日本橋川に沿って歩く その4 堀留橋から俎橋
日本橋川を上流から川沿いに歩くシリーズ、新川橋の次は堀留橋です。
1903年(明治36年)に現在の日本橋川の再掘削工事が開始されるまで、この辺りまでが東京湾と同じ水位に堀であったため、この名前が付けられたそうで、竣工は1925年、鉄筋コンクリートアーチ橋です。橋自身は江戸時代からかかっており、これより上流は付近の武家屋敷からの生活排水を流す幅の狭い下水路だったそうです。
通りは専大通りというようですが、地図で見ると都道8号、通称目白通りから、西神田交差点までの短い通りで専修大学神田キャンパスは少し南にあります。
また首都高の竹橋方向入口と池袋方向出口の西神田ランプがあります。そのためか、高架橋がかなり低く圧迫感があります。
次の橋は南堀留橋で1928年竣工、3径間ゲルバー鋼鈑桁橋です。
西神田ランプに向けたスロープで首都高の蓋がかなり圧迫感を持っています。
この橋の上の道をずっと西に進むと目白通りを渡り、早稲田通りに突き当たりますが、その先は現在の九段中等教育学校、かつての都立九段高校です。九段高校の出身者に佐川宜寿前国税庁長官がいます。
次の橋は通称靖国通り、都道302号が通る俎橋です。竣工は1983年、単純鋼鈑桁橋です。かつては板を渡しだけの粗末な橋であったことからこの名前が付けられたそうですが、関東大震災による復興事業で靖国通り(当時は大正通り)、昭和通りなどが整備され、道幅も広げられました。
東方は神保町、神田駿河台に至りますが、300m先の白山通りも日本橋川が流れを南西にかえてクロスします。
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コメント
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おはようございます。
今日は夏日になるそうです。
昨日は既に冷房が入っていました。
1171FのCUー16分散クーラーの時代には 3月に冷房はありませんでしたね!
佐川長官は九段高校でしたか。
九段高校手前に 暁星学園があり、目の前にインド料理が珍しい頃に アジャンタがありました。
手前の坂の途中にアメリカンフットボールの用品店があり、よく行きました。
九段高校を右折して早稲田通りに入ると、
左手に私学振興会館。ここのランチ500円で美味しかったです。
九段高校の隣が白百合で、その斜向かいに国会議員宿舎。
その裏に 朝鮮総連本部。
早稲田通りは午前は上り方向への一方通行。午後は下り方向への一方通行。
昨夜は飯田橋から四谷まで夜桜を観に行っておりました。
投稿: 準急豊島園 | 2018年3月29日 (木) 06時59分
準急豊島園さま、おはようございます。
連日のコメントありがとうございます。
さすが学生時代の思い出の地だけあって、詳しいですね。
私は飯田橋と言ったら、これまでの60余年の人生ではそれほど接点はありませんでした。
面白いのはコメントにもある早稲田通り、目白通りは杉並では東西にほぼ並行して走る道ですが、ここら辺では斜めに並行しているのですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2018年3月30日 (金) 07時47分