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2019年5月31日 (金)

2015年8月 貴婦人C571号機牽引による「SLやまぐち号」の旅 その8 津和野駅とその周辺

2015年8月の「SLやまぐち号」による津和野への旅、新山口から2時間強で終着、津和野に到着です。

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2015/8/2 津和野 編成は到着後、益田方に引き上げ、機関車は転車台にて方向転換します。

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編成はその後、駅舎裏の留置線に収容されます。150802-2_1

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津和野駅前風景

津和野は江戸時代末期、亀井氏による津和野藩の城下町で、山間の小盆地に街並みが広がり、小京都として有名です。明治維新後は長崎浦上キリシタンが配流され、弾圧を受けたことも有名です。

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カトリック教会

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昔ながらの街並み

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旅行番組などでもよく紹介される「鯉の米屋」、裏庭を見学でき、池には鯉が泳いでいます。昭和初期にこの庭で鯉を飼い始めたのがきっかけで街中で鯉が見られるようになったそうです。

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中心部の道の脇には水路が張り巡らされ、鯉が泳いでいるのも津和野の特徴です。

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駅を中心に街並みを見た後、ちょうど昼食時間だったので、津和野郷土料理 うずめ飯を食べることとしました。

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2019年5月30日 (木)

2015年8月 貴婦人C571号機牽引による「SLやまぐち号」の旅 その7 途中駅での列車撮影

2015年8月の「SLやまぐち号」の旅、新山口を発車後、列車は湯田温泉、山口、仁保、笹目、長門峡、地福、鍋倉、徳佐と停車して津和野まで約2時間の旅ですが、途中駅の停車時間は山口、篠目は2分、仁保は7分、地福は14分、他は1分程度でした。

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2015/8/2 仁保

そのため、仁保と地福では列車から降りて、機関車、客車編成の撮影を行うことが出来ました。仁保駅での比較的長時間の停車は乗客サービスというよりは仁保~篠目間で超える峠のための機関車の準備、石炭を投炭しやすくするための準備や炭水車への給水のためとのことです。

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2015/8/2 地福

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2015/8/2 地福 改造前のスハフ12の面影が残る4号車(左)と5号車

地福駅での長時間停車は山越えの機関車を休める意味と時間調整でしょうか。この駅は周りに障害物が少ないこともあり、発車シーンを撮影する好撮影ポイントとしても有名です。

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2019年5月29日 (水)

2015年8月 貴婦人C571号機牽引による「SLやまぐち号」の旅 その6 当時の客車 オハ12703

今は亡き12系改造の「SLやまぐち号」客車シリーズ、今回は5号車の大正風客車です。

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2015/8/2 新山口

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2015/8/2 地福

参考にした車両は1924年製ナロ20850形です。これは鉄道省が1919年から1927年にかけて製造した17m級木造ボギー車の形式を総称した22000系に属する形式のひとつです。

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明り取り窓のついた二段天井で座席は黄緑色でした。改造当初はぶどう色2号の塗装で4号車でしたが、2003年に再度改造工事を受けた際に津和野方が密閉式展望デッキに改められ5号車に変更されました。屋根上のカバーが撤去され、新山口方の洗面所も撤去され、荷物室となりました。定員は72名です。

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2019年5月28日 (火)

2015年8月 貴婦人C571号機牽引による「SLやまぐち号」の旅 その5 当時の客車 スハフ12702

今は亡きSLやまぐち号の12系改造客車のシリーズ、今回は明治風客車です。

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2015/8/2 新山口 4号車 明治風客車

編成の電源を賄う12系特有のディーゼル発電機搭載のスハフ1268からの改造車です。改造前は1号車でした。明治5年の新橋~横浜間鉄道開業時にイギリスから輸入された客車を参考に改造されたそうで、天井にはランプ風の照明を設置し、窓の日よけは鎧戸、座席は革張りとなりました。

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改造に際に方向転換が行われ乗務員室側が津和野方となり、ぶどう色2号の塗装になり、5号車となりました。ところが5号車の大正風客車が再改造された際に4号車になりました。1号車同様に屋根上の冷房装置にカバーがあったのがリニューアルの際に撤去されました。定員72名。

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鉄道開業当時、室内に土足で入ることに慣れていない当時の日本人はホームに下駄やわらじを忘れて乗車したため、当時の鉄道の遺失物トップは履物だったというのは有名ですね。

改造12系編成の老朽化で夏場に発電機トラブルが頻発するのが問題で、私が乗車した8月2日の列車でも津和野到着数分前に発電機がダウンし、車内の冷房がストップしました。

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2019年5月27日 (月)

2015年8月 貴婦人C571号機牽引による「SLやまぐち号」の旅 その4 当時の客車 オハ12702

今回は3号車の「昭和風客車」です。番号は昨日のオハ12701の続番でオハ12702です。昭和初期の鋼製客車をモデルとしてオハ12230 を 改造しました。

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2015/8/2 SLやまぐち号

改造当初はぶどう色2号に白帯のスタイルで昭和初期の客車らしくリベット風の装飾がなされていましたが、2001年頃に撤去されました。

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天井にはグローブ付き蛍光灯が設置され、座席は緑色でした。リニューアルで座席の色は茶色に変更され、新山口方の洗面所は撤去され、荷物置き場となりました。定員は80名です。


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2019年5月26日 (日)

2015年8月 貴婦人C571号機牽引による「SLやまぐち号」の旅 その3 当時の客車 オハ12701

欧風客車」と性格付けられた2号車で1880年代のオリエント急行を参考に改造されました。種車はオハ12227です。

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2015/8/2 オハ12701の車内

天井は明かり取り窓の付いた二段天井で、窓には横引きカーテンを付け、座席上部にはステンドグラス風の仕切りが付いていました。床には幾何学模様のカーペットが敷かれていました。

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改造当初は緑の塗装で、車体側面には紋章のような装飾、屋根上には白い色のカバーが取り付けられヨーロッパの客車の深い丸屋根に似せた外観となっていました。リニューアルでこれらの装飾は撤去されました。定員は80名です。

070608-wandsworth-road62007/6/8 London Wandsworth Road を通過するオリエント急行




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2019年5月25日 (土)

2015年8月 貴婦人C571号機牽引による「SLやまぐち号」の旅 その2 当時の客車 展望車風客車 オハフ13701

SLやまぐち号用の客車は昨日の記事のように当初は無改造の12系が使用されましたが、その後1987年に外装がぶどう色2号に変更され、白帯が配されました。1988年7月24日からは幡生車両所(現、下関総合車両所本所)で改造された12系700番台からなる5両編成が30年弱に渡り、使用され、2017年に後継の35系4000番台が製造されことで2017年8月27日に運行が終了しました。

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2015/8/2 新山口

レトロ客車への改造は、各車ともユニット窓から一段上昇窓に改め、窓も小型化されました。座席は1列分減らされ、定員は88名から80名に、座席間隔は1580mmから1755~1760mmとなりました。これによって生じた空間に固定式テーブルが設置されました。最初の改造後は1両ごとに塗装が異なっていましたが、2005年のリニューアルでぶどう色2号に白帯の上の写真のようなスタイルとなりました。展望車風(赤茶)、欧風(緑)、昭和風(ぶどう色2号+白)、明治風(ぶどう色2号)、大正風(ぶどう色2号)と5両それぞれ異なった様式になり、昭和風客車以外はそれぞれの時代に似せた形状のカバーが取り付けられていましたが、2005年のリニューアルでこれらのカバーは撤去されました。

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車内から展望デッキを

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新山口より1号車のオハフ13701展望車風客車からはじめます。旧番号はオハフ1359です。改造前は5号車として連結されていました。1923年製のオイテ27000形を参考に前位にあった便洗面所、側扉を撤去、開放式展望デッキに改められました。後位は丸妻から切妻に改造されました。床にはカーペットを敷き、窓には横引きカーテンが取り付けられました。天井は明かり取り窓付きの2段天井とし、明かり取り窓の内部に照明装置が入ってました。定員は56名です。展望室定員は8名です。

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展望車からの沿線風景

種車のオハフ13形は12系客車(オハ12形、スハフ12形、オハフ13形)の中では電源車なしの緩急車として1970年に50両、1971年に26両の76両が製造され、発電セットを搭載してスハフ12形に改造できるよう準備工事が施されていました。

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2019年5月24日 (金)

2015年8月 貴婦人C571号機牽引による「SLやまぐち号」の旅 その1 新山口駅風景

今では蒸気機関車牽引の観光列車は北は北海道から九州まで各地で見ることが出来ます。そんな中で最初に動態保存SLによる蒸気機関車牽引列車を運行したのが1976年の大井川鐡道、そして1979年に国鉄が山口線で走らせ始めたのが「SLやまぐち号」(小郡(現、新山口~津和野)でした。


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2015/8/2 新山口駅ホームに入線し出発を待つC571号機牽引の「SLやまぐち号」


運行開始は1979年8月1日で当初は梅小路機関車館所属のC571号機がオリジナルの12系客車5両を牽引する形でした。1980年には同館所属のC581号機も牽引を担当するようになりましたが、1984年1月3日初詣列車をもって運用が終了しました。その後、客車は展望車マイテ492が加わったり、旧型客車3両+展望車という日もあったりし、1988年7月24日からは内装・外装が改造された12系客車が「レトロ客車」としてデビューしました。1987年6月28日からは同館のC56160 号機も牽引を担当するようになり、C571との重連牽引もありました。



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2015/8/2 機関区の方からC571の推進回送で出発ホームに入線してくる「SLやまぐち号」客車

に入るとC571の全般検査や不具合の発生もあり、同館のD51200号機が同列車牽引機として復活整備されることとなり、2017年11月25日から牽引を開始しました。一方で長らくC571号機とタグを組んできたC56160号機は2018年5月5日のD51200号機との重連運転を最後に同列車の牽引から引退となりました。また12系改造のレトロ客車も老朽化で後継車35系4000番台客車5両が新製されることになり、2017年9月2日の列車から12系レトロ客車に代わって運行されることになりました。

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1972/7 萩の祖母を訪問するために新幹線~岡山~特急「はと」を乗り継いで、小郡駅到着直前に見えた扇形庫とSL群、このころ扇形庫の中には廃車後保存されていたC621号機の姿もありました(ブログ記事)。


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SLやまぐち号が出発するホームは山口線(’新山口~益田間)の紹介や小郡駅のレトロな駅名標が再現されています。

SLやまぐち号は快速列車で指定席券を購入すれば18切符で乗車することが出来ます。




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車内ではこういった記念乗車証が配られています。
停車駅と時刻は
新山口  10:50
湯田温泉 11:06
山口   11:13
仁保   11:34
篠目   11:57
長門峡  12:03
地福   12:31 13分間停車
鍋倉   12:36
徳佐   12:43
津和野  12:59 と現在のWEBサイトでは表示されていますが、2015年当時は

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10:48発でした。明日の記事からは今はもう乗ることが出来ない12系レトロ客車の紹介を致します。


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2019年5月23日 (木)

公園保存蒸機 D51 502 葛飾区上千葉砂原公園

公園保存蒸機の話題、今回は常磐線亀有駅から南南西方向に20分ほど歩いたところにある、上千葉砂原公園に保存されているD51 5⃣02号機の話題です。

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2015/4/12 レッドロビンの葉が色づいている曳舟親水公園150412_2

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2015/4/12 上千葉砂原公園の案内図と公園内の様子 よくある交通公園となっています。

地図を見ると明らかですが、亀有駅の西側で常磐線と交差する水路(曳舟川、葛西用水路)は越谷付近で元荒川から分かれ、京成本線お花茶屋駅付近まで続いています。元々、この水路は埼玉県東部と東京都東部を流れる灌漑用水路で、見沼代用水、愛知の明治用水と並び日本三大農業用水と言われていました。江戸時代初期の1660年、幕府が天領開発の一環として関東郡代の伊能忠克に開発させたものでした。利根川から水を引き、まずは埼玉東部を潤し、新田開発が行われると延長され、完成したのは1760年代でした。現在、この水路のうち、亀有からお花茶屋にかけては曳舟親水公園として整備されています。

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D51502号機、屋根付きの場所に保管されており、整備も行き届いています。

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砂管のパターンは本牧市民公園の516号機とよく似た、3本目が途中で斜めに曲がるタイプです。沖田祐作氏の機関車表による履歴は
D51502     国鉄鷹取工場=30               1941-09-30 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1941-09-30 製造→ 納入;国鉄;D51502→ 配属;大阪局→1941-10-00 配置;奈良→ 広島一→
   1947-03-00 現在;小郡→1955-08-01 現在;小郡→1956-11-00 新鶴見→
   1957-09-00 新津→1965-00-00 頃;直江津→1967-00-00 頃;酒田→
   1972-01-31 廃車;酒田→ 保存;東京都葛飾区「上千葉砂原公園」;D51502
とのことで、製造は1941年9月30日、国鉄鷹取工場 大阪局新製配置で奈良、広島、小郡と西日本で活躍した後、1956年に新鶴見へ、その後、新津、直江津、坂田で活躍、1972年1月31日に酒田で廃車となりました。

国鉄鷹取工場では以下の58両のD51が製造されており、今もJR東日本で現役の498号機も含まれています。

D51211     国鉄鷹取工場=1 保存;兵庫県神戸市「王子動物園」;D51211
D51212     国鉄鷹取工場=2 
D51213     国鉄鷹取工場=3
D51214     国鉄鷹取工場=4 
D51215     国鉄鷹取工場=5
D51216     国鉄鷹取工場=6
D51217     国鉄鷹取工場=7
D51218     国鉄鷹取工場=8 
D51219     国鉄鷹取工場=9 
D51251     国鉄鷹取工場=10 
D51252     国鉄鷹取工場=11 
D51253     国鉄鷹取工場=12 
D51254     国鉄鷹取工場=13 保存;東京都杉並区「杉並児童交通公園」;D51254
D51478     国鉄鷹取工場=14
D51479     国鉄鷹取工場=15  
D51480     国鉄鷹取工場=16 
D51481     国鉄鷹取工場=17 保存;福井県今庄町「今庄サイクリングタ- ミナル」;D51481
D51490     国鉄鷹取工場=18 
D51491     国鉄鷹取工場=19  
D51492     国鉄鷹取工場=20  
D51493     国鉄鷹取工場=21
D51494     国鉄鷹取工場=22
D51495     国鉄鷹取工場=23 
D51496     国鉄鷹取工場=24 
D51497     国鉄鷹取工場=25  
D51498     国鉄鷹取工場=26 
D51499     国鉄鷹取工場=27 三重県津市「偕楽園」;D51499(偕楽公園説?)
D51500     国鉄鷹取工場=28
D51501     国鉄鷹取工場=29 
D51502     国鉄鷹取工場=30 保存;東京都葛飾区「上千葉砂原公園」;D51502
D51503     国鉄鷹取工場=31 
D51504     国鉄鷹取工場=32
D51505     国鉄鷹取工場=33
D51690     国鉄鷹取工場=34
D51691     国鉄鷹取工場=35 保存;奈良県天理市「田井庄池公園」;D51691
D51692     国鉄鷹取工場=36 
D51693     国鉄鷹取工場=37
D51694     国鉄鷹取工場=38 
D51831     国鉄鷹取工場=39 保存;?三重県伊賀町「余野公園」;D51831・?大阪府羽曳野市「余野遊園地」(両説併記)
D51832     国鉄鷹取工場=40
D51833     国鉄鷹取工場=41
D51834     国鉄鷹取工場=42 
D51835     国鉄鷹取工場=43
D51836     国鉄鷹取工場=44 
D51837     国鉄鷹取工場=45  保存;長野県駒ケ根市「赤穂北ノ原公園」;D51837
      (赤穂共楽園説?)
D51838     国鉄鷹取工場=46
保存;岡山県新見市「井倉公園」;D51838(井倉洞説?) 
D51839     国鉄鷹取工場=47
D51840     国鉄鷹取工場=48
D51841     国鉄鷹取工場=49   
D51842     国鉄鷹取工場=50 保存;岡山県倉敷市「水島中央公園」;D51842
D51853     国鉄鷹取工場=51 保存;東京都北区「飛鳥山公園」;D51853
D51854     国鉄鷹取工場=52 
D51855     国鉄鷹取工場=53
D51856     国鉄鷹取工場=54
D51857     国鉄鷹取工場=55
D51858     国鉄鷹取工場=56
D51859     国鉄鷹取工場=57 保存;北海道遠軽町「遠軽公園」;D51859
D51860     国鉄鷹取工場=58 保存;広島県福山市「曙公園」;D51860

保存されているD51の中で赤字のカマは見学していますが、先日の大宮工場製同様、砂管のパターンに共通性があります。尤も、杉並児童公園の254号機のように砂管が撤去されているカマもありますが。
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逆転機リンクプレートの穴は小さいタイプです。

D51-502-150412-27助手席前のランボードには上下の長いタイプの潅水清浄装置が搭載されています。

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オイルポンプのターミナルがデフレクター直後のランボード上にありますが、このように6連のバルブが露出しているタイプ、カバーがかけられているタイプ、バルブが無いタイプの少なくとも3種類があるのもこれまでのD51観察で分かってきました。

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炭水車のライトも残されていますが、ナンバープレートはレプリカのようです。また昇らないようにか、梯子がカバーされています。

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2019年5月22日 (水)

公園保存車両 スハ422047 生田緑地

昨日に続いて、川崎市の総合公園、生田緑地の保存車両の話題です。

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2015/4/1 生田緑地 スハ422047

今回は鉄道省が1929年から製造した20m級鋼製客車スハ32系客車の改良型として1939年から1950年にかけて製造したオハ35系と呼ばれる客車形式群の中でオハ35形の改良増備車として1948年から1950年にかけて日本車輌、日立製作所、新潟鐵工所で合計140両が製造された三等車スハ42形2047号です。

オハ35系という系列名は制式のものではなくスハ33650形として製造が開始された似た車体構造を持つ制式鋼製客車であくまで趣味的・便宜的な呼称です。車体構造としての共通性は側窓のサイズが従来600㎜であったのが1000㎜になったこと、過剰な補強材を省略し、軽量化したこと、リベット接合から溶接接合への移行などが挙げられます。量産の時期が戦前から戦後に渡っているため、車体構造は製造時期によって大きく異なっているのもこの系列の特徴であります。車端部、出入り台付近の3面折妻構造、外妻アーチ構造など、1946年製造を前後に形態の変化が見られます。

形式は三等車オハ35形、スハ42形、三等緩急車オハフ33形、二等車オロ36形、オロ40形、オロ41形、二等緩急車オロフ33形、二三等合造車スロハ32形、展望車スイテ37形、寝台車マイネ40形、食堂車マシ38形、郵便・荷物車スハニ32形、スハユ31形、マニ32形、マニ34形、マユ34形、オユ36形などがあります。

2047号が生田緑地に保存されたのは1985年でした。

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このパネルにもあるように製造は1948年で水戸機関区所属で、常磐線経由の長距離列車で上野~青森間を走り続け、1985年3月に引退しました。
1975年の車両配置表によると、水戸にはスハ42形は

スハ42 2045 2046 2047 2048 2049 2128 2129 2130 が配置されています。

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台車は戦前製造のオハ35形ではペンシルバニア形軸ばね台車のTR23を履いていましたが、スハ42形では乗り心地の改善を目的としてウィングばね式鋳鋼台車のTR40に変更されました。

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車内も公開されており、小学生の頃、父の実家の能代や母の実家の萩への道中、当時の客車夜行急行で旅したことを思い出させてくれました。

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2019年5月21日 (火)

公園保存蒸機 D51408号機 生田緑地

再び、公園保存蒸機の話題です。2015年4月1日には横浜本牧市民公園、横浜市電保存館を訪問した後、生田緑地を訪問しました。


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2015/4/1 稲生橋交差点 生田緑地などの表示

小田急線の向ヶ丘遊園駅南口から駅前の道路を真っすぐ行くと府中街道の交差点があり、それを越えてしばらく歩くと生田緑地の入口に着きます。生田緑地は1941年川崎市が桝形山や1927年当時の小田原急行が開園した向ヶ丘遊園およびその周辺の森林 165.5ha について緑地として都市計画決定し、1964年に整備に着手した総合公園で向ヶ丘遊園は2002年に閉園しましたが、川崎市内最大の都市公園です。
生田という地名を聞くと1971年11月11日に同公園内で実施されたローム台地斜面崩壊実験で崩壊の規模、速度が予想外に大きく研究者や報道陣が生き埋めになり15名が死亡、10名が負傷した大惨事を思い出します。

公園内にはD51408号機スハ422047が保存されています。

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D51-408-15040118
この機関車の履歴は、沖田祐作氏の機関車表によると
D51408     日本車輌名古屋工場=783           1940-04-12 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1940-04-12 製造→ 納入;国鉄;D51408→ 配属;名古屋局→
      1940-04-18 配置[名鉄達300];富山→1940-04-27 使用開始→1942-06-13 広島→          
      1949-11-23 広島一→1950-03-15 国府津→1951-02-23 新鶴見→1954-06-18 品川→
      1958-04-14 田端→1958-06-24 借入;新鶴見→1958-06-30 返却→
      1962-08-01 大宮→1969-04-25(4/27?)新鶴見→1970-11-28 廃車;新鶴見→
      1971-00-00 保存;神奈川県川崎市「生田緑地公園青少年科学館」;D51408

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D51-408-15040128

日本車輛名古屋工場製で名古屋局から富山、広島を経て、戦後は国府津、新鶴見、品川、田端、大宮、新鶴見と首都圏を中心に活躍して、1970年11月28日に廃車、約1年後に同地に保存となったようです。ちょうど、生田緑地でローム崩壊事故が起きた直後に廃車、保存となったのですね。

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デフレクターは点検穴があるタイプで砂管は小の字の後ろ側が開いたタイプ、逆転器リンクプレートは小穴タイプです。

D51-408-15040115

助手席前のランボードには潅水清浄装置(上下サイズの短いタイプ)が搭載されています。

訪問した当時、整備された直後とあってか非常に綺麗な状態でした。

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2019年5月20日 (月)

2019/5/13 上野駅地平ホームでは四季彩に遭遇

昨日の記事のように尾久駅で黒磯訓練列車(9501レ)を見送った後、乗った上野行きの836Mは上野駅地平ホーム15番線に到着する列車でした。

上野駅の地平ホームも久しぶりで、13番ホームは「TRAIN SUITE 四季島」が停車し、同列車用の出発ホームとして列車の反対側から乗車できるホームやラウンジが出来ているのを初めて見ました。

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2019/5/13 上野駅13番線ホーム TRAIN SUITE 四季島 10号車

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1~5号車までの横に新たな乗車用ホームが造られ、乗客は5号車から列車内に入るようです。

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5号車中央のエントランス

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1号車側

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 13番ホーム(左側)と乗客専用の入り口


因みにこの日の運転は東北・北海道3泊4日コースだったようです。

 

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2019年5月19日 (日)

2019/5/13 尾久にて黒磯訓練列車に遭遇

先週の月曜日、5/13のことですが、武蔵浦和で埼京線列車を撮影した後、赤羽で上野東京ラインに乗り換え、東京方面に向かうと、10:20頃でしたが、尾久駅にEF651115+カヤE27-501+EF81139といった構成の列車が出発準備をしていました。

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恐らくJR東日本の機関車乗務員のための9501レ 黒磯訓練列車でがないかと思い、撮影することにしました。最近は貨物列車もあまり写していないため、こういった機関車牽引列車に遭遇する機会が滅多になくなりました。

カヤE27を機関車で挟んだ黒磯訓練列車はTwitter等で調べてみると
2018/6/28, 2018/6/30:EF651115 EF81139
2018/7/12:EF651102 EF81139
2018/7/26, 7/28, 7/30, 8/2:EF8195 EF81139
2018/8/22: EF81133  EF81139    などといった情報があり、私は今回初めての目撃でしたが、結構頻繁に運転されているようです。

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10:26に尾久を出発して行きました。

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2019年5月18日 (土)

相鉄乗り入れで増備されたE233系7000番台

2019年11月30日、相鉄線西谷駅と東海道貨物線横浜羽沢駅付近に連絡線が開業、JRと相鉄の相互乗り入れが開始され、JR側は埼京線のE233系7000系が大崎から品鶴線~東海道貨物線を経由し、相鉄線内に、これまで首都圏の私鉄で東京に乗り入れていなかった相鉄が東海道貨物、品鶴、埼京線に乗り入れ、新宿、池袋方面に直通するとのことです(詳しくはこちらに)。


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2019/5/13 武蔵浦和 今年になって登場した132編成

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E233系7000番台は2013年4月から12月にかけて101~121編成がJR東日本新津車両製作所、現J-TREC 総合車両製作所新津事業所、122~131編成が総合車両製作所横浜事業所で落成し、川越車両センターに配置されました。今回の営業区間拡大に伴い、約5年ぶりに132~138編成まで増備されるそうですが、132編成2019年1月29日133編成2月5日134編成3月19日135編成4月18日136編成5月14日と1ヶ月に1編成のペースで竣工、出場しています。


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運用への投入は132編成は確認されていますが、それ以外の編成は埼京線内の収容能力を超えているのか、国府津や高崎に疎開しているそうです。


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2019年5月17日 (金)

西武園線における2000N系と101N系 その4 小川

初電から西武園線の運用に入り、11:11まで活躍した2000N系4連は昨日の記事のように11:25頃、西武園駅を出発、東村山で国分寺線列車の到着を待ち、小川まで進みます。小川では11:36頃、4番線の東側の待避線に入ります。

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2019/5/4 西武園線での運用を終え、玉川上水基地に戻る2000N系4連 2545F

この待避線、萩山からの回送列車も頻繁に利用しているようで、11:19頃、30000系8連の回送列車が萩山方面からやってくるのですが、4番線に入り、すぐ出発するのではなく一旦、待避線に入り、国分寺線の交換をやり過ごしてから11:32頃、玉川上水方面に出発してゆきます。

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2019/5/4 11:19頃待避線に入線し、11:20の国分寺線の交換、11:24の小平発玉川上水行きをやり過ごし、さらに11:30の国分寺線の交換が済んだ後、出発信号の変化で慌ただしく出発してゆく30000系8連の回送列車(2019/5/438101Fでした)。

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2019/5/4 西武園線の運用を終えた2000N系4連2545Fも到着後、11:40、11:50の国分寺線の交換、11:44の小平発玉川上水行きをやり過ごした後、出発信号の変化に従い、そそくさと玉川上水基地に向かって出発して行きました。

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2019年5月16日 (木)

西武園線における2000N系と101N系 その3 東村山・西武園

玉川上水基地を出発して西武園線の運用に入るために東村山に向かう101N系の話題の続きです。

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2019/5/4 東村山駅2番線に到着した2545F

10:59に西武園を出発した2000N系4連の列車が11:02に東村山駅3番線に到着します。

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一方、1番線では列車案内表示に「回送」の表示が出され、回送列車の到着がわかります。

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2019/5/3 東村山 この日、玉川上水からやって来たのは1261F伊豆箱根ラッピング車でした。

この1~2分後、小川駅を出発した101N系回送電車が1番線ホームに入線します。1番線ホームはこの時間帯入場禁止となっており、同編成は一旦停止後、3番線ホームの2000N系を横目で見ながら、一足先に西武園に向けて出発してゆきます。11:08、2000N系がこの日最終の下り運用で西武園に向かいます。

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西武園駅では2番線に101N系が入線し、11:19発の東村山行きとなります。一方、11:08東村山を出発した2000N系4連は11:11に西武園駅1番線に到着します。ここで、午前の2000N系から午後の101N系へのバトンタッチが行われます。

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11:19に101N系が出発します。

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2000N系4連は遅れて11:25頃、西武園駅を出発し、東村山に向かいます。東村山では11:28101N系が西武園に向けて出発するので、その出発前に1番線に滑り込みます。

一方、国分寺線は11:27に国分寺行きが出発、小川で交換した列車が11:32に東村山に到着するので、その到着を待って、2000N系回送は小川に向けて出発します。

まさに単線区間で定期列車の運行の合間を縫って回送列車が設定されているのがよく分かります。そして、定期列車の出発ホームを変えることなく車両交換を西武園駅で行っていることが今回の観察で分かりました。

明日の記事では2000N系の玉川上水基地への引き上げの様子を小川駅で観察した結果についてレポートします。

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2019年5月15日 (水)

西武園線における2000N系と101N系 その2 玉川上水・東大和・小川

今回の記事からは、実際に観察した順番とは前後しますが、玉川上水基地所属の101N系が基地を出区して西武園線運用に入る様子をレポートします。時刻は全て土休日ダイヤによる時刻です。

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2019/5/12 玉川上水 基地から出区し、洗浄線でスイッチバックする1259F

萩山発10:31の拝島行きで10:41玉川上水到着直前に基地の方を見ると、出発準備のためライトを点灯している101N系の姿が見えます。予想では玉川上水駅のホームに一旦入線して小川方面に折り返すのかと思われましたが、10:48には上り急行西武新宿行きが出発、10:57には各停小平行が出発のため中線に入っているせいか、101N系編成は10:50頃、本線北側の洗浄線に入線、ここで折り返し小川方面に向かいます。

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東大和市の列車案内 この駅を通過する上り方向は玉川上水基地からの回送列車しかありません。

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2019/5/12 東大和市を通過する1259F回送列車

10:48発の急行で東大和まで行き、待っているとホームの列車案内が「通過」と表示され、玉川上水の方から101N系回送電車がやって来ます。

小川駅には10:58頃到着、1番線に入線します。ここから西武国分寺線を北上し、東村山に向かいますが、10分間隔で運行されている西武国分寺線の間をぬって東村山に向かいます。ダイヤ上,11:00に小川で国分寺線上下列車が交換するので、これらの交換が済んだ後、小川を発車して東村山に向かいます。その直後に、10:57に玉川上水を発車した各停小平行が11:02に小川駅1番線に入線します。

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2019/5/4 小川駅北側の踏切から このシングルスリップスイッチで拝島線から国分寺線に入り、東村山方面に向かいます。10:58、すでに番線にこの日の101N系1257Fが入線しているのが見えます。

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2019/5/4 小川を出発し、東村山方面に向かう1257F このまま西武園線に入るため東村山での編成向きは従来とは逆向きに

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2019年5月14日 (火)

西武園線における2000N系と101N系 その1

2019年3月のダイヤ改正から久しぶりに101N系が西武園線の運用に入るようになりました。

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2014/7/20 東村山 西武園線運用に入った白電時代の1241F
パンタ付きの車両は241奇数車

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2012/5/6 東村山 2626先頭の2000N系4連

今回の運用投入は、東村山駅付近高架工事の影響で玉川上水基地から、従来のように拝島線~萩山~小平~東村山~西武園といったルートではなく、小川~東村山~西武園といったルートで車両が出入しているため、編成向きも東村山駅において西武新宿線本線の編成と較べると逆向きとなっています。さらに始発から午前11時過ぎまでは2000N系4連で運行され、それ以降,101N系と交換されています。なんで終日,2000N系4連であったのが、途中から101N系になるのか、その辺の編成のやりくり事情は不明ですが、玉川上水、東大和市、小川、東村山、西武園の各駅で車両交換の様子を観察してみました。

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2019/5/2 西武園線前面展望 新宿線との分岐

まずは西武園線の成り立ちから。

甲武鉄道の関連会社として1892年8月5日に設立された川越鉄道1894年12月21日に現在の国分寺線にあたる国分寺~久米川(仮)駅(現、東村山駅)間を開業しました。1915年には東村山から箱根ヶ崎間の免許を取得していましたが、工事は先延ばしされていました。しかし、1927年に村山貯水池が多摩湖として造られ、東京の観光地となると武蔵野鉄道1929年5月1日山口線(西所沢~村山公園4.8km、直流1200V)を開業、さらに箱根土地(同社の子会社、多摩湖鉄道)が国分寺から多摩湖に向かう多摩湖線1930年1月23日に萩山~村山貯水池(現、武蔵大和)、1930年5月7日、直流600Vで電化)を開業すると1922年8月15日西武鉄道となった元の川越鉄道は箱根ヶ崎線の計画を一部変更して1930年4月5日に東村山~村山貯水池前間に村山線を開業しました。ここに多摩湖という観光地を巡って、武蔵野鉄道、多摩湖鉄道、西武鉄道の熾烈な乗客誘致合戦が展開されますが、太平洋戦争の激化で客足は遠のき、政府から不要不急路線の指定を受けました。1944年5月10日は休止となり、路線ごと撤去されてしまいます。西武鉄道と武蔵野鉄道(1940年3月12日に多摩湖鉄道を合併済み)が、陸上交通事業調整法のもとに合併し、1945年9月22日西武農業鉄道となり、1946年11月15日西武鉄道と改称しました。

190502-32019/5/2 西武園線前面展望 西武園駅到着

1948年4月1日、前年に西武鉄道が貯水池周辺の広大な土地を取得し、「東村山文化園」という娯楽施設を建設する構想の下に、村山線がその資材輸送のために復活しました。当初の終着駅は戦前に狭山公園駅となっていましたが、復活に際して駅名も村山貯水池駅となりました。当時、競輪が自治体の収入源として着目されており、東村山文化園にも競輪場が開設されることとなり、ここへの交通を確保するために野口信号所が設置され、支線が分岐されることとなりました。1950年5月23日に支線の先に西武園駅が臨時駅として開業しました。その後、野口信号所の能力の関係やかつてライバル会社間で争った乗客誘致合戦は今は同一会社であることも考慮し、1951年3月1日、村山貯水池駅と西武園駅を統合し、野口信号所~村山貯水池間は廃止、西武園駅を常設化することにし、東村山~西武園間2.4kmの現在の形態となりました。

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2016/5/1 駅周辺の施設図と西武園競輪場

私が高校の頃、土曜になどは西武新宿発西武園行きの臨時急行が601系4連などで走っているのをよく見かけました。こういった新宿線直通列車は2011年末でなくなったようです。また2018年3月9日までは西武園競輪開催時に国分寺発西武園行きの直通列車が走っていましたが、現在は早朝と16時台の運行に留まっているようです。

 

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2019年5月13日 (月)

横浜市電保存館を訪問 その11 吉村コレクション part3 ディーゼル機関車編

横浜市電保存館の吉村コレクションの話題、今回はディーゼル機関車の話題です。

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DD12形

私も中学生の頃、朝日新聞社発刊の「世界の鉄道’70」(特集・ディーゼル機関車)でその存在は知っていましたが、実車は一度も目にすることはありませんでした。太平洋戦争終結後、アメリカ軍を中心とした連合軍が日本に進駐する際に、日本の鉄道は空襲などで壊滅的打撃を受け、軍事輸送に使えないだろうと予想し、持ち込んだ機関車でした。ジェネラル・エレクトリック(GE)社製、標準軌仕様を狭軌仕様に改め、フィリピンの軍用鉄道で使用していた(GE47-TON DROP CAB, No.8584 - 8589)と新造機(GE47-TON DROP CAB,No.8592,8593)の8両で形式はUS ARMY 8500と名乗りました。

実際に進駐してみると日本の鉄道は予想外にしっかりとしており、進駐軍向け輸送は国鉄・私鉄の保有する状態の良い車両を徴用、優先的に整備・運行すること言足りることがわかり、日本への車両持ち込みはこの8両の機関車で終わりました。日本側からしてみると、これまで使用されて来たディーゼル機関車DB10 (入れ換え用・鉄道省設計・1932年、機械式、8両製造)、DC10(入れ換え用・ドイツから1930年に輸入・機械式)、DC11(入れ換え用・ドイツから1929年に輸入・電気式)、DD10 (入れ換え、小列車牽引用・鉄道省設計・1935年・川崎車輌・電気式)に較べ、性能、信頼性において格段に勝っていることから、1956年、アメリカ軍の進駐解除後、国鉄に5両(8585/8586/8588/8592/8593)、名鉄に2両(8584/8589)、八幡製鐵に1両(8587)払い下げられ国鉄ではDD12形、名鉄ではDED8500形、八幡製鐵ではD402と名乗りました。

US ARMY8500の機材13両分が横浜港高島桟橋に到着したのは1946年4月同年5月に大宮工場で8両が組立られました。高島機関区に配置され、一部は鷹取機関区、呉機関区に転属し、進駐軍貨車の入れ換えに従事しました。運転は国鉄職員が行いました。1951年4月のサンフランシスコ講和条約後もそのまま使用され、1952年3月末付けで米軍機としての取り扱いは廃止となりました。

運転室の前後に発電用エンジン(キャタピラー製D17000型180ps)を1基ずつ配し、発電機(GE製GT555型)で発電、GE製GE733型モーター4基を回す電気式で形態的には模型のように後の国鉄製DD11、DD13、DD51などに較べボンネットが高く、排気筒が短いスタイルでした。入れ換え用のため低速仕様でしたが、軍用車両らしく堅牢で故障しにくく、アメリカ軍の各種車両と互換部品を使用し、極めて整備しやすい車両だったそうです。ただ、台車が小型でモータが低い位置に設置されていたため、大雨などでモーターの冠水による故障の危険性がありました。

国鉄に譲渡された5両は東京機関区に配置、一部は広島第二呉支区に貸し出されましたが、その後、品川機関区、久里浜機関区に配置され、米軍向け燃料輸送貨車の入れ換えに利用されました。1958年以降は大出力のDD13形が導入され、新鶴見機関区に全5両が集結し1972年には全車一斉に第一種休車指定され、1974年に全車廃車・解体となりました。
名鉄に譲渡された2両は小牧基地への貨物線、岐阜基地への引き込み線で使用され、1958年からは築港線で使用されました。名古屋臨海鉄道の開業で役割を終え、1966年にフィリピン国鉄に売却され、1978年12月に2両とも解体されました。
八幡製鐵への1両は八幡~戸畑間の製鉄所専用鉄道で緩急車代用で使用され、1967年3月に解体されました。


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2019年5月12日 (日)

横浜市電保存館を訪問 その10 吉村コレクション part2 電機編

昨日に続き、横浜市電保存館の「吉村コレクション」今回は電気機関車の模型から

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EF50(旧8000)形

1925年12月、東海道本線東京~国府津間電化開業用に向けて英国から8両輸入された機関車で、1924年に製造され電気関係はイングリッシュ・エレクトリック社(English Electric & Co., Ltd.)、機械関係はノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社(North British Locomotive Co.)が製造に関わりました。ED50形、ED51形などともにいわゆる「デッカー」と言われる一族です。製造当初は8000形(8000-8007)と称されましたが、1928年10月の車両形式称号規定改正でEF50形に改められました。

当時、我が国は電化の進展で欧米各国から試験的に数両の電気機関車を輸入していました。英国製の電気機関車は本国においても開発途上で信頼度的には決して高くなかったにも拘わらず8両という多数が輸入されたのは、1921年から1922年にかけて各国の艦船保有量を制限する軍縮会議が英米の主導で開催され、会議における交渉で英国側の譲歩を引き出させる戦術として外務省の主導で電気機関車を大量に輸入することにしたと言われています。デッカータイプの大量輸入は鉄道省の意図したものではなく政治的圧力によるものだったそうです。いつの時代も似たようなことが行われているものだと感じる次第です。

形態上の特徴は2軸の先輪を有し、箱形車体の前後にデッキがあり、車体下部には中央部で幅が広がった魚腹型の側梁が露出し、そこに9個の丸穴が開けられていること、車体側面にも主抵抗器冷却のための鎧状の通風口が並んでいることです。制御装置はカム軸式で、6個のモーターを制御するのに、通常は直列~直並列~並列となるべきところをカム軸の長大化を忌避してか直列段からいきなり並列段に移行する方式で、進段時の衝撃が大きく、勾配での加速に問題があり、初期故障が多く発生したそうです。

運転開始以来、東京機関区に配置され東海道本線で旅客列車牽引を任されましたが、初期には故障が多く蒸気機関車を後部穂機として連結し、運転しました。デッカー系機関車のトラブル解消のため、補機類の多くは後年、鉄道省制式部品に交換されて行きました。

戦後の1952年4月の高崎線電化でEF53形などとともに高崎第二機関区に5両が転属しました。勾配線での運転に向かなかったため、当時の電化区間では高崎線以外に転用先が見つからなかったのが真相のようです。最後の本線仕業は7号機による1956年11月18日の上り急行「十和田」牽引でした。1954年から廃車が始まり、1958年までに全車が廃車され、解体処分となりました。

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EF13形(凸型スタイル戦時タイプ)

国鉄の貨物用大型電機は1934年EF10形(41両)から始まり、1941年には出力増強版のEF12形が開発されましたが、軍需輸送に対応する輸送力増強に対応し、かつ戦時下の資材不足に対応しながら製造するために、EF12の機能を簡略化したのがEF13形でした。その設計は戦時中さえしのげれば良いというもので、鋼材を節約するため車体はデッキ部までの全長車体から中央部の短い車体と機器を被うボンネットスタイル(凸型)となりました。さらに工作簡略簡略化のためスタイリングや仕上げ工作は全て省略されました。冬場には隙間風が吹き込み、暖房も設置されていなかったため、乗務は苦痛が伴ったとのことです。一方で戦闘機による機銃掃射を避けるため乗務員室には防弾装備がが施され、乗務員室側面の内側に厚さ13mmの鋼板が張られ、外板との間には砂が入れられました。

機器的には電装系の焼損事故の保護に重要な役割が期待される高速度遮断器が省略され、ヒューズで代用されました。台車枠の車軸支持も緩衝部材を入れずリンクを台車枠に直づけしました。こうした徹底的な部材省略の結果、総重量が軽くなり過ぎ、軸重不足に陥り、死重として16.4tのコンクリートブロックを積むことになりました。弱め界磁も63系電車同様、「主電動機の寿命が縮む」との理由から「使用不可」とされました。出力はEF12形と同等を目指しましたが簡易設計、代用部材多用の影響で計画性能の達成には至らず、EF10形並との評価でした。戦時輸送対応のために簡素な設計が採り入れられたにも拘わらず戦争中の完成は7両に留まり、戦後の1947年までに31両が製造されたところで、新形式のEF15形が増備されることとなり、製造は終了しました。

1948年からの第1次改装工事で高速度遮断器が新設され、パンタグラフもPS14に交換されました。さらに弱め界磁段も使用可能とされました。1953年から1957年にかけての第2次改装工事ではEF58形31両の車体載せ換えで発生した旧車体をEF13に載せ、旧凸型車体を廃し、箱形車体とする工事が施工されました。旧車体のEF58形が31両製造されていたこと、両形式の車体サイズが一致していたことで車体流用交換が進められましたが、台車間サイズが僅かに異なったため、その部分は改造で対応となりました。EF58形とEF13形の検査時期の一致するタイミングで両車が入場し車体譲渡が行われ、両形式の運転室仕切り壁には「EF58〇〇号より車体譲受」、「EF13〇〇号へ車体譲渡」の銘板が取り付けられました。

Ef58ef13
表 EF58旧車体のEF13への振替

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撮影時期不明 駒込~田端間をEF15 を従えて通過するEF13 22号機

私自身、小学校時代中央線国分寺~国立間を利用していたこともあり、中央本線の旅客列車を牽引するEF13をよく目にしました。独特のウーというモーターの牽引音、冬は暖房車を従え、通過した後に残る石炭の煙の臭いも昨日のことのように思い出します。旅客列車はEF64形に置き換えられ、晩年は貨物列車を牽き、それもEF60形などに置き換えられ、1979年11月に3号機が廃車され全機廃車となりました。全機解体され保存機はありません。

EF50形やEF13(凸型スタイル)形も吉村氏の鉄道マニアとしての目の付け所の素晴らしさを感じます。

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2019年5月11日 (土)

横浜市電保存館を訪問 その9 吉村コレクション part1 蒸機編

2015年4月1日横浜市電保存館訪問、昨日までの記事で紹介した7両以外に57歳という若さで亡くなられた横浜市港北区仲手原に在住された鉄道模型コレクター吉村栄氏が40年かけて製作、収集された鉄道模型(Oゲージ)のコレクション、「吉村コレクション」があります。

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1983年に横浜市に寄贈され市電保存館で保存されているのは国鉄の機関車、電車、全国各地の私鉄車両で全て紙製手作りのOゲージとのことです。
今回の記事からは蒸機、電機、ディーゼル機関車の写真をいくつか紹介したく思います。

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2014/5/24 9856 鉄道博物館

9750形
日本で初めて本格的に導入された大型マレー式機関車です。

東海道本線国府津~沼津間(山廻り、現在の御殿場線区間)や東北本線の黒磯~白河間の幹線勾配区間の輸送力不足を打開するため、1911年にアメリカのアメリカン・ロコモティブ社製9020形(当初は4600形)が6両導入されました(機関車本体のみで炭水車は国内工場で製造)。
試運転に供されましたが前部台車の蛇行動が激しく、走行安定性に欠け、動輪の摩耗が大きいことが判明し、当時既に旧式だった飽和式の9020形に代わって加熱式で大量導入されたのが9750、9800、9850形3形式で、アメリカン・ロコモティブ社製が24両(9750-9773)、アメリカ、ボールドウィン社製が18両(9800-9817)、ドイツ、ヘンシェル・ウント・ゾーン社製が12両(9850-9861)です。これら54両は山北~沼津間、大津~京都間、黒磯~白河間、長野~直江津間、亀山~加茂間での貨物列車の牽引と急行列車の補機として使用され、1933年までに全廃となりました。9856が万世橋の交通博物館に保存され、2007年からは大宮 の鉄道博物館に展示されています。その後は勾配線区用にD50形が投入されることになり、我が国のマレー式蒸気機関車は4形式のみとなりました。

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C55形流線形(20-40)
C55形は1935年から1937年にかけて62両が製造されましたが、1936年に製造された2次形20-40の21両(20汽車製造、21-33川崎車輌、34-40日立製作所)はC53 43で試験された流線形デザインが本格導入され、新造されました。C53 43では大型の除煙板はありませんでしたが、C55流線形では小型除煙板に加え、写真のようにサイドスカートから連続する大型の除煙板が設置されました。21両の流線形機は四国を除く全国各地に分散配置され急行列車牽引に活躍し、特に名古屋機関区配置の24-26は臨時特急「」を牽引しました。しかし、流線形機は殆ど効果がないことが判明し、さらにケーシングがあることが現場からも嫌われ、戦後の1950年から1951年にかけて1次車と同様の外観になるよう再整備されました。

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D62形
20両のD52形1950年から1951年にかけて浜松工場で2軸従台車に改造し、線路等級の低い線区への入線を可能にした形式です。

単に従台車を交換したに留まらず、D52形は戦時設計で代用品が使用されていたものが多かったため、それを改善する目的でボイラーの整備、炭水車や除煙板の代用設計品の制式品への交換、給水温め器の移設、自動給炭機の設置などが行われました。なお、1D2バークシャーの軸配置としては日本初でした。
当初、稲沢機関区、米原機関区に10両ずつ配置され、東海道・山陽本線での貨物列車牽引に使用されました。逢坂山トンネル通過対策として集煙装置も装備されました。1958年の姫路電化で一旦全車休車となり、転用先が検討され、東北本線長町~盛岡間と決まってから、軸重軽減改造がなされ、総重量を減らさずに動輪と先・従輪を結ぶ釣合梁の支点の位置を変更し、最大軸重を16.22tから15.00tに軽減しました。改造工事終了後、1959年末に一関機関区に全機集結、ボイラー未交換車似状態不良が発生し、休車になる車両が出たものの盛岡電化まで使用され、1966年10月19日に全車廃車となりました。

廃車後、全機解体されており、保存機は全く無く、吉村コレクションのD62はそういった意味でも貴重な模型となっています。

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2019年5月10日 (金)

横浜市電保存館を訪問 その8 保存車両 無蓋貨車10号

横浜市電保存館に保存されている実車、最後はかつて貨物輸送などに使用されていたという無蓋貨車10号です。

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2015/4/1 無蓋貨車10号 横浜市電保存館
テールランプ上部の1灯の位置が非常にユニークです。


現役当時と言っても関東大震災の前の時代ですが、この車両が輸送していたのは山手のキリンビール工場から出荷されるビールだったそうです。

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ビール瓶4本がそれぞれ藁でくるまれて4本ずつ木箱に納められ電動貨車に載せらえた様子が再現されていました。

市電全盛期、数両が在籍し、「みなと祭り」等の行事では花電車としての役割もあったそうです。また保線作業等での事業用車としての役割もありました。無蓋ではなく、有蓋の貨車も存在し、市場線からの荷物輸送にも使用されていたそうです。

花電車はまさにこの4月から5月にかけての新天皇の即位などで運転されてきましたが、横浜市電の場合は
1915年 大正天皇御大典(当時は今上天皇)(横浜電気鉄道時代)
1921年 東宮殿下御帰朝記念(後の昭和天皇)、陸軍特別大演習記念、路面電車市営化記念
1925年 大正天皇銀婚式記念
1928年 昭和大礼
1929年 エジソン電灯発明50年祭
1935年 復興記念横浜大博覧会
1936年 英国軍艦歓迎
1937年 南京陥落
1947年 市電復興まつり
1949年 日本貿易博覧会
1950年 開港記念ハマ祭
1954年 開国100年祭
1955年 根岸線開通記念
1956年 井土ヶ谷線開通記念
1958年 横浜開港100年祭
1972年 さよなら市電  といったイベントに合わせて運転されたようです。さすがに戦前は軍事色の濃さを感じます。

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直接制御方式のコントローラとブレーキハンドルという極めてシンプルな運転台

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台車は単車方式の2軸です。

機構的には保存車の中では唯一エアブレーキを装備せず、ハンドブレーキ式の車両です。

 

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2019年5月 9日 (木)

横浜市電保存館を訪問 その7 保存車両 1600型 1601号

横浜市電保存館の保存車両、今回は1600型の1601号です。

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2015/4/1 1600型 1601号 横浜市電保存館


1600型は市電保存館の前身である交通局滝頭工場で製造された横浜市電としては最後の新車でした。1957年800型単車を置き換えるために6両(1601~1606)が製造されました。

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何と言ってもこの形式の最大の特徴はこの4枚折り戸だったようですが、乗務員からは評判が良くなかったようです。

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台車はKL-21Dというタイプです。

大阪市電3001形の車体に京都市電700形の4枚折り戸を取り付けたようなスタイルで軽快で近代的な印象を与えますが、前中式のドア配置は車掌からの評判が芳しくなく、ワンマン化改造を受けずに1970年の本牧線廃止とともに全廃されてしまいました。

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2019年5月 8日 (水)

横浜市電保存館を訪問 その6 保存車両 1500型 1510号

2015年4月1日に訪問した横浜市電保存館の展示車両、今回は1500型1510号です。

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前面の傾斜やおでこのオフセットされた行き先表示器などにPCCカースタイルが感じられます。

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2015/4/1 1500型1510号 横浜市電保存館

1500型は所謂、PCCカーの和製版ともいえる車両です。PCCカーはアメリカの「Electric Railway Presidents’ Conference Committee(ERPCC:電気鉄道社長会議委員会)」によって開発された路面電車で最初の登場は1930年代でした。委員会は1929年に全米各地の路面電車運営会社によって結成され、当時、台糖しつつあった自家用車やバスに対抗しうる新しいタイプの路面電車車両の開発が目的でした。当時の流線形ブームの流れを汲んで車体は流線形でスムーズな加速性を有し、それぞれの会社の事情に合わせたアレンジなされ、全米各地に普及しました。1936年に最初の100両が製造され、1950年代まで製造は続きました。最終的に北米で4978両が製造されました。旧西ドイツのDUEWAGカー(後にシーメンスに吸収合併)やチェコのタトラ国営カーなどはPCCカーを土台にさらに高性能な車両を製造しました。
本家アメリカでも現在は両数を減らしていますが、サンフランシスコ、サンディエゴなどではレトロ車両として動態保存的に走っている車両もいます。日本では1950年代、路面電車の高性能化の取り組みにおいてPCCカーが注目され、ライセンスを受けて1954年都電5500形が1両試作されました。

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これまでの形式に較べると1500型の車内はかなり明るく、あか抜けた感じがします。

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1500型の場合、駆動方式は直角カルダンではなく、吊掛け式で1951年に300型の代替として20両(1500~1519)が製造されました。当初は間接制御方式でしたが、1967年のワンマン化の際に直接制御方式に改造され旧型車に分類される1150型と同一の性能になりました。1972年の市電全廃まで使用されました。

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この特異な形態の台車は防振ゴム装備のKL-20台車です。

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2019年5月 7日 (火)

横浜市電保存館を訪問 その5 保存車両 1300型 1311号

横浜市電保存館の保存車、今回は1300型1311号です。

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2015/4/1 1300型1311号 横浜市電保存館

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1300型は登場時、3000型と名乗っており、30両(1300~1329)が製造されました。車掌乗務の車両として最後まで残った車両でした。形態としては大阪市電の1700形と同型の戦後規格の車両だそうです。

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キリンビールは古くからあることは分かりますが、キリンレモンの歴史の長い商品のようです。


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1100型同様の中扉方式で中央扉は両開きでした。

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コントローラーは同じく三菱製ですが、この形式は出力が大きかったので、3系統などの勾配区間に投入されたそうです。

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2019年5月 6日 (月)

横浜市電保存館を訪問 その4 保存車両 1100型 1104号

横浜市電保存館の保存展示車両、今回は1100型1104号です。

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2015/4/1 横浜市電保存館 1100型 1104号 

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1100型は1936年に新式中型ボギー車として5両製造されました。戦前までクロスシート(通路を挟んで片側、反対側はロングシート)が設置されていたため”ロマンスカー”といった愛称が付けられていたそうですが、戦時中に撤去され座席数は半減しました。吊革も鋼製振止式のものが採用されました。1967年にワンマン化改造され、市電全廃まで活躍しました。

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さすがにクロスシートの再現までには至っていませんが、路面電車にクロスシートと言うのも魅力的な車両です。

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マスコン等機器類はこれまでの形式に較べ少し複雑になっているように見えます。

 

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2019年5月 5日 (日)

横浜市電保存館を訪問 その3 保存車両 1000型 1007号

横浜市電保存館の保存車両、今回は1000型で関東大震災の復興事業車として1928年から蒲田車両、雨宮製作所で20両(1000~1019)が製造されました。

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半鋼製低床式ボギー車で台車は当時の小型電車の標準台車であったブリル76Eが装着されていました。自重17.27t、定員120名ですが、出力が小さかったため、10系統、6系統、8系統といった平坦線で使用されました。昨日の単車500型に較べると最大寸法は長さ13400mm、幅2438mm、高さ3733mmと大分大型化されています。

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塗装は私が小学生の頃、父親の運転する車で横浜をドライブしたときに見た市電の塗色と同じでした。1000型は1969年にワンマン化されずに全廃されました。

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500型に較べ車体サイズが大きくなっているため、中央ドアが設置され、シートの背面にもモケットが付きました。中央ドアは最初、両開きで製造され、途中で片開きに改造され、1951年に自動化されたそうです。

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マスコンは三菱電気製のKR-8

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2019年5月 4日 (土)

横浜市電保存館を訪問 その2 保存車両 500型 523号

横浜市電保存館、昨日の概要に続いて7両の保存車両、その他についてこれから触れて行きます。今回は500型523号です。

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2015/4/1 横浜市電保存館 500型 523号

500型は1928年に東京瓦斯電気、蒲田車両、雨宮製作所で各20両ずつ、計60両(500~559)製造された大型単車でした。高出力であったため1300型とともに3系統(生麦 - 横浜駅前 - 西平沼橋 - 日の出町一丁目 - 長者町五丁目 - 山元町)で運用されることが多かったそうです。
太平洋戦争中の横浜大空襲で60両のうち15両が焼失しました。この15両は戦後復旧し、600型となりました。この際に500型は欠番が飛ばされ整理されました。したがって523号は旧車号521号だったそうです。

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保存車の塗色や装飾スタイルは都電9000形9002号や10形(10-50)と共通性を感じさせます。

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保存車はビューゲルですが、登場当時はポールを装備していたと思われます。

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屋根は外から見る限りシンプルなカーブを描いていますが、車内から見ると二重屋根になっています。モケットは座面だけで背面は板張りです。床も木張りです。

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車内掲示の路線図、最盛期の路線図に較べると井土ヶ谷線開業前であることが分かります。

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2019年5月 3日 (金)

横浜市電保存館を訪問 その1 横浜市電の概要

2015年4月1日、横浜市本牧児童公園を訪問した後、根岸駅北西の方向にある横浜市電保存館(神奈川県横浜市磯子区滝頭3-1-53
を訪問しました。


150401_3 2015/4/1 横浜市電保存館外観


ここはかつて滝頭車両工場で1972年に廃止された横浜市交通局路面電車(横浜市電)に関する資料を保存・展示する施設として、一般財団法人横浜市交通局協力会の運営の下に、1973年8月25日に開館しました。1982年に改築のため一旦、閉鎖され、1983年8月13日、跡地に建設された市営住宅の1階に再開館となりました。横浜市営バス滝頭営業所に隣接しています。

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横浜市電は1904年7月15日横浜電気鉄道により、神奈川~大江橋間が開業しました。1921年4月1日、横浜市が横浜電気鉄道を買収し、電気局を発足させ、運営に乗り出しました。1923年9月1日に発生した関東大震災では壊滅的な打撃を受け、多くの車両が火災で焼失しました。全線復旧は10月26日でした。地中に埋設された水道管は地震で破壊され、断水期間中は散水車が給水車として代用され、1372mmの軌間の共通性から、京王電気軌道から旧型2軸車を購入し、新宿~生麦間を東京市電・京浜電鉄経由で自走回送しました。1945年5月29日の横浜大空襲でも電車45両が焼失する被害を受けました。


1946年6月1日、電気局は横浜市交通局と改称、1956年4月1日、井土ヶ谷線の開通で最盛期を迎えます。この当時の路線は

生麦線   生麦~洲崎神社前
神奈川線  洲崎神社前~桜木町駅前
本牧線   桜木町駅前~間門間
根岸線   間門~八幡橋
本町線   桜木町駅前~日本大通県庁前
花園橋線  日本大通県庁前~睦橋
日ノ出町線 桜木町駅前~吉野町三丁目
羽衣町線  本町四丁目~吉野町三丁目
磯子線   吉野町三丁目~葦名橋
杉田線   葦名橋~杉田
弘明寺   吉野町三丁目~弘明寺
六角橋線  六角橋~青木通
浅間町線  青木橋~洪福寺前
尾張屋橋線 洪福寺前~浜松町
保土ケ谷線 高島町~保土ケ谷橋
井土ヶ谷線 保土ケ谷橋~通町一丁目
平沼線   平沼橋~浅間下間
久保山線  浜松町~浦舟町
長者町線  西平沼橋~山元町間

路線図はこちらのサイトにあります。

1959年7月16日には市営トロリーバスも開業しましたが、東京都電などと同様にモータリゼーションの急激な拡大、道路渋滞の激化、根岸線の開通、市交通局の財政悪化などで厄介者扱いされ、1966年8月1日の生麦線生麦~洲崎神社前間、中央市場線神奈川会館前~中央市場間の廃止を皮切りに1972年4月1日、トロリーバスと共に全廃されました。

私自身は、小学生の頃、父親の運転する車で横浜に出かけた際に、市内各所を市電が走る姿を見ておりました。特に元町~麦田町間に存在した全長276mの市電専用トンネルだった山手隧道は印象に残っています。

市電の車両形式は戦後に在籍した車両でも200、300、400、500、600、700、800、1000、1100、1200、1300、1400、1150、1500、1600と無蓋貨車10と16形式あり、そのうち500、1000、1100、1300、1500、1600、無蓋貨車10型が保存されています。次回以降の記事ではこれら保存展示について紹介します。


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2019年5月 2日 (木)

本牧市民公園の転車台

4月29日の記事では横浜、本牧市民公園に静態保存されている蒸気機関車D51516号機を紹介しました。同公園には機関車以外にも興味深い物があります、それが今回の記事で紹介する転車台(ターン・テーブル)です。

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2015/4/1 本牧市民公園

終端駅で方向転換が必要な蒸気機関車全盛時代は、日本全国の機関区などに転車台が設置され、転車台を取り囲むように扇形庫・ランドハウスがありました。しかし、無煙化が進み、蒸気機関車が消えて行くに連れ、転車台も姿を消して行きました。

150401_2

この案内板に書かれているようにこの転車台は元々、横浜機関区高島車庫に設置されていたものだそうです。

日本全国の転車台の数は統計資料によると1918年時点で232台、1936年時点で435台でした。SL列車の復活運転により、現時点で稼働する転車台がある駅は34駅、稼働しないが現存する駅は17、稼働する転車台が存在する運転所・機関区は39、稼働する鉄道保存施設・遊園地は13、稼働しない鉄道保存施設・遊園地は4あり、横浜市本牧公園のものは稼働しません(転車台に関するWikipediaより)。

横浜機関区とはあまり耳にしない機関区ですが、1871年9月、日本に鉄道が開業する前年に開業した我が国最初の機関庫でした。1915年12月、東海道本線の貨物支線として鶴見~東高島~桜木町間が敷設され、高島町貨物駅が開業すると横浜機関庫は高島町に移転し、高島機関庫になり、戦後、横浜機関区に改称されました。役割は港湾地区の入れ換え用で、8620形、C56形が在籍し、C56160ラストナンバーがいました。78657が最後の蒸機となり、1966年8月に廃車となっています。1980年代にはみなとみらいの開発ですっかり一帯は呑み込まれてしまったそうです。

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2019年5月 1日 (水)

飯能~本川越間をLaviewで結ぶ西武の臨時特急 小江戸92号

昨日の臨時特急「むさし90号」が飯能に13:51に到着後、14:23に折り返し、本川越に向けて「小江戸92号」として出発します。この時間帯の14:02に西武秩父から池袋に向かう28レ「ちちぶ28号」が到着し、14:05にスイッチバックして出発して行きます。この列車は現在、001系Laviewで運転されています。ということで飯能ではこの時間帯にLaviewの2編成が揃います。

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2019/4/28 所沢に進入、3番線に到着した「ちちぶ28号」 こちらは001系B編成

池袋線飯能方面から新宿線に転線する場合は、

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上の写真の小手指側から3番目の分岐器でカーブし、ダイヤモンドクロッシングを越え、

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本川越方面にはダブルスリップスイッチを直進して1番線に入ります。
かつて西武新宿~西武秩父間の特急「おくちちぶ号」が運転されていた頃はこの渡り線が活用されていました。

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2019/4/28 池袋線から新宿線に転線し、1番線ホームに到着した「小江戸92号」

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