2017年10月の福岡旅行 4 直方市石炭記念館 その3
人間は石炭をいつ、どういったきっかけから見いだしたか?
さまざまな伝説や古文書に記載が見受けられるものの、確かな文献は少ないようで、口碑伝承として、最も古いとされているものは、三池地方における以下の記述です。
――文明元年(一四六九)一月十五日、三池郡稲荷村(とうかむら。現在の大牟田口にあたる)の百姓伝治左衛門が近くの稲荷山にたきぎをとりにいき、枯葉を集めて火をつけると、突然地上に露出していた黒い岩が燃え出したのである。これが”燃える石”つまり石炭の発見である、と伝えられている。これ以後、この附近の村人たちは、燃料として従来の薪やすみのかわりに用いるようになった。(安政六年・一八五九。橋本屋富五郎発行『石炭由来記』外などから)
また文明十年(一四七八)三月、筑前遠賀郡香月村の畑部落の金剛山で土民が黒い悪臭を出しよく燃える石を掘り出して献納、城主の杉七郎太夫興利はこれをかがり火として利用している。同じ文明十年には、遠賀郡垣生村で五郎太という者が、焼肥(ちりとかほこりなどをむし焼きにした肥料)をしていた時、偶然わきにあった石に火が移り燃えだした。このことは後に石炭を運搬する小舟を彼の名をとって“五郎太夫”というようになったといわれる。
(麻生百年史から、原文のまま)
地中に埋蔵される固体の石炭をどうやって掘るが、採掘方法は大きく分けてふたつあります。
ひとつは露天採掘法で地表近くの炭層までの表土を除去し、ショベルで掘り、トラックで運ぶという比較的単純な方法で、経費がかからないこと、大規模な展開が可能なことメリットですが、デメリットとして森林破壊が進み、生産が天候に左右されること、深い場所に存在する炭層に対して表土の剝土に経費が懸かることなどがあります。
アメリカのBlack Thunder炭鉱や中国の神華集団補連塔鉱などがこの方法で採掘されています。
炭鉱の模型 炭層に合わせて坑道が掘られています。
もう一つは坑内採掘法で炭層まで坑道を掘り、そこから炭層に対して一定の面積で掘る方法ですが、ロングウォール採炭法のように100~300mの幅で採炭する方法とルームアンドピラー採炭法のように坑道を格子状に掘り採炭する方法です。前者が掘り残しが少ないのに対して、後者は掘り残しが多いのが特徴です。ただ、断層などで炭層が上下などに変化する場合、後者の法が有利になります(これらの工法に関してはこちらのページを参考にしました)。
人力で採掘、搬出していた時代
坑道に一家で入り、仕事していたケースも多くありました。
採掘法が機械化される前の(明治時代)は一日中坑道で「とうちゃん」が掘り(先山)、「かあちゃん」が運び出し(後山)、子どもがそれを手伝うという炭鉱一家も多く存在したそうです。とうちゃんは褌一丁、かあちゃんも腰巻きだけが多かったようです。
カナリアは人間よりも先に有毒ガスを検知して囀りをやめることから、炭鉱労働者は必ずカナリアの鳥かごを携行してヤマに入ったそうです。そのために炭鉱にはカナリヤに感謝の意を込めて「鳥塚」がありました。
現代では「炭鉱のカナリア」の話は金融市場で残っているそうですが、1995年、オウム真理教の上九一色村のサティアン捜査の際などにも捜査員がカナリア籠を携行しました。
カナリア以外にも安全灯の炎の様子など有毒ガスの発生を検知する方法が経験的にありましたが、ドイツで光の屈折を利用したガス検知器が開発され、日本の炭鉱でも利用されたそうです。
酸素ボンベを備えた有毒マスクで炭鉱内での爆発事故などで威力を発揮しました。
糸田町の豊国炭鉱で1907年(明治40年)に大規模なガス爆発事故が発生し、炭鉱事故の恐ろしさを知った筑豊石炭鉱業組合がドイツから3台購入したときの1台だそうです。
ドレーガー式とは吐き出された呼気から二酸化炭素を吸収し、残りの窒素、酸素を混ぜて装着者の口元に送る仕組みで一酸化炭素が充満した坑内でも1~2時間の作業を可能にしました。
それでもこの表のように死者10名以上の重大災害が多く発生しています。
ジブ・カッター(チェーン式コールカッター)といった坑内採掘機械の展示
など坑道で活躍した機械の展示でした。
次回は、筑豊地方における石炭の輸送について触れます。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。
« 2017年10月の福岡旅行 4 直方市石炭記念館 その2 | トップページ | 2017年10月の福岡旅行 4 直方市石炭記念館 その4 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 49 車両編 1600~1700系から2230系へ(2023.01.27)
- 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 48 車両編 2200系 一部特別車の空港特急用車(2023.01.26)
- 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 47 車両編 2000系 空港アクセス特急「ミュースカイ」専用車(2023.01.25)
- 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 46 車両編 1000系+1200系、1800系の車体更新(2023.01.20)
- 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 45 車両編 1000系+1200系編成に増結車として1800系・1850系が登場(2023.01.19)
「鉄道以外の博物館・展示施設」カテゴリの記事
- 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 33 三河線の歴史(2022.12.28)
- 2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 15 犬山城観光 その1(2022.12.02)
- 大川端・佃島周辺を散策する part10 かちどき橋の資料館 part2(2022.08.12)
- 大川端・佃島周辺を散策する part10 かちどき橋の資料館 part1(2022.07.22)
- 中央・総武緩行線 E231系500番台 A511編成、中野電車区100周年 HM も撮影(2021.10.11)
« 2017年10月の福岡旅行 4 直方市石炭記念館 その2 | トップページ | 2017年10月の福岡旅行 4 直方市石炭記念館 その4 »
コメント