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2020年11月27日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 46 長野電鉄、懐かしの車両 0系、および10系

地方私鉄の中でも長野電鉄は長野駅~善光寺下間の地下化のように他の地方私鉄とは一線を画す奇抜なものを感じます。車両面でも今回紹介するOSカーはかなり異色です。

OSカーとはOfficemen & Students Carの略で、0系が企画された際、逼迫していた朝ラッシュ時の通勤・通学輸送を意識したものだそうです。
1966年に20m車体4扉の0系が登場しました。制御電動車モハ0形と制御車クハ50形の2両編成が2本製造されました。FRPを車両正面全面に採用した日本初の車両で、地方私鉄として積極的にラッシュ対策を施したことが評価され、1967年鉄道友の会からローレル賞が授与されました。

座席はロングシート、定員は160名、座席定員は54名でした。リンゴのイメージさせる赤2号とクリーム4号による塗り分けは警戒色の意味も兼ねて本系列にあわせてデザインされたもので、在来車にも及んで行きました。FRP製の前面は、踏切破損の防止のため前照灯、尾灯、方向幕を上部にまとめており、方向幕は種別表示と行き先表示を上下二段で表示しました。行先には分割運転を見越して「湯田中・木島」の表示を第一編成登場時から備えており、側面にも電動で操作できる行先・種別幕を装備しました。

台車は枕ばねがオイルダンパ併用のインダイレクトマウント式コイルばね、軸箱支持はペデスタル式のNA-18A(モハ0)、NA-18AT(クハ50)でした。車輪径は電動台車は910mm、付随台車は860mmでした。135kWの主電動機でWN継ぎ手による駆動方式のため、電動台車の車輪径は大きく設定されました。朝ラッシュ時には4連で運転されるため、先頭部には回り子式密着連結器が装備されていました。2500導入で4連運用が置き換えられてから後は密着自動連結器に交換されました。2編成導入後、さらに5編成が導入される計画でしたが、乗客数の減少で増備は中止になりました。
長野~須坂~信州中野~湯田中間で運用されましたが、ワンマン運転対応改造が難しく、発電ブレーキを装備していない点も仇となり、長野オリンピックを目前に控えた19973500に置き換えられる形で廃車となりました。

Os11-61-091231

2009/12/31 廃車後、須坂駅構内で物置代わりとして留置されていた10系 OS11編成

1981年3月1日の長野線長野~善光寺下間の地下化に備え、半鋼製車の置き換えを目指し、A-A基準を満たす車両として日本車輛製造で1980年に製造されたのが10系OSカーです。当初は0系、2000系、モハ1500形以外の全車両を置き換える計画でしたが、製造コストの点から東急5000譲受、改造による2500系導入の流れとなり、1編成の製造に留まりました。本系列以降、自社用新造車はありません。

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系に対する変更点は
・前面のFRP構造をやめ、一般的な鋼板製の三面折妻の三窓式形状への変更
・正面貫通扉からの隙間風による冬季の運転環境悪化を防止するため、非貫通化
・冬季の車内保温を目的に、4扉から3扉へ変更
・主電動機出力を150kWにアップし、抑速発電ブレーキを採用  です。

定員は160名で同じですが、ドア数の減少により、座席定員は62名に増かしました。

台車は、軸箱支持は0系同様のペデスタル式ではあるものの、枕ばね周りは、オイルダンパ併用の単列二重コイルばねと組み合わされた、やや旧式のスイングハンガー式(揺れ枕+揺れ枕吊り)が採用され、台車形式はNA-36形(モハ10)、NA-36T形(クハ60)となりました。木島線や屋代線がワンマン化されて以降は長野線専用となりましたが、0系同様ワンマン化改造が難しいため、製造から23年の2003年に廃車となりました。
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OS11
モハ11 - クハ61

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コメント

B 767-281様お早うございます。OSカー、懐かしい車輌です。確か「子どもの科学」と言う雑誌(とは言えしっかりした内容でした。)に紹介されていました。まだ小学生だったので、遠い地方の小さな私鉄でこんなに凄い電車が導入されたのか!と驚いた覚えがあります。初代の4扉はさすがに多すぎだったのですね。最近は東急をはじめとして良い中古車が出ているので、なかなか地方では新車は難しいのでしょう。しかしまだ使える車が有効活用されるのはいいことですね。

細井忠邦さま、おはようございます。

わたしも「世界の鉄道」の記事だったか、このOSカーの登場を知り、驚いたのを記憶しています。また「子供の科学」、中学校のころは愛読していました。トランシーバー、インターホンなど製作の記事を見て、秋葉原に行き、基盤、真空管、トランジスター、抵抗、コンデンサーを買い集め、タッパーウエアを加工して作った憶えがあります。誠文堂新光社が頑張っているのは嬉しいことです。

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