国分寺にある電車開通記念碑
昨日の記事では甲武鉄道開業130年キャンペーンの話題に触れましたが、甲武鉄道の電車開通記念碑が国分寺にありますので、こちらも紹介しておきます。
1889年に新宿~立川~八王子まで開業しましたが、当初は蒸気運転でした。1894年10月に新宿~牛込、1895年4月に牛込~飯田町と路線が延伸しました。旅客数は増加の一途を辿り、1904年8月21日には飯田町~中野間が電化され、我が国の普通鉄道で初めて電車運転が行われました。因みに我が国の電車運転の歴史は1895年の京都市電からスタートしています。
その電化が国分寺まで延伸したのが1922年(大正11年)のことでこの碑は同年11月21日に建てられたそうです。
碑文にも出てくる札の丘というのはこの辺の地名のようで、電車開通と札の丘15年を兼ねて碑が建てられたのでしょうか。
碑が建っているのは国分寺駅から約300m北方の本町2丁目、しかもメインストリートから1本中に入った場所です。なぜこんな場所にと言うのが多くの方の疑問のようで、ネットで調べてもその謎は解決されていないようです。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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B 767-281様お早うございます。巷では中央線130年で騒ぎになっていますが、成る程本線からはかなり離れていますね。もしかすると中央線開業に功績があった地域の大者の影響かもしれません。国分寺の市史など調べてみるとわかるかもしれません?
投稿: 細井忠邦 | 2019年4月21日 (日) 10時34分
細井忠邦さま、おはようございます。
確かにそういった可能性はありますね。「札の丘15年」という碑文も気になります。
連休中にでも国分寺史を調べてみるのも良いかもしれません。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2019年4月22日 (月) 05時27分
電車開通記念碑の疑問について
私は国分寺市で生まれ青年期まで住んでいました。
その後各地を経て、昨年に小平市に転居しました。
国分寺市は隣なので、懐かしく思い市内の散策をしたところ、この石碑がまだ残っていることを知りました。
ネッ検索をすると、いろいろな方の書き込みがあり、国分寺市の観光案内にも掲載がありました。
ただ、由来についてはよくわからないようでした。
この記念碑の場所に私の生家があり、記念碑はその敷地内にあったものです。
私の祖父が個人的に建立したものと聞いております。
生家を出てから半世紀以上もたちますが、昔の思い出がまだ残っていることは懐かしくもあり、うれしいものです。
ブログを拝見して書きました。
お役に立てれば幸いです。
投稿: カナイタカオ | 2021年5月29日 (土) 17時14分
カナイタカオさま、はじめまして。
そうでしたか、あの石碑はお爺様が建立されたものでしたか、場所的には国分寺駅からかなり北に遡った場所なのでなぜあの場所にと今まで疑問でしたが、何となく理由が分かりました。
わたくしもこの4月から正式に小平市の住人になりましたが、東京都民になるのは1983年以来のことです。
これからも宜しくお願い致します。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2021年5月31日 (月) 04時26分