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2020年1月31日 (金)

大阪市交通局(大阪市高速電気軌道)66系電車

2019年10月の近鉄、京阪の鉄道イベントにかけて、阪急、阪神、京阪各線を乗り歩き、それぞれの路線で活躍中、あるいは以前に撮影した車両の紹介は昨日の京阪京津線の800系をもって終了しました。今回の旅では阪急千里線に乗り入れる大阪市交通局(大阪市高速電気軌道)の車両や、阪神線に乗り入れる山陽電鉄の車両、さらに近鉄の車両も撮影していますので、そちらもこの機会に紹介しておこうと思います。

まずは大阪市交通局(大阪市高速電気軌道)の66系電車です。

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2019/10/18 北千里 第02編成

Dsc03709 66602の内部 更新済み

1969年の堺筋線開業、京阪神急行電鉄京都線・千里線との相互直通運転開始時に投入されたのは60系でした。川崎重工業、日本車輛製造、汽車製造、日立製作所の4社により、5両編成18本が製造されました。アルミ合金製18.9m3扉車体で前面デザインは当時としては非常に斬新で、小田急9000形などにも影響を与えたデザインで、1970年度第10回ローレル賞を鉄道友の会より授与されました。1980年代に入ると阪急の車両の冷房改造が進み、1985年には全車冷房化されたのに対して、大阪市営地下鉄の車両には冷房が無く、乗客から冷房化の要望が寄せられました。それを受け1990年から第01、02、03、11、12編成が冷房改造されました。しかし、冷房装置は搭載されても内装が阪急の車両に比べて見劣りすることなどから、1990年に冷房未搭載の編成の置き換えを進めることになり、製造されたのが66系でした。川崎重工業と近畿車輛が製造を担当しました。

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2019/10/18 淡路 天神橋筋6丁目方面から進入 この光景も高架化が完成すれば見られなくなります。

主要諸元

最高運転速度 堺筋線内 70 km/h 阪急線内 110 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
編成定員 1,108人
編成重量 225.5 t
全長 18,900 mm
全幅 2,845 mm
全高 4,080 mm
台車 SUミンデン式ボルスタレス台車 SS-120・SS-020
主電動機 かご形三相誘導電動機
主電動機出力 180 kW
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 98:17 (5.76)
編成出力 2,880 kW
制御方式 GTOサイリスタ素子VVVFインバータ制御(第1 - 第12編成)
IGBT素子VVVFインバータ制御(第13 - 第17編成および前期型更新車)
制動装置 回生ブレーキ(純電気式)併用電気指令式ブレーキ
保安装置 WS-ATC、阪急型ATS

編成は8両で
←天下茶屋
66600-66000-66100-66700-66800-66300-66200-66900
 Tec1   Ma1     Mb1     Tp'      T'        Mb2    Ma2    Tec2
SIV      VVVF                                             VVVF   SIV
CP         PT                 CP                            PT       CP
BATT                                                                  BATT

01(1990年)~ 05編成(1992年)は6連で製造され、1993年までに66100形と66700形が挿入されました。1993年に06~08編成、1994年に09~12編成が製造され非冷房の60系を置き換えました。2002年に老朽化が進んだ冷房改造の60系を置き換えるため、2003年までに13~17編成が製造され、現在の8連17本体制となり、60系を完全に置き換えました。

60000-66616-191018
2019/10/18 淡路 第18編成 未更新のためスカートがありません。

更新工事は2012年から開始され、以下の変更が行われました。
・スカートの取り付け。
・識別灯・尾灯をLED式への交換。
・行先表示器を30000系と同様のフルカラーLEDに変更(優等種別や嵐山、河原町なども表示可能、2018年度施工車からは側面の行き先表示器 に駅ナンバリング記号も付与された表示に変更)。
・前面のVVVFマークを撤去し、車号表示をVVVFマークのあった場所へ移動。
・30000系や新20系改造車に準じたグラデーションの帯が採用された(カラーリングは茶⇒オレンジ)。
・シート端のポールの2本化、床面配色の変更、バケットシートの採用など、30000系に準じた車内となった。
・VVVFインバータ装置と補助電源装置(SIV)のASSY交換を実施。いずれもIGBT素子を使用したものに
・種別表示設定機器に阪急京都線内の全種別を追加。行先表示設定機器に高槻市から先の長岡天神・桂・河原町・嵐山を追加。
・車内照明のLED化(2014年度以降の施工車)。

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2020年1月30日 (木)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 800系II

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は800系IIです。

800-801-191020

2019/10/20 四宮車庫 801-802編成

800-804-191020
2019/10/20 四宮 803-804編成
これら2編成の塗色は登場時からの琵琶湖をイメージしたパステルブルーと灰白をベースに染物由来の色であり、京津線のラインカラーを表す「苅安色」(黄色)の帯を巻いています。

812-120913-3
2012/9/13 京阪山科 旧塗装の頃の811-812編成

1997年10月12日に京都市営地下鉄東西線への直通運転が開始され、同時に架線電圧が1500Vに昇圧されたため、80型等の在来車両が使用不能となり、代わって導入されたのが800系です。欧米ではよく見かける併用軌道区間と地下鉄区間を直通することが出来る車両で、日本では唯一です。さらに京津線には66.7‰の急勾配区間もあり、登山電車的機能も備えており、地下鉄線内運転用にATO装置も装備しています。

4両固定編成で2両が1ユニットの2ユニット全動力車となっており、1ユニット故障時でも走行が可能です。従って、4つの形式が連結され、一つの編成を構成することからこれまでの形から系となりました。因みに初代は琵琶湖鉄道汽船時代の1927年に日本車輛製造本店で製造した100形が京阪でき鉄道と合併後、800型に改番された通勤型電車でした。

VVVFインバータ制御方式で素子は京阪電車では初のIGBT素子となりました。制動装置で特徴的なのはブレーキシューが価格が安く高速域から安定した減速力が得られるレジンではなく連続急勾配や天候変化に強く、低速での併用軌道走行中の急減速性能に優れた鋳鉄製であることです。パンタグラフは京阪で初めてシングルアーム式PT-7201が装備されました。地下区間の低い架線から併用軌道区間の高い架線まで対応可能です。

車体の幅、高さは従来車と同じですが、長さは16.5mとなり、側扉も3扉となりました。京阪本線の7200系のミニチュア版ともいえるデザインです。

800-810-191020

2019/10/20 四宮 809-810編成
2017年度から2020年度にかけ京阪本線の一般車両と同じ「シティー・コミューター」色に変更されることとなり、下の表のように.801,803編成以外が既にこの塗色となっているようです。

主要諸元

最高運転速度 75 km/h
設計最高速度 90 km/h
起動加速度 3.3 km/h/s
減速度(常用) 4.2 km/h/s
編成定員 386人
車両定員 先頭車88人・中間車105人
編成重量 112 t
全長 16,500 mm
全幅 2,380 mm
全高 3,475 mm
車体 普通鋼
台車 モノリンク式空気ばね台車 FS558
主電動機出力 90 kW[1]
駆動方式 TD継手平行カルダン式
歯車比 71:14 (5.07[1])
編成出力 1,440 kW
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制動装置 回生ブレーキ優先全電気指令式電磁直通ブレーキ HRDA-1
保安装置 京阪形ATS、CS-ATC、ATO

Photo_20200129135701

800-815-191020-2
2019/10/20 四宮車庫 815-816編成

運用区間は当初、京津線~御陵~京都市役所前間でしたが地下鉄の延伸で太秦天神川まで乗り入れるようになりました。石山坂本線には営業運転では乗り入れませんが、近江神宮前駅に隣接する錦織車庫までは回送運転で入線します。さらに試運転では坂本比叡山口~近江神宮前間の運転もあります。逆にびわ湖浜大津~石山寺間は車両限界の関係で入線できません。2020年1月28日に札幌で市電とバスが衝突、市電が脱線する事故がありましたが、京津線の併用軌道区間でこういった事故が発生し、地下線内に封じ込まれた場合は運転再開まで東西線の醍醐車庫に留置となるそうです。2002年11月30日からは、それまで京津線内ではツーマン運転でしたが、全線でワンマン運転となりました。

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2020年1月29日 (水)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 700形III

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は700形IIIです。

700-701-191020-3

700-702-191020
2019/10/20 びわ湖浜大津 80型復刻塗装

昨日の記事で紹介した600形は1988年までに2両編成10本が製造され、1月25日の記事で紹介した80型についても1989年から1990年にかけ冷房工事が施行され、大津線における非冷房車両は260型、350型、500型の27両となっていました。京津線から京都市営地下鉄東西線への乗り入れに関しては1990年に車両規格が決定し、京津線の車両規格の大型化と同時に石山坂本線を含んだ架線電圧の600Vから1500Vへの昇圧も決定しました。従来は600形の増備の予定でしたが、昇圧を考慮した複電圧車の増備に計画が変更となり、1992年から1993年にかけ、錦織工場で、350型4両、500型6両の車体を流用して製造されることになったのが700形です。700形も3代目であり、1928年1580型として登場し、1929年に改番されたのが初代、1968年から1970年にかけ製造されたのが二代目でした。

主要諸元
電気方式 直流600 V→1,500 V (架空電車線方式)
編成定員 190人
車両定員 95人(着席38人、40人)
車両重量 21.0 t
編成重量 42.0 t
全長 15,000 mm
全幅 2,380 mm
全高 3,980 mm
台車 FS-503A
台車中心間距離 9,000 mm
動力伝達方式 TD平行カルダン駆動方式
主電動機 TDK 8760A(三相かご形誘導電動機)
主電動機出力 70 kw
歯車比 6.92
出力 280 kw
編成出力 560 kw
制御方式 分巻界磁位相制御
制動装置 全電気指令式電磁直通ブレーキ(HRD-1)

700-708-140811 2014/8/11 京阪膳所 導入当時の塗装

700形の前面スタイルは京阪本線に導入された7000系をベースにしたとのことです。

700
700形の場合、5編成のうち、2編成は350型の車体を流用しました。350型は1966年から1967年にかけて11両製造された型式で、351~355は両運転台、356~361は片運転台車でした。両運転台車のうち、352~355の4両は1970年8月に集電装置をポールからパンタに交換したタイミングで片運転台化され、356~361の6両と2両編成になりました。351は両運転台のまま残存し、錦織車庫の入換車や故障時の予備車として余生を送りました。700形が導入されるタイミングで700形と同じ全電気指令式電磁直通ブレーキ(HRD-1)に交換され、乗務員の習熟訓練用に使用されました。

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2020年1月28日 (火)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 600形III

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は600形IIIです。

600-602-191020

2019/10/20 唐橋前 601-602編成 1次車

京阪電気鉄道では1984年まで車両の形式に「型」をつけていました。1986年から登場した形式は「形」をつけるようになりました。600形は500型の記事でもありましたが、1980年代に入り、一般形車両も冷房サービスが当たり前の時代となり、従来の非冷房の車体を流用し、新たに製造された運転台、台車、機器を組み合わせ1984年から1988年にかけ製造された車両でした。製造は錦織工場で行われ、601-608は300型の車体、609-620は260型の車体が流用されました(詳細は下の表に)。なお、600形としては3代目となり、1927年1550型として登場し、1929年に改番で600型となった初代、「ロマンスカー」という言葉が登場するきっかけとなった車両でした。昭和30年代に慢性化する通勤ラッシュ対策として1650型を基本に18m級全金属の車体と初代600・700型の主要機器を組み合わせて更新されたのが二代目600系(制御電動車600型601 - 606, 611 - 626・中間電動車680型681 - 685・中間付随車650型651 - 664の計41両)でした。

600-613-191020
2019/10/20 比叡山坂本口 613-614編成 3次車

主要諸元

電気方式 直流600 V→直流1,500 V (架空電車線方式)
最高運転速度 60 km/h
車両定員 95人(着席40→38人)
車両重量 21.0 t
全長 15,000 mm
全幅 2,380 mm
全高 3,980 mm
車体高 3,512 mm
車体 鋼製
台車 住友 FS-503A
固定軸距 1,900 mm
台車中心間距離 9,000 mm
動力伝達方式 TD平行カルダン駆動方式
主電動機 TDK-8565A(150 V、410/65A、1,150 rpm)(登場時)TDK-8760A(改造後)
主電動機出力 53 kw(登場時)70 kw(改造後)
歯車比 6.00(登場時)6.11(改造後)
出力 212 kw(登場時)280 kw(改造後)
制御装置 ACRF-M853-788A(電動カム軸式、抵抗・直並列・界磁位相制御)(変更前)
分巻界磁位相制御(8M1C)
制動装置 非常直通式空気ブレーキ(SME)(登場時)
全電気指令式電磁直通ブレーキ(HRD-1)(変更後)(回生ブレーキ・発電ブレーキ併用)

600-619-191020 2019/10/20 唐橋前 619-620編成 4次車

600_20200127185901
600形の製造次数と流用元260型の関係
窓は2次車では前面窓がパノラミックウインドウに、3次車では側面窓の下段が固定化されました。なお、2次車も1992年から1993年にかけて側面窓の下段が固定化されました。

600形は1997年の京都市営地下鉄東西線への片乗り入れ後も使用されることが決まっていたため、1993年に昇圧に向けた改造が行われました。主電動機、駆動装置、制動装置、補助電源装置、CP、標識灯などが交換され、主要諸元の項で赤字で示したのが改造後の変化です。

 

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2020年1月27日 (月)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 500型

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は500型IIです。

504-801211 1980/12/11 蹴上

この記事で紹介する2代目の500型は1月24日記事で紹介した260型の4次車281-286(1968年製造)を錦織工場で改造し、1979年に2両、1981年に4両が導入されました。種車の側窓、扉の配置はそのままに、運転室の面積を拡大し、先頭部は非貫通式の2枚窓となり、左側には電照式行先表示器も設置されました。これらのデザインは600形や700形にも継承されました。

京津線のそれまでの優等列車用車両は上半分がマンダリンオレンジ、下半分がカーマインレッドの京阪特急色で塗られていましたが、500型は上半分がライトグリーン、下半分がダークグリーンの 一般色で登場しました。これ以降、他の車両も同様の塗色となりました。車内はロングシートで冷房は非搭載でした。

台車は京阪線1000系で使用実績のあるFS-309を基に小型化したFS-503を採用し、枕バネにダイヤフラム式空気バネを用い、軸箱は側梁緩衝ゴムによって支持されていました。台車を小型化したために、床面の高さが80mm低くなり、プラットホームとの段差が減少し、荷重による車両の撓みも減少しました。駆動方式もTD平行カルダン方式となり、大津線初の高性能車となりました。制動装置は従来車とおなじ直通空気ブレーキ(SME)でしたが、従来は非常時のみに使用していた発電ブレーキを通常時(速度抑制、停止)にも使用することで、最大66.7‰の急勾配でも安定した制動力が確保出来るようになりました。集電装置はパンタグラフを用い、奇数番号の車両は運転台側、偶数番号の車両は連結面側の屋根上に1台設置されました。

主要諸元

車両定員 95人(着席46人)
車両重量 23.5 t
全長 14,900 mm
全幅 2,380 mm
全高 3,980 mm(集電装置含)
台車 FS-503
動力伝達方式 TD平行カルダン駆動方式
発電機 TDK-356 1/B(4.5 kVA)
主電動機 TDK 8560A(300 V、230 A、1,300 rpm)
主電動機出力 60 kw
歯車比 6.00
出力 240 kw
制御装置 ACDF-M460-776A(電動カム軸制御)
制動装置 発電ブレーキ併用非常直通式空気ブレーキ(SME)
備考 廃車後の車体は700形に流用

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改造登場当初は京津線の急行や準急で活躍し、1981年の浜大津駅の移設で方向転換され、1984年に大津線初の冷房車600形が登場すると石山坂本線の普通列車運用に回りました。冷房車のニーズの高まり、さらに京都市営地下鉄東西線との直通運転で1500V昇圧に機器が対応していないことが明らかとなり、昇圧用複電圧車700形の種車として500型の車体が流用されることが決まり、1992年から1993年に形式消滅しました。260型からは改造という扱いで500型になりましたが、700形には代替新造という扱いになりました。

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2020年1月26日 (日)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 300型

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は300型IIです。

304-801211
1980/12/11 三条

京阪大津線では1957年260型が導入されて以降、車両の近代化が進められていました。その一環として二代目300型は1965年から1968年にかけ、2両編成4本、計8両が川崎車輌で製造されました。260型 3次車同様の全長14.9m級、両開き2扉、前面は3枚窓貫通扉付き、片運転台方式でした。 当初は京阪特急色(上半分がマンダリンオレンジ、下半分がカーマインレッド)を纏っていましたが、1979年以降、写真のような上半分が若草色(ライトグリーン)、下半分が青緑色(ダークグリーン)の一般色に変更されました。

Photo_20200125081101

 

 

 

 

 

台車や一部の主要機器は1924年に導入された木造車1000型(初代)(10両、1929年の大改番で300型(初代)に改められ、第二次世界大戦で304、305の2両が焼失しました)から流用されました。初代307から310の4両から機器が流用され、二代目301-304が竣工、301-303、306は1963年に大津線に転属し、二代目300型登場後は310型(311-314)と改番し、1965年に廃車となり、1967年から1968年に竣工した二代目305-308に流用されました。台車はブリル製のMCB-2が引き継がれましたが、ボールドウィン製78-25Aは引き継がれず、ブリル製MCB-2Xが使用されました。

主要諸元
編成 2両編成(Mc + Mc)
車両定員 95人(着席46人)
車両重量 25.0 t
全長 14,900 mm
全幅 2,380 mm
全高 3,980 mm
台車 ブリル MCB-2(301 - 305)ブリル MCB-2X(306 - 308)
動力伝達方式 吊り掛け駆動方式
主電動機出力 58 kw
歯車比 2.75(55:20)
出力 232 kw
制御装置 電動カム軸制御
制動装置 発電ブレーキ併用非常直通ブレーキ(SME)、手ブレーキ
保安装置 デッドマン装置
備考 主要機器は300型(初代)から流用。

大津線にも冷房車ということで、600形の導入が決定すると、300型の車体を流用することになり、600形の竣工で300型が廃車となって行き、1984年10月22日、607-608が301-302の車体を流用し、竣工したことで形式消滅となりました。

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2020年1月25日 (土)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 80型

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は80型IIです。

81-801211

82-801211_20200124195802 1980/12/11 81-82編成 パンタを嵩上げした頃 上 蹴上 下 三条

60型の記事でも出て来た、1949年8月7日未明に起こった四宮車庫の火災で併用軌道区間に投入されていた多くのステップ付き低床在来車が被災しました。復旧過程で三条~浜大津間の各駅停車列車には残った低床ステップ車が投入され、浜大津直通急行・準急運用については高床・乗降ステップなしの一般車充当されましたが、1956年11月19日の東海道本線全線電化完成以降、国電区間が延長され、京津線沿線でも宅地開発が進み、乗客数が急ピッチで増加しはじめました。在来の低床ステップ車では明らかに輸送力不足に陥ることが明らかとなり、1961年8月から京津線の各駅停車列車用に製造されたのが80型IIでした。尚、80型としては二代目で大津電車軌道の1型電車が京阪との合併後名乗ったのが初代80型でした。81~96までの16両が近畿車輛にて製造されました。

84-801211 1980/12/11 蹴上

主要諸元
編成 当初1両、後に2両固定化
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600V(架空電車線方式)
最高運転速度 60 km/h
起動加速度 3.2 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
車両定員 95名(座席40名)
自重 20.0 t
全長 15,000 mm
全幅 2,380 mm
全高 3,980 mm
床面高さ 910 mm
車体 普通鋼
台車 KD-204 空気バネ台車
車輪径 660 mm
固定軸距 1,650 mm
台車中心間距離 8,200 mm
主電動機 複巻整流子電動機TDK-543/1-B
主電動機出力 45 kW
搭載数 4台/両
端子電圧 150V
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 59:14 (4.21)
編成出力 360kW(2両固定編成)
制御方式 抵抗制御
制御装置 電動カム軸式抵抗制御
ACRF-M445-256A/B
制動装置 SME非常直通式空気制動 (回生制動併用)手用制動
保安装置 京阪形ATS
備考 自重は冷房改造以前の数値。

準張殻構造の15m級軽量設計の両運転台車両でラッシュ時対策で3扉車となりました。94-96の3両は片運転台車として竣工し、非運転台側妻面は切妻構造となり、貫通路が設置されました。

86-801211_20200124200001
86-801211_20200124200002 1980/12/11 85-86編成 上 三条 下 蹴上

昨日の記事にもありましたが、1970年8月23日に大津線の全車両のパンタグラフへの一斉変更が行われた際に、車体高が低いのをカバーするため台座に円柱状のパイ府を装着し、嵩上げした上にパンタグラフが搭載されました。また同年7月から両運転台車であった81-93について81-82、83-84と言った具合に2両固定編成化が行われ、奇数車の三条方運転台、偶数車の浜大津方運転台が撤去され、貫通路が新設されました。93は94とペアが組まれました。1981年4月の浜大津駅移転では、260型同様に錦織車庫の転車台で方向転換が行われ、奇数車が三条向き、偶数車が浜大津向きとなりました。京都市営地下鉄東西線の建設で併用軌道部分が廃止される際に本形式も廃車になる予定でしたが、地下鉄工事が遅れたため、1989年より、冷房改造工事が開始されました。

1997年10月12日の京都市営地下鉄東西線開通に伴う京津線三条~御陵間廃止、ならびに大津線全線の1500V昇圧で全車廃車となりました。礼帽装置は600形の冷房装置更新で再利用されました。廃車後、多くの編成が解体される中、81-82編成は350形357-356とともに浜大津駅付近の側線出約5年留置後、82は完全な状態で、81はカットボディで錦織車庫にて静態保存されました。2015年に82は車庫から搬出され、81のカットボディのみが現存しています。

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2020年1月24日 (金)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 260型 

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は260型です。

276-801211 1980/12/11 三条付近

大津線の近代化を図るため木造・半鋼製の200型の機器・台車を流用し、1957年から1968年にかけ26両がナニワ工機、日立製作所、近畿車輛にて製造されました。

主要諸元
車両定員 95人(着席44人)(261 - 273)95人(着席46人)(274 - 286)
車両重量 23.8 t(261 - 273)23.5 t(274 - 286)
全長 14,900 mm
全幅 2,380 mm
全高 3,980 mm
動力伝達方式 吊り掛け駆動方式
主電動機 9-C(600 V、90 A、652 rpm)
主電動機出力 45 kw
歯車比 2.95
出力 180 kw
制御装置 EC-260(電動カム軸制御、直並列組合せ制御)
制動装置 発電ブレーキ併用非常直通ブレーキ(SME)、手ブレーキ(1971年 - 1973年以降)

製造は4次に渡り、
1次車 261-267 1957年製 両運転台車 片開き扉 ナニワ工機
2次車 268-273 1959年製 両運転台車 両開き扉 日立製作所 運転台窓の形状変更 上部開閉可能なスライド窓
3次車 274-279 1961年―1963年製 片運転台 両開き扉 日立製作所
4次車 280-286 1968年製 片運転台 両開き扉 近畿車輛 ウインドウシル無し 前照灯2灯
形態はこのように変化して行きました。

1965年に制御装置が200型譲りの電気制御した空気シリンダーで接触器を動作させるカム軸の回転を制御する電空カム軸制御方式から、他の車両同様のカム軸を電動機で回転させ接触器を動作させる電動カム軸制御方式に変更されました。さらに制動装置は発電ブレーキ併用空気ブレーキから発電ブレーキ併用非常直通ブレーキ(SME)に変更されました。4次車はこれらの仕様で製造されました。

1970年8月、大津線の集電装置がポールからパンタグラフに変更され、260型には東洋電機製PT-4303Aが1台設置され、これに合わせて運転台側の先頭窓が2段式となり、大津線の全列車が2両編成化され,261-269は片運転台化されました。同年、267の台車はブリルのMCB-2Xに交換されました。

1979年から1981年にかけて281 - 286は500型に改造され、その際に捻出したボールドウィン製台車(BW形)は261 - 266へ転用されました。

浜大津駅におけるスイッチバックの解消、同交差点の混雑緩和を目指し、同駅が1981年4月12日に移設された関係で、京津線と石山坂本線の車両の向きが逆向きになり、両線を直通する車両間の連結や編成の組み換えに支障をきたすことが予想されたため、同年6月18日まで、錦織車庫に設置された仮設のターンテーブルで260型の一部の車両が方向転換することになりました。方向転換後、両運転台で残っていた270-273も1982年に片運転台化されました。これで全車2両固定編成となり、連結面の連結器は棒連結器となり、前照灯の2灯化、正面運転台窓枠のHゴム化、貫通幌の撤去、貫通扉下部の通風口設置などが行われました。

製造時から上半分がマンダリンオレンジ、下半分がカーマインレッドの京阪特急色でしたが、500型に改造された281 - 286は上半分が若草色(ライトグリーン)、下半分が青緑色(ダークグリーン)の一般色になっており、これに合わせ260型も1985年以降、同様の変更が行われました。
両開き扉を有していた2次・3次車は600形に車体を供出するため1987年から1988年にかけて廃車され、最後まで残ったは片開き扉の1次車と4次車の280でした。これら8両で2両固定編成4本が組まれ、1997年10月12日の京津線部分廃止と大津線1500V昇圧時に全車廃車となりました。

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2020年1月23日 (木)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 60型 びわこ号

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回からは京津線、石坂坂本線関係の車両で、最初はびわこ号として活躍した60型です。


60-63-191020-14客用扉は2種類あり、運転台後方の扉は高床ホーム用、連接部よりは低床ホーム用


60-63-191020-13
低床ホーム用扉には開閉式昇降階段が設置されています。


60-63-191020-7
連接部のD-13台車 両端台車はD-12 帯鋼リベット組立イコライザー台車

2019/10/20 寝屋川車庫


1934年、日本車輛製造製の我が国初の連接構造の電車であり、当時の流行でもあった流線形車体を持った電車で日本の鉄道史にしっかりと足跡を残した車両で寝屋川車庫に1編成が復元保存されており、イベント等で内部を見学することも可能です。

大阪から京阪本線、三条を経由し、琵琶湖岸の浜大津まで直通の電車を運行しなくてはならない理由が当時の京阪にはありました。
1)京阪本線の五条以北は京都市が市電建設を企図して特許を取得した区間であり、京阪はこの区間を20年契約で琵琶湖連絡を目的とし、京津電軌との連絡を円滑に行うという条件で借り受けたものでした。
2)1920年代初頭に京津電軌が京阪に対して合併話を持ち掛けました。
3)阪急嵐山線の記事でも登場した京都電燈が軌道事業だけではなく、電力事業も展開していた京津電軌の電力事業を獲得しようと画策し始めました。また京都電燈傘下の叡山線の出町柳~三条大橋延長も計画し、京津線との直通、電力事業の合併を主張する一派が京津内部に存在しました。
4)京津電軌を巡って、京阪と京都電燈の間で争奪戦が起こるところでしたが、電力事業は京都電燈に、軌道事業は京阪が継承するということで決着が図られました。
こういった経緯から京阪による琵琶湖連絡、阪津間直通は京阪の軌道事業取得に説得力を持たせると同時に、重要な責務となりました。
一方で、三条~五条間の免許借り入れ契約は1935年に失効が迫り、それまでに契約を更新する必要がありました。この時期、京都市議会では一部の議員から、「京阪電鉄は京阪間連絡に限定し、三条にターミナルを置く必要はない」「五条以北は京都市電に置き換え、市内交通の一元運営にすべき」との意見が出され、京阪としては路線維持の観点から京阪本線~京津線を直通運転し、琵琶湖連絡する列車を一刻も早く運転開始しなくてはいけない状況となりました。


60-63-191020-7_20200122200501
奥行き405mmの浅いロングシート

60-63-191020-8


60-63-191020-10
連接部の独特な構造

そこで登場したのが60型61-63の3編成でした。車両の構想は1925年の京阪・京津合併時に計画されており、1931年には日本車輛製造本店では軽量構造大型車体の江若鉄道C4形気動車(18m級120人乗り)を製作しており、その設計が60型の設計にも影響を及ぼしたと考えられています。車体は半鋼製で流線形としては1935年製の国鉄52形電車よりも早い登場となりました。車体幅は京津線の車両限界から2200mmとし、クロスシートの設置は断念し、浅めのロングシートとなりました。さらに車体の連結部、通常の幌では逢坂山付近の急曲線区間に対応できないため、中間台車と回転軸を同じくする金属製貫通路が設置されました。


60-63-191020-3
片隅式運転台
高速走行が求められる京阪本線用に新京阪のP-6に装備された弱め界磁が追加されており、また京津線内の連続急勾配66.7‰に対応するため、発電ブレーキが装備され、大容量の抵抗器が擬装スペースいっぱいに搭載されています。


60-63-191020-4
車内は木製で、右側から書く書体も昭和初期の雰囲気を出しています。



主要諸元
編成 2車体連接車
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600 V (架空電車線方式)
車両定員 112人(座席60人)
車両重量 26.4 t
全長 12,380 mm
全幅 2,356 mm
全高 4,000 mm
台車 日本車輌製造 D-12, D-13
主電動機 東洋電機製造 TDK-517-SA1(72.0 kw)
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 2.87(66:23)
出力 288.0 kw
定格速度 48.6 km/h
制動装置 空気ブレーキ、発電ブレーキ(電空併用ブレーキ)

1934年4月に特急「びわこ号」として天満橋~三条~三条大橋~浜大津間で運転が開始されました。途中停車駅は転線と、集電装置切り替えの必要な三条、三条大橋に限られ、後には三条大橋だけとなりました。定期列車1往復と臨時列車2往復の最大3往復が設定されました。1940年9月頃には戦時体制移行で直通運転が中止となり、1944年には61.62が資材・人員不足で休車に追い込まれ、63が終戦頃まで天満橋~守口間の区間運転に従事しました。戦後の1946年、京阪本線の編成両数延伸などで60型は守口車庫から四宮車庫に転出しました。1949年8月7日、深夜四宮車庫の火事で入庫車27両中22両が全焼する大惨事になりましたが、60型は幸いにも難を逃れました。その後、京津線、石山坂本線でも運用されましたが、1969年には三条駅構内の連絡線が撤去され、京津線にATSが設置される際には対象から外され、1970年7月30日、「びわこ号」としてお別れ式が行われ、1970年10月5日、最後まで残っていた63号が廃車となりました。

60型の電装品や台車は2代目1000系を種車に製造が進められていた700系車体更新車に流用され、3編成から発生した9台の台車は電動車3両と付随車1両に使用されました。車体と台車は錦織車庫に留置となりました。700系は架線電圧昇圧で車体のみを流用した1000系3代目に更新されることとなり、このとき不要となった60型由来の機器、台車で1980年京阪電鉄創業70周年事業の一環として63を新造時の姿に復元する工事が実施されました。復元された63は長らく「ひらかたパーク」に静態保存されていました。2000年、ひらかたパークのリニューアルで設置場所が無くなるため、寝屋川車庫に移動となり、2010年には京阪と寝屋川市が「びわこ号復活プロジェクト」として動態復元を目指すことが発表され、2014年11月19日、寝屋川車庫構内での旧70型による牽引・推進での運転が実現しました。


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2020年1月22日 (水)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 3000系II

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は二代目3000系(3000系II)です。

3000ii-3001-191020 3000ii-3051-191020 2019/10/20 寝屋川車庫

元々は2008年10月19日の中之島線開業に合わせ、同線に直通する快速急行用の車両として、川崎重工業にて8連6本が製造されました。車両のデザインはGKデザイン総研広島が担当しました。GKデザイングループは株式会社GKデザイン機構を中核とし、京都、広島、ロサンゼルス、アトランタ、アムステルダム、上海に拠点をもち、鉄道車両をはじめとして多くのデザインを手掛けています。車両全体のデザインコンセプトとして文化・風情の香りに現代感覚を融合された「風流の今様」を打ち出しており、前面の円弧状スタイルは花鳥風月をイメージしたものとなっています。コンフォート・サルーンという愛称が与えられています。

3000系IIの車体は6000系以降のアルミニウム合金製中空大型押出し形材によるダブルスキン構造で川崎重工業が開発したブランドであるefACE(Environmentally Friendly Advanced Commuter & Express trainの略)を初めて採用し、京阪の両開き扉車として1650型以来、戸袋窓が設けられました。efACEは規格や仕様が異なった車両でも各構体をモジュール化し、取り付け要領を統一化することで製作コストや作業時間を低減し鉄道事業者のきめの細かいニーズに対応可能とした工法です。efACEが採用されたアルミ構体車両として東京メトロ16000系、山陽電気鉄道6000系、東武鉄道500系Revaty(リバティ)、西武鉄道40000系、 神戸市交通局6000形、横浜市交通局10000形2次車などがあります。

Photo_20200121114501

10000系と同一のIGBT素子2レベルVVVFインバータ制御方式の電動車3両、付随車5両で1編成となっています。先頭車には空転防止のため増粘着剤噴射装置(関西では多くの事業者がアルミ粉末方式なのに対して京阪はセラミック粉末)セラジェットを採用しています。また運転状況記録装置、ホーム検知装置も設置されています。

3000ii-3052-191020
2019/10/20 守口市

2017年には正面貫通扉部分のガラスが下方に拡大、液晶ディスプレイと装飾灯が設置され、顔が変わりました。貫通扉部分にあった車両番号とKEIHANロゴが左右に移設されました。

座席は客用ドア間は2+1の転換クロスシート、車端部はロングシート、運転席後部は2+2の転換クロスシートとなっています。


主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h 
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.3 km/h/s
編成定員 982人
車両定員 先頭車113人・中間車126人
自重 27.0 - 36.5 t
編成重量 249.5 t
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,700 mm
全幅 2,782 mm
全高 4,138 mm
車体 アルミニウム合金
台車 電動車:川崎重工業KW-77E 軸梁式ダイレクトマウント空気ばね台車
付随車:住友金属工業FS577 モノリンク式ダイレクトマウント空気ばね台車
主電動機 かご形三相誘導電動機 TDK6151-C
主電動機出力 200 kW
駆動方式 TD平行カルダン駆動方式
歯車比 6.07
編成出力 2,400 kW
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制御装置 ATR-H4200-RG6004A
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ (HRDA-1)
保安装置 K-ATS(出町柳 - 淀間)京阪型速度照査ATS

2019年6月14日の2019年度設備投資計画では8000系同様にプレミアムカーの新造がアナウンスされました。
2009年に鉄道友の会から第45回ローレル賞を受賞しています。このときの次点は西武鉄道30000系でした。まだ同年に日本産業デザイン振興会からグッドデザイン賞も受賞しました。

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2020年1月21日 (火)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 3000系 I くずはモール SANZEN-HIROBAに保存

昨日に続いて初代3000系(3000系I)の話題です。

191020-sanzenhiroba

2019/10/20

2013年3月31日、営業運転が終了し、同年4月30日付で車籍が抹消(廃車)された後も暫くの間、寝屋川車庫に留置されていましたが、6月14日8531(3505)はトレーラーでちょうど建て替えの最中だったくずはモール敷地内に搬入されました。さらにDouble Dekkerの8831は富山地方鉄道に輸送のため7月4日に堺市西区築港新町に陸送されました。

Dsc04613_20200120184101
京阪特急のシンボルである鳩マーク、電照式で回送時や急行運用時は車体と同色に塗られた目隠し板を装着して運行されました。
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車体番号は8531から3505に戻されています。
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台車は京阪において初めて導入されたダイレクトマウント方式の空気ばね台車で電動車は住友金属工業製FS-381、制御車は汽車製造会社KS-132もしくは川崎重工業KS-132A
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くずはモール内部に3000系にちなんでSANZEN HIROBAが設けられ、そこに3505が安置、保存されました。実際に電車として動くわけではありませんが、デジタル動態保存として、運転体験ができるシュミレーターが用意されています。3000系のみならず、2600系や8000系のシュミレーターモ用意されています(案内情報)。

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京阪最後のテレビカーとなった8531(3505)
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テレビも復元されています。
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補助いすの出し入れが混雑時や地下線内ではできないように車掌室から遠隔ロックすることが可能でした。


Dsc04644
両端駅での座席方向転換作業を簡略化すべく、空気圧駆動による自動転換装置が内蔵されています。この車両は2次車ですが、1次車では583系の窓際座席と同様の壁に凹みを設けたひじ掛けが用意されていました。

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2020年1月20日 (月)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 3000系 I 登場から8000系に編入されるまで

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は初代3000系(3000系I)です。

Img024 3503-811211
1981/12/11 四条 3+3連だった頃の1次車 3003+3004

京阪5代目の特急車両として1971年から1973年にかけて製造され、2008年6月24日8000系への置き換えが進み、最後の1編成が8000系30番台に改番され、2013年3月31日で営業運行を終了しました。と同時に1954年1800系以来続いた京阪の「テレビカー」の歴史にピリオドが打たれました。

1900系新造車グループに準じた2扉18m級全鋼製車体で冷房装備で登場しました。

3000i

1971年8月15日のダイヤ改正で特急の運行頻度を20分間隔から15分間隔に増発し、1900系を7両編成化するため、不足する車両の補充分として製造されたのが第1次車で3500ー3100-3000(Tc-M-Mc)の3両編成が4本製造されました。1900系との併結が考慮され、空気ブレーキは共通のAR-LD中継弁付自動空気ブレーキでした。

冷房の有無で1900系と3000系の人気の違いは明らかであったため、3000系は1900系の補充という立場から、1900系に取って代わって特急運用を担う立場となり、1900系は一般車に格下げとなりました。1972年6月以降、第2次車として3600形を含む4両編成2本、3両編成2本の計14両が増備されました。1900系との併結運用は前提としなくなったため、ブレーキはHRD-1D電気指令式ブレーキに変更されました。

1973年6月、さらに3次車として4両編成2本、3両編成8本が増備されました。これにより特急運用に必要な9編成が出揃い、1900系の置き換えが完了し、特急の完全冷房化も達成されました。3次車では、早朝夜間の編成解結の作業簡略化を目的として連結器を電気連結器付密着連結器へ変更し、混雑時および地下線内での使用停止を目的として車掌室から遠隔ロック可能な収納式補助いすが装備されました。第1次車および第2次車へもこれらの変更が順次適用され、保安強化を目的として主回路に高速度遮断機が付加されました。

3両もしくは4両の編成を組み合わせることで早朝、深夜の閑散時間帯は運行サイクルを変えずに輸送需要に適合させるため、3両もしくは4両で運行される列車が存在しました。1987年6月のダイヤ改正でこういった基本編成単独の運用は取りやめられ、1989年10月の鴨東線開業に伴う7連化では3600形は新造されず、昨日の記事のように、8000系の付随車8500形8550番台車が5両新造され、3両x2編成に組み込まれました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
全長 18,700 mm
全幅 2,720 mm
全高 4,155 mm
台車 ダイレクトマウント空気ばね台車
電動車・中間付随車 住友金属工業FS381・FS381B 緩衝ゴム式
制御車 汽車製造(現・川崎重工業)KS-132・KS-132A 湿式円筒案内式
主電動機 東洋電機製造TDK-8160-A
直流複巻整流子電動機
主電動機出力 1時間定格出力140kW (端子電圧300V時)
1時間定格出力175kW (端子電圧375V時)
駆動方式 中空軸たわみ板継手平行カルダン方式
歯車比 84:16 (5.25)
編成出力
1,120kW(3両・4両編成:直流600V時)
1,400kW(3両・4両編成:直流1,500V時)
2,240kW(6両・7両編成:直流600V時)
2,800kW(6両 - 8両編成:直流1,500V時)
制御方式 界磁位相制御
制動装置 AR-LD中継弁付き発電ブレーキ連動自動空気ブレーキ(1次車新造時)
HRD-1D電気指令式電磁直通ブレーキ(2次車新造以降更新まで)
HRDA-1回生ブレーキ優先全電気指令式電磁直通ブレーキ(更新後)
保安装置 京阪形ATS

3000i_20200119110701
8000系8550番台が一部挿入された3000系Iが全車揃っていた時代の編成構成

Img075_20200119121101
1981/12/11 四条 最後まで残った車両を含む3005+3006編成

8000系の第2編成以降が増備され、かつて3000系が1900系から特急運用の座を奪ったと同様なことが繰り返され、1995年には廃車が進み、3005F+3006Fと3008Fから抽出された予備車2両という状態になりました。しかし、その後検査体制の見直しで特急運用に余裕を持たせるため予備車率の引き上げが行われ、3000系の残された編成はそのまま残し、特急車の予備編成として使用することになりました。1995年12月には車体と主要機器の更新修繕工事が施工され、3608を寝屋川工場で2階建て車に改造し、3855と改番、3108とともに、3005と3506を置き換え、中間運転台の無い、7両固定編成に組成しました。尚、3855の座席は1F2Fともに両端駅での座席方向転換を簡略すべく集団離反式固定シートでした。

17
廃車が進み、3000系として最後に残った編成と予備車2両

1998年3月、8000系への2階建て車増結による8連化が始まり、これに対応するため予備車となっていた3005と3506を種車として改造した平床構造の中間車3655を3155と3855の間に挿入し、8連化されました。Double Dekkerとなった3855は簡易運転台を取り付け3805に改番され、8000系とテレビカー、Double Dekker車の連結位置を揃えるため連結位置が入れ換えられました。

188000
最後の1編成の8連化と8000系への編入

2008年10月19日、中之島線の開業でデビューする新型車両が3000系二代目となるため、形式番号の重複を避けるため、初代3000系は8000系に編入されることになり、
改番前 3505 - 3105 - 3205 (3106) - 3805 (3608) - 3755 (3606) - 3655 (3506) - 3155 (3108) - 3055 (3006)
改番後 8531 - 8131 - 8231 - 8831 - 8781 - 8681 - 8181 - 8081
8000系30番台となりました。

2012年7月5日、2013年春をもって8000系30番台の引退が発表され、各種さよならイベントを経て、2013年3月31日、営業最終運転が行われました。8531はくずはモールに保存されました。

明日の記事では保存され3505の車両番号に戻された保存車のレポートです。

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2020年1月19日 (日)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 8000系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は8000系です。

8000-8001-191020
2019/10/20 寝屋川市 8001F

8000-8006-191020
8006F 1号車車内

京阪における6代目の特急専用車両として1989年にデビューしました。エレガント・サルーンという愛称が与えられています。鴨東線開業時に特急車両の増備分としての投入から始まりましたが、増備されることで3000系Iを置き換えてゆきました。登場時は4号車(8750形)にテレビも装備され、「テレビカー」の愛称も与えられていました。

8000-8052-191020
2019/10/20 野江 8002F 快速特急「洛楽」

8000_20200118193301

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2019/10/20 野江 8003F

車体長18.7m、2扉車で登場後8年目の1997年から1998年にかけ、増結されたダブルデッカー車は鋼製ですが、他はアルミ合金製です。デビュー時は4M3Tの7連で、1編成だけ予備として残された6連の3000系Iを7連化するために増結用中間車(8550形)も製造されました。8550形の車両番号は当初、組み込む3000系Iの編成番号に合わせて付番されました。車内はオール転換式クロスシートでピッチは3000系Iの900mmに較べ920mmとなりました。1990年9月から8002Fから8006Fが落成した際、3000系Iに組み込まれていた8550形は一部改番の上、これらの新造編成に組み込まれました。8007F以降は最初から7連で製造されました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,700 mm
全幅 2,780 mm
全高 4,155 mm
車体 アルミニウム合金 普通鋼(8800形)
台車 ダイレクトマウント空気ばね台車
電動車・ダブルデッカー車
川崎重工業KW-88・KW-88B 軸梁式 付随車 住友金属工業FS517D SUミンデン式
主電動機出力 175 kW
駆動方式 中空軸たわみ板継手平行カルダン方式
歯車比 5.25
編成出力 2,800 kW
制御方式 界磁位相制御
制動装置 回生ブレーキ優先全電気指令式電磁直通ブレーキ HRDA-1
保安装置 K-ATS(出町柳駅 - 枚方市駅間)
京阪型速度照査ATS

Double-dekker
1997年9月と1998年4月に8800形Double Dekker車が落成し、8500形と8570形の中間に組み込まれ8両化されました。
8001Fが落成して20年が経過した時点で8000系のリニューアルが発表され、同時に3000系Iから8000系に編入された
改番前 3505 - 3105 - 3205 (3106) - 3805 (3608) - 3755 (3606) - 3655 (3506) - 3155 (3108) - 3055 (3006)
改番後 8531 - 8131 - 8231 - 8831 - 8781 - 8681 - 8181 - 8081 の編成はリニューアル対象外となり、2013年3月末に営業運転が終了しました。

8000_20200118194901

8000-8556-premium-car-191020
2019/10/20 淀屋橋 8006Fのプレミアムカー

8007-8007-191020
2019/10/20 樟葉 8007F

8000-191020-3
2019/10/20 寝屋川車庫 下塗り状態の8000系

リニューアルにおいては座席モケットの張り替え、車端部のハイバックシート化、車椅子スペースの設置、LCD式車内案内表示器の設置などが行われました。また6号車8550形を大規模改造し、有料座席指定特別車両「プレミアムカー」としました。2017年8月20日より、運用が開始されました。

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2020年1月18日 (土)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 13000系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は13000系です。

13000-13001-191020-3

13000-13051-191020-32019/10/20 寝屋川車庫 0番台 4連

13000-13002-191020
2019/10/20 私市 交野線運用

13000-13054-181006
2018/10/6 黄檗 宇治線運用 JR奈良線車内から

昨日の記事の10000系同様、老朽化が進んだ2200系、2600系0番台の置き換えを目的に2012年から川崎重工業で製造された車両です。10000系同様、支線への投入が考慮され、さらに3000系IIをベースに開発されたため、前面は7000系、7200系、9000系と続いた顔から3000系IIに似た顔となりました。
車体をアルミ合金製とし、IGBT-VVVFインバータ制御の採用で2600系と比較して約35%の消費電力の削減(20両で年間約60万㎥の二酸化炭素排出削減)が実現したそうです。2014年3月までに4連6本が投入され、ワンマン運転が行われ、同年4月から20番台の7連が今日までに7本投入されています。その後、4連も1編成追加されています。本線用の7連投入は1995年の7200系以来、19年ぶりのことでした。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.3 km/h/s
編成定員 530人(4両)・941人(7両)・1078人(8両)
車両定員 先頭車128人・中間車137人
自重 26.0 - 36.5 t
編成重量 126.5 t
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,700 mm
全幅 2,792 mm
全高 先頭車 4,195 mm 中間車 4,116 mm
車体 アルミニウム合金
台車 電動車:川崎重工業KW-77D 軸梁式ダイレクトマウント式空気ばね台車 付随車:住友金属工業FS577 モノリンク式ダイレクトマウント空気ばね台車
主電動機 かご形三相誘導電動機 TDK6151-C
主電動機出力 200 kW
歯車比 6.07
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
保安装置 K-ATS(出町柳 - 枚方市間・宇治線・交野線)
京阪型速度照査ATS
備考 軌条塗油装置(曲線検知、シーケンサ制御・13501号車のみ)・ホーム検知装置・運転状況記憶装置・自動放送装置・転落防止放送装置を搭載
4両編成は都市型ワンマン運転に対応

13000
13000-13071-191020 2019/10/20 寝屋川車庫 切り離され、イベントで綱引き電車に使用された20番台 7連

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2020年1月17日 (金)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 10000系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は10000系です。

10000-10001-191020
2019/10/20 寝屋川車庫 7連化された10001F

交野線や宇治線で余生を送っていた1900系2600系0番台の老朽化が進み、これらを置き換え、さらに将来のワンマン運転に備えて、2002年3月から4月にかけ、4両編成3本、さらに2006年4月16日のダイヤ改正に向けて4年ぶりに4両編成3本が増備されました。支線でのワンマン運転は2007年9月22日から交野線で、2013年6月1日から宇治線で開始されました。10000系は大手私鉄等では珍しい、支線での運転を目的に新製・投入された系列で本線での運転は2006年4月16日のダイヤ改正で消滅し、2009年9月12日のダイヤ改正で平日深夜に復活しましたが、2011年5月28日のダイヤ改正で消滅しました。
昨日の記事にあるように2016年7200系・9000系から抜かれた中間車を組み込み、7両編成化された編成も登場し、本線での運用も復活しました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.3 km/h/s
編成定員 540名
車両定員 先頭車130人・中間車140人
編成重量 109.5 t
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,700 mm
全幅 2,780 mm
主電動機 かご形三相誘導電動機
主電動機出力 200 kW
駆動方式 TD継手平行カルダン式 KD506-C-M
歯車比 85:14 (6.07)
編成出力 1,600 kW
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制御装置 ATR-H4200-RG678A
制動装置 全電気指令式回生ブレーキ優先電磁直通ブレーキ HRDA-1
保安装置 K-ATS(出町柳 - 枚方市間・宇治線・交野線)京阪型速度照査ATS
備考 4両編成は都市型ワンマン運転に対応

10000-10006-191020 2019/10/20 宇治 支線で活躍する10006F

10000
10000系製造時の編成構成
1次車3編成では1900系のCPや2600系のパンタグラフ、ヒューズ箱、棒連結器、タイフォンなどが流用されコストダウンが図られました。2次車では2600系のCPが一部編成に使用されましたが、殆ど新品が使用されました。

100007

昨日の9000系の記事にあるように10001Fと10002Fは2016年、2017年に7200系、9000系の中間車を取り込んで7連化されました。
7連化の際に7200系の制御装置はGTO素子のVVVFからIGBT素子のVVVFに交換され、10650形は10550形に改番されました。さらにワンマン対応装置類も撤去されました。

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2020年1月16日 (木)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 9000系

少し間が空きましたが、再び京阪電気鉄道の車両シリーズで、今回は9000系です。
順番からゆけば7000系に改良を加え、1995年に登場した7200系に行きたいところですが、生憎まだ遭遇しておらず、写真も無いので次回の訪問で狙うこととし、特急車両の8000系は後に回し、1997年に登場した汎用車両の9000系です。

9000-9055-191020

9000-9005-191020
2019/10/20 野江 9005F 現在唯一の8両編成

朝夕のラッシュ時の混雑緩和、輸送力増強、遠距離通勤客の着席サービスの提供を目指し、当初8両編成5本が投入されました。

9000系は7200系をベースにアルミ製の車体、前面デザインなども踏襲しました。通勤時間帯の特急から急行、普通まで使用される汎用車を目指したため、登場時の塗装は緑2色の境目にパステルブルーのラインが入っていました。座席は車体中央を境に集団離反タイプの固定クロスシートで、ドア付近にはロングシートが配置されていました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.3 km/h/s
編成定員 994人(セミクロスシート車)
車両定員 先頭車119人・中間車126人(セミクロスシート車)
自重 23.5 - 32.0 t
編成重量 221.0 t (空車時)
全長 先頭車 18,900 mm 中間車 18,700 mm
車体長 先頭車 18,400 mm 中間車 18,200 mm
全幅 2,780 mm
車体幅 2,780 mm
全高 4,185 mm
車体高 パンタグラフ搭載車 4,185 mm その他の車両 4,086 mm
台車 川崎重工業KW-77C 軸梁式ダイレクトマウント空気ばね台車
付随車:住友金属工業FS517C SUミンデン式ダイレクトマウント空気ばね台車
主電動機 東洋電機製造製TDK-6151-A形かご形三相誘導電動機
主電動機出力 200 kW
駆動方式 TD継手平行カルダン駆動
歯車比 85:14 (6.07)
編成出力 3,200 kW
制御方式 GTOサイリスタ素子VVVFインバータ制御
制御装置 東洋電機製造製 ATR-H4200-RG622B形
制動装置 電力回生ブレーキ優先電気指令式空気ブレーキ (HRDA-1)
保安装置 K-ATS(出町柳 - 淀間)京阪型速度照査ATS

90001

製造時の9000系 8両編成5本

0系新幹線でも登場時からの転換式シートから回転式シートに替わって行く過程で集団離反式固定式座席がありましたが、乗客の評判は決して芳しいものではありませんでした。京阪9000系の同様の座席も京阪直通客には不評で、2002年に早くも9005Fの中間車のうち付随車4両が試験的にオールロングシートに改造されました。2008年10月19日、中之島線開業で転換クロスシート装備の3000系IIが投入されると、9005Fは塗色変更と全座席バケットタイプのロングシートに改造されました。引き続き、残りの編成も同様の塗色変更、シート改造がなされ、完全な通勤型車両になりました。

90002

9000-9004-191020
2019/10/20 寝屋川市 9004F 

2015年3月の9001Fを嚆矢に,9002Fが編成から9600形が抜かれ7連化され、抜かれた9601、9602はそれぞれ10701,10751と改番の上、7200系7301とともに10000系10001Fに組み込まれました。さらに2016年11月からは9004F, 9003Fの順に9604,9603が編成から抜かれ、7連化され、9603は10702に9604は10752に改番され、7302とともに10002Fに組み込まれました。

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2020年1月15日 (水)

久しぶりのオーケストラ・コンサート マーラー作曲 交響曲第2番ハ短調「Auferstehung: 復活」その3 演奏について

3回目にして漸く、当日の演奏について触れます。

N響の演奏会は1つのプログラムについて2公演行い、1月11日土曜日にも同じ公演が夜7時開演で行われており、そちらはNHK-FMで生中継されたようです。またテレビ用の収録も行われたのではないかと思います。放映は今のスケジュールから予測すると3月か4月頃のEテレ日曜夜9時からの「クラッシック音楽館」になると思います。というわけで12日、日曜日のコンサートはテレビカメラは無しでした.

久しぶりのコンサートでもあったので、開演から終演まで、演奏者の出入り、動き、楽章ごとの演奏時間等をメモしました。

Dsc06151
2020/1/12 開演30分前のステージの様子 向かって右側の白い段の席は最後まで誰も着席しませんでした。

午後3時、まずは合唱団が入場し、ステージ後方にセットされた席に着きます。男声から入場し、40名が入場したのに続き、女声40名が入場し、着席しました。ソプラノ、メゾソプラノのソリストは席は合唱団の前、オーケストラの後ろに用意されていますがまだ入場しません。Beethovenの第九などでも、ソリストの場所(合唱団の前、若しくは指揮者の横等)、合唱団の入場は何時なのか(楽章の切れ目)等に関してはコンサート毎に異なり、指揮者などの裁量に任されているようです。

5分位で全員が着席したところでN響の楽員が入場しました。Mahlerの交響曲第2番の場合、後に示すように管楽器、打楽器などの数が多いのでステージはかなり混んでいる感じがしました。こちらも全員が入場着席するのに5分程度かかり、楽器のチューニングが行われます。この日のコンサートマスターは伊藤亮太郎氏でした。

楽器編成
【管楽器】
フルート 4(ピッコロ持ち替え 4)
オーボエ 4(イングリッシュホルン持ち替え 2)
小クラリネット 2、
クラリネットEs(バスクラリネット持ち替え1)
ファゴット 4(コントラファゴット持ち替え 2)
ホルン 10(そのうち舞台外に4)
トランペット 8
トロンボーン 4
チューバ 1
【打楽器】
ティンパニ 2組 舞台外にシングルドラム
シンバル 2 + 舞台外に1
ゴング 2 (HighとLow)
大太鼓 +舞台外に1
小太鼓 1以上の複数
グロッケンシュピール
鐘(音程の定まらないもの3種)
ルーテ(むち)
【弦楽器】
ハープ 2台、
弦五部 1stVn, 2nd Vn, Va, Vc, Cb
   
【鍵盤楽器】
オルガン
【声楽】
ソプラノ独唱
アルト独唱
混声合唱

チューニングが終り、静かになったところで、指揮者のエッシェンバッハ氏が入場、拍手が起こり、最初のタクトを振り降ろしたのが3時11分でした。

第1楽章 アレグロ・マエストーソ まじめで荘厳な表現で一貫して ハ短調 4分の4拍子 ソナタ形式 15:07-15:30

演奏時間が示すように第1楽章だけでBeethovenの第1交響曲がすっぽり入る長さがあります。
エッシェンバッハの指揮は前回のN響との共演でも非常にメリハリのある指揮だったという定評がありますが、第一楽章からそれは十分に発揮されていたようでした。Mahlerは楽譜の第1楽章終了時にHier folgt eine Pause von mindestens 5 minuten.(少なくともここで5分間の休憩を取ること)と書き込んでいますが、今回の演奏でもその指示には従わず、終了後1分程度休んですぐ第2楽章に入りました。

第2楽章 アンダンテ・モデラート きわめてくつろいで、急がずに 変イ長調 3/8拍子 ABABA形式 15;31-15:41

主部が3回に渡って演奏され、2回目はチェロの対旋律、3回目は弦楽器がピチカート演奏しますが、弦全体がよくまとまっていました。

第3楽章 スケルツオ 静かに流れるような動きで ハ短調 3/8拍子 三部形式 15:41-15:50

「子どもの不思議な角笛」の歌曲「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」と同じ素材によるメロディが繰り返されますが、聴いているとそれまでの「葬礼」から何となくコミカルな気分になって来ます。そもそも、パトヴァのアントニウスは実在の人物(イタリア語:Sant'Antonio di Padova、ポルトガル語:Santo António de Lisboa、1195年 - 1231年6月13日)で説法に優れ、民衆にも大変人気のあった人物でしたが、ある日、教会で説教をしようとしたところ、誰も集まらず、仕方が無いので川辺に立ち、説教をしていたら魚たちがいっぱい集まって来た。熱心に聞いて改心するかと思ったら、結局は元の木阿弥だった。日本の諺の「馬の耳に念仏」のような話のようです。
当日の演奏ではこの楽章の途中でソプラノとメゾソプラノのソリストがそっと入場してきて着席しました。
中間部の主題はMahlerのウィーン音楽院時代の親友Hans Rottの交響曲第1番ホ長調の第1主題を引用したと言われています。Rottは交響曲1番を1880年22歳の時に完成し、当時既に交響曲第2番を完成し、ウィーンで名声を博していたBrahmsに見せますが、Brahmsはこの作品を酷評し、「君は才能が無いから作曲活動なんかやめてしまいなさい」と言ったそうです。Rottはこの言葉を聞き、精神を病み、自殺未遂を繰り返し、25歳で結核で亡くなってしまいます。当時のウィーンではBrahms派とWagner派が対立しており、Wagner派のBrucknerの子弟が芽を出すことで自分の立場が危うくなるという考えから、このような発言に至ったと言われています。Mahlerは親友の亡き後もRottの交響曲1番の楽譜を携行し、いつでも演奏できるようにしていたそうです。
面白いことにBeethovenはハ短調の曲(交響曲第5番、ピアノ協奏曲第3番、ピアノソナタ第8番「悲愴」、ピアノ三重奏曲第7番等)で劇的な表現を得意としたとよく言われますが、Beethovenの交響曲第5番の楽章ごとの調性を見てみると、第1楽章、ハ短調、第2楽章、変イ長調、第3楽章ハ短調でMahlerの交響曲第2番も同じ調性が3楽章まで続いていることが分かります。同じような関係はBrucknerの第2番の1~3楽章、Schubertの第4番「悲劇的」の1,2,4楽章、Brahmsの第1番の1,3,4楽章でも見ることができます。
第3楽章から最終楽章までは休みなく演奏せよという指示が楽譜に書きかまれています(folgt ohne jede Unterbrechung der 4. Satz.)

第4楽章 「原光(Urlicht)」 きわめて荘重に、しかし素朴に 変ニ長調 4/4拍子 三部形式 15:50-15:58

メゾソプラノが起立し、「子どもの不思議な角笛」の第7曲から取られた「原光」を歌い出します。ステージ外の金管が間奏を添えます。

Dsc06152 NHKホールのパイプオルガン 

第5楽章 スケルツォのテンポで、荒野を進むように ヘ短調-変ホ長調 4/4拍子 拡大されたソナタ形式 15:58-16:33

この楽章は打楽器奏者が大忙しで、グロッケンシュピールを担当していた奏者が、持ち場を離れて、ステージ中央奥のティムパニーのところに行って、3人で連打するシーンがあったり、ステージ上で誰も演奏していないと思ったら場外から音が聞こえてきたり、オルガンの音が聞こえてきたりとかなりビジュアル的に楽しい楽章です。演奏時間もこの楽章だけで35分ほどかかり、Beethovenの交響曲7番がすっぽり入ってしまう長さがあります。最初からじっと出番を待っていた混声合唱団やソプラノのソリストが音楽に参加するのもこの楽章からになります。
最終楽章35分の演奏時間はBeethovenの交響曲第7番などがすっぽり入る長さで、楽章の最後に「復活の賛歌」が高々と歌い上げられ、クライマックスとなり、曲が終わります。

終演後、割れんばかりの拍手がしばらく続きました。またロビーなどでも「今回の演奏は名演だった」という声が聞こえました。
私自身、マーラーの交響曲をライブで聴いたのは初めての体験でしたが、当然のことながらCDで聴くよりも、またテレビで視るよりも遥かに素晴らしい体験であったと感じました。次の機会には是非、第3番を聴きたく思いました。

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2020年1月14日 (火)

久しぶりのオーケストラ・コンサート マーラー作曲 交響曲第2番ハ短調「Auferstehung: 復活」その2 楽曲について

今回はマーラーの交響曲第2番についてそれが作曲家の人生におけるどんな時代に、如何なる経緯で作曲されたのかについてです。

Gustav Mahler1860年7月7日、裕福なユダヤ人商人の父母ベルンハルトとマリアの間の12人の子供の2番目としてプラハとウィーンのほぼ中間の都市イーグラウ(現在のチェコ、イーフラヴァ)近郊のカリシュト村で生まれました。幼少時から類まれな音楽に対する才能を示したため、6歳でピアノに興味を示し、イーグラウの歌劇場指揮者からレッスンを受けました。その後、プラハで音楽教育を受け、1875年、ウィーンで音楽院に入学、作曲と指揮を学び、Brucknerの講義を聞いて感激し、師弟の間を超えて深い友情で結ばれました。と言っても2人の歳の差は36歳で親子のような関係でした。
その後、ヨーロッパ各地の歌劇場の指揮者という地位で生活費を稼ぎ、ブダペスト歌劇場指揮者だった1888年頃から交響曲第2番ハ短調の作曲に着手します。この頃、現在、交響曲第1番ニ長調「巨人」として有名な曲は5楽章形式の交響詩で、1,2楽章が第一部「若人、美徳、結実、苦悩のことなどの日から」、3楽章から5楽章を第二部として「人間の喜劇」という表題が付けられていました。1889年11月20日に自身の指揮、ブタペスト・フィルハーモニーの演奏で初演されますが、評価はかなり冷淡なもので以後10年間、あまり演奏もされず、楽譜の出版もされずにありました。その後1896年3月のベルリンでの改訂で第2楽章「花の章」が削除され、4楽章形式の交響曲となり、1899年にヴァインベルガー社より出版されました。20世紀になってからは多くの指揮者が取り上げ、演奏時間の関係などからもMahlerの交響曲では最も演奏機会の多い曲となっています。
話は戻りますが、1889年という年はMahler一家にとって悲劇の年で、まず2月18日、父親が61歳で死去、7月には自身が長年悩まされた痔の手術を行い、大きな苦痛を味わい、10月11日、母親が52歳で死去、両親の死去で一家の面倒を見る立場になったものの、すぐ下の妹レオポルドーネが脳腫瘍で世を去ってしまいました。ブダペストでの仕事は順調だったものの、ツイシー伯爵が劇場支配人になってからは対立が起こり、1891年3月14日に職を辞して、3月29日にハンブルク市立歌劇場の首席指揮者となりました。
ハンブルクでは現在の職業指揮者の先駆的存在と言われるHans Guido Freiherr von Buelow(J.S.Bach, L.v.Beethown, J. Brahmsを総称してドイツ三大Bと名付けたことでも知られる、さらにF. Lisztの娘コジマと結婚するがコジマはR.Wagnerと恋愛関係に陥り・・・ )から絶大な支持を受け、彼の代演も務めるようになりました。このときに交響曲2番の第1楽章に「葬礼」というタイトルを付けてピアノでBuelowに聞かせていますが、興味は示さなかったようです。
1893年夏の休暇をザルツブルク近郊のシュタインバッハで過ごし、交響詩の改訂や交響曲第2番の創作を進め、7月末には第2楽章から第4楽章までの第一稿が出来上がったそうです。1892年に完成した歌曲集「子供の不思議な角笛」から「魚に説教するパドゥヴァの聖アントーニウス Des Antonius von Padva Fischpredigt」の音楽が第3楽章で用いられ、第4楽章の歌詞は同じく歌曲集「子供の不思議な角笛」から「原光 Urlicht」がとられました。

aus "DES KNABEN WUNDERHORN"

ALTSOLO

O Röschen rot!
Der Mensch liegt in größter Not!
Der Mensch liegt in größter Pein!
Je lieber möcht' ich im Himmel sein!
Da kam ich auf einen breiten Weg;
da kam ein Engelein und wollt' mich abweisen!
Ach nein! Ich ließ mich nicht abweisen:
Ich bin von Gott und will wieder zu Gott!
Der liebe Gott wird mir ein Lichtchen geben,
Wird leuchten mir bis in das ewig selig Leben!

「子供の不思議な角笛」から

アルトソロ

おお、赤い小さな薔薇よ!
人間はこの上ない苦悩の内にある!
人間はこの上ない苦痛の内にある!
むしろ私は天国にいたい!
私は一本の広い道へとやってきた。
すると一人の天使が来て、私を追い返そうとした。
いや、私は追い返されるままにはならなかった!
私は神のもとから来て、また神のもとへ帰るのだ!
神様は一筋の光を私に与えてくださり、
永遠にして至福の生命に至るまで照らしてくださるだろう。


Buelowが1894年2月12日、滞在先のカイロのホテルで病死し、葬儀がハンブルクのミハエリス教会で執り行われ、Mahlerも列席しましたが葬儀で演奏されたKlopstocksの「復活の合唱」が第5楽章の歌詞のヒントになりました。

nach KLOPSTOCKS HYMNE "DIE AUFERSTEHUNG"
Chor und Sopran

Aufersteh'n, ja aufersteh'n, wirst du,
mein Staub, nach kurzer Ruh!
Unsterblich Leben!
wird, der dich rief, dir geben.
Wieder aufzublüh'n, wirst du gesät!
Der Herr der Ernte geht
und sammelt Garben
uns ein, die starben.

Alt solo

O glaube, Mein Herz, o glaube:
Es geht dir nichts verloren!
Dein ist, ja dein, was du gesehnt!
Dein, was du geliebt, was du gestritten!


Sopran solo

O glaube: : Du wardst nicht umsonst geboren!
Hast nicht umsonst gelebt, gelitten!

Chor und Alt

Was entstanden ist, das muß vergehen!
Was vergangen, auferstehen!
Hör' auf zu beben!
Bereite dich zu leben!

Sopran und Alt solo

O Schmerz! du Alldurchdringer!
Dir bin ich entrungen!
O Tod! du Allbezwinger!
Nun bist du bezwungen!
Mit Flügeln, die ich mir errungen,
in heißem Liebesstreben werd' ich entschweben      
Zum Licht, zu dem kein Aug' gedrungen!



Chor


Mit Flügeln, die ich mir errungen,
werde ich entschweben!
Sterben werd' ich, um zu leben!
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,
Mein Herz, in einem Nu!
Was du geschlagen,
zu Gott wird es dich tragen!

クロプシュトックの賛歌『復活』に従いて

合唱とソプラノ

よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
私の塵よ、短い憩いの後で。
おまえを呼ばれた方が
不死の命を与えてくださるだろう。
おまえは種蒔かれ、ふたたび花咲く。
刈り入れの主は歩き、
我ら死せる者らの
わら束を拾い集める。
アルト独唱

おお、信じるのだ、わが心よ、信じるのだ、
何ものもおまえから失われはしない!
おまえが憧れたものはおまえのものだ、
おまえが愛したもの、争ったものはおまえのものだ!

ソプラノ独唱

おお、信じよ、おまえは空しく生まれたのではない!
空しく生き、苦しんだのではない!

合唱とアルト

生まれ出たものは、必ず滅びる。
滅びたものは、必ずよみがえる!
震えおののくのをやめよ!
生きることに備えるがよい!

ソプラノとアルト独唱

おお、あらゆるものに浸み渡る苦痛よ、
私はおまえから身を離した!
おお、あらゆるものを征服する死よ、
いまやおまえは征服された!
私が勝ち取った翼で
愛への熱い欲求のうちに私は飛び去っていこう、
かつていかなる目も達したことのない光へと向かって!


合唱

私が勝ち取った翼で
私は飛び去っていこう!
私は生きるために死のう!
よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
わが心よ、ただちに!
おまえが鼓動してきたものが
神のもとへとおまえを運んでいくだろう!


最初の3楽章の初演は1895年3月4日、ベルリンにて自身の指揮、ベルリンフィルハーモニーのよってなされました。全5楽章の初演は1895年12月13日に自身の指揮、ベルリンフィルハーモニーのよってなされました。聴衆からも楽員からもかなり支持されましたが、批評家の意見は賛否半々だったそうです。楽譜は1897年ライプチヒのホーフマイスターから出版され、晩年の1910年に補筆が行われています。これらのことから交響曲としては2番の方が1番よりも早く世に出ていたことになります。

Mahler自身が交響曲第2番の各楽章別に標題的説明をつけており、

第1楽章 私の第1交響曲での英雄を墓に横たえ、その生涯を曇りのない鏡で、いわば高められた位置から映すのである。同時に、この楽章は、大きな問題を表明している。すなわち、いかなる目的のために汝は生まれてきたかということである。……この解答を私は終楽章で与える。
第2楽章 過去の回想……英雄の過ぎ去った生涯からの純粋で汚れのない太陽の光線。
第3楽章 前の楽章の物足りないような夢から覚め、再び生活の喧噪のなかに戻ると、人生の絶え間ない流れが恐ろしさをもって君たちに迫ってくることがよくある。それは、ちょうど君たちが外部の暗いところから音楽が聴き取れなくなるような距離で眺めたときの、明るく照らされた舞踏場の踊り手たちが揺れ動くのにも似ている。人生は無感覚で君たちの前に現れ、君たちが嫌悪の叫び声を上げて起きあがることのよくある悪夢にも似ている……。
第4楽章 
単純な信仰の壮快な次のような歌が聞こえてくる。私は神のようになり、神の元へと戻ってゆくであろう。
第5楽章 
荒野に次のような声が響いてくる。あらゆる人生の終末はきた。……最後の審判の日が近づいている。大地は震え、墓は開き、死者が立ち上がり、行進は永久に進んでゆく。この地上の権力者もつまらぬ者も-王も乞食も-進んでゆく。偉大なる声が響いてくる。啓示のトランペットが叫ぶ。そして恐ろしい静寂のまっただ中で、地上の生活の最後のおののく姿を示すかのように、夜鶯を遠くの方で聴く。柔らかに、聖者たちと天上の者たちの合唱が次のように歌う。「復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。」そして、神の栄光が現れる。不思議な柔和な光がわれわれの心の奥底に透徹してくる。……すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。……愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する。

明日の記事では各楽章の音楽的構成と当日の演奏の様子について触れます。

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2020年1月13日 (月)

久しぶりのオーケストラ・コンサート マーラー作曲 交響曲第2番ハ短調「Auferstehung: 復活」その1 演奏者について

1月12日、日曜日はNHKホールで開催されたNHK交響楽団 2020年1月Aプログラム 第1930回定期公演

指揮 クリストフ・エッシェンバッハ

独唱 ソプラノ マリソル・モンタルヴォ(当初はハンナ・エリザベート・ミュラーの予定) 
   メゾ・ソプラノ 藤村実穂子
合唱 新国立劇場合唱団

演奏 NHK交響楽団

Winter_1s

を聴いてきました。

Dsc06144 2020/1/12 NHKホール 正面

Dsc06150
ステージと客席の位置関係を示した1/100スケールの模型

今まで拙Blogでは触れたことがありませんでしたが、クラッシク音楽は結構、聴いており、コンサートもBeethoven、Brahms, Tchaikovskyなどの交響曲、Mozartのオペラなどはこれまでにも何度か足を運んでいましたが、Mahlerの交響曲のコンサートは初めての体験でした。そもそも、Mahlerを聴きだしたのはまだ10年位で、それまでMahler, Bruckerは長すぎて聴かず嫌いでした。
NHK交響楽団に関してはEテレの「クラッシック音楽館」でほぼ毎回欠かさず録画し、観ていますが、生で聴くのは1980年代に一度、上野の東京文化会館でBeethovenの交響曲を聴いて以来で、NHKホールで聴くのも訪れるのも初めてでした。

指揮者のクリストフ・エッシェンバッハ1940年2月20日生)は最初に名前を聞いたのはピアニストとしてでしたが、1970年代から指揮活動に重心を移しているのですね。N響とは1979年11月のギュンター・ヴァント指揮でBeethovenのピアノ協奏曲第1番ハ長調op.15を弾いたのが初共演で1987年の再共演では1月Cプログラムで共演するピアニスト:ツィモン・バルトとBrahmsの2つのピアノ協奏曲を演奏し、2017年の共演ではBrahmsの4つの交響曲を演奏し、年末の第九コンサートの指揮もしました。
生まれは1940年当時、ドイツ・シレジア地方のブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)で母は彼を出産して死亡、父はブレスラウ大学の音楽学者でしたが、第二次世界単線中ナチスの懲罰部隊に入れられ戦死しました。1946年、母の従姉妹のピアニストで歌手のヴァリドール・エッシェンバッハに育てられることになり、音楽教育も彼女から受け、ピアノを学んだそうです。1950年にハンブルクに移住、オイゲンヨッフムの推薦でエリツィア・ハンゼンに師事し、1951年、キールに公演に来たW・フルトヴェングラー指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏に感動し、指揮者を志したそうです。
国際的な名声はまずピアニストとして馳せ、その後、ジョージ・セルやヘルベルト・フォン・カラヤンなどの薫陶を受け、1970年代から指揮者に転身、ピアニストから指揮者になった音楽家では、ウラディミール・アシュケナージ、ダニエル・バレンボイムなどもいますが、数多くの客演キャリアを積み、北ドイツ放送交響楽団の音楽監督、フィラデルフィア管弦楽団、パリ管弦楽団の音楽監督の兼任などの要職を務め、2019年からベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の首席指揮者に就任しました。
ドイツ系の指揮者ではクルト・マズア(1927年7月18日生2015年12月19日没)、クリストフ・フォン・ドホナーニ(1929年9月8日生)、ニコラウス・アルノンクール(1929年12月6日生2016年3月5日没)といった世代と若手のフランツ・ウェルザー=メスト(1960年8月16日生)、クリスティアン・ティーレマン(1959年4月1日生)、準・メルクル(1959年2月11日生)のちょうど中間的年齢でドイツ人払底が問題視された世代ですが、孤軍奮闘で活躍している指揮者です。

ソプラノは急遽、マリソル・モンタルヴォさんが代演されることになりましたが、彼女はこれまでエッシェンバッハと共演しており、今回の急な出演もエッシェンバッハの推薦によるものと思われます。音楽以外のキャリアとして1992年ミス・アメリカにニューヨーク代表として出場しており、惜しくもハワイ代表に栄冠をさらわれ、次点だったそうです。

メゾソプラノの藤村実穂子さんは日本を代表し、欧米における現在最高のメゾのひとりと言われる歌手ですね。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、同大学院を修了後、ミュンヘン音楽大学大学院に留学、数々の国際コンクールに入賞、2000年までオーストリアグラーツ歌劇場の専属歌手、その後フリーの歌手として大活躍しており、N響ともしばしば年末の第九などで共演しています。

新国立劇場合唱団1997年10月に開場した新国立劇場で上演されるオペラ公演の核を担う合唱団でN響とは2004年新国立劇場公演「神々のたそがれ」で初共演後、2011年のMahler「交響曲第3番」、2012年デュリュフレ「レクイエム」、2013年ヴェルディ「レクイエム」、プーランク「グロリア」、ベルリオーズ「テ・デウム」、2018年ホルスト「組曲惑星」、2019年モーツアルト「ミサ曲ハ短調」などで共演してます。

Dsc06149
上段、N響のマエストロ達 首席 パーヴォ・ヤルヴィ 名誉音楽監督 シャルル・デュトワ 桂冠名誉指揮者 ヘルベルト・ブロムシュテット
桂冠指揮者 ウラディミール・アシュケナージ

NHK交響楽団は公益財団法人NHK交響楽団が正式名称で我が国初のプロ・オーケストラ「新交響楽団」を源流としています。月に3つのプログラム(A,B,C)、各2公演でACはNHKホール、Bはサントリーホールで行い、7,8,3月は公演を行わず、年間27回、54公演が定期公演となっています。2015年から首席指揮者はエストニア出身のパーヴォ・ヤルヴィが務めています。

因みにコンサートチケットの価格は
S 一般 8,900円 A 一般 7,400円 A(ピット) 一般 7,400円 B 一般 5,800円 C 一般 4,700円 D 一般 3,700円 自由 一般
1,600円 でしたが、今回はD一般で¥3700でした。

明日の記事では、演奏曲目 Mahlerの交響曲第2番ハ短調と当日の演奏について触れます。

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2020年1月12日 (日)

E233系中央快速線、G車導入準備進行中 6+4両分割編成の場合

 昨日に続いて中央快速線のE233系0番台の話題、6+4分割編成で既にG車導入準備工事を終えて運用に就いているH43編成に乗車・撮影してきました。

 高 尾0601→0637大 月┐
       ┌0654大 月┘
┌東 京0829┴0549河口湖 
└東 京0832→0955青 梅┐
┌東 京1123←1000青 梅┘
└東 京1125→1240高 尾┐
┌東 京1348←1254高 尾┘
└東 京1355→1608大 月┐
┌東 京1807←1613大 月┘
└東 京1812┬1941青 梅 
      └1942五日市┐
拝 島2013←1955五日市┘

こちらのサイトの目撃情報では05H運用で、高尾からスタートし、大月まで行き、前夜、川口湖で滞泊した付属編成と合流し、東京~青梅~東京~高尾~東京~大月~東京~青梅・五日市~拝島と走ります。そこで、赤字で示した午前中の青梅線往復の際に乗車することにしました。

Dsc06063

Dsc06064  

まずは本題とは違いますが、西国分寺から立川まで乗車したはT37編成で、こちらも既にトイレ設置工事済みの編成でしたが、「トイレの供用開始の案内」昨日のT39編成では黄色地のテープに黒い文字だったのが、こちらでは白地に黒文字でした。

Dsc06092
2020/1/11 西立川 
9:28、中央線下り列車が青梅線に入るための連絡線を通って定刻に青梅行きでH43編成がやってきました。Dsc06094
4号車の5号車寄りの窓はトイレ設置のため塞がれています。

Dsc06095
1号車 クハE233-43の運転台パネルには「G車準備工事済」「TMS異常時案内使用不可」のシールが貼られています。Dsc06117
Dsc06116
Dsc06064
10両貫通編成の場合は昨日の記事のようにサハE233-500番台を4号車に組み替えて、トイレを設置したのに対し、6+4分割編成は車両の組み替えなしに元々の4号車であるモハE233-200番台にトイレを設置している点が異なります。ただ、車両番号は+600で843となっています。トイレ供用開始時期案内のテープは白地でした。

Dsc06113
優先席は7人掛けロングシート部分に移動しているため、吊革、床の色もそれに合わせてあります。

Dsc06108
モハE233-200のパンタ取り付け部分側にトイレが設置されているため、細井忠邦さんのコメントではないですが、かつての(ク)モハ100-800番台低屋根車を彷彿させる800番台でもあります。

100800

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2020年1月11日 (土)

E233系中央快速線、G車導入準備進行中 10両貫通編成の場合

JR東日本は当初、2020年度に中央快速線にグリーン車導入を予定していましたが、バリアフリー等他施策との工程調整や関係箇所との協議により、サービス開始時期は2023年度末に延期されていました。その一環として中央快速線の列車と青梅線の一部列車にトイレを設置することとし、2019年度末以降の使用開始に向けた工事も始まっています。

中央快速線で使用されているE233系0番台は10両貫通編成がT1~T42の42本、6+4の分割可能編成がH43~H59の17本ありますが、情報によると現時点で10両貫通編成のうち、T37,T39,T41,T42の4本、6+4分割編成のうち、H43の1本が既にトイレ設置工事を終え、運用に就いているようです。私も、月曜日と金曜日、中央快速線を利用していますが、なかなか該当編成にお目にかからなかったのですが、漸くトイレ設置車両(サハE233-539)に乗車する機会があり、観察してきました。

Dsc06044
トイレの個室の外観はE531系などに設置されているタイプと同じような感じです。

Dsc06042

ドアの開閉ボタン等は現時点では操作できないようにブロックされています。

Dsc06046
トイレの前はベビーカーや車椅子などのスペースとなっています。

Dsc06043
10両貫通編成の場合、4号車がトイレ設置場所となっていますが、

Dsc06055 E233系の場合、4号車は本来、モハE233-200番台でした。写真は全て、2020/1/10

E233_0-g

今回のG車組み込み準備で本来、6号車だったサハE233-500番台を4号車とし、モハE233-200番台ユニットを5,6号車に振り替えています。

E233-t39-190316
2019/3/16 国分寺 G車組み込み準備改造を受ける前のT39編成

ちなみに6+4分割編成はモハE233-200番台にトイレを設置し、600プラスの番号に改番とのことなので、こちらも乗車し、撮影する機会があればレポートします。

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2020年1月10日 (金)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編  7000系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は7000系です。

7000-7051-191020 7000-7001-191020
2019/10/20 守口市 第1編成

昨日の記事にあるように6000系が最初4連からスタートし、7連化され最後は8連14本までなったのとは対照的に7000系は京阪初のVVVFインバータ制御方式を導入した系列ですが、7000系としての製造車両は25両、6000系のVVVF試験車両3両を編入し、7両編成4本の体制に落ち着きました。

1989年の鴨東線開業で6連(7001F,7002F)2本と4連(7003F)が投入されました。4連は交野、宇治の両支線で使用され、1991年に中間車が2両新製され6連化されました。1992年には中間車が3両新製され、3編成とも7連化されました。

1993年から2年間は一般車の臨時特急運用に6000系に代わって充当されました。さらに同年、系列内での制御方式を統一するため、6014Fの京都方3両のVVVF試験車(6014-6114-6614)は7000系に組み込まれ、(7004-7504-7104)と改番され、大阪方4両(7604-7554-7654-7054)が新製され、7004Fが組成されました。

7000-7002-191020

2019/10/20 出町柳

7000-7052-191020
2019/10/20 守口市 第2編成

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
全長 18,700 mm
全幅 2,780 mm
全高 4,185 mm
主電動機出力 200 kW
駆動方式 TD継手平行カルダン駆動 KD506-B-M
歯車比 6.07
編成出力 2,400 kW
制御方式 GTO素子VVVFインバータ制御
制御装置 東洋電機製造 ATR-H4200-RG622A
制動装置 回生ブレーキ優先電気指令式電磁直通ブレーキ HRDA-1
保安装置 K-ATS(出町柳 - 淀間)京阪型速度照査ATS

製造と編成形態

70001 70002

70003

7000系はそれまでの京阪スタイルを打ち破った6000系のスタイルを踏襲していますが、前面ガラス部分が傾斜していない、側窓の構造が変化し、窓枠の露出が少なくなった等の違いがあります。

7000-7053-191020
2019/10/20 中書島 第3編成

機器的にはGTO素子によるVVVFインバータ制御の本格採用が特徴ですが主電動機も当時としては新幹線以外では日本最大の200kW出力の誘導電動機を装備したことで有名でした。

編成的には7001~7003Fは京都方3両と大阪方4両が分割されたユニット構成なのに対して、7004Fはその組成の経緯から京都方4両と大阪方3両の構成になっています。

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2020年1月 9日 (木)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編  6000系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は6000系です。

6000-6001-191020

6000-6051-191020-2

2019/10/20 寝屋川車庫 ファミリーレールフェアにて 分割展示された第1編成

6000系は架線電圧昇圧を前にした1983年に昇圧時に引退する旧系列車両、置き換えの目的で投入された車両です。

まず6001F4連が1983年3月2日に竣工し、昇圧までに4連5本が600系、1300系、1700系などと共に支線で運用されました。

1983年12月4日の1500V昇圧時に4連5本は中間車(T車)3両が組み込まれ7連化されました。さらに7連として新造された編成6本が運用に就きました。1986年10月の京都地下線(三条~東福寺間)工事における試運転編成搬入による車両不足に対応して6012Fが4連で竣工しました。この編成からブレーキが回生ブレーキ併用の全電気指令式ブレーキHRD-1Rから回生ブレーキ優先全電気指令式ブレーキHRDA-1に変更となり、以後の京阪線の新造車はすべてHRDA-1になりました。

1987年5月24日の三条 - 東福寺間地下化工事完成と、樟葉駅以北の急行停車駅のプラットホームが8両編成対応に延伸されたのに伴い、同年6月1日のダイヤ改正から全線通して運転される急行の8両編成運用が可能となり、1両を増結した8両編成が3編成組成されました。

1989年に製造された6014編成の京都方3両はVVVFインバータ制御方式の長期試験車となり、その結果は同年に製造開始した7000系にも反映されました。1993年、6014FのVVVFインバータ制御試験車の3両は、車両番号変更のうえ7000系に編入されました。その代替に6000系として3両が7000系の車体をベースに界磁位相制御方式の機器を載せる形で製造され、2代目にあたる6014号車を含めた京都方3両は、前面形状と窓枠の形状が他の本系列と異なり、7000系と同一規格になっています。

このように4連5本からスタートし、途中で一部が7000系に組み込まれ、さらにその補充分が製造され、現在では8連14本計112両で、2600系の老朽廃車が進んだこともあり、京阪では最大両数の系列となりました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
編成定員 1140人
車両定員 【未更新車】
座席50・立席90 (先頭車)座席56・立席94 (中間車)
【リニューアル車】
座席43・立席97 (先頭車)座席49・立席101 (中間車)自重 32.5 t (先頭車)
32.0 t (6100・6150形)24.0 t (6600形)22.0 t (6500・6750・6550形)
編成重量 219 t
全長 18,700 mm
全幅 2,720 mm
全高 パンタ付き車 4,185 mm その他車両 4,086 mm
主電動機 複巻整流子電動機 形式:TDK8135-A
主電動機出力 155 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式 形式:KD331/1-A-M
歯車比 79:14 (5.64)
編成出力 155kW×16 = 2,480 kW
制御方式 界磁位相制御
制動装置
回生ブレーキ併用全電気指令式ブレーキHRD-1R (6011編成まで)
回生ブレーキ優先全電気指令式ブレーキHRDA-1 (6012編成以降)
保安装置 K-ATS(出町柳駅 - 淀駅間)京阪型速度照査ATS

車体は5000系以来のアルミ合金製でかつ大型押出型材(ダブルスキン)工法が京阪車両では初めて採用されました。

編成の変遷

60001
1次車
1983年3月に竣工した4連5本(オール電動車:黄色)は600Vで使用されましたが、1両4個のモータのうち2個のみを使用し、回生ブレーキも無効としての使用でした。1500V昇圧時に回路が本来のものに戻され、付随車3両()が各編成に組み込まれました。

1983年4月から9月にかけ竣工した第6編成~第11編成()は当初から7連で製造された1500V仕様車ですが、架線電圧600Vでも60km/hで走行できるように設定されていました。

60002

6012F以降はマイナーチェンジを受け、後期形となりました。前述のようにブレーキが回生ブレーキ優先全電気指令式ブレーキHRDA-1に変更になり、クーラーの容量がアップしました。

2次車:6012Fは4連(黄色)で投入されました。これは京都地下線試運転用に2600系4両が回ったことによる補充で、6001Fなどの場合とは異なりMcTTMcの4連で両先頭車から、制御装置、モータへの引き通し線が中間2両の付随車の床下に通されていました。

6000-6751-191020 6000-6751-191020-2
6751と6501の間で分割されているため、6751の簡易運転台を見ることができました。

3次車:8連化用に6750番台T車が3両製造されました。この形式は京都方に簡易運転台を持ち、6001Fから6011Fの8連化に追加新造、一方6012F以降は7連製造時から連結されています。一方、この車両の京都方に連結される6500形0番台は6012F4連にも組み込まれていました。
4次車:6013Fは1800系2代目置き換えのため、最初から7連で製造されました。
5次車:6012Fを7連化するための3両
6次車:1800系2代目置き換えのために製造され、前述のように京都方3両(赤字)はVVVFインバータ制御方式の試作車でした。

60003_20200108145101

7次車以降は7000系タイプの車体(側窓が車体との段差が少なく、窓枠が細いタイプに変更され、先頭部の形状も7000系同様に垂直に)で製造されました。

7次車:6754-6758は6004-6008Fを8連化するために製造されました。
8次車:6759-6761は6009-6011Fを8連化するために製造されました。

6000-6063-191020
2019/10/20 野江 6013F 前から3両目の車体が前後の車体と若干異なって見えるのは7000系スタイルの6563のため

9次車:6012-6014Fの京都側から6両目に連結される付随車はとして6550番台が製造されました。このタイプには簡易運転台はありません。台車は8000系から振替えられたFS-517Cを履いています。

60004

VVVF試作ユニットの6014・6114・6614は7004F製造時に7000系に編入されたため、この3両に代わり2代目の6014・6114・6614が製造されました。車体は7000系スタイルとなりました。

2013年度より、リニューアル工事が開始され、制御系は変化がありませんでしたが補助電源がSIVに交換され、灯火類がLED化されました。

1984年に京阪電車として初めてのローレル賞が授与されました。

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2020年1月 8日 (水)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編  1000系 III

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は1000系です。

1000-1552-191020 1000-1502-191020 2019/10/20 野江 1502F

京阪において1000という数字が付く形式は3代目で初代は1924年に導入された1000型で、名古屋電車製作所製の1001-1005、梅鉢鉄工所製の1006-1010の計10両が製造され、1929年300型に改番され、1967年まで使用されました。

二代目1000型は優等列車への充当を目的として1938年に転換式クロスシート装備の制御電動車として、川崎車輛で6両、田中車両で4両製造され、前年に登場した1100型制御電動車(日本車輛製造製4両、汽車会社が製造した4両)、翌年川崎車輛で3両、1940年同じく川崎車輛で5両、1946年に10両製造された1500型制御車、1943年川崎車輛で4両製造された1200型制御車とともに特急運用に就き、1956年1810系が登場すると急行運用から支線運用に回り、1970年まで活躍し、廃車後は700系IIに走行機器が再利用されました。

1000-1505-191020 1000-1555-191020 2019/10/20 中之島 1505F

三代目となった1000系はいみじくも二代目が走行機器を譲った700系IIが1500V昇圧時に吊り掛け駆動車は昇圧対応改造から外れるということから、1977年から1978年にかけ、まだまだ状態が良好であった700系IIの車体等を再利用し、700系IIは廃車扱いとし、1000系IIIとして7両編成6本、計42両を新製した系列です。製造は種車の製造を担当した川崎重工業となっていますが、実際の改造は寝屋川工場で施工されました。

1200mmの両開き客用扉、片側3か所の18.7m車体は700系IIそのままなのに対し、主電動機は5000系と同じ架線電圧600V時(端子電圧300V時)の定格出力は130kW、1,500V昇圧後(端子電圧375V時)の定格出力は155kWとなる仕様で、2200系・2400系と比較して中高速域の性能に余裕を持たせた設定となりました。制動装置は5000系において採用実績を有する発電制動併用全電気指令式空気ブレーキHRD-1Dが採用され、応答性の向上が図られました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 1,030人
車両定員 先頭車140人 中間車150人
自重 34.5 t
編成重量 218 t
全長 18,700 mm
全幅 2,720 mm
全高 4,185 mm
台車 電動車 KS-77A 付随車 FS399
主電動機 直巻整流子電動機 TDK-8120A1
主電動機出力 155 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン
歯車比 84:16 (5.25)
編成出力 2,480 kW
制御方式 抵抗制御(竣工時)ACDF-H4155-589A
界磁添加励磁制御(更新後)ACRF-H8155-790C
制動装置 回生制動優先全電気指令式空気ブレーキ (HRDA-1)
保安装置 K-ATS(出町柳 - 淀間)京阪型速度照査ATS

編成形態

製造時
10001

1000-1506-191020 1000-1556-191020 2019/10/20 野江 1506F

車体新製から25年弱が経過した1990年代、1991年より更新修繕工事が開始され、制御方式が1C8M化、界磁添加励磁制御化・回生制動化が行われ、編成の組み換えも行われました。

10002

更新時期を迎えていた冷房装置は6000系の冷房装置出力増強で取り外された三菱電機製CU-197(冷却能力10,500kcal/h)に換装しました。さらに運転台付きの車両は運転台の拡大がなされ、車長が100mm伸びました。改修前の車体の顔は知りませんが、貫通扉の非常扉化、前照灯、尾灯の交換が行われ、前面の印象が大きく変わりました。

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2020年1月 7日 (火)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編  5000系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は5000系です。

5000-5555-191020-2 2019/10/20 寝屋川車庫 第5編成

阪急京都線の6300系同様、京阪の車両の中でも全国区的知名度を誇るのがこの5000系オール5扉車ではないかと思います。1970年から1980年にかけて7両編成7本と置石による脱線事故で廃車になった5554の代替として5554II(二代目)が製造されたため、計50両が川崎重工業で製造されました。

なぜこういった車両が登場したのか、その理由は京阪沿線の宅地開発が進み、沿線人口が急増しましたが、インフラ整備がそれに追いついていけないことが理由でした。

当時、複々線区間は守口市までで、守口市以東の複線区間では普通電車の乗降時間が増大し、特急・急行を含む全列車のダイヤの乱れが常態化していました。また当時は昇圧前で架線電圧600Vでは変電所数やき電線の電流量上限などの制約もあり、電圧降下、漏洩電流増大、それに事故電流識別などの観点から1列車の編成両数が最大7両に抑えられている状況でした。昇圧の方針が決定しても、現状の車両を1500Vに対応させるには膨大な費用が掛かることが予想され、複々線区間を延伸するにもかなりに時間がかかることが予想されました。

5000-191020 5000-191020-2
2019/10/20 第6編成の昇降式座席

そこで即効的に普通電車の乗降時間短縮に効果的な車両として7両編成のすべての車両の片側扉を5扉化した車両が開発されることになりました。5扉化すると同時に昼間時には3扉で使用するため、昇降式座席を装備し、重量増を抑制するため、当時は高価だったアルミ合金製車体を採用したため、2400系などに比べても製造コストが大きく、製造量数は必要最小限の7編成とされ、複々線区間完成までのショートリリーフ待遇で製造されました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 110 km/h
編成定員 1,010人(第1・2編成竣工時)957人(更新後)
車両定員 140人(運転台付車両:竣工時)150人(中間車両:竣工時)131人(運転台付車両:更新後)139人(中間車両)
全長 18,700 mm
全幅 2,720 mm
全高 4,190 mm
車体 アルミニウム合金
主電動機出力 130 kW (昇圧前)155 kW (昇圧後)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動
歯車比 5.25 1次車は当初、5.60
制御方式 抵抗制御(竣工時)
界磁添加励磁制御(更新後)
制動装置 電気指令式電磁直通ブレーキ HRD-1D(竣工時)
回生ブレーキ優先電気指令式電磁直通ブレーキ HRDA-1(更新後)
保安装置 K-ATS(出町柳 - 枚方市間)
京阪型速度照査ATS

5000-5556-191020
2019/10/20 寝屋川市 第6編成

編成形態 製造当初

50001  
                5554II                                                                                   Dec-80 

製造年次的には
第1次車 第1編成
第2次車 第2~4編成
第3次車 第5編成
第4次車 第6・7編成  と分けられ、上の編成表からもわかるように第1・2編成は3両と4両に分割できるようになっていました。これは全電気指令式電磁直通ブレーキ (HRD-1) を京阪の車両で初めて採用するにあたって、編成中間の運転台を故障時の予備として確保する意味合いがあったとされています。1次車から2次車への変化は尾灯と標識灯のデザインが3000系と同じデザインになったことと、主電動機の歯車比の変更でした。3次車から前面貫通扉に種別・行き先表示器が設置されました。側面の行き先表示器が設置されました。なお、側面の種別表示器は第1編成から設置されていました。

更新工事は1998年から2001年にかけて実施され、制御装置は2両の電動車を高圧車と低圧車とし、それぞれに搭載された制御装置を直列につないで同期動作させる親子方式の抵抗制御方式を改め、5100形に集約搭載されたACRF-H8155-790D界磁添加励磁制御器で2両分8基の主電動機を一括制御する方式(1C8M方式)に変更されました。これにより電力回生ブレーキの使用が可能となりました。空気ブレーキについても、発電ブレーキ併用電気指令式電磁直通ブレーキ (HRD-1D) から回生ブレーキ優先電気指令式電磁直通ブレーキ (HRDA-1) へと改修され、遅れ込め制御により空制系の使用率を引き下げています。

3両+4両の組成であった第1・2編成は、運転台の撤去を伴う編成の組み替えが実施されました。制御電動車の5000形5001・5002は中間電動車に改造され、5101・5102に改番のうえ5100形に編入されました。制御車であった5600形5651・5652は中間付随車に改造されました。また、7両固定編成の中間付随車の5800形5853 - 5857は、更新工事の際に5650形5653 - 5657に改番されました。こうして全編成が5500形5550番台(制御車:Tc) - 5100形5150番台(中間電動車:M1) - 5200形5250番台(中間電動車:M2) - 5650形(付随車) + 5100形(中間電動車:M1) - 5200形(中間電動車:M2) - 5600形(制御車)に統一の上で7両固定編成化されました。これにより5000形が形式消滅しました。 電動発電機は編成両端の5500形5550番台(制御車:Tc)と5600形(制御車:Tc)に移されました。

50002

2020年の目標に京橋駅にホームドアの整備を発表しており、5000系はそれ以前に全廃が予定されており、既に
5557F - 2016年6月30日 5552F - 2018年9月 5554F - 2018年9月 が廃車となっています。

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2020年1月 6日 (月)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編  2400系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は2400系です。

2400-2464-191020 2019/10/20 野江

昨日の記事にあるように2400系は卵形電車シリーズ2000系の増備車として1969年から1970年にかけ、川崎重工業にて7両編成6本、計42両が製造されました。関西の鉄道事業者で初めて冷房装置を搭載した通勤車両としても後世にその名を残している車両ですね。

2000系の急行版2200系同様、鋼製、18.7m、両開き3扉で、直列17段、並列1段、弱め界磁10段、発電制動34段の発電ブレーキ付き抵抗制御方式で空気ブレーキはHSC-D電磁直通空気ブレーキです。昇圧を前提にした複電圧仕様で、分散式小型ユニットクーラーRPU-1509A(東芝製)を屋上に1両あたり8台搭載しています。1969年度に製造された前期の3編成(1次車)と1970年度製造の後期の3編成(2次車)では、冷房装置の外観が異なっています。冷房用の大容量MGが搭載されたことで、暖房装置のパワーもアップされました。

京阪の車両で運転台付きの電動車(他社で言うクモハ)が無くなったのも2400系が初めてでした。編成は両端車両以外に運転台付き車両が無くなり、通勤客の増大に対して定員を増やすことに貢献しました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 1030人
車両定員 先頭車140人・中間車150人
編成重量 215.5 t
全長 18,700 mm
全幅 2,720 mm
全高 4,185 mm
主電動機出力 155 kW
駆動方式 平行カルダン駆動
歯車比 84:15 (5.6)
編成出力 2,480 kW
制御方式 製造当初は抵抗制御、改修で界磁添加励磁制御
制動装置 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ HSC-R
保安装置 K-ATS(出町柳 - 枚方市間)
京阪型速度照査ATS

2400-2455-191020-2
2019/10/20 守口市

製造から20年が経過しようとする1988年から1991年にかけ、改修工事が実施されました。その内容は
・制御装置はACRF-H8155-790Aに交換され、回生ブレーキ付きの界磁添加励磁制御に
・補助電源装置には京阪線初のSIV(静止形インバータ)に換装
・正面貫通開戸は外開きに改修され、大型ガラスを採用し正面行先表示器を設置
・本系列に正面行先表示器が設置されたことにより、京阪線における正面の方向・種別板が使用が終了
・尾灯のデザインも変更
・内装は、壁の化粧板を従来の薄緑色から6000系と同じベージュ系のものに張り替え
・戸閉予告ブザー、ドア開時の自動放送装置を設置
でした。

2400-2456-191020 2019/10/20 出町柳

編成形態
←出町柳・私市・宇治         淀屋橋・中之島→
形式 2450 2500 2500 2550 2500 2500 2450
    Tc       M        M       T         M        M       Tc
         2451   2511  2521   2551   2531   2541   2461 第1~3編成が1969年11月から12月に竣工
            |        |       |          |         |         |        |
         2456   2516  2526   2556   2536   2546   2466   第4~6編成が1970年9月から10月に竣工

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2020年1月 5日 (日)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編  2600系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回は2600系です。

2600-2609-191020
2019/10/20 樟葉 2000系(2039:1962/2/13竣工)から改造の0番台として今なお現役の2609ー2919-2719-2709-2809-2625-2825の7連

京阪には1959年から川崎車輌とナニワ工機で製造された2000系という阪神のジェットカー、近鉄のラビットカーに相当する高加減速性能を有し、「スーパーカー」と言われた昭和中後期のスタンダード系列が存在しました。2000系は1966年までに
・2000型 運転台付き 電動車 68両
・2100型 中間電動車 32両 の計100両が製造されました。
モノコック構造の車体で、側面は卵形のカーブを描き、「卵形電車」の始祖と言われました。

全電動車方式による高加減速と分巻界磁制御による電力回生制動がセールスポイントで、鉄道線での通常制動として電力回生制動を初めて常用した車両でした。

1970年代、京阪においても架線電圧を600Vから1500Vへの昇圧が検討課題となると2000系の処遇が問題となりました。特に分巻界磁制御は昇圧対応が困難であること、当時2400系による冷房車両も登場しており、2000系の車体、装備品を極力再利用した昇圧対応車への作り替えで対処することになりました。1978年から2000系は代替新造という形で2600系へ改造されました。後年製造された2200系のうち、編成組み替えで余剰となった制御車2251~2253が運転台を簡易撤去され、2000系に組み込まれ、2150型2156~2158と1972年に改番され、2000系の総数は103両となりました。

2000系を基本とした卵形電車として、1964年から2200系が急行用として、2000系の高加速度、回生制動、全電動車方式を改め、MT固定編成による経済性を高めた車両として登場、1969年から2400系(後日記事にします)が関西初の冷房装備編成として増備され、2000系の車体、台車を利用した2600系0番台、0番台と同じ設計による完全新造車として1981年2600系30番台が7両編成4本の28両製造されました。

2000系から2600系0番台への改造内容
・主電動機、主制御器などの主要制御器は昇圧に対応した新造品に交換。
・菱形パンタグラフから下枠交差型パンタグラフに交換。
・離線による回生制動不良などのリスク対策として付随車にもパンタグラフを装備。
・先頭車正面に行先表示器を設置し、同時に車番の位置を正面貫通扉から運転台側窓(向かって右側)の下に移動。
・後半に改造された編成では先頭車正面助士台側(向かって左側)の窓はHゴム支持の1枚固定窓に変更
・前照灯を白熱灯から、ケースはそのままにシールドビームに交換。また、先頭車にスカート(排障器)を装備。

←京都  2600 2900  2700  2800  大阪→
      Mc  T      M   Tc
              2601          2701  2801
                 |                |       |
              2610          2710  2810
                       2905
                          |
                       2910  
2601F~2610Fは当初、3両固定編成で竣工し、番号順に2編成を繋いだ6連で運用され、後に2605Fから2610F には2900が追加され、4連化されました。

2822-811211
2621-811211 1981/12/11 地上線時代の四条 2621Fと2622Fの併結8連 この編成は冷房装置の試験車で東芝の「RPU-3007」(10500kcal)を3台搭載され、外観が異なり、車内には新設計のグリルファンが9基設置されて冷房効果の試験がなされました。2621Fは2012年7月31日付けで、2622Fは2001年12月28日付けで0番台最初の廃車になっています。

←京都  2600  2900  2700  2800  大阪→
                Mc  T       M    Tc
              2611  2911  2711  2811
                 |       |        |        |
              2624  2924  2724   2824
2611F~2624Fは最初から4連で竣工しました。
←京都  2600  2800 大阪→
                Mc      Tc
              2625   2825
                 |        |
              2628   2828
2625Fから2628Fは他の編成への増結編成として2連で製造されました。
←京都  2600  2700  2800 大阪→
                Mc     M       Tc
              2629  2729  2829  
2629Fは2200系や2400系と編成を組みました。

2600系30番台
←京都  2600  2900  2700  2900  2700  2700  2800 大阪→
               Mc      T       M       T       M        M      Tc
               2631  2941  2741 2951 2751   2731   2831
                  |       |       |        |      |         |         |
               2634  2944  2744 2954 2754   2734   2834

30番台は4両ユニット+3両ユニットの7連で製造されました。

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2020年1月 4日 (土)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編  1300系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、まずは京阪本線系の車両から年代順に写真のあるものから見て行きます。
最初は1300系です。

1301-811211
1981/12/11 四条 1301

まだ鴨川の縁の地上部を京阪電車が走っていた頃の写真です。自分自身、就職前の大学院博士課程2年の時でした。

1300系は太平洋戦争後の1948年から運輸省規格型電車として、川崎車輌とナニワ工機で20両が製造された通勤形電車です。
・1300型 Mc 両運転台 10両 1301~1310
・1311型 Mc 片運転台 2両 1311、1312
・1600型 Tc 片運転台 8両 1601~1608

まだ、京阪が後に分離する阪急と一緒の京阪神急行電鉄の時代の1947年に運輸省が私鉄向けに定めた規格型電車として25両を京阪神急行に割り当て、10両が京阪線用の1300系に、15両が宝塚線用の550形となりました。

1948年に17m、2カ所の片開き扉車として竣工しました。台車はイコライザ式で京阪では初めてコロ軸受けが採用されました。規格設計のため、窓は横長、幕板は広く設計され、京阪のそれまでのスタイルとは大きく異なり、アンチクライマーの設置場所、パンタグラフ両側の踏み板、扉の左右吹き寄せの寸法などは阪急のスタイルが加えられているそうです。塗装は上半分がクリーム、下半分が濃緑色でした。
新京阪線に投入された阪急700系とは兄弟分のような関係でスタイルがよく似ていました。
規格に則り、幅2720mmで設計されたため、当時の京阪の車両は最大幅2590mmであり、入線に際して、各駅のホームを削る必要に迫られ、工事の進捗に合わせて、運行区間が拡大していったそうです。登場時は1500型を中間に挟んだ3連で運用されました。

1949年に阪急と分離、1950年までに1600型、1311型が竣工し、1311型と1600型の1両は京阪で初めて車内放送設備を装備した車両となりました。

特急の増発に対応するため1951年に1312、1952年に1303、1304が特急用に整備され、外部塗色も特急色に、車内シートも張り替えられました。1303は大阪方、1304は京都方の運転台、運転台扉を撤去、扉は埋められ、窓で置き換えられました。しかし運用期間は短く、1956年には1810系の増備で任を解かれました。

1953年頃から特急運用に充当されなかった車両はクリーム色、茶色に塗装され、1957年には1650型との連結のため車両整備が行われ、内装を薄緑色に、座席の延長、モケットの張り替えが行われました。塗色も1650型に合わせて上半若草色・下半青緑色になりました。1963年に天満橋~淀屋橋間が開通すると地下線対応のため窓に保護棒が設置されました。

1967年から乗客の増加に対応するため3扉化の改造が行われました。同時に1600型は全車運転台が撤去され、1607、1608は電装化され、1380型に、残りは1350型になりました。両運転台で残っていた1300型は全車片運転台化されましたが、かつて1303や1304が片運転台化されたときとは違い、運転台扉はそのまま残る簡易撤去となりました。奇数番号車は京都方、偶数番号車は大阪方の運転台を撤去したため、パンタグラフは運転台側にあるもの(前パンスタイル)と反対側にあるものに分かれました。同時に窓はアルミサッシに替えられました。

1970年代以降は宇治線・交野線などの支線運用が中心となり、中書島以南の本線には滅多に入らなくなりました。1983年の1500V昇圧対応で6000系が登場した3月に一部が廃車され、12月の昇圧で全車が退役しました。
昇圧後、1311型1311の車体を流用した事業用貨物車151型が登場しましたが、2000年12月28日付けで廃車となりました。

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2020年1月 3日 (金)

京阪乗り歩きの旅 1 その歴史

2019年10月18日から21日までの関西旅行、阪急、阪神とやって来た旅の最終編として「京阪乗り歩きの旅」で行こうと思います。

まずは今日の京阪電気鉄道の路線形成のプロセスについてです。

S800pxkeihan_electric_railway_linemap 京阪電気鉄道 路線図 Wikipediaの図から

京都~大阪間には1876年2月6日に淀川西側に官営鉄道が敷かれましたが、運賃が淀川の蒸気船(上り12銭、下り10銭)に較べ27銭と高く設定されていました。そこで、淀川東岸の京街道に沿って電気鉄道を建設する計画が立てられ、東京の渋沢栄一、岡崎邦輔らの実業家グループが私設鉄道法による「京阪鉄道」、村野山人、松本重太郎らの関西財界人が軌道条例による「畿内電気鉄道」の申請を企てましたが、両グループは競願による無駄をを避け、話し合いをした結果、一本化され1903年11月9日、畿内電気鉄道として軌道条例に路線特許の申請が行われ、1905年8月30日の発起人会・設立委員会で名称を「京阪電気鉄道株式会社」と変更し、運輸のみならず、電力供給、同関連事業も兼業することが決められました。
1906年8月25日に軌道敷設特許が下付され、同年11月19日の設立総会で京阪電気鉄道株式会社が設立されました。

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2019/10/20 くずはモール Sanzen-Hirobaの展示から 1910年~ 以下同様

1910年4月15日に大阪・天満橋~京都・五条間(46.57km)が開業しました。当時としては国内最長の電気鉄道でした。駅数は両端駅を含め30、運賃は全線を8区に分け、1区5銭、京阪間40銭、さらに2種の市内区間が設けられました。軌道免許での開業のため、当初は併用軌道や急曲線が多く存在し、「京阪電鉄カーブ式会社」と揶揄されたほどでした。開業時の車両数は30両でした。

創業時の計画では大阪側は高麗橋(大阪市中央区東横堀川に架かる橋)を起点にする計画でしたが、大阪市の圧力で天満橋に変更になったそうです。そして阪神電気鉄道とともに大阪市電に乗り入れる計画もありましたが、車体規格の問題等で大阪市が難色を示し、流れました。1913年6月1日には宇治線(中書島~宇治間7.67km)、1915年10月27日には京都市内延長区間の五条~三条間1.49kmが開業しました。

滋賀県琵琶湖周辺に営業エリアを拡大するため、1925年2月1日京津電気軌道1912年8月15日、三条大橋~札の辻で運転開始)を合併、同年5月5日には札の辻~浜大津間0.36kmでの営業運転も開始しました。1926年7月には湖南汽船を子会社化しました。さらに琵琶湖鉄道汽船との合併も進めた結果、1929年4月11日大津電車軌道(蛍谷~坂本間14.08km)も傘下に収めました。

京都~大阪間の並行線(淀川西側)を他社が敷設するのを阻止する企業防衛戦略から新京阪鉄道を設立し、現在の阪急京都本線を建設しますが、大戦中の国策による合併、戦後の分離でその路線は阪急のものとなってしまいます。さらに奈良電気鉄道(奈良電、現在の近鉄京都線)、阪和電気鉄道への関与、和歌山への進出等の積極的な拡張策を展開しますが、投資が回収できないうちに1929年以降の昭和恐慌に見舞われ、債務処理のため、1930年5月和歌山地区の電力供給部門、軌道部門は合同電気株式会社へ譲渡、さらに同年9月新京阪鉄道を合併し、債務圧縮を余儀なくされます。1945年5月1日交野電気鉄道株式会社の事業を譲受し、枚方東口~私市間6.9kmを交野線として路線に加えました。

1955年12月3日には男山鉄道株式会社が運営していた路線を復活し、男山~八幡宮間0.4kmの鋼索線営業を開始しました。

新京阪線との総合ターミナルとして梅田駅乗り入れの計画もありましたが、果たせず、地下線で淀屋橋に乗り入れたのは1963年4月16日で開業から半世紀後のことでした。

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高頻度運転に対応するため、蒲生信号所~守口市間が私鉄では初めて1933年に複々線化され、通勤通学輸送に威力を発揮しました。複線区間は1980年3月16日に天満橋~寝屋川信号所間に延長されました。

60-63-191020 2019/10/20 寝屋川車庫に保存されている60型63号

1934年には流線形小型軽量車体の60型びわこ号」を製造、天満橋~浜大津間、京阪本線~京津線直通運転が開始され、途中、転線や集電装置の切替が必要な三条、三条大橋の2駅のみ停車で当初72分、後に77分程度で結びました。

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戦後の1950年には特急の運転が再開され、1951年転換式クロスシートの1700系が登場、さらに軽量車体、カルダン駆動方式の1800系試作車が登場し、特急でデビューしました。

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1954年9月3日には1800系車内にテレビを取り付けた「テレビカー」が登場、京阪の代名詞となりました。

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1959年には加減速性能を向上させた2000系が登場、さらに1970年12月26日には前代未聞とも言える全車5扉の5000系が登場しました。

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1971年7月1日、カラーテレビを装備した3000系Iが登場。

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1983年12月4日大手私鉄では最後となりましたが、京阪本線、交野線、宇治線の架線電圧が600Vから1500Vに昇圧され、それまでの最長7連から8連以上の運転が可能となりました。

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京都市中心部の東福寺~三条間の地上部分では京都市電との平面交差、さらには東西の交通を遮断する踏切の存在が社会問題となっていましたが、同区間を地下線化する工事が着工され、1987年5月24日に完成、

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さらに三条から出町柳まで延伸し、鴨東線として開業する事業が1989年10月5日に完工しました。それまで他社の路線と繋がっていなかった叡山電鉄の出町柳駅が京阪と繋がり、利用客が大幅に増加しました。2002年に叡山電鉄は京阪の完全子会社となりました。鴨東線開業に続き、3000系Iに代わる特急車両として「エレガン都エクスプレス8000系がデビュウしました。予備車確保で1編成残された3000系にはダブルデッカーが連結され、1998年には全特急編成にダブルデッカーが連結されました。

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1997年10月12日には京津線と京都市営地下鉄東西線の相互直通運転が開始され、三条~御陵間は地下線になり、後に西端は京福電気鉄道(嵐電)に接続する太秦天神川まで伸びました。

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2019/10/20 中之島駅にある開業の碑 「坂陽日々新」
碑文
大阪は、仁徳天皇が難波に都を置いて以来、世界への扉、燦爛たる商都として、殷賑を極めてきた。 その大阪の中心地である中之島に東西を貫く鉄路が開通する。「坂陽日日新(はんようにちにちあらたなり)」。大阪(坂陽)は、新たな東西の客路を得て、日々新しく変貌、発展しようとしている。

2008年10月19日には大阪市内の堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島の北岸を走る中之島線が開業、天満橋から先の複々線の一方が中之島に通じる形になりました。

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2020年1月 2日 (木)

西武40000系 Long Seatヴァージョン編成を初撮影

西武40000系の50番台、40151Fは2019年12月に小手指まで甲種回送され、12月26日、27日に運用に就いたことはBlog等の記事で見ていました。わたしも12月16日月曜日に小手指まで偵察に行き、それらしい編成を目撃したことは12月21日記事で報告しました。

年明け初めての撮影で運用を調べると1月1日、
 ┌池 袋1006←0903飯 能─○
4112
 └池 袋1010→1056球場前┐ 
4355
 ┌池 袋1224←1152所 沢┘ 
4306
 └池 袋1232→1330飯 能┐ 
4129
 ┌池 袋1439←1335飯 能┘ 
4130
 └池 袋1450→1542飯 能┐ 
2141
 ┌池 袋1634←1544飯 能┘ 
2156
 └池 袋1640→1748飯 能┐ 
4149
 ┌池 袋1852←1755飯 能┘ 
4152
 └池 袋1902→1936所 沢┐ 
4309
 ┌池 袋2039←2011所 沢┘ 
3304
 └池 袋2050→2138飯 能┐ 
2181
 ┌池 袋2252←2155飯 能┘ 
4158
 └池 袋2305→2339小手指─△
4209
といった運用に入っていることが確認できたので、池袋線沿線に赴きました。狙いは赤の4130列車です。

Dsc05985
2020/1/1 石神井公園 40151F

石神井公園で池袋14:50発の急行飯能行きに乗車、飯能まで乗車し、車内をゆっくり見学することにしました。

Dsc05995 40000系の特徴である10号車のパートナーゾーンは50番台でも残されています。

Dsc06003 製造は0番台同様、川崎重工です。

Dsc06013 40151の固定されたロングシート、

Dsc03987 40105のデュアルシート 玉川上水基地での公開時

固定されたロングシートは背あての部分の高さがこれまでのシートに較べると随分低くなっています。

Dsc06015
外部の表記は黄色地に、

40000-40106-190406


ちなみにLONG/CROSS 表記は青地でした。

Dsc06008 飯能まで乗車しました。乗り心地は0番台同様、快適でした。

ちなみに飯能から所沢までの帰り道はちちぶ32号 001系B編成LAVIEW」に初乗車しました。

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2020年1月 1日 (水)

2020年正月元旦の風景

謹 賀 新 年

みなさま、明けましておめでとうございます。

拙Blogでは初めての試みですが、我が家の正月元旦の食卓に並んだおせち料理を紹介したく思います。

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雑煮は隔年で代わりますが、今年は家内の母方の福井の実家の様式に従い、丸餅、カブとカブの茎、味噌仕立てです。餅に餡は入っていません。ちなみに来年は切り餅、鶏ガラスープ仕立て、三つ葉などが入った関東風で私の母方のスタイルです。

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一の重に当たる料理群 殆ど家内とアメリカから帰国中(というか訪日中)の家内の妹の自作ですが、左下から時計回りに
栗きんとん
ニシンの昆布巻きと松前漬け
田作り(かたくち鰯、クルミ、アーモンド)
ホタテ

中央はエビ、ホタテ、イクラの麹漬け

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二の重は炊き合わせ
タケノコの煮物
松前漬け
椎茸とこんにゃく
レンコン      です。

Dsc05974 三の重は
里芋の煮付け
ゴボウのごま和え
ニンジン
黒豆
カワエビの甘煮 などが盛りつけられています。

Dsc05975
四の重は
ゴボウのアナゴ巻
伊達巻き
蒲鉾   です。

今までおせち料理の写真を撮ったことはありませんでしたが、正月元旦くらいは貴重な伝統文化の風景として残しておこうかと思い記録した次第です。

本年もどうか宜しくお願い致します。

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