仙台市電保存館を訪問 その2 写真展示車両 モハ130型からモハ300型
仙台市電で活躍した型式、今回はモハ130型からモハ300型までです。
2016/10/21 仙台市電保存館 なぜか、136号の前面窓が2枚窓出ない点が気になりますが?
モハ130型は茨城交通水浜線の車両で、水浜線では129-138と付番されており、いずれも新潟鐵工所(現、新潟トランシス)製で
129、130は1951年製、茨城交通に社名が代わってから最初の新製車両でした。
131、132は1953年製、129,130と同様ですが屋根が木造から鋼板張上げ式に変更されました。
133、134は1954年製、側窓の上段がHゴム支持になりました。
135、136は1957年製、前面窓が3枚から2枚となり、側扉の腰部羽目板がガラス窓に、行先表示器の位置も変更されました。
137、138は1960年製、前面窓が3枚に戻り、側扉の1枚扉化、オールコイルバネ台車への変更がありました。
1965年の路線短縮後、6月30日付けで仙台交通局に譲渡され130型131-140として使用され、ワンマン化の際、対象から外れ余剰となり、1972年3月に131-135、1974年4月に136-140が廃車となりました。
モハ180型は琴平参宮電鉄の元デハ80形(81-88)で1950年広瀬車両製、1954年および1958年自社工場製の半鋼製ボギー車、定員80名です。1964年8月、このうちの82、84-88の6両が仙台市電に譲渡され180型181-186となりました。ワンマン化改造は受けず、1974年まで運用されました。ちなみに81、83は1963年12月に北陸鉄道金沢市内線に譲渡され、モハ2060形2061、2062となっています。
モハ200型は1954年から1957年製の前中扉の車体で流線形車体、前面2枚窓で1968年にワンマン化改造を受け、全線廃止まで運用されました。最初はピューゲルによる集電でしたが、Zパンタ、菱形パンタに換装されました。208号が保存館に収蔵予定でしたが、屋根が腐食していたため、解体されました。
モハ300型は連接車で1955年にモハ1型2両を1編成に改造したもので1965年まで運用されました。それにしても創世記から活躍しているモハ1型が連接車に改造されるとは、と驚かせられる改造かと思います。
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