2019/8/31 久しぶりの成田空港 その15 オーロラになる前のウラジオストク航空
このシリーズ8の記事(9/25付け)でオーロラという航空会社について触れました。2013年11月にウラジオストク航空とサハリン航空が合併してできた会社ですが、ウラジオストク航空の機体は以前、成田空港で撮影しておりましたので、その歴史とともにここで紹介します。
同社は国営アエロフロート・ソビエト航空のウラジオストク支社として1932年に設立されました。1935年、同市を本部とするソビエト連邦海軍太平洋艦隊が創設され、軍港として重視されるようになり、1938年には沿海地方の州都となり、第二次世界大戦後の冷戦時代には国際都市から、外国人の居住、およびソ連国民の市外居住者の立ち入りすら禁止された閉鎖都市に変貌しました。この間、同地域の外国貿易港はナホトカが代行していました。
1991年12月、ソビエト連邦が崩壊し、閉鎖都市指定も解除されウラジオストク航空も民間旅客航空としての歴史を刻むようになりました。1994年にアエロフロート傘下の国営企業から民営化され、東アジアへの国際線運航を開始し、ロシア国内はもとより諸外国へのヘリコプターのリース、地上サービス、航空貨物、航空燃料販売等も進めていました。路線は日本、韓国(ソウル、プサン)、中国(北京、ハルビン)、香港(就航検討)、ベトナム(ハノイ)、シンガポール(就航検討)とネットワークされ、
日本へは成田国際空港、東京国際空港、関西国際空港、広島空港、岡山空港、旧北九州空港、福岡空港、大分空港、熊本空港、宮崎空港、佐賀空港、鹿児島空港、長崎空港、松山空港、徳島空港、高松空港、高知空港、仙台空港、鳥取空港、出雲空港、南紀白浜空港、石見空港、福井空港、新千歳空港、釧路空港に飛来し、1998年、新潟~ウラジオストク線を開設、2005年にはツポレフTu-204-300型を導入、さらに2007年にはAirbusA320-200型を、2009年春にはAirbusA330-300型をロシアではアエロフロートに次いで導入しました。しかし、アエロフロートのグループ再編入に伴い、オーロラに吸収される形で消滅しました。
合併時点での保有機
ツポレフTu204-300型機 : 6機
エアバスA320-200型機 : 7機
エアバスA330-300型機 : 3機
Yak-40型機 : 3機(順次退役予定)
Mi-8型機 : 11機
2011/7/29 VP-BRB AirbusA320-212 528
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