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2019年12月23日 (月)

阪神電気鉄道の旅 その歴史

2019年10月18日から20日にかけて、近鉄のイベントに参加する主目的で関西を訪れ、阪急、阪神、京阪各線に乗車し、各会社の車両の記録、沿線見物等を行いましたが、今回からは阪神電気鉄道です。

Hanshin Electric Railway Linemap.svg
Wkipedia 阪神本線の路線地図から


1905年4月12日に大阪(出入橋)~神戸(三宮)間で大都市間鉄道として我が国初の高速運行の電車で営業が開始されました。
現在、その路線は
本線     大阪梅田~元町    32.1km
阪神なんば線 大阪難波~尼崎    10.1km 西九条~大阪難波間3.8kmは第二種鉄道事業者
武庫川線   武庫川~武庫川団地前 1.7km
神戸高速線  元町~西代      5.0km  元町~西代間は第二種鉄道事業者

最初の路線免許は1899年6月12日に当時の農商務大臣から大阪資本の坂神電気鉄道と神戸資本の摂津電気鉄道が合併して出来た旧摂津電気鉄道に下付されており、同年7月に社名が現在の阪神電気鉄道に変更されました。

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2019/10/19 大阪梅田駅に掲示されている 近鉄奈良線~阪神線(本線、なんば線)~山陽電鉄線の路線図

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大阪梅田と神戸三宮の駅名標 これが阪神のスタイル

設立当時から広軌高速の電気鉄道を理想に掲げましたが、官設鉄道との競合もあり、普通鉄道としての免許が得られない可能性が高かったので、軌道条例による許可を基に、広軌化、専用軌道化、速度の変更の出願をして行く方針としました。1905年4月12日の三宮~出入橋間の開業後、1906年には梅田まで単線で開業、1914年に複線専用軌道化されました。同年には野田~天神橋筋間で北大阪線を開通させています。

1926年7月1日には甲子園線(上甲子園~中津浜)、1927年7月1日には国道線(野田~東神戸)と併用軌道(路面電車)の路線を開業しました。これらのうち国道線は別の会社が国道上に軌道を敷設するのを防ぐための予防措置で、1925年に子会社として阪神国道軌道を設立し、突貫工事で開業に結びつけ、1928年に子会社を吸収して本社直営にするというやり方を採りました。甲子園線は沿線の不動産開発に伴う輸送力の確保が目的でした。戦後の1950年代に最盛期を迎えましたが1960年代にはモータリゼーションの影響を受け、表定速度の低下、乗客源に悩まされ、尼崎市や西宮市から撤去を要請され、1975年5月、甲子園線、北大阪線、国道線は姿を消しました。

1933年に三宮~岩屋間の地下化工事が完成し、三宮駅は長さ125m・幅25mのホームが4本整備され、当時国内最大級の地下駅といわれました。これにより本線全線が専用軌道化さ、特急の運転が開始されました。1936年には三宮~元町間の地下線が開業、一方大阪中心部では1939年に出入橋~梅田間の地下線も開業しました。

阪神なんば線の前身の伝法線は当初、神戸~野田間を想定していましたが、1924年1月20日大物~伝法間、1928年12月28日尼崎~千鳥橋間が開業し、支線という位置づけになりました。また今津出屋敷線の一部として建設された尼崎海岸線1929年4月14日に出屋敷~東浜間で開業しました。尼崎臨海工業地帯の足として運行されましたが、1962年12月1日に出屋敷~高洲間が廃止され姿を消しました。

今回、乗車はしませんでしたが武庫川線は尼崎海岸線から大戦中に戦闘機を量産する川西航空機鳴尾工場を経て甲子園口駅に至る路線として計画されていましたが軍部の要求で1943年武庫川~川西航空機(洲先)間が開業、1944年には武庫大橋まで開業し、省線西宮から貨物列車の乗り入れが開始され、軌間の違いに対処するため三線軌条方式となりました。

戦後、1954年初めて大型高性能車3011形を嚆矢として普通用「ジェットカー」などの新車両が投入され、1966年までに小型旧形車両は姿をけしました。一方でモータリゼーションの発展により、併用軌道線は廃止に追い込まれ、バスに転換されました。

1995年1月17日早朝に発生した阪神淡路大震災では西灘~御影間で陸橋8カ所が落下、石屋川車庫の崩壊、営業中の2列車の脱線など甚大な被害を被り、鉄道被害は454億円、全社で481億円の被害となりましたが、全力で復興に取り組み6月26日には全線で運転を再開することができました。震災で41両の車両が廃車され、代替車両として初めてのVVVFインバータ制御車両5500系が投入され、カラーの36年ぶりに変更されました。1996年には急行用車両として19年ぶりのステンレス車9000系が投入されました。

1998年、阪神梅田~山陽姫路間を直通する特急の運行が開始、2001年にはクロスシートの9300系が投入されました。

10-191019
181005 2018/10/5 大阪難波駅の阪神線切符販売機

震災と前後して、西梅田開発(国鉄梅田貨物駅跡地開発)、西大阪線(1964年、千鳥橋から西九条まで延伸された際に伝法線から西大阪線に改称)の延伸という大きなプロジェクトが開始され、約40年の年月の経過後の2003年に工事が着工され、2009年3月20日に大阪難波まで開業、近鉄との相互乗り入れが開始されました。このとき、西大阪線は阪神なんば線に、近鉄難波駅は大阪難波駅と改称されました。

すでに阪急の記事で触れていますが、阪神電気鉄道は2006年10月には阪急HDGと経営統合し、阪急阪神HD株式会社の完全子会社となりました。

鉄道部門の施策として、高架化工事、開かずの踏切の解消、駅の改良工事、利便性向上策の推進、そして将来的に減少が懸念される沿線人口問題に対し、沿線活性化プロジェクトを推進しています。 

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コメント

B 767-281様お早うございます。阪神電車、今となっては阪急と同じ会社ですが、阪急電車に比べ路線は分かりやすいです。何年か前に梅田から姫路まで山陽電鉄を経由して行ったことがありますが、思った以上に時間がかかった事を思い出します。ライバルの国鉄、JRの努力がよくわかります。

細井忠邦さま、おはようございます。

私も阪神電鉄はこれまで殆ど乗ったことのない鉄道でしたが、今回歴史を勉強し、実際に乗車してみて少しわかった気がします。
確かに梅田から、姫路までJRを使わずに行けるのも魅力ですね。今度機会があったら試してみたく思います。

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