41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その6 41年間の変化
8回に渡り、1977年9月の身延線の旅で撮影した電機、旧形国電の写真等を紹介して来ましたが、あれから41年の間に身延線がどう変わったかについて最後に触れたく思います。
1977/9/23 道源寺
グリーン車2両が連結された113系フル編成が通過するシーン
西富士宮付近の留置線に停められていた編成が本線運用に復帰するシーンだったのでしょうか?
まず、施設に関してですが、身延線と言えば創臨と呼ばれた創価学会関連の団体臨時列車が有名で日蓮正宗の総本山である大石寺への参拝のため、富士宮駅に向かう列車が多く運行され、富士駅~富士宮駅間は1974年9月27日に複線化され、西富士宮駅手前まで引き上げ線が設置されていましたが、1991年に日蓮正宗が創価学会を破門したことで、臨時列車の運行も法華講連合会によるものだけとなり、本数も大幅に減少しました。引き上げ線も廃止され、2008年から2012年にかけての高架化事業で線路は完全に撤去されました。
甲府機関区配属のED17、EF10、EF15などにより牽引されていた貨物列車、その多くは製紙原料のチップなどを富士市に輸送するものでしたが、2001年3月31日をもって廃止となりました。また、静岡運転所所属のEF64 2号機とレール運搬用チキ5500形による工事用臨時列車(工臨)が運転されていましたが、これも2008年4月からの名古屋車両区所属の事業用気動車キヤ97系の運用開始で置き換えられ消滅しました。
2005/8/21 島田 身延線で活躍した115系2000番台
旧形国電に関しては、二代目62系を除いて1981年8月31日に営業運転が終了し、115系2000番台に置き換えられました。115系2000番台は当初、身延カラーのエンジに白帯で登場しました。
二代目62系も1984年には運用から退き、1986年までに廃車されています。
1987年3月21日の国鉄最後のダイヤ改正にて荷物電車等から改造された123系が投入されました。
JR東海における国鉄型の淘汰は早く、2007年3月18日に115系、123系の運用が終了しました。
1999年6月1日、313系の営業運転が開始されました。3100番台が投入されたのは2006年8月7日からでした。
比較的近年の話題では2011年9月22日に沿線を襲った台風15号による豪雨で盛土が崩壊し、西富士宮~甲府間が不通となり、代行バスの運転なども行われました。完全に復旧したのは半年後の2012年3月17日でした。
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コメント
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B 767-281様今晩は。東海はお金があるだけあって国鉄からの継承車の淘汰が早かったですね。新幹線で浜松を出てすぐ、西浜松で解体前の車両が集まっているのを見たのが印象的です。分割民営化は本当に愚策でした。国鉄時代 広域転配は理にかなっていたと今更ながら再認識しています。
投稿: 細井忠邦 | 2019年1月 9日 (水) 20時49分
細井忠邦さま、おはようございます。
国鉄分割民営化について振り返ってみると、それまでの「親方日の丸」の姿勢から各会社が地域サービスに向けて営業努力をするようになったことや、全てのタイヤが東京の国鉄本社で決められていたのが地域の事情に密着した個々の線引きができるようになったというメリットがある反面、会社間の格差を広げる結果になったというデメリットがありますね。
特にJR東海の場合は東海道新幹線がなければ、在来線のみの経営だったらきついと言われていましたが、在来線の国鉄タイプ切り捨ては早かったですね。ちょっとその辺が極端すぎるとは感じていますね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2019年1月10日 (木) 04時53分