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2020年2月29日 (土)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 岡山電車区配属 115系の歴史 その2 民営化以降 D編成 クモハ115-1600番台

岡山電車区の115系、今回も編成短縮で登場した改造車両の話題です。

2004年、輸送力見直しで4両編成のA編成の一部が3両編成化されることとなり、モハ115形に運転台を設置しました。改造は後藤総合車両所が担当しました。3両化されたためD編成(D28-D31)になりました。

2002-a
2002年 岡山電車区A編成 黄色で示した編成が3連化されD編成に

モハ115-6553・1059・1063・1111 → クモハ115-1653・1659・1663・1711

115-d28-081209 2008/12/9 岡山 D-28編成 カフェオレ塗装時代

115-d29-130322 2013/3/22 三原 D-29編成 地域色

モハ115-6553などの6000番台の編成は網干区時代の1992年3月改正でアーバンネットワーク快速110km/h運転開始に合わせて、ブレーキ距離を確保するため、応荷重装置の取り付け、制輪子・ライニングを高速タイプに取り換え、蛇行動防止のため軸箱を皿バネ付きに交換などの改造(いわゆる高速改造)が施工され、電動車比率が2:1以上の115系編成は電動車のブレーキ力倍増が必要なため、ブレーキ梃子比が2.56から4.19に変更され、原番号に+5500が付与されたもの

115-d30-081209 2008/12/9 岡山 D-30編成 カフェオレ塗装時代

115-d30-130321
2013/3/21 岡山 D-30編成 地域色

115-d31-130321-2
2013/3/21 北長瀬 D-31編成 地域色 クモハ115形側

運転台機器は下関で廃車となったクハ115形初期車からの発生品が流用され、ブロックごとにユニット化することでコスト低減が図られました。雪切室が廃止され、主電動機の冷却風取入れ口は運転室の下に設けられました。全車30N体質改善工事が施行され、転換クロスシートに交換されました。

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2020年2月28日 (金)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 岡山電車区配属 115系の歴史 その2 民営化以降 B, G編成 

岡山電車区の115系の話題、今回はまずB編成から行きます。2月26日の記事で紹介しましたが、この編成は岡山電車区に最初に配置された基本番台から構成される6連(1979年の編成表では16本)から由来するもので、1986年11月1日改正時点ではMM'ユニットが抜かれ4連12本となっていました(実際の減車は1985年3月のダイヤ改正時)。

1993-b

1993年編成表データから岡山電車区B編成 

1993年時点ではB1~B9の9本ですが、B7,B8はMcM'T'cの3連にTcを加えた編成でした。クモハ115-500番台(508-520)は前にも出てきましたが御殿場線で運用されていた4両編成(TcMM'T'c)を3連化した際にMに運転台を付けたグループ

モハ115-29・86・94 - 97・100 - 102・104 - 107 → クモハ115-508 - 520 
で508,509は岡山区配置時の1983年12月に後藤工場で改造、1984年12月に沼津機関区に転入したグループ。510~520は1979年に小山電車区から沼津機関区に転入したモハ114-800番台とユニットを組んでいた車両を種車としたグループでした。

B編成はその後、103系の転入や編成短縮などによる余剰車の置き換えもあり、1997年までに消滅しました。

D編成1986年11月時点では34編成ある3連のグループで1000番台から組成されていました。当時は三鷹区から転入した300番台で組成された編成はF編成(F1~F6)として区別されていました(2月26日の記事)。

1993-d_20200227184301

1993年編成表データから岡山電車区D編成とこの時点ではG7となった編成はY1として福知山運転所に配置されていました。
黄色で示した編成がG編成に改造されました。

115-g05-020329  

115-g05-020329-3
2002/3/29 岡山 カフェオレ塗装時代のG5編成

1993年時点では1992年に網干区に5本が転出し、F編成はD編成に取り込まれています。さらにこの後1999年、舞鶴線電化用に2本が福知山区に転出しました。1996年には網干区から300番台2本が復帰しますが、2001年、伯備線ワンマン運転用に8本が改造のため分離します(G編成)。また2004年には運用増加でA編成から4本が編入されます。

G編成は上述のD編成から2001年にクハ115(T'c)を外し、モハ114形に運転台を取り付け改造した2連で、赤穂線播州赤穂 - 東岡山間・山陽本線瀬戸 - 倉敷間・伯備線・山陰本線米子地区伯耆大山 - 西出雲間で運用されています。姫路よりの先頭車は国鉄時代に改造されたクモハ115-1500番台ですが、広島より先頭車は切妻型非貫通タイプのクモハ114-1000番台となりました。改造は吹田工場・後藤総合車両所・下関車両センターが担当しました。

モハ114-1098・1102・1117・1118・1173・1178・1194・1196 → クモハ114同番号

115-g08-150803-5
2015/8/3 出雲市 地域色となったG8編成

115-g08-150803
115-g08-150803_20200227190401 2015/8/3 新見 G8編 クモハ114-1196 車内

運転台機器は同時期に廃車されたクハ115形廃車発生品が流用され、ワンマン運転実施のための機器類も設置され、40N体質改善工事も施工されました。パンタは当初1196のみ1基で、他は霜取り用、集電用に2基搭載しています。雪切室が廃止され、主電動機の冷却風は運転室下か取り込みます。2005年7月25日に1196もパンタを2基搭載となりました。

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2020年2月27日 (木)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 岡山電車区配属 115系の歴史 その2 民営化以降 K編成 モハ115/114-3500番台 

今回は民営化以降のJR西日本になってからの岡山電車区配置の115系の歴史ですが、まず最初は

1991年221系が増備され117系の新快速運用が縮小され、一部編成が4連に短縮され、山陽本線岡山地区の快速「サンライナー」や福知山線(JR宝塚線)・奈良線へ転用し、余剰となった中間電動車ユニットを山陽地区に残存した非冷房車置換え名義で115系に編入改造したもので当初11ユニット、2001年に3ユニットの14ユニットが改造され、岡山では3扉クハと7ユニット、下関(当初は広ヒロに)では3000番台クハと7ユニットが編成を組みました。115系と117系では補助電源電圧が異なり、ジャンパ連結器も115系のKE76形3本に対して117系はKE96形1本であるなど互換性がないためM'車からのサービス電源供給にはクハ115形に降圧装置を取り付け、さらにに車端部ツナギを改造したうえで、KE76形とKE96形を直接接続可能な特殊引き通し線を装備しました。

モハ117・116-17・21・23・25・27・29・31・33・35・37・39・303・315・316 → モハ115・114-3501 - 3514

1993-k1k7
1993年のJRR編成表データから 広島より先頭車は非冷房車でした。

115-k03-020329 2002/3/29 倉敷 K3編成 115系と117系のボディのラインの違いがよくわかります。

1997-k1k7_20200226191701  
1997年のJRR編成表データから この頃には4両とも冷房車に
2002-k1k7
2002年のJRR編成表データから 113系から改造された600番台のクハが廃車(-620)、若しくは下関へ転属(-622)となり置き換えられています。

115-k01-130321 2013/3/21 北長瀬 JR西日本 カフェオレ塗装時代のK1編成

115-k07-130321 2013/3/21 北長瀬 地域色となったK7編成

その後、2005年から2007年にかけて体質改善工事、2007年から2009年にかけてATS-P取り付け工事、2005年から2009年にかけてEB・TE装置取り付け、2008年から2010年にかけて吊り手増設、2010年から2012年にかけて映像音声記録装置取り付け、2010年から地域色黄色化が進められ、2015年にK2、K3、K4、K5、K7編成、2016年にK1、K6編成が廃車され、消滅しました。

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2020年2月26日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 岡山電車区配属 115系の歴史 その1 1986年11月改正まで

岡山電車における115系の歴史は古く、1976年に関東地区に冷房付きの300番台が投入され、捻出された基本番台が岡山・広島地区に投入されたのが始まりでした。1978年からはシートピッチ拡大、耐寒耐雪強化された1000番台が新製配置され、1982年には伯備線電化開業に合わせて追加投入も行われました。

19790401115

1979/4/1時点の調査に基づく岡山電車区配置の115系編成データ JRR国鉄電車編成表から

基本番台のモハ115形とモハ114形の番号は93までは揃っています。
昭和40年度第2次債務でクモハ115+モハ114-800が4ユニット、昭和41年度本予算でクモハ115+モハ114-800が13ユニット製造された時点までは乱れませんでしたが、昭和41年度第1次債務でモハ115+モハ114-800が13ユニット、昭和43年度本予算でモハ115+モハ114-800は1ユニット製造されたため、昭和43年度第4次債務で製造されたモハ115は108から、モハ114は94からとなり、14の差が生じてしまいました。基本番台は最終的にクモハ115が17両、モハ115が135両、モハ114が121両、モハ114-800が31両、クハ115が228両、サハ115が37両となりました。因みに800番台は星晃氏の話では山用のヤから800番台になったそうです。
1000番台のユニット番号のズレはクモハ115の製造のためですが、クモハ115とモハ115がパラレルに製造されているため、岡山配置のモハユニットでは差が一定ではありません。

1982年7月時点で6両編成51本計306両(内訳、0番台20編成非冷房車、1000番台31編成冷房車)が配置されていました。その後、1984年の越後線・弥彦線電化開業時や1985年の御殿場線短編成化時に関東地区との間で転配が行われ、1987年4月の分割民営化直前にも関東地区への211系投入で捻出された300番台が岡山電車区に転入しました。

115_tc1156_850418_2
1985/4/18 岡山 クハ115-5,6 を先頭にした基本番台4連 
115系の先頭車の塗分けが111・113系などのようにV字形でないのは、福原俊一氏が星晃氏聞いた話では165系に性能が近いという意味合いが込められているそうです。

19861101115

1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正時の岡山電車区の115系配置は総両数266両で4連のA編成A1~A9、K編成K1~K12、A編成は4両とも冷房車、K編成は広島よりのクハが非冷房車で、クハ111から改造のクハ115-600番台 601から606(すべて非冷房車)を広島方に連結した編成が含まれていました。

115-850418
1985/4/18 岡山 B-3編成 先頭車クハ115-98は前照灯をシールドビームに換装した車両でした。

B編成B1~B12は基本番台で構成される4連でB1編成はクハ115、モハユニットはトップナンバーでした。基本番台で編成を組まないバラが10両ありました。

3連はD編成34本とF編成6本でD1, D3, D5, D6, D8, D10, D15, D16, D17はモハ114がダブルパンタ、それ以外のD編成はモハ114がシングルパンタでした。F編成は300番台で、三鷹区からの転入車は当初、スカ色でした。D編成の姫路よりクモハはモハ115-1000番台に後藤、鷹取工場で運転台ユニットを接合したクモハ115-1500番台 1501~1518・1536~1551でした。そして、御殿場線で運用されていた4連を3連化するために基本番台のモハ115に運転台ユニットをつけたクモハ115-500番台、509-86、520-831がF7、F8が新前橋区、静岡区から転入予定、さらにモハ115/114ユニット1091-1155、1116-1200が鷹取工場入場中でした。クハ115-1400番台は6両編成を短編成化する際に偶数向きクハ115が不足したために、奇数向きのクハ115-1100番台を方向転換し、改番したもので
クハ115-1145・1149・1154・1156・1157 → クハ115-1401 - 1405 とのことです。JR西日本時代にも方向転換改造は行われましたが、改番はされませんでした。

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2020年2月25日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 117系

岡山電車区に配置される車両、今回は117系です。

117-e06-081209-2 2008/12/9 岡山 サンライナー塗装だった頃のE-06編成

これまでに拙Blogでは117系のことを何度か取り上げてきました。現在、岡山電車区には117系4両編成(E編成)6本が配置され、全編成がワンマン運転対応となっています。E-04からE-06の3本が1992年に宮原区から転属してきた0番台編成であるのに対して、E-07からE-09の3本は2015年に下関所から転属してきた100番台編成となっています。

117-e5-190802 2019/8/2 岡山 0番台で構成されるE-05編成

山陽本線(東岡山~三原間)・赤穂線(播州赤穂~東岡山間)で運用されています。メインは快速(サンライナー)での運用ですが、一部、山陽本線や赤穂線の各駅停車での運用もあります。

117-e07-190804-22
2019/8/4 岡山 こちらは100番台のE-07編成 現在は6編成全てがDIC-F92の地域色に

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2020年2月24日 (月)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 JR四国5000系/JR西日本223系5000番台

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行、岡山駅で撮影した車両、今回は213系に続き、瀬戸大橋線「マリンライナー」の運用に就いたJR四国5000系/JR西日本223系5000番台の話題です。

5000-m1-130320
5000-m4-130320 2013/3/20 岡山 M1、M4編成 5100形 Tswc ダブルデッカー2階席はグリーン、1階は普通指定席 JR東日本E217系のグリーン車に運転台を付加した形となっています。電連はM編成では5101の運転台側のみに設置されています(M1編成を中間に組み込んでMMPという形態での運転例があります)。高松よりの運転台後部の平屋席はパノラマシート(G指定席)、岡山よりの平屋部分には車椅子対応席が設置されています。

Dsc02716 2019/8/4 岡山 側面のカラーも車体ごとに異なり、5101〜5103号は青系、5104〜5106号は赤系で、岡山県の民話『桃太郎』にちなんだ3種のエンブレム(「桃太郎とイヌ」 (5101, 5104) ・「桃太郎とサル」 (5102, 5105) ・「桃太郎とキジ」 (5103, 5106) )が描かれています。
5100形は2004年度のグッドデザイン賞(財団法人産業デザイン振興会)およびブルーリボン賞(鉄道友の会)を受賞しています。

2003年10月1日のダイヤ改正に向け、JR四国5000系では1998年N2000系以来5年ぶりの新製車両となりました。編成はMc5000形+T5200形+Tswc5100形の3連で5000形と5200形は川崎重工業製、5100形は東急車輌製造製でM1~M6まで6編成18両が2003年に製造され、高松運転所(四カマ)に配置されました。一方、併結相手のJR西日本223系5000番台は223系2000番台をベースとしてMcクモハ223形+T'c クハ222形、P1~7編成14両が川崎重工業で製造され、岡山電車区(岡オカ)に配置されました。

主要諸元 JR四国5000系
最高運転速度 130 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.3 km/h/s
減速度(非常) 5.2 km/h/s
編成定員 143(立席)+206(座席)=349人
編成重量 109.4 t
全長 20,100 mm(5000形)20,000 mm(5200形)20,860 mm(5100形)
全幅 2,950 mm
全高 3,640 mm(5000形・5200形)4,070 mm(5100形)
車体 ステンレス
台車 軸梁式ボルスタレス台車(ヨーダンパ付)
S-DT63(5000形)・S-TR63(5200形)・S-TR64(5100形)
主電動機 SMT102B型かご形三相誘導電動機
主電動機出力 220 kW
駆動方式 TD平行カルダン駆動方式
編成出力 220kW × 4 =880 kW
制御方式 PWMIGBT-VVVFインバータ制御
制御装置 SPC13
制動装置 電気指令式ブレーキ
回生(純電気式)、抑速付 保安装置 ATS-SS、列車防護無線装置

2235000-p3-081209
2008/12/9 岡山 2007年6月下旬から2010年1月23日まで、ラッシュ対策として5000番台の2両編成に網干総合車両所から貸し出されたサハ223形2000番台が組み込まれ、3両編成化されていました。

Dsc02715
2019/8/4 5001 P-1編成 3+2+2の編成

Dsc02656_20200223082701
早朝などにはP編成、あるいはM編成単独のマリンライナーの運用があります。

主要諸元 JR西日本223系5000番台
最高運転速度 130 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 4.3 km/h/s
減速度(非常) 5.2 km/h/s
全長 20,100 mm
全幅 2,950 mm
全高 3,640 mm
台車 短腕軸梁式(ヨーダンパ・アンチローリング装置付)WDT59(電動車)WTR243(付随車)
主電動機 かご形三相誘導電動機 WMT102B
主電動機出力 220 kW
駆動方式 TD継手式(中実軸)平行カルダン
編成出力 220kW×4=880kW
制御方式 PWMIGBT-VVVFインバータ(静止形インバータ一体型)
制御装置 WPC13
制動装置 電気指令式(直通・回生・抑速)純電気ブレーキ
保安装置 ATS-SW
備考 ATS-P準備工事済み

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2020年2月23日 (日)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 岡山電車区配置の213系 ジョイフルトレイン La Malle de Bois

JR西日本岡山支社は「晴れの国おかやまデスティネーションキャンペーン(DC)」及び「瀬戸内国際芸術祭2016」、岡山市内の「IMAGENEERING ART PROJECT」などに合わせ213系C04編成からサハ213-4を抜き(同車はその後C01編成に組み込まれました)、クハ212-4とクモハ213-4の2両を改造した観光列車「La Malle de Bois(旅行かばん)」を宇野線を中心に導入しました。

Dsc02722_20200222080801
Dsc02724


2019/8/4 岡山


車番はクロ212-7004、クモロ213-7004に改番されました。編成番号はLA1となりました。

Dsc02804 Dsc02805


Dsc02798 岡山電車区から回送されるLA1編成

写真のような白を基調とした外装で車内にはサイクリング自転車などを組み立てた状態で搭載することが可能なサイクルスペースが設置され、地域の特産品とコラボしたグッズや飲料などの販売も行われています。


Dsc02809_20200222081401


Dsc02803
2019/8/4の運用は尾道往復の「ラ・マルしまなみ」でした。

2016年4月9日に岡山 - 宇野間で「ラ・マルせとうち」として運転を開始、岡山DC終了後の7月1日より毎週金曜日に岡山 - 高松間での運転が開始されました。10月1日から岡山 - 尾道間で「ラ・マルしまなみ」としても運転を開始、さらに2017年10月からは、岡山 - 琴平間で、「ラ・マルことひら」としても運転を開始しました。


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2020年2月22日 (土)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 岡山電車区配置の213系

昨日に続いて岡山電車区所属の系列の話題で、今回はJR西日本ではここにしか居ない213系0番台の話題です。

213-871012
1987/10/12 岡山 瀬戸大橋線が開業する前に3連x3の9連で宇高連絡快速運用に就いていた頃の213系

213系は国鉄最後の新系列車両で0番台が岡山地区向けに1987年から1988年にかけ製造されました。211系の20mステンレス製軽量車体に117系100番台のように片側2カ所の両開き扉と2枚1組の一段下降式ユニット窓を配置しました。前面はFRP製のマスクが採用されました。客室からの前面展望に配慮し、前面窓は助手席側と貫通扉の窓が下方に拡大されました。
軽量ステンレス製車体のため編成重量が小さくなり、MM'ユニットではなく1M方式で3両1M2T(Mc-T-T'c)が基本組成となりました。抑速ブレーキも搭載されており、25‰での運行も可能であるため、瀬野八本松間も運行可能となっています。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h 130(曲線通過+20)km/h(U@tech)
減速度(常用) 3.5 km/h/s 4.3 km/h/s (U@tech)
減速度(非常) 5.0 km/h/s 5.2 km/h/s (U@tech)
車両定員
座席60・立席8(クモハ213形0番台原形車)
座席64・立席8(サハ213形0番台)
座席58・立席8(クハ212形0番台)
座席40・立席0(クロ212形)
座席42・立席72(クハ212形100番台)
非営業車両(事業用)(サヤ213/クヤ212形U@tech)
自重
37.3 t(クモハ213形0番台)
24.1 t(サハ213形0番台)
26.5 t(クハ212形0番台)
33.0 t(クロ212形)
26.7 t(クハ212形100番台)
全長 20,000 mm
全幅 2,966 mm (クロ212形以外)2,950 mm (クロ212形)
全高 4,090 mm (クロ212形以外)3,670 mm (クロ212形)
車体 ステンレス 普通鋼(クロ212・クヤ212形)
台車 DT50B・TR235B(0番台)WTR235(クロ212形)WTR235BX(サヤ213形)WTR235XB(クヤ212形)
主電動機 MT64
保安装置 ATS-SW(岡山電車区所属車)ATS-SW・ATS-P (U@tech)

1987年3月に岡山電車区の115系老朽車取替えのため、Mc-T-T'cの3連8本(C-1からC-8)が製造され、投入されました。製造は近畿車輛・川崎重工業・日本車輌製造・東急車輛製造・日立製作所でした。翌年開業予定の本四備讃線(瀬戸大橋線)用車両の先行投入で、宇野線宇高航路連絡快速列車11往復で運用が開始されました。


213-ts2121-020329-2
2002/3/29 岡山 クロ212-1を先頭にした「マリンライナー」

1988年3月の瀬戸大橋線開業時には「マリンライナー」として運行されることとなり、クロ212形、クモハ213形、サハ213形そして、「スーパーサルーンゆめじ」用3両編成が製造され、編成が組み替えられ、1989年3月時の「マリンライナー」増発時の増備でMc-T-Tscx5、Mc-T-T'cx6、Mc-T'c-T'cx1、211系2両を含む3連13本39両の体制となりました。
2003年10月1日のダイヤ改正で「マリンライナー」はJR四国5000系/JR西日本223系5000番台に置き換えられることとなり、213系は同列車の運用から離脱しました。

Dsc02689
2019/8/4 岡山 サハが抜かれ2連となったC-03編成


Dsc02749 2019/8/4 岡山 3連のまま残されたC-06編成

Dsc02646_20200221205201
2019/8/2 岡山 サハ213-7から改造されたクハ212-101

それに伴い、改造/廃車が発生し、C01編成のサハ213-1はサヤ213-1(U@tech)に改造され、C02,C03編成のサハは廃車、C07-C11編成のクハ212-100番台はサハ213から改造されました。クロ212-1はクヤ212-1に改造され、サヤ213-1と編成を組み、技術試験車U@techとなりました。この技術試験車U@techも2019年3月31日付けで廃車となっています。現時点で岡山電車区に配置されている213系は28両で2012年から2015年にかけ、吹田総合車両所で体質改善工事が施工されました。

工事内容は通風器撤去、スカートの変更、つり革と手すり、座席モケットを225系に準じたデザイン・材質へ更新、吊り手増設、袖仕切りの大型化、和式トイレを車椅子対応の洋式トイレに変更、乗降口床面の黄色塗装、車椅子スペースの整備、ドアチャイムの設置、乗降扉のガラスを単板ガラスから複層ガラスに変更、乗降扉に半自動機能の追加、行先表示器のLED化、乗降扉の上にLED式の車内案内表示装置を配置、乗務員室と客室との仕切り扉を引き戸に変更 でした。


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2020年2月21日 (金)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 岡山電車区配置の113系の歴史

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行、福塩線電化区間を旅した後は、福山から山陽本線で岡山に戻りました。山陽本線のこの区間は以前から105系、115系、117系、213系などが活躍していました。最近は他所から転属してきた113系をよく見る状況となって来ました。そこで今回の記事では岡山電車区における113系の歴史について触れようと思います。

2008
手元の編成表で岡オカに最初に113系が登場するのは2008年の編成表で、2007年度に入り京都総合運転所からB1,B2の2編成を借り入れたのが始まりです。

2009
2009年の編成表ではさらに2編成増えます。
2011

113700_7409291974/9/29 京都 湖西線開業直後、京都駅で撮影した113系700番台

2011年の編成表では1編成減ります。これらの編成は1974年の湖西線開業時に700番台として登場した寒冷地仕様のグループに1991年から高速化改造が施工され5700番台となった編成です。

2012

2012年の編成表ではこれら3編成の高速化は解除され、番号も現番号700番台に復帰しています。

113-b07-130320-2_20200220201301
2013/3/20 岡山
2014
2014年の編成表ではそれまで借入車だったものが本配置となり、メンバーもがらりと替わっています。前歴を見ると日根野から転出してきたクハと広島から転出してきたモハユニットを組み合わせて新たな編成となっています。2000番台はシートピッチ拡大者です。

2017
2017年の編成表では宮原からの転入車も加わっています。

113-b14-190802
2019/8/2 倉敷
115-pb15-190802
2019/8/2 倉敷

Latest

113-p14-150802
2015/8/2 新山口 通称カフェオレ塗装時代のP-14編成

そして最新の編成表では下関からの編成も加わり、13編成体制となっています。

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2020年2月20日 (木)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 3 福塩線の旅 府中以北を担当するキハ120形

福塩線の旅、府中か~塩町間は非電化で、列車頻度は1日定期列車が6往復、特定日に運行される列車が1往復です。2019年3月改正のタイヤでは以下のようになっています。府中から塩町方面の列車は全て三次までですが、三次から府中方面の列車には広島から芸備線経由でやって来る列車が2本あります。

Photo_20200219130701

2019年3月改正の府中~三次間列車時刻表

Dsc02049
2019/8/2 府中 キハ120-324

Dsc02053

Dsc02058エンジンはコマツ SA6D125-H1 330PSで変速機は変速1段・直結2段(自動切替)ブレーキは自動空気ブレーキ・機関ブレーキ併用

Dsc02057
台車は軸ばね式インダイレクトマウント空気ばね台車で駆動側がWDT54 付随側がWTR238

車輛は下関総合車両所広島支所配置、三次鉄道部常駐のキハ120形0番台3両(6・17・21)、300番台7両(320・322・324・326・327・332・333)が担当しています。キハ120形は3次に渡って製造され、最初に登場した1次車が200番台、2次車が0番台、3次車が300番台でした。2次車はロングシート、1,3次車はクロスシートです。同所のキハ120形は芸備線広島駅~備後落合駅間の運用も担当しています。

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2020年2月19日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 3 福塩線の旅 福塩線に配備された105系の歴史

拙BlogではこれまでにJR西日本の可部線、宇部線、小野田線、奈良線、桜井線、和歌山線などで活躍する105系を取り上げてきました。

105系は3大都市圏の活躍する通勤電車の新性能化がほぼ完了した1980年以降、MM'方式の新性能車両では置き換えにくい2両編成でMT比を1:1にするために電動車1両に走行機器を集約させた車両系列として1981年から1990年にかけて製造、投入されました。

総数は新造60両(3扉車)、103系からの改造編入車(4扉車)66両でした。
クモハ105-1~27
 モハ105-1~4
 クハ104-1~25
 サハ105-1~4

新規製造車はクモハ105形-クハ104形の2両編成とクモハ105形・サハ105形・モハ105形・クハ104形の4両編成の2種類の編成形態、さらにクモハ105単独の増結用があり、福塩線用には4連4本、2連4本の計24両が配置されました。残りは宇部、小野田線用に宇部電車区に配置されました。
しかし、運用合理化で4連のモハ、サハには1984年から1985年にかけて新造車と同一の運転台を取り付け、クモハ、クハ化する改造工事が施工されました。
モハ105-1~4 → クモハ105-28~31
サハ105-1~4 → クハ104-26~29
1984年には可部線の72系置き換え用に両電車区からクモハ105系2両、クハ104形5両が広島運転所に転出しました。

1986年の国鉄電車編成表によると、府中電車区の配置編成は
クモハ105-クハ104
  1    1
  2    2
  3    3
  4    4
  5    8
  6    27
  7    28
  8    29
 28     5
 29     6
 30     7    となっています。

投入当初は非冷房でしたが、1990年から1992年にかけWAU202で冷房化されました。 
1993年の編成表では構成は変わりませんが、クモハ105-1から7までの編成が山陽本線岡山~糸崎・府中用、他の編成が福塩線専用となっています。
1997年の編成表では編成番号が振られ、クモハの番号順にF1からF9となっており、クモハ105-30-クハ104-7の編成がF10,クモハ105-29-クハ104-6の編成がF11となっています。F1からF7までが山陽本線乗り入れ、F8からF11が福塩線専用は変わりません。
1998年3月14日のダイヤ改正でそれまで山陽本線乗り入れと福塩線専用に分かれていた編成が全編成山陽本線乗り入れ可能となりました。1998年10月3日のダイヤ改正で府中鉄道部から岡山電車区に転入し、
1999年3月13日のダイヤ改正では伯備線新見まで乗り入れ、

105-f05-020329
2002/3/29 岡山 伯備線に乗り入れていた頃の105系

105-f11-020329
2002/3/29 倉敷 

2001年10月1日のダイヤ改正では赤穂線、宇野線でも運用されるようになりました。
2004年の編成表では宇部電車区のU7編成(31-26)が岡山に転入し、F12となりました。
2004年10月16日のダイヤ改正で宇野線、赤穂線、伯備線の運用が消滅しました。これらの運用はワンマン化された213系に置き換えられました。
2007年の編成表ではF4, F5, F6、F9、F10編成が和歌山列車区に転出していますが、クモハ105-522-クハ105-12をF13編成として借り入れています。さらにF1,F2,F7,F11(29-6の編成)改めF10のクハ104にWCが取り付けられています。
2008年の編成表ではクハへのWC取り付け工事は終了し、30年延命工事も完了しています。
2011年の編成表では冷房装置がWAU102に変更、さらに補助電源装置がF1,2,7,8,12がWSC40、F3,10編成がWSC23Aに換装されています。この頃、各編成にTE装置(緊急列車防護装置)や運転状況記録装置が取り付けられています。
F1  1   1 
F2  2   2 
F3    3      3
F7    7     28
F8    8     29
F10  29     6
F12  31    26      

Dsc02055

Dsc02065Dsc02064
2019/8/2 府中 F1編成

編成の構成は2004年以降、変わりませんが、地域色黄色化が2010年8月6日出場のF10編成から開始され、最後まで残ったF1編成も黄色化されています。
検査等で編成が不足する際は福塩線の4両編成(2連併結)を113系B編成、115系A編成が代走することがあります。

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2020年2月18日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 3 福塩線の旅 福塩線の歴史

井原鉄道を清音から神辺まで走破した後は、JR福塩線の電化区間の終点、府中まで行きました。

190802_20200217200101
2019/8/2 神辺駅 府中方面列車時刻表

190802_20200217195701
2019/8/2 府中駅駅名標

Dsc02060
府中までは電化区間で105系が来ていますが、此処から先、塩町方面は非電化区間でキハ120形が走っています。列車の運行頻度もかなり下がります。

まずは福塩線の歴史ですが、2月16日の記事にあるように福山(当時は両備福山)~府中(当時は府中町)間(22.05km)は1914年7月21日両備軽便鉄道が開業した軌間762mmの軽便鉄道(特殊狭軌線)でした。1927年6月27日に直流750Vで電化されました。1930年11月14日、昭和天皇の陸軍大演習統監のため、道上駅~万能倉駅間に正戸山臨時乗降場がこの日のみ開設され、両備福山駅 - 正戸山駅間では軽便鉄道としては史上唯一、お召列車が運転されました。1933年9月1日、両備福山駅 -府中町駅間が国有化され、福塩線となりました。同年11月15日、田幸駅(現、塩町駅)~吉舎駅間10.7kmが開業し、1935年12月14日、吉舎~上下間が延伸し、それぞれ福塩南線、福塩北線と改称されました。1938年7月28日、上下~府中町間が開業し、福塩線として全通となりました

Dsc02052
一時は隣の下川辺まで電化されていましたが、今は架線は撤去されているようです。

1954年4月10日、電化区間が下川辺まで延伸されますが、1962年4月1日、この区間の電化は廃止となりました。1956年12月20日、府中町は府中に改称されました。

105-850418
1985/4/18 福山 導入当初の105系

Dsc02067 お城の下から105系が出発する姿

福塩線といえば私も山陽本線を旅したときに福山城の下に停車する旧形国電を見た記憶がありますが、1981年2月11日105系の運用が開始され、最後まで活躍していた70系などは1981年3月1日で運用を終えました。
1991年4月1日、福山~塩町間の岡山支社から府中鉄道部の直轄に変更され、府中~塩町間でワンマン運転が開始されました。1992年3月14日、福山~府中間もワンマン運転となりました。1999年1月11日、井原鉄道井原線の開業で同線からの片乗り入れが開始されました。2002年3月23日、府中駅構内以外~塩町間が府中鉄道部の管轄から広島支社三次鉄道部の管轄となり、2008年6月、府中鉄道部は廃止され、福山駅構内以外~府中駅間はせとうち地域鉄道部の管轄となりました。2017年6月1日、せとうち地域鉄道部が廃止され、福山駅~府中駅間は岡山支社直轄となりました。

2018年7月5日平成30年7月豪雨では全線が運休になり、7月10日の神辺~府中間の復旧を嚆矢に、7月21日には神辺~福山間と徐々に運転を再開して行き、全線で再開できたのは12月13日でした。本来、2018年8月全線開業80周年記念イベントを開催し、記念臨時列車が運行される予定でしたが、2019年3月3日に延期されました。

因みに府中駅は東京では京王線にあり、東京都の府中市、広島県の府中市と同名の市が2つありますが、こういった例は現在、府中市と伊達市(北海道と福島県)の2例で、過去には若松市(福島県→現、会津若松市と福岡県→現、北九州市若松区)があり、3例目ということです。府中市の場合、市制施行時期も近く、広島県府中市が1954年3月31日、東京都府中市は1954年4月1日とのことです。

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2020年2月17日 (月)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 2 井原鉄道の駅

井原鉄道井原線、最後は同線のいくつかの駅について紹介します。

130321 2013/3/21 総社 倉敷方向 今回の旅では訪問しませんでしたが、2013年3月に岡山を訪問し、吉備線に乗車した際に撮影していました。

最初は起点駅の総社駅です。この駅は1925年2月17日、伯備南線倉敷~穴粟(現、豪渓)間が開業した際に西総社駅として開業しました。同年8月7日中国鉄道の吉備線が旧総社駅(現、東総社)から当駅まで延伸し、乗り換え駅になりました。総社と改称されたのは1959年11月1日のことでした。1999年1月11日に井原鉄道井原線が開業し、JR西日本と井原鉄道の共同使用駅、JR西日本直営、井原鉄道は無人駅となりました。
0番線 吉備線(桃太郎線)1番線ホームの切り欠き部分
1.2番線 伯備線上り 2番線は特急通過待ちの普通列車待避線であり、桃太郎線の出発列車もあります。
3番線 伯備線下り
5.6番線 井原鉄道

清音駅は2月13,14日の記事で写真が登場していますが、開業は総社駅と同じ1925年2月17日 です。
1番線 伯備線上り、井原線下り(行き違い時)
2番線 井原線 上り・下り
3番線 伯備線 下り

190802_20200216104501  
吉備真備駅の駅名標に登場する人物は奈良時代の政治家・学者の吉備真備(きびのまきび)で716年遣唐使に任命され、717年に阿倍仲麻呂、玄昉 らと入唐し、735年に帰路に就き、多くの典籍 (経書(『唐礼』130巻)、天文暦書(『大衍暦経』1巻、『大衍暦立成』12巻)、日時計(測影鉄尺)、楽器(銅律管・鉄如方響・写律管声12条)、音楽書(『楽書要録』10巻)、弓(絃纏漆角弓・馬上飲水漆角弓・露面漆四節角弓各1張)、矢(射甲箭20隻、平射箭10隻)を携え帰朝しました。752年から753年にかけても再度、遣唐使として唐を訪問しています。

190802_20200216110701
井原駅の駅名標、生憎、下の方が切れていますが、当地は1185年の源平合戦・屋島の合戦で平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした那須与一ゆかりの地だそうです。駅舎のデザインも那須与一の弓矢を模しているそうです。昨日の記事で紹介した井笠鉄道の本線・川辺線は井原駅でスイッチバックしていましたが、両線を結び、井原駅から南下した線が交わる地点に現在の井原駅があるそうです。

190802_20200216112201
井原線の乗車し、岡山県から広島県に入って最初の駅が御領(ごりょう)駅です。駅名標のイラストには堂々公園と鬼伝説が描かれています。江戸時代元禄13年(1700年)から普請が始まった砂防堰堤(砂留:すなどまり)がこの地には多く残されており、その6番目の砂留上流部の堆砂敷を利用して造られたのが堂々公園です。御領山の鬼伝説に関してはこちらのサイトに。

190802_20200216115101
終点、神辺駅は昨日の記事にあるように1914年7月21日、両備軽便鉄道の駅として開業し、高屋線の分岐駅となりました。二上がり踊りはお盆の8月13日から15日にかけて福山駅前大通り・久松通りで行われる「福山夏祭り」で踊られるもので、1961年4月18日、県の無形文化財に指定されました。文化文政時代から江戸詰の備後福山藩士によって江戸から伝わったとされています。

井原鉄道の車両は神辺駅で折り返さず、数往復福山まで直通しています。

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2020年2月16日 (日)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 2 井笠鉄道の路線と歴史

岡山県西部と広島県東部を結ぶ井原鉄道、2月13日の記事でちょっと触れましたが、かつて山陽本線笠岡駅から井原駅間19.4km(本線)、途中の北川駅から東方の矢掛駅まで矢掛線(5.8km)、井原駅でスイッチバックして、西方の神辺駅まで神辺線11.8km(神辺線)、いずれも軌間762mmの軽便鉄道、井笠鉄道が通っていました。路線図はこちらのサイトに。

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井笠鉄道1911年7月1日井原笠岡軽便鉄道として設立され、1913年11月17日本線笠岡~北川~井原間が開業しました。1921年10月25日矢掛線矢掛~北川間が開業、1925年2月7日高屋線井原~高屋間が開業しました。本線は通勤・通学の手段として、あるいは沿線で開催される縁日の参拝客、桃や柿などの特産品の輸送手段として地域の観光や産業の発展に貢献しました。一方、高屋線は紡績業の盛んだった井原町と西国街道の宿場が置かれ機業地だった高屋町を結ぶ紡績ネットワークの基幹路線として貢献しました。
一方、広島県側では1911年12月12日に設立された両備軽便鉄道が広島県東端の城下町福山と神辺、府中、高屋を結ぶ路線を企画し、まず1914年7月21日、福山~府中町間が開業、神辺~高屋7.8kmは1922年4月9日に開業しました。3年後に、井笠鉄道高屋線が開業し、両社は連結器の規格を揃えて、直通運転を開始しました。1933年9月1日、鉄道省が両備鉄道を買収することになりますが、買収の対象となったのは後の福塩線となった福山~府中町間で、高屋線は対象から外れました。そこで設立されたのが神高(じんこう)鉄道株式会社で神辺~高屋間と高屋から井原方面への乗り入れを経営する会社となりました。

もともと沿線人口が少なく、支線として建設された路線の営業では単独での存続は難しいと考えた経営陣は自社線と関連資産を井笠鉄道に売却しようとしますが、神高鉄道の窮状を熟知している井笠鉄道は、提示された価格の半額での買い取りを主張、両者の意見が合わず、神高鉄道は1937年12月9日、会社の解散と路線の廃止を鉄道省に申請しました。この事態は沿線自治体、県にとっても衝撃の事態となり、2年にわたって事態が紛糾した結果、鉄道省監督局が仲介に乗り出し、交渉が成立し、1940年1月1日に神高鉄道線は井笠鉄道に譲渡され、井原~神辺間11.8kmが神辺線となりました。

神辺線では軌道自動車といわれる単端式気動車が単行、もしくは1,2両の客貨車を牽引し、両ターミナル駅で機回しを行う運行方式が四半世紀続きましたが、モータリゼーションの進展による乗客数の減少、鉄建公団による国鉄吉備線の延長線の高規格鉄道路線の建設計画も明らかとなり、路線を譲る形で1967年4月1日、矢掛~北川、井原~神辺間が廃止されました。一方、井原~笠岡間の本線は戦前は蒸機牽引、戦後、気動車が導入され、客車と貨車の混合列車が高頻度で運転されていましたが、1971年4月1日に廃止となりました。廃止時には気動車8両、客車10両、貨車10両が在籍していました。笠岡市山口1457-8にある井笠鉄道記念館に当時の車両や貴重な資料が保存展示されているようです(サイト)。
路線図を紹介した津島軽便堂写真館さまのサイトに日本にかつて存在した多くの軽便鉄道の貴重な写真が収録されています。

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2020年2月15日 (土)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 2 井原鉄道の車両 IRT355形 200番台 「夢やすらぎ」号 他

2019年8月2日は清音発9:48の神辺行きに乗車し、まず車内には「夢やすらぎ」号の紹介ポスターが掲示されていました。

190802-irt35506
このポスターを見て、水戸岡鋭治氏が岡山県出身であったことは初めて知りました。

Irt355201-190802

Irt355201-190802-3
Irt355201-190802-4
そして途中駅で行き違う車両を逃さず、見ていたところ、10:03に三谷駅ですれ違った車両がIRT355-201「夢やすらぎ」号でした。

今回は偶然の出会いでしたが、同車両の運行予定はこちらのサイトに情報があります。
車内の様子に関してはこちらのサイトの記事が参考になります。

その後、井原駅で交換した車両は昨日の記事の写真にあるようにIRT355-05でした。

Irt355-190802
Irt355-190802-4
その他の車両は雲の里荏原と井原間にある車両基地に停車していました。手前の3両の一番こちら寄りの車両がIRT-100番台101であることが、宝くじ号の表記があることから分かります。

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2020年2月14日 (金)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 2 井原鉄道の車両 IRT355形 基本番台

井原鉄道は非電化の路線のため、気動車が使用されています。新潟鐵工所、新潟トランシス製のIRT355形で、Ibara Railways Train からIRT、355は出力355PSから取っています。

Irt35506-190802 2019/8/2 清音駅に接近する伯備線列車から撮影したIRT355-06 9:48発の神辺行き

Irt35506-190802_20200213185901

IRT355-06の運転席

Irt35506-190802_20200213185902
客室内

1999年の開業当初、新潟鐵工所製のNDCシリーズ(トイレ付)が0番台として10両、さらにイベント用車両100番台2両の12両体制でスタートし、2005年に水戸岡鋭治氏デザインの「夢やすらぎ号」が200番台で1両増備されました。2015年に-07が廃車となり、ミャンマーに譲渡されました。

Dsc02025
2019/8/2 井原駅で交換待ち

Irt35505-190802
Irt35505-190802-3
交換列車はIRT355-05でした。

主要諸元

最高速度 95 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 3.5 km/h/s
車両定員
0番台(一般車両):110名(座席49名、立席61名)
100番台(イベント車両):94名(座席42名、立席52名)
200番台(特別企画車両 "夢 やすらぎ"):101名(座席47名、立席54名)
自重 29.0t(0番台、100番台)29.8t(200番台)
積車重量 35.2t(0番台)34.3t(100番台)35.4t(200番台)
最大寸法(長・幅・高) 18,000 × 3,188 × 4,045 mm
台車 ボルスタレス空気ばね台車
NP131D(動台車)、NP131T(付随台車)
機関出力 355PS/2100rpm × 1
コマツ SA6D125H-1A
変速段 変速2段、直結3段(自動切換)
駆動方式 液体式(コマツ KTF-3335A-2A)、片台車2軸駆動
制動装置 機関ブレーキ併用電気指令式ブレーキ 排気ブレーキ
保安装置 ATS-SW、EB装置

Dsc02037
終着 神辺駅に到着

ステンレス製、全長18mの車体にターボチャージャー、インタークーラー付き355PSの機関、変速2段、直結3段のトルクコンバータを組み合わせ、高性能化された車両です。トイレはFRP製ユニット式で真空式汚物処理装置付き和式となっており、床下に汚物タンクが設置されています。暖房はエンジン排熱を利用した温水温風ファンが客室に8台、運転室に2台設置されています。冷房は機関直結式で、15,500kcal/hの屋根上ユニットを2台搭載し、車内換気は電動換気扇が搭載されています。

基本番台はドア付近にロングシート、車両中央部に固定式クロスシートが配されたセミクロスシート、100番台は全席転換クロスシート、200番台は基本番台同様のセミクロスシートですが、木の温かみを生かした室内構成となっています。

明日の記事ではIRT355-201「夢やすらぎ号」の写真を載せます。

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2020年2月13日 (木)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 2 井原鉄道井原線 

2019年8月の旅行、水島臨海鉄道に乗車した後は倉敷から伯備線列車に乗り、7.3km先の清音駅に向かいました。

Photo_20200212205801

Yahooの地図から 井原鉄道の路線付近の地図

Dsc01998 車内に掲示されている路線図

倉敷駅から高梁川に沿って北上する伯備線に対して、清音駅の南側で小田川に沿って西へ向かうのが井原鉄道井原線です。接続駅は清音駅ですが、総社~清音間はJR西日本と井原鉄道の重複路線となっています。この区間3.4kmは、JR西日本が第一種鉄道事業者、井原鉄道が第二種鉄道事業者です。

Dsc01980
2019/8/2 伯備線 清音駅 駅名標

Dsc01981 井原鉄道清音駅入口

Dsc01982井原鉄道の清音駅は伯備線清音駅の2番線の一部となっています。

Dsc01986_20200212210301

清音を出発し、神辺方面に向かう列車の後方展望 伯備線上下線の間から西方に曲がり、下り線をオーバクロスし、

Dsc01995

長大な鉄橋で高梁川を渡ります。鉄建公団が手掛けた工事のため、国鉄の雰囲気が漂う規格となっています。

Dsc02000 運賃表 清音から神辺までは1010円でした。

清音から分岐し、神辺に向かう38.3kmの路線は国鉄が吉備線の延長路線として計画していたもので、井原から先、神辺までは井笠鉄道の路線(軽便鉄道)神辺線でした。1966年5月14日に国鉄井原線として起工式が行われ、工事に着手しました。1967年には井笠鉄道神辺線・矢掛線、1971年には本線が廃止となり、井笠鉄道の線路跡は鉄建公団が買収し、井原線として活用されることになりました。しかし、1980年国鉄再建法施行で国鉄井原線は建設中止となりました。

Dsc02042 福塩線 神辺駅 駅名標

Dsc02045
福塩線対向式ホームの東側に井原鉄道のホームがあります。

1986年、地元の岡山・広島県と周辺自治体が「井原鉄道」を設立し、既に完成していた高架橋や路盤を利用し、1987年から工事が再開され、1998年6月30日にレールが締結され、1999年1月11日に総社~清音~神辺間が開業となりました。

2018年7月6日平成30年7月豪雨の影響で沿線は高梁川や小田川、同支流の決壊で甚大な被害が出たのは記憶に新しい災害でした。

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2020年2月12日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 1 水島臨海鉄道の前面展望 倉敷市から三菱自工前まで

水島臨海鉄道、最後は倉敷市から三菱自工前までの前面展望です。写真のピントが甘い点はご容赦を。

2019年8月2日は倉敷市7:18発の列車で三菱商事自工前まで乗車しました。同社のWEBサイトに時刻表が掲載されていますが、鉄道ファンサービスなのかキハ37,38,30などの旧国鉄車両で運転される予定の列車は青ラインで示されています。

190802_20200211135601  
7:19 倉敷市を発車した列車は山陽本線と平行に南西へ進みます。

190802-2
倉敷市~球場前間 この渡り線は水島臨海鉄道の貨物列車が山陽本線岡山貨物ターミナルに乗り入れる際や、機関車の検査、あるいは旅客車両の甲種輸送で通過するための連絡線です。球場前駅手前で山陽本線と別れ、南に向かいます。

190802_20200211140301
7:25 西富井 倉敷市を出て最初の交換可能駅です。トラス橋は国道2号岡山バイパスをオーバークロスするためのものです。この道路の建設工事のため、1973年に西富井駅は倉敷市側に400m移転しました。

190802_20200211141501
7:41 常盤駅を出発し、水島駅へ この区間は港東線への分岐もあり、複線のような線形に

190802_20200211142001
7:44 水島駅を発車、左に分かれてゆくのが港東線、東水島駅(貨物)方面 三菱自工前方面へは大きく右にカーブします。

190802_20200211142301
7:45 定刻に三菱自工前駅に到着 線路はまだだいぶ続いています。

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2020年2月11日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 1 水島臨海鉄道の車両 DE701

水島臨海鉄道の車両、今回はディーゼル機関車のDE70形701号機です。

De701-190802
2019/8/2 港東線内で待機するDE701号機牽引コンテナ列車 水島~三菱自工前間の車窓から

この機関車は1971年4月に川崎重工業で新製された70tタイプの機関車で、国鉄DE11形と同形機です。
1960年代後半、高度経済成長に伴う、鉄道貨物輸送量の増大で貨物ヤードにおける貨車入れ換え、ハンプ押し上げ作業を蒸気機関車に寄るものから無煙化するためにDE10形をベースにまず試作機DE10 901が製造され、その運用結果を基に重入換専用機としてDE11形が登場しました。
DE10からの変更点としては本線上で客車などを牽引しないことから、SGを省略、重連総括制御機能とジャンパ栓が省略されました。2エンド側にはコンクリートの死重が搭載され、自重は70tとなりました。

エンジンはDML61ZAでDMF31系エンジン(DMF31S)を2組V型に配置した12気筒エンジンでDD51形に搭載された1000馬力のDML61Sに中間冷却器を付加し、クランク軸受けを拡幅・強化した1100馬力のDML61Zへ発展、そして冷却水回路やピストンを改良・強化した1250馬力のDML61ZAとなりました。さらに噴射ポンプのプランジャー径を拡大し予燃焼室を改良、圧縮比を上げて燃焼効率を改善し、クランク軸受けにコロ軸受けを採用したのが1350馬力のDML61ZB でDE10,DE11,DE15にも搭載されました。1970年にはDML61ZBをベースに4気筒増やしV型16気筒2000馬力にしたのがDMP81ZでDE50形に搭載されました。残念ながら試作で終わりましたが。因みに20系客車の電源車マニ20にはDMF31S-Gが搭載され発電用として使用されました。

液体変速機はDE11同様、高速段、低速段切替が可能です。JR線に乗り入れ、岡山貨物ターミナルまでの運用があるために、水島臨海鉄道用無線機とJR用Cタイプ列車無線機、防護無線装置が搭載され、それぞれに対応した列車無線アンテナも設置されています。

190802_20200210184101
2019/8/2 常盤駅から

全般検査は国鉄・JRの工場に委託されており、国鉄時代は鷹取工場、JR発足後はJR貨物広島車両所で施行されています。

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2020年2月10日 (月)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 1 水島臨海鉄道の車両 MRT300形

水島臨海鉄道の車両、今回はMRT300形気動車です。

Mrt301-190802_20200209083201
2019/8/2 倉敷市 MRT301

新潟鐵工所のローカル線向け軽快気動車「NDC」のメカニズムをベースに輸送量の多い通勤・通学路線向きに通常型気動車同等の21m大型車体の気動車で1995年2月11日に301・302、1995年11月29日に303・304、そして1996年11月22日に305・306が導入されました。

Mrt302-190802
2019/8/2 西富井 MRT302

Mrt304-190802
2019/8/2 弥生

主要諸元

最高速度 95km/h
車両定員 149名
自重 33.2t(空)・41.6t(積)
最大寸法 (長・幅・高) 21,300×3,140×3,980
台車 ボルスタレス台車 NP129D(動力)・NP129T(付随)
機関出力 330ps(DMF13HZ)×1 / 両
変速段 変速1段・直結2段(TACN-22-1611)
駆動方式 液体式
制動装置 電気指令式ブレーキ 直通予備ブレーキ
保安装置 ATS-SM

Mrt301-190802_20200209083701
MRT301の運転席周辺

Mrt301-190802-2
ワンマン運転対応設備もあります。

Mrt301-190802-2_20200213214901  
MRT301の車内

車体両端2カ所に片開きドアがあり、トイレはありません。クロスシートとロングシートが千鳥形に配置され、冷房も機関直結式冷房装置が設置され、温水温風ファンの暖房装置も装備されています。

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2020年2月 9日 (日)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 1 水島臨海鉄道の車両 キハ37形 

水島臨海鉄道の車両、まずはキハ37形です。キハ37 101-103の3両が在籍しています。私が訪問した日は101と102が2両併結で運用に入っていました。塗色は写真のような水島臨海色と言われる空色に青色の帯の入ったものでした。もう一両の103とキハ38形104は国鉄標準色を纏っています。

37-101-190802-2
2019/8/2 三菱自工前 キハ37 101

37-102-190802
2019/8/2 常盤 キハ37 102

キハ37形は国鉄が1983年に製造した気動車です。キハ40系列を導入後、問題とされたローカル線での動力性能以外の構造・設備の過剰さ、新造費の高さ、機関と変速機の陳腐化、車両重量の割に出力が小さいこと、燃費の悪さ、整備費など維持費の高さなどに対処するため、地方線区の実情に合わせた性能と製造・維持コストの低減に注力し、標準搭載される装備を最小限に抑え、地域にあった装備を地域の特徴に合わせて取り付けられるように設計された車両として試作的に5両製造されました。

主要諸元
最高速度 95 km/h
車両定員 0番台:138人
1000番台:146人
自重 0番台:31.6 t
1000番台:30.7 t
全長 20,000 mm
車体幅 2,800 mm
床面高さ 1,260 mm
台車 DT22E・TR51D
動力伝達方式 液体式
機関 DMF13S
機関出力 210 PS
制動装置 自動空気ブレーキ

国鉄気動車としては初の直噴式ディーゼルエンジン(国鉄制式名DMF13S、新潟鐵工所、現IHI原動機が開発した船舶用高速エンジンを鉄道車両用に設計変更したもので縦型6気筒OHV、排気量13リットル、過給器装備(210PS,600rpm)、新潟鐵工所名は6L13AS)を搭載しました。従来のエンジンに較べ、小型軽量で高出力、冷間時の始動性も向上しました。

国鉄形式でDMF13Sを採用したのは本形式が唯一で縦型エンジンのため、レール面から床面の高さがキハ35の1215mmに較べ、1260mmと高くなり、床面点検口も復活しました。

37-101-190802 キハ37101の車内 長ーいロングシート

片運転台式ロングシート、片側片引き戸2扉で便所付き(定員138人、座席64人)が0番台、1(新潟鐵工所製),2(富士重工業製)、便所無し(定員146人(座席64人)が1000番台、1001(新潟鐵工所製)、1002、1003(富士重工業製)でしたが、製造後、地方交通線が相次いで廃止となり、キハ58系やキハ40系が大量に余剰となったため、設備投資の抑制方針もあり、量産形が登場することはありませんでした。

37-101-190802_20200209054401
後付けされた冷房装置 この部分の荷棚は使用出来ません。

ベンチレータは押し込み形で天井に扇風機が設置され、後年、バス用の機関直結式冷房装置を流用した冷房化改造が施行されました。製造時からワンマン化改造可能な設計になっていましたが、国鉄・JR在籍中はワンマン化改造はなされませんでした。

1と1001が大阪鉄道管理局管内の姫路第一機関区に配置され、加古川線、高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線で使用されました。民営化後、JR西日本に継承され、1994年に冷房改造され、1999年に後藤総合車両所に転属、山陰本線や境線で活躍し、2009年1月29日付けで廃車となりました。後述のJR東日本に継承された車両のようにエンジンの換装もされませんでした。

37-1002-090215

2009/2/15 木更津 久留里線で活躍していた頃のキハ37 1002  現、キハ37 102

37-2-120211-3

2009/2/15 木更津 キハ37 2  現、キハ37 103

2、1002、1003は千葉鉄道管理局管内の桜機関区木更津支区に配置され、久留里線および木原線で使用され、JR東日本に継承、1999年から2000年にかけ、機関をカミンズ製DMF14HZへ換装、機関直結式のAU26形冷房装置が搭載されました。2012年12月1日を以て、キハE130形100番台に置き換えられ、定期運用を終了しました。2013年7月9日から10日にかけ、水島臨海鉄道に3両とキハ30形2両、キハ38形1両と譲渡されることになり、倉敷駅まで甲種回送されました。

水島臨海鉄道では2014年5月12日から運行が開始されました。
水島臨海鉄道での運行開始にあたり、
キハ37 1003 → キハ37 101
キハ37 1002 → キハ37 102
キハ37 2 → キハ37 103 と改番されました。

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2020年2月 8日 (土)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 1 水島臨海鉄道

昨日の記事で、2019年10月の近鉄、京阪の鉄道イベント参加の傍ら、阪急、阪神、京阪を巡った旅の記事は終わりとし、今回からは2019年8月に岡山、倉敷、水島臨海鉄道、井原鉄道、JR福塩線、岡山電軌、津山まなびの鉄道館、JR因美線、智頭急行、JR山陰線、若桜鉄道、柵原ふれあい鉱山公園(片山鉄道保存会)、JR播但線、JR加古川線、神戸電鉄、最後に3月に開業したJRおおさか東線と回った旅の記録をそれぞれの鉄道会社、保存組織の車両ごとに見て行こうと思います。

190802 2019/8/2 キハ37 101 側面に描かれた社章

190802_20200207192901
JR倉敷駅の南西方向に山陽本線に並ぶように水島臨海鉄道 倉敷市駅があります。1981年4月7日に現在地に移転しました。

190802_20200207193001
駅入り口

Mrt301-190802
各車内に掲示されている運賃表

まず最初は水島臨海鉄道です。この会社は中国運輸局管内の民鉄として唯一貨物鉄道事業を行っており、日本民営鉄道協会加盟の第三セクター鉄道です。このような会社は、他に青い森鉄道、岩手開発鉄道、仙台空港鉄道、ひたちなか海浜鉄道、万葉線、えちぜん鉄道、北大阪急行電鉄、神戸高速鉄道などがあります。

現在の路線の成り立ちは三菱重工業の工場(水島航空機製作所)が水島に建設されたため、1942年2月3日、倉敷~水島間の専用鉄道敷設免許が申請され、同年9月17日に交付され、1943年に専用鉄道が敷設されました。三菱重工としてはこの路線を児島に延伸、味野を経由し、宇野まで到達すべく、南備鉄道として1940年8月3日に敷設免許申請が行われましたが、戦局の悪化で断念されました。

敷設された倉敷~水島間は1947年水島工業都市開発に移管され、一般鉄道となり、1952年には倉敷市が鉄道・バス事業を買収し、倉敷市交通局が発足し、管理運営することになりました。1970年、鉄道事業は倉敷市、岡山県、日本国有鉄道が出資する第三セクターの水島臨海鉄道に譲渡されました。1989年、バス事業も両備バス、下津井電鉄、野村交通などに引き継がれ、交通局は解散しました。

S800pxmizushima_rinkai_railway_linemap

水島臨海鉄道の路線図 Wikipediaの図から
鉄道路線は
倉敷市~水島港(本線)
水島~川鉄前
水島港~西埠頭
水島~日鉱前 でした。

190802_20200207193401 終点、三菱自工前駅の駅名標

190802_20200207193501 倉敷市~水島間は日中もコンスタントに運転されていますが、三菱自工前まで来る列車は本数が限られています。

1972年9月17日、水島~三菱自工前間の旅客営業が開始
1983年4月1日、倉敷市~倉敷貨物ターミナル間(11.2km)を水島本線、三菱自工前~西埠頭間(0.8km)を西埠頭線に改称




190802_20200207193901
常盤駅付近の高架線

1992年9月7日、水島地区の交通量増加により、浦田~三菱自工前間を高架化
2016年7月15日、西埠頭線が廃止されました。

現有路線は
水島本線: 倉敷市駅 - 三菱自工前駅 - 倉敷貨物ターミナル駅 11.2km
港東線: 水島駅 - 東水島駅 3.6km(貨物線)   となっています。



明日からの記事では今回の旅行で撮影した車両を紹介します。

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2020年2月 7日 (金)

阪神本線に乗り入れる近鉄の車両

阪神なんば線が2009年3月20日に開通してまもなく11年が経過しようとしています。

同線は1924年1月20日伝法線として大物~伝法間が開業したのが始まりで、同年8月1日には伝法~千鳥橋間、そして1928年12月28日には尼崎~大物間が開業しました。その後、1960年に千鳥橋~西九条間が着工、1964年5月20日、線名を西大阪線と改称し、同年5月21日に千鳥橋~西九条間が開業しました。

しかし、西九条~近鉄難波間の延伸は地元商店街の反対、阪神本線の需要の伸び悩み、二度のオイルショックによる建設費の高騰などで阪神単独での延伸工事は凍結されてしましました。1997年に沿線に大阪ドームが建設されたこと、沿線の再開発の進展、地元商店街が衰退傾向を打破するために延伸に期待するようになったこともあり、施設の建設、保有と運営を別会社が担当する上下分離方式で事業を進めることやそれまで反対だった大阪市が賛成に回ったこともあり、2001年には第三セクター「西大阪高速鉄道」が設立され、2003年10月7日、着工されました。

阪神なんば線に乗り入れる近鉄車両は系列別に、

9820-9324-191019 2019/10/19 西灘 9820系 シリーズ21 9324 快速急行 奈良行

9020-9028-181005 2018/10/5 鶴橋 9020系 シリーズ21

1026-1129-191019 2019/10/19 西灘 1026系 1026F~1029F 1129 快速急行 神戸三宮行

1252-1372-180324 2018/3/24 今里 1252系 1271F~1277F 同系列のうちヒハ(東花園検車区)に所属する編成 1372

5800-5804-191019-2 2019/10/19 神戸三宮 5800系 5804 近鉄の車両は神戸三宮以西には入らないため、行きどまりの中線で折り返します。

5820-5725-181005 2018/10/5 鶴橋 5820系 シリーズ21 5725

22600-51-181130
2018/11/30 鶴橋 22600系 特急車両 Ace 51編成 団体臨時列車として 

となっており、一般車両には蝶をモチーフとしたステッカーが貼られています。

阪神なんば線延伸前は近鉄難波駅西側に引き上げ線が3本あり、そこで近鉄難波駅折り返し列車が引き返していましたが、2本が阪神なんば線となったため、桜川駅のドーム前よりに新たに引き上げ線2本が設置されました。そのため、大阪難波駅で引き返す近鉄の非直通一般車や特急車両も、桜川の引き返し線で折り返す際は大阪難波から桜川間を走行し、桜川で一旦停止の後、引き返し線に入線しています。
この区間は運転取り扱いは近鉄となっており、信号設備が近鉄に対応し、列車保安装置も近鉄ATS,運転指令も阪神の尼崎指令室ではなく近鉄大阪運転指令室の担当となっています。

阪神なんば線、近鉄難波線の乗務員交代も上記の理由から境界駅の大阪難波ではなく、桜川駅で行われることになっており、これに合わせて阪神用の電鈴と近鉄用の電鈴の設定、ATS・列車無線・列車選別装置、さらに乗務員用の多言語自動放送用タブレットも同駅で切り替わります。

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2020年2月 6日 (木)

阪神本線に乗り入れる山陽電鉄  車両編 6000系

昨日の5000系に続き、1997年に登場したのが5030系でした。
この系列は5000系第5次車をベースに制御装置をVVVFインバーター方式にした車両で、素子はGTOではなくIGBTでした。生憎、まだ写真が無いので、今回は紹介せず、2016年、21世紀初の新型車両として導入された6000系に移ります。

6000-6109-191019 2019/10/19 神戸三宮

これまでに3両編成と4両編成が導入されています。3両編成は2編成併結で6両編成として直通特急運用に入っていますが、編成の併結順序には先頭車の構造上の制約から、奇数番号の編成を姫路方に連結する決まりがあります。

偶数番号編成が Mc1-T-Mc2 奇数番号編成が Mc3-T-Mc4となっており、Mc2とMc3の前面には貫通幌枠と電気連結器が装備されていますが、Mc1とMc4にはそれらはありません。6008編成以降は幌枠の形状が変更となりました。

さらに2019年6月以降、4両編成も導入されており、こちらの大阪方先頭車はMc1,姫路方先頭車はMc4となり、これら先頭車には幌枠は装備されていません。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 3.0 km/h/s
減速度(常用) 4.2 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 379名
車両定員 先頭車122名 中間車135名
全長 18,880 mm
全幅 2,790 mm
全高 4,047 mm
車体 アルミニウム合金(efACE)
台車 ボルスタ付軸はり式空気ばね台車 KW-204(M台車)・KW-205(T台車)
主電動機 全閉自冷式かご形三相誘導電動機 MB-5158A
主電動機出力 180 kW
駆動方式 WN平行カルダン駆動方式低騒音形ギアユニット
歯車比 5.47(82/15)
編成出力 1440kW
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制御装置 三菱電機製 MAP-184-15V270 三菱製の制御器は初
制動装置 電気指令式電磁直通ブレーキ
保安装置 阪神・山陽・阪急形ATS

形式 3両編成  6000F-6009f
←姫路           定員(座席)
クモハ6100 Mc CP,BATT 122(41) 
サハ6300 T SIV     135(49)
クモハ6000 Mc CP,BATT 122(41)
   4両編成  6010F-6012F
クモハ6100 Mc CP,BATT 122(41)
サハ6500 T        135(49)
サハ6300 T SIV     135(49)
クモハ6000 Mc CP,BATT 122(41)

パンタグラフは山陽としては初のシングルアーム式KP-86型でサハに2基搭載

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2020年2月 5日 (水)

阪神本線に乗り入れる山陽電鉄  車両編 5000系

再び、山陽電鉄の車両の話題に戻ります。今回は3000系一族(3000系、3200系、3050系)に続いて製造された5000系です。

5000-5606-191019 5000-5012-191019
2019/10/19 武庫川 3000系シリーズとはだいぶイメージが変わりました。

5000系は3扉セミクロスシートで登場当初は2700系、300形、270形の置き換えもあり、普通列車運用にも充当されましたが、特急運用を主体に活躍中です。1986年から1995年にかけ、川崎重工業にて60両が製造されました。1986年当時は、国鉄民営化を控えており、民営化によって山陽本線のサービス向上が進むことが予想され、それに対抗するために、吊り掛け式旧形車として残った2700系3両、300形8両、270形15両の淘汰を進め、ダイヤを新性能車主体にするために製造が開始されました。

5000-5611-191019 5000-5022-191019 2019/10/19 甲子園 ラストナンバー編成 3次車の形態的特徴であるV字形の赤帯、そして貫通扉の幌枠・山側床下に空気管コックが設置されました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
車両定員 先頭車120人 中間車130人
自重 34.5 - 35.4 t (5000形偶数車)
35.3 - 36.2 t (5000形奇数車)34.0 - 36.2 t (5200形)26.9 - 28.0 t (5600形)24.5 t (5500形)
全長 19,000 mm
全幅 先頭車 2,800 mm
中間車 2,796 mm
全高 4,060 mm パンタグラフ搭載車 4,100 mm
車体 アルミニウム合金 大型・薄肉中空押出形材を自動溶接で組み立てる方式
台車 川崎重工業製円筒案内式ダイレクトマウント空気ばね台車(1・2次車)KW-35B・36B
川崎重工業製軸梁式ボルスタレス台車(1・2次車の一部)KW-73・74
川崎重工業製軸梁式ダイレクトマウント空気ばね台車(3次車以降)KW-93・94
主電動機 三菱電機製直流直巻電動機 MB-3020S4
かご形三相誘導電動機(5802号車のみ)MB-5158-A
主電動機出力 MB-3020S4:125 kW MB-5158-A:180kW
駆動方式 WNドライブ
歯車比 82:15 (5.47)
制御方式 界磁添加励磁制御
SiCハイブリッドモジュール素子VVVFインバータ制御(5702F)
制御装置 富士電機製KMC-301(直並列制御)
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ HRDA-1
保安装置 阪神・山陽・阪急形ATS

車種構成
クモハ5000形Mc 5000-5022 偶数 神戸方運転台 SIV、BATT、CP 
モハ5000形M 5001-5023 奇数 McMユニット CONT、PT
モハ5200形M' 5200-5210 偶数 SIV、BATT 
モハ5200形M 5201-5211 奇数 MM'ユニット CONT、PT
クハ5600形Tc 5600-5611 姫路片運転台 CP、MG 5609-5611はMGなし
サハ5500形T 5500-5511

1次車
5000-5001-5600 (1986年6月17日竣工)
5002-5003-5601 (1986年6月24日竣工)
5004-5005-5602 (1986年6月26日竣工)
5006-5007-5603 (1986年7月4日竣工)
5008-5009-5604 (1986年7月8日竣工)
5010-5011-5605 (1986年7月16日竣工)
5012-5013-5606 (1986年8月16日竣工)

2次車
5014-5015-5607 (1988年12月4日竣工)
5016-5017-5608 (1989年7月9日竣工)
5018-5019-5609 (1989年7月16日竣工)
5500 (1988年5月27日竣工)
5501 (1988年5月27日竣工)
5502 (1989年5月26日竣工)
5503 (1989年5月27日竣工)

3次車
5020-5021-5504-5610 (1990年6月13日竣工)
5022-5023-5505-5611 (1990年6月16日竣工)
5507-5200-5201 (1990年12月17日竣工)
5508-5202-5203 (1991年3月1日竣工)
5509-5204-5205 (1991年3月7日竣工)
5506 (1990年12月29日竣工)

4次車
5510 (1993年11月29日竣工)
5511 (1993年11月30日竣工)

5次車
5206-5207 (1995年6月1日竣工)
5208-5209 (1995年6月5日竣工)
5210-5211 (1995年6月9日竣工)

5000-5605-191019 5000-5010-191019

2019/10/19 色物編成

リニューアル工事
2018年よりリニューアル工事が開始され、5004F6連がまず入場し、
5004-5005-5502-5235-5252-5602 のうち、5004,5005が改番され
5702-5802-5502-5235-5252-5602 となりました。5702は電装解除、5802はVVVF化されました。中間電動車ユニットは従来のままです。

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2020年2月 4日 (火)

西武101N系、1241Fと263F、列車無線機器交換

山陽電鉄の話題の途中ですが、、地元多摩湖線を走る101N系の話題を。

これまで定期的に101N系の変化について触れてきましたが、1月18日~19日にかけての多摩川線との編成交換では多摩湖線から1251F(近江鉄道湖風号塗色)が多摩川線に戻り、多摩川線から1253Fが多摩湖線にやってきて、多摩湖線は赤電2本(1253F,1259F)、伊豆箱根2本(1241F,1261F)、白電(1257F)、牽引車263Fという体制に、多摩川線はイエローベージュ2本(1245F,1249F)、赤電(1247F)、湖風号(1251F)という体制になりました。

そして、列車無線装置のデジタル化について、1241Fと263Fがデジタル化されているのを目撃しました。

Dsc06339 Dsc06336 Dsc06337
2020/2/2 萩山 1242の運転室内

Dsc06342 Dsc06341
2020/2/4 266の運転室内 シャッターが下ろされていたため、計基盤回りは撮影できませんでしたが・・・

これで従来タイプの無線機器の車両は1249F, 1257F, 1261Fの3編成となりました。

9000系9108Fの4連化などの話題もあり、101N系の列車無線関係機器の更新も進まなかったので、もしかしたら101N系が9000系4連等に置き換えなのかとも思われましたが、デジタル化がなされているということは101N系がしばらくは頑張るということなのでしょうか?


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2020年2月 3日 (月)

阪神本線に乗り入れる山陽電鉄  車両編 3050系

山陽電鉄の車両、今回は3050系です。

3050-3066-191018

3050-3638-191018
2019/10/18 新開地 3050系 4次車

3000系の冷房化版として1972年以降に登場した系列です。1985年までに55両が製造されました。所謂、3000系一族には2000系の主電動機、駆動装置を流用した系列として3200系1969年~1970年に新造された6両、1990年から1998年に改造で3000形から3200形へ編入された9両)という系列も存在しましたが、こちらは2019年2月28日で消滅しています。

3050系には
クモハ3050形(Mc)、モハ3050形(M)、サハ3530形(T)、クハ3630形(Tc)の4形式が存在し、冷房装置は集約分散式で三菱電機CU-17形ユニットクーラー(8,500kcal/h)が1両あたり4基搭載されています。パンタグラフは冷房装置の搭載に伴うスペースの制約から下枠交差式となり、PK-57を奇数電動車に2基搭載 しました。 3000系ではM車のパンタ取り付け部分の屋根は110m下げた低屋根でしたが、3050系では低屋根構造は廃止されました。PK-57は後にPK-60、さらにPK-80に換装されました。補助電源装置はM'c車に4両分の給電能力を有する120kVAの電動発電機 (MG) を搭載したほか、Tc車にも予備として従来の6kVAの小型MGを1台装備しました。制御器はKMC-201、電動機はMB-3020S、歯数比は82:15という基本的な機器仕様については3000系と同様です。

製造は6次に渡り行われ、
1・2次車(鋼製)金属バネ台車 CPはMcにC-1000LAを2基搭載
3050-3051ー3530ー3630 1972/7/5
3052ー3053ー3531-3631 1973/4/6
3054ー3055ー3532ー3632 1973/4/6
3次車(鋼製) 空気バネ台車 CPはHB-2000をMcTcに各1基ずつ搭載
3056-3057ー3533-3633 1973/11/19
3058-3059ー3534ー3634 1973/11/19
オイルショックによる乗客減や2700系の高性能化改造などで3050系の製造はペースダウン、さらに4両編成の増備の必要がなくなり、3連で製造
3060-3061-3635 1977/5/31
3062-3063-3636 1978/12/20
3064-3065-3637 1978/12/20
3000系の3次車4両編成3本から3500形3両(3505-3507)を抜き、冷房改造して、特急運用に、3連化された3000系は820形等の置き換えに
4次車(試作アルミ製)車体をアルミ合金製にすることで4.5tの軽量化、但しアルミ地金の精錬に多量の電力を必要とする欠点
3066-3067-3638 1981/3/31 3638は鋼製 当初は冷房改造した3508を組み込み、1984年にアルミ車の3538を製造して組み込み
5次車(新アルミ車)
3068ー3069ー3539ー3639 1981/6/23 3530形は久しぶりの製造で3050形に合わせて、3535-3537は欠番に
3070-3071-3540-3640 1982/6/25
3072-3073-3541-3641 1983/6/17
3074-3075-3542-3642 1984/6/21
3100-3101 1983/6/17 将来の6連化を考慮した増結車 3101の姫路方に簡易運転台設置準備工事 Tc 3619 と編成を組成
6次車(新アルミ車)
3076-3077ー3643 1985/6/14
3078-3079-3644 1985/6/14

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2020年2月 2日 (日)

阪神本線に乗り入れる山陽電鉄  車両編 3000系

山陽電鉄、今回から車両編です。最初は3000系です。

3000-3613-081212 2008/12/12 元町

神戸高速鉄道が開業し、阪急電鉄や阪神電気鉄道に山陽電鉄が乗り入れ用としていた段階では山陽電鉄の架線電圧は1500V、阪急や阪神の架線電圧は600Vでした。そのため、山陽電鉄は乗り入れ直通運転用の車両として複電圧車の2000系を3両8本投入しましたが、営業政策や運用上の都合などで同一仕様の編成は3編成しかなく、台車なども複数種類存在し、保守上も芳しくない状況となっていました。一方、阪急、阪神は神戸高速鉄道開業までに1500V昇圧を決定し、山陽電鉄としては複電圧車の投入の必要がなくなり、仕様の統一、汎用性を重視した標準型車両を投入することになり、1964年に登場したのが3000系です。1971年までに3次にわたり、70両が製造されました。

主要諸元

最高速度 110 km/h
起動加速度 2.4 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
全長 19,000 mm
車体 アルミニウム合金(最初の2編成)普通鋼
主電動機 MB-3020S
主電動機出力 125kW × 4
駆動方式 WNドライブ
歯車比 5.47=82/15
制御方式 抵抗制御
制御装置 KMC-201
制動装置 HSC-D

台車はアルミ車では軸梁式金属ばね台車を搭載し、鋼製車からはウイングばね金属ばね台車となりました。

クモハ3000ーモハ3000ークハ3600 サハ3500 
サハ3550 2000系などから編入

1次車 アルミ車
  3000F 1964年12月24日 竣工  (番号は3000-3001-3600 と言う構成)
  3002F 1965年1月23日 竣工 当初3連で登場し、1968年3月に3500、3501が組み込まれ4連化(3000-3001-3501-3600)
オールアルミ合金製という技術が評価され1965年6月、鉄道友の会よりローレル賞を受賞

2次車 鋼製車
  3004F 3006F  3008F 1967年4月7日 竣工
     3010F  1967年9月20日 竣工
   3012F 3014F 1967年10月12日 竣工
   3016F  1968年1月8日 竣工
   3018F  1968年1月18日 竣工
   3020F  1968年3月7日 竣工 
  3502 3503 3504 3505 1968年3月7日 竣工

3次車 鋼製車
  4連化のため、T車では無く、Tc車の 3611ー3615が増備されました。
  3611 1968年12月27日 竣工
  3612-3615 1968年12月26日 竣工
  3022F 3024F 3026F 1969年3月26日 竣工
  3028F 3030F 3032F 1969年11月8日 竣工
  3034-3035 3036-3037 3621 1970年10月1日 竣工
  3622 1971年5月1日 竣工
  3506~3508 1971年5月4日 竣工 

2000系からの編入 1969年~1970年、2扉転換クロスシートの鋼製車3編成9両を改造し、3000系の付随車に編入→3550-3558
項目
 ブレーキ装置をHSCに、旧Mc車の電装解除、旧乗務員室は客室化、3扉化、座席のロングシート化、非貫通前面への貫通路設置、既存貫通路の狭幅化、側面に電動式行先表示器と車外スピーカーの設置

2300系からの編入 1998年、3両編成2本が3000系付随車に→3560ー3565

冷房化改造が1977年から開始され、1990年までに完了。冷房装置は、パンタグラフ付きのM車は集中式のCU-73(36,000kcal/h)を1台、パンタグラフのないMc・T・Tc車が3050系と同じ集約分散式のCU-17(8,500kcal/h)を4台搭載しました。補助電源は容量110kVAの交流電動発電機が制御電動車に搭載されました。

リニューアル工事は2004年度より開始され、側出入口間の側面窓の一体型ユニットサッシへの交換、車端部の側面窓の大型1枚ガラスへの変更、化粧板とカーテンの新柄への交換、妻引戸の窓の大型化が行われ、バリアフリー対応として、車椅子スペースの新設、連結面間への転落防止幌の新設、車内の表記類のピクトグラム化を行い、優先座席前の吊り革は5cm低くされました。保安度向上のため、構体と屋根の修繕、扉と上下レールの更新、運転室床下の空気配管の更新、車体高圧配線の更新、ATSの新型への更新が行われました。

廃車は3550形から始まり、1985年に3552、1989年に3551が廃車され、2010年に新造車の3500形3507、3508、2016年度からは6000系登場による置き換えが始まり、3002F、3022Fが廃車となりました。

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2020年2月 1日 (土)

阪神本線に乗り入れる山陽電鉄

今回からは阪神本線内で撮影した山陽電気鉄道の車両を紹介します。まずは山陽電気鉄道はどういった会社なのかについて触れます。

Photo_20200131174901
兵庫電気軌道の社章     神戸姫路電気鉄道の社章   宇治川電気の社章        山陽電気鉄道の社章

神戸~明石間に電気軌道路線を敷設する目的で1907年7月2日に設立された兵庫電気軌道1917年4月12日、兵庫~明石間を完成しました。姫路まで路線を延長しようとした際にリスク回避策から1919年8月29日に設立された別会社、神戸姫路電気鉄道1923年8月19日に明石~姫路間を開業しました。加古川線の前身である播州鉄道が経営状態の悪かった兵庫電気軌道を敵対的買収を行ったことから、兵庫電気軌道神戸姫路電気鉄道は疎遠となりましたが、この混乱を収拾し、売電先を確保するために大手電力会社(戦前の五大電力のひとつ)宇治川電気1927年に両社を併合し、同社の鉄道事業部門とし、1928年8月26日、兵庫~姫路間の直通運転が開始されました。1933年6月6日宇治川電気 が 本業専念のため、鉄道部門を分離し、新しく設立されたのが山陽電気鉄道です。

因みに宇治川電気はその名が示すように淀川上流の宇治川水系の水力発電を基盤にした会社ですが、五大電力(東邦電力、東京電灯、大同電力、宇治川電気、日本電力)の中で最も電気鉄道事業に注力した会社で1926年には近江鉄道を傘下に収めています。1942年、国家総動員法により、1発電9配電体制(日本発送電株式会社北海道、東北、東京、中部、北陸、関西、中国、四国、九州 電力 )に再編されることとなり、解散し、関西電力の一部となりました。 近江鉄道は堤康次郎が買収し、西武鉄道の傘下に入りました。




山陽電気鉄道の路線図 Wikipediaから

1941年7月6日には網干線が全通、1968年4月7日神戸高速鉄道の開業で同線を経由して、阪急電鉄・阪神電気鉄道と相互直通運転を開始、同時に西代~兵庫間の併用軌道区間は廃止となりました。1998年2月15日、阪神梅田(現、大阪梅田)~山陽姫路間の直通特急運転開始で阪急電鉄との相互直通運転は中止されました。

Photo_20191212193501

1981/3 御影駅 阪急線内隣の六甲駅の電留線に停まる山陽電鉄の車両

191018_20200131173701 2019/10/18 西代駅の駅名標

Dsc02973
JR姫路駅から少し北にある山陽姫路駅

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