直方市石炭記念館の保存貨車 セム1
今回は昨日のC11131号機の後ろに連結されて展示されている石炭輸送用貨車セム1形セム1です。
2017/10/14
拙ブログでは以前に若松駅前に保存・展示されているセム1形セム1000を紹介しました(記事)。セム1、セム1000ともに同形式ですが、履歴は異なります。
北九州における石炭輸送で専用の貨車が使用されたのは1897年以降だそうです。それまでは通常の2軸無蓋車が使用されていました。最初に使用された底開き式石炭車はVan der Zypen & Charuer製の軸距2500mmの木造車で7トン積みでした。その後、5トンから9トン積みの貨車が大量に増備され、1907年の九州鉄道国有化時点では4640両になっていました。この頃は貫通制動が無いため、4~5両に一人の制動手が乗車し、機関車の汽笛の合図で一斉にブレーキハンドルを操作していました。1911年に形式称号が定められ、手用制動器付はフタ、鋼製はテタ、フテタとなりました。
セム1000は9t積テタ3600.4882形から大正3~6(1914~1917)年度に一旦13t積テタ6450形に改造され、大正6~9(1917~1920)年度に再改造されテタ15000M44形になり、昭和3(1928)年の改番でセム1形になったグループでセム655~2181の仲間でした。一方、セム1は1~2181の仲間とともに明治末期に鉄製炭車(テタ)として製造され、大正期に増トン工事が行われ、現在の形態となり、昭和3(1928)年の改番でセム1形になりました。
石炭採掘、輸送の最盛期には3200両在籍し、長らく北九州の石炭輸送に活躍しましたが、昭和29(1954)年から計画廃車が開始され、1978年に消滅、セム1とセム1000の2両のみが保存されました。
セム1は炭庫が全鋼製で空気ブレーキが装備されているのに対して、セム1000は炭箱上半分が木板で貫通管はあるものの空気ブレーキは装備されていないという違いがあります。
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B767−281様 お早うございます。9月に入って少し暑さも楽になりましたね。このままおさまってくれると良いのですが。さて石炭車中学で地理を学んだころは、もう石炭は斜陽産業でボタ山と石炭列車は九州の歴史を振り返る時に出てくる感じでした。関連して思い出したのが奥多摩の石灰列車です。立川を通って南武線経由で川崎方面へと、最初はED16が牽き晩年はEF64が牽いていました。今はトラック輸送なのでしょうか?すみません話がずれてしまいました。セム1、明治時代の製造ですか!長持ちですね。最近の「使い捨て」とは違いますね。よく保存してくださりありがたいです。
投稿: 細井忠邦 | 2020年9月 2日 (水) 10時35分
細井忠邦さま、おはようございます。
石炭の歴史は単に燃料だけではなく、製鉄、化学工業とまさに産業革命の中心的役割を果たしてきたことが、石炭記念館の展示を見ても分かります。
一方で青梅線はまさに石灰石輸送のために敷設された路線だったのですね。
鐡道を接点に産業の変化の歴史が学べるのも興味深いことです。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2020年9月 3日 (木) 04時09分