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2019年8月31日 (土)

岳南鉄道から岳南電車へ その歴史

2017年3月の静岡県方面の旅、今回からは東海道本線吉原駅から岳南江尾駅を結ぶ岳南電車岳南線の話題です。

170310-6 2017/3/10 JR吉原駅南にある津波避難タワーの上から見た吉原駅と富士山

東海道五十三次の14番目の宿場である吉原宿は元々、現在のJR吉原駅そばにありましたが、1639年(寛永16年)の高潮により壊滅的な被害を受け、再発を防ぐために内陸部の富士市依田原付近に移転しました。ところが1680年(延宝8年)8月6日にも再び壊滅的な被害を受けたため、更に内陸の現在の吉原本町に移転しました。このために東海道は原宿~吉原宿間で海沿いから大きく内陸に湾曲することになり、京に向けて進む場合、右手に見えていた富士山が左手に見えることから”左富士”と呼ばれる景勝地になりました。

Dsc09273 かつての岳南鉄道の社章

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沿線マップ

1889年(明治22年)に東海道本線の国府津~浜松間が開業した際、線路は吉原の町の近くを通らず町外れの鈴川(現在の吉原駅)を通ることになりました。そこで町の中心部と鈴川を結ぶ鉄道が敷設されることになり、1936年8月5日から鈴川と旧左富士信号所間は日産重工業(現、日産自動車)の専用鉄道が利用されました。戦後の1948年12月15日、駿豆鉄道(現、伊豆箱根鉄道)が路線免許を取得、資本金の半分を出して岳南鉄道が設立されました。1949年11月18日、鈴川駅~吉原本町駅間が開業しました。1953年1月20日には岳南江尾駅まで開通し、全線開業となりました。もっとも取得免許では身延線の入山瀬駅まで延伸や沼津方面へ延伸の予定もありましたが、資金難で断念したそうです。1969年9月10日、架線電圧が600Vから1500Vに昇圧されました。

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終点 岳南江尾駅 駅舎

貨物輸送全盛時代は引き込み線や専用線の総延長が本線の総延長よりも長かったそうですが、2011年1月、JR貨物の合理化で2012年春以降の貨物輸送の休止が通告され、2012年3月16日限りで貨物列車の運行が終了し、貨物の取扱が廃止されました。岳南鉄道は運行継続が困難になることを富士市に伝え、富士市は公的支援を伝え、鉄道路線の経営は2013年4月1日から子会社の岳南電車に移管されました。

7002-120109-2
2012/1/9 現在の主力形式 7000形 京王井の頭線3000系の中間車を改造したもの

岳南電車といえば沿線の工場の夜の風景で有名ですが、2014年7月18日、2014年度(第10回)「日本夜景遺産」に鉄道領域で初めて認定されました。

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2019年8月30日 (金)

373系 JR東海の 「広」汎用性 電車

2017年3月の静岡方面の旅、熱海から三島までは(中長距離普通列車から特急列車まで使用可能な)「JR東海の185系」とも言える373系を利用しました。青春18切符で東海道本線を利用するとしばしば373系に乗車する機会があり、ちょっと得した気分になります。

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2005/12/18 大船 今は亡き「東海」に使用されたF1編成

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2007/3/4 富士 身延線の特急「ふじかわ」

373系はJR東海が発足した際、国鉄から継承した165系を使用して身延線の急行「富士川」などを運用していましたが、老朽化、内装の陳腐化で取替えの必要に迫られ、中長距離普通列車から特急まで、幅広い運用に対応可能な車両として1995年8月から1996年1月にかけ、日本車輛製造(F1~12)、日立製作所笠戸事業所(F13/14)により、3両編成14本が製造され、1995年10月のダイヤ改正から投入された車両です。

←東京 クモハ373+サハ373+クハ372 
    VVVF、PT  BR  CP T
     SIV               BR:発電ブレーキ用の抵抗器 T:真空式汚物処理装置

主要諸元
最高運転速度 120 km/h
起動加速度 2.1 km/h/s
減速度(常用) 4.1 km/h/s
編成定員 179人
編成重量 97 t(新製時)
全長 21,300 mm
全幅 2,946 mm
全高 3,630 mm
車体 ステンレス(前頭部のみ普通鋼)
主電動機 C-MT66
駆動方式 TD平行カルダン駆動方式
歯車比 15:98=1:6.53
編成出力 185 kW × 4 = 740 kW
制御方式 VVVFインバータ制御(定速運転制御機能付)
制御装置 C-SC35形
制動装置 電気指令式ブレーキ 抑速ブレーキ 回生ブレーキ 発電ブレーキ
保安装置 ATS-ST・ATS-P(登場時)、ATS-PT

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2005/7/5 名古屋周辺のホームライナー

JR東海におけるGTO素子によるVVVFインバータ制御は383系(特急しなのに使用)に次いで2例目であり、1台の制御装置が1基のモータを制御する1C1M方式です。パンタグラフはシングルアーム式で関節が車端部を向く方式でクモハ373形に搭載され、身延線の狭小トンネル向けに最低作用高さが極めて低い状態にセットされています。
台車は311系の牽引装置を1本リンク式に変更したC-DT63/TR248を履き、蛇行動抑制のためヨーダンパ、空転防止のため砂箱が装備されています。
車内は回転式リクライニングシート横2+2列で座席間隔は970mm、クモハ373、サハ373の連結部寄りに4人掛け・固定テーブル付きセミコンパートメント席が用意されています。

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2017/3/10 熱海に入線してきた普通列車 ホームの足元にも373系列車の時刻が表示されていました。
373-f13-140102-2_20190829191101 2014/1/2 富士

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2014/8/3 豊橋 車内の様子

配置は前14編成、静岡車両区です。
これまで特急用としては身延線の「ふじかわ」、東海道本線「東海」、飯田線「伊那路」、さらに夜行快速「ムーンライトながら」に、特急の間合い運用で「ホームライナー豊橋」「ホームライナー大垣」「ホームライナー沼津・静岡・浜松」などに使用されました。また御殿場線、飯田線、身延線、中央西線、そして東海道本線で運転された各種臨時列車にも運用されました。

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2019年8月29日 (木)

公園保存蒸機 三島楽寿園に保存されているC58 322号機

今回からは2017年3月10日から2泊3日で三島、吉原、島田まで行き、島田を拠点に大井川鐡道「SLフェスタ」に参加したときの様子です。速報版では2017年3月11日記事12日の記事、13日の記事となり、それ以降、大井川鐡道の記事が続きますので、島田に至るまでの部分を今回は記事にします。

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2017/3/10 三島楽寿園 静岡地区ではあまり縁がないごついスノウプラウが装着されて保存されています。

まずは三島駅南口前にある三島市が運営する有料公園「楽寿園」内に静態保存されているC58322号機です。ここは古くは小浜山と呼ばれ、愛染院、浅間神社、広瀬神社の社寺域で、1890年小松宮彰仁親王の別邸として造営され、彰仁の没後、1911年に韓国王世子李垠の別邸となり、昌徳宮と呼ばれました。1927年、伊豆出身の資産家・緒明圭造へ売却され、1952年に三島市が購入し、同年7月15日から市立公園として一般公開されるようになりました。

園内の起伏は「三島溶岩」と呼ばれる下層部が約1万7千年前、上層部が1万5千年前の富士山の噴火で流出、堆積した溶岩からなるもので、溶岩流の露頭もあります。

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キャブ下両サイドの区名札入れには活躍した機関区の区名札が入っています。
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訪問したときは炭水車側の前照灯、尾灯はありませんでした。現在はシールドビームタイプの前照灯が装備されているそうです(サイト)。

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キャブ内は見学可能でメータ類のガラスもきちんと維持されていました。


C58322号機は沖田祐作氏の機関車表データによると
1942-4-30 汽車製造大阪工場 製番2174
1945-8現在 富山
1947現在 富山
1955-8-1現在 敦賀
1961-3 遠江二俣
1961-6 敦賀第一
1971-4-17廃車 敦賀第一  大阪の汽車製造で1942年に竣工後、富山、敦賀、遠江二股、敦賀第一と転々とし、最後は1971年に敦賀第一機関区で廃車となっています。蒸気機関車としての引退は比較的早く、保存されたのも初期ということになります。

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本機の後方に1組のC58らしき動輪が保存展示されており、刻印を見るとC58294号機のもので1971年3月15日に敦賀一機関区で廃車された機関車です。

Dsc09194 Dsc09199_20190828190701 流石、JR東海管内

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2019年8月28日 (水)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その3 路線編 仙台東北ライン 接続線

昨日の記事では2015年5月30日に開業を迎えた仙台東北ライン用に準備されたHB-E210系気動車について紹介しましたが、今回は仙石線と東北本線が接近する区間に設けられた接続線の様子です。

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2016/10/22 高城町駅 駅名標 このときは仙石線高城町側から乗車しました。

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高城町駅 時刻表 開業時 仙石線 あおば通方面が毎時2本、仙台方面が毎時1本 停車パターンが異なる特別快速、赤快速、緑快速の3種類が運行されていました。

両線の駅としては東北本線塩釜駅と松島駅の間、仙石線は松島海岸駅と高城町(たかぎまち)駅間に接続線が建設されました。それぞれの分岐・合流部分は松島駅構内、高城町構内扱いとなっています。また、接続線は東北本線支線となっています。

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仙台方面と2つの出発信号機

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仙石線と接続線分岐 右が接続線

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東北本線に合流

路線自身は国鉄分割民営化直後の1991年から1992年頃から計画はされていました。しかし、最大のネックは両線の電化方式の違いで交直流車両の投入や建設費の工面が民営化直後のJR東日本にとっては重荷であり、東日本大震災発生後、ハイブリッド気動車の新技術の熟成、震災で被害を受けた遠征自治体の復興目的で、沿線自治体からの要望が実現に至ったそうです。

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東北本線 塩釜駅 駅名標

仙石線は宮城電気鉄道が建設した元私鉄路線で駅間距離が短く、停車駅が多く、待避設備が無いため、緩急接続が出来ず、快速列車の増発が難しい線区でした、一方東北本線は待避設備はないものの、駅間距離が長く、停車駅が少ないため、速達性の高い線区で、両線を接続することで、仙台~石巻間の移動が1時間以内におさまるというメリットが期待されました。

さらにミヤコーバスが高速道路を使って仙台~石巻間の運行を1998年から開始し、当初は一日4往復でしたが、震災で仙石線が長期不通になった間、高速道路の早期復旧で臨時便を運行し、同区間の公共交通機関としての地位を確立して行きました。JR東日本も仙台~石巻間に石巻線経由で「直通快速」(ノンストップ)を朝夕1往復運行しましたが、石巻線のダイヤ上の制約から増発は難しく、利用客は100人程度に留まり、バスには太刀打ちできない状況でした。

そういった状況から鉄道の復活をアピールするために整備されたのが仙台東北ラインで、仙石線の全線復旧、同ラインの運行開始で高速バスの方は減便に至りました。

総事業費は18億円、うち4億4千万円は宮城県、仙台市、石巻市等が国勢調査データに基づく、仙台市への通勤通学者の割合に応じて負担しました。

接続線開業当初は線内での無線の切り替え操作の関係で運転停車が義務づけられていましたが、2017年から2018年にかけて改良工事を行い、無停車で通過が可能となりました。

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2019年8月27日 (火)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 HB-E210系気動車

仙石線の車両、今回は2015年の仙石東北ライン開業に合わせて、小牛田運輸区に投入され、仙石東北ライン直通車両、快速・特別快速として運用されているHB-E210系気動車2両編成です。

Hbe210-c3-161021

Hbe210-c8-161021
2016/10/21 仙台 上がC-3、下がC-8編成

仙石線に投入される車両としては初の新造車で、直流1500Vと交流50Hz20kV区間を直通するのに交直流車両ではなく気動車を使うのは最近、日本各地で見られる手法です。尤も、接続線区間はデッドセクションではなく非電化区間となっています。

総合車両製作所横浜事業所で HB-E211形+HB-E212形 2両8編成16両が2015年5月30日の運行開始に合わせて製造されました。
車体は軽量ステンレスワイドボディで耐寒耐雪装備として客室扉のレールヒータが装備され、側面からの補強策を充実させ、ハイブリッドシステム搭載による重量増加に対応して側梁を強化しています。側扉は3扉で押しボタン開閉式半自動扉となっています。

Hbe210-c2-161022-2
2016/10/22 高城町 C-2編成


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2016/10/22 塩釜 C-7編成

主要諸元

最高運転速度 100 km/h
起動加速度 2.3 km/h/s と 1.8 Km/h/s を切替え可能
減速度(常用) 3.5 km/h/s
編成定員 262名(座席定員90名)
自重 38.4 t(HB-E211形)39.6 t(HB-E212形)
編成重量 78 t
全長 20,000 mm
車体長 19,500 mm
車体幅 2,950 mm
車体高 3,620 mm
車体 ステンレス
台車 軸梁式ボルスタレス台車
DT75B(動力)/TR260B(付随)
機関 DMF15HZB-G直噴式直列6気筒ディーゼルエンジン
機関出力 331 kW (450 PS)
主電動機 かご形三相誘導電動機 MT78形
主電動機出力 95 kW × 2
歯車比 14:99 (7.07)
編成出力 662 kW (900 PS)
制御方式 コンバータ+VVVFインバータ制御
制御装置 C124形主変換装置
制動装置 回生・発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ(応荷重・滑走・再粘着機能付き)直通予備ブレーキ 抑速ブレーキ
保安装置 ATS-Ps
防護無線・EB装置・TE装置

ハイブリッドシステムはエンジンの動力で発電機を回し、得られた三相交流をコンバーターで直流化、ここで主回路用蓄電池電源とともにVVVFインバータで再度、三相交流化し、モーターを回し、動力とするシリーズハイブリッド方式です。力行時は主回路用蓄電池と発電機からの電力を使用、制動時は回生ブレーキにより、モーターから発生した電力をVVVF装置を介して蓄電池を充電します。発電機の起動は蓄電池の充電状態をモニターしながら行う、「エネルギー管理制御システム」が導入されています。

形式は仙台よりがHB-211形 小牛田、石巻よりがHB-E212形です。

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2019年8月26日 (月)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その2 編成の多様性~色物編成

仙石線205系3100番台のバリエーション、今回はマンガッタンライナー、ゆめのまち列車など車体にラッピングが施された編成です。

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2016/10/22 小鶴新田

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2016/10/22 西塩釜 M-8編成は撮影できませんでしたが、M-2編成には遭えました。

宮城県登米郡石ノ森町(現在、登米市)出身の漫画家、特撮作品原作者、石ノ森章太郎(本名:小野寺章太郎)にちなみ、M-8編成が投入時から「マンガッタンライナー」、さらにM-2編成も2008年10月から「マンガッタンライナーII」として運転されています。平日は他の編成と混用で運用されていますが、土日は時刻表に表記された列車に限定運用されています。

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2016/10/22 小鶴新田 M-13編成

そしてM-13編成は東日本大震災以降、NHKによる復興応援キャンペーン「大好き♡(ハート)東北」の一環として東松島市野蒜小学校6年生と荒井良二氏による「ゆめのまち列車」として、将来の夢やふるさとの自然が描かれたポスターが貼られた列車となりました。運転期間は2015年7月11日から2017年3月末まででした。

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2019年8月25日 (日)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その2 編成の多様性~ダブルパンタグラフ編成

仙石線205系3100番台のバリエーション、今回はダブルパンタグラフ編成です。
205系3100番台が仙石線に投入された当初、モハ205形の集電用パンタグラフは205系通常の菱形PS21でした。18編成のうち、3112、3114、3116、3118に関しては寒冷地ならではの霜取り運転用シングルアーム式パンタグラフ(PS33C)が増設され、菱形とシングルアームのダブルパンタスタイルでした。後に、集電用も全編成シングルアーム式に交換されました。

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2016/10/22 髙城町
ダブルパンタ編成に関しては4編成とも撮影しているのですが、パンタが2個付いているのが確認できるのはこの写真くらいでした。

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2019年8月24日 (土)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その2 編成の多様性~2WAYシート編成

仙石線205系3100番台のバリエーション、今回は2WAYシート編成です。
編成番号M-2, M-5,M-8のクハ205-3102、-3105, -3108がクロスシート、ロングシート転換可能な2WAYシートを装備していました。オリジナル車のドア間の7人掛け座席を撤去し、2人掛け2WAYシートを3基配置した構造でしたが、仙石東北ラインの開業で仙石線の快速列車が廃止されたため、2015年以降はロングシート固定で運行となりました。連結面寄りの座席は車椅子スペースとトイレ設置スペースとなっているため座席はありません。さらに本来座席下スペースに設置されているドアエンジンも座席が無いため、ドア上部収納の直動式ドアエンジンに改造されています。

2016年10月の旅行ではM-2編成とM-5編成に遭遇しましたが、M-2編成は「マンガッタンライナー」として記事にしますので、今回はM-5編成を紹介します。

2053100-m5-1610222WAYシート社はノーマルシート車と違い、4両各車両ごとに色をかえてあり、クハ204形は仙台の市と木であるケヤキと杜の都をイメージした、モハ204形は塩竃港で水揚げされるマグロなどの魚をイメージした、モハ205形は松島の朝日と夕日、扇谷の紅葉をイメージしたオレンジ、クハ205形は石巻の花であるツツジをイメージしたとなっています。

2053100-m5-161022-2

窓が塞がれているのはトイレの設置のため。クハ205形の石巻のツツジ


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3枚とも2016/10/22 小鶴新田

こういったタイプの車両としては近鉄のL/Cカー2610系、2800系、5800系、5820系などが有名ですが、1972年に当時の国鉄・吹田工場においてクハ79929号にロング/クロス可変機構の試作装備が行われました。ただ、当時の輸送事情では機構的問題もあり、導入が見送られた経緯がありました。

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2019年8月23日 (金)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その2 編成の多様性~ノーマル編成

2009年にM19編成が加わり、仙石線の205系3100番台は19編成体制となりましたが、2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震による津波で野蒜駅~東名駅間を走行中だったM9編成が流され脱線、同年5月1日かけて現地で解体されました。さらに石巻駅では駅に到着していたM7編成が冠水する被害に遭い、2012年9月に総合車両製作所に回送され入場しましたが、修理不能との判断で2014年12月25日付で除籍、廃車となりました。
以上の経緯から現在はM-1~-6,M-8,M-10~-19の17編成が活躍中です。

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東日本大震災による津波被害でM-7,M-9編成は廃車となりましたが、現在、仙石線では17編成が活躍中で、通常のロングシート編成の他、クハ205がクロスシート/ロングシートに転換可能な「2WAYシート」編成、架線の霜取り運転時用にモハ205形にシングルアームパンタを増設した編成、そして石ノ森章太郎作のマンガ作品をラッピングした「マンガッタンライナー」編成などのバリエーションが存在します。

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2019/10/22 小鶴新田 M1編成

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2016/10/22 西塩釜 M6編成

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2016/10/22 西塩釜

1日の訪問であったため、運用に就いている編成が限られていましたが、まずはノーマル・ロングシートの編成を集めてみました。

あれから15年、山手線にはE235系が投入されており、E231系500番台は中央・総武緩行線に活躍の場を移しつつあり、それまで活躍していた209系500番台、E231系0番台武蔵野線、八高・川越線、常磐快速線への転用が進められていますが、仙石線への転用の動きは現時点では見えません。


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2019年8月22日 (木)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その1 種車と周辺の動き

現在、仙石線で活躍中の205系3100番台

クハ205形3100番台
モハ205形3100番台
モハ204形3100番台
クハ204形3100番台 

からなる4連(2M2T)でモハユニットは全て元山手線用、クハは元山手線用または埼京線用サハ205形に運転台を設置した改造車で2002年から2004年にかけて18編成(M-1~M-18)が準備されました。

これら18編成の改造は
・ドアスイッチを装備した半自動ドア機構
・クハ205形に車椅子対応大形洋式車内トイレの設置
・耐寒仕様、側引戸レールヒータ、耐雪ブレーキの装備
・ATS-Ps、後年ATACS保安装置
・停車駅通過防止装置の設置 でした。

モハ205形の一部の車両には霜取り用シングルアームパンタグラフ(PS33C)を装備しました。

205-05-021104
2002/11/4 恵比寿 5,6号車がM-18編成のモハに改造されたヤテ5編成

2053100_20190821183801
山手電車区の所属車両から仙石線用3100番台に改造された車両

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2012/6/16 赤羽 M1編成用サハ205-160とナハT11編成用サハ205-161が抜かれ、6扉サハ204-11と-902が入ったハエ8編成

2053100_20190821183901
川越電車区の所属車両から仙石線用3100番台に改造された車両

205-07-020427

2002/4/7 恵比寿 M-16、ナハ48>M-19の改造種車となったヤテ7編成

2051200-48-060211
2006/2/11 尻手 ナハ48編成 205-4-041226
2004/12/26 矢向 モハユニットが235,236だったころのナハ4編成

205-4-100911-2
2010/9/11 モハユニットが235,21に交換された後のナハ4編成

103系の運転が2004年に終了後も多賀城付近の連続立体交差工事による予備車両の増加で103系1編成RT-235編成が運用復帰していましたが、2009年、その置き換え用に南武線に配置された205系1200番台(ナハ48編成)を1本4両編成に短縮し、3100番台化してM-19編成として仙石線に投入し、103系を完全に淘汰しました。

ナハ48編成は元々、上の図でヤテ7編成から改造された編成でモハユニット205/204-19が3119となり、21はナハ4編成に組み込まれました。ナハ4編成は元々、クハ205/204-88,モハ205/204-235,236からなる6連でしたが、2008年10月26日、中原電車区の交番検査庫でMG故障検査を受けている最中に工具による電気回路の短絡で低圧系回路にDC1500Vが流れ込み、作業員が重症、自力走行不能の状態に陥っていました。ナハ48編成から捻出されたモハユニット205/204-21を組み込んで復帰となりました。モハ205/204-236は2010年6月15日長野総合車両センターに廃車回送されました。(今回の記事に関してはサイト「4号車の5号車寄り」の記述を参考にまとめました)。

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2019年8月21日 (水)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系が導入される前の車両たち

1925年に宮城電気鉄道として開業した現在の仙石線は開業当初からDC1500Vで、最初こそ丸屋根、木造車でしたが、延伸の際の増備車は半鋼製となり、ウェスティングハウス・エレクトリック(WH)式のHL(間接非自動制御)でパンタグラフも仙台地下駅での架線高さの関係により、空気上昇・バネ降下式が採用されました。

形式は 
モハニ101形 1925年2月 蒲田車両製 101-103 並等荷物合造制御電動車 
モハニ201形・モハ220形 1925年2月 蒲田車両製 201・202 並等荷物合造制御電動車 当初はデハニ201形
クハ301形 1926年3月 日本車輛製造東京支店製 301-303 木造並等制御車 当初はサハ301形
クハ401形 1927年7月 汽車製造東京支店製 401・402 片運転台型半鋼製並等制御車 当初はテサハ401形
モハ501形 1928年3月 汽車製造東京支店製 501・502 両運転台型半鋼製並等制御電動車 当初はテデハ501形
モハ601形 1928年3月 汽車製造東京支店製 601・602 両運転台型半鋼製特等並等制御電動車 当初はテデロハ601形
クハニ701形 1928年3月 汽車製造東京支店製 701・702 片運転台型半鋼製並等荷物合造制御車 当初はテサハニ701形
モハ801形 1937年日本車輌製造東京支店製 当初はクハ801形 1937年日本鉄道自動車製 クハ881形
      1941年製 両運転台型半鋼製並等制御電動車
モハ810形 宮城電気鉄道が発注、国有化で国鉄が受領
モハ901形 1922年6月 汽車製造東京支店製 デハ33526 鉄道省から宮城電気鉄道へ

これらの車両は1950年代宮城電気鉄道で廃車後、弘南鉄道、高松琴平電気鉄道、大井川鉄道、新潟交通、日立電鉄等に譲渡されました。

国有化後、宮城電気鉄道からの引継ぎ車両を置き換える目的で首都圏などで余剰となった車体長17mの30系、31系、33系、50系、そして車体長20m級の40系が投入されました。その後、17m車の置き換えの過程でクモハ54、クハ68、モハ70などが一時的に活躍しました。これらは72系の投入で他線区へ転出、あるいは廃車となりました。

72系を仙石線で運用するにあたり、グローブ形通風機では冬期に雪の吹込み等の問題があるので、押込形通風器に交換する改造が1969年から1972年にかけて72系45両(モハ72形7両、クモハ73形20両、クハ79形15両、サハ78形3両)およびクモハ54形6両、モハ70形4両、クハ68形4両に施行されました。

1975

1975/3/31 時点での陸前原ノ町電車区配置表

1979

  1979/4/1時点の陸前原ノ町区編成表

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2002/1/2 拝島 足元を見ない限りは103系高運転台車と見間違う3000番台

1974年、老朽化した72系のアコモデーション改良車としてモハ72形970番台クハ79形600番台が72系新製車の改造で製作されました。車体は103系高運転台クハ車と同じで1979年に通常車が置き換えられた後も1985年まで残存し、川越線の電化で機器類を103系のものに交換し、103系3000番台に編入され、八高線・川越線に活躍の場を移しました。

1979年から72/73系置き換え目的で103系が投入され、当初はクモハ103を含む編成でした。

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1986/8/6 仙台駅地平ホームに入線したスカイブルー塗色の103系

1986_20190820202801

1986年11月改正時点での陸前原ノ町電車区編成表、72系アコモ改造車は全て転出済みで、それまでの103系先頭車はタブレット交換時にガラス破損を防ぐために戸袋窓を塞いでいましたが、薄青の先頭車は1984年にアコモ改造車の代わりに導入された先頭車で戸袋小窓が塞がれていない車両です。薄緑セルは両栓車です。

1987年にクモハ103-149を先頭とする4連が分割され、郡山工場にて
クモハ103-149 → クモハ105-101
モハ102-315 → クモハ105-601
サハ103-240 → クハ105-601
クハ103-599 → クハ105-105   
中間車に運転台が設置され、105系100番台、600番台に改造され2連2本となり、石巻~矢本間の区間列車運用に使用されました。1998年に103系高運転台編成の配置で書類上、廃車となり2008年まで八王子、横浜支社内で訓練車として活躍しました。

1997

1997年時点での103系編成表で1979年に導入されたグループは1993年に淘汰されています。オレンジ色のセルは新製時からのシールドビーム2灯車、他の先頭車はブタ鼻改造車です。

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2006/8/20 郡山 2002年から2004年にかけ、大方の103系が205系投入で淘汰された後、1編成だけ残されたRT235,236編成

仙石線の車両の配置区ですが、以下のような名称の変化の歴史を辿っています。
1956年 仙台鉄道管理局仙石線管理事務所として設立(仙セン)
1971年4月1日 陸前原ノ町電車区発足(仙リハ)
1987年4月1日 国鉄民営化
1991年 仙台~苦竹間の地下化工事で福田町付近に移転、宮城野電車区に(仙ミノ)
2003年 検修部門は仙台電車区宮城野派出所、運転士、車掌部門は宮城野運輸区(仙セン)
2004年 仙台車両センター宮城野派出所

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2019年8月20日 (火)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その1 宮城電気鉄道として開業後の歴史

2016年10月の旅の本来の目的は新利府駅そばの新幹線総合車両センターの公開に参加することでしたが、これまでに記事にしたように仙台周辺の保存車両の訪問、仙台市電保存館を見学しました。

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2016/10/21 仙台駅

もう一つ重要なのが仙石線でした。仙石線は2016年8月に東北本線に隣接する松島海岸駅~高城町駅間に連絡線を設け、仙台駅と石巻方面を結ぶ「仙石東北ライン」が開通したところでもありました。当時の速報編でも記事にはしてありますが、もう一度振り返ってみようと思います。

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まずは仙石線の開業からの歴史について。宮城電気鉄道1881年設立の貿易商社高田商会から余剰電力を活用するために1922年9月9日に設立され、1925年6月5日、仙台駅~西塩釜駅間が開業、1928年11月22日、石巻駅まで全線が開業しました。1925年に開業した同鉄道の仙台駅は東北本線と交差するため地下駅として建設され、仙台駅に至る数珀メートルの区間は地下路線として建設されました。この区間の開業か日本最初の地下鉄と言われる東京地下鉄道(銀座線の浅草~上野)の開通よりも2年半も早く、郊外電車の地下乗り入れとして神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄有馬線)の湊川地下線開通よりも3年早いものでした。外国人技師の指導によるトンネル建設で県庁付近への延伸も視野に入っていたそうです。架線電圧も600Vではなく、1922年に大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)が導入したばかりのDC1500Vが導入され、レールは国鉄幹線級の37㎏、踏切などでは50㎏のものが使用され、色灯式自動信号機が採用されました。

太平洋戦争中の1944年5月1日に国有化され仙石線となりました。

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国有化後、1952年に宮城、山形、福島3県で国民体育大会が開催されるのを契機に仙台駅のプラットホームは地上に移されました。そして2000年に地下ホームが完成されると1面2線の行きどまり式ホームは廃止となりました。

路線データ

管轄・路線距離(営業キロ):全長50.8km(第一種区間。支線含む)
東日本旅客鉄道:
あおば通駅 - 石巻駅間 49.0km(第一種鉄道事業)
日本貨物鉄道:
陸前山下駅 - 石巻港駅間 1.8km(第一種鉄道事業)
陸前山下駅 - 石巻駅間 (1.4km)(第二種鉄道事業)
軌間:1067mm
駅数:33
旅客駅:32(起終点駅含む)
仙石線所属の旅客駅に限定した場合、仙台駅(東北本線所属)と石巻駅(石巻線所属が除外され、30駅となる。
貨物駅:1(石巻港駅)
複線区間:あおば通駅 - 東塩釜駅
電化区間:あおば通駅 - 石巻駅間(直流1500V)
陸前山下駅 - 石巻港駅間の貨物線をのぞき全線電化。
閉塞方式
あおば通駅 - 東塩釜駅:移動閉塞式
東塩釜駅 - 石巻駅:自動閉塞式(特殊)
保安装置
ATACS(あおば通駅 - 東塩釜駅)
ATS-SN(東塩釜駅 - 石巻駅[2])
運転指令所:仙台総合指令室(仙石CTC、JR宮城野総合事務所内)
最高速度:95km/h

支線をのぞく全線がJR東日本仙台支社の管轄となっている。

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2000年3月11日に使用を開始した仙台駅仙石線地下ホーム

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2019年8月19日 (月)

仙台市電保存館を訪問 その3 路面電車から地下鉄へ

 8月12日(月)記事で市電後史の展示に触れましたが、1976年3月31日で市電全路線が廃止されたのち、市電の軌道はアスファルトに埋め込まれましたが、時間の経過とともにアスファルトがすり減り、軌道が露出、スリップ事故が起こるようになりました。一方で、市内の公共交通はバスが一手に担っていました。

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2016/10/21 市電時代の電停標識

仙台市における地下鉄の検討は1960年代からで1963年に設置された仙台市交通対策委員会は1967年に提出した報告書で路面交通の代替として地下鉄を検討すべきと報告しました。同委員会は将来を見据えた交通体系として、「大量高速輸送機関」の整備を諮問し、1972年には全7路線、総延長45.5kmに及ぶ地下鉄網を1985年を目標に整備すべきとの報告を出しています。その7路線とは

1 北仙台線 仙台駅前~七北田 7.34km  
2 長町線  仙台駅前~鍋田  4.98km
3 川内線  仙台駅前~泉ヶ丘 8.09km
4 七北田だ線 七北田~桂島  4.76km
5 鶴ヶ谷線 瓦山~鶴ヶ谷   3.76km
6 茂庭線  鍋田~茂庭    8.82km
7 名取線  鍋田~小泉    7.90km でした。このうち、北仙台線と長町線の一部が現在の南北線に相当します。

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昭和から平成にかけての南北線の歩み

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2016/10/21 南北線の車両 1000系 2M2Tの4連 軌間1067mm DC1500V 1985年から1996年にかけて川崎重工業で21編成が竣工
IGBT素子VVVFインバータ制御方式 1988年にローレル賞受賞、2004年度より更新工事が行われ現在は1000N系となっています。

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長町駅 駅名標

1975年に泉市(現、仙台市泉区)と仙台市内結ぶ輸送手段として、地下鉄が計画・認可され、1981年に着工、1987年7月15日に地下鉄南北線富沢駅~八乙女駅間が開業しました。1992年7月15日には八乙女駅~泉中央駅間が延伸開業しました。

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東西線のあゆみ

第二の路線として2003年9月、東西線事業が認可、2007年11月東西線本体工事着工、2016年12月6日、東西線八木山動物園~荒井間が開業しました。

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東西線は鉄輪式リニアモータ方式の地下鉄となっており、以前の記事で触れたように駆動方式、トンネル断面の狭小化などの特徴を持っています。

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2019年8月18日 (日)

仙台市電保存館を訪問 その2 写真展示車両 モハ2000型・モハ3000型

仙台市電、400型より番号は大きい型式として2000型、3000型がいましたが、これらはいずれも呉市交通局(呉市電)から譲受した車両でした。

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2014/12/19 呉市海事歴史科学館(戦艦大和ミュージアム)における呉市電の紹介

モハ2000型:呉市交通局2000型1961年ナニワ工機製造のワンマン用ボギー車、前中扉タイプで2001-2003が製造されました。2001号は1967年12月18日の呉市電全廃後、保存車として入船山記念館に据え付けられ、その後阿賀町の豊栄交通公園(現、豊栄公園)に写されましたが、1001号を呉ポートピアパークに展示する際に、損傷が激しかったために解体されたそうです。2002、2003号は仙台市電に1968年に譲渡され、全線廃止まで運用されました。

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2016/10/21 仙台市電保存館

モハ3000型1961年から1962年にかけて呉交通局阿賀工場にて木南車両製600型601形3扉車601ー607を2扉(前中扉)ワンマン対応に改造したもので3001ー3007を名乗っていました。1968年に仙台市電に譲渡され、全線廃止まで運用されました。前頭部が絞られていない車体であったため、カーブでは対向車と接触する恐れがあり、運転には気を遣ったそうです。

3000

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2019年8月17日 (土)

仙台市電保存館を訪問 その2 展示車両 モハ400型

仙台市電の型式、今回は実際に展示されている400型です。

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2016/10/21 仙台市電保存館

仙台市電最後の新造形式として1959年から1963年までに15両(401-415))が製造されました。全長はモハ200型よりも短い11,700mmで、定員はモハ100型、モハ200型と同じ88名、408号以降は84名でした。

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ワンマン化対応改造工事を前提に設計された車内

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側窓上段もゴム支持方式(バス窓)として部品調達を容易にしています。

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台車の2軸、手前は従輪、奥が動輪で車輪径が異なります。

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主電動機の回転軸がレール方向になり、それを自動車のディファレンシャルギアと同じ方式で車軸に回転力を伝えています。

吊り掛け駆動を基本としていましたが、405号~410号の6両は直角カルダン方式が導入されていました。

スタイル的には東京都交通局8000形や函館市電710形800形と共通しています。

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2019年8月16日 (金)

仙台市電保存館を訪問 その2 写真展示車両 モハ130型からモハ300型

仙台市電で活躍した型式、今回はモハ130型からモハ300型までです。

130


2016/10/21 仙台市電保存館 なぜか、136号の前面窓が2枚窓出ない点が気になりますが?

モハ130型は茨城交通水浜線の車両で、水浜線では129-138と付番されており、いずれも新潟鐵工所(現、新潟トランシス)製で
129、130は1951年製、茨城交通に社名が代わってから最初の新製車両でした。
131、132は1953年製、129,130と同様ですが屋根が木造から鋼板張上げ式に変更されました。
133、134は1954年製、側窓の上段がHゴム支持になりました。
135、136は1957年製、前面窓が3枚から2枚となり、側扉の腰部羽目板がガラス窓に、行先表示器の位置も変更されました。
137、138は1960年製、前面窓が3枚に戻り、側扉の1枚扉化、オールコイルバネ台車への変更がありました。
1965年の路線短縮後、6月30日付けで仙台交通局に譲渡され130型131-140として使用され、ワンマン化の際、対象から外れ余剰となり、1972年3月に131-135、1974年4月に136-140が廃車となりました。

180

モハ180型は琴平参宮電鉄の元デハ80形(81-88)で1950年広瀬車両製、1954年および1958年自社工場製の半鋼製ボギー車、定員80名です。1964年8月、このうちの82、84-88の6両が仙台市電に譲渡され180型181-186となりました。ワンマン化改造は受けず、1974年まで運用されました。ちなみに81、83は1963年12月に北陸鉄道金沢市内線に譲渡され、モハ2060形2061、2062となっています。

200

モハ200型1954年から1957年製の前中扉の車体で流線形車体、前面2枚窓で1968年にワンマン化改造を受け、全線廃止まで運用されました。最初はピューゲルによる集電でしたが、Zパンタ、菱形パンタに換装されました。208号が保存館に収蔵予定でしたが、屋根が腐食していたため、解体されました。

300

モハ300型は連接車で1955年モハ1型2両を1編成に改造したもので1965年まで運用されました。それにしても創世記から活躍しているモハ1型が連接車に改造されるとは、と驚かせられる改造かと思います。

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2019年8月15日 (木)

仙台市電保存館を訪問 その2 展示車両 モハ80型改めモハ100型

仙台市電、昨日の記事のようにモハ1型からモハ70型まではすべて単車でした。最初のボギー車として登場したのがモハ80型でした。この車両は第二次世界大戦後の戦災復興や外地からの引揚者で人口増加、利用客の増加に対処するため、輸送力増強の手段として1946年から1950年にかけて新潟鐵工所に大型ボギー車として発注されました。

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2016/10/21 仙台市電保存館

前面3枚窓、張り上げ屋根の半鋼製車体で車体前後に片側2枚の扉を有しましたが、1948年発注の最初の5両(80-84)は資材不足の中で製造されたため、天井はベニヤ板張り、車内の座席も粗末な作りのまま登場となりました。1950年までに24両が製造され、1954年に改番が行われ、モハ100型(101-124)となりました。

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ワンマン運転対応に改造された車内

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初期車の5両は原形のまま1974年に廃車となりましたが、残り19両は1969年以降のワンマン運転に対応した工事が行われ、扉配置が変更され、前面窓も右側の窓が大きい左右非対称の2枚窓となり、1976年の市電廃止まで運行されました。

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長崎電軌時代の1051号

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シドニーに行った1054号

廃止後、117-119、121,124が長崎電気軌道に譲渡され、仙台から昭和51年に譲渡されたことにちなみ1050形に変更されました。元117の1051以外の4両は2000年までに廃車され、動態保存車として残された1051は2019年3月31日に引退となりました。1054(元121)は1990年12月5日、長崎電軌を除籍後、オーストラリアに渡り、シドニー路面電車博物館にて動態保存されているそうです。

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2019年8月14日 (水)

仙台市電保存館を訪問 その2 写真展示車両 モハ30型からモハ70型

仙台市電保存館では仙台市電で活躍した車両の実物展示以外に、歴代の型式の写真が展示されています。

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2016/10/21 全体写真

1925年製のモハ1型に続いて、1934年製のモハ30型

30

1938年製のモハ45型

45

1948年に東京都より譲渡されたモハ70型

70

1940年から1942年にかけて江ノ島電鉄、名古屋鉄道から譲受したモハ60型が活躍しました。これらは皆、モハ1型同様、単車でした。

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2019年8月13日 (火)

仙台市電保存館を訪問 その2 展示車両 1号車(モハ1型)

今回からは仙台市電保存館の展示車両です。

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2016/10/21 スタイルは単車で集電はポールで行っていたようです。

初めは市電創業のときから約40年間、仙台市民の足として活躍し、1976年の市電廃止時に創業当時の姿に修復されお別れ運転を行った1号車(モハ1型)です。

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車内には運転士と車掌のマネキンが乗っています。

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床は板張り

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制御装置は直接式のEE

・定員:40人(内座席18人)
・最大寸法:7,924mm(長)×2,200mm(幅)×3,518mm(高)
・自重:7.63t
・速度:28.2km/h
・製造価格:9,450円

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2019年8月12日 (月)

仙台市電保存館を訪問 その1 概要・仙台市電の歴史・その後

2016年10月の仙台方面の旅では1926年11月25日に開業し、1976年3月31日まで営業した仙台市電の姿を未来に伝えるべく1991年4月25日に地下鉄富沢車両基地内に開館した仙台市電保存館を訪問しました。

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Dsc048542016/10/21 仙台市電保存館は仙台地下鉄南北線終点、富沢駅から歩いて数分の富沢車両基地の中にあります。

仙台市は1907年から「上水道整備」「電気事業」「市区改正」「市街電車敷設」「公園設置」を五大事業として推進しました。市街電車事業は多大な経費がかかるため、市は1918年交通調査委員会を設け、東北帝国大学教授に調査を依頼しました。報告書によれば、一周線、長町線、原町線からなる路線が提案されました。1923年、総額265万円の設置費用を見込み、軌道免許を取得、1925年着工に漕ぎ着けました。

Dsc04857

Dsc04860軌間は国鉄と同じ1067mmの狭軌で、電化方式はDC600Vでした。そのため、仙台市電で活躍した車両は同じ軌間だった呉市電、茨城交通水浜線、琴平参宮電鉄からの譲渡車両がいましたし、仙台市電廃止後は長崎電軌に譲渡された車両もいました。

路線は1926年に循環線が開通、1928年には芭蕉の辻線、1936年に長町線、1937年に北仙台線、1941年に八幡町線、1948年に原町線と調査委員会の報告書の通り、循環線を中心にその内側に伸びる線と、四方に伸びる線が出来て行きました。しかし、短い支線だった芭蕉の辻線は戦中の金属回収令により、レールが撤去されてしまいました。
1957年度までは黒字経営でしたが、1958年度からは職員の賃上げに運賃が追いつかず赤字経営に転落、さらに1960年代に入るとモータリゼーションの発達で定時運行が妨げられるようになり、北仙台線の利用者減少が著しくなり、この線が最初に廃止対象となり、1969年3月末で廃止となりました。
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市電全廃後は車両の譲渡、軌道の撤去、当分の間、バスが市電の役割を担っていましたが、1987年、地下鉄の開通と続きます。市電保存館は、市電廃止後、車庫に残されていた車両などを展示する形で1991年に開館しました。

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2019年8月11日 (日)

公園保存車両 C58 354号機 利府森郷児童公園

昨日の記事で紹介した利府森郷児童公園にはC58 354号機も保存されています。

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2016/10/22 利府森郷児童公園

蒸機C58形式は1938年から1947年にかけ、国鉄向けに427両、天塩鉄道向け2両、三井芦別鉄道向け2両の計431両が汽車製造と川崎車輌の2社で製造されました。

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保存後、2003年に整備が行われたそうですが、かなり傷みが出てきています。煙室扉ハンドルが欠損すると何か正面からの姿が引き締まりません。

沖田祐作氏の機関車表データによると
1944-1 川崎重工兵庫工場 製番2927
当初配属不明
1945-8現在 和歌山
1946-12-31現在 和歌山
1955-8-1現在 奈良
1964-4-1現在 奈良
1967-3-31現在 竜華
1968-3-31現在 竜華
1972-3-27 会津若松
1974-5-28廃車 会津若松
1975-8-1 保存
同機は1944年1月、川崎重工兵庫工場で竣工、和歌山、奈良、竜華と関西周辺で活躍した後、東北地方に転じ、会津若松で最後の活躍をしています。

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C58の特徴は密閉型のキャブの採用で炭水車との間がかなり接近していることです。この機関車には助手席前ランボードに潅水清浄装置が搭載されています。

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2019年8月10日 (土)

公園保存車両 ED91 11号機 利府森郷児童公園

昨日の記事で紹介した利府駅から廃止された「山線」に沿って少し歩いた場所にある利府森郷児童公園には我が国の交流電化用に試作されたED91形11号機C58形354号機が保存されています。今回の記事ではED91形11号機について紹介いたします。

Ed91-11-161022

2016/10/22 利府森郷児童公園 車体の形態は東武鉄道ED5000形の設計が応用されているそうです。

国鉄は将来交流電化による鉄道の運行を目指し、1953年「日本国有鉄道交流電化調査会」を立ち上げました。翌1954年には仙山線北仙台~作並間が交流電化の試験線に指定されました。指定された理由は、機関車の負荷試験に適した勾配があったこと交流電化で生じる通信線障害やトンネル改修の費用が少なかったことからでした。さらに作並~山寺間は直流電化されており、交直切換試験を作並駅で行えること、また列車ダイヤに余裕があり、電力供給が安定していることなどからでした。地上施設関係に4億4000万円、車両等に2億4000万円が投じられました。1954年10月、陸前落合~陸前白沢間で試験が開始され、1955年4月には北仙台~作並まで試験区間が広げられました。

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台車、主電動機は高速試験用に設計されたEH1015号機を基礎としています。


当初、国鉄はフランスから試作機導入を目論みましたが、不調に終わり、交流で交流整流子電動機を駆動する直接式、交流を整流して、直流モーターを駆動する間接式の交流機関車(ED44形、ED45形)、さらに交流用電車クモヤ790形が国内で試作されました。

第1次試験では直接式のED441(1955年7月20日、日立製作所水戸工場製、低圧タップ切換、吊り掛け式)と間接式(整流器式)のED451(1955年9月28日、三菱電機・新三菱重工業製、送油風冷式変圧器、水冷式イグナイトロン整流器、低圧タップ切換)の性能が比較され、直接式は高速域では高出力を発揮するものの、起動トルクが弱く、加速力も間接式に劣ること、25‰勾配での列車引き出し能力もED44が420tに対してED45が600tであることと大きな差がありました。整流子電動機のブラシ接点から火花により、1運用ごとに接点を磨く必要が認識されました。水銀整流器では位相制御が可能でタップ制御と組み合わせることで連続的な電圧変換が可能、起動時に有利で、空転しても端子電圧が上昇しにくく、空転が自然に収まるというメリットも確認されました。以上から、直接式と間接式の比較では間接式に軍配が上がりました。ED451のイグナイトロン整流器も振動に弱く、点孤子:イグナイタが脱落する事故が頻発し、寿命が短く、交換頻度が高い、水冷式のため整備に手間がかかるとの問題点が指摘されました。

第2次試験では整流器方式の異なる交流機として、ED45111956年12月21日、東芝製、整流器は保守の楽な乾式、風冷式、ED4521、1957年2月、日立製作所製、エキサイトロン整流器を搭載、高圧タップ方式で制御電流量が増大、弱め界磁併用で出力は1640kWの大出力機となりました。駆動方式はクイル式。試験の結果、ED4511は試運転での成績不良でイグナイトロンを交換、ED4521は同じ理由から機器配置の変更がなされ、その後は好成績が残されました。

それぞれの方式は量産機に技術移転され
ED451 ED70形 ED71形3号機
ED4511 ED71形2号機 ED72・73形
ED4521 ED71形1号機 ED71形4号機以降  と続きました。

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1961年の形式称号の変更では
ED441 → ED901
ED451・11・21 → ED91 1・11・21 となりました。

仙山線の試験が終了し、正式に交流電化された1957年9月以降、ED44は保守・整備に手間がかかるため1961年以降、休車状態となり、1966年に廃車となりました。ED45形3両は1968年の仙山線全線交流電化以降、長町機関区に転属し、運用が続きました。ただ、製造後10年が経過し、老朽化が始まり、保守部品の確保に難が生じていました。重連総括制御が出来ないことからED78形の運用が始まるとED45形単機で牽引可能な旅客列車の運用に限定され、冬季の運用ではEGもSGも未搭載であるがため、暖房車が必要でした。1970年、仙山線試作交流機の取り替え名目でED7810・11が製造されると全機廃車となりました。

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2019年8月 9日 (金)

東北本線の盲腸線 通称「利府線」について

東北本線には岩切~利府間に盲腸線があります。通称、利府線と呼ばれていますが、日本鉄道が1890年4月16日、岩切~一関間を開業した際、岩切から先は利府経由のルートでしたが、16.7‰の勾配があり、長大列車は補機を連結する必要があり、列車の遅れ、運休がしばしば発生する問題路線でした。1894年1月4日、利府駅が開業しました。

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2016/10/22 岩切駅の駅名標 上は利府方面、下は現在の本線

太平洋戦争の激化で貨物輸送を船舶から鉄道に転移させるために、鉄道の輸送力を増強するため、各地で勾配を緩和する新線が建設されました。東海道本線、大垣~関ヶ原、函館本線、大沼~森などがそういった新線で岩切~品井沼間においても勾配緩和が計画され、1943年4月、塩竃を経由する新線がの建設が決定し、1944年11月15日、陸前山王~品井沼間に新線が開業しました。当初は貨物列車のみが塩竃線を通過していました。

利府経由が「山線」、新線は「海線」と呼ばれ、しばらく併存していましたが、1947年には海線の複線化と駅の設置が決定し、1962年4月20日、松島(旧駅)~品井沼間が廃止され、同年7月1日には利府~松島(旧駅)間が廃止されました。

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2016/10/22 新利府駅 ホームと駅名標

本線となった海線は1968年10月のヨンサントウダイヤ改正で複線電化されましたが、利府線が電化されたのは1978年、交流電化後も気動車が運用され、電車が走るようになったのは1995年3月24日のことでした。1982年の東北新幹線開業では仙台工場・仙台第一新幹線運転所(後の新幹線総合車両センター)が利府線沿いに設置され、通勤の便を図るため、同年4月1日、新利府駅も設置されました。

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161022_201908081828012016/10/22 利府駅 駅名標、ホーム、駅舎

2002年のFIFAワールドカップでは宮城県総合運動公園が開設され、イベント開催に対応して列車が増発されるため、利府駅のホームが増設されました。

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2019年8月 8日 (木)

公園保存車両 ED71 37+オハフ61 2527

2016年秋の仙台方面旅行で撮影した公園等保存車両、今回は東北本線の桜の名所、船岡駅横の緑地に保存される初期量産形交流電機ED71形37号機とオハフ61形客車です。

ED71形1959年から1963年にかけて、日立製作所、東芝、三菱電機・新三菱重工業により、55両製造された50Hz交流機で、北陸本線用に登場したED70形の実績を踏まえ、25‰勾配において単機で1000t、重連で1200t貨物列車の牽引が可能な性能を求められました。

試作機として3両が製造され、
1号機 日立製作所 送油風冷式変圧器+風冷式エキサイトロン水銀整流器 を搭載
2号機 東芝    乾式変圧器+風冷式イグナイトロン水銀整流器
3号機 三菱電機・新三菱重工業 送油風冷式変圧器+水冷式イグナイトロン水銀整流器 と変圧器、整流器の組み合わせが異なる方式が試され、黒磯~白河間で試験を繰り返した結果、1号機の方式が量産車で採用されることになりました。2号機の方式は鹿児島本線門司港~久留米間電化で登場したED72.ED73形に採用されました。

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Dsc04803 2016/10/21 船岡

量産1次形として1960年から1961年に4号機から44号機が製造されました。1号機のシステムを継承しつつ、機器構成の見直しで自重が64tから67.2tに増加、重量の吸収のため台車を揺れ枕式DT114に変更しました。客車暖房用の電気暖房電源を主変圧器の3次巻線から取り、運転室ドア脇(1.4位)側に電気暖房表示灯が設置されました。
量産2次形は1962年から1963年に製造された45号機から55号機で、クイル方式から主電動機を防振ゴムを介して車軸に載せる”半釣りかけ式”に変更し、同時にMT101電動機の防振対策問題を解決するためにトーションバーをアンチローリング装置として用いることで問題が解決されました。さらに側面のルーバーの形態が変更されました。

オハフ61形客車は1947年2月25日に八高線東飯能~高麗川で発生した客車列車脱線転覆事故(184名が死亡)を契機に明治末期から大正末期にかけて製造され、製造後20年から40年が経過し、老朽化が進行していた木造客車(当時の国鉄保有客車数10800両の約6割)を1949年から鋼体化として鋼製客車に改造する事業が開始され誕生した形式です。

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この頃は戦後の混乱期でインフレが進行しており、短期間で大量に鋼製客車を新製することは不可能であり、木造客車の台枠、台車、連結器などを再利用し、車体のみを新製し鋼製としました。

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2019年8月 7日 (水)

公園保存蒸機 C60 1号機 仙台西公園 

猛暑の中国地方から、猛暑の関東地方に戻り、一気に4日分アップして、些か脱力状態ですが、通常公開を再開します。

今回からの3記事は2016年10月第31回新幹線車両基地公開参加のためにの仙台周辺の保存車両を訪問した際のものです。思えばこの年の秋は10月15日下関総合車両所公開10月22日に仙台・利府、10月29日には高崎ふれあいデー11月5日は西武鉄道横瀬車両基地公開11月12日富士急電車祭り11月19日は幕張車両センター(マリフェス)、12月4日東武ファンフェスタとほぼ毎週のように鉄道イベントに参加し、東奔西走状態でした。

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2016/10/21 仙台青葉区西公園 訪問したのはオープンを翌日に控えた10月21日でした。

仙台西公園は青葉区桜ヶ丘にあり、裏には広瀬川が流れ、仙台駅前から続く青葉通り、広瀬通りが広瀬川に至る場所にあります。仙台市内で最も古い都市公園だそうです。

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煙室扉やエプロンの形態、九州鉄道記念館に保存されるC59 1号機と共通で、京都鉄道博物館(梅小路)のC59 164号機、広島子ども文化科学館のC59 161号機とは異なっているのがわかります。


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蒸機C60形は特甲線用のC59形が東海道本線、山陽本線などの電化後、他の路線で運用出来るように1953年から55年、60年61年に国鉄浜松、郡山工場で従台車を1軸から2軸に改造し、軸重を軽減した形式で戦前タイプのC59 1~100から改造されたものは0番台1~39、戦後型C59 101以降から改造されたものは100番台101~108とされました。

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動輪径はC59~C62まで国内蒸機最大の1750mmです。逆転器リンクプレートの形態はD51形などとは異なっています。

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炭水車に関しても台枠が見えるのが戦前形C59の特徴です。

東北と九州に配置され、東北本線、常磐線、奥羽本線(秋田以北)、鹿児島本線(鳥栖以南)、長崎本線などで活躍、東北ではヨンサントウのダイヤ改正まで、九州では1970年の鹿児島本線全線電化まで活躍しました。

C60 1号機はC59 27号機からの改造で1968年の引退後、仙台市に移管、翌年から青葉区西公園に静態保存されてきました。2007年から開始された西公園の再整備事業に合わせ車体外観の塗装と運転台内部の改修がなされ、2016年に完成しました。

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2019年8月 6日 (火)

速報版 岡山、広島、鳥取、兵庫を巡る旅 四日目

四日目は早朝、駅北口から見える姫路城見学からスタートです。

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2019/8/5 国宝 姫路城 白鷺城 天守閣

といっても城見学は朝9:00からなので遠目に天守閣を見て終わり。

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2019/8/5 姫路 播但線103系3500番台

駅に戻り、まずは播但線の臙脂色の103系3500番台で寺町へ。この区間には1998年3月14日の電化開業以来、103系3500番台2連(クモハ103-3500+クモハ102-3500)9本が投入されており、種車は片町線木津~長尾間電化の際に3両運転のため改造されたクモハ103-5000(5001から5016)で、これらが同線の長編成化、207系化で自動解結装置を撤去され、クモハ103-48から改造された5001を除き、2500番台2501~2515に改番され、そのうちの9両が播但線用に再改造されました。
クモハ103-2506・2508 - 2515→クモハ103-3501 – 3509

一方、クモハ102はクモハ103-2500番台とユニットを組んでいたモハ102形に1次改良車の運転台を新製、さらに同時期に廃車されたクハ103形の運転台機器や乗務員扉を流用しました。JR東日本のように装甲車のような高運転台顔にしなかった点が良かったと感じます。
モハ102-583・636・641・655・883・885・2027・2029・2037→クモハ102-3501 - 3509

ここからは非電化で百人一首60番小式部内侍の歌「大江(おほえ)山 いく野の道の 遠(とほ)ければ まだふみもみず 天の橋立」で有名な生野を越えて、山陰本線の和田山に至ります。

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2019/8/5 寺前 こちら側はごく普通のキハ47と同じ顔

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一方、こちら側は山陰地方の伝統か、113系3800番台とまでは行かないものの、かなりゲテモノ顔

播但線非電化区間の名物と言えばキハ47改造のキハ41です。便宜的総称のキハ40系気動車は
キハ40形 両運転台 1m幅片開き扉 
キハ47形 片運転台 1.3m幅両開き扉
キハ48形 片運転台 1m幅片開き扉    の3形式から成っていましたが、JR西日本に継承されたキハ47形のうち、播但線の非電化区間向け単行運転用にキハ47形に運転台を増設改造したのがキハ41形2000番台で
キハ47 1009・1010・1024・1039・1105 → キハ41 2001 - 2005
5両が鷹取工場で施工されました。配置は福知山電車区豊岡支所で播但線内と山陰本線豊岡~浜坂間で使用されています。
特徴的な増設川運転台の顔が見物な車両です。速度制限のせいもあるかも知れませんが、生野をサミットにこの区間、キハ40系が思い車体をヒーヒー言わせながら往復しています。

姫路に戻り、山陽本線で加古川に向かいます。ここから北方へ伸びる加古川線は福知山線の谷川駅まで通じていますが、西脇市駅より先は列車頻度が低いため今回は西脇市で引き返しました。

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2019/8/5 西脇市 クモハ102-3551他2連

車両は2004年12月19日の全線電化開業に備え、103系0番台ユニットに運転台を設置したクモハ103形3550番台、クモハ102形3550番台で

モハ103-659・660・714・715・726・728・730・731→クモハ103-3551 – 3558
モハ102-815・816・870・871・882・884・886・887→クモハ102-3551 – 3558

8ユニット準備されました。塗色は常磐線を彷彿させるエメラルドグリーンと黒で貫通扉を有し、105系と近いスタイルです。

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2019/8/5 厄神 クモハ125-10 厄神には車両基地があり、加古川~厄神間の列車頻度は日中1時間2本、厄神~西脇市は1時間1本程度

さらに125系の2次車(9~12)が投入されており、西脇市以北の谷川までの区間は原則的に125系が運用されています。

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2019/8/5 粟生 神戸電鉄 1969年製の1100系

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こちらは2016年から登場した6500系

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こちらは国鉄北条線を継承した北条鉄道 1985年4月1日開業 フラワ3号は2008年4月に廃止された三木鉄道のミキ300-104を譲受したもので、同形のー103は先日の記事で紹介したようにひたちなか海浜鉄道が譲受

途中の粟生(あお)駅では東側に神戸電鉄、西側に北条鉄道が接続しており、加古川線の電車の到着に合わせて両線の車両が接続するようで、乗車はしませんでしたが、両線の車両を撮影しました。

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2019/8/5 新大阪 おおさか東線ホームと201系電車

最後は加古川から新快速で新大阪へ、2019年3月のダイヤ改正でおおさか東線の新大阪~放出間が開業したので、その様子を新大阪駅で見学しました。てっきり従来九州方面寝台特急が発着していたホームが使用されるのかと思って居ましたが、一番北のホームが使用されたのですね。将来的は北梅田駅(仮称)まで延伸計画があるそうですね。
三宮まで戻り、夜の高速バスで東京に戻りました。

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2019年8月 5日 (月)

速報版 岡山、広島、鳥取、兵庫を巡る旅 三日目

三日目のメインは津山を流れる吉井川の下流に柵原鉱山(良質の硫化鉄鉱の鉱山)で掘り出される鉱石を瀬戸内海沿岸の港、片上港まで運搬する片上鉄道で活躍した気動車などが保存される美咲町柵原ふれあい鉱山公園を訪問することでした。


当初の予定では津山駅前を1150に出発する高下方面行きのバスに吉ヶ原まで乗車、帰りも同じルートで津山に戻り、津山から1725発の姫新線列車で姫路に向かう予定でした。

午前中がほぼ予定無しなのはあまりにもったいないので、朝429発の津山線1番列車で545岡山に、岡山発946の津山線快速「ことぶき」で津山1054に戻ることにしました。

<岡山駅でのスポッティング>
貨物列車:山陽下りは1番線、上り4番線を通過しますが、旅客ホームの姫路よりの外れから、下り貨物を狙うことは可能ですが、それ以外は不可能です。上りは列車案内板に通過とか貨物と表示され、放送でも列車が通過しますとアナウンスがあるので比較的写しやすいです。

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2019/8/4 岡山 山陽本線から四国方面に向かう貨物列車

山陽から四国方面に向かう貨物列車は8番線に入線、8番線の先で乗務員交代が行われます。

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2017年度製の311号機

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全般検査出場で塗装が変わった108号機

EF200が引退してEF66,EF210と日本海縦貫線のEF510が顔を見せるようになったのが変化ですが、EF210300番台や100番台の新塗装を見ることがあります。

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2019年3月にデビューしたSETOUCHI TRAIN 鈴木マサル氏のデザイン

山陽本線:相変わらず113系、115系、しかも末期色が頑張っています。前に較べて改造タイプの115系が減ったように思います。色物では空色の1154連を見ました。117系も末期色で100番台編成が最後の活躍をしているようです。

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2003年10月のマリンライナー置き換えによる編成替えで登場したサハ213改造のクハ212-100番台 サハ213-7 - 11 → クハ212-101 - 105

213系、JR西日本の2130番台、編成短縮で如何にも頭を付けたという感じのクハ212が目立っています。

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C04編成からサハ213-4を抜き、クハ212-4はクロ212-7004に、クモハ213-4はクモロ213-7004に改番し、2016年4月から「ラ・マル***」といった臨時列車で活躍

213系改造の観光列車「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ、フランス語で旅行かばんの意)」も幸い、回送列車として撮影できました。
伯備線:特急「やくも」の381系もここが最後の活躍の場となっており、モハ381に運転台を取り付けたクモハ381-500等、珍車が活躍するのもあと僅かになってきています。

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キハ40-2134 ノスタルジー塗装と言うそうです。

津山線、吉備線(桃太郎線):キハ47、キハ40がメインに活躍していますが、朝の津山からの1番列車はキハ1202連でした。かつてよく見たカフェラテ塗装は無くなり、ほとんどが首都圏色(タラコ色)となっており、クリームとオレンジのツートンを1両撮影しました。

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瀬戸大橋線:JR四国の車両の中では8600系が異彩を放っていました。

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サンライズ瀬戸・出雲の切り離し作業は朝の寝台特急の現代に続くショウといった感じで多くのギャラリーが見つめる中、行われていました。 

<柵原ふれあい鉱山公園の片上鉄道保存会の活動>

11月までの毎月第一日曜日が活動日で保存車両のキハ303、キハ702などが吉ヶ原駅と数年前に新設された黄福柵原駅間を一日5往復する運行をしており、一日会員になれば乗車が可能なようです。車両はいずれも1930年代製造の元ガソリンカーで、現在はディーゼルエンジン、液体変速機を搭載していますが台車等は製造時のものが使用されているようです。炎天下、公開に合わせて全国各地からやって来た鉄道ファンで賑わっていました。当初の予定よりも早く、臨時の津山方面へのバスが運行されることが分かり、それに乗車し、津山駅に戻りました。これは津山市と美咲町が主催するレトロレールバスプロジェクトで片上保存鉄道の公開に合わせて臨時バスを月初めの日曜日に運行しているとのことで、車内では柵原鉱山、片上鉄道の歴史、使用しているバスに関して、美咲町、津山市に関する説明等がありました。

予定よりも早く津山駅に戻ったので、姫新線経由では無く、岡山経由で姫路に向かいました。

三日目のメインは津山を流れる吉井川の下流に柵原鉱山(良質の硫化鉄鉱の鉱山)で掘り出される鉱石を瀬戸内海沿岸の港、片上港まで運搬する片上鉄道で活躍した気動車などが保存される美咲町柵原ふれあい鉱山公園を訪問することでした。


当初の予定では津山駅前を1150に出発する高下方面行きのバスに吉ヶ原まで乗車、帰りも同じルートで津山に戻り、津山から1725発の姫新線列車で姫路に向かう予定でした。

午前中がほぼ予定無しなのはあまりにもったいないので、朝429発の津山線1番列車で545岡山に、岡山発946の津山線快速「ことぶき」で津山1054に戻ることにしました。

<岡山駅でのスポッティング>
貨物列車:山陽下りは1番線、上り4番線を通過しますが、旅客ホームの姫路よりの外れから、下り貨物を狙うことは可能ですが、それ以外は不可能です。上りは列車案内板に通過とか貨物と表示され、放送でも列車が通過しますとアナウンスがあるので比較的写しやすいです。山陽から四国方面に向かう貨物列車は8番線に入線、8番線の先で乗務員交代が行われます。EF200が引退してEF210と日本海縦貫線のEF510が顔を見せるようになったのが変化ですが、EF210300番台や100番台の新塗装を見ることがあります。

山陽本線:相変わらず113系、115系、しかも末期色が頑張っています。前に較べて改造タイプの115系が減ったように思います。色物では空色の1154連を見ました。117系も末期色で100番台編成が最後の活躍をしているようです。213系、JR西日本の2130番台、編成短縮で如何にも頭を付けたという感じのクハ212が目立っています。213系改造の観光列車「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ、フランス語で旅行かばんの意)」も幸い、回送列車として撮影できました。
伯備線:特急「やくも」の381系もここが最後の活躍の場となっており、モハ381に運転台を取り付けたクモハ381-500等、珍車が活躍するのもあと僅かになってきています。
津山線、吉備線(桃太郎線):キハ47、キハ40がメインに活躍していますが、朝の津山からの1番列車はキハ1202連でした。かつてよく見たカフェラテ塗装は無くなり、ほとんどが首都圏色(タラコ色)となっており、クリームとオレンジのツートンを1両撮影しました。

瀬戸大橋線:JR四国の車両の中では8600系が異彩を放っていました。サンライズ瀬戸・出雲の切り離し作業は朝の寝台特急の現代に続くショウといった感じで多くのギャラリーが見つめる中、行われていました。

 <柵原ふれあい鉱山公園の片上鉄道保存会の活動>

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2019/8/4 片上鉄道保存会 キハ702

11月までの毎月第一日曜日が活動日で保存車両のキハ303、キハ702などが吉ヶ原駅と数年前に新設された黄福柵原駅間を一日5往復する運行をしており、一日会員になれば乗車が可能なようです。車両はいずれも1930年代製造の元ガソリンカーで、現在はディーゼルエンジン、液体変速機を搭載していますが台車等は製造時のものが使用されているようです。炎天下、公開に合わせて全国各地からやって来た鉄道ファンで賑わっていました。当初の予定よりも早く、臨時の津山方面へのバスが運行されることが分かり、それに乗車し、津山駅に戻りました。これは津山市と美咲町が主催するレトロレールバスプロジェクトで片上保存鉄道の公開に合わせて臨時バスを月初めの日曜日に運行しているとのことで、車内では柵原鉱山、片上鉄道の歴史、使用しているバスに関して、美咲町、津山市に関する説明等がありました。

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キハ303

予定よりも早く津山駅に戻ったので、姫新線経由では無く、岡山経由で姫路に向かいました。

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2019年8月 4日 (日)

速報版 岡山、広島、鳥取、兵庫を巡る旅 二日目

2日目は、朝9時にオープンする「津山まなびの鉄道館」の見学と因美線・智頭経由で郡家(こおげ)まで行き、若桜鉄道を訪問することです。

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2019/8/3 津山駅前

前回、津山を訪問した2013年には無かった駅前のC1180号機を見学します。2017年8月までは津山市南小学校に保存されていたそうです。実に美しく整備されています。

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2019/8/3 転車台上にはDD13 638号機が乗っていました。ここに乗る車体は1ヶ月ごとに替わるそうです。

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キハ58 563は少し前に引っ張り出されており、車内も見学可能でした。手前の動輪はC5768号機のもの

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DD16304のラッセルヘッドは片側だけが付属しており、扇形庫の外側から見学することが出来ました。

駅には「津山まなびの鉄道館」までの道順が示されており、徒歩約10分とのこと、オープン前に到着しましたが、既に待っておられる方が数名いました。扇形庫は1936年製で梅小路に次ぐ日本で2番目の大きさの庫だそうです。2009年には転車台とともに経済産業省の「機械遺産」に登録され、2018年にはJR西日本の鉄道記念物とされました。2016年京都鉄道博物館がオープンした際、大阪弁天町の交通科学博物館に保存されていて京都鉄道博物館に収蔵されなかったD512号機、DF5018号機のほか、試作機1両のDE50、DD51, DD13, DD15, DD16などのDL, キハ181、キハ58、キハ52、キハ28、そして異色のオハ50形にエンジンを搭載したキハ33, 10t貨車移動機等13両が収蔵されています。

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2019/8/3 智頭 キハ120-343 因美線 津山~智頭間

駅に戻り、1135発の因美線智頭行きに乗車、1時間程で智頭に付きますが因美線はこの区間山越えでキハ120形25km速度制限区間をゆっくり進むのが印象的でした。

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2019/8/3 智頭 HOT3501 智頭~鳥取間 上郡~智頭間の智頭急行の車両が山陰線まで乗り入れています。

智頭からは智頭急行HOT3500形鳥取行きで郡家に向かいますが、郡家で降りて若桜鉄道を待つと1時間ほどあるので、そのまま鳥取まで乗車しました。

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2019/8/3 鳥取 キハ126 何種類かのラッピングがあるようですが、15+1015は漫画家青山剛昌が北栄町出身とのことで名探偵コナンのラッピング(青と赤基調)となっています・

鳥取駅は高架駅ですが、自動改札は導入されておらず、女性の駅員さんが列車のアナウンス、改札をしておられました。
30分の滞在で駅弁を購入、列車の写真等を撮影後、郡家に戻ります。今度はJRキハ47形2連でした。郡家で若桜鉄道の切符を購入する際に往復を買おうとしたら、1日自由乗車券の方が100円安い(¥430x2に対して¥760)とのことでそちらを購入。10分ほどで若桜行きの列車が到着、この列車も鳥取方面からやって来ました。

Dsc025842019/8/3 若桜 隼駅がスズキ製大型バイクの聖地とされていることからWT3301はバイクのラッピングに

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若桜鉄道に乗車するのは初めてですが、隼駅ではライダーの集会があり、安部駅は映画「男はつらいよ 寅次郎の告白」(1991年12月21日公開)のロケ地、そして終点若桜駅には12形客車、DD16 7号機, C12167号機などが保存されていました。

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2019年8月 3日 (土)

速報版 岡山、広島、鳥取、兵庫を巡る旅 初日

81日夜、新宿バスタを出発する高知・岡山方面に向かう夜行高速バスで岡山駅西口に

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2019/8/2 岡山駅西口

定刻より、約20分の遅れで到着。

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2019/8/2 三菱自工前 

初日は岡山から倉敷に向かい、倉敷市駅から水島臨海鉄道に乗車します。旅客営業の終点、三菱自工前まで行く列車も朝夕の通勤時に限られており、まずは終点まで向かいます。乗車した車両は久留里線等で活躍していた国鉄キハ37形(JR東日本ではキハ37-1003と-1002のキハ37-101、-102)の2連でした。

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2019/8/2 水島中央公園 D51842号機 

帰りは常盤で下車し、同駅から歩いて5分ほどの水島中央公園に保存されているD51842号機を見学しました。同機はドームがカマボコ型、煙突はギースルエジェクターと特徴的スタイルの蒸気機関車です。

倉敷市駅にもどり、伯備線に乗車し、一駅先の清音駅に向かいます。井原(いばら)鉄道の線路はここから南西方向に分岐しますが、車両は伯備線の総社駅まで乗り入れています。

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2019/8/2 清音駅を発車し、伯備線の上下線路の間から下り線を越え、高梁川を渡り、西方に向かう井原鉄道の線路

最後部から沿線風景を眺めていると昨年、高梁川やその支流が決壊して大水害に見舞われた倉敷市真備地区を通ります、まだまだ水害の跡が生々しく残っており、一刻も早い復興を願う次第です。井原鉄道の軌道は全線の8割近くが高架線で中国地方のJR線に較べて良く整備されていると感じました。車両基地は荏原にありました。

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2019/8/2 神辺 井原鉄道の車両 IRT355形 355はエンジンの出力355PSによるものだそうです。

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2019/8/2 府中 福塩線の電化区間はここで終了、ここまでは105系電車、ここから三次まではキハ120形気動車

1時間の乗車で終点、神辺(かんなべ)に到着、ここは福山と塩町・三次を結ぶ福塩線の駅でもあります。福塩線は府中までが電化されており、そこから先は非電化で、列車頻度もグンと下がるため、今回は府中まで行って戻ることとしました。

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福山から山陽本線を岡山まで戻り、岡山駅後楽園口から出ている岡山電軌の路面電車に乗ることに致しました。岡山の路面電車は前々回(2002年3月)に、来た際に撮影していますが、今回はLRTタイプのMOMOチャギントン電車なども加わっているとのこともあり、またこれまで乗車はしていないので、駅前~清輝橋、東山の全区間、1日乗車券(400)で乗りました。東山線の終点、東山おかでんミュージアム駅には駅のすぐ横に博物館があるのですが、内容は幼少児向けで少し期待外れでした。

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今晩から2泊は津山に宿泊するので津山線で津山に向かいます。2013年に岡山に来た際に津山を訪問しており、津山線もその時以来ですが、通勤路線としての性格か強まったようで快速「ことぶき」が岡山発7本、津山発8本運行されており、停車駅も法界院、金川、福渡、弓削、亀甲、津山と少ない列車が数本あります。駅前も大きく変化し、2016年には「津山まなびの鉄道館」がオープンし、大きな観光スポットが誕生しました。

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2019年8月 2日 (金)

和布刈公園に保存されているEF30 1号機

今回は2016年10月の鉄道記念日下関総合車両所の公開イベントに参加した際に、門司港の九州鉄道博物館を再訪、さらに和布刈公園に保存されているEF30 1号機オハフ33488号を見学した際の記録です。

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2016年10月15日 和布刈公園

EF30は関門トンネル区間用として1961年6月1日の鹿児島本線門司港~久留米間交流20kV、60Hz電化に合わせ投入された世界初の量産交直流電機です。それまではEF10が関門トンネル用として投入されていましたが、門司駅構内の下関よりに直流1500Vとの境界にあたるDead Sectionが設定されたため双方の電化方式に対応可能な電気機関車が必要となりました。さらに関門トンネル内には22‰の勾配が存在するため、重連で1200t貨物列車を牽引可能な直流機としての性能が要求されました。

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1号機は試作機で量産機である2号機から22号機までとはいくつかの点が異なっています。

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主要諸元
全長 1号機 17,860mm 2号機以降 16,560 mm
全幅 2,800
全高 3,780 mm
2号機以降は車体軽量化のため、側面と妻面の腰板部の板材厚さが縮小され、強度維持のためにコルゲーションが施されました。
運転整備重量 96.0 t
台車 DT117(前後台車)・DT118(中間台車)
台車心皿中心距離 1号機 9,400mm 2号機以降 8,800mm 
動力伝達方式 1モーター2軸駆動方式(WN駆動方式)
主電動機 直流直巻電動機
MT102×3基(1号機)MT51×3基(2号機以降)
歯車比 3.88
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ制御(バーニア制御付)
制動装置 EL14AS自動空気ブレーキ
保安装置 ATS-S
最高速度 直流区間 85 km/h 交流区間 35 km/h
定格出力 直流区間 1,800 kW 交流区間 450 kW
定格引張力 直流区間 13,900 kgf 交流区間 4,700 kgf

1号機は1960年、三菱電機・新三菱重工業で製造 2号機以降は 1961年から1968年までに
2-7, 18-22 号機 三菱電機・新三菱重工業で製造
8-12号機 日立製作所
13-17号機 東京芝浦電気

Ef30_9_1_741002 1974年10月 門司 9号機と1号機の重連

車体側面の窓と機器用エアフィルターの配置が1号機と2号機以降では異なり、識別ができました。新造時、1号機は窓下に赤帯を入れ、アクセントとしていました。車両番号も1号機は切り抜き文字方式なのに対して、2号機以降はナンバープレート取り付け方式となりました。

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門司港レトロ観光線の車窓から

交流運転は門司駅構内に限定されるため、交流機としての出力は直流機の1時間定格1,800kW・最高速度85km/hに較べ、10分定格397.5kW(1号機)、1時間定格450kW(2号機以降)、最高速度30km/hと抑えられました。交直両用機器搭載での自重増加に対処するため、ED46EF80と同様に空転時の再粘着特性で有利な1台車1モータ2軸駆動方式が採用されました。

EF301号機は1978年12月に他の量産機より先に廃車されました。廃車後、北九州市小倉北区の勝山公園に保存されていましたが、同公園の再整備と門司港レトロ観光線の開業準備に合わせ、関門開業めかり駅前に移設されました。

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2019年8月 1日 (木)

米原公民館前に保存されているラッセル車 キ555

2016年9月の関西旅行、東京への帰途、米原駅で途中下車して立ち寄ったのが本日の記事で紹介するラッセル車キ555です。

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2016/9/4 米原公民館

除雪用車両として、ラッセル車、ロータリー車は子供のころから絵本等でよく知っていますが、「ラッセル」というのは開発元の米穀ラッセル社に由来することは知りませんでした。車体前部に排雪板を装着し、進行方向の片側もしくは両側に雪を掻き分ける方式で除雪し、雪の少ない地域や豪雪地帯での初期除雪において活躍します。


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キ550形貨車は鐡道省が1932年から製造・使用した事業用貨車(複線用ラッセル式除雪車)で製造時はキ250形として登場し、1941年3月の称号改正でキ550形となりました。

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1943年から1959年にかけ、苗穂工場、土崎工場、飯野産業においてキ551~キ556、キ559~キ588の36両が新製されました。
さらに1955年、昭和30年度貨車更新修繕計画により苗穂工場にて2両のキ1500形の木製車体を鋼体化改造してキ550形に編入しました(キ557 - キ558)。1958年、昭和33年度貨車整備工事改造計画により、除雪能力を改善するため、苗穂工場にてその前頭部の形状を変更し、フランヂャーを直動式に改造されました。1961年から1968年には旭川工場、土崎工場、新津工場、松任工場、長野工場にてキ100形が改造され、キ550形に編入されました(キ589 - キ599、キ1550 - キ1569)。以上70両(キ550 - キ599、キ1550 - キ1569)が在籍し、各地の豪雪地帯で運用されました。

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1968年10月1日のダイヤ改正では高速化不適格車とされ、最高速度65km/hの指定車となり、識別のため記号に「ロ」が追加され「ロキ」となり黄1号の帯が巻かれた。

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主要諸元

車体色 黒+黄1号の帯
軌間 1,067 mm
全長 12,200 mm
全幅 2,621 mm
全高 4,015 mm
自重 30.0 t
換算両数 2.0
台車 TR42A、TR41C
車輪径 860 mm
軸距 1,650 mm
台車中心間距離 6,500 mm
最高速度 65 km/h

1987年、最後の1両が廃車となり、形式消滅しました。

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