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2020年1月 3日 (金)

京阪乗り歩きの旅 1 その歴史

2019年10月18日から21日までの関西旅行、阪急、阪神とやって来た旅の最終編として「京阪乗り歩きの旅」で行こうと思います。

まずは今日の京阪電気鉄道の路線形成のプロセスについてです。

S800pxkeihan_electric_railway_linemap 京阪電気鉄道 路線図 Wikipediaの図から

京都~大阪間には1876年2月6日に淀川西側に官営鉄道が敷かれましたが、運賃が淀川の蒸気船(上り12銭、下り10銭)に較べ27銭と高く設定されていました。そこで、淀川東岸の京街道に沿って電気鉄道を建設する計画が立てられ、東京の渋沢栄一、岡崎邦輔らの実業家グループが私設鉄道法による「京阪鉄道」、村野山人、松本重太郎らの関西財界人が軌道条例による「畿内電気鉄道」の申請を企てましたが、両グループは競願による無駄をを避け、話し合いをした結果、一本化され1903年11月9日、畿内電気鉄道として軌道条例に路線特許の申請が行われ、1905年8月30日の発起人会・設立委員会で名称を「京阪電気鉄道株式会社」と変更し、運輸のみならず、電力供給、同関連事業も兼業することが決められました。
1906年8月25日に軌道敷設特許が下付され、同年11月19日の設立総会で京阪電気鉄道株式会社が設立されました。

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2019/10/20 くずはモール Sanzen-Hirobaの展示から 1910年~ 以下同様

1910年4月15日に大阪・天満橋~京都・五条間(46.57km)が開業しました。当時としては国内最長の電気鉄道でした。駅数は両端駅を含め30、運賃は全線を8区に分け、1区5銭、京阪間40銭、さらに2種の市内区間が設けられました。軌道免許での開業のため、当初は併用軌道や急曲線が多く存在し、「京阪電鉄カーブ式会社」と揶揄されたほどでした。開業時の車両数は30両でした。

創業時の計画では大阪側は高麗橋(大阪市中央区東横堀川に架かる橋)を起点にする計画でしたが、大阪市の圧力で天満橋に変更になったそうです。そして阪神電気鉄道とともに大阪市電に乗り入れる計画もありましたが、車体規格の問題等で大阪市が難色を示し、流れました。1913年6月1日には宇治線(中書島~宇治間7.67km)、1915年10月27日には京都市内延長区間の五条~三条間1.49kmが開業しました。

滋賀県琵琶湖周辺に営業エリアを拡大するため、1925年2月1日京津電気軌道1912年8月15日、三条大橋~札の辻で運転開始)を合併、同年5月5日には札の辻~浜大津間0.36kmでの営業運転も開始しました。1926年7月には湖南汽船を子会社化しました。さらに琵琶湖鉄道汽船との合併も進めた結果、1929年4月11日大津電車軌道(蛍谷~坂本間14.08km)も傘下に収めました。

京都~大阪間の並行線(淀川西側)を他社が敷設するのを阻止する企業防衛戦略から新京阪鉄道を設立し、現在の阪急京都本線を建設しますが、大戦中の国策による合併、戦後の分離でその路線は阪急のものとなってしまいます。さらに奈良電気鉄道(奈良電、現在の近鉄京都線)、阪和電気鉄道への関与、和歌山への進出等の積極的な拡張策を展開しますが、投資が回収できないうちに1929年以降の昭和恐慌に見舞われ、債務処理のため、1930年5月和歌山地区の電力供給部門、軌道部門は合同電気株式会社へ譲渡、さらに同年9月新京阪鉄道を合併し、債務圧縮を余儀なくされます。1945年5月1日交野電気鉄道株式会社の事業を譲受し、枚方東口~私市間6.9kmを交野線として路線に加えました。

1955年12月3日には男山鉄道株式会社が運営していた路線を復活し、男山~八幡宮間0.4kmの鋼索線営業を開始しました。

新京阪線との総合ターミナルとして梅田駅乗り入れの計画もありましたが、果たせず、地下線で淀屋橋に乗り入れたのは1963年4月16日で開業から半世紀後のことでした。

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高頻度運転に対応するため、蒲生信号所~守口市間が私鉄では初めて1933年に複々線化され、通勤通学輸送に威力を発揮しました。複線区間は1980年3月16日に天満橋~寝屋川信号所間に延長されました。

60-63-191020 2019/10/20 寝屋川車庫に保存されている60型63号

1934年には流線形小型軽量車体の60型びわこ号」を製造、天満橋~浜大津間、京阪本線~京津線直通運転が開始され、途中、転線や集電装置の切替が必要な三条、三条大橋の2駅のみ停車で当初72分、後に77分程度で結びました。

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戦後の1950年には特急の運転が再開され、1951年転換式クロスシートの1700系が登場、さらに軽量車体、カルダン駆動方式の1800系試作車が登場し、特急でデビューしました。

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1954年9月3日には1800系車内にテレビを取り付けた「テレビカー」が登場、京阪の代名詞となりました。

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1959年には加減速性能を向上させた2000系が登場、さらに1970年12月26日には前代未聞とも言える全車5扉の5000系が登場しました。

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1971年7月1日、カラーテレビを装備した3000系Iが登場。

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1983年12月4日大手私鉄では最後となりましたが、京阪本線、交野線、宇治線の架線電圧が600Vから1500Vに昇圧され、それまでの最長7連から8連以上の運転が可能となりました。

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京都市中心部の東福寺~三条間の地上部分では京都市電との平面交差、さらには東西の交通を遮断する踏切の存在が社会問題となっていましたが、同区間を地下線化する工事が着工され、1987年5月24日に完成、

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さらに三条から出町柳まで延伸し、鴨東線として開業する事業が1989年10月5日に完工しました。それまで他社の路線と繋がっていなかった叡山電鉄の出町柳駅が京阪と繋がり、利用客が大幅に増加しました。2002年に叡山電鉄は京阪の完全子会社となりました。鴨東線開業に続き、3000系Iに代わる特急車両として「エレガン都エクスプレス8000系がデビュウしました。予備車確保で1編成残された3000系にはダブルデッカーが連結され、1998年には全特急編成にダブルデッカーが連結されました。

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1997年10月12日には京津線と京都市営地下鉄東西線の相互直通運転が開始され、三条~御陵間は地下線になり、後に西端は京福電気鉄道(嵐電)に接続する太秦天神川まで伸びました。

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2019/10/20 中之島駅にある開業の碑 「坂陽日々新」
碑文
大阪は、仁徳天皇が難波に都を置いて以来、世界への扉、燦爛たる商都として、殷賑を極めてきた。 その大阪の中心地である中之島に東西を貫く鉄路が開通する。「坂陽日日新(はんようにちにちあらたなり)」。大阪(坂陽)は、新たな東西の客路を得て、日々新しく変貌、発展しようとしている。

2008年10月19日には大阪市内の堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島の北岸を走る中之島線が開業、天満橋から先の複々線の一方が中之島に通じる形になりました。

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コメント

B 767-281様お早うございます。京阪神私鉄巡り楽しく拝見させていただいています。京阪と言えばカーブと台車のバラエティー。やがてご紹介いただくであろう26〜

失礼いたしました。続けます。2600系の中には出自を辿れば車齢60年を超すものもあるよう

細井忠邦さま、おはようございます。

京阪の車両、車齢が古い系列が残っているのは1500V昇圧時期が比較的遅かったために、その時点で旧形車が一掃され、新性能車だけになり、それ以降あまり系列の更新がなく来たからだそうですね。長く大切に車両を使うと言うことは良いことであり、見栄えなどには拘らずこれからもそうして欲しいですね。

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