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2019年8月22日 (木)

2016年10月仙台への旅 仙石線 その2 車両編 205系3100番台 その1 種車と周辺の動き

現在、仙石線で活躍中の205系3100番台

クハ205形3100番台
モハ205形3100番台
モハ204形3100番台
クハ204形3100番台 

からなる4連(2M2T)でモハユニットは全て元山手線用、クハは元山手線用または埼京線用サハ205形に運転台を設置した改造車で2002年から2004年にかけて18編成(M-1~M-18)が準備されました。

これら18編成の改造は
・ドアスイッチを装備した半自動ドア機構
・クハ205形に車椅子対応大形洋式車内トイレの設置
・耐寒仕様、側引戸レールヒータ、耐雪ブレーキの装備
・ATS-Ps、後年ATACS保安装置
・停車駅通過防止装置の設置 でした。

モハ205形の一部の車両には霜取り用シングルアームパンタグラフ(PS33C)を装備しました。

205-05-021104
2002/11/4 恵比寿 5,6号車がM-18編成のモハに改造されたヤテ5編成

2053100_20190821183801
山手電車区の所属車両から仙石線用3100番台に改造された車両

205-8-120616

2012/6/16 赤羽 M1編成用サハ205-160とナハT11編成用サハ205-161が抜かれ、6扉サハ204-11と-902が入ったハエ8編成

2053100_20190821183901
川越電車区の所属車両から仙石線用3100番台に改造された車両

205-07-020427

2002/4/7 恵比寿 M-16、ナハ48>M-19の改造種車となったヤテ7編成

2051200-48-060211
2006/2/11 尻手 ナハ48編成 205-4-041226
2004/12/26 矢向 モハユニットが235,236だったころのナハ4編成

205-4-100911-2
2010/9/11 モハユニットが235,21に交換された後のナハ4編成

103系の運転が2004年に終了後も多賀城付近の連続立体交差工事による予備車両の増加で103系1編成RT-235編成が運用復帰していましたが、2009年、その置き換え用に南武線に配置された205系1200番台(ナハ48編成)を1本4両編成に短縮し、3100番台化してM-19編成として仙石線に投入し、103系を完全に淘汰しました。

ナハ48編成は元々、上の図でヤテ7編成から改造された編成でモハユニット205/204-19が3119となり、21はナハ4編成に組み込まれました。ナハ4編成は元々、クハ205/204-88,モハ205/204-235,236からなる6連でしたが、2008年10月26日、中原電車区の交番検査庫でMG故障検査を受けている最中に工具による電気回路の短絡で低圧系回路にDC1500Vが流れ込み、作業員が重症、自力走行不能の状態に陥っていました。ナハ48編成から捻出されたモハユニット205/204-21を組み込んで復帰となりました。モハ205/204-236は2010年6月15日長野総合車両センターに廃車回送されました。(今回の記事に関してはサイト「4号車の5号車寄り」の記述を参考にまとめました)。

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コメント

B767−281様 お早うございます。モハ205,204−236の事故はよく覚えています。国鉄時代では考えられない事故だと思います。全く別方面の日航123便事故関連の本をと見ましたが、会社が昔と違って全てがJALではなく、複数の関連会社の集合になっていて、一家的な一体感が欠如している、との指摘がありました。 JRもある意味同じではと思います。恐らく整備の職場にも関連会社(下請け)が入っているでしょう。そんな背景から起こった事故のように思えます。その後床下機器にたくさんの○危ステッカーが貼られていますね。

細井忠邦さま、おはようございます。

国鉄時代、まだ電車の検査が電動車と付随車で検査周期が違っていた頃は、今みたいに編成番号というものがなく、編成の中身も頻繁に交換されていました。
その頃にも若しかしたらこういった事故は発生していたかも知れませんね。
いずれの職場においても緊張感をもって職務を遂行することは第一で、それが事故による犠牲や機器の損失を防ぎますね。

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