41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その5 身延線の旧形国電 クハ55
1977年9月の旅で撮影した身延線の旧形国電、今回はクハ55です。
クハ55形は国鉄40系として分類される1932年から1943年にかけて鉄道省が製造した車体長20m級3扉ロングシート車で、
モハ40形 三等制御電動車 両運転台 40001-40080
モハ41形 三等制御電動車 片運転台 41001-41055
クハ55形 三等制御車 片運転台 55001-55096
サロハ56形 二等三等付随車 56001-56013
サハ57形 三等付随車 57001-57047
モハ60形 モハ41の出力向上型 60001-60126
クハニ67形 三等荷物合造制御車 67001-67008
の7形式 425両から構成されていました。
クハ55形は1932年から1943年にかけて、96両が製造されましたが、001-019は大阪地区向けでした。1934年と1935年製造の11両は当初、55100-55110と100番台に区分されていましたが1936年4月に55020-55030に改番されました。その後、1938年に東京向けに55062まで増備され、55063,55064は大阪向けに、1940年製造の55065-55082、1941年製造の55083-55085も大阪向けに製造されました。
長期に渡って製造され、さらにこの時期は流線形が流行した時期でもあり、運転台、前面の形態が変化しているのが特徴です。
年次 前面形状 運転室
1932年1933年 角型 片隅小
1934年1935年1次 角型 片隅大
1935年2次 半流 片隅大
1936年~1942年 半流 全室
身延線で遭遇したクハ55は上の写真のように角形の前面スタイルでした。ただ私個人としては、小学生の頃、荻窪駅などで見ていた総武・中央緩行線のクハ55といえば、半流形、大阪旅行の阪和線で撮影したクハ55も半流形だったので身延線のクハ55は新鮮でした。
改造による編入
1)クロハ69形をクハ55形に
大阪地区の51系に分類されるクロハ69形の座席をロングシート化してクハ55形に改造
55097-55105 オリジナルの続番として編入
戦後、一部はクロハ69形に復元されました。
2)クロハ59形をクハ55形に
緩行電車の二等車廃止で42系に分類されるクロハ59形の車体中央部に扉を増設し、最初はクロスシートのクハ68形に改造していましたが、1942年年3月で改造内容はロングシートのクハ55形への改造に切り替えられました。
55106-55114 1)の続番で編入
3)クハ68形からクハ55形へ
クハ68として新製された20両と2)でクロハ59から改造されたクハ68の16両の計36両
55115-55150
戦災で14両、事故で1両が除籍されています。
1955年度にクハニ67形の不足を補うためにクハ55形6両がクハニ67900番台に改造されました。
戦後、モハ40形、モハ41形は電動機を交換して出力増強し、モハ61形、モハ60形となりましたが、戦災復旧の際に電装解除されたモハ60016はクハ55200になりました。
1952年3月に京浜東北線、中央線用に連合軍指定解除のクハ55形4両が半室二等車として復活し、クロハ55形となりました。
1959年から1961年にかけて常磐線増結用として36両のサハ57形の前位に運転台を増設し、クハ55形300番台となりました。
地方線区での使用のため便所を設置する改造がクハ55形、サハ57形になされ、0番台は400番台に、300番台は430番台となりました。
1975年の静ヌマのクハ55配置データは
クハ55 301、319、440、441
とのことで、出自的には常磐線増結用にサハ57に運転台を取り付けた300番台とその便所付き改造車が当時、身延線で生き残っていたことが分かりました。
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コメント
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B 767-281様お早うございます。所謂40系の全貌が良く分かりました。クハ55は、私の場合青梅線で最後の活躍をしているのを見たのが記憶にあります。阪和線でも見たことがありますが、片幌と釣り合い付きの両幌ではまた趣きが違って面白いですね。続きも楽しみにしております。
投稿: 細井忠邦 | 2019年1月 6日 (日) 06時31分
細井忠邦さま、おはようございます。
旧形国電、101系以降の新性能国電に較べると形式と系列の関係がわかりにくいと感じておりましたが、ある時点から便宜的にグループ化された系列名が登場して、理解しやすくなってきました。
それにしても格下げ、運転台取り付け、ロングシート化、戦後の復元等ありで結構ややこしいですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2019年1月 7日 (月) 06時07分