横浜市電保存館を訪問 その3 保存車両 1000型 1007号
横浜市電保存館の保存車両、今回は1000型で関東大震災の復興事業車として1928年から蒲田車両、雨宮製作所で20両(1000~1019)が製造されました。
半鋼製低床式ボギー車で台車は当時の小型電車の標準台車であったブリル76Eが装着されていました。自重17.27t、定員120名ですが、出力が小さかったため、10系統、6系統、8系統といった平坦線で使用されました。昨日の単車500型に較べると最大寸法は長さ13400mm、幅2438mm、高さ3733mmと大分大型化されています。
塗装は私が小学生の頃、父親の運転する車で横浜をドライブしたときに見た市電の塗色と同じでした。1000型は1969年にワンマン化されずに全廃されました。
500型に較べ車体サイズが大きくなっているため、中央ドアが設置され、シートの背面にもモケットが付きました。中央ドアは最初、両開きで製造され、途中で片開きに改造され、1951年に自動化されたそうです。
マスコンは三菱電気製のKR-8
1000型に関してもJL473様から貴重なコメントを頂いていますので、こちらに転載いたします。
今見ると、木工職人さんが腕に撚りをかけて制作したような、クラシックで重厚かつエレガントなインテリアに感じますが、幼児の頃の印象では、窓が小さいこともあり、他の3扉大型車と比べて車内が暗く、とても古めかしく感じていました。そのせいか、重々しくてノロノロ走る電車と言う印象を持っていました。
しかし、その主観的な印象はあながち間違いではなかったようで、後年詳しい人から聞いた話では、1000型は重い上にパワーが無く、平坦線でも満員時には、運河に掛かる橋を超える時のちょっとした勾配でへたばり、電流遮断機のキャノピースイッチが吹っ飛ぶので、乗務員からは嫌われていたと言うことでした。そんな状況なので、1000型は平坦路線専用だったようで、主に本町線の6、8、10系統で割と見かけたことを記憶しています。幼い頃、弘明寺にあった父親の先輩の家に行く時に乗車した10系統の電車が、毎回1000型だったことを憶えています。しかしながら、同じ平坦線の本牧線では、稀に2系統で乗車した記憶が有りますが、見かけることが少ない車両でした。
あと、これはおぼろげな記憶ですが、弘明寺や吉野町辺りで、1や12の系統板を付けた1000型を見たことがあります。1系統と12系統は六角橋起点で、横浜駅、桜木町、阪東橋経由弘明寺で折り返し、井土ヶ谷、保土ヶ谷、洪福寺経由で六角橋終点の正・逆回りの循環線でした。しかし、これに1000型を投入してしまうと、井土ヶ谷—保土ヶ谷間の山越え区間では、EF63の重連で推ないと上れなくってしまうので、どう考えても有り得ません。恐らく、六角橋—保土ヶ谷—弘明寺迄の勾配区間には500型単車などを投入し、弘明寺—桜木町-六角橋の平単線区間は、繁華街やオフィス街を経由して乗客数も多いので、大型車の1000型を弘明寺折り返しの区間運転として投入していたのではないかと推測しています。
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コメント
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1000型についても触れさせて頂きます。
今見ると、木工職人さんが腕に撚りをかけて制作したような、クラシックで重厚かつエレガントなインテリアに感じますが、幼児の頃の印象では、窓が小さいこともあり、他の3扉大型車と比べて車内が暗く、とても古めかしく感じていました。そのせいか、重々しくてノロノロ走る電車と言う印象を持っていました。
しかし、その主観的な印象はあながち間違いではなかったようで、後年詳しい人から聞いた話では、1000型は重い上にパワーが無く、平坦線でも満員時には、運河に掛かる橋を超える時のちょっとした勾配でへたばり、電流遮断機のキャノピースイッチが吹っ飛ぶので、乗務員からは嫌われていたと言うことでした。そんな状況なので、1000型は平坦路線専用だったようで、主に本町線の6、8、10系統で割と見かけたことを記憶しています。幼い頃、弘明寺にあった父親の先輩の家に行く時に乗車した10系統の電車が、毎回1000型だったことを憶えています。しかしながら、同じ平坦線の本牧線では、稀に2系統で乗車した記憶が有りますが、見かけることが少ない車両でした。
あと、これはおぼろげな記憶ですが、弘明寺や吉野町辺りで、1や12の系統板を付けた1000型を見たことがあります。1系統と12系統は六角橋起点で、横浜駅、桜木町、阪東橋経由弘明寺で折り返し、井土ヶ谷、保土ヶ谷、洪福寺経由で六角橋終点の正・逆回りの循環線でした。しかし、これに1000型を投入してしまうと、井土ヶ谷—保土ヶ谷間の山越え区間では、EF63の重連で推ないと上れなくってしまうので、どう考えても有り得ません。恐らく、六角橋—保土ヶ谷—弘明寺迄の勾配区間には500型単車などを投入し、弘明寺—桜木町-六角橋の平単線区間は、繁華街やオフィス街を経由して乗客数も多いので、大型車の1000型を弘明寺折り返しの区間運転として投入していたのではないかと推測しています。
投稿: | 2022年2月28日 (月) 00時22分
HNを書き忘れました。
JL473です。すみません m(__)m
投稿: JL473 | 2022年2月28日 (月) 00時37分
JL473さま、おはようございます。
1000型に関しても貴重な情報、ありがとうございます。これらの文章も近いうちに本文に追記します。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2022年2月28日 (月) 05時11分
B767-281(クハ415-1901) 様
上記コメントの、1系統、12系統の路線経由地の一部に誤りがありましたので、訂正致します。
『1系統と12系統は六角橋起点で、横浜駅、桜木町、阪東橋経由弘明寺で折り返し、井土ヶ谷、保土ヶ谷、西平沼橋、横浜駅経由で六角橋終点の正・逆回りの循環線でした。』が正解です。
勘違いしていましたが、浜松町から洪福寺方面には向かわず、そのまま直進して西平沼橋、横浜駅、青木橋を経由して六角橋に至るのが正しい路線です。
以上、訂正させて頂きますとともに、お詫び致します。 m(__)m
投稿: JL473 | 2022年2月28日 (月) 23時17分
JL473さま、おはようございます。
連日の横浜市電に関する情報、ありがとうございます。
まとまったところで本文に追記します。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2022年3月 1日 (火) 05時09分