廃止し、諏訪駅を現在の近鉄四日市駅に移転し、近畿日本四日市駅に改称したのが始まりでした。

その後、近鉄が三重電気鉄道などを合併し、1970年には近鉄四日市駅と改称されました。1974年7月3日、高架化が完成し、現在の形態となりました。

1307_170805
高架線上には電留線もあり、名古屋方面、伊勢中川方面の電車の滞留場所になっています。

島式ホーム3面6線で地上11階、地下1階の駅ビルに隣接しています。

Familymart170805
近鉄は関東の私鉄とは違って独自のキオスク営業グループを持たないのか多くの駅のホームにコンビニのファミリーマートを見かけました。

170806
特急券券売機、近鉄四日市駅は名阪甲特急の一部列車以外、名伊甲特急が通過する以外は全ての特急が停車する駅で、観光列車「しまかぜ」も停車します。最近は私鉄の多くの駅で見かける特急券の券売機、名古屋までの特急料金は510円でした。

近鉄四日市駅の乗降客数はJR四日市駅の8倍とのことです。

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2017年11月17日 (金)

貨物鉄道博物館の保存車 7 帝国陸軍軽貨車

三重県いなべ市の貨物鉄道博物館の保存車両、最後はかつて大日本帝国陸軍が軍用物資の輸送用に開発した九一式、もしくは九七式の軍用軽貨車です。

Dsc07428 2017/8/6 手前が九一式で奥が九七式かと思います。

以前に新京成のくぬぎ山のイベントで見たことがあり、今回も見たときに「ああ、あれだな」と思いましたが、やはりそうでした。

九一式とか九七式という名称は
戦闘機、艦上攻撃機、飛行艇、重戦車、広軌牽引車、魚雷などに付けられていますが、紀元2600年、あるいは皇紀2600年が西暦1940年に相当したため、1931年、1937年に制定された武器などは2591年、2597年から九一式、あるいは九七式と呼ばれたそうです。

今の政権は武器を防衛装備品と呼び、アメリカの言いなりで購入、あるいは日本の製品の輸出を進めていますが、戦後70余年で再び、戦争をする国に戻ることだけは絶対に避けねばなりません。

Dsc07470

九一式は1931年、1932年に川崎車輛、汽車製造の製造で、九七式は1939年梅鉢車輛の製造です。

九一式軽貨車は帝国陸軍鉄道連隊が使用し、応急運転や鉄道敷設に用いられました。設計者は青村常次郎大尉で1928年8月に設計に着手、1929年3月に試製、1930年11月に試製車で審査が行われ、実働時間8時間で4kmの線路敷設が可能だったことから制定となり、1931年から1938年にかけて量産されました。

台車2、荷匡1、旋回架2より構成される積載許容荷重5トンの貨車で敷設車、長材料運搬車および無蓋貨車として使用可能でした。敷設に使用する場合は架匡を外し、台車上に旋回架を装着する。輪距は1524mm、1435mm、1067mmの3種軌間に容易に改軌対応できます。車軸にボールベアリングが取り入れられているので、空車なら2名で押して動かせる程の改善がなされました。戦後、本土に残存した車両の一部は国鉄、私鉄や民間会社に払い下げられて、保線作業などに使われていました。

九七式軽貨車は積載許容荷重8~9トン、完全武装兵員約40名を乗せることが可能で車軸の締め付けボルトを調整することで1000mmから1524mmの軌間に対応可能でした。泰緬鉄道建設時にはレール輸送で活躍しました。

 諸元
全長 7.3m
全幅 2.5m
全高 1.7m
自重 2.196t
車輪径 400mm
積載許容荷重 無蓋貨車 8t、材料車(枕木およびレールを積載) 9t

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2017年11月16日 (木)

貨物鉄道博物館の保存車 6 大物車シキ

今回は特大貨物である変圧器輸送のための大物車、国鉄シキ160形貨車の紹介です。

Dsc07440 シキ160形式 シキ160

日本車輛製造にて1955年3月16日に製造された130t積みの大物車です。

Dsc07442
富士電機から日本パワーシステムズに所有者が移管され1998年まで活躍しました。変圧器は上の写真の上部フレームがふたつに分離する部分に吊掛ける方法(シュナーベル方式)で搭載され、空車時の全長は23,756mmですが、積載する変圧器のサイズで全長も変化します。現存する吊かけ式大物車としては国内最古の貨車だそうです。

車体は重量に耐えるため高張力鋼が用いられており、荷受け梁はトラス構造で重力を分散して受け止めるようになっています。

Dsc07466
走り装置は一段リンク方式の軸箱支持装置を3つ連ねたNC-2ボギー台車で両側に2個ずつ、計12軸から構成されています。

1961年に性能向上のための改造工事が日本車輛製造東京支店で行われ、台車の車輪径も製造時の860mmから800mmになりました。

Dsc07465
製造当初は安善駅常備で、富士電機製造川崎工場製の変圧器輸送に活躍していましたが、1962年に千葉工場が開設されると1963年から京葉臨海鉄道の開業を受けて京葉市原駅常備となりました。

Dsc07444
1968年10月1日のヨンサントウのダイヤ改正で高速化不適格車とされ、最高速度65km/hの指定車となり、識別のため「ロ」がシキの前に追加され、黄色1号の帯が巻かれました。

1998年の全検切れ以降、工場内で保管されていましたが、2007年に当館に寄贈されました。2010年に貨車の発達を示す重要車輛と認定され重要科学技術史資料第00048号に認定されました。

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2017年11月15日 (水)

貨物鉄道博物館の保存車 5 無蓋車、ホッパ車

貨物鉄道博物館の収蔵車両、今回は「蓋の無い貨車」です。

砂利、鉱石、木材など雨に濡れてもかまない積荷を輸送するための貨車を総称して「無蓋車」と言い、広義では大物車、長物車、土運車、コンテナ車も含まれます。

Dsc07439 形式ト200 246号

名古屋鉄道の前身である愛知電気鉄道の貨車で当初は1,917年に日本車輛製造で製造された2軸有蓋車ワ100形でした。その一部が1924年頃、改造されト200形になりました。現在の常滑線で運用され、名岐鉄道との合併、名古屋鉄道になってからも運用が続き、ト246号は1959年に引退しました。その後は控車に転用、鳴海工場で運用され、1997年鳴海工場閉鎖後は舞木検査場に転籍、2007年に引退しました。引退後、三岐鉄道でも運用され、静態保存では当初、控車としての姿でしたが、2006年1月に無蓋車に復元されました。

この車両の他、ト15も展示されているはずですが、見落としたのか写真はありません。

Dsc07443 ホサ1

いわゆるホッパ車として国鉄で活躍した形式にホキ600形式があります。1930年に浅野造船所で16両が製造され、浅野セメント所有の石灰石輸送用25t積私有2軸ボギー鉱石車ヲキ1形と当初は称しました。この形式を参考にホッパ長を6040mmに短縮し、一端に木造の車掌室を設けたヲサフ1形23t積が4両、浅野造船所で製造されました。私有貨車でしたが、1944年に国有化され、セサフ1形と改称、さらに1957年ホサフ1形となりました。1966年に廃車、福井鉄道に払い下げられ、車掌室を撤去し、ホサ1形となり、砕石輸送、散布用に使用されました。2001年に廃車となり、2003年から静態保存されています。

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2017年11月14日 (火)

貨物鉄道博物館の保存車 4 有蓋車

再び、いなべ市丹生川駅そばの貨物鉄道博物館の話題です。

国鉄・JR貨物の貨物列車が現在のコンテナ方式になって有蓋車とか無蓋車という言葉も殆ど死語となってしまいましたが、私たちの子供の頃はよく聞いたものでした。

有蓋車は「」に積載量でムラサキをつけて、さらに緩急車の場合はフが付き、ワフ、ワサフなどをよく目にしました。さらに鉄側有蓋車(車体側面を鉄製)として「」、側面屋根を鉄製とした鉄製有蓋車に「」が付けられました。さらに用途に応じて冷蔵車「」、通風車「」、家畜車「」、豚積車「」、活魚車「」、家禽車「」、陶器車「」などが活躍しました。

Dsc07446 ワ11形式 ワ11

蒲原鉄道用10トン積載の小型有蓋車として1929年に新潟鉄工で製造されたもので、当時は貨車も鋼鉄材料で製造されていましたが、地方小私鉄向けに躯体以外はすべて木材で構成された木造貨車が製造されていました。中小ローカル私鉄の貨車も沿線の産物や生活物資を積み、国鉄線に乗り入れて活躍しました。

蒲原鉄道では1923年に日本車輛製造において二軸有蓋車ワ1形1・2が新製され、1929年には二軸有蓋車ワ11形11・12、二軸有蓋緩急車ワフ1形、二軸無蓋車ト1形1・2の5両が新潟鉄工所で新製されました。ワ11は1985年6月20日付で廃車となっています。

Dsc07448 ワ1形 ワ5490

Dsc07458
Dsc07455 内部の様子

北越鉄道用に1906年8トン積有蓋車として製造されました。大正時代に荷重を10トンにする改造を受け、国有化で各地で使用されましたが、戦後は近江鉄道に移籍しました。台枠から上は鋼製の柱に木製の板張り、引き戸も木製です。

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テラ1形 146号
1965年協三工業製造で、上記のワと違って車内に木の内張を持たない鉄製有蓋車で水と反応して高熱を発する生石灰の輸送などのために開発された車両です。石灰鉱山を控えた岐阜県大垣市の美濃赤坂駅に配置され、石灰石の製品輸送に国鉄末期まで活躍しました。

Dsc07450 ワフ21000形式 ワフ21120号

ワフ21000形式は二軸客車改造の老朽車掌車(ヨ1形・ヨ1500形)の代替として、1933年から1939年にかけて、汽車製造、日本車輌製造本店・支店および鉄道省大井工場、大宮工場、鷹取工場、長野工場、土崎工場、苗穂工場、名古屋工場、吹田工場、小倉工場、五稜郭工場、盛岡工場で775両(ワフ21000 - ワフ21774)が新製されました。初の鋼製有蓋緩急車で、乗務員用設備を改善、車体の大きさは15t積有蓋車と同じですが、貨物室は2t 積と小さく、鮮魚など混載に不適な小口貨物に専ら用いられた。一方、車掌室は広く居住性も優れ、車掌室側には手ブレーキを設けた出入用デッキがあります。当初は電灯・ストーブともありませんでしたが、ストーブは1952年からの更新修繕の際に設置されました。

21120号は1934年汽車製造株式会社の製造です。
2名の車掌と2トンの貨物を積載可能で貨物室には貴重品類や鮮魚などの小口貨物が搭載されました。国鉄で1977年まで使用され、その後、西濃運輸に移りました。

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2017年11月13日 (月)

速報版 第17回ふれあい鉄道フェスティバルに参加

貨物鉄道博物館の話題に割り込んでの記事なので、速報版としましたが、11月11日土曜日は尾久車両センター公開の「第17回ふれあい鉄道フェスティバル」と西武横瀬車両基地公開「西武トレインフェスティバル2017 in 横瀬」か重なりましたが、今年は2014年以来の尾久にしました。

理由は、展示車両のリストを見ると、小海線のHigh Rail 1375、盛岡のPOKEMON with YOUトレイン、新潟地区の越乃Shu*Kura などの普段は関東地区では見られないディーゼルカーが展示されるからでした。

詳細は追って、別の機会に記事にしますが、今回は写真だけを並べます。

Dsc01182

Dsc01318恒例の機関車4並び展示はこのように尾久駅側から、EF6437号機、EF651102号機、DD51842号機、そして青森から転属してきたEF81139号機でした。

Dsc01248

お召し塗装のEF8181号機は転車台の上で11:00、12:00、13:00。14:00に回転していました。

JR東日本関係の機関車と言えば、長年茶色塗装だった高崎センターのEF641001号機がオリジナル塗装に戻ったので展示されるかと思いましたがそれはありませんでした。

Dsc01200

機関車それぞれの両側にHMが付いていましたが、尾久ゆかりの特急列車のHMも展示されていました。

 

Dsc01192長年入れ換え機として活躍してきた2両のDE10もJR貨物などでは、ハイブリッド機関車HD300や電気式DD200の登場もあり、どんどん置き換えが進んでいますが、JR東日本のDE10(1571と1751)も最後の晴れ姿なのでしょうか。

Dsc01230

Img_6156E26系も12両編成がカハフE26ではなくカヤE27-501付きで展示されており、普段じっくり観察できないE26系客車を一両ずつ観察出来ました。

Dsc01129


Dsc01137

高崎の12系客車5両と185系B7+B4編成10両が休憩用車両となっていました。

Dsc01238長年、北斗星等で活躍した24系寝台客車、オハネフ2514が展示され、列車愛称幕が

Dsc01283


こういったスケジュールでチェンジされました。

 

Dsc011412017年7月1日から小海線で運行を開始した臨時快速列車High Rail1375 1375は普通鉄道最高地点の標高1375mに由来するそうですが、その塗装を纏ったキハ103-711・キハ112-711が展示され、車内見学も出来ました。

Dsc01171盛岡支社が東日本大震災の復興事業の一環として2012年10月12日に一関運輸区のキハ100形気動車(1,3)を改造した列車「POKEMON with YOUトレイン」を走らせていましたが、それが2017年7月15日にリニューアルされ今回展示されました。

 

Dsc01158

新潟支社が上越妙高~十日町間で運行する観光列車「越乃Shu*KuraゆざわShu*Kura柳都Shu*Kuraもあるそうで2014年5月2日から運行開始されました。デスティネーションキャンペーンの開催がきっかけで日本酒の醸造が盛んな新潟県をアピールするため酒をコンセプトに企画された列車です。車両はキハ48 558、1542、キハ40 552からの改造です。

以上が展示車両、企画で今回は車庫の公開はありませんでした。

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2017年11月12日 (日)

貨物鉄道博物館の保存車 3 タンク車

今回は、昨日の写真でDB101ディーゼル機関車に連結されていた4両のタンク車について紹介致します。

Dsc07418 2017/8/6 

まず手前のシルバーに塗られたタンク車はタム8000形タム8000です。過酸化水素水専用のアルミ製のタンク車です。
過酸化水素水といえば理科の授業で二酸化マンガンを触媒として酸素の発生、生物の授業ではカタラーゼ反応の活性酸素、そして鉄IIIイオンと反応して、ヒドロキシラジカルの発生(フェントン反応)と工業的にも生物学的にも良く出てくる物質ですが、タンク車で輸送するときも鉄ではなくアルミの缶が使われたのですね。

Dsc07419
タム8000形は15t積み二軸貨車で1962年から1965年にかけて8ロット15両が汽車製造、日立製作所、日本車輌製造、および三菱重工業で製造されました。

走り装置は二段リンク式、最高速度は75km/h、台枠は長さ7,000mmもしくは7,400mmの平台枠です。タンク体の長さは6,300mm、内径は1,700mmでタンク内部には補強のため皿形の波除け板が4枚設置されています。

積み込みは液出入管から行い、荷卸しは液出入管と空気加圧による上出し方式で空気管には異物混入除去用のフィルターが内蔵されています。

全長は7,800mm - 8,200mm、全幅は2,530mm、全高は3,615mm、軸距は4,200mm - 4,450mm、自重は9.5t - 10.0t、換算両数は積車2.6、空車1.0、車軸は12t長軸でした。

タム8000号
1962年度、に汽車製造で製造された3両のうちの1両で江戸川化学工業所有となりました。同年度に三菱江戸川化学工業へ改称され、同社向けに9両、安宅産業向けに1両、三徳化学工業向けに2両の計15両が製造されました。1971年12月17日に日本瓦斯化学工業との合併で表記のように三菱瓦斯化学となり、工場の移転で常備駅は南四日市となりました。
1987年8003を除く14両がJR貨物に継承され、1994年に2両、2003年度に12両が廃車となり形式消滅しました。

Dsc07421
タム5000形6263号

積載量15tの塩酸専用タンク車で1938年から1968年にかけて新潟鐵工所、日本車輌製造、汽車製造、日本鋼管、造機車輌、カテツ交通、日立製作所、三菱重工業、近畿車輛、富士重工業、飯野産業、協三工業にて368両が製造されました。さらに1951年12月26日から1963年12月14日にかけてタム100形より8両が三菱重工業、造機車輌、汽車製造にて改造され当形式に編入され、1958年12月2日にはタム3500形より1両が造機車輌にて改造され当形式に編入されました。

全長は7,800、8,100mm、全幅は3,365mm、全高は3,497mm、軸距は3,800 - 4,200mm、自重は10.0 - 11.7t、換算両数は積車2.6、空車1.2、最高運転速度は75km/h、車軸は12t長軸でした。塩酸やアミノ酸を積むため、腐食防止のためタンク内面にゴムライニングが施されています。2005年6月に最後まで活躍した車が廃車となり形式消滅しました。
タム6263号は修復中で下塗り状態でした。

Dsc07422 タム500形2920号

タム500形1931年から30年間製造された15t積みガソリン専用タンク車で2920号1958年日本車輌製造製です。2軸タンク車として最多の621両が汽車製造、三菱重工業、新潟鐵工所、東急車輛製造、鉄道車輛工業、飯野重工業、川崎車輛、日本鋼管、富士重工業、日立製作所、日本車輌製造、造機車輌、帝國車輛工業にて製造されました。現在は荷重40tを超えるボギー車が主流ですが、当時はこちらの方が重宝したそうです。

荷役方式は上入れ下出し式で2000年に最後まで活躍したした2両(タム2920, タム2932)が廃車となり形式消滅しました。

主要諸元(タム500形、700形、800形、4000形、9200形)

全長     7,700 mm - 9,300 mm
全幅     2,006 mm、2,408 mm
全高     3,758 mm、3,860 mm、3,870 mm
タンク材質     普通鋼(一般構造用圧延鋼材)
荷重     15 t
実容積     21.2 m3 - 21.5 m3
自重     10.0 t - 11.9 t
換算両数 積車     2.6
換算両数 空車     1.2
走り装置     一段リンク式→二段リンク式
車輪径     860 mm
軸距     3,900 mm - 4,500 mm
最高速度     65 km/h → 75 km/h


Dsc07424 タ2000形 タ2001号

タ2000形1939年に日本曹達15t二硫化炭素専用タンク車タム200形タム274として新潟鐵工所で製造、1941年に10t積アルコール専用のタ2000形に改造タ2001となりました。同じときにタム273タム2000に改造されています。1961年に日本アルコール販売に移籍、白新線新崎駅を拠点に1995年まで活躍しました。このタンク車は現存する唯一の戦前製タンク車で各部に戦前の設計・構造・工法が見られるそうです。

タンクの大きさが同じなのに積載量が下がっているのは二硫化炭素に較べてアルコールの比重が小さいためです。タ2000形には1951年11月6日、新潟鐵工所にてタム900形(タム972)元は苛性ソーダ専用からアルコール専用に改造がタ2002として加わりました。

全長は7,350mm、7,800mm、全幅は2,300mm、2,430mm、全高は 3,490mm、3,450mm、軸距は3,650mm、3,900mm、実容積は11.5m3、12.1m3、自重は9.6t - 10.7t、換算両数は積車2.2、空車1.0、最高運転速度は75km/h(二段リンク式に改造後)、車軸は12t長軸でした。

1972年7月28日にタ2000が廃車され、1987年4月の国鉄分割民営化時には2両がJR貨物に継承され、1996年にタ2001が廃車になり、1996年4月に最後まで在籍したタ2002が廃車になり形式消滅し、「タ」車(積載重量13t以下のタンク車)の全滅となりました。

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2017年11月11日 (土)

貨物鉄道博物館の保存車 2 DB101ディーゼル機関車

昨日に続いて、貨物鉄道博物館の展示車両、動力車から先に行きますと、DB101ディーゼル機関車となります。

Dsc07481 2017/8/6

この機関車、昨日の東武39号蒸気機関車と対峙するようにタンク車4両と連結されていました。本来はブルー塗色のようですが、訪問したときは補修作業中で下塗りの状態でした。

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鉄道工場、鉱山などで使用する小型DLや遊園地・テーマパークなどの遊戯物として使用する小型蒸気機関車および客車など小型鉄道車両の製造、また現時点における我が国で蒸気機関車を新製可能な唯一のメーカーである福島の協三工業1957年に製造した10tタイプのB形ディーゼル機関車(製造番号10208)で巴川製紙用宗駅専用線で入換用として使用されていました。

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1986年に廃車となり、売却され、2004年に津坂商店の好意により、当館に贈呈されたそうです。

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2017年11月10日 (金)

貨物鉄道博物館の保存車 1 東武39号蒸気機関車

貨物鉄道博物館に保存されている車両、最初は東武39号機関車として保存されている蒸気機関車です。

Dsc07437 2017/8/6

1898年に英国シャープ・スチュアート社で6両が製造され、日本鉄道に納入された官設鉄道5500形の同形機だそうです(製造番号4437)。英国シャープ・スチュアート社の形式ではSSbt2/4形(207-212)と称したそうです。1906年の日本鉄道国有化で官設鉄道に籍を移し、1909年の形式称号規程で5650形(5650-5655)となりました。主に東北、常磐、高崎線で使用され、最後は仙台鉄道局管内の新津に集められました。

Dsc07429

1922年に全機が東武鉄道に譲渡され同社のB4形(35-40)に改番されました。39号機は1966年まで貨物列車の牽引に使用されました。

廃車後、東京都豊島区の昭和鉄道高校で保存されていましたが、校舎改築で移転先を探していたところ、2003年に当館か開館することとなり、こちらで保存されることになりました。

Dsc07438
6両のうち、3両が静態保存されており、37号(旧5652)は千葉県内で個人によって保存、40号(旧5655)は埼玉県南埼玉郡宮代町町役場前に保存されています。

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2017年11月 9日 (木)

貨物鉄道博物館について

三岐鉄道三岐線の丹生川駅に隣接して「貨物鉄道博物館」があります。

170806 2017/8/6 駅名標
ローマ字表記は意図して文字の一部を削ったのではと思われます。

170806_2 2017/8/6 駅舎

ここは2003年に鉄道貨物輸送開始から130周年になるのを記念して設立されました。日本の鉄道貨物輸送は新橋~横浜間の鉄道開業の翌年の1873年9月15日に開始されたそうです。これまで鉄道貨物輸送は余り脚光を浴びることなく、歴史的に価値のある貨車も人知れず廃車となり消えて行ってしまいましたが、これを惜しみ保存していた方もおられました。しかし個人の力による保存には限界もあることから寄贈された貨車を集め、ボランティアによる運営で立ち上がった博物館だそうです。

Dsc07430 線路脇に建つ荷扱いの建物を博物館の本館にしたようです。
壁のイラストは児童画家 横溝英一氏の作品だそうです。

定例の開館日は2017年の場合、毎月第一日曜日(1月のみ8日)で、午前10:00に開館、午後4時に閉館となっています。

Dsc07434
館内は貨物関係の資料の展示、貨車の部品展示、Nゲージ貨車の模型の販売、ジオラマや写真のようなプラレールの広場もあります。

Dsc07432
三岐鉄道の貨物輸送の歴史、貨物鉄道博物館の歴史を示すHM類も展示されていました。

Dsc07435
展示車両に関しては明日以降の記事で紹介してゆきますが、本館横のスペース、さらに

Dsc07472
丹生川駅舎よりのスペースに特徴的な車両が並んでいました。

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2017年11月 8日 (水)

三岐鉄道 保存車両 三岐通運DB25

今回も三岐鉄道三岐線終点、西藤原駅構内に展示されている車両です。

170806_3 2017/8/6 西藤原

2001年の三岐鉄道開業70周年記念行事の一環で保存されたDB25です。実はこの車両に関しては私が訪れたときには”私の歴史”を記した説明板がありませんでした。

そこでネットで調べた結果、保存車両の情報でいつもお世話になっているこちらのサイトに説明板の写真を見つけ、現役時代、保存の経緯が分かった次第です。

170806_4
元々小野田セメント株式会社名古屋サービスステーション(SS)に所属し、1954年に開設された同SSに1971年から閉鎖されるまでの18年間、約300万トンのセメント輸送に活躍したそうです。関西本線八田駅の専用側線が活躍の場でした。

170806_5
三岐通運創立50周年を記念して2001年にこの地で保存されるようになった日立製の25トン液体式ディーゼル機関車だそうです。

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2017年11月 7日 (火)

三岐鉄道 保存車両 E102蒸機

三岐鉄道三岐線の終点、西藤原駅構内の保存車両、今回は蒸気機関車E102号機について触れます。

E102_170806_3 2017/8/6 西藤原

一見するとアメリカ製の蒸機かと思いますが、1931年大阪の汽車会社で製造された機関車で三岐線の開業にと用意された機関車でした。1954年の全線電化で大阪セメント伊吹工場に移籍となり、セメント列車を牽引や入れ換えに従事しました。2001年の三岐鉄道開業70周年で同線に呼び戻され、展示となりました。

E102_170806_2
Dsc07392
沖田祐作氏の機関車表コンプリート版データによると

1931-7 汽車製造大阪工場 製番1165
1954-2-26廃車
1954-2譲渡 住友大阪セメント伊吹工場
1956ころ? 電化により廃車
工場正門で保存
2001-4移転 西藤原駅

とのことです。

三岐鉄道の開業に際してはE101,E102の2両が準備され、両方とも1C1タイプのタンク機関車でしたが、E101は日立製作所製でした。E101は1955年12月まで在籍し、大鐵車輛工業で整備改造の上、日本レイヨン(現ユニチカ)宇治工場に売却され入れ換え作業に従事し、その後信越化学工業武生工場に移り、S1形に改番されましたが、後年廃車解体となったようです(データはこちらのサイトから)。

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2017年11月 6日 (月)

通勤電車E231系シリーズ 武蔵野線にE231系走り始める

三岐鉄道の話題はまだ続きますが、11月1日から武蔵野線に中央総武緩行線からのE231系8連が走り始めたのでその話題に触れます。

E231_mu2_171103_2
E231_mu2_171103_6 2017/11/3 南浦和

編成の構成は以下のようになっています。

      1号車     2号車   3号車     4号車     5号車    6号車    7号車     8号車
                  >                               >   
編成 クハE231 モハE231 モハE230 サハE231 サハE231 モハE231 モハE230 クハE230
MU2      22          43         43                       64            44          44          22 B22
                        14                          B5

各車両は 4号車以外は元ミツB22編成、4号車は元ミツB5編成です。

E231_mu2_171103_21 2017/11/3 府中本町

今回の編成組成ににあたり、青森センターで主要機器の更新、ATS-SN機器箱取り付けなどの転用改造が行われました。
また使用線区に合わせた帯の貼り替えは秋田センターで行われました。
さらに5号車サハE231-64には線路設備モニタリング装置が搭載されています。

以上の転用改造を経て、2017年9月19日に京葉車輌センターに回送されていました。

E231_5_120225_2 2012/2/25 秋葉原 在りし日のミツB5編成

元B5編成に関しては2017年6月15日に青森に入場、1,10号車クハE231/230、モハE231/230-10、サハE231-14に関しては同所で機器更新、サハE231-15と6扉サハE230-5は同所で解体となりました。残りの車輌は青森から出場、2017年10月23日に秋田に入場中です。

E231_22_070102_2 2007/1/2 三鷹 在りし日のB22編成

元B22編成に関しては2014年11月25日、東京総合車両センターに入場し、7号車サハE231-66をマト119編成用に供出した後、2017年3月31日に青森に入場、1,10号車クハE231/230-22、サハE231-64、モハE231/230-43、44の機器更新を行い、6扉サハE230-22は同所で解体、2017年7月13日、青森から秋田へ移動、帯の貼り替え等を済ませて、2017年9月19日に出場しました。

E231_119_150425_2 2015/4/25 北小金
おなじ10連のコンバートでも中央・総武緩行線では6扉サハ入りに対して、常磐線快速は4扉サハのため、すんなり置き換えられないところがこのややこしい車輌のやりくりに繋がっているのだと思われます。

山手線E235系投入による一連の動きで、中央・総武緩行線に関してはB20, B22, B21がマト118、119編成にコンバートされ、続いてB5が入場し、B22とB5でMU2編成が組成されました。さらにB6、B9と209系500番台C501が入場中で、B6のサハE230-6、サハE231-17は既に解体、C501のモハ209/208-501、サハ209-503、204も解体済みだそうです。こちらは川越・八高線用にコンバートとのことだそうです。

以上のデータはこちらのサイトの記事を参考に致しました。

一方でMU2編成運用開始による武蔵野線205系の離脱も気になるところです。

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2017年11月 5日 (日)

三岐鉄道 保存車両 ED22 2号機

三岐線の終点、西藤原駅に到着すると反対側のホームに数両の保存車両が出迎えてくれます。その中の一両がED22 2号機です。

Ed22_2_170806_4 2017/8/6 西藤原

この電機は信濃鉄道(現在の大糸線松本~信濃大町間)が1926年から1927年にかけて新製した電機でした。信濃鉄道では1形電気機関車と呼ばれボールドウィン・ロコモティブ・ワークス(機械関係)ウェスティングハウス・エレクトリック社(電気関係)を担当し、3両が新製されそれを輸入しました。1・2号機が1926年製、3号機が1927年製です。

Ed22_2_170806_5
まず信濃鉄道について、長野県松本地方の鉄道では1902年に篠ノ井線が開通、1906年には中央線も開通し、残された問題は北越糸魚川との鉄道連絡でした。当時政府は幹線鉄道は国有化、私設鉄道は1910年に軽便鉄道法、1911年に軽便鉄道補助法を公布し、その建設を奨励しました。

Ed22_2_170806_6
1910年12月11日
に信濃鉄道免許申請書が提出され、1911年4月5日に軽便鉄道免許状(松本~大町間)が下付されました。1912年3月31日、信濃鉄道創立総会が開催され、会社が設立、1915年1月4日、松本(現、北松本)~豊科間が開業、同年内に順次延伸し、11月2日に南松本(現、松本)~信濃大町(現、仏崎)間が開業、1916年7月5日、高瀬川の鉄橋完成で現、信濃大町までが完成、9月18日旅客営業を開始しました。1925年12月には電化工事も完成し、1926年1月8日から電動客車による運転が開始されました。1937年6月1日、国有化され、鉄道省大糸南線となりました。1形電機もこの時点でED22形になりました。

Dsc07390
国有化後も引き続き3両とも北松本機関区に配置され大糸南線で使用されましたが、1943年には豊橋機関区に転属となり、飯田線に活躍の場を移しました。

Ed221_151221 2015/12/21 大鰐温泉

1号機は1948年廃車となり、西武鉄道に譲渡され、1形(初代)1となり、1950年には近江鉄道に譲渡され、再びED22 1と命名されました。1960年一畑電気鉄道に譲渡、1974年同社の貨物営業廃止により、弘南鉄道に譲渡され、大鰐線で除雪用機関車として使用されています。

2・3号機は、1956年に廃車となり、2号機は三岐鉄道貸し出しを経て、譲渡され電車救援用や富田駅の入れ換え用に使用され、1984年に廃車、三重県いなべ市大安町の中央児童センターで保存の後、2016年6月より、西藤原駅構内に保存となりました。

3号機は岳南鉄道に一時貸し出された後、西武鉄道に譲渡されA1形A1となりましたが、1960年8月松本電気鉄道(現、アルピコ交通)に譲渡されED30形ED301と改番されました。電圧も1500V→600V(岳南)→1500V→750Vと増降圧を繰り返しました。構内入れ換え、工事、除雪用として使用され、1986年の上高地線の架線電圧1500V化では四度目の電圧変更工事も経験しました。2005年に除籍、静態保存に移行しました。

3台とも車齢90年を越えますが、1号機は現役、2,3号機も解体されること無く保存されています。

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2017年11月 4日 (土)

三岐鉄道 現役の電機たち 2 ED5081形

東武鉄道には先日の記事でも紹介致しましたが、貨物輸送用に多くの機関車が活躍していた時代がありました。そんな中で1960年から1966年にはED5060形としてED5061~ED5073の13両が東芝で製造され、それまで活躍していた蒸気機関車を駆逐しました。

これらの中でED5061~65の5両は重連総括制御可能なように改造されました。

主に伊勢崎線・佐野線・小泉線・桐生線・日光線・会沢線(かつて佐野市にあった東武鉄道の貨物線で石灰石・ドロマイト等の運搬用に敷設され、葛生駅から第三会沢駅に至っていました)・大叶線(同じく佐野市にあり、会沢線の上白石駅から大叶駅に至っており、石灰石・ドロマイト等の運搬用に敷設されていました)等で使用されていました。

廃車後の1992年、これらの中でED5069ED5070が三岐鉄道に売却され、整備改造工事が始まったものの、ED5069号機は入籍されることなく解体、ED5070号機は中部国際空港建設のための土砂輸送開始で2000年ED459となり、竣工しました。

導入にあたっては運転台の右側移設、貫通路の変更、重連総括可能化改造などが施されました。

Ed5082_170806 2017/8/6 東藤原
走行中の車内から撮った写真ですが東藤原で出発待ちをするED5082+ED5081重連牽引貨物列車
形態的には前照灯ライトケース、尾灯が埋め込み式であること、前面3枚の窓の構成、黄色の帯とナンバープレートの位置関係などED45形との違いが多くあります。

1970年1月、成田空港建設のための砕石輸送のため、新東京国際空港公団所有の私有機関車としてED5081~83の3両が東芝で製造されました。ED5060形と同一設計で新造当時から総括制御運転が可能で、ED5060形総括制御可能車との重連運転も出来ました。活躍路線は葛生駅~佐野市駅で、1978年11月の空港完成で3両全車が東武鉄道に編入となりました。2003年の貨物運用廃止までED5060形と共に使用されました。

このうちの2両、ED5081ED5082の2両は三岐鉄道に売却、ED5081は2014年に、ED5082は2011年にED5081形として現在も三岐線で使用されています。ED5083はED5063と共に北館林荷扱所に留置されていましたが、2009年3月に解体されました。

ED5060形ED5080形の諸元

全長:12,000mm
全幅:2,690mm
全高:4,055mm
重量:45.45t
電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)
軸配置:B-B
台車形式:東芝TT54
主電動機:MT40B形×4基
歯車比:17:72=1:4.235
1時間定格出力:568kW
1時間定格引張力:5,280kg
1時間定格速度:39.0km/h
動力伝達方式:1段歯車減速、吊り掛け式
制御方式:重連総括制御(ED5060形の一部、ED5080形全車)、抵抗制御、直並列2段組合せ、弱め界磁
制御装置:電磁空気単位スイッチ式
ブレーキ方式: EL14AS空気ブレーキ(釣合管式)、手ブレーキ

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2017年11月 3日 (金)

三岐鉄道 現役の電機たち1 ED45

今となっては私鉄で唯一、セメント輸送を行っている三岐鉄道、訪問したのは2017年8月6日日曜日でしたがしっかり貨物列車も走っていました。

貨物列車牽引や入換えの任についている電気機関車は以下の通りだそうです。

ED45形 ED45 1号機から9号機 
ED301形 入換用 2003年移籍 元南海電気鉄道 ED5201形
ED5081形ED5082形 
2003年移籍 元東武鉄道ED5080形

まずはED45形の写真を紹介いたします。

Ed451_170806_2 2017/8/6 保々

ED451号機から3号機、6号機は東洋電機製造と東洋電機のジョイントによる製造で前照灯は101系のようなダブルライト

Ed45_43_170806_4
Ed45_43_170806_5 2017/8/6 保々 ED454号機と3号機の重連

4,5号機はダム建設工事のために富山地方鉄道に入線、デキ19040形を名乗り、工事の完了した1960年に三岐線に異動しました。

4号機の車体をよく見ると、前面の左右の窓の形態、上辺の様子が1号機などとは異なること、さらに4号機と3号機の側面窓の大きさが異なることも分かります。

Ed458_170806

Ed4587_170806 2017/8/6 東藤原 ED45 8+7号機の重連

7号機は電気関係を東洋電機製造、車体は西武所沢工場が製造した機関車です。

Ed5015_40716_9 2014/7/16 東武博物館に保存されているED5015号機

8号機1950年に東京芝浦電気が製造した東武鉄道ED500形5001が前身で、1978年に入線し、ED5001で運用、1993年に改番されて8号機になりました。

8号機は1,3,4号機に較べて前面の窓が大きいのが特徴のようです。

9号機1963年、東芝で製造された東武ED5060形5069で、1991年ED5070とともに譲渡されましたが、貨物需要の伸び悩みで改造工事は中断、5070は部品取りになり、最後は解体されたのに対し、5069は2000年に中部国際空港の埋め立て用土砂運搬で改造が再開されED459になりました。

ED451号機から3号機の諸元

全長:12,800mm
全幅:2,640mm
全高:3,985mm
運転整備重量:45.1t
電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)
軸配置:B-B
台車形式:DTH57
主電動機:MT40B (142kW) ×4基
歯車比:16:73=1:4.56
1時間定格出力:568kW
1時間定格引張力:5,440kg
1時間定格速度:35.0km/h
動力伝達方式:歯車1段減速、吊り掛け式
制御方式:重連総括制御、抵抗制御、2段組み合わせ制御
制御装置:電磁空気単位スイッチ式
ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ、発電ブレーキ(現在使用停止)、手ブレーキ

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2017年11月 2日 (木)

三岐鉄道 101系

三岐鉄道三岐線で活躍中の電車、最後は元西武401系から改造された101系です。

103f_140812_2
103f_140812_3 2014/8/12 近鉄冨田 103F

2014年8月に近鉄冨田で三岐鉄道の電車を撮ったときは前面ガラス窓に車体番号表記はありませんでした。

形態的には前照灯ケース以外は西武時代のスタイルをよく保っています。

103_170804_3 2017/8/4 近鉄冨田 

3編成在籍し、
101F クモハ101-クモハ102 1990年12月移籍 元クモハ402-クモハ401
103F クモハ103-クモハ104 1991年6月移籍 元クモハ406-クモハ405
105F クモハ105-クモハ106 1994年6月移籍 元クモハ410-クモハ409

106_170806 2017/8/6 丹生川

譲渡に当たり、変更されたのは 塗装、前照灯の形状、ワンマン運転対応で台車もFS-342に換装されました。

103_170806 103の運転席

103_170806_2
室内の様子 ベージュ色の壁は西武時代のまま

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2017年11月 1日 (水)

三岐鉄道 751系

昨日の801系、851系に続いて2009年10月、元西武新101系から改造されたのが751系です。

1751_170806
1751_170806_2 2017/8/6 近鉄冨田 751F

編成は クモハ751-モハ781-クハ1751の3連です。

西武時代はMc1-Mc2だった2連の片割れとTc1-M1-M2-Tc2だった4連の半分から組成した3連で、こちらも前後で新101系の2つの顔が見られる編成となっています。

751_170806 2017/8/6 丹生川

クモハ751は元西武新101系2連283Fのクモハ283でした。

クモハ284の方はAK-3 CPを搭載していることが特徴的だった車両ですが、後に伊豆箱根鉄道に譲渡され1300系クモハ1301になりました(関連画像)。

751_170806_2
751_170806_3
クモハ751の運転台と乗務員室端部の風景
西武時代のままです。

一方、モハ781-クハ1751は元西武新101系4連235Fで、モハ236がモハ781にクハ1236がクハ1751になりました。このときに237Fのモハ238とクハ1238が部品取りで三岐に来ています。後年、このクハ1238が脱線事故で廃車となったクハ1851の代わりに851Fのメンバーになりました。

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