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2020年11月30日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 47 長野電鉄、懐かしの車両 2000系 その1 マルーン色

長野電鉄の懐かしの車両、今回からは2000系です。2000系は志賀高原を観光地として開発した長野電鉄が輸送力を確固たるものにするために1956年5月に導入に踏み切った新型特急電車で、これまで長らく協力関係にあった日本車輌製造とともに1957年から1964年まで、3両編成4本が製造されました。

2001-091231
2009/12/31 須坂 特急運転開始50周年を記念して2007年2月17日より、マルーン色に塗り替えられたA編成

先日のOSカーとともにこちらも地方私鉄の電車としては希有の存在でした。開発に辺り、長野電鉄が日本車輌製造に提案した条件は
・電動車2両ユニット間に付随車1両を挿入した3両編成を基本とし、必要に応じて付随車を抜くか挿入した4両編成でも運転可能とする。
・車体は軽量にしながら強度を確保するため、準張殻構造(セミ・モノコック構造)とする。
・外観は流線型とし、客室設備にも配慮、観光鉄道に相応しい斬新な車両とする。
・軽量かつ高速に適する防震台車を用いる。
・主電動機は75kW級とし、狭軌用のWN駆動装置を用いる。
・強力迅速なブレーキ力を確保するため電空併用ブレーキを用いる。
・下り坂で発電ブレーキを効かせることのできる制御スイッチ:降坂抑速ノッチを設ける。         でした。

この提案を受けて日本車輌製造の設計陣が考慮したのは名古屋鉄道が1955年に製造した5000系で図面は一から引き直したそうですが、ボディスタイリングは5000系を意識したものになりました。台車は富山地方鉄道14770形1955年製造)に装備して実績のあった日本車輌自社製のNA-4P形(ゲルリッツ方式ウィングばね型)台車を装備し、電空併用ブレーキについては1954年以降に小田急電鉄や近畿日本鉄道、名鉄などで採用されていた最新式の「HSC-D」電空併用電磁直通ブレーキが採用されました。
電装系は三菱電機が担当し、同社がライセンスを有していたアメリカのウェティングハウス・エレクトリック社とナッタル社の共同開発したWN駆動方式が採用されました。もともと京阪1800系など1435mmの標準軌に適合した方式で、狭軌に適合させるのは至難の業でしたが、WM継手とモーターの小型化で対応させました。1956年12月に就役した富士山麓電気鉄道(現、富士急行)の3100形で55kWモーターで実現し、1957年、長野電鉄2000系で75kWモーターで実現しました。その後、1959年には小田急2400形では120kWモーターに、1963年には近鉄6900系(後の6000系)135kWモーターでも実現しました。先日の記事にあるように長野電鉄OSカーにも使用されました。

1957年2月
第1編成A編成 モハ2001-サハ2051-モハ2002
第2編成B編成 モハ2003-サハ2052-モハ2004
1959年11月
第3編成C編成 モハ2005-サハ2053-モハ2006
1964年8月
第4編成D編成 モハ2007-サハ2054-モハ2008

第1~3編成は蕨市にあった東京支店で製造されましたが、第4編成は新幹線開業前の量産等で多忙であったため名古屋本店が担当しました。

主要諸元
起動加速度 2.6 km/h/s
減速度 3.5 km/h/s
全長 18,600 mm
車体 普通鋼
台車 日本車輌製造 NA4P・NA4
主電動機 三菱電機 MB3032-A
主電動機出力 75 kW × 4基
駆動方式 WN駆動方式
制御方式 抵抗制御
制御装置 三菱電機 ABF-108-15
制動装置 電空併用電磁直通ブレーキ HSC-D

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コメント

B 767-281様こんにちは。今朝はうちの辺りは初霜でした。ようやく本格的な寒さ到来でしょうか。さて2000系、電空併用電磁直通ブレーキがついているのですか。先進的な車両だったのですね。初期の高性能電車は各社とも様々な工夫があって、改めて調べてみると興味深いですね。国鉄の103系など第二世代の方が後退している部分もあるなと思います。

細井忠邦さま、おはようございます。

ある意味、一年の中で日の入りが最も早くなるこの時期はまさに冬の到来を感じる時期ですね。一方で日の出の最も遅くなる1月第二週頃は冬真っ盛りの時期ですが。
志賀高原は長野電鉄が開発したという言葉を以前から聞いていましたが、今回、同社の車両を勉強することでそれが理解できたように思えます。

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