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2020年1月 4日 (土)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編  1300系

京阪電気鉄道の車両シリーズ、まずは京阪本線系の車両から年代順に写真のあるものから見て行きます。
最初は1300系です。

1301-811211
1981/12/11 四条 1301

まだ鴨川の縁の地上部を京阪電車が走っていた頃の写真です。自分自身、就職前の大学院博士課程2年の時でした。

1300系は太平洋戦争後の1948年から運輸省規格型電車として、川崎車輌とナニワ工機で20両が製造された通勤形電車です。
・1300型 Mc 両運転台 10両 1301~1310
・1311型 Mc 片運転台 2両 1311、1312
・1600型 Tc 片運転台 8両 1601~1608

まだ、京阪が後に分離する阪急と一緒の京阪神急行電鉄の時代の1947年に運輸省が私鉄向けに定めた規格型電車として25両を京阪神急行に割り当て、10両が京阪線用の1300系に、15両が宝塚線用の550形となりました。

1948年に17m、2カ所の片開き扉車として竣工しました。台車はイコライザ式で京阪では初めてコロ軸受けが採用されました。規格設計のため、窓は横長、幕板は広く設計され、京阪のそれまでのスタイルとは大きく異なり、アンチクライマーの設置場所、パンタグラフ両側の踏み板、扉の左右吹き寄せの寸法などは阪急のスタイルが加えられているそうです。塗装は上半分がクリーム、下半分が濃緑色でした。
新京阪線に投入された阪急700系とは兄弟分のような関係でスタイルがよく似ていました。
規格に則り、幅2720mmで設計されたため、当時の京阪の車両は最大幅2590mmであり、入線に際して、各駅のホームを削る必要に迫られ、工事の進捗に合わせて、運行区間が拡大していったそうです。登場時は1500型を中間に挟んだ3連で運用されました。

1949年に阪急と分離、1950年までに1600型、1311型が竣工し、1311型と1600型の1両は京阪で初めて車内放送設備を装備した車両となりました。

特急の増発に対応するため1951年に1312、1952年に1303、1304が特急用に整備され、外部塗色も特急色に、車内シートも張り替えられました。1303は大阪方、1304は京都方の運転台、運転台扉を撤去、扉は埋められ、窓で置き換えられました。しかし運用期間は短く、1956年には1810系の増備で任を解かれました。

1953年頃から特急運用に充当されなかった車両はクリーム色、茶色に塗装され、1957年には1650型との連結のため車両整備が行われ、内装を薄緑色に、座席の延長、モケットの張り替えが行われました。塗色も1650型に合わせて上半若草色・下半青緑色になりました。1963年に天満橋~淀屋橋間が開通すると地下線対応のため窓に保護棒が設置されました。

1967年から乗客の増加に対応するため3扉化の改造が行われました。同時に1600型は全車運転台が撤去され、1607、1608は電装化され、1380型に、残りは1350型になりました。両運転台で残っていた1300型は全車片運転台化されましたが、かつて1303や1304が片運転台化されたときとは違い、運転台扉はそのまま残る簡易撤去となりました。奇数番号車は京都方、偶数番号車は大阪方の運転台を撤去したため、パンタグラフは運転台側にあるもの(前パンスタイル)と反対側にあるものに分かれました。同時に窓はアルミサッシに替えられました。

1970年代以降は宇治線・交野線などの支線運用が中心となり、中書島以南の本線には滅多に入らなくなりました。1983年の1500V昇圧対応で6000系が登場した3月に一部が廃車され、12月の昇圧で全車が退役しました。
昇圧後、1311型1311の車体を流用した事業用貨物車151型が登場しましたが、2000年12月28日付けで廃車となりました。

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コメント

大学時代 よく三条に行くのに鳥羽街道から乗りました。
ニス塗りの重厚な雰囲気の車内が好きでした。

お名前の記載がないのが残念ですが、

コメントありがとうございます。私はたまたま見た車両でしたが、こうして想い出を語って頂けると記事にしたかいがあります。

幼稚園の頃関目から千林の二駅通園して、朝のラッシュ終わりに1300系の各停に乗るのが楽しみでした他にはない木目の車内がすきでした。
ありがとうございます

銀河52号さま、おはようございます。

幼稚園時代に京阪電車に乗車されていたのですね。私も幼稚園時代、西武多摩湖線、八坂~萩山間に乗車していました。年月が過ぎてもああいった記憶は鮮明に脳裏に残っていますね。

1300系、1700系、600系は昇圧という名の“京阪革命“によって一斉に滅ぼされた車両です。
1700系が3扉化の際に両開き扉を中間に増設されて側面美が失われたのに対して、1300系は途中で3扉化されたとは思えない側面美を維持してました。
京阪昇圧のタイミングが大手私鉄の“旅客急行系企業“平均の1960年代だったら、同社の1形式50年思想ゆえに前述の3形式は1500V対応化されて平成バブル崩壊直前まで生き残っていたかもしれません。

ねこたろう さま、おひさしぶりです。

こういったコメントは長年、沿線で京阪電車を見ていた方でないと書けないものですね。大変参考になりました。これからもよろしく願いいたします。

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