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2019年7月31日 (水)

我が国最古の公立公園として開園した浜寺公園

今回は昨日のD51469号機が保存されている浜寺公園の話題です。

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2016/9/3 浜寺公園

先日、ユネスコ世界文化遺産登録で話題となった仁徳天皇陵を含む百舌鳥・古市古墳群のある一帯から少し南の堺市の海岸線には18世紀初頭の宝永年間に和泉国大鳥郡船尾村・西下村・東下村・山内下村・今在家村の5ヶ村の住民らが防潮のため植えたとされる松林が広がっていました。さらに和泉海岸には平安期の女流歌人祐子内親王の女房、三十六歌仙の一人に数えられる一宮紀伊、紀伊君が詠んだ百人一首72番の

音に聞く、高師浜の仇波は かけしや袖の濡れもこそすれ」で有名な高師浜もあります。

先の和泉国大鳥郡船尾村・西下村・東下村・山内下村・今在家村の5ヶ村は1747年から田安家(徳川八代将軍吉宗の次男宗武を家祖とした御三卿、あとの2家は一橋家と清水家)の家領となり、1868年田安家はこの松林を伐採し、新田開発を計画しました。1873年に大久保利通が当地を訪問した際に松林が約850本まで減少したのを嘆き、堺県令の税所篤に働きかけ、伐採停止が通達されたそうです。このときに大久保が詠んだ歌が、祐子内親王家紀伊の歌に対する本歌取りで

音に聞く 高師の浜の はま松も 世のあだ波は のがれざりけり」だそうです。

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松林と堤防の向こうは浜寺水路

そういった経緯を経て、1873年12月にこの地に日本最初の公立公園として浜寺公園が開園しました。公園周辺の泉北郡浜寺町一帯は大正期から昭和初期にかけ、別荘地となり、夏期は大阪毎日新聞社と南海電鉄が開設した海水浴場としても賑わいました。どこかで聞いたことがありますが、浜辺は男女別々になっていたそうです。太平洋戦争後の1945年から1958年まではアメリカ軍に接収され、解除後3年で泉北臨海工業地帯の埋め立て造成が開始され、海水浴場は姿を消し、浜寺公園の松林の保存のため、浜寺水路が建設されました。

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浜寺公園は総面積75.1haあり、レストハウス、ばら庭園、中央花壇、プール、交通遊園(子供汽車、ゴーカート)、スポーツ施設としてテニスコート、アーチェリー練習場、軟式野球場、球技広場、児童遊技場などがあります。

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子供汽車はこういった列車が走っており、軌間は762mmの軽便鉄道規格で全長1180mの長距離路線です。機関車はSLの形をしたディーゼル機関車「浪花号」で客車3両(1982年アルナ工機製)を牽引しています。
2018年9月4日、関西空港の連絡橋がタンカーの衝突で破壊された台風21号の猛威は当園にも襲い掛かり、子供汽車の交通遊園前駅のホーム上屋が全壊し、同年10月7日の営業再開まで交通遊園は休業に追い込まれました。


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2019年7月30日 (火)

公園保存蒸機 D51 469号機 浜寺公園交通遊園

2016年9月の関西旅行では、滋賀県から京都交通博物館を初訪問し、2日目は千里丘での久しぶりの貨物列車撮影、大阪環状線、阪和線を見て、浜寺交通公園を訪問しました。

ここにはD51469号機と阪堺電車モ121型130号が保存されています。モ130号に関しては2018年9月7日記事で紹介済みですが、D51469号機はまだなので今回紹介いたします。

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2016/9/3 浜寺公園

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沖田祐作氏の機関車表のデータでは
1940-1-22 国鉄大宮工場 製番15
東京局配属
1940-1-16配置 大宮
1944-9-8宇都宮
1959-9-16門司
1959-9-19鳥栖
1965-10-6紀伊田辺
1966-2-21集煙装置取付(鷹取工場)
1968-3-31現在紀伊田辺
1971-8-10廃車 紀伊田辺
1971-10-18保存

1940年1月22日、大宮工場で竣工しており、配置は東京局で戦後まで宇都宮機関区に居ましたが、1959年から九州に、1965年には紀伊田辺に移り、1971年8月に廃車となています。

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砂管のパターンは大宮工場製の横浜の本牧市民公園に保存されている516号機と同じパターンです。逆転機リンクプレートは小穴タイプです。

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右側デフレクター後部の潤滑油バルブは線路方向ではなく、枕木方向に並んで露出しています。

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キャブの窓枠が赤く塗られているのが奇妙ですが、助手席前のランボードには潅水清浄装置が設置されています。

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炭水車の前照灯は欠けておらず、尾灯は埋め込み式となっています。

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非常によく整備されている印象を受けました。

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2019年7月29日 (月)

栗東市手原稲荷公園 と手原駅の展示

昨日の記事で栗東市手原稲荷公園に保存展示されているD51403号機の紹介をしましたが、今回は旧東海道五十三次の宿場としての手原を紹介します。

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2016/9/2 JR西日本 手原駅駅舎

手原は51番目の宿、石部宿と52番目の宿、草津宿のほぼ中間に位置します。京都~石部間は約36キロ(九里)あり、京を朝出発すると夕刻に石部に到着する関係から石部宿は「京立ち石部泊まり」と言われ、最盛期には216軒の商家と62軒の旅籠が軒を連ねたそうです。現在の草津線のルートはかつて紹介しましたが、京から伊勢方面への主要ルートでもあり、多くの人の往来で賑わったそうです。

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2016/9/2 手原稲荷公園の鳥居

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稲荷神社の由緒書き

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1868年9月20日、京都から東京に行幸された明治天皇が9月21日に休憩されたのがこの神社だということです。

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シャレなのか、このようなベンチもありました。

ちなみに駅にも大きく栗東は馬の街とありますが、

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この地図のほぼ中央辺りに、トレーニングセンターが見えます。

駅の観光案内コーナーにもポスターが貼ってあり、茨城県の美浦と同じように日本中央競馬会(JRA)のトレーニングセンターが栗東に開設されたのが1969年(因みに美浦は1978年)のことで、以来、近代競馬史に残る数々の名馬が育っているそうです(私は競馬に興味が無いのでよく分かりませんが)。よく知らない者が言うのも何ですが、1988年以降、美浦トレセンの所属馬(関東馬)は栗東トレセンの所属馬に勝利数、獲得賞金の額で大きく水をあけられており、この状況を「西高東低」というそうです。

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2019年7月28日 (日)

公園保存蒸機 D51403号機 栗東市手原稲荷公園

栗東市手原稲荷公園のD51403号機に関しては2016年9月3日の関西旅行速報版の記事、さらに2019年2月1日の草津線紹介記事で軽く触れました。しかし公園保存蒸機シリーズとしては紹介していないので今回、記事にしました。

栗東市役所に近い草津線の手原駅から歩いて3分程の場所に手原稲荷公園があります。公園に関する紹介は後日、別記事で紹介しますが、

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2016/9/2 手原稲荷公園

公園の少し奥まった場所に屋根付きでD51403号機は保存されています。

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機関車はフェンスに囲まれており、公開時で無いとアプローチはできません。

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普段からよく手入れされているようで油で光っています。

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逆転器リンクプレートは小穴タイプ、右側デフレクター後部に潤滑油バルブが露出しています。

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砂管はこういったパターンです。

沖田祐作氏の機関車表データによる履歴は
1940-3-29 日本車輛名古屋工場 製番778
新潟局配属
1940-4-9配置 新津
1941-6-30借入 直江津
1942-2-5直江津
1944-9-18長岡
1950-3-2長野
1953-9-1重油併燃装置取付(長野工場)
1963-7-3旋回窓取付
1966-9-1(8-31?)紀伊田辺
1967-12-6奈良
1968-4-19集煙装置取替(鷹取工場)
1973-11-8廃車 奈良
1973-10-12保存

となっており、製造は日本車輌名古屋工場で、竣工は1940年3月29日です。
ドーム後部にA型重油タンクが搭載されています。これは1953年9月1日、長野工場入場で設置されたものですね。

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助手席側ランボードには潅水清浄装置(上下幅の短いタイプ)が搭載されています。

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炭水車の前照灯、尾灯もかけること無く装備されています。

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保存機関車の紹介板がこういった立派なケースに入っているのも他ではあまり見かけません。

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2019年7月27日 (土)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その4 駅 阿字ヶ浦

ひたちなか海浜鉄道の駅シリーズ、最後は阿字ヶ浦駅です。


阿字ヶ浦


阿字ヶ浦といえば夏、海水浴場で有名で遠浅の約1.5kmの砂浜は一説には「東洋のナポリ」と言われているようです。かつては上野から直通の急行「あじがうら号」が走っていたこともあり、その当時の名残でホームは7両分の長さがあります。


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2006/7/29 駅舎

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2016/3/5 
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2006/7/29

車両の話題でも出てきましたが、阿字ヶ浦駅の側線にはかつて活躍してた車両の廃車体が置かれ、夏場は臨時の海水浴客の更衣室として使用されていました。


1938年に水戸陸軍飛行学校、大日本帝国陸軍水戸飛行場(前渡飛行場)が建設され、戦後の1946年6月からはアメリカ軍水戸射爆撃場として利用されていた土地が1973年3月15日に日本政府に返還され首都圏整備計画の一環として整備されたのが国営ひたち海浜公園です。

現在、当駅がひたちなか海浜鉄道の終点ですが、国営ひたち海浜公園の南側を通って大規模複合商業施設「ファッションクルーズニューポートひたちなか」がある公園西口付近までの約3.1kmの延伸計画があり、ひたちなか市は2016年12月2024年度運行開始の事業計画を発表しています。延伸区間には終点を含めて3駅の新設が見込まれているそうです。


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2019年7月26日 (金)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その4 駅 那珂湊 其3 反射炉

ひたちなか海浜鉄道、駅シリーズ、那珂湊の3回目は駅から300m程歩いた場所にある反射炉です。

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2016/3/5 反射炉は左下の小さい地図の湊公園内にあります。

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反射炉とは18世紀から19世紀ごろにかけて鉄の精錬に使われた融解炉の一種で、燃焼室で発生させた熱を別室の炉床に壁、天井などで反射させながら集中させ、1200℃から1600℃の高温により、炉床での金属の精錬を行う方式の炉です。製鉄はその後、転炉方式に変わったため、現在は銅の精錬や再生アルミニウムの融解炉として使われていますが、江戸時代末期、各藩において外国船の出没に対処するために洋式砲を製作する必要性に迫られ、日本各地に反射炉が設置されました。

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現存するのが、伊豆韮山、佐賀鍋島藩の築地反射炉、長州藩も萩に反射炉を造りました。

ここ那珂湊の反射炉は水戸藩徳川斉昭が水戸藩大砲鋳造所として1855年11月に1号炉、1857年12月に2号炉の2基完成させました。この地(吾妻台)が選ばれたのは地盤が強固であり、水戸城下から3里の距離にあり、経済的に廻船業で賑わう藩内随一の繁栄地であり、原料の鉄、燃料の石炭の調達運搬に都合が良く、錐入れ水車場(大砲の砲身に砲口を穿孔する工場で水車の動力を利用したことからこう呼ばれたそうです)の建造にも便宜を有することなどの条件を満たす場所として選ばれたようです。

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炉が完成しても大砲を鋳造するのには結構時間がかかり、4年の月日を費やして漸く安定して鋳造することが可能になったようですが、その直後の1864年、水戸藩の世継ぎ騒動に端を発した天狗党の乱、もしくは元治甲子の乱で尊王攘夷派の天狗党と保守派の諸生党が那珂湊で交戦状態となり、反射炉も錐入れ水車場も戦火で崩壊しました。

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炉は吾妻台と呼ばれる台地の上に建設されました。

1933年頃から破壊された反射炉を復元しようという動きが起こり、1937年12月、吾妻台にほぼ原形通りに復元され今日に至っています。

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2019年7月25日 (木)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その4 駅 那珂湊 其2

那珂湊駅は駅自身がレトロな雰囲気を持っていますが、駅周辺にも多くの名所があります。

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2016/3/5 かつては日本全国でよく見かけましたが、今ではほとんど目にしなくなった手書きの名所案内板、メートルを米と表記するのも今となっては懐かしい気持ちがします。

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教会と駅とが共催でこういったイベントというのもこの街ならではかもしれません。

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駅の横には茨城交通のバスの車庫があり、かつて湊線は走っていた気動車と同じ塗り分けのバスが活躍しています。


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バスの車庫のそばには日本通運の事務所があります。
鉄道小荷物が全盛の時代、主要駅には必ず駅に隣接して日本通運の事務所があり、ここから鉄道小荷物(チッキ)を出したり、受け取ったりしたものでした。

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バスと言えば茨城交通によるコミュニティバスも停まっていました。

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百華蔵(びゃくかぐら) 大谷石で造られた蔵で60年以上の歴史があるそうです。建物リフォーム、修繕工事などを請け負うビルダー株式会社が所有し、イベントスペースとして活用されているようです。

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線路の反対側には今では珍しくなった赤レンガ倉庫もありました。

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そして那珂湊駅で忘れてはいけないのがひたちなか海浜鉄道を盛り上げている「おらが湊鐡道応援団」の本拠があることです。




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2019年7月24日 (水)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その4 駅 那珂湊 其1

湊線の駅シリーズ、次は那珂湊駅です。

那珂湊

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2006/7/29 当時は開業90周年の掲示があり、「関東の鉄道駅百選」の選定プレートもありました。

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2016/3/5 

開業は1913年12月25日、湊線の開業とともにこの駅も開業しました。湊線のメイン駅で駅舎は築100年を迎え、1998年には「関東の駅百選」に選ばれた木造駅舎です。

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2006/7/29 当時はキハ20の姿をよく見かけました。

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2016/3/5 ほぼ10年後、キハ20の姿はまだありましたが、主力車両の顔ぶれは変わりました。

単式、島式2面3線のプラットホーム構造で駅横には車両基地でもある機関区が併設されています。車両の夜間停泊も設定されています。列車交換に関しても当駅で全列車の交換が行われています。

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2016/3/5 「おさむ」の方は2019年6月23日に惜しまれつつ推定17年の生涯を全うしたそうですが、2009年に迷いネコとして駅にやってきて以来こうやって可愛がられていました。

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2016/3/5 冬場にポイントの凍結を防止するためのカンテラ

2012年6月3日には会津鉄道芦ノ牧温泉駅と姉妹駅提携がなされました。

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2019年7月23日 (火)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その4 駅 勝田

茨城交通からひたちなか海浜鉄道へ至る記録、今回からは駅の紹介です。

勝田

最初は起点駅であり、常磐線との接続駅でもある勝田駅です。
日本鉄道が磐城線の水戸~平間を開業したのは1897年2月25日でした。
勝田駅の歴史は1909年12月16日の運転業務取扱開始から始まります。翌1910年3月18日、鉄道院勝田駅として開業し、旅客・貨物の取り扱いが開始されます。港鉄道湊線が開業したのはその3年後の1913年12月25日でした。

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2016/3/5 勝田駅を出発してしばらく常磐線と並走するひたちなか海浜鉄道の列車からの車窓風景

1994年11月1日に勝田市と那珂湊市が合併して現在のひたちなか市になりましたが、勝田駅は旧勝田市の中心的な駅で、勝田市は日立製作所の企業城下町として発展しました。水戸市のベッドタウンであると同時に市民の中で日立製作所と関連企業に勤める人々の割合が非常に高くなっています。
Dsc01374 2019/6/1 勝田駅を出発するキハ11-6

ひたちなか海浜鉄道の列車は1番線から発着しており、JR常磐線水戸方面の列車が発着する2番線の反対側にあり、ホーム上に中間改札口があります。JRからのICカード利用終了、もしくはひたちなか海浜鉄道からJR線内ICカード利用のための簡易Suica改札機が設置されており、JRの改札を出ないでJR線との乗り換えが可能な様になっています。ちなみにひたちなか海浜鉄道線内はICカードの利用は出来ません。

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2019年7月22日 (月)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 二代目 キハ11

ひたちなか海浜鉄道にとって二代目となるキハ11形はJR東海が国鉄から継承したキハ30形、キハ28形、キハ58形の更新、そしてワンマン運転の拡大用として1988年から投入した中型気動車で、JR東海の非電化区間、および同社の子会社、東海交通事業の区間に投入された車両です。

車体長17.5m最大長18m、幅2.7mの普通鋼製、およびステンレス鋼製(幅2.8m、300番台)で出入口はワンマン運転のため車体両端に寄せ、幅850mmの片引き戸を2カ所に設置、押しボタン式の半自動扉しました。側窓は211系電車と同じ下降式一枚窓となっています。

室内はラッシュ時と日中の閑散時に対応するためロングシートとクロスシートを組み合わせたセミクロスシートで製造時期がおなじ211系5000番台に準拠したバケットタイプのシートが採用され、定員は110名、座席定員60名はキハ40形よりも多くなっています。トイレは300番台を除き設置されておらず、冷房装置は機関直結式のC-AU29を1基搭載しました。

エンジンはキハ85系と同じカミンズ成C-DMF14HZA(330ps/2000rpm)を1基搭載し、変速機は新潟コンバータ製、軽快気動車用C-DW15(変速1段、直結2段式)を使用するため、出力をキハ85系の350psから330psに抑えてあります。車体の軽量化とエンジン出力の向上により、最高速度は95km/h、20‰勾配で60km/h、25‰勾配で60km/h以上で走行可能となっています。台車は大径心皿式の空気バネ台車C-DT58,C-TR242で動台車は2軸駆動となっています。

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2012/3/15 津 キハ11-1

0番台 暖地用 1988年新潟鐵工所製 10両 1~10

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2009/3/22 多治見 キハ11-122

100番台 寒地向け 1988年 新潟鉄工所、JR東海名古屋工場製 23両 101~123

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2005/7/5 枇杷島 キハ11-201

200番台 東海交通事業 1993年 城北線開業時 4両 201~204

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2012/3/15 亀山 キハ11-303

300番台 暖地向け改良車 1999年 新潟鐵工所 6両 301~306

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2016/3/5 那珂湊機関区

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2016/3/5 那珂湊機関区 こちらは部品取り用キハ11-201

これらのうち123と201~204がひたちなか海浜鉄道に譲渡され、123がキハ115、203がキハ116、204がキハ117に改番されました。201と202は当初から部品取り用のため、2016年12月時点で、未入籍となっています。

キハ11-123は2015年3月14日のダイヤ改正で運用を離脱し、同年4月美濃太田区で除籍となり、4月22日愛知機関区に輸送、203、204も同じ時期に運用を離脱、愛知機関区から4月28日から30日にかけて陸送されました。201、202は同年9月に除籍となりました。

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2019年7月21日 (日)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 初代キハ11の3両

ひたちなか海浜鉄道の車両シリーズ、今回はこれまでに2回在籍しているキハ11形の古い方です。

国鉄キハ10系1953年から開発された一般型気動車で1957年までに728両が製造されました。特徴は初めて液体式変速機を実用化し、併結運転での総括制御を可能としたことです。

形式的には
キハ17形(キハ45000形)片運転台 便所有 1953年 402両
キハ16形(キハ45500形)片運転台 便所無 1954年 99両
キハ10形(キハ48100形)両運転台 便所無 1955年 70両
キハ11形(キハ48000形)両運転台 便所有 1955年 74両
キハ12形(キハ48200形)両運転台 便所有 1956年 22両 
キハ18形(キハ46000形)中間車  便所無 1954年 31両
キロハ18形(キロハ47000形)中間車 便所有 1954年 8両
キハ50形(キハ44600形)片運転台 便所無 1954年 2両 エンジン2基
キハ51形(キハ44700形)片運転台 便所有 1956年 20両 エンジン2基

キハ11形は74両製造されましたが、旧番号48016~48026の11両は寒地向け耐寒耐雪装備で北海道に配置され、1957年の称号改正による改番で100番台(101-111)に区分されました。北海道でも気動車が運用可能なことを証明しましたが、耐寒性が不十分であることからキハ12形が製造され、五能線、芸備線などに転用されました。1965年度に2両、1968年に1両の計3両がキユニ11形に改造され、1975年から老朽廃車が始まり、1980年までに全車が除籍されました。茨城交通へ3両、津軽鉄道に2両、譲渡されました。

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Dsc06181 Dsc06183 2014/5/24 大宮 鉄道博物館 キハ11 25

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キハ10系列において特徴的なDT19/TR49台車 鋼板をプレス加工し、溶接して組み立てられた台車枠とゴムブロックを枕バネに用いた軽量台車

茨城交通時代に元国鉄キハ11のうち 1956年・東急車輌製のキハ11が3両集められました。キハ111から113とナンバリングされ、111(元キハ11 19)は映画「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影に登場、1122004年まで稼働し、最後の営業用キハ10系列となり、キハ11 25としてさいたま市鉄道博物館に収蔵されました。

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2014/8/12 リニア・鉄道館 キハ48036

113(元キハ11 26)は佐久間レールパークに保存され、同所廃止後はキハ48036としてリニア・鉄道館に収蔵されました。キハ48036がキハ1126になるのは北海道用に11両が100番台で抜けたからです。

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2019年7月20日 (土)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 キハ37100

ひたちなか海浜鉄道、現役車両の話題キハ3710、2両の増備として2002年に入線したのがキハ37100-03です。


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2006/7/29 阿字ヶ浦


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2009/7/29 那珂湊 茨城交通時代の塗装

形態的にはキハ3710とほぼ同じですが、ブレーキの二重化など一部仕様が異なるため形式が変更されました。


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2016/3/5 那珂湊 アニマルトレイン ラッピング


2010年4月から「アニマルトレイン」として運行され、2018年5月27日に終了、同年6月30日より、「いきいき茨城ゆめ国体&いきいき茨城ゆめ大会2019」として運行を開始しました。


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2019年7月19日 (金)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 キハ3710

ひたちなか海浜鉄道の現役車両、主力車両のひとつが今回紹介するキハ3710形です。

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2006/7/29 阿字ヶ浦

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2006/7/29 那珂湊 2枚とも茨城交通時代の標準塗装

3710という番号は「みなと」の語呂合わせです。3710-01、3710-02の2両が1960年ケハ600形以来、35年ぶりに茨城交通として自社発注され、1995年11月1日に01、1998年7月1日に02が入線しました。

全長18.5mの「軽快DC」と言われるタイプで、ロングシート、定員123名(座席55名、立席68名)です。同社初の冷房車でバリアフリー対応として後部ドア付近に車椅子スペースが設けられました。

エンジンはDMF13H2(6気筒330PS/2000rpm)が1基搭載されています。

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2016/3/5 那珂湊駅に展示されている3710-01の模型

当初は上の写真のような茨城交通標準塗装でしたが、2010年にデザインが公募され、コンテストの結果、「曙光の大地」をテーマとした下部に濃緑色・上部にクリーム色・その境界部に金帯・扉に黄色を配した新塗色に変更されました。

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2016/3/5 那珂湊機関区で休む3710-01
01も2018年10月13日、定期検査からの復帰と同時に、「株式会社井上工務店」の広告ラッピング車となっているそうです。


3710-160305_20190718183401 3710-160305-5 2016/3/5 那珂湊 3710-02は新塗装の上にアニメ『デュエル・マスターズ』とのタイアップによりラッピングトレイン「勝太駅発!熱血デュエマ列車!!」となっていました。
さらに2017年7月30日より、コマツ茨城工場の竣工10周年記念事業のラッピング車となっているそうです。

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2019年7月18日 (木)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 ミキ300-103

ひたちなか海浜鉄道の車両紹介、今回はかつて兵庫県で旧国鉄特定地方交通線の三木線を引き継ぎ、1985年4月1日から2008年4月1日までの23年間、三木市、兵庫県が出資する第3セクターとして存続した三木鉄道三木線の廃止により、ひたちなか海浜鉄道に譲渡されたミキ300-103です。

三木鉄道では国鉄からの転換時に導入された富士重工業製LE-CarIIシリーズ(二軸車)のミキ180-101,102と同じく富士重工業製LE-DCシリーズのボギー車、1998年、1999年、2002年にかけて導入されたミキ300-103,104,105が在籍しました。三木鉄道廃止に際して、105は樽見鉄道に、104は北条鉄道に競売で落札となり、103は保存を前提に保管されていましたが、2009年6月にひたちなか海浜鉄道に譲渡されました。

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2016/3/5 那珂湊

主要諸元
軌間 1,067 mm
最高速度 95 km/h
車両定員 116名(座席57名)
自重 29.7 t
全長 18,500 mm
全幅 3,090 mm
全高 4,000 mm
車体 普通鋼製
台車 FU50D(動力台車)FU50T(付随台車)
動力伝達方式 液体式
機関 PF6HT03 × 1基
機関出力 295 PS/2100rpm
変速機 シンコウSCR0.91B-4D
変速段 変速2段自動切替・直結1段
制動装置 SME3管式非常弁付き直通空気ブレーキ

ひたちなか海浜鉄道においても形式名、車番、塗色は三木鉄道在籍時のままでの運用となり、2009年8月30日から運行が開始されました。

機構上、ひたちなか海浜鉄道の他の現有形式との併結運転は不可能で、単行で運用に入っています。

昨年は7月の西日本大豪雨で岡山県地方を訪問する旅行が出来ませんでしたので、今年は8月初旬に岡山、兵庫を訪れる夏の旅行を計画しています。

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2019年7月17日 (水)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 キハ205

ひたちなか海浜鉄道の車両の話題、今回は日本全国で唯一現役の国鉄キハ20形キハ205の紹介です。

205-160305
2016/3/5 那珂湊

1965年帝国車輛の製造で国鉄キハ20のラストナンバー522です。国鉄からJR西日本に継承、JR西日本廃車後は1986年から1991年にかけて水島臨海鉄道に売却され、キハ201-212として活躍しました。キハ20-522は210となり、トイレの撤去、サブエンジン方式でデンソー製のエアコン搭載による冷房化が行われました。1996年1月28日に茨城交通に移籍となりました。

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2016/3/5 阿字ヶ浦

茨城交通では入線後、すぐの1996年8月にワンマン化改造が行われ1998年5月頃には国鉄気動車標準色への塗装変更もされました。キハ20形としては2017年3月19日、水島臨海鉄道で頑張っていたキハ205(元国鉄キハ20―321)が運行を終了したため、この車両が最後のキハ20形となりました。

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2016/3/5 阿字ヶ浦

国鉄キハ20形は暖地向け両運転台、1エンジン方式で4位側に便所を持つスタイルで計画時はキハ49000形、登場時は車両商号改正後の1957年から1965年にかけて409両が製造されました。0番台はバス窓、200番台以降は改良型の2段窓となり、500番台が最終型で室内等が蛍光灯方式、暖房も温水式、台車はDT22C,TR51Bを履きました。ローカル線用、簡易郵便車として0番台改造の600番台が2両、200番台改造車が1両存在しました。

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運転台

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車内

現在はイベントなどの際に動く状態となっています。

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2019年7月16日 (火)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 ケハ601廃車体@那珂湊

再び、湊線の車両の話題に戻ります。

今回紹介するのは1960年、新潟鉄工所で製造されたわが国初のステンレス製気動車ケハ600形601号です。海浜に近い路線で塩害による腐食を考慮してステンレス車体で製造されたそうです。

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2016/3/5 那珂湊

正面は当時の流行である正面2枚窓の湘南型を模したスタイルで、左右窓上部に行先表示器に類似した小窓が用意されていましたが、表示装置は装着されず、明り取り窓のようになっていたそうです。

1963年6月20日までは水戸駅までの直通運転列車につかわれましたが、液体式のトルクコンバータ搭載でしたが併結運転時には総括制御が出来ず、付随車として運用に入り、他車との連絡にはジャンパ線が使われましたが、使い勝手は良くなかったそうです。

1992年に廃車となり、台車は抜かれ車体のみが那珂湊機関区に置かれ、倉庫となっていましたが、市民団体「おらが港鉄道応援団」の手で整備され、現在はギャラリーとなっているようです。

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2019年7月15日 (月)

日曜日恒例の101N系の新宿線本線走行(玉川上水~上石神井~南入曽)、7/14は車両トラブル?でウヤ

これまで6月頃から、多摩湖線、西武園線用の101N系4連が日曜日、午後2時から3時にかけてタイトルのような行程で新宿線本線を走るのを目撃してきました。先週は多摩川線との車両交換で263Fが牽引車の役目で駆り出されており、予備車確保から本線回送はウヤになったのかと思われますが、今週もウヤでした。

何時も目撃情報から運用データを参考にさせて頂いているサイトの情報によると、7月14日日曜日

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2019/7/14 一橋学園

512萩山発6402レからスタートする運用は1261F(伊豆箱根)が入りました。

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2019/6/23 東村山

521西武遊園地発6502レからスタートする運用は1245F(ツートン)が入りました。

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2019/7/13 一橋学園~青梅街道

621萩山発6406レからスタートする運用は1259F(赤電)が入りました。1243に西武遊園地に6051レで到着すると、折り返し1246発の6504レから1423に西武遊園地に到着する6511レまでは西武遊園地~萩山間を往復します。

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2019/7/13 青梅街道~一橋学園

656西武遊園地発6010レからスタートし、923萩山着の6405レで一旦、玉川上水に戻り、再び小川から東村山経由で西武園線運用に入る運用は当初、1257F(白塗装)が入っていました。

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2019/6/29 東村山

ところが、1257Fにトラブルがあったのか、西武園線運用は263F(イエロー)が入りました。

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2019/7/14 一橋学園

遅出の1005萩山発の6410レからの運用は1251F(近江鉄道湖風号カラー)が入りました。

という状況で玉川上水基地配置の6編成全てAll Star Cast)が運用に就く事態となりました。

あくまでも私の勝手な推察ですが、こういった事態のため本線回送は2週連続でウヤとなったのではないかと思われます。

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2019年7月14日 (日)

近江鉄道100系「湖風号」塗装の1251Fが多摩湖線に戻って来た

3ヶ月に一度行われる多摩川線~多摩湖線の101N系編成の車両交換で多摩湖線からは「イエローベージュ・ツートン」の1249Fが多摩川線に戻り、多摩川線からは「近江鉄道100系湖風号」塗装の1251Fが1年ぶりに多摩湖線にやって来ました。7月13日の朝、早速運用に入っているのがわかり、近場で撮影してきました。

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2019/7/13 青梅街道~一橋学園 6018レ ズーム機能なしで撮影

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2019/7/13 一橋学園~青梅街道 6405レ 今日の多摩湖線の運用はこれで終わり、西武園線に

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2019/7/13 東村山 6276レで到着し、折り返し6279レで出発

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2019年7月13日 (土)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 キハ2005 @阿字ヶ浦

留萌鉄道の廃線で湊線に移籍したキハ2005は昨日のキハ2004よりも1年早い1969年にやって来ました。製造は1966年東急車輌製造ですので、留萌鉄道での活躍は極めて短かったのですね。国鉄キハ22形と同形になりますが、便所と二重窓は省略されています。

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2016/3/5 阿字ヶ浦

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1974/10/4 島原鉄道オリジナル塗装

キハ2005の方は茨城交通色になりましたが、2010年国鉄急行色の肌色地に窓周りスカーレットの2色塗りに、さらに2013年には三本ひげの島原鉄道塗装に塗り替えられました。ただ、この時期に水漏れを起こし、運用から外れました。

2015年末でキハ2004と同様に正式に引退となりました。

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2019年7月12日 (金)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 キハ2004 @那珂湊

湊線の車両シリーズ、今回は留萌鉄道の廃線で湊線に移籍してきたキハ2000形です。元々は国鉄キハ22形の類似車でキハ2004は1970年に移籍しました。

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2006/7/29 那珂湊 茨城交通時代、同駅で休息するキハ2004

キハ2004は淡黄色地に赤帯の国鉄準急色になりましたが、2015年12月25日、二代目キハ11形の導入により。運用から離脱しました。結局、2015年限りで正式に引退しました。

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2004-160305 2016/3/5 那珂湊 2015年暮れの引退後、那珂湊に放置されていた頃の姿

その後、那珂湊駅構内に放置されていましたが、2016年10月13日、平成筑豊鉄道での動態保存のため、搬出され、10月17日金田駅に搬入されました。

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2019年7月11日 (木)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 キハ203@那珂湊

昨日の記事で紹介したキハ200形、キハ2032009年に展示用車両として国鉄首都圏色(通称、タラコ色)に塗色変更されました。キハ202,キハ204も那珂湊駅に放置され、撤去、解体されましたが、203は2016年3月の時点で解体を免れ、残存していました。

203-160305 203-160305-2 203-160305-2

3枚とも 2016/3/6 那珂湊 勝田より踏切から

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2016/3/6 那珂湊 タラコ色になるとともに車体記号もキハ20⁴29になっています。

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2019年7月10日 (水)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 キハ201廃車体@阿字ヶ浦

キハ201は元々、広島地区に配置されていた国鉄キハ20形で鹿島臨海鉄道大洗鹿島線開業時に4両が譲渡されました。鹿島臨海鉄道では2000形(2001~2004)となり、投入に際して前照灯、尾灯が角型シールドビームに交換されました。さらに車内の更新、トイレの汚物処理装置設置改造などが国鉄大宮工場で施工されました。

冷房装置が搭載されていないため、6000形の増備で運用から外れ、1989年から1991年にかけて全車、茨城交通に譲渡されました。茨城交通では200形(201~204)となり、こちらではワンマン改造がなされていないことで2006年までに全車、廃車となりました。

201-060729 2006/7/29 阿字ヶ浦

キハ201はキハ221と同様に阿字ヶ浦駅に留置され、海水浴客の臨時更衣室となっていました。2009年3月、キハ221と同様に撤去されました。

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2019年7月 9日 (火)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 キハ22 2 @那珂湊

まず最初に本題とは関係ありませんが、毎週日曜日13:30頃玉川上水を出発して、上石神井まで行き、一旦入庫して南入曽まで西武新宿線を下る101N系の回送、7月7日日曜日は運転されなかったようです。考えられる理由は、同日、101N系の車両交換が行われ、多摩湖線から1249F(イエローベージュツートン)が3か月で多摩川線に戻り、1251F(近江鉄道塗色)が多摩湖線に異動となる甲種回送が行われ、263Fが牽引車として新秋津口で回送を担当したため、編成に余裕がなかったためではないかと思われます。

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今回は昨日のキハ221同様、羽幌炭鉱の閉山で廃線となった羽幌炭礦鉄道から茨城交通に譲渡されたキハ22形のうちキハ222の話題です。1962年富士重工業で製造されました。

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2006/7/29 那珂湊

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Img_70852016/3/5 那珂湊

塗色は羽幌炭礦鉄道カラーから茨城交通オリジナルカラーに塗り替えられ、さらに国鉄気動車用旧標準色(軽快色)に塗り替えられました。2012年にエンジン故障を起こし、長らく休車状態でしたが、2013年に修理され運用に復帰しました。2015年2月22日をもって営業運転を終了、検査期限切れで休車扱いとなり、同年中に廃車となりました。

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2019年7月 8日 (月)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その3 旅客車編 キハ22 1 廃車体@阿字ヶ浦

湊線の車両、今回は北海道北部の羽幌炭鉱から産出される石炭を搬出するため1941年12月14日に開通し、1970年12月15日、炭鉱の閉山と共に廃止された羽幌炭礦鉄道(築別~築別炭鉱16.6km)用に製造された国鉄キハ22の同形車です。私も大学1年のとき(1974年)、教養学部化学部の夏の北海道実験旅行で羽幌と天塩有明を訪れており、その時、羽幌鉱山は既に閉山されており、羽幌炭礦鉄道も既に廃止されていましたが、留萌から羽幌、天塩有明までは後に廃線となった羽幌線に乗車しました。

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1974/7 留萌駅で発車待ちをする羽幌線気動車列車 キハ22 19他

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1974/8 羽幌線天塩有明駅の駅名標 隣の駅名の築別が羽幌炭礦鉄道の起点

今回の記事で紹介するのは同鉄道が保有していたキハ221~223の3両のうちのトップナンバーキハ221で極寒地向け仕様の大型気動車でした。1960年から1966年にかけて富士重工業で製造され、旅客輸送の主力でした。エンジンはDMH17C8気筒180馬力を搭載していました。

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2006/7/29 阿字ヶ浦 キハ221の廃車体

羽幌炭礦鉄道廃止後、3両とも茨城交通に譲渡され、湊線で第二の職場を得ました。移籍に際して、スノープラウ、便所は撤去されましたが、旋回窓は残されました。塗色も羽幌炭礦鉄道の塗色のまま残され、1983年に茨城交通オリジナルカラーになりましたが、1997年に羽幌カラーに復元、営業運転に用いられ、同年中に廃車となりました。廃車後、阿字ヶ浦駅構内に留置され、海水浴客の臨時更衣室として使用されていました。

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2009年3月に撤去され、解体されました。

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2019年7月 7日 (日)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その2 機関車編 ケキ102

湊線には茨城交通時代2006年7月ひたちなか海浜鉄道(2008/4/1以降)となった2016年3月勝田車両センター公開の後)に訪問しました。いずれの訪問でも阿字ヶ浦駅構内や那珂湊駅構内・湊機関区などで車両の撮影、さらにステンレス製気動車ケハ601の廃車体を撮影しました。それらを機関車、旅客車の順で紹介して行こうと思います。

まずは機関車編としてケキ100形式ケキ102です。ケキ100形は101~104まで4両在籍し、
ケキ101 1953年新潟鐵工所製造 L形20tタイプ 湊線で使用 1980年10月8日付けで廃車

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2006/7/29 那珂湊駅構内にホキ2両と共に留置されるケキ102の廃車体


ケキ102 1957年新潟鐵工所製造 35t凸形 茨城線で使用 廃止後、湊線に転属
     貨物、混合列車の牽引 勝田駅での入れ換え作業 2005年廃車 那珂湊機関区に留置 
     2009年搬出、JR貨物伏木駅(富山県)側線に移送 伏木富山港多目的国際ターミナルに鉄道引き込み線を敷設する際の
     入れ換え用として修復作業が行われ、2010年9月にはお披露目イベント

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ケキ103 ケキ102の運行成績が良かったことで1953年7月に湊線に増備 ケキ102の転属で1990年3月6日付けで廃車


ケキ104 1956年川崎車輌で製造 30tL形 倉敷市交通局(現、水島臨海鉄道)にDC502として新製配置 1966年茨城交通に転属、1971年度     に廃車

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2019年7月 6日 (土)

湊線の風景 茨城交通からひたちなか海浜鉄道 その1 歴史

2019年6月1日土曜日、日立製作所水戸事業所「さつきまつり」に参加した際、勝田駅で久しぶりにひたちなか海浜鉄道湊線のDCを撮影しました。

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2019/6/1 勝田 キハ11形-6(元・東海交通事業キハ11-203)

湊線は勝田駅と阿字ヶ浦駅間14.3km、駅数10駅の非電化、単線の路線で、全線ひたちなか市内に存在します。
仮免許が交付されたのは1904年3月4日で、当時は武田~平磯間であったことから武平鉄道に対してでした。1907年11月18日、会社名を湊鉄道とし、大谷新介により会社が設立されました。1908年3月11日、免許状が下付されました。1911年2月16日、軽便鉄道の指定を受けました。

開業は1913年12月25日、勝田~那珂湊間が開通、1924年9月3日は那珂湊~磯崎間が延伸、1928年7月17日、磯崎~阿字ヶ浦間が延伸し、全通となりました。1936年7月25日、ガソリン車の導入も図られました。

1944年8月1日、太平洋戦争に対する国策で茨城県内の交通統合が図られ、水浜電車(上水戸~湊間の路面電車で1922年12月28日に開業、1966年6月1日に廃止)、茨城鉄道(赤塚~御前山間1926年10月24日に開業、1971年2月11日に廃止)と合併、茨城交通が発足し、湊線となりました。1963年6月20日、水戸駅までの直通運転が廃止されました。

1984年2月1日、車扱貨物の全面廃止、同年6月1日、手小荷物取扱が廃止されました。1990年度まで夏季には上野から直通列車が運行され、海水浴客を運んでいました。

2005年12月、茨城交通は地元ひたちなか市に対して、2008年3月で湊線を廃線にする意向を示しました。2007年9月27日、茨城県知事、ひたちなか市長、茨城交通社長が会談し、市と茨城交通が出資する第三セクター方式の別会社を設立し、湊線を存続することで合意しました。2008年4月1日、湊線はひたちなか海浜鉄道に移管となりました。

2011年3月11日の東日本大震災では路線が大きく被災、全線が不通になりましたが、7月23日までに全線で運行が再開しました。

 

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2019年7月 5日 (金)

城北交通公園 2015年10月訪問時 の他の展示物 都営バス

昨日に続いて城北交通公園の展示物の話題、今回は1982年式 日野自動車製 K-RE101型の都営バスです。目黒営業所でM-K458の記号が与えられ、マスコットバス さくら号として活躍、1990年3月に葛西営業所に転属、廃車を迎え、1991年に当所に保存されました。

K458-151004-3

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K458-1510042015/10/4 城北交通公園 モノコックボディのバスは側窓や扉のサイズが車体強度の関係から限定されていました。現在、主流のスケルトン車体のバスは窓や扉のサイズを変えてもスケルトンが変化しなければ強度に影響しないので自由度が広がりました。

現在、路線バスの車体は鋼管で構成されるフレームに鋼板を貼り付けた「スケルトン車体」のものが主流ですが、このタイプはそれ以前の「モノコック車体」でした。RE101系は1977年にRE100に対してエンジンの出力アップを中心としたモデルチェンジで登場した系列でEB400型(190pS)が載せられました。これ以降は1982年からスケルトン車体のHU/HT系が並行して登場し、モノコック車体は1984年に製造が終了しました。

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車内の様子、私も最近、路線バスに乗る機会がしばしばありますが、座席配置などは同じですが、運転台周辺はかなりシンプルだと感じます。

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2019年7月 4日 (木)

城北交通公園 2015年10月訪問時 の他の展示物 Koppel製ベビーロコ号

板橋区が管理する城北交通公園には昨日の記事で紹介したD51513号機の他、ドイツ・コッペル社製のミニSL「ベビーロコ号」、都バス、都電8000系の車輪などが展示されています。さらに交通資料館内部にはC622号機の模型、HOゲージのレイアウトなどが展示されています。

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2015/10/4 城北交通公園

この説明にあるように明治45年(1912年)にOrenstein & Koppel社で製造された機関車です。同社は1876年4月1日、ベルリンにおいて創設された会社で創業後、鉄道車両、重機、エスカレータなどを製造してきました。1981年に鉄道部門から撤退、1996年にはエスカレータ製造部門をフィンランドのコネ社に売却し、建設機械製造に専念しました。しかし、建設機械部門もフィアットグループに売却し、2006年ベルリン工場は幕を閉じました。

ベビーロコは輸入後、紀州の有田鉄道で活躍、太平洋戦争後は東武東上線に移りましたが、牽引力が少なすぎたため、東上線を回送で走っただけで川越機関区で休車、放置状態でした。1958年7月以降は常盤台駅で展示されていましたが、1973年8月に城北交通公園に移されました。

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キャブ内にも立ち入り可能で、ボイラーの右上に手動のブレーキが付いています。

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2019年7月 3日 (水)

公園保存蒸機 D51 513 城北交通公園 2015年10月訪問時

都営地下鉄三田線の蓮根駅から歩いて数分の場所にある板橋区立の城北交通公園にD515⃣13号機が保存されています。私は2015年10月4日に訪問しました。このときは機関車全体に錆が発生し、かなり痛々しい状態でしたが、その後、2017年に塗装の塗り直しが行われ、現在はかなり美しい状態のようです(公園のサイト)。


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2015/10/4 城北交通公園


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沖田祐作氏の機関車表によるとこの機関車は
1940-12-11 国鉄大宮工場 製番26
新潟局配属
1940-12-11配置 直江津
1947現在 新津
1955-8-1現在 新津
1968酒田
1972-6-14廃車 酒田
1972-10-14・15鉄道100年記念東京北鉄道管理局田端機関区公開で展示(無火)
1973-3保存


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国鉄大宮工場製で砂管のパターンは2019年4月29日の記事で触れたD515⃣16号機同様に3本目の砂管が斜めに折れ曲がるパターンとなっています。また逆転機リンクプレートの穴は小穴タイプです。


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助手席前のランボードには潅水清浄装置(縦長タイプ)が装備されています。


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右サイドのデフレクターの後ろには6連の潤滑油系のバルブが露出しています。


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テンダーには前照灯は装備されていますが、尾灯はありません。台車はこの時期のD51(量産形)の標準台車(鋳鋼と鋼板による組み立て式台車)です。


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キャブ内も見学可能ですが、メータ類のガラスは全て欠損しています。


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2019年7月 2日 (火)

6月30日、日曜日は263Fが本線回送運転

6月9日、日曜日赤電塗装の1259F6月23日、日曜日伊豆箱根ラッピングの1261Fだった、玉川上水~小平~上石神井、折り返し、南入曽の101N系回送電車、6月30日も果たして走るのか、走るのなら、どの編成か、ということで今回は萩山~小平間で狙うことにしました。


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14:02 今回は玉川上水を出発すると思われる時刻からスマホの西武鉄道アプリで列車走行位置情報を確認しましたが、画面には一切登場せず、萩山を出発した編成がカーブを曲がって来ました。


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そしてこの日の編成は甲種回送で牽引車も務める263Fでした。


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小平から本線に入った後も「列車走行位置」情報をモニターしましたが、先週の1261Fとは異なり、一切情報が出ませんでした。


そして、小平霊園入口の踏切で上石神井、折り返しの南入曽行きを待ちます。


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これまで同様、南入曽行きは14:55頃、小平駅を発車し、久米川方面に走り去って行きました。

先週から1週間、14:00から15:00頃にスマホで列車走行位置情報はモニターしましたが、6/23以外は「回送」電車の情報が表示されなかったので、この回送列車が日曜日限定なのかどうかは現時点では不明です。また、南入曽から玉川上水へは何時ごろ、戻っているのか、も現時点では不明です。


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2019年7月 1日 (月)

公園保存蒸機 C56 131 松江北公園

2015年夏の広島、島根、鳥取旅行で出会った公園保存機関車、松江北公園に保存されているC56131号機です。

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2015/8/4 松江北公園

訪問した当時はだいぶ腐食していましたが、木次線経由で1953年11月から臨時快速列車として運行された「ちどり」のHMを掲示して展示されています。愛称の「ちどり」は松江城の別名「千鳥城」にちなんだものだそうです。1955年からは「夜行ちどり」も運転されました。編成は木次線の急勾配もあり、2.3等合造車を含む3両の軽量編成で、「ちどり」「夜行ちどり」とも同編成でした。1959年に準急列車として定期列車化され、キハ55形に置き換えられ、1962年に夜行ちどりの統合、「ちどり」2往復化、1966年に急行列車化、1968年に芸備線・木次線で運転されていた列車が統合され3往復化されるまでなりましたが、1972年陰陽連絡ルートは伯備線となり、1985年に「みよし」の運転開始で1往復に、2002年7月に廃止となりました。

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C56131号機が沖田祐作氏の機関車表データによると
1938-2-26 日立製作所笠戸工場 製番974
仙台局配属
1938-2-26配置 会津若松
1939-3-1現在 会津若松
1941 現在 釜石
1943 現在 中込
1944-3-31現在 白山
1947 現在 白山
1955 現在 坂町
1955-4現在 飯山
1965 現在 飯山
1971 現在 長野
1972-3-31現在 長野
1973-5-17浜田
1975-2-17廃車 浜田
1975-3-26保存 松江市末次公園
移転 松江市北公園

誕生は日立製作所笠戸工場で1938年2月26日、新製配置は会津若松でした。その後、東北地方から小海線、飯山線と活躍の場を移し、1973年に浜田にやって来て1975年2月に廃車となりました。

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C56といえばこの切り欠きテンダーです。バック運転の時に視界を確保するためです。C56-131-150804-14

動輪も美しく整備されていたことが分かります。

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