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2020年2月26日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 4 岡山電車区配属 115系の歴史 その1 1986年11月改正まで

岡山電車における115系の歴史は古く、1976年に関東地区に冷房付きの300番台が投入され、捻出された基本番台が岡山・広島地区に投入されたのが始まりでした。1978年からはシートピッチ拡大、耐寒耐雪強化された1000番台が新製配置され、1982年には伯備線電化開業に合わせて追加投入も行われました。

19790401115

1979/4/1時点の調査に基づく岡山電車区配置の115系編成データ JRR国鉄電車編成表から

基本番台のモハ115形とモハ114形の番号は93までは揃っています。
昭和40年度第2次債務でクモハ115+モハ114-800が4ユニット、昭和41年度本予算でクモハ115+モハ114-800が13ユニット製造された時点までは乱れませんでしたが、昭和41年度第1次債務でモハ115+モハ114-800が13ユニット、昭和43年度本予算でモハ115+モハ114-800は1ユニット製造されたため、昭和43年度第4次債務で製造されたモハ115は108から、モハ114は94からとなり、14の差が生じてしまいました。基本番台は最終的にクモハ115が17両、モハ115が135両、モハ114が121両、モハ114-800が31両、クハ115が228両、サハ115が37両となりました。因みに800番台は星晃氏の話では山用のヤから800番台になったそうです。
1000番台のユニット番号のズレはクモハ115の製造のためですが、クモハ115とモハ115がパラレルに製造されているため、岡山配置のモハユニットでは差が一定ではありません。

1982年7月時点で6両編成51本計306両(内訳、0番台20編成非冷房車、1000番台31編成冷房車)が配置されていました。その後、1984年の越後線・弥彦線電化開業時や1985年の御殿場線短編成化時に関東地区との間で転配が行われ、1987年4月の分割民営化直前にも関東地区への211系投入で捻出された300番台が岡山電車区に転入しました。

115_tc1156_850418_2
1985/4/18 岡山 クハ115-5,6 を先頭にした基本番台4連 
115系の先頭車の塗分けが111・113系などのようにV字形でないのは、福原俊一氏が星晃氏聞いた話では165系に性能が近いという意味合いが込められているそうです。

19861101115

1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正時の岡山電車区の115系配置は総両数266両で4連のA編成A1~A9、K編成K1~K12、A編成は4両とも冷房車、K編成は広島よりのクハが非冷房車で、クハ111から改造のクハ115-600番台 601から606(すべて非冷房車)を広島方に連結した編成が含まれていました。

115-850418
1985/4/18 岡山 B-3編成 先頭車クハ115-98は前照灯をシールドビームに換装した車両でした。

B編成B1~B12は基本番台で構成される4連でB1編成はクハ115、モハユニットはトップナンバーでした。基本番台で編成を組まないバラが10両ありました。

3連はD編成34本とF編成6本でD1, D3, D5, D6, D8, D10, D15, D16, D17はモハ114がダブルパンタ、それ以外のD編成はモハ114がシングルパンタでした。F編成は300番台で、三鷹区からの転入車は当初、スカ色でした。D編成の姫路よりクモハはモハ115-1000番台に後藤、鷹取工場で運転台ユニットを接合したクモハ115-1500番台 1501~1518・1536~1551でした。そして、御殿場線で運用されていた4連を3連化するために基本番台のモハ115に運転台ユニットをつけたクモハ115-500番台、509-86、520-831がF7、F8が新前橋区、静岡区から転入予定、さらにモハ115/114ユニット1091-1155、1116-1200が鷹取工場入場中でした。クハ115-1400番台は6両編成を短編成化する際に偶数向きクハ115が不足したために、奇数向きのクハ115-1100番台を方向転換し、改番したもので
クハ115-1145・1149・1154・1156・1157 → クハ115-1401 - 1405 とのことです。JR西日本時代にも方向転換改造は行われましたが、改番はされませんでした。

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コメント

お久しぶりです。ここにいた115系1000番台は非常に不思議で、伯備線は冬季は新潟並みに大雪になり、通常運用に支障をきたすことから115系300番台などの115系ではかえって故障になりかねないということで1000番台を導入したのでしょうが山陽本線に関して言えば、全くに持って理解が当時はできませんでした。広島は滅多なことがない限り、雪は降らないので2000番台を投入すれば事足りたのでしょうが、何故か1000番台が使われてることに非常に違和感を覚えたものでした。1000番台は115系の中でも一番コストが掛かる車両で、経費削減を目指していた国鉄が何故コストのかかる1000番台を投入したか、今日まで疑問です。伯備線の方は1000番台の強さが功を奏してか運休などが少ないですね。それにしても糸崎で1000番台が数編成普通に待避しているところは思わずほくそ笑みました。

新潟県の人間様、お久しぶりです。

当時の国鉄が今のJRに較べ、どれほどのコスト意識があったかも問題かと思います。車両導入に関して現場からの意見がどれだけ通ったか、現場がどこまで車両とコストを理解していたか、後から振り返ってみて硬直した組織にありがちな問題点があったかもしれません。

山陽本線に関して言えば、同線区向けに開発された113系という車両があるので、そちらを使った方がコスト的にも優れていたと私は思いましたが、労働組合の圧力か、もしくは国鉄が極力車両形式を統一したかったか。それは私もわかりませんね。113系はそういうこともあってか使いずらい車両として度々揶揄されることが多かったと思います。CS12制御器で戻しノッチがないので、おそらく運転士達からしたら、同じ新性能電車でも115系派が多かったのかもしれません。お陰で113系は東海道線系統でしか使えない車両という風に言ってた私の友人もいました。

新潟県の人間さま、おはようございます。

山陽本線の場合、瀬野八という勾配区間が存在するので広島配置、岡山配置の車両として同区間を運用する場合は113系より、115系の方が適していることは素人目に見てもわかります。JR体制とは異なり国鉄体制の場合、その辺の車種決定にどこまで現場の意見が反映されたのか、東京本社がすべて頭ごなしに決めていたのか、今となってはわかりませんが。

一番最適だったのは、2000番台の115系ですね。あれは暖地仕様でわざわざコストのかかる1000番台を製造するよりよっぽどコストがかからなくて済んだと思います。それに抑速も付いていて、瀬野八・岡山地区の暖地幹線にはこの上あっていると自分の中では思います。1000番台はやはり伯備線電化増発用として製造して運用させてた方が効率よかったかもですね。それか国労に脅されて1000番台投入したかどちらかですね(笑)

新潟県の人間さま、おはようございます。

車輛を導入する際の選択というのは、経営側はコスト、組合側は労働条件などから判断して最適のものを選ぶことが重要かと思いますが、国鉄時代はその辺の議論が十分に行われず、硬直化していたのかもしれませんね。

上尾事件の一件があった1973年~1976年にかけて、高崎線に115系300番台が集中配置されて突き出された0番台が岡山転属してきて旧国を一掃したのは、私が10代の頃でした。旧国に乗りたいと願っていたのも束の間国鉄が全国で動力近代化を推進して首都圏に冷房付新性能電車を大量投入して非冷房新性能電車をローカル線区または関西・中国地方の幹線に大量投入して車齢が若い旧国も問答無用で置き換えた新性能電車は私が若い頃は憎き存在でしかも70・80系旧型国電と比べたら圧倒的にコストダウンした内装は当時がっかりさせたものでした。しかしながらスピードアップしたのも事実で、旧国時代よりも早い時間で岡山~広島間を行き来することが出来たのも事実。昔は嫌っていましたが今になると現代の電車を作り上げたパイオニアという印象が強いですね。

瀬戸さま、はじめまして。

コメントありがとうございます。1973年から76年と言えば、私は高校から大学にかけてでしたが、機関車でいえば蒸気機関車が各地で終焉を迎え、電機やDLに置き換えられ、旧性能の電車が新性能車に置き換えられる時期でしたね。その時期に関西・中国地方で過ごされたのですね。私からすれば181系や485系・581・3系が山陽・九州線で最も輝いていた時期でしたね。

B767-281(クハ415-1901)様、返信ありがとうございます。

私が成人したのは昭和59年頃で、電車で遊びに行く年になった頃には既に大都市圏だと101系や111系と言った新性能電車が201系や211系に置き換えられてる頃で、まともに新性能電車(115系など)に乗ったのは僅かな期間だけだったと思います。旧型国電なんてもっての外で、写真だけしか見たことがない人です。かく言う私も大学が関西地区な為国鉄の利用はほとんどしておらず、就職後に趣味で乗るようになったころ地元には213系という銀色ピカピカのステンレスカーが走っておりましたね。その時は瀬戸大橋線が開業していた頃でしたか。いずれにせよ、旧世代車両達が全盛期の頃には間に合わず残念でならなかったです。

瀬戸さま、おはようございます。

お気持ち良く分かります。私は1956年生まれですが、東海道新幹線が開業し、東海道本線から多くの151系特急が消えた時には趣味的には間に合いませんでした。人間、生まれたタイミング、あるいはその趣味を始めたタイミングで間に合わなくて残念だと思うことは多々あると思います。ただ、趣味というのはあきらめずに地道に続けているといつのまにか面白いことが蓄積してくるものです。あきらめずに続けることは大事ですよね。

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