西鉄貝塚線の車両たち 600形
西鉄は大牟田線沿線の人口急増に対応するため1961年から第一次輸送力増強3か年計画を策定し、まず当時最大の車両だった300形4編成を3両編成化し、ラッシュ時には5両編成で運転しました。そして1962年には2-3両の固定編成を組む新形式の大形通勤車両が製造されることになりました。それが600形でした。
2003/7/12 名島 601F 1991年5月19日に転籍
1962年から1972年までの10年間、9次に渡り27編成57両が製造されました。1両(ク653)、在来車からの転入があり、製造はすべて川崎車輛でした。ク653は100形の制御車ク156を600形に改造したもので,15m2扉車でした。
2012/6/5 貝塚 602F 1990年5月18日に転籍
形式は電動車モ600形とク650形で、モ600形とク650形の2両編成、もしくはモ600形2両とク650形の3両編成で中間のモ600形にも運転室があり、点検時に3両編成からモ600形1両を切り離し、2連で運転することも想定されていました。ク650形にはMGとCPが装備されました。
車体はク653以外は普通鋼製で全長19.5m、扉は片側3扉、幅1300mmの両開きです。側窓は上段下降、下段上昇式ユニット窓、前面は貫通構造、貫通扉上に大型一灯の前照灯、前面窓上に通過表示(急行)灯が設けられていました。
2011/1/27 名島橋 606F 1990年7月5日に転籍
台車・機器
当初は固定軸距2150mm、車輪径860mmのコイルバネ台車、川車621、川車622を履き、最終製造車モ631ク681ではKW-7/KW-8になりました。駆動装置はWNカルダン方式、主電動機出力は135kW(三菱電機MB-3070-A)です。パンタはモ600形の運転台よりに設置されています。
2010/3/19 千早 608F 1991年6月30日に転籍
冷房化改造工事
1972年12月に631Fの冷房改造がなされ、他車についても1973年から1976年にかけて施工されました。1台当たり8500kcal/hの集約分散式装置を屋根上に4台設置しました。603Fについてはモ603のみが605Fと同時に施工され、603+605+655の3連化が行われ、653は冷房化されることなく廃車となりました。
方向幕設置・前照灯移設改造
1978年から1980年にかけて手動式行き先表示器・表示板に代わり貫通路上部と車体側面中央上部に自動式方向幕が設置される改造工事が行われ、前照灯は前面窓下に移設されました。こののち、車体塗装がアイスグリーン色にボンレッド帯となりました。
2010/3/19 千早 616F 2005年4月27日に転籍
3両固定編成化
中間車の運転台撤去、中間電動車化、窓の新設、座席の設置、定員の増加が行われました。
4両固定編成化
後期に製造された2両編成8本を2本ずつ連結し、4両固定編成4本に組み替える工事が行われました。この改造で中間車となった車両の運転台は撤去され、定員が増加しました。
2011/1/27 名島 619F 2003年6月6日に転籍
宮地岳線向け改造
2両編成4本、3両編成1本が非冷房車120形置き換えのため、1990年から1991年にかけて宮地岳線に転用されることとなり、ワンマン化対応改造、狭軌用台車として東急車輛製造製TS301への交換、宮地岳線用塗装への変換、柴田子規自動連結器への交換、前面幌、幌枠、ジャンパ連結器の撤去等が行われました。東急の台車は初代5000系用のもので、老朽化により、後年西武701系のFS342に履き替えました。ただ、モーターは使わず、東洋電機製造で新造した出力120kWのTDK8066-Aに交換し、電気制動、弱め界磁制御を使用するようになりました。
その後、甘木線用に改造された車両や救援者モエ901-クエ902の旅客復帰もあり、3連の2連化もありで、貝塚線では2連8本が働いています。
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