久しぶりのオーケストラ・コンサート マーラー作曲 交響曲第2番ハ短調「Auferstehung: 復活」その2 楽曲について
今回はマーラーの交響曲第2番についてそれが作曲家の人生におけるどんな時代に、如何なる経緯で作曲されたのかについてです。
Gustav Mahlerは1860年7月7日、裕福なユダヤ人商人の父母ベルンハルトとマリアの間の12人の子供の2番目としてプラハとウィーンのほぼ中間の都市イーグラウ(現在のチェコ、イーフラヴァ)近郊のカリシュト村で生まれました。幼少時から類まれな音楽に対する才能を示したため、6歳でピアノに興味を示し、イーグラウの歌劇場指揮者からレッスンを受けました。その後、プラハで音楽教育を受け、1875年、ウィーンで音楽院に入学、作曲と指揮を学び、Brucknerの講義を聞いて感激し、師弟の間を超えて深い友情で結ばれました。と言っても2人の歳の差は36歳で親子のような関係でした。
その後、ヨーロッパ各地の歌劇場の指揮者という地位で生活費を稼ぎ、ブダペスト歌劇場指揮者だった1888年頃から交響曲第2番ハ短調の作曲に着手します。この頃、現在、交響曲第1番ニ長調「巨人」として有名な曲は5楽章形式の交響詩で、1,2楽章が第一部「若人、美徳、結実、苦悩のことなどの日から」、3楽章から5楽章を第二部として「人間の喜劇」という表題が付けられていました。1889年11月20日に自身の指揮、ブタペスト・フィルハーモニーの演奏で初演されますが、評価はかなり冷淡なもので以後10年間、あまり演奏もされず、楽譜の出版もされずにありました。その後1896年3月のベルリンでの改訂で第2楽章「花の章」が削除され、4楽章形式の交響曲となり、1899年にヴァインベルガー社より出版されました。20世紀になってからは多くの指揮者が取り上げ、演奏時間の関係などからもMahlerの交響曲では最も演奏機会の多い曲となっています。
話は戻りますが、1889年という年はMahler一家にとって悲劇の年で、まず2月18日、父親が61歳で死去、7月には自身が長年悩まされた痔の手術を行い、大きな苦痛を味わい、10月11日、母親が52歳で死去、両親の死去で一家の面倒を見る立場になったものの、すぐ下の妹レオポルドーネが脳腫瘍で世を去ってしまいました。ブダペストでの仕事は順調だったものの、ツイシー伯爵が劇場支配人になってからは対立が起こり、1891年3月14日に職を辞して、3月29日にハンブルク市立歌劇場の首席指揮者となりました。
ハンブルクでは現在の職業指揮者の先駆的存在と言われるHans Guido Freiherr von Buelow(J.S.Bach, L.v.Beethown, J. Brahmsを総称してドイツ三大Bと名付けたことでも知られる、さらにF. Lisztの娘コジマと結婚するがコジマはR.Wagnerと恋愛関係に陥り・・・ )から絶大な支持を受け、彼の代演も務めるようになりました。このときに交響曲2番の第1楽章に「葬礼」というタイトルを付けてピアノでBuelowに聞かせていますが、興味は示さなかったようです。
1893年夏の休暇をザルツブルク近郊のシュタインバッハで過ごし、交響詩の改訂や交響曲第2番の創作を進め、7月末には第2楽章から第4楽章までの第一稿が出来上がったそうです。1892年に完成した歌曲集「子供の不思議な角笛」から「魚に説教するパドゥヴァの聖アントーニウス Des Antonius von Padva Fischpredigt」の音楽が第3楽章で用いられ、第4楽章の歌詞は同じく歌曲集「子供の不思議な角笛」から「原光 Urlicht」がとられました。
aus "DES KNABEN WUNDERHORN" |
「子供の不思議な角笛」から |
Buelowが1894年2月12日、滞在先のカイロのホテルで病死し、葬儀がハンブルクのミハエリス教会で執り行われ、Mahlerも列席しましたが葬儀で演奏されたKlopstocksの「復活の合唱」が第5楽章の歌詞のヒントになりました。
nach KLOPSTOCKS HYMNE "DIE AUFERSTEHUNG" Sopran solo
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クロプシュトックの賛歌『復活』に従いて 合唱 |
最初の3楽章の初演は1895年3月4日、ベルリンにて自身の指揮、ベルリンフィルハーモニーのよってなされました。全5楽章の初演は1895年12月13日に自身の指揮、ベルリンフィルハーモニーのよってなされました。聴衆からも楽員からもかなり支持されましたが、批評家の意見は賛否半々だったそうです。楽譜は1897年ライプチヒのホーフマイスターから出版され、晩年の1910年に補筆が行われています。これらのことから交響曲としては2番の方が1番よりも早く世に出ていたことになります。
Mahler自身が交響曲第2番の各楽章別に標題的説明をつけており、
第1楽章 私の第1交響曲での英雄を墓に横たえ、その生涯を曇りのない鏡で、いわば高められた位置から映すのである。同時に、この楽章は、大きな問題を表明している。すなわち、いかなる目的のために汝は生まれてきたかということである。……この解答を私は終楽章で与える。
第2楽章 過去の回想……英雄の過ぎ去った生涯からの純粋で汚れのない太陽の光線。
第3楽章 前の楽章の物足りないような夢から覚め、再び生活の喧噪のなかに戻ると、人生の絶え間ない流れが恐ろしさをもって君たちに迫ってくることがよくある。それは、ちょうど君たちが外部の暗いところから音楽が聴き取れなくなるような距離で眺めたときの、明るく照らされた舞踏場の踊り手たちが揺れ動くのにも似ている。人生は無感覚で君たちの前に現れ、君たちが嫌悪の叫び声を上げて起きあがることのよくある悪夢にも似ている……。
第4楽章 単純な信仰の壮快な次のような歌が聞こえてくる。私は神のようになり、神の元へと戻ってゆくであろう。
第5楽章 荒野に次のような声が響いてくる。あらゆる人生の終末はきた。……最後の審判の日が近づいている。大地は震え、墓は開き、死者が立ち上がり、行進は永久に進んでゆく。この地上の権力者もつまらぬ者も-王も乞食も-進んでゆく。偉大なる声が響いてくる。啓示のトランペットが叫ぶ。そして恐ろしい静寂のまっただ中で、地上の生活の最後のおののく姿を示すかのように、夜鶯を遠くの方で聴く。柔らかに、聖者たちと天上の者たちの合唱が次のように歌う。「復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。」そして、神の栄光が現れる。不思議な柔和な光がわれわれの心の奥底に透徹してくる。……すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。……愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する。
明日の記事では各楽章の音楽的構成と当日の演奏の様子について触れます。
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