横浜市電保存館を訪問 その2 保存車両 500型 523号
横浜市電保存館、昨日の概要に続いて7両の保存車両、その他についてこれから触れて行きます。今回は500型523号です。
500型は1928年に東京瓦斯電気、蒲田車両、雨宮製作所で各20両ずつ、計60両(500~559)製造された大型単車でした。高出力であったため1300型とともに3系統(生麦 - 横浜駅前 - 西平沼橋 - 日の出町一丁目 - 長者町五丁目 - 山元町)で運用されることが多かったそうです。
太平洋戦争中の横浜大空襲で60両のうち15両が焼失しました。この15両は戦後復旧し、600型となりました。この際に500型は欠番が飛ばされ整理されました。したがって523号は旧車号521号だったそうです。
保存車の塗色や装飾スタイルは都電9000形9002号や10形(10-50)と共通性を感じさせます。
保存車はビューゲルですが、登場当時はポールを装備していたと思われます。
屋根は外から見る限りシンプルなカーブを描いていますが、車内から見ると二重屋根になっています。モケットは座面だけで背面は板張りです。床も木張りです。
車内掲示の路線図、最盛期の路線図に較べると井土ヶ谷線開業前であることが分かります。
私は横浜市電が活躍している姿を1度だけしか見ていませんが、コメントにあるようにJL473様から、500型単車に関する貴重な思い出をいただいておりますので、原文のまま、以下に転載いたします。
この500型単車は、ワンマン化以前には、市内の至る所で最も見かけた車両だったと思います。自分は本牧線の沿線民だったので、日中の4系統や5系統でよく見かけたように思います。それ以外では、混雑時の臨時増発便として、系統表示板の所に『捕』の板(補充と呼ばれていた)を付けて走っていたのを覚えています。乗り心地は、前後を上下にしゃくるような感じのピッチングが主で、ハイパワー車と言われていた通り、走りは軽快で、加速も良くて速い電車と言った印象が有り、幼児の頃は好きな電車の一つでした。ただ、鈍重で遅いと思っていた大型車の1300型が、続行で離されることなく追従して来たことを覚えているので、速いと思っていたのは、実は体感的なものだったのかと思います。インテリアに関しては、上の523号のような板張りの背もたれの車両もありましたが、恐らくリニューアルして、背もたれが緑のモケット張りのものがあり、後者の方が多かったように思います。また、車内の塗装に関しては、窓枠やその上の桟の部分が523号のようニス塗りのものの他、黄色っぽいクリーム色のものが有り、やはり後者が多かったと記憶しています。当時の自分としては、ニス塗りの方がこの500型には似合っていて、好きでした。
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コメント
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B767-281(クハ415-1901)様。
折角横浜市電を特集頂いているので、元ユーザー(と言っても物心付いてから、小学校の低学年位までですが)として、それぞれの電車の記憶を書かせて頂こうと思います。ご参考になれば幸いです。
この500型単車は、ワンマン化以前には、市内の至る所で最も見かけた車両だったと思います。自分は本牧線の沿線民だったので、日中の4系統や5系統でよく見かけたように思います。それ以外では、混雑時の臨時増発便として、系統表示板の所に『捕』の板(補充と呼ばれていた)を付けて走っていたのを覚えています。乗り心地は、前後を上下にしゃくるような感じのピッチングが主で、ハイパワー車と言われていた通り、走りは軽快で、加速も良くて速い電車と言った印象が有り、幼児の頃は好きな電車の一つでした。ただ、鈍重で遅いと思っていた大型車の1300型が、続行で離されることなく追従して来たことを覚えているので、速いと思っていたのは、実は体感的なものだったのかと思います。インテリアに関しては、上の523号のような板張りの背もたれの車両もありましたが、恐らくリニューアルして、背もたれが緑のモケット張りのものがあり、後者の方が多かったように思います。また、車内の塗装に関しては、窓枠やその上の桟の部分が523号のようニス塗りのものの他、黄色っぽいクリーム色のものが有り、やはり後者が多かったと記憶しています。当時の自分としては、ニス塗りの方がこの500型には似合っていて、好きでした。
投稿: JL473 | 2022年2月26日 (土) 00時17分
JL473さま、おはようございます。
貴重な横浜市電の思い出話、ありがとうございます。折角のコメントと情報、記事の一部に追記しておこうかと思います。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2022年2月26日 (土) 05時13分