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2020年1月23日 (木)

京阪乗り歩きの旅 2 車両編 60型 びわこ号

京阪電気鉄道の車両シリーズ、今回からは京津線、石坂坂本線関係の車両で、最初はびわこ号として活躍した60型です。


60-63-191020-14客用扉は2種類あり、運転台後方の扉は高床ホーム用、連接部よりは低床ホーム用


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低床ホーム用扉には開閉式昇降階段が設置されています。


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連接部のD-13台車 両端台車はD-12 帯鋼リベット組立イコライザー台車

2019/10/20 寝屋川車庫


1934年、日本車輛製造製の我が国初の連接構造の電車であり、当時の流行でもあった流線形車体を持った電車で日本の鉄道史にしっかりと足跡を残した車両で寝屋川車庫に1編成が復元保存されており、イベント等で内部を見学することも可能です。

大阪から京阪本線、三条を経由し、琵琶湖岸の浜大津まで直通の電車を運行しなくてはならない理由が当時の京阪にはありました。
1)京阪本線の五条以北は京都市が市電建設を企図して特許を取得した区間であり、京阪はこの区間を20年契約で琵琶湖連絡を目的とし、京津電軌との連絡を円滑に行うという条件で借り受けたものでした。
2)1920年代初頭に京津電軌が京阪に対して合併話を持ち掛けました。
3)阪急嵐山線の記事でも登場した京都電燈が軌道事業だけではなく、電力事業も展開していた京津電軌の電力事業を獲得しようと画策し始めました。また京都電燈傘下の叡山線の出町柳~三条大橋延長も計画し、京津線との直通、電力事業の合併を主張する一派が京津内部に存在しました。
4)京津電軌を巡って、京阪と京都電燈の間で争奪戦が起こるところでしたが、電力事業は京都電燈に、軌道事業は京阪が継承するということで決着が図られました。
こういった経緯から京阪による琵琶湖連絡、阪津間直通は京阪の軌道事業取得に説得力を持たせると同時に、重要な責務となりました。
一方で、三条~五条間の免許借り入れ契約は1935年に失効が迫り、それまでに契約を更新する必要がありました。この時期、京都市議会では一部の議員から、「京阪電鉄は京阪間連絡に限定し、三条にターミナルを置く必要はない」「五条以北は京都市電に置き換え、市内交通の一元運営にすべき」との意見が出され、京阪としては路線維持の観点から京阪本線~京津線を直通運転し、琵琶湖連絡する列車を一刻も早く運転開始しなくてはいけない状況となりました。


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奥行き405mmの浅いロングシート

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連接部の独特な構造

そこで登場したのが60型61-63の3編成でした。車両の構想は1925年の京阪・京津合併時に計画されており、1931年には日本車輛製造本店では軽量構造大型車体の江若鉄道C4形気動車(18m級120人乗り)を製作しており、その設計が60型の設計にも影響を及ぼしたと考えられています。車体は半鋼製で流線形としては1935年製の国鉄52形電車よりも早い登場となりました。車体幅は京津線の車両限界から2200mmとし、クロスシートの設置は断念し、浅めのロングシートとなりました。さらに車体の連結部、通常の幌では逢坂山付近の急曲線区間に対応できないため、中間台車と回転軸を同じくする金属製貫通路が設置されました。


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片隅式運転台
高速走行が求められる京阪本線用に新京阪のP-6に装備された弱め界磁が追加されており、また京津線内の連続急勾配66.7‰に対応するため、発電ブレーキが装備され、大容量の抵抗器が擬装スペースいっぱいに搭載されています。


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車内は木製で、右側から書く書体も昭和初期の雰囲気を出しています。



主要諸元
編成 2車体連接車
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600 V (架空電車線方式)
車両定員 112人(座席60人)
車両重量 26.4 t
全長 12,380 mm
全幅 2,356 mm
全高 4,000 mm
台車 日本車輌製造 D-12, D-13
主電動機 東洋電機製造 TDK-517-SA1(72.0 kw)
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 2.87(66:23)
出力 288.0 kw
定格速度 48.6 km/h
制動装置 空気ブレーキ、発電ブレーキ(電空併用ブレーキ)

1934年4月に特急「びわこ号」として天満橋~三条~三条大橋~浜大津間で運転が開始されました。途中停車駅は転線と、集電装置切り替えの必要な三条、三条大橋に限られ、後には三条大橋だけとなりました。定期列車1往復と臨時列車2往復の最大3往復が設定されました。1940年9月頃には戦時体制移行で直通運転が中止となり、1944年には61.62が資材・人員不足で休車に追い込まれ、63が終戦頃まで天満橋~守口間の区間運転に従事しました。戦後の1946年、京阪本線の編成両数延伸などで60型は守口車庫から四宮車庫に転出しました。1949年8月7日、深夜四宮車庫の火事で入庫車27両中22両が全焼する大惨事になりましたが、60型は幸いにも難を逃れました。その後、京津線、石山坂本線でも運用されましたが、1969年には三条駅構内の連絡線が撤去され、京津線にATSが設置される際には対象から外され、1970年7月30日、「びわこ号」としてお別れ式が行われ、1970年10月5日、最後まで残っていた63号が廃車となりました。

60型の電装品や台車は2代目1000系を種車に製造が進められていた700系車体更新車に流用され、3編成から発生した9台の台車は電動車3両と付随車1両に使用されました。車体と台車は錦織車庫に留置となりました。700系は架線電圧昇圧で車体のみを流用した1000系3代目に更新されることとなり、このとき不要となった60型由来の機器、台車で1980年京阪電鉄創業70周年事業の一環として63を新造時の姿に復元する工事が実施されました。復元された63は長らく「ひらかたパーク」に静態保存されていました。2000年、ひらかたパークのリニューアルで設置場所が無くなるため、寝屋川車庫に移動となり、2010年には京阪と寝屋川市が「びわこ号復活プロジェクト」として動態復元を目指すことが発表され、2014年11月19日、寝屋川車庫構内での旧70型による牽引・推進での運転が実現しました。


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