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2019年1月16日 (水)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 3 大阪環状線 201系 part1 東海道・山陽緩行線時代

201系といえば省エネ通勤車両として1979年に電機子サイリスタチョッパ制御方式の試作車が中央線快速に登場しました。1981年から量産が開始されましたが、製造費用がかさむことが問題点となり、中央快速、中央・総武緩行線、京阪神緩行線の3線区に1018両が投入されたに留まりました。

当時の国鉄の財政事情もあり、その後の通勤電車の標準形は界磁添加励磁制御方式、軽量ステンレス車体、DT50系ボルスタレス台車の205系となりました。

1987年の国鉄分割民営化ではJR東日本に794両、JR西日本に224両(7連32本)が継承されました。JR東日本の201系は更新改造はされず、2005年から老朽廃車が開始され、2011年6月に営業運転が終了しました。JR西日本では内外装のリフレッシュ工事が行われ、一部廃車が発生しているものの、引き続き営業運転が行われています。

主要諸元
最高運転速度    100 km/h
設計最高速度    110 km/h
起動加速度    2.3 km/h/s (2M2T・4M4T)2.5 km/h/s (6M4T)2.8 km/h/s (4M2T)
減速度(常用)    3.5 km/h/s
減速度(非常)    5.0 km/h/s
編成定員    560名(4連固定)848名(6連固定)992名(7連固定)1,480名(10連固定)
全長    20,000 mm
車体長    19,500 mm
全幅    2,800 mm
全高    4,140 mm
車体    普通鋼
台車    円筒案内式インダイレクトマウント空気ばね台車 DT46(B)形・TR231(A)形
主電動機    直流直巻電動機 MT60形
主電動機出力    150kW
駆動方式    中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比    1:5.6=15:84
定格速度    52.1 km/h
制御方式    サイリスタチョッパ制御 弱め界磁制御
制御装置    CH1/HS36・CS53・CS53A
制動装置    回生制動併用電磁直通ブレーキ
保安装置    ATS-S・ATS-SN・ATS-SW・ATS-B・ATS-P
EB・TE装置(JR西日本所属車一部)

201_841205 1984/12/5 大阪 ナンバープレートから軽装車ではなく標準車です。
前面下の排障器はまだありません。

関西地区への201系投入は東海道・山陽緩行用として最初は高槻電車区向けに昭和56年度第3次債務で7両編成8本、昭和57年度本予算で7両編成2本の計70両が配置されました。1983年2月21日から京都~西明石間で営業運転が開始されました。

さらに明石電車区むけに昭和57年度第1次債務で7両編成6本、昭和57年度第4次債務で7両編成6本、昭和58年度本予算で7両編成1本、昭和58年度第2次債務で7両編成9本の計154両が配置されました。

←草津・京都
  7      6      5     4      3      2      1
クハ201 モハ201 モハ200 サハ201 モハ201 モハ200 クハ200
             CHOP     MG,CP                 CHOP    MG,CP

昭和58年度第2次債務分からコストダウンのため設計変更した「軽装車」となりました。軽装車における変更箇所は以下の通りです。
・前面黒色部のジンカート処理鋼板を、電解二次着色アルミニウム板に。
・通風器は、FRP製から安価な鋼製に。
・客用窓は、103系に準じた2段上昇式に逆戻りし、これに伴って構体設計が大幅に変更となりました。
・車両番号標記は、一般の通勤形電車と同様の転写式に。
・車内荷棚は、ステンレス製からアルミニウム製に。
・一部床下機器のカバー省略。

ちなみに軽装車のサハ201は関西地区のみに投入されました。

1 表 1986年11月ダイヤ改正時の明石電車区 201系編成表

1986年3月、高槻区配置の201系は明石区に転属し、201系は明石区に224両32編成が集中配置となりました。

201_920314 1992/3/14 新大阪 
明石区に集中された後

1994年3月1日のダイヤ改正で207系1000番台が運用を開始し、東海道・山陽緩行線の103系を完全に置き換えました。103系の運用を持ち替える形で湖西線山科~堅田までの運用が追加されました。1997年9月1日のダイヤ改正では福知山線三田駅まで乗り入れが開始されました。2000年4月1日付の組織改編で明石電車区は網干総合車両所明石支所となりました。

201_20163_020621 2002/6/21 大阪
1991年度からこういった簡易排障器が前面に設置され、車番が書き込まれました。

201_20061_c01_060620 2006/6/20 岸辺
2004年から大型で鉄板を厚くしたスカートに徐々に置き換えられて行きました。

2005年12月1日から2006年12月にかけて明石支所に321系273両(7連39本)が投入され、2007年3月18日のダイヤ改正で定期運用を離脱し、他線へ転属となりました。

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コメント

一時期青色帯の205系も投入されていたような…?

B767−281様 こんばんは。朝晩冷え込みが厳しですね。インフルもぼちぼち流行しているようで気をつけていきましょう。さて私にとって201系は誕生から週末までを目の当たりにした国鉄通勤型電車です。101系より性能の悪い103系が冷房化の波に乗って中央線に導入された中、ようやく101系後継車として登場したのが201系でした。試作車のお披露目に原宿の宮廷ホームに行ったのも懐かしい思い出です。JRになってなぜか103系が次々更新修繕され201系はそのまま廃車、一方西日本ではこれからも活躍が続くようですね。大阪東線の延伸での所用があったのが良かったようです。そういえば当初は山手線にも配置される計画もあったようで、国鉄時代にうぐいす色の201系が見られたのかなと思うと、複雑な思いがあります。

にゃんきちさま、おはようございます。

そうですね。東海道・山陽緩行線に205系は青い帯、濃紺の帯(プラスオレンジ)で2回活躍しましたね。後の方はかなり短期間だったと記憶しています。
今回は201系のストーリーなので触れませんが、いずれ機会があれば触れようと思います。

細井忠邦さま、おはようございます。

細井様とは世代的にも同じなので、201系との接し方が同じなのがよく分かります。
わたしも201系の試作車が出たときは三鷹電車区まで偵察にゆきました。
山手線に導入という話は初めて聞きました。

1枚目の画像配信は今から39年前の昭和59(1984)年12月05日(水曜日)頃の国鉄(現)JR西日本東海道本線の大阪駅のものです、

東海道本線の京都から山陽本線の西明石までは青色の201系の電車を運行していましたが207系の導入に伴い大阪環状線や関西本線へと転用をされてしまいました、

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