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2019年3月31日 (日)

曇り空の下 吾妻橋から業平橋、東京スカイツリータウン、そして押上へ

2019年3月29日の花見の続きで、吾妻橋から押上へ向かいました。

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押上に向かうと言うことはスカイツリーの足下へ向かってあると言うことで

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浅草通りを歩いていると業平橋という表示が見えて来ます。この橋は大横川に架かる橋で、大横川は工場などの地下水の汲み上げで地盤沈下が激しかったため、川自身は埋め立てられ、現在は親水公園となっています。

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そして大横川が東武スカイツリーラインと並行に流れる北十間川と合流する辺りには船の形をした施設もあります。

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スカイツリーの足下まで来ると、かつて業平橋駅だった「東京スカイツリー駅」に到着します。

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ここまでの行程を案内地図で見ると東武の東京スカイツリー駅がかなり大きな駅であることが分かります。
しかし今回の目的地は半蔵門線の押上駅なのでもう少し歩かなければなりません。

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東京スカイツリー駅から東へ370m程歩いたところに半蔵門線の押上駅に入る入口あります。

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線路的には東武線の場合は、曳舟駅~押上、曳舟~東京スカイツリーという関係になっており、ややこしいですが、押上と東京スカイツリー両駅間は極めて近いことがよく分かります。さらに両駅を繋ぐような位置関係で都営地下鉄~京成線の押上駅が存在します。
ここから半蔵門線に乗車し、九段下に向かいました。

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2019年3月30日 (土)

隅田川の桜 曇り空に満開

2019年3月29日金曜日、先の月曜日に続いてつくばから小平に向かうルートで寄り道し、東京の桜の名所、隅田公園周辺を歩いてみました。

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桜まつりとして多くの花見観光客で賑わっていました。

Dsc09105_1 まずは吾妻橋からスタートです。橋の東岸には東京スカイツリーやアサヒビール関係のビルが見渡せます。

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この案内板にあるように吾妻橋(大川橋)は江戸時代の安永3年(1774年)両国橋、新大橋、永代橋について4番目に隅田川に架けられた橋で民間が架けた民営の橋のため武士を除く利用者から渡賃2文が徴収され、維持費に充てられたそうです。

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まずは東岸、墨田区役所前の広場の桜が見事です。左は勝海舟(安芳)の像です。

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東武スカイツリーラインは北十間川に沿って走り、隅田川を渡り、浅草駅に入りますが、急カーブなので入線待ちの関係で電車はかなりスピードを落とし、且つ頻繁に通過します。北十間川の水門もあります。上を通のは首都高速向島線。

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Dsc09145 首都高速の下、隅田川の堤防と墨堤通りに挟まれた道の桜並木が言問橋、桜橋まで続きます。桜のピンクのみならず、黄色、白色、そして緑と色鮮やかです。

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墨堤通りを渡り、隅田公園、牛島神社の中の桜、朝から花見をしている集団がいました。

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言問橋から 隅田川東岸の桜並木、桜橋の少し先まで続いています。

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言問橋を渡り、隅田川西岸のこの辺りは花川戸と言われていますが、東岸に較べると規模は小さいものの桜並木が続いています。

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桜の樹木としての寿命を考慮し、如何に再生するか努力が続けられています。

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吾妻橋西詰からスタートして牛島神社に寄り道して、言問橋で西岸に戻るルートを歩きました。この後、押上まで歩き、メトロ半蔵門線で九段下に向かいました。

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2019年3月29日 (金)

2018年10月の関西旅行 再び三岐鉄道三岐線を近鉄富田で

昨日の鈴鹿線往復の後、近鉄名古屋線で名古屋に向かいましたが、近鉄冨田では三岐鉄道三岐線を少し撮影しました。

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2018/10/7 近鉄冨田 近鉄側の駅名標

Dsc06661同駅上り線と背中合わせの三岐線ホームの駅名標

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2018/10/7 偶々、入線していたのは黄色とオレンジの三岐カラーからDENSO SPAR PLUGsスペシャルマーキングになった101-102編成(元西武クモハ402-クモハ401)でした。

近江鉄道の820系同様に三岐線にも赤電(801系805F、元西武701系781F)が登場しているようで、またこの方面に旅行する機会があればお目にかかりたいものです。

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2019年3月28日 (木)

2018年10月の関西旅行 近鉄鈴鹿線の旅

2018年10月の関西旅行、近鉄大阪線で伊勢中川へ抜け、名古屋線で伊勢若松へ、分岐している近鉄鈴鹿線に乗車しました。現在は近鉄の一路線となっている鈴鹿線ですが、伊勢若松から伊勢神戸(いせかんべ)(現、鈴鹿市)までは1911年11月10日に設立され、明治時代中期に三重県伊勢地方中域、特に沿岸部の鉄道開発に力を入れた伊勢鉄道(国鉄伊勢線から第三セクタ化された現、伊勢鉄道とは無関係)が敷設した路線でした。

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伊勢電気鉄道の社章

1915年9月10日、最初に開業したのが一身田町~白子間で、最終的に桑名~大神宮前82.7km(宇治山田市に存在した駅)が本線に、1925年12月20日には現在の鈴鹿線の一部である伊勢若松~伊勢神戸間(3.9km)が開業(神戸支線に)、1929年10月1日には養老電気鉄道を合併し、桑名~揖斐間(57.6km)を養老線としました。1926年9月11日、社名を伊勢電気鉄道と改称しました。1936年5月20日、養老線は養老鉄道に譲渡され、同年9月15日、参宮急行電鉄と合併し、本線は名古屋伊勢本線となりました。桑名~名古屋間が開通したのは1938年6月26日参宮急行電鉄 の子会社関西急行電鉄の手によるものでした。1940年1月1日に関西急行電鉄が参宮急行電鉄に合併され、同年8月1日に養老電鉄を合併しました。1941年3月15日、参宮急行電鉄 が大阪電気軌道に合併され、関西急行鉄道となり、1944年6月1日、 関西急行鉄道 が南海鉄道と合併して近畿日本鉄道となりました。 戦後の1947年6月1日、旧南海鉄道の路線が南海電鉄に分離され、現在の近畿日本鉄道 となりました。

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2018/10/7 鈴鹿線の分岐駅 伊勢若松駅の駅名標

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2017/8/5 鈴鹿線から伊勢若松駅に到着する2000系2016F

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伊勢若松駅4番線が鈴鹿線ホームですが、このホームは本線の退避列車も入線します。

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2018/10/7 神戸線時代の終点、鈴鹿市駅の駅名標

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終着駅、平田町に接近 シンプルな線路

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駅前で周辺地図を撮影し、乗ってきた電車で戻ったので滞在時間は数分でした。

何度聞いても複雑な近鉄成立の過程ですが、鈴鹿線は三重県鈴鹿市神戸本多町にあり、神2戸藩の藩庁が置かれた神戸城の城下町神戸町に通じる支線として敷設されました。1959年11月23日、名古屋線の改軌に合わせて全線標準軌に改軌されました。

1950年代、鈴鹿市の工場誘致に合わせて通勤輸送のために平田町まで延伸され(伊勢若松から8.2kmの営業キロ)、線名は鈴鹿線に、伊勢神戸駅は鈴鹿市駅となりました。

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2019年3月27日 (水)

3月最終週、四谷から九段下にかけて桜見物

3月も早、最終週になり、東京も桜の季節到来ですが3月25日、月曜日、小平からつくばへの移動の際に皇居周辺の桜の様子を見てきました。


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2019/3/25 四ツ谷  この道はソフィア通りというそうですね。


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2019/3/25 四ツ谷 上智大学の横、土手の桜


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土手に登り、丸ノ内線ホームを見るとちょうど2000系03Fが入線していました。2000系は2月19日から運行が開始されました。


続いて、一番町を通り英国大使館の横を抜けて、千鳥ヶ淵の交差点から戦没者墓苑と千鳥ヶ淵の間の緑道へ


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毎年恒例の千代田さくら祭りの公式ガイドブックが配られており、千鳥ヶ淵緑道のライトアップは27日から4月7日までとのことです。


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このように満開状態の木もありましたが、


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堀の周りの桜が満開になるのは今週末あたりかと感じました。


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緑道の桜も七分咲きでした。


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好天でかなりの人出がありましたが、平日でもあり8割方は外国人観光客のようでした。


今週末の好天が期待されます。


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2019年3月26日 (火)

2018年10月の関西旅行 近鉄大阪線青山峠越え

2018年10月の関西旅行、伊賀神戸からは近鉄大阪線に乗り換え、「近鉄の峠」と言われる青山峠を越えました。


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2018/10/7 東青山駅駅名標と案内板 ここでは特急列車の2本通過待ちのため長時間停車となりました。


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2018/10/7 東青山 駅のホームからトンネルの山の方を見上げると風力発電の風車が見えました。


かつて大阪の人間が伊勢詣りする際は初瀬街道を通り、最大の難所は布引山系を超える青山峠でした。
伊賀鉄道の歴史でも登場しましたが、大阪電気軌道は伊勢への進出を図り、1927年9月28日、参宮急行電鉄を創立し、桜井~宇治山田間97.5kmの建設を進めました。この工事においても最大の難所は全長3432mの青山トンネルの掘削で1930年8月6日に完成しました。これにより、同年12月20日から大阪上本町~山田(現、伊勢市)間で大軌~参急直通の急行運転が開始されました。1931年3月17日には、宇治山田まで延伸、1932年1月1日には大阪上本町~宇治山田間を2時間で走破する特急の運転も開始されました。


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上下とも各停が特急の通過待ちを行い、阪名、阪伊などの特急が駆け抜けてゆきます。


桜井~宇治山田間の約6割は複線で開通しましたが、青山峠を越える山岳地帯の名張~伊勢中川間41.7kmは単線でした。将来の複線化に向け、複線仕様で建設された構造物も存在し、1959年から開始した輸送力増強のための複線化では大いに役立ちました。しかし、最後まで残されたのが青山峠を含む8か所の単線区間でした。そういった矢先の1971年10月25日、総谷トンネル内で上下特急列車が衝突する事故「通称:青山トンネル事故」が発生しました。


事故の概要:青山トンネル東口手前200mの地点で上本町発名古屋行き特急電車114列車(12200系12202F・12000系12001Fの4両編成)がATS故障のために誤停止しました。同日、青山トンネルを通過した上り5本、下り1本の列車が同様の緊急停止事故に遭っており、原因究明のため信号保守要員が現場に派遣され、地上子関連の検査を行ったものの原因が掴めず、当該要員や東青山駅助役が中川信号区に計測機器等を現場に持ってくるように連絡していました。114列車運転士はATS解除操作をおこなったもののブレーキが解除できず、停止地点は下り33‰勾配のため、車輪に手歯止めを挟み、各車両の供給コックをカット、ブレーキシリンダーのエアを全部抜くという非常措置を行いました。


列車停止を聞いて東青山駅から駆け付けた助役が運転士とのやり取りの後、手歯止めを抜いてしまい、運転士は供給コックのカット解除を怠り、運転室に戻り、ブレーキを解除したため、114列車は走り出し、エアの再充填が出来ないまま、ブレーキの効かない状態で33‰の下り坂を暴走、15:58頃、東青山~榊原温泉口間にあった垣内東信号所の安全側線を120km/h以上で突破、脱線転覆、本線への切通しへと転落しました。3両目以降は総谷トンネル入り口付近の壁に激突して停止しましたが、先頭2両は横転した状態でトンネル内に突入しました。運悪く、対向してきた賢島発京都・近鉄難波行き特急1400N・1400K列車(12200系12226F・10100系C編成10118F・18200系18205Fの7両編成)が前方の異変に気付き非常制動をかけたものの、間に合わず正面衝突しました。これにより、乗客20名、両列車の運転士2名、車掌2名と東青山駅助役の5名の25名が死亡、重軽傷者227名を出す大惨事となりました。


その後の事故調査から事故の発端となったATSの故障はATS電源装置のヒューズ端子締め付けナットの緩みからくる接触不良と判明しました。


山間のトンネル内での事故のため復旧に時間がかかり、10月29日午前1時に復旧し、同日始発より運転が再開されました。この事故で12200系12202Fおよび12000系12001Fの4両が廃車となりました。この4両は製造から2-4年の車両でした。


この事故が引き金となり、複線化は加速され1975年11月23日、西青山~垣内東信号所間8.2kmの複線化完成で大阪線の全線複線化が実現しました。


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2019年3月25日 (月)

東横線、地下鉄日比谷線で活躍していた頃の東急1000系

先日の記事で紹介しましたように2018年10月の関西旅行では近江八幡からの帰途、伊賀鉄道を初めて利用しました。同線では元東急1000系が譲渡され、200系として2両編成で5編成活躍中でした。

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2013/1/19 多摩川 1001F

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2013/1/19 祐天寺 1002F

1000系は現在も1500番台(1000N'系)として池上線・東急多摩川線で活躍中ですが、2013年3月16日の東横線と東京メトロ副都心線との相互直通運転開始と同時に営業運転を終了しています。今回は数少ない写真から、東横線、日比谷線時代の活躍を振り返って見ようと思います。

1000系は1986年3月9日に営業運転を開始した20m4扉車、9000系の設計を基本に18m級3扉車として開発されました。また1991年まで東横線からの営団日比谷線乗り入れ車両として運用されていた初代7000系の後継車両という位置づけで導入されました。さらに池上線の7200系の後継としての位置づけもあり、こちらは1000N'系と呼ばれました。その結果、1988年から1992年にかけ、8両編成8本(64両)、東横線・目蒲線兼用に4両編成4本(16両)、池上線向けに3両編成11本(33両)の計113両が東急車輌製造で製造され、1988年12月26日から運用に就きました。

主要諸元
最高運転速度 85 km/h(池上線)80 km/h(東急多摩川線)110 km/h(東横線)80 km/h(日比谷線)
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 3.5 km/h
減速度(常用) 3.5 km/h/s(東急線内)4.0 km/h/s(日比谷線内)減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 3両編成 385(座席136)人 8両編成 1,060(座席392)人
車両定員 先頭車 125(座席44)人 中間車 135(座席52または48)人
自重
・1001F - 1008F: 制御車 25.7 t 電動車32.7t
・1000N'系:クハ1000形 29.5 t デハ1200形 32.5 t デハ1310形 33.8t ※1000N系編成車は異なる
編成重量 247.6 t(1001F - 1008F)95.8 t(1000N'系)
全長 18,000 mm
全幅 2,800 mm
全高 3,990 mm 4,000 mm(パンタグラフ付車両)
台車 ボルスタレス台車 TS-1006・TS-1007
主電動機 かご形三相誘導電動機 TKM-88
主電動機出力 130 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 85:14 (6.07)
制御方式 VVVFインバータ制御
制御装置
(GTOサイリスタ素子)ATR-H8130-RG621A(1C8M/4M兼用)ATR-H4130-RG636A(1C4M専用)
(IGBT素子・1500番台) SVF091-B0
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ
保安装置 東急形ATS・TASC(池上線・東急多摩川線用)ATC-P・東急形ATS(東横線用)

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表1 元住吉検車区配置 1000系 8両編成 編成表

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2013/1/13 祐天寺 1005F

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2010/4/17 北千住~南千住 1004F

制御装置はGTOサイリスタ素子による東洋電機製造製ATR-H8130-RG621A形(素子耐圧4,500V - 3,000A)がM1車に搭載されています。この制御装置は世界初のヒートパイプ冷却式1C8M方式で以後、各車に普及しました。東横線の8連は両端クハ以外は全て電動車でMT比率は高いものの制御器は1C8Mのためコストダウンが図られています。

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表2 元住吉検車区配置 1000系 8両編成 編成表

1990年に東横、目蒲線兼用の1010F~1013Fが4両編成で増備され、東横線では1010F+1011F、1012F+1013Fの組み合わせで運用されました。この4連は1000N系と呼ばれ、8連として6M2Tになるように片側は制御電動車となっていました。デハ1200形、デハ1310形は1C4M方式となりました。8両編成時に、中間に入るデハ1310、クハ1000は貫通幌を繋げるため、中央貫通路方式(顔)となりました。

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表3 1010Fと1011Fの編成組換えで誕生した8両編成

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2013/1/13 自由が丘 1008F

日比谷線を介しての相互乗り入れにおいて東急1000系は乗り入れ協定、および保安装置装備の関係から東武伊勢崎線に乗り入れることはありませんでした。一方で、定期列車では走らない、渋谷~中目黒間、菊名~元町・中華街間に、事故などでダイヤが乱れた場合に乗り入れたり、多客時輸送で「みなとみらい号」として乗り入れることはありました。


2003年7月から8月にかけ、1010Fと1011Fの8両固定化組換えが実施され、デハ1310とクハ1011をデハ1362、デハ1363に置き換え、デハ1363は電装解除して、サハ1050形1051とし、SIVやCPの移設も実施されました。クハ1011、デハ1310は休車となりました。これら2両は6年に及ぶ長期休車の末、伊賀鉄道に譲渡されク102+モ202になりました。

1006Fは日比谷線乗り入れ運用の減少で2009年3月に運用離脱し、

3月 デハ1256、デハ1456→廃車・解体
11月 クハ1006、デハ1206→伊賀鉄道に譲渡     ク104+モ204に
2011年2月 デハ1406、クハ1106→伊賀鉄道に譲渡  モ203+ク103に
2012年1月 デハ1306、デハ1356→伊賀鉄道に譲渡  モ205+ク105に   となりました。 

1010F2008年9月に日比谷線減便で運用を離れ、中間車6両は解体、クハ1010、デハ1310は伊賀鉄道に譲渡され、ク102+モ202となりました。
1003F2012年に運用離脱し、2013年に総合車両所へ甲種回送されました。
1003F,1005F,1007Fデハ1400形、デハ1450形から1403、1405、1407、1453、1455、1457が一畑電車に譲渡され、1000系となりました。
1005Fのデハ1305、デハ1255が上田電鉄に譲渡され、2015年3月にデハ6001-クハ6101として竣工しています。

これら以外に1014F以降の池上線用等の車両で地方私鉄に譲渡された車両もありますが、それらは別記事にて触れる予定です。

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2019年3月24日 (日)

2019/3/23 勝田の戻ったE653系 K70編成 初の東京方面運用を撮影 「舞浜・東京ベイエリア号」

かつて常磐線の特急「フレッシュひたち」として活躍していたE653系2013年3月のダイヤ改正でE657系に置き換えられ、7両編成は羽越・白新線特急「いなほ」(U100番台編成、1000番台)に、4両編成は2015年3月14日ダイヤ改正で新潟-直江津-上越妙高・新井間の特急「しらゆき」(H200番台編成、1100番台)に充当されました。

E653data
表 勝田車両センター配置時代のE653系の編成データ

K301FからK307Fまではそのまま1000番台、U101FからU107Fにコンバートされましたが、U108FはK308のクハE653-8、モハE652/653-15, サハE653-8とK354のモハE652/653-20、クハE652-104 から組成されました。U101-U108Fでは8両のクハE652がクロE652となりました。

一方、K351FからK353Fはそのまま1100番台、H201からH203にコンバートされ、K354のクハE653-104とK308のモハE652/653-16とクハE652-8がH204になりました。

1000番台U100編成は日本海に沈む夕日と稲穂をイメージしたカラーリングに、1100番台H200編成はアイボリー基調に紫紺と朱赤のストライプ塗装となりました。さらに2017年からU106編成は海の色を表現した瑠璃色(2017/10/27)U107編成ハマナス色(2017/12/29)となりました。

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2016/3/5 勝田車両センター公開
同公開の際に展示された「いなほ」オリジナルカラー時代のU108編成

2018年11月7日U108編成は国鉄特急色に塗り替えられ、勝田車両センターに出戻り転入し、K70編成として団体・臨時列車等で運用されるようになりました。2019年2月2日に「快速E653系おかえり号」として水戸~いわき間で運転されたのを嚆矢に、これまで同センターが担当してきた舞浜・東京方面、鎌倉方面、高尾山方面等の快速列車などへの充当が見込まれました。

常磐線を南下して東京方面の初運用が3月23日、3月30日の「舞浜・東京ベイエリア号」と知り、武蔵野線経由で新松戸、南柏まで足を伸ばし、さらに新松戸から、舞浜、新木場で撮影してきました。


3月も後半に入り、暖かい日が続いていましたが、23日土曜日は冷たい雨の朝となりましたが、沿線には多くの撮影者がいました。

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2019/3/23 南柏
予定では安孫子発8:33で南柏通過が8:43でしたが、ちょうどホームに緩行線が入線しているときの通過となり、後追い写真となりました。
南柏で撮影後、すぐの常磐緩行線で新松戸へ、武蔵野線東京行きで舞浜に向かいました。快速列車は南流山でスイッチバックするためにこちらが先回り出来ます。

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2019/3/23 舞浜 予定より若干早めの9:32に到着しました。

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舞浜にて 151系、161系、181系、481系、483系、485系、キハ82系、キハ181系等であしらわれてきた、この羽のスタイルがE653系国鉄特急色でもオマージュとして描かれています。

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新木場にて 東京駅京葉線ホームから引き上げてくる回送列車、通過時刻は10:13でした。ここは遙か遠くから列車がカーブを曲がりながら接近してくるのが見えます。

E653系が常磐線から去ってから、一度だけ秋田で「いなほ」編成を写したことがありますが、まだU106FやU107Fは未撮影で、彼らが臨時等で京葉線沿線に来るときは是非記録しておきたく思います。

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2019年3月23日 (土)

2018年10月の関西旅行 伊賀鉄道の旅 3 車両について 200系の車内

昨日の記事で紹介した伊賀鉄道200系、今回の旅では伊賀上野から伊賀神戸まで204-104編成に通しで乗車しました。この編成は1989年製造の東急1000系デハ1206とクハ1006から2010年12月に改造、竣工した車両です。


200104-1810072018/10/7 伊賀上野

クハ104は元々、クハ1006からの改造のため、東急1000系のスタイルを維持しています。

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運転台は東急1000系のワンハンドルマスコン・ブレーキ運転台のままです。

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ワンマン運転対応のため、停車駅、料金表示のディスプレイが設置されています。

200204-181007

204の車内 伊賀上野から見て、左側の座席はクロスシートになっています。

200104-181007_2

一方、104の車内はロングシートです。


200104-181007-2

地方私鉄に譲渡された元東急の車両は吊革に東急百貨店の広告が残されていたりしますが、この車両では真っ白でした。

200204-181007-32018/10/7 伊賀神戸

デハ2041989年製、東急1000系デハ1206から改造されており、元は中間車のため、貫通扉がセンターの運転台が取り付けられています。さらにパンタが増設されており、前後のパンタの形態が違うのも特徴的です。


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2019年3月22日 (金)

2018年10月の関西旅行 伊賀鉄道の旅 2 車両について 近鉄860系から200系へ

伊賀鉄道の車両、1977年以前は1926年の全線電化以来、活躍していた川崎造船所製造の電動貨車モニ5181形、吉野鉄道のデハ1形(モ5151、モニ5161、クニ5431)などが使用されており、貨物営業ではデ1形、デ61形などの電気機関車が活躍していました。1977年の全車代替時に関西急行電鉄や近鉄が名古屋線向けに導入した5000系に替わり、1984年に近鉄の820系が狭軌線用に改造された860系、880系が導入されました。


200201-1810072018/10/7 上野市 200系 201F 種車はデハ1311-ク1010
前面は種車の非対称の貫通扉

近鉄の高性能車も1961年から1962年製造で2009年には登場から45年以上が経過し、老朽化したため、東急で使用されていた1000系を東急テクノシステム長津田工場で改造し、200系制御電動車モ200形-制御車ク100形の2両編成として5編成が導入されました。


200102-1810072018/10/7 桑町 200系 202F 種車はデハ1310-クハ1011 貫通扉は左右対称

200系 主要諸元

最高運転速度 65 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.5 km/h/s
車両定員 モ200形121人(座席43人)ク100形122人(座席39人)
車両重量 モ200形34.5t ク100形29.5t
全長 18,000 mm
全幅 2,800 mm
全高 3,990mm
パンタ付車両4,000 mm
台車 ボルスタレス台車 TS-1004形(モ205のみ)・TS-1005形(ク105のみ)・TS-1006形・TS-1007形
主電動機 かご形三相誘導電動機 TKM-88形 130kW
駆動方式 TD平行カルダン駆動方式
歯車比 85:14(6.07)
制御装置 VVVFインバータ制御(GTOサイリスタ素子)
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ
保安装置 ATS装置
備考 東京急行電鉄より2009年に購入の上、東急テクノシステムにて改造後導入。

200104-181007-4

2018/10/7 伊賀神戸 200系 204F 種車はデハ1206-クハ1006

200205-181007-2

2018/10/7 丸山 200系 205F 種車はデハ1306-デハ1356

1000系からの改造点

・行き先表示器 正面は字幕式からLED式に、側面は撤去
・正面のジャンパ栓受け 日比谷線直通関連の空気管、非常連結栓撤去
・モ200形の前部に下枠交差型パンタを増設、モ203は後部に同型パンタを増設、モ205は前部に菱形パンタを増設
・座席の一部を固定クロスシートに変更
・整理券発行機・運賃箱・運賃表示器を設置
・ク100形に車椅子スペースを設置
・各車に砂撒き装置を搭載
・201F、202Fは種車の1C8M制御器ではなく、他車の1C4Mを搭載

・補助電源装置は他車からSIV 120kVA を流用して搭載
・保安装置は近鉄式ATSに
・中間車から改造のモ203、205、ク105に運転台を取り付け、ク105は電装解除
・205Fの台車は東急9000系の台車を流用

施設側の変更点

860系よりも車体幅が広いため、各駅のホームを削る工事が施工されました。

今回は伊賀上野から伊賀神戸まで途中下車せずに乗り通したために、203Fに遭遇することは出来ませんでした。203Fは東急1000系の赤帯スタイルだと言います。また訪れる機会があれば、記録したいものです。


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2019年3月21日 (木)

2018年10月の関西旅行 伊賀鉄道の旅 1 路線について

2018年10月、最終日10月7日、日曜日は近江八幡から草津へ、草津線で柘植へ、関西本線で伊賀上野へ、伊賀上野から伊賀神戸まで、伊賀鉄道伊賀線(現在は忍者線)に乗車しました。


Iga Railway Logo.svg


伊賀鉄道の社章

Dsc06587

車内に掲示されていた路線図
伊賀上野を起点に伊賀神戸までの16.6kmの路線で軌間は1067mmの狭軌、電化方式はDC1500Vの全線単線です。駅数は両端駅を含めて14、閉塞方式は自動閉塞式です。営業中の区間は全て三重県伊賀市内となっています。

181007

伊賀上野駅の伊賀鉄道の発着するホームは関西本線の加茂方面ホームの反対側にあります。
伊賀鉄道に乗り継ぐ場合、近江八幡からSuica等のICカードで乗車している場合、まず伊賀上野駅の改札で清算し、

Dsc06600

このような乗車証明書をJR改札口で発行してもらいます。下車する際に伊賀鉄道の運賃を支払います。私は伊賀神戸まで乗車したので、伊賀神戸到着前に車内清算で支払いました。


Dsc06581

伊賀鉄道の200系の横を通過する関西本線のキハ120形列車
JR西日本の列車は画面の奥の方に停車します。

この線は現在は近畿日本鉄道の子会社の伊賀鉄道となっていますが、2007年3月までは近鉄の路線の一部でした。同線の開業以来の歴史を振り返ってみると

1916年8月8日  上野駅連絡所~上野町間が伊賀軌道として開業
1917年12月20日 社名を伊賀鉄道に変更
1919年10月1日 軌道法から地方鉄道法による鉄道に変更
1920年3月   上野駅連絡所を廃止、鉄道院伊賀上野駅に統合
1922年7月18日 上野町~名張(後の西名張)間が開業 全通
1926年5月25日 全線電化
1926年12月19日 伊賀電気鉄道に社名変更
1929年3月31日 近鉄の前身、大阪電気軌道に吸収合併 伊賀線となる
1929年4月1日 大阪電気軌道が伊勢進出のために設立した参宮急行電鉄が大阪電気軌道から貸借して営業
1930年10月10日 参宮急行電鉄が榛原~伊賀神戸間開業 名張駅は西名張に
1931年9月30日 大阪電気軌道が参宮急行電鉄に伊賀線を譲渡
1941年3月15日 参宮急行電鉄が大阪電気軌道と合併、関西急行電鉄に
1941年9月10日 上野町を上野市に改称
1944年6月1日 関西急行電鉄が近畿日本鉄道に社名変更
1945年6月1日 伊賀上野~西名張間営業休止1946年3月15日 同区間営業再開
1964年10月1日 同区間廃止 西名張の車庫は上野市に移転
2007年3月6日 近鉄が第一週鉄道事業廃止届を提出、伊賀鉄道が1926年以来復活 
2007年10月1日 伊賀鉄道に経営移行
2017年4月1日 近鉄が鉄道施設を、伊賀鉄道が車両を伊賀市に譲渡し、公有民営方式に移行

Dsc06603

Dsc06606
2007年までは近鉄の1路線でしたが、今は別会社となっているので近鉄ホームに入るためには改札を通らなければなりません。


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2019年3月19日 (火)

2019年3月16日 ダイヤ改正の話題 JR東日本 豊田区の209系1000番台運用開始 その2

2019年3月16日のダイヤ改正で松戸センターから豊田センターに異動となった209系1000番台がいよいよ運用開始したことは、既にレポートしました

Img_3086 2018/3/17 国分寺 4番線に入線する81編成

ただ、16日、17日は土曜、休日ダイヤでトタ81編成が97T運用で豊田~東京間を1往復しただけでした。18日から平日ダイヤでどうなるかチェックすると

81編成は平日の97運用で
┌東 京07100601豊 田 
└東 京07150827高 尾┐
┌東 京09500832高 尾┘
└東 京09541045立 川┐
┌東 京11411053立 川┘
└東 京11451245豊 田  
豊田から東京、高尾、東京、立川、東京、豊田と午前中の運用をこなし、

Dsc09000 2019/3/18 御茶ノ水に接近する82編成

82編成は平日の99T運用に入り、
┌東 京06540553豊 田 
└東 京06590813高 尾┐
┌東 京09400819高 尾┘
└東 京09441027小金井┐
┌東 京11131034小金井┘
└東 京11151220豊 田 
豊田から東京、高尾、東京、武蔵小金井、東京、豊田と同じく午前中の運用に入っていることがわかりました。

まずは東京に940ごろ到着予定の82編成を御茶ノ水橋の上から狙い、

Dsc09007 2019/3/18 神田

続いて神田駅の京浜東北線北行きホームから東京駅発944の82編成を狙いました。神田駅では京浜東北や上り・中央線快速による被りが心配されましたが、セーフでした。

この記事は本来、3月19日にアップする予定でしたがココログのメンテナンスで20日アップになりました。その後、19,20日の209系1000番台の運用をみると97T,99Tに限定されているようですね。

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2019年3月18日 (月)

2019年3月16日 ダイヤ改正の話題 西武鉄道 001系Laviewデビュー

2019年3月16日、西武鉄道でもダイヤが改正され、今回の目玉は新特急車両001系Laviewのデビューでした。

8両編成7本が製造される予定で現時点では2編成が納入されているようで、1本運用、1本が待機での運用が設定されています。

001_unnyou
表 2019年3月ダイヤ改正時の001系 運用

3/16に関しては初列車出発セレモニーなどの準備のため上りのむさし64号は10000系NRAで運転されるとのことで、私は池袋11:30発の「ちちぶ13号」を秋津で狙うことにしました。

Img_2934 2019/3/16
ほぼ予定された時刻に独特の球状先頭の車体が見えて来ました。

Img_2937
側窓の上下サイズが大きいため、乗客の全身が見えるのもこの車両の特徴です。

Img_2939

2019年度内に池袋線特急はすべて001系で置き換えられるとのことです。

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2019年3月17日 (日)

2019年3月16日 ダイヤ改正の話題 JR東日本 豊田区の209系1000番台運用開始

209系1000番台は常磐緩行線と帝都高速度交通営団千代田線の信号保安システム更新に伴う1999年12月4日のダイヤ改正から、同線で営業が開始された209系の番台区分編成で10両編成2本が投入されました。

Img_3034 2019/3/16 国分寺

従来の国鉄、JR車両同様に代々木上原から小田急線に乗り入れることはありませんでした。2016年3月26日のダイヤ改正でE233系2000番台が小田急線に乗り入れるようになってからはそれまでの同系との共通運用を解かれ、小田急に乗り入れない限定運用となり、先頭車前面にサークルEマークが添付されました。

Img_3041 E233系から見れば2世代前の車両がなぜバックアップに来るのかという感じですが・・・

一方、中央線快速のE233系0番台はグリーン車2両を、10両貫通編成は東京寄り4.5両目に2両、分割編成は6両編成の4,5両目に2両が組み込まれる予定で、4号車にトイレが設置される予定です。そのための工事で転出する編成のバックアップとして209系1000番台に白羽の矢が立ち、209系1000番台2編成は常磐緩行線から撤退することとなりました。

まず2018年10月13日に「ありがとう209系常磐線各駅停車引退の旅」が実施され、大宮総合車両センターに入場、マト81編成の帯がオレンジ色に変更され、11月15日、豊田車両センターに回送されました。マト82編成も2019年1月25日、大宮から豊田に回送されました。

その後、中央快速線で試運転が行われていましたが、両編成ともなかなか営業運用に入りませんでしたが、2019年3月16日、ダイヤ改正初日、81編成が97T運用で豊田~東京間を1往復営業運転しました。

┌東 京14591400豊 田 
└東 京15031603豊 田 

Img_3042 上り快速電車に被られましたが、ダイヤ改正初日の1往復を記録することが出来ました。

わたしも一体いつ運用に入るのか時々、チェックをしていましたが、ダイヤ改正から入るのかと、運用状況をネットで確認したら、16日土曜日午後から動きが合ったので、国分寺で狙うことにしました。

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2019年3月16日 (土)

2018年10月の関西旅行 公園保存蒸機 D51895号機 王寺舟戸児童公園

2018年3月に近鉄田原本線に乗車した際、新王寺駅を発車し、JR線をオーバークロスする際に公園に保存されているD51が偶然、目に入りました。今回の王寺訪問は田原本線100周年の8400系がメインでしたが、3月の旅行の後、保存車データを調べるとJR線と田原本線に挟まれた土地が公園(舟戸児童公園)になっており、その場所にD51895号機が保存されていることが分かり、10月の旅で訪問しました。

Dsc06529 集煙装置が残されています。

Dsc06527 2018/10/6 王寺舟渡児童公園 D51895号機

D51895     日立製作所笠戸工場=1833          
1944-05-10 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1944-05-10 製造→ 納入;
国鉄;D51895→ 配属;広島局→1944-05-00
配置;柳井→1946-06-01
岩国→1948-11-08
広島二→1950-01-28
津和野→
柳井→1950-06-12(6/11?)
鳥取→1954-05-23 集煙装置取付;後藤工場→1956-11-27 重油併燃装置取付;後藤工場→1958-09-18
福知山→1971-04-04(4/5?)
奈良→1972-10-04 二休指定→1972-11-07
廃車[工車1034];奈良→
保存;奈良県王寺町「舟戸児童公園」;D51895

Dsc06534
公園の説明板では少し省略して書かれていますが、沖田祐作氏の機関車表のデータでは奈良に来る前は広島からスタートして中国地方を転々としたことが分かります。ただ、広島工場特有のハの字エプロンや埋め込み式テールライト改造はなされていません。

機関車は屋根付きの場所に保存されています。

Dsc06546 前後の前照灯のガラスは欠損していました。連結器はお召し牽引機のように銀色塗装されていました。

Dsc06531 砂管はこういったパターンです。砂箱、蒸気ドームの後に重油併燃のタンクが乗っています。

Dsc06532 助手席側のキャブの前には灌水清浄装置が搭載されています。また、番号プレートの取り付け位置が低いのはタブレットキャッチャーでも付いていたのでしょうか?

Dsc06533 逆転器リンクの形状は穴の大きなタイプです。

Dsc06539 キャブ内も見学出来ましたが、メータ類のガラスはかなり破損していました。

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2019年3月15日 (金)

2018年10月の関西旅行 近鉄 王寺駅・新王寺駅

昨日のJR王寺駅に続いて今回は近鉄の駅の話題です。駅名が王寺新王子に分かれているのと両駅が同じ会社なのに改札内で繋がっていないのは以下のような歴史を持っているからです。

180324 2018/3/24

181006_2 2018/10/6

180324_2 2018/3/24

田原本線の駅、新王寺は2面1線のコの字型ホームです。駅舎はレトロ感満載です。

1918年4月26日大和鉄道が新王寺~田原本間を開業し、新王寺駅が設置されました。1922年5月16日信貴生駒電気鉄道が王寺~山下(現、信貴山下)間を開業した際に王寺駅が設置されました。1925年11月5日には信貴生駒電気鉄道が信貴生駒電鉄に路線と駅を譲渡しました。1961年10月1日、大和鉄道と信貴生駒電鉄が合併、さらに1964年10月1日には信貴生駒電鉄が近鉄に合併し、現在の体制となりました。

180324_3 2018/3/24

180324_4 2018/3/24
新王寺駅から西方に150mほど歩いたところにある生駒線の王寺駅
こちらは1面2線の島式ホームです。

似た例を挙げると

中央線国分寺駅も1889年4月11日甲武鉄道が新宿~立川間を開通させた際に開業し、1894年12月21日川越鉄道(現、西武国分寺線)が開業して乗り入れ、1910年には東京砂利鉄道(後の下河原線)が開業し、1928年4月6日多摩湖鉄道(現、西武多摩湖線)が開業し、乗り入れました。川越鉄道は武蔵水電、帝国電灯、武蔵野鉄道、旧西武鉄道と合併などで名前を替え、多摩湖鉄道は武蔵野鉄道と合併、さらに旧西武鉄道と合併して、国分寺線、多摩湖線は同一会社の路線となり、王寺駅のような、問題は解消していました。国鉄時代は少なくとも国分寺線は改札なしで乗り換えが可能でした。

近鉄の場合、田原本線を乗り継ぐ形で生駒から橿原神宮方面、あるいは逆方向に移動する場合、同じ日なら乗り換え時間無制限で乗車距離は連続で計算するルールがあります。

今回、王寺駅までやって来たのは3月の訪問で撮れなかった田原本線開業100周年で登場したレトロカラーの8400系を撮るためで、運行状況については近鉄のアプリでは色物編成までは分からないので、新王寺駅の改札口で駅員に尋ねたところ、教えてもらうことができました。幸い8409,8414編成ともに運用に入っていました。

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2019年3月14日 (木)

2018年10月の関西旅行 JR王寺駅

2018年10月の関西の旅、2日目は近江鉄道、信楽高原鐡道に乗車した後、草津線、東海道線、奈良線、関西本線と乗り継ぎ、奈良から王寺に向かいました。

181006 2018/10/6 関西本線(大和路線)のホームの駅名標

181006_2 和歌山線ホームの駅名標

王寺駅はJR西日本と近鉄が乗り入れている奈良県有数のターミナル駅で、JR西日本は関西本線と和歌山線、近鉄は生駒線、田原本線が乗り入れており、田原本線の駅は新王寺となっています。同じ会社の2路線が乗り入れていますが両駅は直線距離で100m程離れており、改札は別々、駅名も違う点がユニークです。尤も、近鉄田原本線の反対側のターミナルも西田原本駅として橿原線の田原本駅から西に離れた場所に存在していますが。

王寺駅は1890年12月27日、初代の大阪鉄道が奈良~王寺間を開業した際に終着駅として開業しました。1891年2月8日には大阪鉄道は稲葉山仮停車場(現、三郷(関東には「みさと」という駅がありますが、こちらは上の写真のように「さんごう」です)まで、さらに3月1日には高田まで延伸(現在の和歌山線)ました。1900年6月6日関西鉄道が大阪鉄道の路線を承継したため、王寺駅も関西鉄道の駅となりました。その関西鉄道も1907年10月1日に国有化され、国有鉄道の駅となりました。1909年10月12日、線路名制定で関西本線所属駅となりました。

181006_4 ホームにある信貴山の鳥居のレプリカ

わたしの個人的体験では1976年3月、大学2年の春休みでしたが家族で奈良県、和歌山県を旅行し、初日は奈良市内を見学、市内の旅館の泊り、奈良から国鉄で王寺に、王寺駅で駅弁(ご飯とおかずが分けられたタイプ)を購入し、和歌山線で橋本へ、さらに高野山に向かいました。

181006_3 2018/10/6 王寺駅の電留線

王寺駅の歴史で一番印象に残っているのは1982年8月の台風10号による集中豪雨で大和川が氾濫し、構内の電留線が水没、停留中だった101系6両編成10本60両と113系40両が被災し、101系54両が廃車になったことです。このため、首都圏で廃車待ち状態だった中原電車区の101系(カナリア色)54両が急遽、関西に送られ、また車両不足に対処するため、和歌山線にはDE10牽引の50系客車列車が運転されたそうです(情報はこちら)。

201_136_181006 2018/10/6 3番線ホームの関西本線・大和路線 201系 ND612編成

105_tc5_181006_2 2018/10/6
5番線ホームで出発を待つ103系1000番台改造の105系 SW008編成

117_320_181006 2018/10/6 和歌山線方面から王寺駅に到着する117系 SG005編成
以前、和歌山の117系を紹介したときとは違い完全に単色の塗装です。

221_04_181006_2 電留線で休む221系 NA421編成

わずか1時間程度の滞在の間にJR西日本の国鉄型車両を見ることが出来るのも今の王寺駅の特徴かもしれません。

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2019年3月13日 (水)

阪和線向けに投入された205系1000番台の活躍  

JR西日本は1988年、阪和線の輸送力増強用に205系1000番台を投入しました。

2051000_920314 1992/3/14 天王寺

      クハ  モハ  モハ   クハ
      205     205    204     204
H401   1001  1001  1001  1001
H402   1002    1002   1002    1002
H403     1003    1003   1003    1003
H404     1004    1004   1004    1004 
H405  1005  1005   1005    1005 

編成番号は2010年代頃からHHになりました。

製造は全車近畿車輛でした。1988年3月13日のダイヤ改正からの予定でしたが、実際には改正前の2月22日から営業運転に入りました。

2051000_080226 2008/2/26 和歌山

国鉄時代に明石電車区に投入された0番台と較べていくつかの変更点があります。

<走行機器関連> 
歯車比を変えずに営業最高速度を上げるために最高回転数5100rpm(従来のMT61は4600rpm)主電動機WMT61A形に変更しました。
台車は円錐積層ゴム支持方式のWDT50G、WTR235Gになり、高速走行を考慮してヨーダンパ取り付け準備工事済みのものに、基礎ブレーキ装置もディスクブレーキ用のライニングと踏面ブレーキ用の制輪子の形状を変更し、高速対応用となりました。また両ブレーキの負担率を従来の7:3から6:4に変更しました。これらの変更により、0番台との併結はできません。
補助電源装置はMGからSIV(WSC23形160kVA)を搭載しました。
連結器に関してクハの前位側は自動解結装置を設置するための準備工事がなされ、後位側は半永久式の棒状連結器となり、胴受けが廃止されました。

2051000_081212_4 2008/12/12 鳳
スカートが強化型になっています。

<車体関連>
前面窓のレイアウト変更で運転士側の窓幅が縮小され、助手席側が拡大され、下方向に250mm拡大されました。ガラスの大きさが異なるため、ワイパーは非連動式となりました。客席側からの展望を考慮して機器の位置を下げ、乗務員室背面仕切り壁窓も拡大されました。出入扉窓の天地寸法も拡大し、室内を明るくしました。
座席は一人分の掛け幅(従来車の場合1750;1300mmから1780, 1340mmへ)が拡大され、上部の網棚が金網式からパイプ式になりました。
エアコンは外気導入方式のWAU75H形になり、屋根上の通風器は各車2台となりました。
車体側面には放送スピーカが2基設置されました。

2011年度から開始された体質改善工事、1000番台ではHH401編成から開始されました。

2051000_1002_160903_2 2016/9/3 鳳
前面窓ガラスに車体番号が描かれ、ベンチレータが撤去されています。

以前の記事で触れましたように2016年夏から阪和線に225系5100番台が投入され、同年12月までに全編成が運用を離脱、2017年10月から2018年2月にかけ、吹田総合車両所奈良支所に転属となり、2018年3月17日の改正から奈良線で同じスカイブルーの帯色で運用に就きました。

        クハ  モハ  モハ   クハ      転入月日
         205     205    204     204
NE401   1001  1001  1001  1001    2017/10/7
NE402   1002    1002   1002    1002    2017/12/13
NE403     1003    1003   1003    1003    2018/1/26
NE404     1004    1004   1004    1004    2017/10/5
NE405    1005    1005   1005    1005    2018/2/3

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2019年3月12日 (火)

国鉄時代に関西に投入された205系0番台の活躍  4 二度目の阪和線時代

国鉄時代に関西に投入された205系0番台の話題、今回は2013年から2018年にかけての2度目の阪和線時代です。

4編成とも同様に日根野に転属し、2014年1月から帯もスカイブルーに戻され、さらに前面帯下と乗務員室扉に細いオレンジ線2本が追加されました。オレンジ線2本は1000番台と区別し、最高速度が異なることを意味していました。サハは、2015年9月9日付けで4両とも廃車されました。

205_36_160902 2016/9/2 天王寺 クハ205-36他6連

205_38_160902_2 2016/9/2 天王寺 クハ205-38他6連

←天王寺    クハ  モハ  モハ  モハ  モハ  クハ  
                  205     205      204     205      204     204
HI601          35      103      103     104      104      35
HI602          36      105      105     106      106      36
HI603          37      107      107     108      108      37
HI604        38 109 109    110      110      38

2018年3月17日のダイヤ改正で阪和線の全快速・普通列車が223・225系で統一されるため、205系の同線での運用が終了し、最初に1000番台、続いて0番台がモハユニットを1ユニット外し、奈良区に転属し、NE401~NE404編成となりました。外されたモハユニットも全て廃車となりました。

←奈良     クハ  モハ  モハ  クハ

NE401    35      103      103      35
NE402
        36      105      105      36
NE403
        37      107      107      37
NE404
        38      109      109      38

帯色はウグイス色にはならず、現時点ではスカイブルーのままで、オレンジ線付きで運用されています。

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2019年3月11日 (月)

国鉄時代に関西に投入された205系0番台の活躍 3 京阪神緩行線への復帰:宮原区時代

関西地区に配置された205系0番台のヒストリー、今回は2011年3月から2013年3月まで宮原区に配置され、再び京阪神緩行線に7連で復帰した時代です。

205_111227
205_111227_3 2011/11/27 東淀川

205_111227_2

205_111227_3_2 2011/11/27 吹田

205_c4_111227
205_111227_3_3 2011/11/27 塚本
京阪神緩行線に復帰はしたものの運用は平日の朝ラッシュ時限定で区間も限られており撮影に苦労したのを憶えています。

2011年3月12日の改正から朝ラッシュ時限定で京都・高槻~大阪・尼ヶ崎間の運用に投入されました。

←京都  クハ  モハ  モハ  サハ  モハ  モハ  クハ
       205     205      204      205      205     204      204
C1           35     103      103       69       104     104       35
C2         36     105      105       70       106     106       36
C3         37     107      107       71       108     108       37
C4         38     109      109       72       110     110       38

この転属で帯色は207系、321系に準じた濃紺オレンジになりました。

205_120915

2012/9/15 新大阪

(追記)この時期、落成から25年が経過しており、2011年度からC2編成を嚆矢に体質改善工事が施行されました。2年ほどかけて4編成全車完了しましたが、サハ205に関しては日根野再転属で余剰になることが分かっていたので工事個所は一部省略(*)されました。

内容は前面スカートの取替え、前面、側面の行先表示器のLED化(*)、運行番号表示器の撤去、側面客用扉下部の黄色着色、ベンチレータの撤去(*)、車外スピーカの新設などでした。
車内は化粧板、床敷物の取替え(*)、バリアフリー化、座席横の袖仕切り上部仕切り板新設(*)、座席端、ドア横手すりの黄色着色、ドア下部の滑り止め加工の変更、戸袋側への黄色マーキング、ドア上部のLED式車内案内表示器(千鳥配置)、ドアチャイム追加、ドアガラスUVカット複層ガラス化、吊皮大型化、増設、連結面貫通扉の交換(*)、側窓カーテン交換などが実施されました。

しかし、この運用も2年しか続かず、2013年3月16日の改正で京阪神緩行線での運用を終了し、まずC1編成がサハを抜かれて阪和線に復帰しました。サハは吹田本所に保留車として留置されました。以後、4編成とも阪和線運用に復帰しました。

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2019年3月10日 (日)

国鉄時代に関西に投入された205系0番台の活躍  2 日根野区へ最初の転属

昨日の記事に続き、関西地区に投入された205系0番台のヒストリー、京阪神緩行線から最初の阪和線への転属です。2006年から2010年にかけて時代です。

阪和線では7両編成の運用は存在しないため、サハ205形を組み替え、6両と8両編成各2本としました。

←天王寺 クハ  モハ  モハ  サハ  サハ  モハ  モハ  クハ
       205     205      204      205      205      205     204      204
K801         36       105     105       69       70       106     106       36
K802         38       109     109       71       72       110     110       38

205_080226_2 2008/2/26 日根野 8両編成の快速運用

←天王寺 クハ  モハ  モハ  モハ  モハ  クハ  
                205     205      204     205      204     204
K601          35      103      103     104      104      35
K602          37      107      107     108      108      37

205_081212 2008/12/12 鳳 6両編成の運用

日根野転属時に大阪環状線に転属した201系同様にスカートが強化され、スカートに書かれた車番も消去され、方向幕も交換されました。

2010年12月1日までに225系5000番台が日根野電車区に配置され、さらに2011年3月のダイヤ改正で直通快速が207系・321系に置き換えられることを見越し、205系0番台編成は7連に戻され、宮原総合運転所に転出しました。

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2019年3月 9日 (土)

国鉄時代に関西に投入された205系0番台の活躍  1 明石電車区時代

昨日の記事で奈良線に活躍の場を移した205系が登場したましたが、今回からは205系の関西での活躍の歴史に触れたいと思います。

まずは国鉄時代に東海道・山陽本線(京阪神緩行線)に投入された0番台、7両編成4本のヒストリーです。

1986年に製造され、1986年11月1日ダイヤ改正から明石電車区に配置されました。メーカはA02編成が日本車輛製造以外は全て川崎重工業です。

国鉄時代に製造された205系の最終バージョンでJRになって製造された車両はモハ205/204は-121から、クハは-41からサハは-81から付番され、欠番が生じました。

仕様は山手線に投入された車両と同じですが、ATCは搭載されず、ATS-Sが搭載されました。そのため乗務員室背面仕切り壁は130mmから80mmに薄くなり、背面仕切り窓が拡大されました。

←京都  クハ  モハ  モハ  サハ  モハ  モハ  クハ
       205     205      204      205      205     204      204

                        FR     MG/CP              FR   MG/CP
A01          35     103      103       69       104     104       35
A02          36     105      105       70       106     106       36
A03          37     107      107       71       108     108       37
A04          38     109      109       72       110     110       38
          FRは界磁添加励磁制御装置

205_870224_3 1987/2/24 大阪 投入間もない頃でスカートはまだ装備されていません。

205_870224 1987/2/24 新大阪

205_20438_020621_2 2002/6/21 大阪 福知山線運用 スカートが装備され番号が書かれました。

205_20537_050708 2005/7/8 東淀川

205_20435_050823 2005/8/23 千里丘

京阪神緩行、そして福知山線運用にも入りましたが、321系の投入で2006年2月7日までに全車が運用を離脱し、網干総合車両所明石品質管理センターから日根野電車区に転出しました。

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2019年3月 8日 (金)

2018年10月の関西旅行 JR奈良線 その2

1984年10月1日の電化以降、奈良線には昨日の記事にあるように、

105系 1984/10/1-1994/9/4

113系 1984/10/1-1994/3/22   

そして

117系 1991/3/16-2001/3/2    が投入されていました。

103系は105系に代わり、1994年9月から奈良線に投入され、今日まで活躍して来ました。その103系も2018年3月17日のダイヤ改正で吹田総合車両所日根野支所から205系が転属してきたために、長年に渡る活躍の最終段階に差し掛かっているようです。

205_36_181006 2018/10/6 山城多賀 クハ205-36 他4連 HE402編成

205_36_181006_2 クハ205-36 の運転台 

日根野からの転属で6連から1ユニットを除いて4連で転属しています。7連時代のサハはまだ吹田車両所本所内に留置されているのでしょうか。

関西の205系について拙Blogで触れるのは初めてですが、国鉄時代の1986年11月1日のダイヤ改正で東海道・山陽本線(京阪神緩行線)に7両編成4本(28両)の205系0番台が当時の明石電車区に投入されました。名目は福知山線・山陰本線の電化開業用でした。

2051000_1001_181006_jr 2018/10/6 JR藤森 クハ204-1001他4連 HE401編成

2051000_1003_181006 2018/10/6 京都 クハ205-1003他4連 HE407編成

さらに民営化後の1988年にJR西日本が阪和線向けに1000番台4両編成5本(20両)を当時の日根野電車区に投入しました。

その後、1000番台は長らく阪和線で活躍していましたが、0番台は2011年3月の改正で宮原電車区へ、さらに2013年3月に再び、日根野電車区へと転属し、編成長、帯色などにも変化がありました。その辺の経緯は別記事で触れます。

221_15_181006 2018/10/6 宇治 みやこ路快速 クモハ221-15他 NA404編成

221_22_181006 2018/10/6 宇治 普通 クモハ221-22 他4連 NA411編成

一方、221系2001年3月3日のダイヤ改正から117系に代わって投入され、「みやこ路快速」としての活躍も始まりました。同改正では京都~JR藤森、宇治~新田間が複線化され、JR小倉駅が開業しました。

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2019年3月 7日 (木)

2018年10月の関西旅行 JR奈良線 その1

2018年10月の関西旅行では、京都から奈良まではJR奈良線を利用し、奈良から王寺まで行き、近鉄田原本線の車両を撮影しました。そこで今回からの記事では国鉄、JR奈良線について触れてみようと思います。以前、103系シリーズで一度奈良線で活躍中の103系に触れており、そのときの内容と重複します。

奈良線、桜井線などを建設、運営した奈良鉄道の紋章

120913_2 2018/10/6 奈良線ホームの駅名標
奈良線のラインから―である茶色となっています。

奈良線は木津を起点に京都までの路線距離34.7km、部分的に複線の単線電化路線(幹線)です。駅数は両端駅を含めて19で、京都から木津方面が下りとなっており、運用は関西本線奈良駅まで乗り入れています。また、木津駅も京都府であることから奈良線とは言え、全線京都府内の路線です。

181006 2018/10/6 京都駅は8~10番線が奈良線ホームとなっています。

1879年8月18日、官営鉄道(東海道本線の一部区間)として京都~稲荷~大谷間(13.09km)が開業しました。後にこの区間は奈良線に

1895年9月5日、奈良鉄道が京都~伏見間を開業、同年11月3日、桃山まで延伸 (後にこの区間は近鉄京都線に)
1896年1月25日、玉水まで、同年3月13日木津まで、同年4月18日、奈良まで開業し全通
1897年4月1日 京都駅を七条駅に改称
1905年2月7日、路線を関西鉄道に譲渡
1907年10月1日 関西鉄道が国有化
1908年8月1日 七条駅を京都駅に統合
1909年10月12日 線路名制定で京都~木津間が奈良線、木津~奈良間は関西本線に

181006_jr

181006_jr_2 京都からJR藤森までは複線ですが、ここから先は単線となります。

1921年8月1日 京都~伏見間が廃止され、伏見~桃山間の旅客営業が廃止となり、東海道本線の京都~稲荷間が奈良線になりました。さらに稲荷~桃山間に新線が開業しました。

1928年11月15日 伏見経由の旧線の廃線跡を利用して奈良電気鉄道が京都~桃山御陵前間を開業 同年11月3日には桃山御陵前~西大寺まで開業しており、大阪電気軌道の西大寺~奈良間に乗り入れして京都~奈良間が全通しました。

奈良電気鉄道が京都~奈良間に電車を走らせてからというもの、非電化の奈良線は、運行頻度や所要時間の上で勝負にはならず、直通需要が大きく奪われました。

105_841207_2
105_841207 1984/12/1 京都駅 電化直後の奈良線電車 105系
105系オリジナル顔と常磐緩行線103系1000番台から改造されたクハ105が活躍していました。
1994年9月4日、関西空港の開港日ですが、この日で奈良線から105系は退き、桜井線、和歌山線運用のみとなりました。

113_840325 関西本線色の113系
和歌山線の運用ですが、これと同じタイプの車両が奈良線でも活躍していました。

1955年2月15日に全列車が気動車に、1975年12月19日、自動信号化、1982年3月CTC導入、1984年10月1日に漸く京都~木津間が電化されました。

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2019年3月 6日 (水)

2018年10月の関西旅行 SL北びわこ号12系客車

2018年10月の関西旅行、10月6日土曜日は近江鉄道、信楽高原鐡道に乗車した後、貴生川から草津線に乗り、草津へ、草津から京都方面に向かいましたが、草津駅では関東の人間にはあまりなじみのない、と言っても存在は知っていましたが、「SL北びわこ号」の客車に遭遇しました。

Dsc06508

2018/10/6 草津 

Ef65_1128_181006_2 牽引機はEF65 1128

SL北びわこ号はJR西日本が滋賀県湖北地域の観光振興とSLの動態保存運転を目的に1995年8月19日から運行を開始した列車で、2010年には乗車人数が25万人を超えた人気列車です。

運転区間は北陸本線米原駅-木ノ本駅間の22.4kmで、現在は米原発10時9分、木ノ本着10時52分(停車駅は、長浜、虎姫、河毛、高月)のダイヤ設定で運行されています。牽引は梅小路機関区のC56160、C571などが担当しましたが、最近はD51200の担当となっています。客車は網干総合車両所宮原支所所属の12系客車5両で全席指定、定員は424名、乗車するには普通乗車券と指定席券(520円)が必要です。

Dsc06512

12系 編成番号 KB
←米原                                                                                   木之本→ 
スハフ12-129 オハ12-352 オハ12-346 オハ12-345 オハ12-341 スハフ12-155
車両番号データはこちらから

ちなみに2019年の運行計画は3月10日、9月8日、15日、22日、10月13日、20日、27日、11月3日、10日(いずれも日曜日)となっています。機関車の形式に関して3月10日はD51200号機となっており、9月以降は現時点では未定とのことです。

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2019年3月 5日 (火)

2018年10月の関西旅行 信楽高原鐡道 信楽駅

再び信楽高原鐡道の話題に戻り、今回は駅シリーズとして信楽駅の紹介です。

Dsc06476

2018/10/6 駅舎の表札 これも信楽焼?

駅の開業は1933年5月8日、国鉄信楽線の駅として開業していますが、1943年10月1日から1947年7月24日までは戦時下の不要不急線指定で営業休止に追い込まれていました。

Img_0908 2018/10/6 信楽駅 奥の方が貴生川方面

駅は対面式2面2線のホームですが、乗客はもっぱら駅舎側のホームから乗り降りしており、

Dsc06503 反対側のホームは大量のたぬきの置物が並べられており、車両の夜間滞泊等に用いられています。

Img_0911 線路終端側 引き上げ線になっています。

Dsc06472 駅横の格納庫
この日はSKR401,SKR501が運用に就いており、SKR311,SKR312が庫内で休んでいました。

Dsc06459 駅前には大きな信楽焼のたぬきの像

2004年9月30日までは信楽町が存在し、10月1日付で水口町、土山町、甲賀町、甲南町が合併し、甲賀市になりました。

Dsc06475

私が訪問した10月6日土曜日も駅前で信楽焼の「陶器祭り」が開かれていました。恐らくこの時期の週末は毎週開かれているのではないかともいます。

Dsc06462
何と言っても信楽焼で有名でこれは付近の丘陵から良質の陶土が産出し、奈良、山城などの畿内と東海地方を結ぶ交通路にあり、茶湯の中核として発展した京、奈良に近いことから、茶陶信楽焼の発展に繋がったと考えられています。

Dsc06468
信楽焼は陶器と磁器の中間に位置する炻器(半磁器、焼締め)で1100℃から1250℃で焼成され、施釉(模様を付けること、後に釉薬をかけ表面をコートします)や絵付けをせず、地肌の風合いを鑑賞するもので、日本には古墳時代に伝わり、須恵器と呼ばれました。信楽焼以外では備前焼、丹波焼、大谷焼などが有名です。

この方面では美濃焼が有名で圧倒的なシェアを誇っているようですが、美濃焼以外に伝統的な焼物が存在することを紹介するために「六古窯」が選ばれています。

それらは

瀬戸焼  愛知県瀬戸市

常滑焼  愛知県常滑市

越前焼  福井県丹生郡越前町

信楽焼  滋賀県甲賀市

丹波立杭焼 兵庫県篠山市今田町立杭

備前焼  岡山県備前市伊部          です。

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2019年3月 4日 (月)

西武新特急車両001系Laview お披露目イベント@西武球場前駅 その2 001系車内の様子

3月2日001系お披露目イベント、昨日の記事に続いて今回は車内の様子です。

Img_2832
展示されたのは001系A編成で製造銘板はこのように車内に掲示されています。

Img_2823 2019/3/2 西武球場前

まず先頭車の車内ですが、客席からの前面展望、これまでの特急車両5000系10000系では前面展望は望めませんでしたが、001系ではこのように車内から運転席を通して前方、あるいは後方が展望できるようです。もっとも正丸トンネル等ではシャッターが下ろされると思いますが。また各車両に写真のような大きなディスプレイが搭載されています。

Img_2847
シートはイエロー地でこの色の採用は西武電車の色をイメージしたものだそうです。背もたれと座面が一体化し、体を包むような作りになっています。

Img_2817
1号車(飯能より先頭車)には車椅子対応シートのためシートが1列になっている部分があり、このバリアフリー設備が車両の半分を占めています。

Dsc08756
航空機の座席のようなテーブルがセットされています。

Dsc08746
サイドテーブルは展開させるとこのようになります。

Img_2842
シートの背には網状のサックとドリンクホルダーが付いています。

Img_2853
天井は緩やかなアーチを描いています。

Img_2828
車内はWiFiに対応しています。

Img_2839
8両編成の設備が示されています。1号車と5号車に車椅子対応、トイレ、AED等いろいろな設備が集中しているのがわかります。

Img_2852
ドアの上には防犯カメラも設置されています。

Img_2812
1号車の多目的トイレ

Img_2835
5号車の男子用小便器

Dsc08753_2
5号車のトイレ 個室内部の様子

Dsc08751
洗面台の様子

Dsc08752
顔の細部のチェックのためのミラーも付いています。

Dsc08760
室内の最大の特徴は、側窓が大きいことでシートの座面のラインが側窓の下辺と同じ高さです。壁の色とおなじ色のカーテンが装備されています。

2019年度末までには池袋線の特急はすべて001系に置き換えられる予定とのことです。

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2019年3月 3日 (日)

西武新特急車両001系Laview お披露目イベント@西武球場前駅 その1 展示車両と001系車体外観

2019年3月16日のダイヤ改正でデビューする西武鉄道の新型特急車両001系 Laviewのお披露目イベントが3月2日土曜日、3日日曜日の2日間西武球場前駅で開催されました。

Dsc08765 2019/3/2 西所沢 イベント案内ポスター

Dsc08738西武球場前駅
同駅は1~6番ホームが狭山線、7,8番ホームが山口線(レオライナー)ですが、イベントに合わせて

Img_2884 3番線には20000系 20103F

Img_2804
4番線には10000系 10105F レッドアロークラッシック、5番線には本日の主役001系A編成

Img_2882
6番線には 9000系 9102Fが入線していました。

さらに1番線では狭山線西所沢~西武球場前間、あるいは池袋からの直通電車としていつもの2000N系4連の他

Img_2808 40000系 40104Fや

Img_2887 6000系 6114Fなども見られました。

今回の記事では001系の外観の様子を紹介します。

Img_2810
001系の最大の特徴はこの半球状の前頭部の形状でしょう。そして側窓は足下まであることでしょう。

 

Img_2811 側面のLaviewの表示と編成、車両記号の表示はこの位置にあります。

 

Img_2874 シングルアームパンタグラフ

 

Img_2871 車両連結部 側窓の大きさが分かります。編成記号がアルファベットなのは西武では初めてでしょう。

 

Img_2870 車両連結部 ステップは斜めに取り付けられています。

 

Img_2867 Img_2866 列車種別、行き先表示も車体に合ってシックな感じです。

 

Img_2864
池袋より先頭車までは行けませんでしたが、側窓は中間車では片側8個です。

 

明日の記事では車内の様子を紹介します。

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2019年3月 2日 (土)

2018年10月の関西旅行 信楽高原鐡道 列車衝突事故

信楽高原鐵道に触れる上で1991年5月14日に発生した事故に関して避けて通ることは出来ません。

陶芸の里、信楽町では4月20日から5月26日までの予定で「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」が開催され、信楽高原鐵道では線路容量を遙かに超える来場者輸送に追われていました。イベント実行委員会は約1年前の1990年3月に信楽高原鐵道とJR西日本に対して鉄道による人員輸送の協力を要請し、信楽高原鐵道は旧来の設備を2億円かけて改修し、路線の中間部に小野谷信号所を設け、運行本数を倍増させる工事を実施しました。

Img_0928再掲ですが、信楽方面からみた小野谷信号所

さらに信楽高原鐵道では閉塞方式を票券閉塞式から特殊自動閉塞式に変更しました。しかしCTC(列車集中制御装置)は設置せず、信号や分岐器の動作は列車の運行によって決まるシステムでした。貴生川と信楽間で列車が行き違えるのは無人の小野谷信号所のみでした。また信号機のシステムは両端駅の貴生川、信楽の出発信号機が進行状態になり、列車がそれぞれ出発して、信号場に到着すると、反対側の閉塞区間の進行が許され列車が交換できるシステムでした。

Dsc06483 2018/10/6 信楽

駅の一角に1991年5月14日の事故に関するコーナー(セーフティしがらき 1997年4月30日にオープン)があり、臨時快速のHMなど事故関連のものが展示されています。

Dsc06485
事故当日、信楽駅から貴生川に向かって出発しようとした534DSKR200形4両編成)が出発信号機を青信号にしようとSWを操作しても赤信号のままで切り替わりませんでした。列車は正しく信楽駅に到着しているにも拘わらず、小野谷信号所~信楽間の運転表示は「下り」のままで上り(貴生川方面)に切り替わりませんでした。それまで何回か発生していた信号トラブルを疑って、代用閉塞である指導通信式で、指導員を添乗させ、11分遅れで発車させました。

本来、代用閉塞を行う際は閉塞区間の両端に駅員を配置し、対向列車の閉塞区間への進入を抑止しなければいけませんが、係員が小野谷信号所に自動車で到着する前に534Dを発車させていました。

Dsc06489

Dsc06484
一方、貴生川からは京都発信楽行き、JR西日本の直通臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」(キハ58系3両編成)が乗り入れており、小野谷信号所の信号が青なのでそのまま小野谷~信楽間の閉塞区間に進入し、534Dと正面衝突してしまいました。

この事故で先頭車キハ58 1023(1967年製造)が前部が押し潰され、全長の1/3が上方に折れ曲がり、SKR200形先頭車は2両目とキハ58形に挟まれ原形を留めない程押し潰されました。JR西日本側は乗客30名、信楽高原鐵道側は乗客8名、乗員(運転士と添乗の職員の4名)計42名が犠牲となり、614名が重軽傷を負う大惨事となりました。特に臨時快速列車は定員の2.8倍の超満員であったため、人的被害が甚大なものとなりました。

事故の遠因となった信号トラブル(信楽駅から上り貴生川に向けて出発できない)は信楽高原鐵道とJR西日本が近畿運輸局の認可を得ずに信号制御の改造を実施し、両社間で意思疎通が行われていなかったことが原因とされました。さらに信号トラブルが発生していたにも拘わらず、それを運輸局に報告せず、またトラブルを乗務員にきちんと周知していませんでした。

代用閉塞時における駅員の配置等、異常時の運用方法に関する人的訓練が信号所設置で閉塞方式が変化してからの時間の短さなどもあり十分に行われず人的ミスを起こしてしまったことも事故に繋がりました。

第三セクター鉄道として経営陣が鉄道に関する知識に疎く、運行保安に対しての意識、知識が欠如しており、信号システムに関しても施工業者に丸投げしていたことも今回の事故の誘因となりました。

この事故以降、それまでは航空機事故などで設置されていた事故調査委員会が鉄道分野でも設けられるようになりました。また、事故直後から全国の単線区間での運転方式が見直され、JRから第三セクター線への乗り入れ運転が有田鉄道、鹿島臨海鉄道などで中止となりました。

小野谷信号所は事故を契機に使用中止となり、特殊自動閉塞方式も従来のスタフ閉塞として1991年12月8日に運行が再開されました。現在も同信号所は使われておりません。

「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」は5月26日までの会期を残していましたが、事故翌日から休止となり、そのまま終了となりました。

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2019年3月 1日 (金)

2018年10月の関西旅行 信楽高原鐡道 車両編 その2 SKR400 SKR500

信楽高原鐡道の車両、今回はSKR400SKR500です。この両形式は私が訪問した日、運用に入っており、車外、車内とも観察することができました。

SKR400形SKR401は2015年9月19日、老朽化したSKR301の置き換えのため導入されました。それまでの富士重工製ではなく新潟トランシス製NDCシリーズで同鉄道にとっては初の18mクラス車です。

Skr401_181006_2
Skr401_181006 2018/10/6 貴生川 SKR401

主要諸元

設計最高速度    95 km/h
編成定員    122(50)人
括弧内は座席定員
自重    31.6 t
全長    18,500 mm
車体長    18,000 mm
全幅    3,093 mm
車体幅    2,900 mm
全高    3,947 mm
車体高    3,660 mm
床面高さ    1,150 mm
車体    普通鋼
台車    前位:NF01PD 後位:NF01PT
車輪径    860 mm
固定軸距    2,100 mm
台車中心間距離    13,000 mm
機関    横形直噴式ディーゼルエンジン DMF13HZ
機関出力    243kW(330 PS)(連続定格)
変速機    TACN-33-1608形液体変速機
変速段    変速1段、直結3段
搭載数    1基 / 両
制動装置    電気指令式空気ブレーキ(二重)
保安装置    ATS-SW2 EB装置

車体の塗装は「"陶都 信楽"の伝統を鉄道により未来へつなぎ、四方を山に囲まれた高原の風景に溶け込むデザイン」をコンセプトにしており、信楽焼の色味と高原の紅葉をイメージした茶褐色に金色の線が3本入っています。3本の線は「産・官・民」を意味しています。

Skr401_181006_3 SKR401の車内

座席はロングシートで、4位側車端部に車椅子スペースが設置され、扉には開閉式予告チャイムが設置されました。ワンマン運転対応の設備として運賃箱、整理券発行機、LED式行先表示器が備えられています。

動力系は新潟原動機製DMF13HZディーゼルエンジン1基とTACN-33-1608液体変速機からなり、貴生川方の動力台車を駆動します。砂撒き装置、フランジ塗油器、列車情報制御装置(TICS)も装備され、全電子制御方式のため併結相手は現在のところSKR500形のみとなっています。

暖房装置はエンジン排熱を利用した温風式、冷房装置は機関直結式18kwタイプが2台搭載されました。

Skr501_181006_3 2018/10/6 貴生川 SKR501

Skr501_181006 SKR501の車内 

Skr501_181006_2 SKR501 運転室内

Skr501_181006_4 SKR501の行先・運賃等表示器

貴生川~紫香楽宮跡間が如何に離れていて、そこから先の駅間が短いかこの料金から想像できます。

SKR500形SKR501は2017年2月登場で、車体、動力系等はSKR400形と同一です。塗装は山をイメージした緑色に、座席は転換式クロスシートとなっています。4位側車端部に車椅子スペースが設置され、扉には開閉式予告チャイムが設置されました。

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