開花後、低温の日々が続いたため長持ちしている東京の桜 上野恩賜公園
今年の東京の桜は3月21日、木曜日に開花し、翌週には満開も迎えたましたが、それ以後4月1日、月曜からの週は比較的低温の日が続いたため、葉桜にならず、離層が形成されるのも遅かったせいか、4月6日、7日の週末にまで散らずに残っています。
ということで5日、金曜日はつくばからの帰りに上野恩賜公園によってみました。
上野恩賜公園、通称「上野の森」「上野の山」と言われますが、地形的には武蔵野台地の末端の舌状台地で総面積は53万㎡あり、公園内には博物館、動物園など多くの文化施設が存在します。
江戸城の丑寅の方角、鬼門封じのため江戸時代徳川家光の時代、1625年に東叡山寛永寺が建立され、天海僧正(1536-1643)が随所に桜の木を植えたのが今日に伝わる桜の名所となったとのことです。因みに庶民似桜の花見が許されたのは根本中堂、玻璃殿が完成した1698年、元禄年間でした。
寛永寺は徳川幕府の墓所として権勢を誇りましたが、1868年戊辰戦争で幕府軍の彰義隊が立て籠もり、新政府軍が包囲殲滅したため、伽藍は焼失、一帯は焼け野原となりました。明治時代になり、医学校と病院の建設予定地として上野の山を蘭医A.ボードウインが視察した際に公園として残すように明治新政府に働きかけ、1873年、日本最初の公園に指定されました。
2019/4/5 小松宮彰仁親王銅像
鳥羽伏見の戦いにて征東大将軍として参戦し、さらに会津征討越後口総督として戊辰戦争に従軍、西南戦争の際に負傷者救護団体、博愛社が創立されると総長に就任し、後年赤十字社に改名後は総裁として赤十字活動の発展に貢献されたそうです。
私が到着したのは朝8時前でしたが、すでに多くの花見客がおりました。千鳥ヶ淵などと同じでその大半は外国人観光客でした。
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