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2019年3月28日 (木)

2018年10月の関西旅行 近鉄鈴鹿線の旅

2018年10月の関西旅行、近鉄大阪線で伊勢中川へ抜け、名古屋線で伊勢若松へ、分岐している近鉄鈴鹿線に乗車しました。現在は近鉄の一路線となっている鈴鹿線ですが、伊勢若松から伊勢神戸(いせかんべ)(現、鈴鹿市)までは1911年11月10日に設立され、明治時代中期に三重県伊勢地方中域、特に沿岸部の鉄道開発に力を入れた伊勢鉄道(国鉄伊勢線から第三セクタ化された現、伊勢鉄道とは無関係)が敷設した路線でした。

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伊勢電気鉄道の社章

1915年9月10日、最初に開業したのが一身田町~白子間で、最終的に桑名~大神宮前82.7km(宇治山田市に存在した駅)が本線に、1925年12月20日には現在の鈴鹿線の一部である伊勢若松~伊勢神戸間(3.9km)が開業(神戸支線に)、1929年10月1日には養老電気鉄道を合併し、桑名~揖斐間(57.6km)を養老線としました。1926年9月11日、社名を伊勢電気鉄道と改称しました。1936年5月20日、養老線は養老鉄道に譲渡され、同年9月15日、参宮急行電鉄と合併し、本線は名古屋伊勢本線となりました。桑名~名古屋間が開通したのは1938年6月26日で参宮急行電鉄 の子会社関西急行電鉄の手によるものでした。1940年1月1日に関西急行電鉄が参宮急行電鉄に合併され、同年8月1日に養老電鉄を合併しました。1941年3月15日、参宮急行電鉄 が大阪電気軌道に合併され、関西急行鉄道となり、1944年6月1日、 関西急行鉄道 が南海鉄道と合併して近畿日本鉄道となりました。 戦後の1947年6月1日、旧南海鉄道の路線が南海電鉄に分離され、現在の近畿日本鉄道 となりました。

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2018/10/7 鈴鹿線の分岐駅 伊勢若松駅の駅名標

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2017/8/5 鈴鹿線から伊勢若松駅に到着する2000系2016F

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伊勢若松駅4番線が鈴鹿線ホームですが、このホームは本線の退避列車も入線します。

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2018/10/7 神戸線時代の終点、鈴鹿市駅の駅名標

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終着駅、平田町に接近 シンプルな線路

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駅前で周辺地図を撮影し、乗ってきた電車で戻ったので滞在時間は数分でした。

何度聞いても複雑な近鉄成立の過程ですが、鈴鹿線は三重県鈴鹿市神戸本多町にあり、神2戸藩の藩庁が置かれた神戸城の城下町神戸町に通じる支線として敷設されました。1959年11月23日、名古屋線の改軌に合わせて全線標準軌に改軌されました。

1950年代、鈴鹿市の工場誘致に合わせて通勤輸送のために平田町まで延伸され(伊勢若松から8.2kmの営業キロ)、線名は鈴鹿線に、伊勢神戸駅は鈴鹿市駅となりました。

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コメント

B 767-281様今晩は。つかの間関西も終了して帰路についています。明日は職場から引っ越し荷物をいよいよ出します。さて話は飛びますが、奈良線の103系まだ動いていました。クハ103-215の編成を目撃しました。何と山手線に初めて投入された量産冷房車の先頭車両。今後どうなるか注目です。近鉄と関わりなくて失礼しました。

細井忠邦さま、おはようございます。

奈良線の103系の情報、ありがとうございます。しかも先頭は低運転台、ブタ目の-215ですか。わたしが高校の頃、初めて山手線で見て、わずか11か月後にはATC準備工事車置き換えで関西に移った車両ですね。
ここまで頑張ったのですから、何とか保存して欲しいものですね。

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