« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »

2019年1月31日 (木)

国鉄からJR西日本・JR東海に継承された117系の活躍 part8 名古屋の117系のその後

名古屋地区の117系は国鉄時代の1982年に6両編成9本が大垣電車区に配置され、1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正に向けて6連の4連化に向けて先頭車(100,200番台)が18両投入され、4連18本72両がJR東海に継承されました。これらの117系はJR西日本に継承された117系とは一切のやり取りなく、2013年3月16日のダイヤ改正で全ての運用を失い、2013年度中に廃車となりました。

117_s01_080906 2008/9/6 清州 東海道本線快速 S1編成

1987年4月の民営化直後は、神領区に配置され東海道本線、中央西線の主力として活躍しましたが、2扉転換クロスシートという構造は福知山線同様にラッシュ時の混雑には向かず、1988年には3扉ロングシートの211系5000番台にその任を譲り、大垣電車区に転属となりました。

117_s02_090324 2009/3/24 枇杷島 普通運用 S2編成

1991年度末にはS3編成のクハ117-102とクハ116-30、S10編成のクハ117-29とクハ116-201が一部ロングシート化改造を受けましたが、他の編成には波及しませんでした。1994年にはパンタグラフのすり板をPS21と同じタイプに交換されPS16改となれました。

117_s16_120913 2012/9/13 枇杷島 東海道本線新快速に一時的にカムバック

東海道本線では新鋭の311系に新快速の座を譲り、快速として活躍しました。1999年313系が投入され、快速の運転速度が日中120km/hに引き上げられ、普通も211系5000番台の走行性能を基準としたダイヤ設定となり、ロートル117系は最高速度、起動加速度的に対応が不可能となり、日中の運用はほとんどなくなりました。

117_s11_111227 2011/12/27 大垣
オリジナル塗装に戻されたS11編成

Table 表 2011年冬JR電車編成表から大垣車両区配置の117系編成データ

2006年10月改正以降は大垣~米原間の普通運用が大半を占めるようになり、私もこの時期、18切符の旅でこの区間117系によくお世話になりました。2009年からはATS-PT設置工事が施工されましたが、2010年から313系4次車が投入され、これによる転配で117系の運用が奪われ、ATS-PT未設置の5編成が廃車となりました。S1編成は登場時の塗装になり、モハ116を除く3両がリニア・鉄道館に展示されました。

11730_140812 2014/8/12 リニア・鉄道館に保存されるクハ117-30他

S9編成は2010年8月1日から9月20日まで土曜、休日に飯田線で運行される観光列車「そよかぜトレイン117」用として改造されました。この編成も2013年8月5日に浜松に送られました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月30日 (水)

国鉄からJR西日本・JR東海に継承された117系の活躍 part7 現状

117系の新快速運用を降りた後の岡山、和歌山、下関で活躍を見てきました、数は減らせども吹田総合車両所京都支所配置の車両の活躍はこれからも続くようです。

Table1_2007 表1 2007年冬JR電車編成表による京都総合運転所の117系配置と編成

117_t05_080225_3 2008/2/25 山科 湖西線T05 8両編成

117_s01_120318 2005/8/21 桂川 S01編成

117_s02_160904 2016/9/4 京都 S02編成

117_s03_101207_2 2010/2/7 桂川 S03編成

Table2_2018 表2 2018年夏JR電車編成表による吹田総合車両所京都支所の117系配置と編成

117_s06_120914 2012/9/14 京都 S06編成

2007年と2018年の編成表を見比べるとメンバーは変わらず、編成形態のみが変化していることが分かります。しかし、和歌山や下関に押し寄せている227系化の波はいずれ京都にも来て、117系が一般車から消える日も遠くないかも知れません。

そんな中で恐らく6両編成1編成を2020年までに改造し、新たな長距離列車に投入する計画も発表されており今後の登場が待ち望まれます。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月29日 (火)

国鉄からJR西日本・JR東海に継承された117系の活躍 part6 新快速からの撤退 下関へ

JR西日本の継承された117系の活躍、今回は下関地区です。

北九州地区に421系、423系、415系が配置されて以来、分割民営化以降もこれらの交直流車両が下関から東の小郡(現、新山口)まで乗り入れていましたが、2005年9月30日を以て、下関以東の乗り入れはなくなりました。

4151500_1516_041017 2004/10/17 幡生
山陽本線幡生駅に進入するJR九州 415系1500番台と鋼製の併結編成

そのために不足する車両を補うために2005年3月のダイヤ改正において宮原総合運転所の車両を転用することにしました。まずは100番台2編成が岡山電車区に転属となり、岡山から下関に貸し出しという形で運用が開始されました。さらに100番台1編成と300番台2編成が追加され、2007年11月から正式に下関総合車両所所属となりました。

117_c101_071217 2007/12/17 下関 117系C101編成 

117_c103_121222 2012/12/22 宇部 117系C103編成

117_c104_100805_4 2010/8/5 下関 117系C104編成

117_c105_081207 2008/12/7 幡生 117系C105編成        これら2編成は300番台で福知山色

117_c105_100805_4 2010/8/5 下関 地域色濃黄色に塗り替えられたC105編成

Table 表 2007年JR電車編成表から宮原から岡山を経由して下関に貸し出された117系の編成表

しかし、2015年3月14日のダイヤ改正で227系が配置、運用開始されると5本配置されていた117系は岡山電車区、あるいは吹田総合車両所日根野支所新在家派出所へ転出し、配置はなくなりました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月28日 (月)

国鉄からJR西日本・JR東海に継承された117系の活躍 part5 新快速からの撤退 和歌山方面へ

JR西日本に継承された117系の活躍、今回は和歌山方面への転用の話題です。

1992年3月のダイヤ改正から117系の一部は福知山線に投入され、快速・普通列車に使用され、一部をロングシートに変換した改造車300番台まで登場しましたが、沿線の宅地開発による人口の増加で混雑に対応しきれなくなり、ラッシュ時には敢えて乗客の流れとは逆方向の列車に投入されたりしました。

2000年3月11日のダイヤ改正からは221系による丹波路快速が運転開始され、奈良線でも2001年3月3日のダイヤ改正からみやこ路快速が運転開始され、運用が削減されたところに、2005年4月25日に発生した列車脱線事故でATS-Pを搭載していないことから、同事故以降、福知山線の運用には復帰できず、福知山色のまま下関地区や京都総合運転所へ転出となりました。東海道・山陽本線の新快速運用も1999年5月11日のダイヤ改正から西明石~草津間130km/h運転開始で定期運用が終了しました。

2000年3月に福知山線用300番台4両編成2本が福知山塗色のまま、日根野電車区に転入し、G801,G802編成として113系湘南色車に代わって朝夕のラッシュ時の運用を引き継ぎました。同時に阪和貨物線の路線維持回送列車(錆取り列車)も受け持ちました。

117_080226_2
117_080226
2008/2/26 和歌山

2001年3月にはみやこ路快速の運用開始で宮原の奈良線運用が消滅したため、117系6連が転属前提で貸し出され、後に4連化されG803編成となりました。さらに同年12月には300番台先頭車(308)とG803編成化で捻出されたモハユニット(40)を合わせてG804編成が組成され、ワンマン対応改造、塗装変更され、2002年1月から和歌山線で運行が開始されました。

Table 表 2002年のJR電車編成表から 日根野区に貸し出し中の117系編成表

この特徴的な和歌山色も2012年4月2日出場のG3編成から青緑1色に塗り替えが進んでおり、JR西日本のプレスリリース(2018/3/7)では2019年から2020年にかけて現在、広島地区に投入されている227系で置き換えて行くようです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月27日 (日)

国鉄からJR西日本・JR東海に継承された117系の活躍 part4 新快速からの撤退 岡山への転用2

117系の転用、昨日に続いて岡山方面の話題ですが、

サンライナー」は4連のため、6連から抽出された1ユニットは改造を経て、115系3500番台となり、クハ115形と4連を組みました。最初に11ユニット分が改造され、2001年に3ユニット分が改造されました。

Table2 表1 1993年のJR電車編成表における117系モハユニットの115系3500番台改造と組み込み、当時、広島運転所の編成はAでしたが2002年にはNになりました。

Table3 表2 2002年のJR電車編成表における117系モハユニットの115系3500番台改造と組み込み。

115_k03_020329 2001/3/29 倉敷 115系 K03編成
モハユニットは117系から改造の3500番台 パンタグラフの位置、新鮮外気導入装置つきエアコン、窓の形態、車体裾のカーブから判別が容易でした。

115_k01_130321 2013/3/21 北長瀬 115系K-01編成
2006年から開始された30N体質改善工事で新鮮外気導入装置は撤去されました。

115_k01_130320_4
117系と115系では補助電源の電圧が異なり、ジャンパ連結器も117系はKE96形1本なのに対して115系はKE76形3本となっています。そのためクハ115形に降圧装置を設置し、車端部のツナギを改造し、KE96形とKE76形を直接接続することを可能にしました。連結相手の115形が非冷房車の場合、余ったジャンパケーブルを格納するジャンパ栓受けも設置されました。

115_n17_020329_2 2002/3/29 倉敷 広島運転所 N17編成

115_n19_100807_2
115_n19_100807 2010/8/7 下関 115系3000番台+3500番台 N19編成
こちらは広島運転所のMM'ユニット3500番台編成ですが、パンタの位置、側面行き先表示器の位置などで判別出来ます。

117系の主制御器は381系の流れをくみ、信頼性と保守性を考慮し、417系で使用された電動カム軸式のCS43A、115系は165系と共通のC15で両車の制御回路には互換性があったため、こういった改造が可能になったそうですが、CS15は1961年の設計、CS43は1979年の設計でマスコン操作に対する応答速度に差があり、起動時に「ドン突き衝動」が発生しやすかったことは否めませんでした。

側面行き先表示器は115系とは互換性がないため、岡山区所属車は改造時点で使用停止にされました。広島運転所の車両は115系タイプのものに交換されました。

岡山区の車両は後にLEDタイプに交換され、扉間のクロスシートは4列分を残し、117系300番台同様のロングシートに交換されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月26日 (土)

国鉄からJR西日本・JR東海に継承された117系の活躍 part4 新快速からの撤退 岡山への転用1

昨日の記事でも少し触れましたが、1992年3月14日のダイヤ改正で、117系の一部が岡山・広島地区の115系非冷房車の置き換えと快速「サンライナー」投入のため、岡山電車区、広島運転所に転属しました。

Table1 表 1993年JR電車編成表による岡山地区サンライナー編成表
117系が6連から4連になるとき、奇数番のモハユニットが抜かれ、偶数番が残されるようです。

117_e01_081209_2 2008/12/9 岡山 サンラーナー E01編成

117_e03_020329 2002/3/29 倉敷 サンライナーE03編成

117_e05_130321 2013/3/21 北長瀬 E02+E05編成

2010年2月から網干総合車両所に入場していたE05編成が上記のような濃黄色一色で出場し、2016年までに6編成ともこの塗色となり、「サンライナー」カラーは消滅しました。

サンライナーに関してはE01~E06の6編成が充当され、2015年9月から10月にかけて下関から100番台編成3本が転入したことでE01,E02,E03編成が廃車されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月25日 (金)

国鉄からJR西日本・JR東海に継承された117系の活躍 part3 新快速からの撤退 福知山線への一部転用

1987年4月の国鉄民営化において117系は宮原区配置の6連24本144両がJR西日本へ、神領区配置の4連18本72両がJR東海に継承されました。

JR西日本の車両は翌1988年3月13日のダイヤ改正では運用範囲を彦根から米原に延伸、さらに1989年3月11日のダイヤ改正では朝のラッシュ時に2編成併結12両の「新快速」が運用されました。しかし、この改正で221系が登場、この時をピークに1990年3月10日のダイヤ改正では新快速の最高速度が115km/hに引き上げられるなどして、徐々に運用を減らしてゆくことになります。

117_920314 1992/3/14 大阪

一方、この改正で福知山線(JR宝塚線)への進出し、6連8本が福知山色(クリーム10号+緑14号の帯)に塗装変更されました。当初は塗装変更のみで、2扉転換クロスシートでの運用でしたが、片側2扉では乗降に時間がかかり、通勤時間帯に慢性的な遅延が発生するため、混雑緩和策として
・扉に近い座席の転換クロスシート3列分を撤去し、ロングシートを設置
・ブレーキに応荷重装置を追加し、元空気ダメ圧力を変更
する改造が施されました。1992年3月以降、結果的に58両に施され、現番号に300を加えた300番台となりました。

Table1993 表 1993年夏のJR電車編成表より宮原区配置の117系の編成データ
ここに載っていない車両は岡山区(サンライナー、115系3500番台、広島区(115系3500番台)に転属

新快速用として残された編成も1991年3月16日のダイヤ改正では早朝深夜を除いて新快速の最高速度が120km/hとなった関係で117系の入る運用は米原~大阪、大阪~野洲の2本となり、6連10本を8連5本、4連5本とする編成替えが施行され、4連は奈良線快速運用に、6連と8連は米原~網干・播州赤穂間の快速運用に充当されるようになりました。同年9月14日には米原~長浜間が直流電化に切り替えられ、運用範囲は長浜までとなりました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月24日 (木)

国鉄からJR西日本・JR東海に継承された117系の活躍 part2 名古屋地区にも投入

117系1979年9月12日に川崎重工業兵庫工場にて量産先行試作編成6両が竣工し、性能試験、習熟運転を経て、10月13,14日には大阪、京都、神戸、姫路駅で車両展示会が開催され、一般に存在が周知され、1980年1月22日から第1編成が営業運転に投入されました。運用は新快速のみならず、快速にも投入されました。

117_801213 撮影時期不明 新大阪
100番台編成による「快速」

Table1_1993 表1 1986年11月1日ダイヤ改正時点での117系宮原電車区編成表

1980年3月末までに8編成48両が宮原電車区に配置され、それまで新快速で活躍していた153系(一部クハ165を含む)は捻出され、25両が廃車、残りは名古屋へ19両、長野へ1両、広島に3両が転属となりました。

1980年7月15日には第21編成が近畿車輛で落成し、新快速の運用は117系に完全に置き換えられました。残っていた153系13編成のうち、39両は廃車、27両が名古屋へ、12両が東京南へ転属となりました。このときに登場した編成は塗屋根になりました。

1982年には名古屋地区快速運用に向けの扉の半自動機能使用停止措置、自動解結装置省略、パンタグラフの暖地仕様(京阪神用は湖西線での運用を考慮し、ばね部分にカバーがある耐寒耐雪仕様のPS16)、クハ117のトイレ設置、などの仕様変更車両が大垣電車区に9本投入されました。愛称は「東海ライナー」となりました。

117_861203_2
117_861203_4 1986/12/3 名古屋
4連化され、大垣から神領に転属となった117系編成 クハ117が100番台の編成

Table1_1993_2

国鉄分割民営化直前の1986年11月1日のダイヤ改正に向けて、京阪神地区の新快速増発用に6連3本、名古屋地区は6連をTcMM'とMM'T'cに分割し、4連2本にするためにT'cとTcが各9両増備されました。このときの増備車は100番台、クハ116-200番台(トイレ無)と番台区分されました。

0番台からの変更点は既に登場していた211系の仕様も考量し、
・車端部のデッドスペースを減らし、立ち席スペースを拡大
・側窓の構造をユニット窓から2列1組バランサー付き1段下降タイプに変更
・台枠付近の防錆構造を強化
・台車を電動車はDT32EからDT50Cへ、制御車はTR69HからTR235Bに変更、これに伴って床面高さが45mm下がる
・セミバケットタイプの座席に変更
・暖房機は211系同様につり下げ式とし、足を伸ばせる構造としました。
・冷房装置はAU75Bからステンレス製キセのAU75Eに変更

大垣の117系は編成分割、短縮と同時に神領区に転属しました。

117_870224 1987/2/24 大阪

窓の形態から1986年に投入された100番台編成であることが分かります。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月23日 (水)

国鉄からJR西日本・JR東海に継承された117系の活躍 part1 京阪神新快速デビュー

これまでの拙Blogにおける記事を見返してみると、117系という単語が登場する記事は何回かあるのですが、1979年京阪神間における新快速でのデビューから現在に至る活躍、そして名古屋地区におけるデビュー、JR東海への継承、そして廃車に至る記事はまだ無いのでこの機会に纏めてみようと思います。

京阪神地区の新快速は大阪万国博の終了直後の1970年10月1日から運行が開始され、113系にて新幹線岡山開業のダイヤ改正前日の1972年3月14日まで運行されました。

快速の速達版としての設定から京都~西明石間の停車駅は大阪、三ノ宮、明石の3駅でした。日中毎時1本の6往復で、車両は万博輸送のために首都圏から転入した横須賀色の113系7連が優先して投入されました。末期には湘南色への変更もあり、混色で運行されました。

昭和44年度第2次本予算113系1000番台55両を横須賀線に投入→0番台京阪神快速線へ

153_740929_2
153_740929_3 1974/9/29 京都 クハ153を先頭にした6連の新快速

二代目は新幹線の延伸に伴う急行列車の淘汰で余剰となった153系(一部制御車は165系)が白地に青い帯を巻き、「ブルーライナー」の愛称で活躍しました。このときから、日中1時間あたり4本のパターンダイヤで設定され、大阪~京都間を29分で運行しました。
153系は急行型で速度的にも乗り心地的にも問題はないものの、座席がボックスシート、デッキ付き車体で並行する阪急や京阪の転換クロスシート座席の特急車に較べると見劣りし、ラッシュ時の輸送に難点がありました。

117_801212_2 1980/12/12 京都

こういった問題点を解消し、並行私鉄の特急車両と対抗できる客室設備を持った車両として開発されたのが117系でした。客室設備は1975年に北九州地区にデビューしたキハ66・67系を基本とし、国鉄としては初めての地域の事情にあった車両として開発された電車でした。登場後、「シティーライナー」という愛称が付与されました。

117_801212_2_2 1980/12/12 六甲道

1979年から1986年にかけて川崎重工業、近畿車輛、日本車輛製造、東急車輛製造により、総計216両が製造されました。

主要諸元

最高運転速度    110 km/h (西日本車は115km/h)
設計最高速度    120km/h
起動加速度    1.8 km/h/s
減速度(常用)    3.5 km/h/s
減速度(非常)    5.0 km/h/s
車両定員    64(席)+ 8(立)= 72名(中間車)
自重    最小 31.3 t(トイレなし先頭車)最大 43.7 t(中間電動車)
全長    20,000 mm
全幅    2,946 mm
全高    4,066 mm
台車    ウイングばね式インダイレクトマウント空気ばね台車 DT32E・TR69H(0番台)
円錐積層ゴム式ボルスタレス台車 DT50C・TR235B(100・200番台)
主電動機    直巻整流子電動機 MT54D
主電動機出力    120kW / 基
駆動方式    カルダン駆動方式
歯車比    1:4.82
制御方式    抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁制御
制御装置    CS43A・電動カム軸接触器式
制動装置    電気ブレーキ併用電磁直通ブレーキ 抑速ブレーキ 手ブレーキ
保安装置    ATS-SW(JR西日本車) ATS-ST・ATS-PT(JR東海車)

117_801212 1980/12/12 山崎

117_801212_2 1980/12/12 新大阪

クリームとマルーンのツートーンカラーはかつて京阪神間を疾走した52系や戦後の1950年製の80系急行電車に使用された大阪鉄道管理局伝統のカラースキームに則った塗色が採用されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月22日 (火)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 3 大阪環状線 221系 part3

JR西日本の221系この3月で運転開始から満30年になりますが、今のところ474両全車健在です。昨日の記事で登場以来の編成の配置の変遷を見てきました。今回は製造終了後の1993年と2018年の編成表データを見ながら、具体的に編成と車番がどのように動いたかを観てみようと思います。

Table11993 表1 1993年4月1日現在の網干電車区の221系配置データ

網干電車区は8連がA編成、19本、6連がB編成、22本、4連がC編成28本と区別され、4連MM'ユニットに1M方式のモハ220+サハ220を1両ずつ加えたのが6連、2両ずつ加えたのが8連という構成です。総勢396両の配置です。

1993年当時、A編成は朝夕のラッシュ時C編成と併結し、12連で新快速、快速に昼間は単独で新快速、あるいは快速に、B編成は朝夕ラッシュ時は2編成併結で新快速、快速に、昼間時は単独で快速に、C編成は朝夕のラッシュ時C編成と併結し、12連で新快速、昼間時はC編成同士で併結し、新快速にという運用でした。

色分けは次車で下の表3の車番に従って色分けしてあります。B編成の一部に異なる次車の編成がありますが、他は揃っています。

Table21993_3 表2 1993年4月1日現在の奈良電車区の221系配置データ

奈良電車区は6連NC600番台3本、4連NC400番台9本、2連NC200番台12本という構成で総勢78両です。2連のNC200番台は奈良区のみの配置です。

1993年当時、6連は朝ラッシュ時に2連を併結し8両運転、4連は2連を併結し6両で運転、2連は2+2で快速運用に就いています。

Table 表3 221系各形式の車両番号と次車の関係

221_k2_4r_120915
221_k2_4r_120915_2 2012/9/15 桂川
京都支所、かつての大ムコから京都駅方面に向かう近キト所属のK02編成

Table42018_2 表4 吹田総合車両所 京都支所の2018年4月1日現在の221系編成表

太字は体質改善工事車両です。以下同じ。
京都支所には2個パンタのクモハ221の4連4本がいます。

Table52018 表5 吹田総合車両所 奈良支所の2018年4月1日現在の221系編成表

奈良支所の4連はMM'方式と1M方式の2種類がいますが、後者は2連からの編成替えですが、組み替える際に網干から転属してきた6連、8連から2連に番号と合致するようにモハ220+サハ220を抜いてクモハ―クハ220の間に挿入しています。

Table62018 表6 網干総合車両所の2018年4月1日現在の221系編成表

網干の221系も櫛の歯が欠けるように減少しており、225系などの増備で将来は配置がなくなると思われます。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月21日 (月)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 3 大阪環状線 221系 part2

関西に旅行すると現在、221系はいろいろな線区で見かけますが、現在の車両配置は網干総合車両所、吹田総合車両所奈良支所、京都支所の3カ所で多くの線区の運用を担当しています。

編成形態
←長浜、近江今津、柘植、寺前、JR難波、京都(嵯峨野線)
         播州赤穂、上郡、京都(奈良線)、五条、加茂、福知山→
8連
    クモハ    モハ    サハ    モハ    サハ    モハ    サハ    クハ
      221       221      221       220      220       220      220       221
     Cont     CP,SIV            Cont,SIV  CP    Cont,SIV   CP

6連
    クモハ    モハ    サハ    モハ    サハ    クハ
     221       221      221       220      220   221
          Cont     CP,SIV            Cont,SIV  CP

4連  クモハ    モハ    サハ   クハ
           221        221       221      221
          Cont     CP,SIV
         クモハ    モハ    サハ   クハ
           220        220       220      220
         Cont,SIV   CP    Cont,SIV  CP

2連  クモハ  クハ
     220       220
         Cont,SIV  CP       現在は4連に組み替え済みで存在しません。

221_2r_060620_1 2006/6/20 寺田町 

221_2r6r_070310_2 2007/3/10 新今宮
編成替えで消滅した奈良区の2連

網干総合車両所 

8連 A編成 5本 
6連 B編成 14本 
4連 C編成 3本     計 136両

運用範囲 長浜~米原~神戸~上郡 相生~播州赤穂 姫路~寺前

吹田総合車両所
京都支所
4連 K編成 24本    計 96両

運用範囲 京都~福知山 草津~京都 山科~近江今津 草津~柘植

奈良支所
8連 NB編成 9本
6連 NC編成 9本
4連 NA編成 29本   計242両

運用範囲 大阪環状線全線、関西本線(大和路線)、奈良線、和歌山線(王寺~五条)、桜井線(万葉まほろば線)

221_2201_050823_3
221_2201_050823_1 2005/8/23 天王寺
阪和線快速に充当されたクモハ220-1を含む奈良区の4連

新製配置されたのは網干電車区と奈良電車区でそれぞれの区の配置の変遷は

網干区 
1989年2月から3月 1次車 6連5本、4連6本 計54両
1989年7月       2次車 6連7本 4連1本 計46両
1990年度      3.4次車 6連30本 モハ220+サハ220 14両 計194両
            中間車は4連の6連化に 4連は消滅 
1991年度      5次車  6連11本  編成替えで4連、8連に 計66両
1992年度      6次車  4連9本  計36両   合計396両

奈良区
1989年2月から7月 1,2次車 4連12本 2連12本 計72両
1990年度      4次車 モハ220+サハ220 6両   合計78両

1997年3月 223系1000番台44両の新製投入で網干区から奈良区へ 6連2本、4連3本 24両転出

221_nb802_180325 2018/3/25 野田 
奈良区の8連 NB802編成 転落防止プレート、体質改善工事でイメージが変化した車体

2000年3月11日 新快速が223系に統一され、8連6連4連の2本ずつが網干区から奈良区へ
2007年1-3月 6連4連1本ずつが網干区から奈良区へ
2008年3月 113系の置き換えで網干区から京都区へ4連6本が転属
2008年7-10月 宮原総合運転所の223系6000番台運用開始で網干区C編成の運用を置き換え、4両編成13本が京都区へ転属
2010年3月 網干→奈良 6連2本 奈良→京都 4連3本
2010年12月 網干→奈良 8連2本
2011年3月 網干→奈良 8連4本 奈良の2連は編成替えで消滅
2012年12月26日 体質改善工事第一編成が吹田総合車両所を出場
2016年7-8月 網干と奈良で体質改善未施工車と施工車の交換(8連2本)
2016年9-10月 225系100番台24両の新製配置で網干から奈良へ8連4連2本ずつ転属 

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月20日 (日)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 3 大阪環状線 221系 part1

221系はJR西日本が1989年、初めて設計した系列で、1992年度までに474両製造され、この2019年3月6日で運用開始後30年が過ぎようとしていますが、1両も廃車されることなく全車健在です。

221_b4_6r6r_060619 2006/6/19 千里丘 6連併結の12連運用の「快速」

国鉄民営化後、北海道以外のJR各社が新設計の特急形車両を登場させる中、西日本は東海道・山陽本線、関西本線における並行私鉄との競合を意識して登場させました。従来からのMM'ユニット方式(WCS57B、205系のCS57を基本とする界磁励磁添加制御)と1M方式(WCS59C、213系で開発された1M方式の界磁励磁添加制御)の2通りの制御方式を持つ車両でもあることから、近郊形として国鉄時代の続番である、215、217系を敢えて使わずに、末尾が1の221系としたそうです。

213_ts2121_020329_2
213_ts2121_020329

2002/3/29 岡山 在りし日のクロ212-1

設計は瀬戸大橋線用のクロ212形の設計を担当した近畿車輛が外観は保持しながら近鉄向け5200系で採用した3扉転換クロスシートや扉間連窓構造を取り込んだ案を提案し、近畿車輛、川崎重工、日立製作所が製造に加わり、一部の組立はJR西日本、鷹取工場、後藤工場でも行われました。

快適な居住性と高速走行性を有し、京阪神の新快速、大和路快速に投入され、新快速では153系ブルーライナー117系シティーライナー、に続き、アメニティライナーの愛称が付与されましたが、浸透せず、以降の新快速車両への愛称の付与は無くなりました。1990年には鉄道友の会ローレル賞が授与されています。

初期グループの新造直後には一部装備を改造し、湖西線で160km/hの試験走行も行われ特急「サンダーバード」の開発にデータを提供しました。

主要諸元
編成    2・4・6・8両 (MT比1:1)
最高運転速度    120 km/h
設計最高速度    120 km/h
起動加速度    2.1 km/h/s
減速度(常用)    3.5 km/h/s
減速度(非常)    4.2 km/h/s
編成定員    1,127(8両)
車両定員    座席52・立席78(トイレ付き先頭車)座席56・立席77(トイレなし先頭車)
座席64・立席80(中間車)
自重    35.1 - 38.6 t(電動車)25.8 - 30.3 t(付随車)
編成重量    264.9 t(8両)
全長    20,100 mm(先頭車)20,000 mm(中間車)
車体長    19,670 mm(先頭車)19,500 mm(中間車)
全幅    2,950 mm
全高    4,140 mm
床面高さ    1,150 mm
車体    鋼製
台車    円錐積層ゴム式ボルスタレス台車(ヨーダンパ付)WDT50H(電動車)WTR235H(付随車)
主電動機    直流直巻整流子電動機 1C8M:WMT61S  1C4M:WMT64S[2]
主電動機出力    120 kW/基
駆動方式    中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比    1:5.19
制御方式    直並列組合せ抵抗制御 界磁添加励磁制御
制御装置    1C8M: WCS57B 1C4M: WCS59A
制動装置    回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ (抑速・耐雪ブレーキ機能付き)
保安装置    ATS-SW,ATS-P・ATS-B(登場時)・列車防護無線装置 EB・TE装置(一部)

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月19日 (土)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 3 大阪環状線 201系 part4 USJ色物

2005年12月から森ノ宮に201系が転入し、それまで大阪環状線で活躍していた103系は奈良、日根野への転属、そして廃車が進められました。

1 表 明石支所の201系が消滅し、森ノ宮、奈良への転属が終了した2009年冬の編成表データ 森ノ宮にいたバラ車両も編成に組み込まれました。森ノ宮の8連の編成番号は後日、LB01からLB16になりました。

201_90_180325 2018/3/25 野田 
「ユニバーサルワンダーランド」 LB06編成

201系の運用は当初は大阪環状線、桜島線に加え関西本線(大和路線)快速、区間快速にも投入されましたが、2016年9月以降は大和路線快速運用からは撤退しました。

103系の時代から環状線編成には何本かユニバーサル・スタジオ・ジャパンのラッピング編成がいましたが、201系の時代もその伝統は続いており、現在はLB06編成とLB15編成がラッピングを纏っています。

201_140_180325_6 2018/3/25 桜ノ宮
「ハリーポッター」 LB15編成

201_89_101206 2010/12/6 西九条
2018年3月末で廃車となったLB05編成

323系の投入により、2017年11月3日付けでLB08編成、同年12月28日付けでLB10編成、2018年2月7日付けでLB07編成がサハ2両を抜いて奈良支所に転属しました。抜かれたサハ6両とLB05編成の14両が2018年3月18日付けで廃車となりました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月18日 (金)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 3 大阪環状線 201系 part3 7x32=8x16+6x16

2005年12月に明石支所の201系の森ノ宮支所への転属が開始され、2006年12月からは奈良支所への転属も開始されました。

1 表 明石支所に4編成残し、奈良支所にも転属された頃の編成データ 
2008年冬のJR電車編成表から

奈良区へはサハ抜きの6連が配置されました。塗装は103系同様にウグイス色(黄緑6号)で先頭車の前面に白の警戒帯が入れられました。103系は偶数向きがJR難波寄り先頭でしたが、201系では奇数向き先頭車がJR難波向きとなりました。

201_92_101206 2010/12/6 大正

201120_160903 2016/9/3 野田 大阪ステーションシティ開業5周年のHM付き

201_62_180325 2018/3/25 桜ノ宮
転入時はスカイブルーだった編成も定期検査等での入場時にオレンジバーミリオンに

大阪環状線8両編成

大阪駅基準
←京橋                                  桜島・加茂→
   8    7     6     5     4      3     2      1
       <>                                                <>
クハ201 モハ201 モハ200 サハ201 サハ201 モハ201 モハ200 クハ200

201_070310_4 2007/3/10 新今宮 
転入直後のまだ車体番号表記がない頃

201_143_101206 2010/12/6 新今宮
143は関西配置のクハ201/200のラストナンバー

201_081212_2 2008/12/12 高井田

関西本線・おおさか東線 6両編成

←JR難波・放出                    加茂・久宝寺→
   6     5     4     3     2     1
       <>                     <>
クハ201 モハ201 モハ200 モハ201 モハ200 クハ200

転入直後は残されていたスカートの車両番号表記は消され、車体左側に車両番号が表示されるようになりました。定期検査入場で冷房装置をAU75系からWAU709への換装、方向幕のLED化しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月17日 (木)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 3 大阪環状線 201系 part2 延命工事・転属

1995年1月17日の阪神・淡路大震災で東海道・山陽緩行線は大阪~姫路間が不通となりましたが、復旧工事で姫路方面からは1月30日に神戸まで、2月20日には灘駅まで乗り入れが可能となりました。一方、大阪方からは芦屋まで復旧しました。ちょうどこの頃、ラッシュ時の輸送力確保のため、7両編成8本を4編成ずつ、2つのグループに分け、片方のグループからサハを1両抜き、6連とし、他方の7連に組み込み8連とする編成替えを行い、8連4本、6連4本としました。ラッシュ時には6連を2本併結し、12連で輸送力増強を図りました。4月1日には全線開通するので、変則編成は3月31日まで運用されました。実はこのときのサハ1両やり取りすることで 7+7=8+6 の編成替えが後の森ノ宮の8連と奈良の6連への分配に役立ってきます。

201_201122_050822 2005/8/22 元町

201_201137_050708 2005/7/8 東淀川

201_200140_050708 2005/7/8 新大阪
リニューアル工事が施工された編成

2003年以降は207系との格差を改善し、延命を図るためリニューアル工事が施工され、
車体は、雨どいと外板の一体化による屋根の張り上げか、戸袋窓の廃止・埋め込みが行われ、ドア間窓は下段固定、上段2分割上昇の3分割バス風逆T字冊子に交換されました。運転室回りも窓周囲をステンレスに前照灯はガラス内収納式となりました。

東海道・山陽緩行線への321系の投入で201系は明石支所から、大阪環状線、関西本線等に転属になりますが、転属先では7両編成の運用はないため、編成替えが発生しました。

201_20194_060620 2006/6/20 寺田町

201_200138_060620 2006/6/20 寺田町 
4+4の編成

201_20062_140_060620 2006/6/20 寺田町

また、鋼鉄製車体のため最近の電車のように転属に際してテープを貼り換えるというわけには行かず、スカイブルー(青22号)からオレンジバーミリオン(朱色1号)への塗色変更が間に合わずスカイブルーのままで大阪環状線で営業開始した編成もありました。

1 表 神ホシから大モリへの201系の編成替えと転属の様子 (2007年冬のJR電車編成表から)

この時点では明石支所に11編成残り、21編成が編成替えされました。森ノ宮区には7両編成にサハ1両を加えた編成が10本、サハの代わりにクハが2両中間に入っている編成(4+4編成)が5本、サハの代わりにモハが2両入っている編成が1本組成されました。あとバラが19両転属しました。

201_20091_060620

201_20166_060620 2006/6/20 寺田町
4+4編成

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月16日 (水)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 3 大阪環状線 201系 part1 東海道・山陽緩行線時代

201系といえば省エネ通勤車両として1979年に電機子サイリスタチョッパ制御方式の試作車が中央線快速に登場しました。1981年から量産が開始されましたが、製造費用がかさむことが問題点となり、中央快速、中央・総武緩行線、京阪神緩行線の3線区に1018両が投入されたに留まりました。

当時の国鉄の財政事情もあり、その後の通勤電車の標準形は界磁添加励磁制御方式、軽量ステンレス車体、DT50系ボルスタレス台車の205系となりました。

1987年の国鉄分割民営化ではJR東日本に794両、JR西日本に224両(7連32本)が継承されました。JR東日本の201系は更新改造はされず、2005年から老朽廃車が開始され、2011年6月に営業運転が終了しました。JR西日本では内外装のリフレッシュ工事が行われ、一部廃車が発生しているものの、引き続き営業運転が行われています。

主要諸元
最高運転速度    100 km/h
設計最高速度    110 km/h
起動加速度    2.3 km/h/s (2M2T・4M4T)2.5 km/h/s (6M4T)2.8 km/h/s (4M2T)
減速度(常用)    3.5 km/h/s
減速度(非常)    5.0 km/h/s
編成定員    560名(4連固定)848名(6連固定)992名(7連固定)1,480名(10連固定)
全長    20,000 mm
車体長    19,500 mm
全幅    2,800 mm
全高    4,140 mm
車体    普通鋼
台車    円筒案内式インダイレクトマウント空気ばね台車 DT46(B)形・TR231(A)形
主電動機    直流直巻電動機 MT60形
主電動機出力    150kW
駆動方式    中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比    1:5.6=15:84
定格速度    52.1 km/h
制御方式    サイリスタチョッパ制御 弱め界磁制御
制御装置    CH1/HS36・CS53・CS53A
制動装置    回生制動併用電磁直通ブレーキ
保安装置    ATS-S・ATS-SN・ATS-SW・ATS-B・ATS-P
EB・TE装置(JR西日本所属車一部)

201_841205 1984/12/5 大阪 ナンバープレートから軽装車ではなく標準車です。
前面下の排障器はまだありません。

関西地区への201系投入は東海道・山陽緩行用として最初は高槻電車区向けに昭和56年度第3次債務で7両編成8本、昭和57年度本予算で7両編成2本の計70両が配置されました。1983年2月21日から京都~西明石間で営業運転が開始されました。

さらに明石電車区むけに昭和57年度第1次債務で7両編成6本、昭和57年度第4次債務で7両編成6本、昭和58年度本予算で7両編成1本、昭和58年度第2次債務で7両編成9本の計154両が配置されました。

←草津・京都
  7      6      5     4      3      2      1
クハ201 モハ201 モハ200 サハ201 モハ201 モハ200 クハ200
             CHOP     MG,CP                 CHOP    MG,CP

昭和58年度第2次債務分からコストダウンのため設計変更した「軽装車」となりました。軽装車における変更箇所は以下の通りです。
・前面黒色部のジンカート処理鋼板を、電解二次着色アルミニウム板に。
・通風器は、FRP製から安価な鋼製に。
・客用窓は、103系に準じた2段上昇式に逆戻りし、これに伴って構体設計が大幅に変更となりました。
・車両番号標記は、一般の通勤形電車と同様の転写式に。
・車内荷棚は、ステンレス製からアルミニウム製に。
・一部床下機器のカバー省略。

ちなみに軽装車のサハ201は関西地区のみに投入されました。

1 表 1986年11月ダイヤ改正時の明石電車区 201系編成表

1986年3月、高槻区配置の201系は明石区に転属し、201系は明石区に224両32編成が集中配置となりました。

201_920314 1992/3/14 新大阪 
明石区に集中された後

1994年3月1日のダイヤ改正で207系1000番台が運用を開始し、東海道・山陽緩行線の103系を完全に置き換えました。103系の運用を持ち替える形で湖西線山科~堅田までの運用が追加されました。1997年9月1日のダイヤ改正では福知山線三田駅まで乗り入れが開始されました。2000年4月1日付の組織改編で明石電車区は網干総合車両所明石支所となりました。

201_20163_020621 2002/6/21 大阪
1991年度からこういった簡易排障器が前面に設置され、車番が書き込まれました。

201_20061_c01_060620 2006/6/20 岸辺
2004年から大型で鉄板を厚くしたスカートに徐々に置き換えられて行きました。

2005年12月1日から2006年12月にかけて明石支所に321系273両(7連39本)が投入され、2007年3月18日のダイヤ改正で定期運用を離脱し、他線へ転属となりました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月15日 (火)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 3 大阪環状線 323系

2018年3月の関西旅行、JR西日本の電車、今回は大阪環状線の323系です。大阪環状線といえば、拙Blogではまだ継続中の大阪環状線の103系シリーズがありますが、今回は新しい方から参ります。

323_ls01_180325_2 2018/3/25 野田 323系 LS01編成

大阪環状線は従来から103系、201系といった4扉通勤車と221系、223系、225系といった3扉近郊形が走っており、整列乗車を促進し、4扉車を置き換える方向で導入されているのが323系3扉通勤車です。2016年6月24日に近畿車輛で第一編成が落成し、公開されました。川崎重工業車両カンパニーと近畿車輛が製造を担当しています。

323_ls02_180325_2 2018/3/25 桜ノ宮 323系 LS02編成
20m3扉のため、ドア間の窓はこのような配置となっています。

2016年9月29日には「323系と大阪環状線改造プロジェクト」としてグッドデザイン賞が授与されました。2016年12月24日から営業運転が開始されました。

323_ls04_180325 2018/3/25 野田 323系 LS04編成

主要諸元
最高運転速度    100 km/h
設計最高速度    130 km/h(準備工事)[要出典]
起動加速度    2.8 km/h/s
減速度(常用)    3.9 km/h/s
減速度(非常)    3.9 km/h/s
編成定員    1,197名
車両定員    140名(クモハ323形)139名(クモハ322形)153名(中間車)
自重    39.7 t(Mc)39.1 t(M'c)37.0 t(M・M5)36.1 t(M')
編成重量    297.2 t
全長    20,000 mm
車体長    19,500 mm 19,570 mm(先頭車両)
全幅    2,950 mm
車体幅    2,950 mm
全高    4,085 mm
車体高    3,630 mm 3,680 mm(先頭車両)
車体    ステンレス (前頭部のみ普通鋼)
台車    軽量ボルスタレス軸梁式台車(ヨーダンパ準備)
動力台車:WDT63C 付随台車:WTR246H・WTR246I
主電動機    全閉式かご形三相誘導電動機(WMT107)
主電動機出力    220 kW以上
駆動方式    WNドライブ
歯車比    1:6.53
編成出力    220 kW×2×8 = 3,520 kW
制御方式    フルSiC素子VVVFインバータ(静止形インバータ一体型)
制御装置    WPC16 (1C2M)
制動装置    電気指令式(直通・回生〔純電気式〕・抑速・耐雪・駐車ブレーキ付き)
保安装置    ATS-SW2・ATS-P3
列車防護無線装置
EB-N(デッドマン装置)・TE装置
車両異常挙動検知システム

前頭部の形状、標識灯配置は521系3次車、225系2次車、227系と同じで、省エネ・長寿命化から、前照灯及びフォグランプはHIDからLEDに変更されています。

225系同様、0.5Mシステムを導入しており、全電動車ながら1車両に動力台車、付随台車が配置されています。
                      大阪駅基準
←京橋・鶴橋
←西九条
   8             7              6             5            4             3            2               1   
    >                     >                     < >
クモハ323   モハ322    モハ322   モハ323     モハ322   モハ322   モハ323    クモハ322
      -0           -0           -0        -500            -0           -0           -0             -0
  SC CP        SC           SC         SC           SC          SC        SC CP         SC
○○ ●● ●● ○○ ○○ ●● ●● ○○ ○○ ●● ●● ○○ ○○ ●● ●● ○○

LS01 1           1            2           501             3             4            2               1

LS12 12         12          45          512            47           48           24              12

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月14日 (月)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 2 阪和線・羽衣支線 225系5100番台

阪和線には鳳から分岐し、東羽衣まで1駅営業キロ1.7kmの羽衣支線があります。この線にも、2018年3月17日のダイヤ改正から225系5100番台が投入されています。

この線は1929年7月18日、阪和電気鉄道により阪和天王寺~和泉府中間が開業した時に鳳~阪和浜寺間が同時に開業しました。当初から全線複線電化でした。1944年8月1日、羽衣支線は単線化されます。戦争による鉄の供出だったのでしょう。1974年8月31日、鳳~東羽衣間は高架化されます。2010年3月からATS-Pが使用開始されました。

103_801213 1980/12/13 鳳
1977年頃までは阪和線同様にオレンジ色の旧形車が活躍していたと思いますが、この頃は、スカイブルーの103系3連が入っていました。

1235_020329 2002/3/29 倉敷 岡山地区に転属したクモハ123-5 
かもめが正面に描かれていますが、阪和線時代の塗色のままで岡山地区での活躍でした。

103_tc162_60903 2016/9/3 東羽衣
以前にも紹介しましたが、1970年1月7日に川崎重工業で製造され、明石区から車生をスタートした103系が225系5100番台に置き換えられるまで活躍していました。

車両的には1977年3月27日までは旧形車で運用されていましたが、103系3連に置き換えられました。国鉄民営化後の1987年7月1日、羽衣支線に123系電車(クモハ123-5/6)が運転開始されました。1995年に123系は岡山電車区に転属したため、羽衣支線は103系3連に戻りました。

2255100_5118_180325_3 2018/3/25 東羽衣 225系5100 5118を先頭とするHF440編成4連

2255100_5118_180325 車内の様子

2255100_5118_180325_2 運転席

2255100_5118_180325_2_2 2018/3/25 鳳
4連化に対応してホームも前後に延伸されたようです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月13日 (日)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 1 阪和線 223系2500番台

223系は0番台が登場した後、東海道・山陽本線系の新快速の最高速度を130km/hに上げる目的で1995年8月12日から1000番台が登場、その増備として1999年から2008年にかけて2000番台が製造されました。

2500番台は昨日の記事にあるように1995年5月の0番台編成組み替えで不足する先頭車の補充用として1次車4両が製造され、その後2007年2月から5連、3連の新規編成が投入されました。
1
表 223系0番台・2500番台編成表
この表のように先頭車が0、100番台の編成HE401~409、410~416は昨日の記事から0番台が新製された際の6連9本と2連7本由来であることがわかります。それに対して、2500番台は先頭車は19編成分、中間車はモハ223が25両、サハ223が8両と編成組み替えに合わせて製造され、且つ組み替えにおいてバラバラに挿入されており、非常にわかりにくくなっています。

2232500_2501_180325_2 2018/3/25 桜ノ宮 223系2500番台 先頭車2501(1次車)のHE417編成

2232500_2502_080226_2 2008/2/26 熊取 5連時代の1次車 2502先頭編成
窓周りの帯は太いです。

正面の形状が0番台では円形の前部標識灯だったのが、角型に変わり、フォグランプを2灯ずつつけたスタイルになりました。運行表示器は1次車(4両の先頭車)はLED式で以降はマグサイン式となりました。

2232500_2505_180325 2018/3/25 上野芝 2500番台 先頭車2505(2次車)のHE419編成

2006年度に製造された2次車では初めて中間車が製造され、5両編成1本、3両編成1本の8両が製造されました。この8両には2000番台での改良が反映され、窓ガラス色や蛍光灯カバーの形状が変化しました。また機器的には補助電源のバックアップ機能が搭載されました。

2232500_2511_101209 2010/12/9 千里丘 3次車 2511先頭HE427編成 試運転?
窓周りの帯は細いです。

3次車は2008年3月のダイヤ改正に向けて223系の増備と既存5両・3両編成の全4両化に向けて近畿車輛で60両製造されたグループです。形態的には2000番台5次車に準じた仕様となりました。窓周りの帯が細くなるなどの外観にも大きな変化があります。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月12日 (土)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 1 阪和線 223系0番台

2018年3月の関西旅行、阪和線の車両、今回は223系0番台です。
223系は225系のひとつ前の世代の直流近郊形電車で1993年から2008年までの間に927両が製造され、JR西日本のアーバンネットワークに投入されました。その中で阪和線・関西空港線・大阪環状線に投入されているのが0番台・2500番台です。

2230_3_080226_2 2008/2/26 和歌山 3連時代の223系0番台

20m車体に片側3扉、転換クロスシートといった構成は221系を引き継いだもので、207系で採用されたステンレス製軽量車体、VVVFインバータによるかご形三相誘導電動機を駆動する方式が新規に採用されました。

2230_4_070310 2007/3/10 新今宮 5+3併結編成の姿

0・2500番台は関西国際空港のイメージカラーの青と白のグラデーションを纏っています。制御装置は0番台はGTOサイリスタ、2500番台はIGBT素子となっています。

2230_6_160903_2 2016/9/3 鳳 全編成4連となった最近の姿

0番台は1994年9月4日の関西国際空港開港に合わせ、同空港への関空快速に使用するため1993年2月から1994年3月にかけて6両編成9本と2両編成7本の68両が製造されました。近畿車輛・川崎重工業で製造されました。当時の日根野電車区、現在は吹田総合車両所日根野支所に配置されました。1994年度のグッドデザイン賞が授与されています。

←大阪・天王寺                 関西空港・和歌山→
6連 クモハ223 サハ223 サハ223 モハ223 サハ223 クハ222      0番台
     VVVF                       CP       VVVF                    CP
        SIV,PT                                SIV,PT
          100番台

2連 クモハ223 クハ222                             100番台
     VVVF         CP
        SIV,PT

223100_101_180325 2018/3/25 桜ノ宮 登場時は2連だった101編成、3連を経て、今は4連

1999年5月10日から大阪環状線~和歌山駅間で紀州路快速の運転が開始され、大阪環状線~日根野駅間で関空快速と併結運転が開始され、編成両数が2+6両の構成から5+3両に組み替えられることになりました。この際に2両編成のATS-Pは2両で1つのシステムを構成する方式であったため、2連に挿入される7両のサハ223(0番台、100番台)にATS-P引き通し線が設置されました。さらにCPの容量が不足することからJR東西線の開業に備えて編成を組み替えた207系1000番台のCPと交換されました。さらに先頭車が不足することから2500番台が4両製造されました。
その後、2008年3月に新造の2500番台を含めた編成替えが行われ、全て4連となりました。

主要諸元

最高運転速度    120 km/h
設計最高速度    120 km/h(登場時)130 km/h(主電動機交換後・準備工事)
起動加速度    2.1 km/h/s(登場時)2.5 km/h/s(主電動機交換後)
減速度(常用)    3.5 km/h/s
減速度(非常)    4.2 km/h/s
自重    27.7 t(サハ223)31.1 t(クハ222)38.0 t(モハ223)39.0 t(クモハ223)
全長    20,000 mm
全幅    2,950 mm
全高    3,640 mm
台車    円錐積層ゴム式 WDT55A(電動車)WTR239A(付随車)
主電動機    かご形三相誘導電動機 0番台:180kW(WMT100B・登場時)230 kW (WMT102C)
駆動方式    WN継手式中実軸平行カルダン方式
編成出力    1,840kW 1,800kW(2500番台混結)
制御方式    3レベルGTO-VVVFインバータ
PWMIGBT-VVVFインバータ(体質改善車)
制御装置    WPC4 WPC13(体質改善車)
制動装置    電気指令式(直通・回生・抑速)
保安装置    ATS-SW・ATS-P
車両異常挙動検知システム(体質改善車)

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月11日 (金)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 1 阪和線 225系5100番台

昨日の225系5000番台の2次車として2016年から2017年にかけて製造されたのが5100番台です。5000番台が4連のみであったのに対して5100番台は6連と4連が製造されました。

2255100_5102_160903 2016/9/3 和歌山
電留線で並ぶ225系5102(左)と5011(右) 前頭部のデザインの違いがよく分かります。                 < >             <
6連 クモハ224 モハ224 モハ225 モハ224 モハ224 クモハ22P5
    SC          SC         SC CP    SC         SC         SC CP

編成番号 HF601~HF611  
クモハの番号で5103, 5104, 5107, 5108, 5111, 5112, 5115, 5120, 5123, 5124, 5125 

           < >         <
4連 クモハ224 モハ225 モハ224 クモハ225
        SC           SC CP     SC          SC CP

編成番号 HHF430~HF443
クモハの番号で5101, 5102, 5105, 5106, 5109, 5110, 5113, 5114, 5116, 5117, 5118, 5119, 5121, 5122

2255100_5103_180325 2018/3/25 上野芝 5103 6連

中間車モハ224とモハ225に関しては224が6連には3両含まれ、番台区分されることなく通し番号となっているので、編成の中で番号を見てもそれがどの編成なのか、非常に分かりにくくなっています。

前頭部のデザインが5000番台とは変わりました。

車内設備は5000番台に準拠していますが、JR西日本の車両として初めて公衆無線LAN(Wifi)サービスが搭載されました。

5000番台の増備で製造された車両が5100番台となっていることやモハ224が6連で3両含まれるのにそのまま通し番号で付番されていることなど、JR東日本の通勤電車の番号付番方式からすると、かなり違和感を感じます。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月10日 (木)

2018年3月の関西旅行 JR西日本編 1 阪和線 225系5000番台

思い返すと2018年3月の関西旅行は
3/23 南海、水間鉄道
3/24 近鉄

3/25 JR阪和線、大阪環状線  といった行動パターンでした。

ということで今回からはJR西日本大阪地区の話題です。

2019年3月16日のダイヤ改正では
JR京都線・神戸線の新快速に有料座席サービスAシートの導入
JR神戸線の通勤特急「らくラクはりま」の新設
和歌山線・桜井線に227系の新規導入、これによって117系105系が終焉に
おおさか東線(新大阪~放出間)が開業、奈良から尼崎の直通快速は新大阪へ といった変化があるようですが、今回は2周回程遅れの阪和線、大阪環状線などの車両レポートです。

2255000_5001_180325 2018/3/25 上野芝 225系5000番台 HF401編成

223系の次世代車両という位置づけで2009年9月16日の社長定例会見で新造が発表されたのが225系です。

阪和線用には5000番台116両(4連29本)が2010年9月から2011年1月にかけて21本、2011年7月に4本、2011年11月から12月にかけて4本投入されました。製造は近畿車輛と川崎重工業です。配置は全編成、日根野電車区、編成番号はHF401からHF429です。

2255000_5026_160903 2016/9/3 福島 225系5000番台 HF426編成

車体

20m級車体に片側3扉の構成で4両編成全てが電動車です。しかし0.5M方式で
   1        2       3      4   天王寺・京橋→
クモハ224   モハ225   モハ225  クモハ225
〇〇 ●● ●● 〇〇 〇〇 ●● ●● 〇〇 
        <               <      PT
    SC       CP SC              SC     CP SC        SCハインバータ

上の黒丸の台車が電動台車となっています。
福知山線事故の教訓から列車が衝突した際に先頭部分上部が潰れることで乗客への衝撃と客室の変形を抑えるクラッシャブルゾーン方式が初めて採用されました。

主要機器

東洋電機製造と東芝製のWPC15A形IGBT素子方式の2レベル電圧形インバータで2個のモータを制御します(1C2M)。

主要諸元

最高運転速度    120 km/h
設計最高速度    120 km/h
起動加速度    2.1 km/h/s以上
減速度(常用)    3.9 km/h/s
減速度(非常)    4.4 km/h/s
台車    動力台車:WDT63A
付随台車:WTR246D・WTR246E
主電動機    WMT106A-G1
主電動機出力    270 kW × 2基/両
編成出力    2,160 kW
保安装置    ATS-SW2・ATS-P3
列車防護無線装置
EB・TE装置
車両異常挙動検知システム(一部)

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月 9日 (水)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その6 41年間の変化

8回に渡り、1977年9月の身延線の旅で撮影した電機、旧形国電の写真等を紹介して来ましたが、あれから41年の間に身延線がどう変わったかについて最後に触れたく思います。

113_770923_2
113_770923_2_2 1977/9/23 道源寺
グリーン車2両が連結された113系フル編成が通過するシーン
西富士宮付近の留置線に停められていた編成が本線運用に復帰するシーンだったのでしょうか?

まず、施設に関してですが、身延線と言えば創臨と呼ばれた創価学会関連の団体臨時列車が有名で日蓮正宗の総本山である大石寺への参拝のため、富士宮駅に向かう列車が多く運行され、富士駅~富士宮駅間は1974年9月27日に複線化され、西富士宮駅手前まで引き上げ線が設置されていましたが、1991年に日蓮正宗が創価学会を破門したことで、臨時列車の運行も法華講連合会によるものだけとなり、本数も大幅に減少しました。引き上げ線も廃止され、2008年から2012年にかけての高架化事業で線路は完全に撤去されました。

甲府機関区配属のED17、EF10、EF15などにより牽引されていた貨物列車、その多くは製紙原料のチップなどを富士市に輸送するものでしたが、2001年3月31日をもって廃止となりました。また、静岡運転所所属のEF64 2号機とレール運搬用チキ5500形による工事用臨時列車(工臨)が運転されていましたが、これも2008年4月からの名古屋車両区所属の事業用気動車キヤ97系の運用開始で置き換えられ消滅しました。

1152000_b02_050821 2005/8/21 島田 身延線で活躍した115系2000番台

旧形国電に関しては、二代目62系を除いて1981年8月31日に営業運転が終了し、115系2000番台に置き換えられました。115系2000番台は当初、身延カラーのエンジに白帯で登場しました。

二代目62系1984年には運用から退き、1986年までに廃車されています。

123_w102_070304_8 2007/3/4 富士

1987年3月21日の国鉄最後のダイヤ改正にて荷物電車等から改造された123系が投入されました。

JR東海における国鉄型の淘汰は早く、2007年3月18日に115系、123系の運用が終了しました。
1999年6月1日313系の営業運転が開始されました。3100番台が投入されたのは2006年8月7日からでした。

比較的近年の話題では2011年9月22日に沿線を襲った台風15号による豪雨で盛土が崩壊し、西富士宮~甲府間が不通となり、代行バスの運転なども行われました。完全に復旧したのは半年後の2012年3月17日でした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月 8日 (火)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その5 身延線の旧形国電 クハ66・モハ62

1977年9月の旅行で撮影した身延線の旧形国電シリーズ、最後は1974年に身延線用に登場した115系もどきクハ66、モハ62形です。

66002770923_dt13 1977/9/23 富士 クハ66002
車体は新品、足回りに目を転じると旧形国電とわかる電車です。クモハ73が種車のため、台車もクモハ73でよく見かけた電動台車です。

TcMMTcの4連3本が登場し、種車はクモハ73、モハ72、クハ79で鷹取工場、長野工場、郡山工場でアコモデーション改造を受けました。車体は115系300番台とほぼ同じで貫通扉付運転台、1300mm両開き扉、ユニットサッシ窓装備となりました。冷房装置や側面行先表示器の準備工事はなされていません。

66303_770923
66303_770923_tr48 1977/9/23 富士 クハ66303
クハの台車もいろいろな形式があったようです。こちらはクハ79でよく見たタイプです。

72系の台枠に近郊型タイプの裾絞り車体を合わせるため、この写真のように車体の下部に折り目が見えます。

モハ62000 クモハ73012 鷹
モハ62001 クモハ73172 鷹
モハ62500  モハ72533 鷹
モハ62501  モハ72569 鷹
モハ62502  モハ72576 郡
モハ62503  モハ72632 郡
クハ66000  クハ79236 鷹 
クハ66001  クハ79186 鷹
クハ66002 クモハ73118 長
クハ66300  クハ79373 鷹
クハ66301  クハ79423 鷹
クハ66303  クハ79439 長

身延線の狭小トンネル対策でパンタグラフ折り畳み高さを下げています。また身延線の他の旧形車両との併結のため、前面幌枠は旧形国電用のものを装備しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月 7日 (月)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その5 身延線の旧形国電 クモハ51・クハ68

1977年9月の身延線の旅で撮影した旧形国電、今回は1936年から1943年にかけて鉄道省が製造した3扉セミクロスシート車のグループ、国鉄51系に属するクモハ51形・クハ68形です。

51800_770923 1977/9/23 身延 クモハ51
この当時としても珍しい腕木式信号機が印象的です。

セミクロスシート車は30系・31系17mロングシート車、40系3扉ロングシート車、32系2扉クロスシート車(横須賀線用)、42系2扉クロスシート車(東海道・山陽線吹田~須磨間電化)といった歴史を経て、ラッシュ時、データイム双方における利便性を考慮して、51系において初めて登場した座席配置方式でした。

オリジナル車は
モハ51形 51001-51057 片運転台、車体後位にパンタ
モハ54形 54001-54009
モハユニ61形 61001-61003
クハ68形 68001-68020
クロハ69形 69001-69011
から構成されていました。

モハ51形は車両製造技術が進歩している時期の登場であったため、製造年次で形態が変わり、
1936年製造 従来型ヘッドライト、布張り屋根、軽合金製客用ドア
1937年前期製造 砲弾型ヘッドライト、鋼板屋根、ランボード2列
1937年後期製造 張り上げ屋根
1938年製造 半埋め込み式ヘッドライト、木製客用ドア となりました。

51810_770923 1977/9/23 撮影場所不明 クモハ51

57両のオリジナル車の他、モハ40、モハ41、モハ42からモハ51に編入された車両、一方でセミクロスシートをロングシート化し、モハ41にした車両、戦後の復元などで多くの車両が変化を受けています。

身延線のトンネルは中央東線同様に狭小のため、パンタの高さ制限を受けるため、身延線に配置換えとなったクモハ51は低屋根化改造を受け、800番台となりました。このうち、モハ42形からの改造車(202、204)はパンタが前位にあったので、改造の際に後位に移設し、低屋根化され、850番台となりました。

1975年当時の静ヌマのクモハ51の配置データは
クモハ51 800、802、806、810、812、814、816、818、820、822、824、826、828、830、850、852 でした。

クハ68はオリジナル以外に、昨日のクハ55の記事で紹介したようにクロハ59形からの改造、戦後、クハ55形に改造された車両の復元などでかなりの車両が改造による変化を受けています。

1975年当時の静ヌマのクハ68の配置データは
クハ68 019,093,095,103,107,109 でした。

クハ68019はクロハ59014からクハ68034に改造され、さらにクハ55148に改造、さらにクハ68019に復元された車両です。
クハ68093、095、103は半流型のクハ55形がセミクロスシート化改造を受け、クハ68に編入されたものでした。
クハ68107、109はサロハ46形101、102として製造された後、46015、46015に改番され、クロハ59023、59024に改造、さらにクハ55107、108に改造、最後にセミクロスシート化されクハ68になった車両です。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月 6日 (日)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その5 身延線の旧形国電 クハ55

1977年9月の旅で撮影した身延線の旧形国電、今回はクハ55です。

55770923 1977/9/23 身延

クハ55形国鉄40系として分類される1932年から1943年にかけて鉄道省が製造した車体長20m級3扉ロングシート車で、
モハ40形 三等制御電動車 両運転台 40001-40080
モハ41形 三等制御電動車 片運転台  41001-41055
クハ55形 三等制御車 片運転台  55001-55096
サロハ56形 二等三等付随車  56001-56013
サハ57形 三等付随車  57001-57047
モハ60形 モハ41の出力向上型  60001-60126
クハニ67形 三等荷物合造制御車  67001-67008    
の7形式 425両から構成されていました。

クハ55形は1932年から1943年にかけて、96両が製造されましたが、001-019は大阪地区向けでした。1934年と1935年製造の11両は当初、55100-55110と100番台に区分されていましたが1936年4月に55020-55030に改番されました。その後、1938年に東京向けに55062まで増備され、55063,55064は大阪向けに、1940年製造の55065-55082、1941年製造の55083-55085も大阪向けに製造されました。

長期に渡って製造され、さらにこの時期は流線形が流行した時期でもあり、運転台、前面の形態が変化しているのが特徴です。
  年次         前面形状  運転室
1932年1933年       角型    片隅小
1934年1935年1次      角型    片隅大
1935年2次         半流    片隅大
1936年~1942年     半流    全室     

身延線で遭遇したクハ55は上の写真のように角形の前面スタイルでした。ただ私個人としては、小学生の頃、荻窪駅などで見ていた総武・中央緩行線のクハ55といえば、半流形、大阪旅行の阪和線で撮影したクハ55も半流形だったので身延線のクハ55は新鮮でした。

改造による編入
1)クロハ69形をクハ55形に
大阪地区の51系に分類されるクロハ69形の座席をロングシート化してクハ55形に改造
55097-55105   オリジナルの続番として編入
戦後、一部はクロハ69形に復元されました。
2)クロハ59形をクハ55形に
緩行電車の二等車廃止で42系に分類されるクロハ59形の車体中央部に扉を増設し、最初はクロスシートのクハ68形に改造していましたが、1942年年3月で改造内容はロングシートのクハ55形への改造に切り替えられました。
55106-55114 1)の続番で編入 
3)クハ68形からクハ55形へ
クハ68として新製された20両と2)でクロハ59から改造されたクハ68の16両の計36両
55115-55150

戦災で14両、事故で1両が除籍されています。

1955年度にクハニ67形の不足を補うためにクハ55形6両がクハニ67900番台に改造されました。
戦後、モハ40形、モハ41形は電動機を交換して出力増強し、モハ61形、モハ60形となりましたが、戦災復旧の際に電装解除されたモハ60016はクハ55200になりました。

1952年3月に京浜東北線、中央線用に連合軍指定解除のクハ55形4両が半室二等車として復活し、クロハ55形となりました。

1959年から1961年にかけて常磐線増結用として36両のサハ57形の前位に運転台を増設し、クハ55形300番台となりました。

地方線区での使用のため便所を設置する改造がクハ55形、サハ57形になされ、0番台は400番台に、300番台は430番台となりました。

1975年の静ヌマのクハ55配置データは
クハ55 301、319、440、441  

とのことで、出自的には常磐線増結用にサハ57に運転台を取り付けた300番台とその便所付き改造車が当時、身延線で生き残っていたことが分かりました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月 5日 (土)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その5 身延線の旧形国電 クハ47

身延線で活躍する車両、今回からは電車編です。

現在はかつて165系などが使用された急行「富士川」が特急「ふじがわ」となり、373系が使用されており、ローカル列車には313系3000番台、3100番台、2300番台、2500番台(211系6000番台と併結:西富士宮~富士間と東海道本線直通)が使用されているようです。

1977年9月の旅ではいろいろな形態の旧形国電に出会いました。

47_7709232 1977/9/23 撮影場所不明 クハ47

最初は32系に分類されるクハ47形です。この系列は1930年から1932年にかけて鉄道省が横須賀線向けに製造した、2扉クロスシート車を便宜的に総称したもので、
新製時は
モハ32形 001-045  17m車体
サロ45形 001-013
サロハ45形 001-013 1936年に014-017に改番され42系に
クハ47形 001-010
サハ48形 001-028
クロ49形 001、002    

から構成されていました。

47_770923 1977/9/23 源道寺 上の写真と同じクハ47を富士方に連結した編成

電動車は17m車でしたが、付随車、制御車が省電としては初めて20m車になったことが特徴でした。電動車は従来の100kW主電動機MT15Aが20m車体に適合するかどうか懸念されたことや、台枠、床下機器配置の設計の見直しが間に合わないことから17m車体が踏襲されたそうです。
その後の改造などで

1)オリジナル車
クハ47形は1930年度に47001-47010の10両が新製され、全車が下り偶数向きでした。
47004、47010の2両が1949年に通勤形化改造を受け、4扉化されてクハ79060、79066に編入となりました。
2)サハ48改造車
・戦後、飯田線への転用で先頭車化改造がサハ48、48005、48006、48007の3両になされ、クハ47011、47012、47013になりました。1959年12月の番号整理でクハ47051、053、055となりました。
・13両のサハ48形1953年度、1956年度、1959年度、1961年度に運転台取り付け改造され、クハ47057、059、061、063、065、067、069、070、071、072、073、074、076となりました。
3)サロハ66改造車
車体長20m級の二三等合造付随車で52形に属する形式サロハ66形から018、019が1952年にクハ47形に改造され、021、022になりました。サロハ66020はサハ48036に改造された後、1958年3月に飯田線に転用、その際に運転台取り付け改造がなされ、クハ47025になりました。1959年12月の番号整理でクハ47025、021、022は150番台となり、151、153、155となりました。
4)モハ30復旧車
1950年8月24日
に身延線内船~寄畑間の島尻トンネル内で全焼したモハ30173を復旧し、クハ47023とし、1959年12月の番号整理で47011となりました。
13両のサハ48形1953年度、1956年度、1959年度、1961年度に運転台取り付け改造され、クハ47057、059、061、063、065、067、069、070、071、072、073、074、076となりました。
5)クハ58形改造車
関西省電42系に分類されるクハ58形001-025のうちから、戦時改造を受けず、戦災に合わなかった9両がクハ47形に編入され、100番台となりました。

1963年から1964年かけて、クハ47002、072、073は3扉化改造を受け、クハ68200番台になりました。

といった複雑な歴史を経て、1975年時点での身延線、静ヌマのクハ47形の配置は
クハ47
0番台 001,003,005,006,007,008
50番台 051,053,055,057,059,061,063,065,067
100番台 100,106,110,112
でした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月 4日 (金)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その4 身延線貨物とEF15

身延線貨物機の話題、今回はEF15です。
Ef15_4_770923 1977/9/23 身延 EF15 4
所謂、「福米型」として1951年から1952年にかけて奥羽本線福島-米沢間直流電化用に改造された1~12号機の中の1両で正面扉上のツララ切りが特徴 甲府機関区配置の最若番機

EF15はEF10から始まったEF級貨物機の集大成として1947年から1958年まで202両が大量製造されました。旅客用のEF58とは台車、電気機器など主要部品が共通化され、旧形電気の標準型という位置づけになりました。

Ef15_49_770923 1977/9/23 身延 EF15 49

甲府機関区には1977年から配置され1984年3月末まで活躍しました。その間の配置データです。

1978/3/31 4,5,7,8,21,41,42,43,44,49
1979/3/31  5,21,41,42,43,44,49,71,72,105
1980/4/1    21,44,72,73,105,116,117,118,136,137,197,198
1981/4/1    72,105,117,118,136,137,168,192,193,197,198
1982/3/31  72,118,136,137,149,168,192,193,196,197,198
1983/3/31  118,137,149,183,192,193,194,195,196,197
1984/3/31  183,192,193,194,195,196

時間の経過とともにメンバーが変化し、若番機が陶太されているのが分かります。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月 3日 (木)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その3 身延線貨物とEF10

1977年9月の身延線の旅では笛吹川橋梁付近と富士駅でEF10牽引の貨物列車を撮影しました。

Ef10_13_770923_2 1977/9/23 東花輪~甲斐上野間 EF10 13号機牽引の貨物列車665レ

EF10は鉄道省がEF52,EF53の実績を下に基本設計はそのままで貨物牽引向けに1軸方式の先・従台車を採り入れ、1C-C1の軸配置で1934年から1942年にかけて量産した貨物用機関車でした。特に1号機から16号機まではEF53と似たリベット組立、庇付きの車体、17号機から24号機は当時流行の半流線形車体、そして25号機以降は簡素な角形溶接車体でデビューしました。

Ef10_28_770923_1a 1977/9/23 富士駅 EF10 28牽引の貨物列車665レ

関門トンネル電化区間用として25号機以降が製造されたことや海水による腐食対策としてステンレス外板車体に改造されたことも有名です。

1965年以降は関東地区に集結となり、EF65が増備されると甲府機関区や豊橋機関区に転属となり、身延線や飯田線で活躍しました。

手元に1975年から1977年にかけての甲府機関区のEF10の配置データがあります。

1975年3月31日 7,8,9,10,11,15,17,18,19,26,27,28
1976年3月31日 8,9,10,11,15,18,19,26,27,28
1977年3月31日 8,9,10,13,28,34,36,37,38,39

EF10の身延線配置グループも1977年暮れまでには姿を消しました。

Dsc07791 2018/12/15 富士
現在の富士駅の貨物ホーム 手前は東海道本線熱海方向上り線4番線ホーム

身延線の貨物列車、EF10が転属する前は輸入機デッカー、国内形式ED50などから改造機ED17が牽引していたようです。身延線で活躍する姿はこちらのサイトに写真があります。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月 2日 (水)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その2 甲府駅の変貌

身延線の旅、まずは甲府駅の変貌からです。

現在の甲府駅からは想像ができませんが、1984年に貨物取り扱いが廃止されるまでは駅構内の北側には甲府機関区が存在し、南口ロータリーの西側には1面2線の貨物ホームや貨車仕分け線が存在しました。

183_770923_2 1977/9/23 甲府駅 跨線橋上からの眺め

183_770923 3番線 ホームに停車する甲府発 新宿行き 「あずさ」 183系0番台
現在の「かいじ」に相当する運用 貨物列車の奥にEF64の姿も見える

中央本線には東から順番に八王子、甲府、上諏訪、木曽福島、中津川と機関区が存在していました。これは中央本線が急勾配の山岳路線であり、当時の蒸気機関車ではこれくらいの間隔で水と石炭の補給が必要だったからでしょう。

Ed61_15_16_770923_2
手前の乗用車は2代目 P型コロナ 我が家の最初の自家用車と同型の車体
Ed61_15_16_770923
中央線での活躍は終焉に近づき、飯田線でのED62としての新たな活躍のために転用待ち状態のED61や休車のEF10の姿が見える甲府機関区

1987年の国鉄民営化後、1988年にコンテナ取り扱い駅として竜王駅が整備され、甲府機関区跡地は2005年から本格的に整備され、NHK甲府放送局や甲府地方合同庁舎が設置されました。

3133100_v13_131231 2013/12/31 甲府
甲府駅に到着する身延線JR東海313系3100番台

Ef64_37_070329_2 2007/3/29 甲府駅に常駐するEF64 37号機

Dsc07739 2018/12/15 甲府駅に常駐するEF64 1053号機
今はEF64も1000番台に代替わり

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2019年1月 1日 (火)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その1 概要

明けましておめでとうございます。

本年もどうか宜しくお願い致します。

2018年12月15日青春18切符を利用して、国分寺~高尾~甲府~富士~熱海~東京~国分寺の循環ルートで身延線全線の旅を楽しみました。

身延線に関しては1977年9月23日に同じルートで身延線を全線乗車したのが最初で、その後、富士側から123系の撮影公園保存蒸気の撮影で富士宮あたりまで乗車したことはありましたが、全線乗車は1977年9月以来となりました。

1977年9月23日の旅程

吉祥寺531~高尾614/615~甲府746 機関区など撮影
甲府757~東花輪820 笛吹川橋梁へ EF10貨物665レ 
東花輪927~身延1022 身延駅構内散策  EF15
身延1256~源道寺1251 駅で撮影  身延線電車
源道寺1401~富士1418 駅で撮影 EF10貨物673レ、身延線電車 東海道線貨物列車

19750310 1975/3/10 改正の身延線列車ダイヤ 交友社「電気機関車快走」から

2018年12月14日の旅程

国分寺841~八王子900/902~高尾909/920~甲府1052
甲府1054~(3630G)~富士1352/1430~熱海1509/1512~東京1647/1654~国分寺1730

1977年9月の旅では貨物列車等の撮影も考慮し、途中下車して沿線での撮影もしましたが、今回は3630Gから下車すると後続の電車の間隔が空くこともあり、甲府から富士まで連続乗車しました。

1977年は身延線において大きな変化があった年でした。同線の貨物列車牽引を担当してきた電機がEF10からEF15に置き換えられ始めた時期でした。さらに電車の方でも1974年からモハ72系のアコモ改良版として113系もどきの車体を載せたモハ62、クハ66が投入されていました。こういった車両を記録すべく、身延線撮影旅行に出かけました。

身延線は私鉄の富士身延鉄道が開通させた路線で、江戸時代から明治時代中期まで富士川舟運による物流が盛んだった時代に東海道の岩淵宿(富士川の河口付近、現在の富士市岩淵)から富士川に沿って北上し、市川大門を経由し、甲府に至るルートが中央本線のルートとして構想されました。しかし中央本線のルートは八王子経由となり、1901年に開通しました。それでも駿甲鉄道敷設計画は存続し、1911年に甲州財閥系資本家による富士身延鉄道と身延参詣客の輸送を目的とした身延軽便鉄道計画が持ち上がり、1913年、前者の計画に従って富士~大宮町(現在の富士宮)間が蒸気鉄道として開業しました。1920年5月18日には身延まで延伸しました。1927年6月27日、富士~身延間が電化されました。

富士身延鉄道の経営状態は良くなかったため、運賃も高く沿線住民は国営化を望んだそうで、身延以北は政府が建設することに決まりましたが、1923年に関東大震災が発生し、政府が建設することは不可能となり、国有鉄道の規格で富士身延鉄道が建設し、1928年に甲府まで全通しました。ちなみに甲府まで開業した時点で全線電化されました。

1938年、路線は鉄道省が借り上げ、1941年には国有化されました。1960年頃から日蓮正宗の総本山大石寺参詣への臨時列車が増えた関係で輸送力増強と国道一号踏切対策で富士駅東側での分岐を西側に改め、高架化、富士~富士宮間複線化工事が開始され1974年9月27日に完成しました。

このシリーズでは

1)1977年と2018年の甲府駅
2)身延線の貨物列車
3)身延線の旧国
4)東海道線富士駅で撮影した貨物列車 といったテーマを考えています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »

カテゴリー

2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村