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2020年9月30日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 12 塩尻駅あれこれ

2018年晩夏、岡谷から塩嶺トンネルを越え、左手からは辰野経由の旧線が合流し、中央西線との分岐が見えてくると間もなく塩尻駅に到着します。

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2018/8/31 北が下ですが、塩尻駅を中心に中央東線(新線・旧線)、塩尻大門、中央西線、篠ノ井線の位置関係がよくわかります。

塩尻駅の開業は中央線の延伸ではなく、1888年8月15日に官設鉄道長野駅~上田駅間が開業した際に篠ノ井駅が開業、この駅を起点に1900年11月1日、篠ノ井~西条間が中央線として開通、1902年12月15日に塩尻まで開通した際に開業しました。岡谷まで延伸したのは1906年6月11日のことでした。1909年10月12日の国有鉄道線路名称制定で、(神田)昌平橋~篠ノ井間が中央東線となりました。その後、同年12月1日に塩尻~奈良井間が開業し、塩尻~篠ノ井間は支線となり、1911年5月1日、名古屋まで全通した際に塩尻~篠ノ井間は篠ノ井線として分離されました。

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ホームによって駅名標の路線図が異なっており、東日本の列車が発着する手前のホームは新線と旧線が示されており、名古屋方面の東海の列車が発着するホームは会社のシンボルカラーで分けられています。

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Sb-180831

2007/3/24 4番線は東線(新旧)、西線に対応しており、出発信号伝達信号機もそれぞれの線に対応してあります。

塩尻駅は1982年5月17日に現在地に移転するまでは、上の記述から推察できるように東京~名古屋間がスルーできるような位置にありました。塩嶺トンネル経由の新線と辰野経由の旧線が合流し、西から中央西線が合流する手前の場所で通称「塩尻大門」として塩尻駅移転後も貨物駅として残されていました。2000年3月に同駅を発着する貨物列車が廃止され、現在は車両基地として機能しています。移転前の塩尻駅では名古屋~松本・長野方面の特急「しなの」などは同駅でスイッチバックを余儀なくされていました。

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改札口の感じから、境界駅ではありますが旅客営業に関してはJR東日本が管轄していることがわかります。


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2007/3/24

180831_20200929192401 2018/8/31 駅舎もこの10年でリフレッシュされたようです。

Dsc05620 駅前からは最近、多くの街で見ることが出来るコミュニティバスが発着しています。

次回の記事ではこれまで数回の訪問で塩尻駅にて撮影した車両について触れます。

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2020年9月29日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 11 岡谷駅あれこれ

2018年晩夏、信州の旅、下諏訪で下車し、2両の保存蒸機、1両のガソリン機関車を見学した後、岡谷駅に到着しました。

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180831_20200928143501 鉄筋コンクリート造りの平屋建て駅舎が竣工したのは1952年です。

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岡谷市は古くは製糸業、今は精密機械工業が盛んで「東洋のスイス」とも呼ばれる岡谷市の中心駅です。1905年11月25日の富士見駅からの延伸時に終着駅として開業、1906年6月11日には辰野駅経由で塩尻駅まで中央本線は延伸しました。しかしこのルートは現在のみどり湖経由の塩嶺ルート(12km)に較べると27kmもあり、大変な大回りでした。

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180831-2_20200928143701 2018/8/31

しかし、1900年代初頭のトンネル掘削技術や蒸気機関車による運行では現在のルートは不可能と考えられていました。その理由のひとつは糸魚川~静岡構造線と呼ばれる中央構造線が通っており、大断層が存在すること、もう一つはトンネルを掘った場合、片勾配のトンネルになり、掘削技術的な問題と蒸気機関車牽引列車では乗務員の窒息事故が予想されることでした。

中央線の旅客需要の急増、スピードアップの必要性から1970年代になると塩嶺ルート、下諏訪~塩尻ルートなどが検討され、乗車実績の高さから岡谷駅で分岐する塩嶺ルートの建設が決定し、岡谷市内の用地買収解決に時間を要したものの1983年に全長5994mの塩嶺トンネルが貫通、全線複線直流1500V電化の新線が開通しました。

E353-s101-180831-2 2018/8/31 旧線の辰野~岡谷間は実質的に飯田線と一体化しており、岡谷駅まで飯田線を走るJR東海の313系が乗り入れて来ています。

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2007/3/24 かつては119系なども見られました。0番線は塩尻方面専用ホーム。

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2020年9月28日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 10 釜口水門のプリムス

諏訪湖から天竜川が流れ出す釜口水門、現在の水門ではなく旧水門の工事の建設工事の際に資材運搬に活躍したのが今回紹介するプリムス(PLYMOUTH)機関車です。

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アメリカ・オハイオ州ヘイト・ルート・ヒース社製ガソリン4気筒水冷エンジンの機関車です。1924年に購入されました。当時はまだガソリンエンジン機関車(内燃機関)は国内でも殆ど例がありませんでした。

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煙突というか排気管が印象的なスタイルです。

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一時は荒廃した時期もあったようですが、訪問時は整備され美しい状態でした。

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2020年9月25日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 9 諏訪湖の釜口水門

諏訪湖畔に保存されているD51349号機を見学した後は諏訪湖の湖畔公園に沿って岡谷方面に向かいました。

180831_20200924185601 2018/8/31

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以前にも書きましたが諏訪湖には31本の河川が流入していますが、流出する河川は天竜川1本です。諏訪湖を取り巻く流域面積は湖面積の40倍と広く大雨が降ると大氾濫を起こしていました。1500年代天正年間から治水工事は行われていましたが、1936年に近代的治水設備として水門が竣工しましたが、1950年1961年の洪水では処理能力を発揮できませんでした。これではいけないと改築が決定し、1988年に竣工したのが現在の釜口水門です。

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旧水門に対して諏訪湖より約80mの地点に設置され、放水量は毎秒600tで旧水門の3倍の処理能力を持っています。上段6門、下段3門の2段式6門ゲートで、上段は飛行機の羽のような形をしたフラップゲート、下段はローラーゲートとなっています。通常は上段を操作し、放流、越流を行っています。

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さらに舟や魚が通過可能なように南寄りには舟通し水門、北寄りには階段状の魚道が用意されています。

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日本ではあまり聞きませんが、ヨーロッパ大陸のフランス、ベルギー、ドイツ、オランダなどでは運河を利用した水運が今でも盛んで、どころどころに水門が設置されており、高低差のある場合はパナマ運河方式の水路で乗り越えるケースが多々あります。中には舟ごとエレベータ式のプールに乗せ、移動するケースもあります。

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2020年9月24日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 8 諏訪湖畔のD51 349号機

C12171号機の保存されていた下諏訪町役場から諏訪湖方面を目指し、15分ほど歩いた岡谷市総合福祉センター諏訪湖ハイツの敷地内にD51349号機は保存されています。

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この機関車は煙突の形からもわかりますが、オーストリアのウィーン工科大学教授、アドルフ・ギースル・ギースリンゲンが開発した石炭の燃焼効率を上げるための燃焼補助装置、ギースル・エジェクターを装備した機関車です。しかも349号機は357号機とともに最初に装備された機関車です。

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ギースル・エジェクターは煙室内に一列に設置された特殊なブラスト管(蒸気排出管)と上から見ると長円形、サイドから見ると逆台形の煙突からなっており、シリンダから排出された蒸気をブラスト管から排出する際に、通気量(機関車が力行中かアイドリング状態かなどによって変化)によって吹き出す面積を変化・調整し、効率よく排出し、ボイラー内の煙管(大煙管と小煙管)を通る石炭の燃焼ガスの比率を変化させ、従来の円筒形煙突に較べて、燃焼効率を高め、消費する石炭の量を減らし、火の粉を減らす効果を出した装置でした。実験では9~15%程の石炭の節約、シンダや火の粉の減少が確認されました。

国鉄ではD51形式に対応したギースル・エジェクターをオーストリアから輸入し、1963年3月に長野工場で当時、上諏訪機関区に配属されていた349号機に試験的に装備m中央本線で試運転を行いました。同時期に盛岡機関区所属の357号機にも郡山工場にて装備しました。試験の結果、効果が認められたため、日本国内では製造ライセンスを取得した理研金属工業が製造した製品がD51形34両に装備されました。

117[追]、120[追]、167[旭]、226[追]、232[秋]、241[追]、252[旭]、276[秋]、285[追]、293[追]、308[追]、315[秋]、328[岩]、
343[追]、345[追]、349[追]、357[追]、371[秋]、391[秋]、413[追]、457[秋]、492[追]、509[追]、539[追]、570[秋]、605[追]、
711[追]、725[秋]、733[追]、742[追]、842[追]、952[旭]、953[旭]、1037[岩]、1042[追]、1119[追]

※ [旭]:旭川機関区 [岩]:岩見沢第一機関区 [追]:追分機関区 [秋]:秋田機関区
単機で1200tの運炭列車運用を持っていた追分機関区のD51に重点的に装備されたほか、秋田機関区では結果的に8両のD51に装備されていますが、これは廃車された機関車から引き継がれたケースも含まれています。315号機は九州に転属後、通常の煙突に戻されています。232号機はギースル・エジェクター装備後、秋田から青森という履歴を辿っていますが、保存機は通常煙突が付いています。

私も現役時代に追分機関区所属機の241号機953号機、1119号機に遭遇しており、保存機では232号機(通常煙突)大森山公園、842号機 水島中央公園、1119号機 森の里若宮公園を見学しています。

沖田祐作氏の機関車表データによる履歴は

D51349 日立製作所笠戸工場=1228 1940-02-15 S77.60t1D1T(1067)
車歴;
1940-02-15製造→納入;国鉄;D51349→
1940-02-15竣工→配属;名古屋局→
1940-02-24配置[名鉄達第144号];敦賀→
1944-06-15借入;米原→
1944-08-16返却→
1954-03-24集煙装置取付→
1957-10-13上諏訪→
1958-05-22借入;松本→
1958-07-10返却→
1958-10-27借入;木曽福島→
1958-11-01返却→
1959-01-17借入;長野→
1959-02-28返却→
1963-03-08長野工場にてギーゼルエゼクター取付(取付第一号)→
1963-03-15~24日まで試験実施(以後10月迄中央東線にて長期試験実施)→
1964-06-10小樽築港→
1964-09-12耐寒工事施工→1966-05-01追分→
1967-02-04旋回窓取付(左側)→
1976-03-19廃車[工車第1224号];追分→
保存;長野県岡谷市「勤労福祉センター諏訪湖ハイツ」;D51349

この機関車の形態的特徴は

Dsc07226 晩年の北海道配置でデフレクターは切り詰めタイプとなっていること。
機関助手側ランボード先端付近の潤滑油バルブはカバーがかけられ、露出していないこと
逆転器リンクプレートの穴は大穴タイプ
砂管は 日立製作所製造機のこれまで見たタイプと比較すると
1936年度 (6両):43 - 48(製造番号813 - 818)
1937年度 (3両):D51 68 - 70(製造番号868 - 870)68号機 小岩井農場 70号機 さくら交通公園
1938年度 (27両):D51 121 - 133・173 - 186(製造番号990 - 1002・1040 - 1053)123号機 船橋郷土資料館
1939年度 (50両):D51 310 - 359(製造番号1189 - 1237・1240)320号機現役時代
1940年度 (43両):D51 360 - 378・589 - 612(製造番号1238・1242・1239・1241・1243・1244・1246・1245・1247 - 1257・1420 - 1431・1434・1433・1432・1435 - 1443)367号機現役時代 370号機 土崎街区公園 612号機現役時代
1941年度 (18両):D51 642 - 659(製造番号1460 - 1477)
1942年度 (33両):D51 695 - 727(製造番号1669 - 1668・1679 - 1691)706号機現役時代 724号機渋川駅前
1943年度 (13両):D51 876 - 888(製造番号1814 - 1826)885号機深谷市仙元山公園
1944年度 (19両):D51 889 - 895・1051 - 1062(製造番号1827 - 1837・1886 - 1888・1890・1889・1891 - 1893)895号機王寺駅そば
赤で示した各年度の製造機とほぼ共通した砂管パターン(斜め富士山タイプ)をしていることが分かります。

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助手席側ランボードキャブ側に潅水清浄装置の搭載はありません。

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炭水車は8-20Bで軸ばねに重ね板ばねを用い、側枠を鋲接板台枠構造としています。

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2020年9月23日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 7 下諏訪駅周辺あれこれ

本来は昨日のC12 171号機の先に見た光景ですが、今回は下諏訪駅周辺の紹介です。
180831-2 2018/8/31

駅の開業は1905年11月25日で茅野、上諏訪駅と同時です。

180831 単式1面1線の1番線ホームに改札口、駅舎本屋があり、上下線を挟んで島式ホーム1面2線で両ホームは岡谷方の跨線橋で繋がっています。

中央の「万治の石仏」は下諏訪町東山田字石仏にあり、1660年(万治3年)に造られた石仏で、同町の指定文化財になっています。高さ約2.7メートル、奥行き約4メートルの胴体の上に、高さ約60センチメートルの頭部が載っており、万治の由来は同仏像の胴部に「南無阿弥陀仏 万治三年十一月一日 願主 明誉浄光 心誉慶春」と銘が銘が刻まれていることに由来します。言い伝えによると諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を立てるため、この石仏を材料にしようと鑿を入れたところ(その鑿は現存している)、そこから血が出てきたため職人達は祟りをおそれ、その晩に夢枕で上原山に良い石材があるという夢を見た職人達が探しに行くと見つけることが出来、職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀ったとのことです。

180831_20200922145301 1905年の開業以来、駅舎は何度か建替えられていますが、1963年3月に改築された駅舎を1998年2月にリニューアルしたのが現在の駅舎です。
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下諏訪駅は諏訪大社下社、下諏訪温泉観光の拠点駅で、上諏訪、下諏訪、岡谷の中では最も標高が高い位置にあります。駅前には諏訪大社の式年祭で寅、申年に行われる御柱祭の象徴である御柱が二本建てられています。上の説明版にあるようにこの柱は1998年の長野オリンピック・スタジアムの選手入場口に建てられた柱だそうです。

下諏訪駅で下車し、町役場のC12171号機を見学後、諏訪湖畔のD51349号機を見学、湖畔に沿って釜口水門、岡谷駅まで歩いているため、下諏訪~岡谷間は乗車していません。

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2020年9月22日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 6 下諏訪町役場横あすなろ公園に保存されているC12 171号機

上諏訪を後にして一駅先の下諏訪で下車、駅から8分ほど歩いたところの下諏訪町役場横のあすなろ公園に保存されているのが今回、紹介するC12 形171号機です。

Dsc07196 2018/8/31

この機関車は沖田祐作氏の機関車表データによると
1938-3-29 日本車輛名古屋工場 製番573
新潟局配属
1955-8-1現在 上諏訪
1964-4-1現在 上諏訪
1972-3-31現在 上諏訪
1973-3-31現在 木曽福島
1973-4-27廃車 木曽福島
1973-7保存          と比較的異動の少ない履歴となっています。

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Dsc07198整備された直後だったのか非常に綺麗な外観でした。

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九州で運用された履歴はないため炭庫の通風口はありません。

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キャブ内に立ち入ることも可能で逆転器ハンドルなども綺麗な状態を保っています。

Dsc07199 説明板も比較的新しいようです。

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2020年9月21日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 5 上諏訪駅周辺あれこれ

2018年の夏の終わりの信州地方の旅、茅野駅に続いて下車したのは上諏訪駅でした。

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2018/8/31 オールドタイプの駅名標と最近、観光地最寄り駅に見られる駅名標

1905年11月25日、茅野駅と同じ鉄道院中央本線富士見~岡谷間の開通の際に開業し、旅客・貨物の取扱が始まりました。

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この駅舎が完成、オープンしたのは1950年3月でした。

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1番線、新宿方面上りホームには温泉浴場が設置されていますが、これは1986年8月8日のことでした。

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まだこの頃はE257系も活躍中でしたが、E353系の姿をよく見かけるようになりました。

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ホームの構成は単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線の典型的構成で、東口(霧ヶ峰口)、西口(諏訪湖口)があり、花火大会の際には線路を横断する形で通路が開設され臨時の改札が設置されます。その際は3番線は使用休止となります。

現在、211系が滞留している電留線などがある場所がかつて上諏訪機関区のあった場所かと思われます。機関区は中央線のこの区間の開業時に設置されました。中央本線が非電化の時代はD50, D51などの大型貨物用蒸機の基地で石炭・水の補給が行われており、20両前後が配置されていました。1962年5月に上諏訪~辰野間が電化されると本線を走る蒸機は転出してゆき、先日の記事で記述したように茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷での入換に従事する機関車C12,C50, C56の集中管理基地となってゆきました。信濃大町に駐泊し、大糸線の貨物、飯山区貸し出しで臨時スキー列車牽引に就くC56もありました。C56126やC56130に集煙装置が付いているのは大糸線対策でした。1984年の貨物取扱廃止を受け、1987年に廃止されました。機関区があった頃の配線図はこちらの記事に詳しいです。

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2020年9月18日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 4 諏訪市湖畔公園に保存されているD51 824号機

中央東線、茅野から先、岡谷までの単線区間には上諏訪駅、下諏訪駅があり、それぞれの駅の近くに蒸機は保存されています。しかも茅野C12,上諏訪D51,下諏訪C12,岡谷D51という順に並んでいます。

Dsc07123 2018/8/31 諏訪湖湖畔の風景 

諏訪湖は新生代第三紀の終盤からの中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層運動によって、地殻が引き裂かれることで誕生した構造湖(断層湖)と考えられています。面積は12.81㎢、周囲15.9km、最大水深7.2m、平均水深4.7mの淡水湖で上空から眺めるとプロペラ機の垂直尾翼のような形に見えますが、東側が諏訪市、北側が諏訪郡下諏訪町、西側が岡谷市に属しています。流入河川は31河川ありますが、流出河川は岡谷市の釜口水門から流れ出す天竜川のみです。

Dsc07132

Dsc07164 7月から9月にかけて諏訪湖では週末、花火大会が行われているため、湖畔公園の蒸機にもネットが掛けられていました。

D51824号機は上諏訪駅から歩いて5分ほどの諏訪市湖畔公園に保存されています。
沖田祐作氏の機関車表のデータでは
1943-3-16 国鉄浜松工場 製番74
配属 名古屋局
1943-3-18 浜松
1945-9-30 静岡
1949-6-26 上諏訪
1957-12-24 重油併燃装置取付 長野工場
1959頃 長野工場で切取式除煙板N-2装備 上諏訪
1960-2-6 換気装置取付
1964-3-14 松本
1964-4-3 長野
1970-7-25 二休指定
1970-8-6 長野 廃車  といった履歴となっています。

形態的特徴は長野工場で装備された長工式N-2デフレクターの装備です。長工式デフレクターはC57,D50,D51の3形式に装備され小倉工場の門デフ、鹿児島工場の鹿工デフ、後藤工場の後工デフとの違いは除煙版の下辺が水平でないことです。D51形でN-2型デフレクターが装備された記録があるのは他に197号機708号機などがあります。

Dsc07126 集煙装置は機関車本体から外されて置かれていました。

Dsc07134 潤滑油バルブはランボード上に線路と平行に並んでいます。

Dsc07136 逆転器リンクプレートの穴は小穴タイプです。

Dsc07138 浜松工場製造のD51は
1937年度 浜松工場(5両):86 - 90(製造番号19 - 23)                  89号機 豊橋動植物公園
1938年度 浜松工場(8両):D51 199 - 206(製造番号24 - 31)              200号機 梅小路蒸気機関車館
1939年度 浜松工場(15両):D51 207 - 210・245 - 250・473 - 477(製造番号32 - 46) 245号機 坂城町(今後公開予定)
1940年度 浜松工場(13両):D51 518 - 530(製造番号47 - 59)
1941年度 浜松工場(5両):D51 531 - 534・685(製造番号60 - 64)
1942年度 浜松工機部(12両):D51 686 - 689・819 - 826(製造番号65 - 76)      688号機 岡崎南公園
1943年度 浜松工機部(12両):D51 827 - 830・848 - 852・861 - 863(製造番号77 - 88)

と私がこれまで見てきたD51では4両が浜松工場製ですが、砂管のパターンでは200号機、245号機、688号機がよく似たパターンを示しています。89号機は標準形の試作的意味合いの強い個体ですので、浜松工場パターンが決まる前のスタイルだったのかもしれません。
また、潅水清浄装置は助手席側キャブから少し離れた位置に設置されています。

Dsc07151
炭水車は8-20Bタイプで軸ばねに重ね板ばねを用い、側枠を鋲接板台枠構造としたタイプです。

Dsc07143 キャブ内も見学可能でメーター類のガラスも残されていました。

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2020年9月17日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 3 茅野駅周辺あれこれ

茅野駅は標高790.3mで諏訪地域の東端に位置し、関東平野では筑波山の標高800mに匹敵する高さにあります。周辺には八ヶ岳、白樺湖、蓼科高原、車山高原などの観光地があり、その玄関口として賑わっています。昨日のC1267号機の説明版にもありましたが、1947年までは諏訪鉄山の鉄鉱石を輸送するために敷設された日本鋼管鉱業諏訪鉱業所専用線(通称・諏訪鉄山鉄道)が乗り入れていました。

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Dsc07078 ホームの構成は単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線の2面3線です。

1905年11月25日、鉄道院中央本線富士見駅~岡谷駅間が開通した際に、旅客・貨物駅として開業しました。1984年1月15日、貨物取り扱いが廃止され、1986年3月31日、駅舎の改築工事が完成しました。

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中央東線線は線路切換えで支線となった辰野支線を除くと、当駅から約3.7kmの普門寺信号所から先、岡谷駅までの区間は依然として単線区間として残っています。普門寺信号所のポイントは両開きポイントのため、通過時は75km/hの速度制限がかかります。信号所の開設は1970年9月2日でした。ダイヤ上ネックにあたる単線区間ですが今のところ複線化の予定はないそうです。

 

茅野市豊平には戦前から発掘されてきた縄文時代中期の集落遺跡尖石・与根尾根(とがりいし・よねおね)遺跡があり、遺跡周辺は史跡公園に指定され、園内に茅野市尖石縄文考古館があります。場所は八ヶ岳西側山麓の大扇状地、標高1050-70mの台地で中央に沢が走っており、北側が与根尾根、南側が尖石で尖石遺跡が報告されたのは1893年のことでした。その後も精力的に発掘が続けられ、1942年10月14日には「尖石石器時代遺跡」の名称で国の史跡に指定され、「縄文集落研究の原点」とされる重要な遺跡と位置づけられ、1952年3月29日には文化財保護法に基づき特別史跡に指定されました。

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2020年9月16日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 2 茅野駅前のC12 67号機

2018年8月末から9月にかけての信州旅行、今回は茅野駅東口ロータリーに静態保存されているC12形67号機です。

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2018/8/31
C12形といえば1番違いの66号機が真岡鉄道で動態保存されていますが、66~68号機は1933年製日立製作所製造のトリオです。

沖田祐作氏の機関車表データによる履歴では
1933-12-1 日立製作所笠戸工場 製番518
戦前の配属不明
1949-4-19現在 松本
1955-8-1現在 信濃大町
1962-3現在 松本
1964-4-1現在 松本
この間に上諏訪に移動
1972-4-1 中津川
1973-4-27 中津川 廃車    戦前の配属は不明ですが、戦後は信州地方で活躍しており、上諏訪機関区時代は茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷での入換に従事していたそうです。仕業札入れには入3の札が入っています。

Dsc07090edit またこの説明版にあるように諏訪鉄山から鉄鉱石が採掘され、その輸送にC12が牽引する貨物列車が走っていた線があったことも初めて知りました。

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Dsc07091 九州で活躍したC12形、例えば187号機(常陸大子駅横に保存)、287号機(千葉県君津市小櫃公民館に保存)のような炭庫の通風孔はありません。

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2020年9月15日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 1 大月駅でのE233系の分割・併合

2020年の夏の暑さも漸く終わろうとしていますが、2年前の2018年の夏も猛暑だったようです。この夏は8月31日から、23日の予定で信州地方の公園保存蒸機を見て歩く旅をしました。概要編は2018年9月1日から9月3日までの速報版としてアップされていますが、これから詳細版をアップして行く予定です。

171218 

2017/12/18

早朝、一橋学園を出発、国分寺で中央線に乗り換え、青春18切符を利用した各駅停車の旅で最初に下車したのは大月駅でした。この駅はJR東日本の駅であると同時に富士急行大月線の起点駅で、1902年10月1日、国有鉄道中央本線鳥沢~大月間が開通したときに開業しました。1903年1月17日富士馬車鉄道が乗り入れています。この馬車鉄道は軌間610mmで谷村本社まででした。一方、1900年9月21日には軌間762mm都留馬車鉄道が下吉田 - 籠坂峠間を開業していました。1903年6月12日に都留馬車鉄道あ小沼 - 下吉田間を開業、同年8月14日には富士馬車鉄道谷村本社 - 小沼間開業し、さらに同年9月11日には都留馬車鉄道が籠坂峠 - 静岡県界間を開業し、今日の富士急行の路線が敷設されましたが、2社の間で軌間が異なることから乗り換えを強いられていました。1921年に両社が合併、さらに改軌が行われ、電化もされ、大月~富士吉田間が電車で直通運転されるようになりました。1926年には富士山麓電気鉄道が設立、馬車鉄道の併用軌道は1928年に譲渡され、1929年に鉄道線(23.6km:軌間1067mm)に置き換えられました。

中央線から富士吉田方面に直通列車が運転開始されたのは1934年7月1日のことでした。国鉄、JR時代を通じて富士急行線への乗り入れの歴史は続いており、現行ダイヤではE353系3連「富士回遊」、特急車両E257系500番台車211系、中央快速線のE233系H編成などの車両が乗り入れています。
ちなみに中央快速線の通勤電車が富士急行線に乗り入れるようになったのは1990年3月10日のダイヤ改正からでした。

1997年10月12日、20時2分頃、大月に到着した201系10連が後部4両の河口湖行きを切り離し、構内運転で下り本線に移動するところを本来20時に通過予定のE351特急スーパーあずさ13号が2分程、遅れた通過しているときに停止信号を誤認し、出発してしまい、E351系12両編成の右側面に衝突し、E351系は前から4両目(9号車)から8両目(5号車)にかけて脱線、8号車は横転、201系は先頭車と2両目が脱線するという事故が起こりました。この事故で回送車両の運転士を含む78名が重軽傷を負いました。

03H
 東 京1808┬2106河口湖 
         └1958大 月┐
高 尾2052←2017大 月┘

05H

 高 尾0601→0637大 月┐
        ┌0654大 月┘
┌東 京0852┴0549河口湖 

23H

└東 京1905┬2207河口湖 
         └2055大 月┐
┌高 尾2149←2113大 月┘
└高 尾2155→2231大 月 

25H
      ┌0619河口湖 
┌東 京0857┴0723大 月 

現行ダイヤにおけるE233系の富士急行線運用  03H~05H、23H~25Hと河口湖乗り入れ編成が滞泊する2組の乗り入れ運用が存在します。

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2018/8/31 大月駅で乗り換え列車を待っていたら高尾からE233系H52編成6連が到着。北側の電留線にもE233系の姿が25H運用の編成でしょう。

Dsc07072_20200914161801 程なくして同じホームに河口湖からH52編成4連が到着。

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Dsc07075 駅員の誘導で両編成がドッキング。10連となって東京へ。

こうやって6連と4連の組み合わせは余程のトラブルが無い限り、編成番号の異なる6連、4連がペアになることが無いように保たれているのですね。

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2020年9月14日 (月)

日本工業大学工業技術博物館の2100形2109号機 その3

今回は日本工業大学工業技術博物館の蒸気機関車2100形2109号、周辺の展示物を紹介致します。

工業技術博物館は1987年、学園創立80周年記念事業の一環として開設されました。

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2017/11/20

2109号の側には、蒸気機関車のメカニズムに関する図解付きの解説がありました。

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弁装置、シリンダーとピストンの関係に関しては模型も用意されています。

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Dsc01897 動輪と主連棒の関係も模型付きで紹介されています。

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2109号が大学に寄贈されるまでの経緯も紹介されています。

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その他、鉄道の安全運行に関するシステム、信号・タブレットなどの閉塞関連システムの紹介もありました。

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2020年9月11日 (金)

日本工業大学工業技術博物館の2100形2109号機 その2

昨日の記事に引き続き、日本工業大学機械技術博物館に保存されている2100形2109号機の話題です。

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Dsc01922 イギリスで発明され、世界中に広まった鉄道において最初に使用されたブレーキシステムは、機関車と緩急車による手ブレーキで、後には列車全体を鎖でつなぐチェーンブレーキシステムに発展しました。しかし、列車全体に均等にブレーキを作用させることが出来ないという問題点がありました。一方、蒸気機関車特有の蒸気ブレーキシステムも開発されましたが、これもあまり汎用性がありませんでした。1874年にノース・イースタン鐡道の技術者J・Rスミスによって開発されたのが真空ブレーキで、機関車から列車全体にブレーキ管が引き通され、機関車側でイジェクターを操作することで管内の空気圧を真空にし、各車両のブレーキピストンを動かし、ブレーキを掛けるというものでした。ただ、このシステムは管が破れたり。連結が外れたりした際にブレーキが利かなくなるトラブルがありました。この問題を解決するためにブレーキを緩めるために管内を真空にする自動真空ブレーキシステムが開発されました。これによって事故はだいぶ減りましたが、管内を真空にしなくては列車が出発できず、真空にするためにホコリ等を吸い込み、列車が動かなくなるトラブルの頻発や編成が長い場合の応答性の悪さが表面化しました。
最終的にたどり着いたシステムが空気ブレーキでこれはアメリカのジョージ・ウェスティングハウスが開発したシステムで真空ブレーキは大気圧の1気圧と真空の気圧差を利用するものに対して、空気ブレーキは圧縮空気を利用することで1気圧以上の空気圧差を利用でき、ブレーキシリンダーの小型化に貢献出来、機関士からの応答性も格段向上しました。

明治時代に輸入されたB6形も当初は真空ブレーキでしたが、1921年に空気ブレーキの搭載が決断され、コンプレッサー、エアタンクが搭載されてゆきました。

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タンク式機関車であるB6は両サイドに大型の水タンクが装備されています。

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定期的に公開運転がなされている機関車であるため、整備も行き届いており、黒光りしています。

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前部には引き出し、押し込みようのアントが連結されていました。

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2020年9月10日 (木)

日本工業大学工業技術博物館の2100形2109号機 その1

2017年11月の埼玉県宮代町の旅、今回は昨日の町役場から歩いて数分ところにある日本工業大学のキャンパス内にある工業技術博物館(11号館)内に保存されている2100形2109号機です。

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Dsc01882 普段、2109号機が収納されている蒸気機関車館 展示運転用の線路が出ています。

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1907年に創立した東京工科学校を運営する学校法人東工学園が工業高校出身者の受け皿となる大学の設立を目指し、1967年に開学した大学です。キャンパスは宮代町と東京神田にあり、基幹工学部、先進工学部、建築学部などの学部があります。
工業技術博物館は歴史的に価値ある産業の発展に貢献した工作機械等、250台以上の機械を機種別、製造年代順に展示しており、、工作機械の7割は動態保存で、一般に公開されています。

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2100形蒸機はイギリスのダブス社が製造し、1890年に官設鉄道が輸入し、AC形154-164(偶数)と附番した6両、1891年に日本鉄道が輸入し、166-176(偶数)と附番した6両、さらに1894年に関西鉄道が輸入した3両、1903年にダブス社の後身のノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社から輸入した2両があります。1909年の鉄道院の車両形式称号規程で官設鉄道の6両が2100-2105、日本鉄道の6両が2106-2111、関西鉄道の5両が2112-2116となりました。
2100形は性能が良好であったため、1898年から1905年にかけて、同形で動輪径の異なる2120形、ドイツ製の2400形、アメリカ製の2500形を輸入し、これら4形式をまとめてB6形としました。

主要諸元
全長 : 10,203mm
全高 : 3,658mm
軌間 : 1,067mm
車軸配置 : 0-6-2(C1)
動輪直径 : 1,219mm(1914年度版では1,245mm(2106 - 2111)、1924年版では1,250mm、1914年版以降1,270mm(2112 - 2116))
弁装置 : スチーブンソン式基本形(2115, 2116はアメリカ形)
シリンダー(直径×行程) : 406mm×610mm
ボイラー圧力 : 9.8kg/cm2(1924年版では11.3kg/cm2)
火格子面積 : 1.33m2(1924年版では1.31m2)
全伝熱面積 : 93.6m2(1924年版では92.9m2)
煙管蒸発伝熱面積 : 84.2m2
火室蒸発伝熱面積 : 9.4m2(1924年版では8.7m2)
ボイラー水容量 : 3.0m3
小煙管(直径×長サ×数) : 45mm×3140mm×192本
機関車運転整備重量 : 45.47t(1924年版では46.36t)
機関車空車重量 : 35.85t
機関車動輪上重量(運転整備時): 37.85t(1924年版では38.24t)
機関車動輪軸重(最大・第3動輪上): 12.70t(1924年版では12.93t(第2動輪上))
水タンク容量 : 7.73m3(1924年版では7.8m3)
燃料積載量: 1.65t(1924年版では1.9t)
機関車性能
シリンダ引張力 : 6,870kg
ブレーキ装置 : 手ブレーキ、真空ブレーキ

 

日本鉄道が輸入した2109号は国鉄で廃車された後、西濃鐡道に譲渡され1970年まで活躍、その後は大井川鐡道で動態保存蒸機の先駆けとして活躍、1993年に日本工業大学に寄贈され現在も月に一回の頻度で展示運転がなされています(コロナ禍の状況では休止かもしれませんが)。

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2020年9月 9日 (水)

保存蒸機 宮代町町役場に保存されている東武鉄道B4形40号(旧鉄道省5655号機)

2017年10月の九州北部の旅行の約1か月後、訪問したのは東武動物公園駅から徒歩5分ほどの宮代(みやしろ)町役場横に保存されている東武鉄道40号でした。

Dsc01871 2017/11/20 機関車は役場の建物に寄り添うように保存されています。

東武鉄道は明治32年(1900年)に蒸機鉄道として開業しました。大正13年(1924年)からは電化が開始され、その進展とともに旅客は電車になりましたが、貨物は蒸気機関車牽引が続き、1966年にお別れ列車が運転されるまで蒸機の時代が続きました。一時は延べ85両もの蒸気機関車が在籍し、蒸機王国と言われたこともありました。拙blogでも東武鉄道の蒸機は何度か登場しています。板橋区の城北交通公園のKoppel製ベビーロコ号(この車両は牽引力の小ささから本線での営業はなかったようですが)、大田区の萩中中央公園のB3形34号機、いなべ市の三岐鉄道貨物博物館の東武39号機です。

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前照灯が欠損しているのは残念ですが、車体は美しく整備されていました。

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このタイプの特徴は後部の途中から斜めに上がって行くランボードです。

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足回りはロッドのみというシンプルな構造です。Dsc01855 キャブ内部にも立ち入ることができます。

Dsc01852 大きめの炭水車です。

今回の40号機は1898年英国シャープ・スチュアート社製SSbt2/4形 で日本鉄道が6両購入し、官設鉄道5650形となった1両で、まさに三岐鉄道貨物博物館の東武39号機の兄弟機です。沖田祐作氏の機関車表のデータでは
1898 Sharp Stewart 製番4438
納入 日本鉄道212
1906-5-31現在 一ノ関
1906-11-1買収 国鉄212
1909-10-1改番 5655
1915頃 新津
1922-2-20廃車 新津
1922-2-8譲渡 東武鉄道40
1966廃車  となっており、1922年に廃車となった後、東武鉄道に譲渡され、40号と附番されました。東武鉄道では1966年まで貨物列車を牽引して活躍しました。

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2020年9月 8日 (火)

公園保存蒸機 遠賀町総合運動公園の8620形 78626号機

芦屋町には航空自衛隊の芦屋基地がありますが、これは帝国陸軍が建設したもので、戦後進駐軍が接収し、米軍基地となり、その際に遠賀川駅から基地までを結ぶ資材輸送用の芦屋線が敷設されました。それが基地の返還とともに廃線となり1961年に消滅しました。その辺のことは以前、遠賀川駅の記事で触れました。

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2017/10/14 鹿児島本線の煉瓦造りのガード、4輪車は進入できません。

遠賀町総合運動公園は、遠賀川橋梁と遠賀川駅の間、鹿児島本線の線路の南側にあります。

8620形式は1914年度から1929年度にかけ、汽車製造、日立製作所、川崎造船所、日本車輌、三菱造船所で672両製造されました。沖田祐作氏の機関車表では
1923-5-2 川崎重工兵庫工場 製番987
1923-5-12使用開始 配置 宮崎
1927-4-1現在 南延岡
1933-6-30現在 南延岡
1955-8-1現在 西唐津
1964-4-1現在 西唐津
1965-2-1現在 直方
移動時期不明 香椎
1967-6-12都城
1968-10-1南延岡
1971-5-21全検
1974-4-25休車
1974-8-6廃車 南延岡
1974-9-3貸与
1975-2-5保存 遠賀町 となっています。新製配置から廃車ななるまで九州で活躍し、保存も九州の機関車です。尚、Wikipediaでは製造は1924年となっています。

Dsc00167 Dsc00166 前照灯が欠損しています。

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デフレクターは標準タイプです。

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キャブの窓には網が張られています。

Dsc00174 かつて整備されたようですが、時間が経過してだいぶ傷んできたようです。

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2020年9月 7日 (月)

芦屋町高浜町児童公園、およびその付近の興味深いこと

先日の記事で福岡県芦屋町高浜町児童公園に静態保存されているD6061号機を紹介しましたが、同公園や周辺には興味深い物がいくつかありました。今回はそういったものをこの機会に紹介しておきます。

Dsc00144 Dsc00146 2017/10/14 まずはこの児童公園のトイレですが、平成13年度(2001年度)の宝くじの助成によって設置されたものだそうで、D60を模したSL形のトイレでした。

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近くには芦屋中央幼稚園がありますが、そこの園児送迎用のばすもSLのスタイルを模したものでした。ナンバープレートも111、333でした。

最後は訪れた時はちょうど衆議院選挙の選挙運動期間で、ここは福岡8区で日本中で知らない人とは恐らくいない候補者の選挙区でした。

Dsc00150

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2020年9月 4日 (金)

公園保存蒸機 芦屋町高浜町児童公園のD60 61号機

第二次世界大戦後の1950年代、戦前、戦時中に量産された乙線規格のD50、D51等の貨物用蒸機は電化の進展などで余剰車がかなり発生していました。一方で丙線区では9600形C58形が貨物列車を牽引していましたが、9600形は老朽化が進み、C58形は牽引力の不足が問題でした。これらの問題を解決するために余剰化していたD50形のうち、状態の良い車両を軸重軽減改造し、丙線規格にしたのがD60形式でした。

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2017/10/14 D50、D60のスタイルは後継機のD51に較べると給水温め器がC55, C57のようにエプロンにあり、ランボード前端もゆったりとカーブしており、煙突もC51の流れをくむ化粧煙突と余裕を感じさせるスタイルです。

他のD60代(D61、D62)と同様に従台車を2軸とし、1D1のミカドから1D2のバークシャーとしました。これにより軸重は14.70tから13.67tに軽減されました。軸重低減による空転を防止するために、シリンダー直径を570mmから550mmとし、出力低下を抑えるためにボイラー加熱面積を64.4㎡から75.2㎡に拡大しました。総重量(炭水車を除く)は81.56tとなりました。

Dsc00120 動輪は大正期のSLらしくスポークタイプです。D50(開発時は9900形式)は箱根越えのために9600を上回るパワーの機関車として当初は1E(デカポット)軸配置案も考慮されましたが、18900形(C51)の成功もあり、1D1になったそうです。

Dsc00126 D60の最大の特徴はこの2軸従台車ですが、当初C62、C61にはLT253が使用され、動輪との干渉を避けるため台枠前部を下げたLT254がC60,D60,D61, D62に使用されました。動輪側の担バネと従台車車軸の担バネはイコライザーで連結されており、イコライザー取り付けピン孔を変えることで車軸への重量配分を変化させることが出来ました。

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D51では給水ポンプはランボードの下にありますが、D50,D60では突き抜けています。潅水清浄装置も装備されています。

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ライト類も欠損なく非常によく整備されています。

1951年から1956年にかけ、国鉄浜松工場、長野工場、土崎工場にて78両が改造されました。この数は2軸従台車改造された60代形式の蒸機では最大となりました。

D6061号機は1928年製造のD50282号機から1954年に浜松工場で改造されました。
沖田祐作氏の機関車表のデータでは
1928-9 汽車会社大阪工場 製番1027 D50282
札幌局配属
1933-6-30現在 函館
移動時期不明 岩見沢
1954-11-24浜松工場改造 D6061
配置 大分
1964-1頃 小倉工場にて切取式除煙板K-7装備
1970-10-4直方
移動時期不明 若松
1971-4-16全検
1974-6-6休車
1974-8-20廃車 若松 

で、D50時代は北海道、D60改造後は九州で活躍、D60として最後まで活躍した機関車となりました。改造10年後の1964年に門鉄デフK-7が装備されました。

余談ですが、D50形式は380両が製造されましたが、後継形式のD51の登場やD60への改造で、蒸気機関車終焉期にはほとんど現存車両が無く、保存されているのは北見市の25号機、梅小路の140号機の2両です。D60形式は山口県立山口博物館に1号機、福岡県内に27、46、61号機が保存されています。D51形式は178両が保存(一部、解体されたものもあり)、D61形式は6両が改造、保存されたのは3のみで4は解体され動輪のみが残されました。D52形式は285両製造、7両が保存、D62へは20両が改造されましたがこちらは全車解体されました。

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2020年9月 3日 (木)

直方市石炭記念館の保存貨車 ロト22号

直方市石炭記念館の保存車輛(貨車)今回はKoppel32号機に連結されていた砂運車ロト22号です。

貝島炭鉱鉄道でKoppel32号機に牽引されて活躍しましたが、昨日のセムのように石炭を運搬するためのものではなく。石炭を採掘した坑道を埋めるための土砂運搬用に利用されました。

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連結器はリンク式です。

同形式の貨車としてロト12号が宮若市石炭記念館に、ロト39号が小竹町町民グランドに保存されている様です(情報源)。

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2020年9月 2日 (水)

直方市石炭記念館の保存貨車 セム1

今回は昨日のC11131号機の後ろに連結されて展示されている石炭輸送用貨車セム1形セム1です。

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拙ブログでは以前に若松駅前に保存・展示されているセム1形セム1000を紹介しました(記事)。セム1、セム1000ともに同形式ですが、履歴は異なります。

北九州における石炭輸送で専用の貨車が使用されたのは1897年以降だそうです。それまでは通常の2軸無蓋車が使用されていました。最初に使用された底開き式石炭車はVan der Zypen & Charuer製の軸距2500mmの木造車で7トン積みでした。その後、5トンから9トン積みの貨車が大量に増備され、1907年の九州鉄道国有化時点では4640両になっていました。この頃は貫通制動が無いため、4~5両に一人の制動手が乗車し、機関車の汽笛の合図で一斉にブレーキハンドルを操作していました。1911年に形式称号が定められ、手用制動器付はフタ、鋼製はテタ、フテタとなりました。

セム1000は9t積テタ3600.4882形から大正3~6(1914~1917)年度に一旦13t積テタ6450形に改造され、大正6~9(1917~1920)年度に再改造されテタ15000M44形になり、昭和3(1928)年の改番でセム1形になったグループでセム655~2181の仲間でした。一方、セム1は1~2181の仲間とともに明治末期に鉄製炭車(テタ)として製造され、大正期に増トン工事が行われ、現在の形態となり、昭和3(1928)年の改番でセム1形になりました。

石炭採掘、輸送の最盛期には3200両在籍し、長らく北九州の石炭輸送に活躍しましたが、昭和29(1954)年から計画廃車が開始され、1978年に消滅、セム1とセム1000の2両のみが保存されました。

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セム1は炭庫が全鋼製で空気ブレーキが装備されているのに対して、セム1000は炭箱上半分が木板で貫通管はあるものの空気ブレーキは装備されていないという違いがあります。

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2020年9月 1日 (火)

直方市石炭記念館の蒸気機関車 C11 131号機

直方市石炭記念館の保存車輛、今回はC11形式131号機です。

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2017/10/14 訪問したときはSL愛好家団体汽車倶楽部による修復作業の真っ最中でした。

沖田祐作氏の機関車表データによると
1938-2-22 日本車輛名古屋工場 製番566
門司局配属
1955-8-1現在 直方
1962-3現在 直方
1964-4-1現在 門司
1970-10-1休車
1971-1-7(1-29?)廃車 門司 名古屋の日本車輛製造で1938年2月に製造され、門司局に配置後、廃車になるまで九州北部で石炭輸送に活躍したようです。

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この機関車の修復作業に関しては汽車倶楽部のサイトによれば2017年9月から2018年3月まで行われ、2018年4月29日に完成お披露目会が行われたとのことです。修復作業の様子がサイトに詳報されていますが、腐食箇所を修理、ガラスは自作して補修、ボイラーの修復こそしないものの、展示静態車両として徹底した修復がなされていることがわかります。

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