2019年10月 西武多摩湖線vs多摩川線の車両交換 多摩川線編 その2
久しぶりに訪問した西武多摩川線、大きな変化は多磨駅の上り側ホームの使用停止、1線化でした。
2019/11/2 多磨駅に進入する武蔵境方面行きからの眺め
多摩川河原で採取した川砂利を運搬する目的で多摩鉄道が1917年10月22日に境(現、武蔵境)~北多磨(現、白糸台)間を開業、1919年6月1日には北多磨~常久(現、競艇場前)間が延伸、さらに1922年6月20日、常久~是政間が開業しました。1927年8月30日には(旧)西武鉄道によって合併され、多摩川線となりました。当初、砂利輸送のおまけ的位置づけだった旅客輸送ですが1929年1月5日に参拝客が増加していた多磨霊園の至近に多磨墓地前駅を設置したのが同駅の始まりでした。その後、ガソリンカーの運転が開始され、車両も増備、日曜祭日彼岸時には武蔵境~多磨墓地前間、15分毎の運転体制となり、1950年に電化、1967年に貨物輸送は廃止となりました。
多磨駅周辺地図 Yahooの地図から
多磨駅周辺には多磨霊園の他、警視庁運転免許試験場、2000年に北区西ヶ原から移転してきた東京外国語大学、2003年に渋谷区代々木から移転してきた榊原記念病院(心臓外科の権威、榊原仟氏の名前を冠している)、東京スタジアム(味の素スタジアム)、警視庁警察学校・大学校、武蔵野の森公園、調布飛行場などがあります。
2018/7/13 多磨駅の駅名標には()付きで東京外大前とあります。
2000年の東京外国語大学移転の際には当時の学長が駅名を「東京外国語大学前駅」とするように西武と交渉したそうですが、周辺の墓石業者の猛烈な反対で実現しなかったそうです。しかし、2003年に榊原記念病院が移転する際にさすがに墓地が付くのは問題なので多磨に改称されたそうです。
2018/7/13 ここにも駅猫たまがいます。
もともと多磨駅から白糸台駅東側に広がる土地は1941年4月30日、当時の東京府によって開設された東京調布飛行場で大戦中は日本陸軍が使用、1942年のドーリットル空襲以降は帝都防空拠点となっていました。1945年9月、連合軍主力のアメリカ軍によって接収され、現在、外語大、警察学校がある場所は水耕農場になっていました。西武多摩川線から専用の引き込み線も引かれていました。1952年、対日講和条約が発効すると日米行政協定で「調布水耕農園」となり、1964年の東京オリンピックで渋谷区のアメリカ軍宿舎「ワシントンハイツ」が選手村用地として返還されるとその代替住宅が建設され、「関東村住宅地区および補助飛行場」になりました。
1954年8月から飛行場の日米共同使用が認められ、1973年3月、飛行場地区が日本に全面返還されました。
国から都に調布場外離着陸場の管理・運営が引き継がれたのが1992年7月、都営コミュータ空港として開港したのは2001年3月31日でした。
2018/7/13 在りし日の多磨駅上りホームに停車する1247F
調布飛行場の実質的最寄り駅は京王線西調布駅ですが、1988年に使用開始された現在の駅は西側にしか出口がなく、橋上駅舎化による東側へのアクセスの改善、構内踏切の廃止、東西自由通路の設置といった駅の改良を行うことが2018年6月7日に発表され、2019年5月26日の始発から1面1線式の運用となりました。2019年3月16日のダイヤ改正までは早朝、深夜に同駅で列車交換が行われていましたが、それも改正で廃止となりました。工事の完工は2020年に予定されています。
ちなみに隣の白糸台駅は上の記述にも出てきますがかつては北多磨駅でしたが、多磨墓地前駅が多磨駅になったタイミングで北多磨駅が多磨駅の南にあるのはおかしいので白糸台と改称されました。
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