我が国最古の公立公園として開園した浜寺公園
今回は昨日のD51469号機が保存されている浜寺公園の話題です。
先日、ユネスコ世界文化遺産登録で話題となった仁徳天皇陵を含む百舌鳥・古市古墳群のある一帯から少し南の堺市の海岸線には18世紀初頭の宝永年間に和泉国大鳥郡船尾村・西下村・東下村・山内下村・今在家村の5ヶ村の住民らが防潮のため植えたとされる松林が広がっていました。さらに和泉海岸には平安期の女流歌人祐子内親王の女房、三十六歌仙の一人に数えられる一宮紀伊、紀伊君が詠んだ百人一首72番の
「音に聞く、高師浜の仇波は かけしや袖の濡れもこそすれ」で有名な高師浜もあります。
先の和泉国大鳥郡船尾村・西下村・東下村・山内下村・今在家村の5ヶ村は1747年から田安家(徳川八代将軍吉宗の次男宗武を家祖とした御三卿、あとの2家は一橋家と清水家)の家領となり、1868年田安家はこの松林を伐採し、新田開発を計画しました。1873年に大久保利通が当地を訪問した際に松林が約850本まで減少したのを嘆き、堺県令の税所篤に働きかけ、伐採停止が通達されたそうです。このときに大久保が詠んだ歌が、祐子内親王家紀伊の歌に対する本歌取りで
「音に聞く 高師の浜の はま松も 世のあだ波は のがれざりけり」だそうです。
松林と堤防の向こうは浜寺水路
そういった経緯を経て、1873年12月にこの地に日本最初の公立公園として浜寺公園が開園しました。公園周辺の泉北郡浜寺町一帯は大正期から昭和初期にかけ、別荘地となり、夏期は大阪毎日新聞社と南海電鉄が開設した海水浴場としても賑わいました。どこかで聞いたことがありますが、浜辺は男女別々になっていたそうです。太平洋戦争後の1945年から1958年まではアメリカ軍に接収され、解除後3年で泉北臨海工業地帯の埋め立て造成が開始され、海水浴場は姿を消し、浜寺公園の松林の保存のため、浜寺水路が建設されました。
浜寺公園は総面積75.1haあり、レストハウス、ばら庭園、中央花壇、プール、交通遊園(子供汽車、ゴーカート)、スポーツ施設としてテニスコート、アーチェリー練習場、軟式野球場、球技広場、児童遊技場などがあります。
子供汽車はこういった列車が走っており、軌間は762mmの軽便鉄道規格で全長1180mの長距離路線です。機関車はSLの形をしたディーゼル機関車「浪花号」で客車3両(1982年アルナ工機製)を牽引しています。
2018年9月4日、関西空港の連絡橋がタンカーの衝突で破壊された台風21号の猛威は当園にも襲い掛かり、子供汽車の交通遊園前駅のホーム上屋が全壊し、同年10月7日の営業再開まで交通遊園は休業に追い込まれました。
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