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2019年1月 1日 (火)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その1 概要

明けましておめでとうございます。

本年もどうか宜しくお願い致します。

2018年12月15日青春18切符を利用して、国分寺~高尾~甲府~富士~熱海~東京~国分寺の循環ルートで身延線全線の旅を楽しみました。

身延線に関しては1977年9月23日に同じルートで身延線を全線乗車したのが最初で、その後、富士側から123系の撮影公園保存蒸気の撮影で富士宮あたりまで乗車したことはありましたが、全線乗車は1977年9月以来となりました。

1977年9月23日の旅程

吉祥寺531~高尾614/615~甲府746 機関区など撮影
甲府757~東花輪820 笛吹川橋梁へ EF10貨物665レ 
東花輪927~身延1022 身延駅構内散策  EF15
身延1256~源道寺1251 駅で撮影  身延線電車
源道寺1401~富士1418 駅で撮影 EF10貨物673レ、身延線電車 東海道線貨物列車

19750310 1975/3/10 改正の身延線列車ダイヤ 交友社「電気機関車快走」から

2018年12月14日の旅程

国分寺841~八王子900/902~高尾909/920~甲府1052
甲府1054~(3630G)~富士1352/1430~熱海1509/1512~東京1647/1654~国分寺1730

1977年9月の旅では貨物列車等の撮影も考慮し、途中下車して沿線での撮影もしましたが、今回は3630Gから下車すると後続の電車の間隔が空くこともあり、甲府から富士まで連続乗車しました。

1977年は身延線において大きな変化があった年でした。同線の貨物列車牽引を担当してきた電機がEF10からEF15に置き換えられ始めた時期でした。さらに電車の方でも1974年からモハ72系のアコモ改良版として113系もどきの車体を載せたモハ62、クハ66が投入されていました。こういった車両を記録すべく、身延線撮影旅行に出かけました。

身延線は私鉄の富士身延鉄道が開通させた路線で、江戸時代から明治時代中期まで富士川舟運による物流が盛んだった時代に東海道の岩淵宿(富士川の河口付近、現在の富士市岩淵)から富士川に沿って北上し、市川大門を経由し、甲府に至るルートが中央本線のルートとして構想されました。しかし中央本線のルートは八王子経由となり、1901年に開通しました。それでも駿甲鉄道敷設計画は存続し、1911年に甲州財閥系資本家による富士身延鉄道と身延参詣客の輸送を目的とした身延軽便鉄道計画が持ち上がり、1913年、前者の計画に従って富士~大宮町(現在の富士宮)間が蒸気鉄道として開業しました。1920年5月18日には身延まで延伸しました。1927年6月27日、富士~身延間が電化されました。

富士身延鉄道の経営状態は良くなかったため、運賃も高く沿線住民は国営化を望んだそうで、身延以北は政府が建設することに決まりましたが、1923年に関東大震災が発生し、政府が建設することは不可能となり、国有鉄道の規格で富士身延鉄道が建設し、1928年に甲府まで全通しました。ちなみに甲府まで開業した時点で全線電化されました。

1938年、路線は鉄道省が借り上げ、1941年には国有化されました。1960年頃から日蓮正宗の総本山大石寺参詣への臨時列車が増えた関係で輸送力増強と国道一号踏切対策で富士駅東側での分岐を西側に改め、高架化、富士~富士宮間複線化工事が開始され1974年9月27日に完成しました。

このシリーズでは

1)1977年と2018年の甲府駅
2)身延線の貨物列車
3)身延線の旧国
4)東海道線富士駅で撮影した貨物列車 といったテーマを考えています。

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コメント

B767−281様 明けましておめでとうございます。さすがに正月なのでのんびりしています。だがしかし、メールで仕事の依頼がきます。便利なのはいいのですが…。さて身延線私は、富士から甲府までたった一度乗車しています。もう313系が入っていましたので、それに乗車しました。山間部をゆっくり走り中々良かったの覚えています。さて2代目62系。不思議な電車でした。72970番台は全て後期型のモハ72の改造、79600番台も全て後期のクハ79の改造だったので、検査周期は少し長めでしたが、この系列は初期の72系からの改造グループもあり検査が一定でなく使いづらかったと思います。113や115に化けずに早期引退したのは残念です。これからのご紹介楽しみにしております。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

B767ー281様、新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。


身延線を乗られに行かれたのですね。


私が身延線を乗りに行ったのは
急行にサハ153が連結されていて
鈍行には身延色の115系2000番台 モハ114 2600番台
クハが2両変則的に連結されていいました。


それにクモユニ143も新製されていました。


PS23パンタグラフでも トンネル限界に抵触するなんてありました。


細井忠邦さま、おはようございます。

まさに国鉄末期のなりふり構わずの時代に登場したのが2代目62系でしたね。
それもあまり続かず、その後の世代になりました。

本年もどうか宜しくお願い致します。

準急豊島園様、明けましておめでとうございます。
本年もどうか宜しくお願い致します。

準急豊島園様が身延線を訪問された時期は、ちょうど私にとっての身延線空白時間だったようですね。

これからどのように変わっていくのか、あるいはこのままなのか楽しみな路線のひとつであります。

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