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2020年12月28日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 66 しなの鉄道線に関して

2018年晩夏の信州の旅、往路は中央本線でしたが復路はしなの鉄道で軽井沢へ、碓氷峠はバスで下り、横川からはJR東日本を利用しました。

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しなの鉄道株式会社 ロゴ

しなの鉄道は1997年10月1日北陸新幹線高崎~長野間の開業でJR東日本から経営移管された旧信越本線軽井沢~篠ノ井間(65.1km)を運営する会社(第三セクター鉄道 長野県73.64%、長野市3.88%、八十に銀行2.69%、上田市2.23%、千曲市1.98%)として設立されました。2015年3月14日には北陸新幹線長野~金沢間の延伸開業で長野~妙高高原間(37.3km)も経営移管されました。篠ノ井から長野に関しては引き続きJR東日本が経営し、しなの鉄道が乗り入れる方式となっています。

路線最大の運賃収入が見込まれる同区間については篠ノ井線の特急列車ダイヤ調節との理由からJR東日本は経営分離しないことから、しなの鉄道側は不満を訴えてきました。

長野県とJR東日本長野支社が2002年に実施した調査では同区間の年間運賃収入は約14億円であり、仮にしなの鉄道が同区間の経営を担当した場合、JRグループ各社との間で列車の運行調整を行うためには技術的経費的に困難であること、さらにしなの鉄道の当時の人件費・駅管理費等の維持コストを基に営業損益を試算すると年間10億円の損失が生じることがわかり、引き続き従来通り、しなの鉄道が乗り入れる方式となりました。

現有車両はJR東日本から譲渡された115系2020年から導入が進められているSR1系ですが、今回の記事では既に退役した169系について触れようと思います。

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169-s53-091231-32009/12/31 篠ノ井 169系S53編成

169系に関しては拙Blogにおいても2013年7月16日記事で触れていますが、1963年10月1日の碓氷峠新線開業でEF63重連による推進・抑速運転方式となりましたが電車の編成両数は8両に制限されていました。1967年165系900番台としてEF63重連との協調運転可能な編成が試作され、1968年から1969年にかけ、協調運転可能な装置類を搭載した系列として誕生したのが169系でした。McM'Tc27組81両が新製、サロ165形を改造した19両、サハシ153形を改造した10両の計110両の所帯となりました。

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しなの鉄道には3両編成4本(S51~S54)と部品供給用の車籍無しの3両が譲渡されました。全ての編成がJR時代は快速「みすず」で活躍していた4連のアコモ改良工事施工車でシートはD21もしくはD23リクライニングシートでした。譲渡にあたり、サハ165が抜かれ3連となりました。トイレは使用禁止で、保安装置はATS-SNのため、S54編成はATS-Pを撤去しました。サービス電源はS52以外はSIVに換装されました。塗装は移籍時は旧長野色でしたが、まもなくしなてつカラーに変更されました。S52編成に関しては2008年9月、信越本線軽井沢~関山間開業120周年を記念し、旧国鉄色となり、2009年3月にはしなの鉄道色に戻り、2010年9月18日、2回目の旧国鉄色となりました。

2013年3月15日を以て営業運転を終了、同年8月1日までに全車廃車となりました。坂城駅に保存されたS51編成については後日、触れます。

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2020年12月25日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 65 長野電鉄で短縮版小田急ロマンスカーHiSEに乗車

2018年晩夏、信州の旅、長野電鉄の車両をいろいろと見てきましたが、最後は2005年に小田急電鉄から2編成、無償譲渡された1000系愛称「ゆけむり」です。

1000-s1-091231_20201224184301 2009/12/31 須坂 S1編成

1000-s2-091231 2009/12/31 須坂 S2編成

小田急における10000形HiSEに関しては2019年6月13日の記事で触れました。小田急時代は11車体12台車の連接車で4編成(10001,10021,1004110061)在籍しましたが、50000形VSE車の投入で余剰となり、10021、10061の2編成がまず2005年に廃車されました。譲渡に当たり中間車7両が抜かれ、4車体5台車の連接車となりまいた。その後10041編成は2011年6月16日に運用離脱、10001編成は2012年3月17日のダイヤ改正で運用離脱しました。10001編成の新宿より先頭車は小田急ロマンスカーミュージアムにて展示されるそうです。

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改修工事は愛知県豊川市の日本車輌製造豊川製作所にて施工されました。2006年12月9日より長野~湯田中間のA特急「ゆけむり」として運転が開始されました。

1000-s1-180901 2018/9/1 湯田中 S1編成 デハ1001展望席 運転席に入るためには台に上り、天井から階段を下す必要があります。

 1000-s1-180901-edit  展望席から見た前方。車内に段差を設け高床構造にしたことがバリアフリー化で問題となり、小田急からの引退に繋がったと言われています。

2018年の旅行では湯田中から長野に戻る行程で1000形に乗車することができ、人気の先頭車ではなく最後尾からの展望を楽しめました。

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2020年12月24日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 64 1720系から100系、そして500系の時代へ

東武鉄道が1960年1720系DRCを登場させ、一方の国鉄は157系1969年4月25日のダイヤ改正で東京~伊豆急下田間に新設された特急「あまぎ」に充当するために165系に置き換えたことで、日光戦争は東武側の勝利で決着しました。

100-101106 2010/11/6 大宮 ちょうど東武野田線大宮駅に沿った東北本線を通過するリニューアル前の100系「スペーシア」

1990年、1720系DRCに代わる新たな日光線特急列車用車両として100系スペーシア」が登場しました。1991年までに6両編成9本がアルナ工機と東急車輌製造で製造され、1991年9月1日に1720系を全車置き換えました。東武鉄道としては初のオールアルミ合金製の車体で軽量化、低重心化が図られ、車内の静粛性のため床部分の厚みはDRCの50mmから130mmとなりました。拙Blogでも100系「スペーシア」に関しては2015年6月18日(リニューアル前)と7月9日の記事(リニューアル後)で触れていますが、早いもので同系の登場から30年が経過し、1720系を置き換えて、来年で30年となります。

100-sco-106-140330 2014/3/30 赤羽 湘南新宿ライン、山手貨物線を新宿に向かう106編成 サニーコーラルオレンジ

100-107f-130622 2013/6/22 大宮 107編成 雅

100-108-130707-2 2013/7/7 新大久保 109編成 粋

2006年3月18日から開始されたJR線乗り入れに備え、2005年度に106-108編成はATS-P車上装置、JR線用列車無線装置、EB装置、TE装置、信号炎管の設置工事が施工され、座席番号表示はJR方式も追加され、個室車両にグリーンマークが添付されました。

100-106f-150718-2 2015/7/18 東十条 106編成 日光詣

100-106f-160528-8 2016/5/28 大宮 車体側面に貼られた日光詣ステッカー

2015年は日光東照宮四百年式年大祭が行われる関係でまず103編成が4月18日から特別塗装の「日光詣スペーシア」になったのに対し、7月には106編成も同特別塗装に変更されました。

500-0503-170505 2017/5/5 西新井 503+505併結の6連

2016年からは併結・分割機能を活かした500系3両編成8本が川崎重工業で製造され、日光線、鬼怒川線、伊勢崎線、野田線、および野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線に投入され、2017年4月21日から営業運転が開始されました。愛称はRevatyで、多線区のvarietyと自由度のlibertyを組み合わせた造語とのことです。2020年には3編成増備され、11編成となりました。

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2020年12月23日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 63 日光戦争、東武側の対抗策

253系東武直通特急の話題から東武鉄道まで話が飛んでいますが、国鉄と東武の間で首都圏~日光間の乗客の争奪戦が始まる前の東武は1948年8月から日光向けに一般乗客用の特急列車の運行を開始しました。このときに運用されたのは1937年から1939年にかけて製造されたモハ5310形、クハ350形でした。これらの車両は戦時中はロングシート化され、一般車として運用されていましたが、特急運用のため,再度固定クロスシートに改造したもので、「華厳」「鬼怒」の愛称が付けられましたが、特急用車両としては設備面で見劣りがするものでした。

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5701-140716-5 2014/7/16 東武博物館 5700系 A編成

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5700-140716 2014/7/16 東武博物館 5700系 B編成

1950年6月から国鉄が上野~日光間で準急「にっこう」の運行を開始するのに対抗して、接客設備の改善を目指し登場させたのが5700系でした。1951年と1953年の2回に分けて12両が新造された本格的特急用車両で日本車輛製造東京支店、汽車製造東京製作所、ナニワ工機製の3社が製造を担当し、
非貫通構造の運転台タイプ(A)編成 モハ5700+クハ700 2両編成2本
貫通構造の運転台タイプ (B)編成 モハ5710+クハ710 2両編成2本
Bと同様の車体に直角カルダン駆動装置 モハ5720+クハ720 2両編成2本   が製造されました。
 
車体長18m、車体幅2.8mmの半鋼製車体、モハ5700、モハ5710は東洋電機製造製のTDK-528/9-HMをモハの各台車に2基ずつ吊り掛け式で装架し、歯数比18:62=3.44、定格速度59.0km/h、加速性能を重視する一般車並みの設定でした。モハ5720は東芝製SE-507Bを各台車に2基ずつ直角カルダン方式で装架し、歯数比10:49=4.9、定格速度70.0km/hで5700,5710とは明確な性能差がありました。そのため、格下げ時には5720のみ特急用として残されました。

1955年10月、国鉄がキハ55系を投入すると、東武は速度と車内設備の向上を狙い、全金属製車体、カルダン駆動、MM'ユニット構成、全電動車方式、最高許容速度145km/hの1700系8両(1956年)、1710系4両(1957年)を登場させました。製造は5700系同様、ナニワ工機、日本車輌製造、汽車製造 が担当しました。1700系が登場すると5700系、5710系は急行運用となり、1700系全編成が登場した時にはC編成5720系も急行運用に格下げされました、

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2014/7/16 東武博物館 1720系

1959年、国鉄が157系を登場させると東武は1700系の電動機を改良、中速度から高速域の性能向上を図り、平坦線釣合速度は165 km/h(運転最高速度は110 km/h)。起動加速度2.3 km/h、減速度3.7 km/h/s(常用)の高性能車を登場させました。これが1720系、通称デラックスロマンスカー(Deluxe Romance Car 略称:DRC)です。1960年から1973年にかけ6両編成7本が、ナニワ工機、日本車輛製造で製造されました。

国鉄151系157系に対抗して内装の充実化も図られ、座席は当時の国鉄特急形一等車と同等の3段ロック式リクライニングシートとフットレストを全車に装備し、前後間隔(シートピッチ)は1,100 mmと広く、向かい合わせ使用時でもテーブルが使用可能なよう、窓側に折り畳み式テーブルを設けました。8個の回転椅子とジュークボックスが設けられたフリースペース、サロンルームが準備されました。当初はアナログレコートを演奏するジュークボックスがありましたが、1989年CDの急速な普及による入手困難と座席数増加の目的から通常座席に変更されました。1編成あたり2箇所ビュッフェが設けられました。外国人観光客に配慮して、和式と洋式の2種類のトイレが設けられました。日本の鉄道車両としては最初にマジックドアがに導入されました。

1700系も1720系登場と前後する時期に冷房装置の搭載改造が行われ、当初は全面貫通スタイル、前照灯は貫通扉上に1灯でしたが、1971年12月に「さよなら運転」を行い、1720系と同様のスタイルに生まれ変わる更新改造を受けることになりました。

1990年6月1日、後継車である100系スペーシア」の営業運転が開始され、1991年8月31日を以って全車両が置き換えられました。1700系からの更新車も同時期に廃車となりましたが、営業運転を離脱した1700・1720系は台車・主電動機などが200系に更新され現在も活躍中です。

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2020年12月22日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 62 東武直通特急で活躍する253系1000番台

253系の第5次車として2002年に登場した200番台車は、2010年9月末に253系が成田エクスプレス運用から撤退した後も直ちに除籍されることはなく第二の車生として東武直通特急に転用されることになりました。そのために大きな改造が施され、番台も1000番台となりました。

2531000-omn01-110608 2011/6/8 大宮 OM-N01編成

2531000-omn01-130427 2013/4/27 鶴見 OM-N01編成

まず第一点は成田エクスプレス時代は頻繁に行われていた分割併合が無くなったことから、前面の貫通路は塞がれ非貫通形に変更され、電気連結器も撤去されました。

主回路は界磁添加励磁制御方式から、東洋電機製造製のSC96形VVVFインバータ装置(2レベルIGBT素子・1C4M2群制御・ベクトル制御・純電気ブレーキ対応へ更新されました。それに伴い、ブレーキチョッパ装置・断流器・フィルタリアクトル・ブレーキ抵抗器も更新され、主電動機はMT74Aに、補助電源装置はSC97形(IGBT素子使用・定格出力210kVA・三相交流440Vを出力に更新されました。

グリーン車はなくし、オール普通車とし、グリーン個室設置部分は運転席側座席を撤去した上で業務用室(車内販売準備室)へ変更しました。編成内のトイレ位置を均等化するためサハ253形の組成位置を変更し、クハ253形1000番台-サハ253形1000番台-モハ253形1100番台-モハ252形1000番台-モハ253形1000番台-クモハ252形1000番台といった連結順序にしました。定員は290名です。

2531000-omno2-110717 2011/7/17 北浦和~与野 OM-N02編成

2531000-omno2-120415-2 2012/4/15 久喜 OM-N02編成

東武鉄道乗り入れ対策として、東武ATSならびに列車無線装置を搭載しました。設計最高速度は130km/h、営業最高速度は120km/hに設定されました。

253-om102-130727 2013/7/27 新鹿沼 OM-N02編成

配置は従来の小山車両センターから大宮車両センターとし、編成番号はOM-N01,OM-N02としました。

2010年12月23日に東急車輛を出場し、2011年4月16日から運行開始予定でしたが、東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電者事故により、2011年6月4日から、「日光」「きぬがわ」での営業運転が開始されました。

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2020年12月21日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 61 日光戦争から東武直通へ

2018年晩夏の信州の旅、またまた大きく脱線して話は栃木県日光への旅の話題となりますことをお許し下さい。

2010年9月
253系0番台はE259系に道を譲るように成田エクスプレスからは去って行きました。そんな中で2002年に製造された5次車はまだ車歴が浅いことから、JR東日本での第二の車生を歩むことになりました。それが2006年3月18日のダイヤ改正から開始された栗橋の連絡線を介したJR東日本の宇都宮線~東武日光線直通運転です。

日光への鉄道ルートは1890年8月に日本初の私鉄である日本鉄道が日光線を開通され、1906年の国有化で国有鉄道の路線の一部となってからは大正時代までは最速で唯一の交通路でした。しかし、1929年10月に東武日光線が全線電化で開通すると大きな脅威となり、国鉄~JRと東武の間で日光戦争と呼ばれた東京都内から日光への乗客の争奪戦が展開される事態となりました。

国有鉄道から見ると、1930年に上野~宇都宮~日光を結ぶ準急列車が設定され、当時、普通列車で3時間40分で結んでいた同区間が2時間30分で結ばれました。太平洋戦争の戦局悪化で1943年2月には直通列車、準急列車ともに消滅しますが、1950年臨時快速「にっこう」が復活します。客車列車で運行され所要時間は2時間40分程度でした。1955年キハ45000形(のちのキハ17形)が登場しますが、性能の関係で速度は客車時代よりも低下しました。1956年10月10日、浅草~東武日光間を2時間弱で運行していた東武に対抗し、当時最新鋭のキハ44800形(のちのキハ55系)が投入され準急「日光」として運行が開始されました。停車駅は宇都宮だけとし、上野~日光間を2時間で結びました。1958年4月、日光線は電化され、1959年9月22日、151系並の内装・設備を有する157系「日光形」が登場、準急「日光」が電車化されました。157系は1969年4月25日のダイヤ改正で日光関係からは撤退し、165系115系が後を継ぐことになりました。準急列車から急行に格上げされた急行「日光」の時代が長く続きましたが、1982年11月15日の東北新幹線本格開業で急行「日光」は廃止され、日光線を走る定期列車の優等列車は消滅しました。

国鉄民営化後は1988年12月の池袋~日光間の臨時快速「日光」、1989年新宿からの「ホリデー快速日光」のちに「日光」1992年には185系特急「日光」251系による「ビュー日光」も運転されました。2000年代に入ると183系、189系による「やすらぎ日光」が新宿、千葉、平塚などから運転されました。

2004年10月4日2006年春から新宿~東武日光・鬼怒川温泉間で直通特急の運転開始がアナウンスされ、2006年3月18日を迎えました。

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2008/12/30 大宮 253系1000番台が登場するまでの間、東武直通特急として活躍した485系G55+G58編成
1975年から1979年にかけ東北特急用に新製され盛アオに配属された車両で、JR以降後はA7編成として「はつかり」に充当されました。2002年には仙センに転属、「あいづ」等に充当、2005年12月15日、小山車両センターに配置換えとなり、2006年3月から同特急仕様車として運行されました。

189-z45-051106-2 2005/11/6 大宮 189系 彩野 Z45編成時代の塗装 

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189-om201-090517-3 2009/5/17 大宮 189系OM201編成「彩野」
「あずさ・かいじ」のE257系化で余剰となった189系6両を2003年に大宮工場で改造し、埼玉県「彩の国さいたま」栃木県の旧国名「下野国」から「彩野」と命名され、小山車両センターに配属、Z45編成となりました。快速「やすらぎ日光号」などで活躍しましたが、2006年3月18日付けで大宮車両センターに転出、東武直通特急の予備車的役割を担うことになりました。塗装は変わり、「彩野 AYANO」の文字は消されましたが、引き続き愛称は彩野でした。

両編成とも東武形ATS・列車無線が搭載されました。

これら2編成は2001年4月16日に253系1000番台に置き換えられ、廃車の予定でしたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故による計画停電等で置き換えは延期となり、2011年6月3日まで運行されました。

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2020年12月18日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 60 長野電鉄2100系となったJR東日本253系 その2

JR東日本でお役御免となった直流電車は長野総合車両センターに回送され、解体の時を待ちます。253系3両編成9本も2009年9月末の運用離脱後、同センターに回送され、2010年9月には6連で活躍した編成も含めて、0番台編成は全車除籍されました。

253-ne107-090913 2009/9/13 成田 JR東日本時代のNe-107編成

253-ne108-061123 2006/11/23 戸塚 JR東日本時代のNe-108編成

その中からNe-107 、Ne-108の2編成が長野電鉄への譲渡が決まり、2010年7月、東急車輌製造横浜製作所へ回送されました。同所には東武直通特急として第二の車生を送ることになったNe-202編成も入場しており、同年12月23日、転用改造を終えた2編成は屋代駅まで甲種回送され長野電鉄に入線しました。

2100

長野電鉄での形式称号は2100系となり、編成番号はE1,E2となりました。2011年2月26日から運行が開始されました。運用開始にあたり、ワンマン運転対応設備が装備されました。かつてのグリーン個室は「Spa猿〜ん」の愛称が付けられ、4人用個室指定席とされ、開放室の回転式リクライニングシートはそのまま残されました。また普通室の集団見合いシートもそのまま残されています。こちらは自由席です。
湯田中向きから1~3号車で

1号車 運転室・4人用個室(4席)・普通席(40席)
2号車 普通席(42席)
3号車 運転室・普通席(48席)

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2018/9/1 信濃竹原駅で行き違いをするE1編成 塗色はJR東日本当時と変わらず。連結器は電連が撤去され、小型密着自連となりました。

2100-180901_20201217191501 2018/9/1 須坂車庫 E2編成は2012年に長野電鉄の塗色に

愛称の「スノーモンキー」は公募で決定したものですが、山ノ内町地獄谷温泉にある野猿公苑の冬場に温泉に入ることで世界的に知られる野性のニホンザル(Macaca fuscata)にちなんだものになりました。

Dsc05865 2018/9/1 湯田中駅の地獄谷野猿公苑紹介パネル

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2020年12月17日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 59 長野電鉄2100系となったJR東日本253系 その1

今回は長野電鉄2100系スノーモンキー」として活躍する元JR東日本253系特急車両の話題です。

東京都心と成田空港(開港時、運行開始時点では新東京国際空港)間50-60kmを結ぶ鉄道として当初は成田新幹線が計画されていました。しかし騒音公害問題などによる自治体や沿線住民による反対運動の激化で計画・建設は中止されました。空港自体の建設も難航し、千葉県内の道路・鉄道などのインフラ建設は大幅に狂い、1978年5月の開港時には京成電鉄が成田空港駅(現在の東成田駅)までの「スカイライナー」の運行を開始したものの、ターミナルには直結せず、有料バスでの乗り継ぎを余儀なくされることもあり、利用客は伸びませんでした。首都高速・東関東自動車経由の高速バスも渋滞による遅延のため時間が読めない問題点がありました。
1987年、成田新幹線の路盤と空港第一ターミナル直下の駅施設を活用し、JR東日本と京成電鉄が成田空港に乗り入れる上下分離方式案(成田空港高速鉄道)の整備が決定され、1991年に開業に漕ぎつけました。

253-ne01-030304 2003/3/4 恵比寿 Ne-01編成

JR東日本が都心や周辺地域と成田空港ターミナルのアクセス特急として用意したのが「成田エクスプレス」で1990年から2002年に渡り、東急車輛製造、近畿車輛で111両が製造された253系特急車両が運用されました。1991年3月19日のダイヤ改正から営業運転が開始されました。

主要諸元
最高運転速度 130 km/h(0・200番台)120 km/h(1000番台)
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 1000番台:2.0 km/h/s
減速度(常用) 0番台:4.0 km/h/s 1000番台:5.2 km/h/s(増圧時)
編成定員 290名(6両編成)
編成重量 203.3 t(6両編成)
全長 20,000 mm
全幅 2,946 mm
全高 3,995 mm
車体 普通鋼
台車 ロールゴム軸箱方式ボルスタレス台車 DT56形(電動車)・TR241形(制御車・付随車)
  軸梁式のDT69形(電動車)・TR254形(制御車・付随車) 
主電動機 直流直巻電動機 MT61形(0・200番台)かご形三相誘導電動機 MT74A形(1000番台)
主電動機出力 120kW
駆動方式 中空軸平行カルダンたわみ板継手方式
歯車比 17:82 (4.82)
編成出力 1,920 kW(6両編成 4M2T)
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ制御・弱め界磁制御・界磁添加励磁制御(0・200番台)VVVFインバータ制御(1000番台)
制動装置 電気指令式空気ブレーキ (回生ブレーキ・抑速ブレーキ付き)
保安装置 ATS-SN・ATS-P・ATC-5(使用停止)(0・200番台)ATS-SN・ATS-P・東武形(T型)ATS(1000番台)

1992年に鉄道友の会からローレル賞を授与され、さらに第4回ブルネル賞の近距離列車部門最優秀賞も受賞しました。

253-ne101-090918 2009/9/18 成田 Ne-101編成 リニューアル後

車両デザイン開発はGKインダストリアルデザインが担当し、車体のカラー白・灰・赤・黒は「北極圏の白」、「成層圏の灰色の空」、「地平線に輝く赤い太陽」、「果て無き黒い宇宙」をイメージしています。

253-ne103-090913 2009/9/13 酒々井 Ne-103編成を先頭にした3+3+6編成

製造は5次に渡り、
1次車1990年に製造され
クロ253(Tsc)-モハ253(M)-クモハ252(M'c)
の3両編成でクロ253は前部にコンパートメント(個室・定員4名)と後部の開放式グリーン室(定員20名)からなり、開放式グリーン室の座席が1人掛け座席を2列配置の0番台と2人掛け座席と1人掛け座席を千鳥配置した100番台の2タイプが用意され、前車が編成番号(Ne01-11)、後車が(Ne101-110)と計21編成、63両製造されました。普通車の座席は荷物を置く空間を確保するため片持ち式の2人掛けの非リクライニング座席を向かい合わせに固定したボックス式クロスシートが装備されました。

2次車から4次車はモハ253-100(M1)-モハ252(M')-サハ253(T)の中間車3両から構成され、
1992年に6本、1994年に4本、1996年に2本製造(計36両)され、Ne01-11、Ne101編成に組み込まれ6連化されました。

253-ne201-090918 2009/9/18 成田 Ne-201編成

5次車2002年日韓サッカーワールドカップ開催に伴う輸送力増強のための増備車で6両編成2本(Ne201,Ne202編成の計12両)が東急車輛製造で製造されました。台車や車内設備の変更で200番台(M1車は300番台)に区分されました。
2002年と言えば、電車の制御システムはVVVFの時代となっていましたが、従来車との共通化のため、界磁添加励磁制御方式が踏襲されました。そのために中央・総武緩行線で使用されていた205系を武蔵野線に転用する際にVVVF化で捻出された主電動機、主制御器、励磁装置、断流器、誘導分流器が再利用されました。
この界磁添加励磁システムの再利用の思い出されるのが101系の製造が長く続いた際にMT46A電動機を新造せずに151系の181系化改造で余剰となったMT46Aを新造された101系に流用した件です。
グリーン車の開放室は座席を2+1人掛け(両端は1+1人掛け)に変更し、定員は28人となりました。普通車は従来の固定式クロスシートから2人掛けの回転リクライニングシートに変更されました。

5次車の登場に伴い、在来車の更新改造もなされ、グリーン車クロ253形の6両編成組み込み車両(1 - 11・101)は従来の座席を撤去して5次車と同一仕様の座席に交換し、定員が8人増加しました。3両編成組み込み車両(102 - 110)は開放式グリーン室を普通室に変更し、クロハ253形(1 - 9)に形式変更されました。座席は5次車と同一の回転リクライニングシートに変更され、普通室の定員は40人となりました。普通車はボックスシートから集団見合い式シート配列に変更されました。

2009年10月1日以降、後継のE259系が「成田エクスプレス」に投入され、まず3両編成が運用離脱、2010年6月30日を以って、全編成がE259系に置き換えられました。

2010年11月、車歴の浅い5次車は大宮車両センター(Ne-201)、東急車輛製造横浜製作所(Ne-202)に入場し、1000番台化改造を受けました。これらの編成は東武日光・鬼怒川線直通特急「日光」「きぬがわ」に使用されるため内外装のリニューアル、制御装置のVVVF化、オール普通車化、前面貫通扉閉鎖、電気連結器の撤去など改造を受け、2011年春から運用される予定でしたが、東日本大震災の影響による計画停電などで東武直通特急が運休となり、2011年6月4日から運用に投入されました。

2010年9月までに1~4次車の編成は全編成除籍されましたが、2010年6月、長野電鉄はNe-107、Ne-108の2編成の譲受を発表、愛称は公募により、「スノーモンキー」に決まりました。

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2020年12月16日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 58 湯田中駅あれこれ

東急8500系の話題で大分、横道にそれましたが、再び2018年晩夏の信州旅行の話題に戻ります。

Dsc05854 2018/9/1 湯田中駅ホームに繋がる改札口

Dsc05856 駅舎

信州中野駅から長野線の普通列車に乗車、終点の湯田中までやって来ました。当駅は1927年4月28日の開業ですが、これまでに何度か出てきましたが、信州中野から当駅までの区間は線名が何度も変わっており、開業当初は平穏線(平穏はこの地域の字の名前1927年8月27日からは山の内線(山の内は町名)、2002年9月18日からは長野線の駅となっています。

Dsc05857 周辺案内図 周辺に湯田中、安代(あんだい)、渋、沓野、上林、地獄谷、角間、星川、穂波、新湯田中と多くの温泉があり、志賀高原、北志賀高原が存在する山ノ内町

Dsc05863 駅の北側、湯田中温泉街の入口

駅名が示すように湯田中温泉の最寄り駅であり、志賀高原への玄関口の役割も持つ駅で、1990年代には志賀高原駅と言う駅名に改称する動きもありましたが、地元の温泉組合の猛反対で白紙撤回されました。
Dsc05858 旧1番線、右手に対して線路を付け替えて現在のホームが新設されました。

Dsc05861 旧駅舎を改装して湯田中駅前温泉 楓の湯に

かつて2006年8月末までは2面2線式の相対式ホームで、旧1番線に隣接した旧駅舎は「湯田中駅前温泉 楓の湯」という日帰り入浴施設となっています。湯田中駅は40‰の勾配を登りきった所にあるため、信州中野方面にホームを延長することが出来ず、2面2線式の頃は3両編成以上の列車が入線する際は駅の奥の延長線(200m)まで行き、そこでスイッチバックしてホームに入線していたそうです。

1000系(元小田急ロマンスカーHiSE)が営業運転を開始すると、同系の場合、運転席間の移動に時間がかかることから、湯田中駅でのスイッチバック方式の入線は廃止されることになりました。

平穏線は1.8km先の渋温泉付近の渋安代まで建設される計画でした(1920年7月26日の地方鉄道敷設免許申請)が未着工で1931年7月14日、免許失効、戦後の1949年5月10日、再び同区間(1.3km)の延伸免許が交付されますが1958年5月13日に失効しています。

かつては湯田中駅まで国鉄列車が乗り入れており、最初の乗り入れは1937年1月2日の長野駅経由でした。同年7月17日には屋代駅経由の列車も乗り入れました。国鉄からの乗り入れも1982年11月15日のダイヤ改正(東北新幹線本格稼働・上越新幹線開業)で上野発着の急行「志賀」の廃止で終了となりました。

因みに急行 志賀号は1962年3月1日からキハ57系で運転、1963年10月には碓氷峠の電化などで165系となり、1日2往復に、1968年10月には169系化され、愛称は「信州」に、1969年には再び「志賀」に戻され、1978年1往復が季節列車化、1982年11月の改正で廃止となりました。志賀号の貴重な写真はこちらのサイトに。

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2020年12月15日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 57 東急8000系・8500系、長野電鉄以外に譲渡された車両 秩父鉄道編

東急8500系は秩父鉄道株式会社にも譲渡され、同社の7000系となっています。

7000-7001-100425 2010/4/25 熊谷

7000-7201-100425
2010/4/25 羽生

1986年から1989年にかけて国鉄101系を導入した1000系の老朽化、置き換えのため導入されたもので、8500系8両
デハ8509、8609
デハ8709、8809、8745、8830
サハ8950、8926       が譲渡され、
デハ8509-サハ8950-デハ8609 の3連が デハ7001-サハ7101-デハ7201 (M1c-T-M2c)
デハ8709-サハ8926-デハ8809 の3連は両端を先頭車に改造し、デハ7002-サハ7102-デハ7202 としました。
デハ8745・8830の2両は部品供給車でした。

第2編成の先頭車も貫通路はないものの、オリジナルの先頭車と同様の形状となりました。

7000-7201-130928-2 2013/9/28 熊谷

2009年3月26日から営業運転が開始され、秩父鉄道としては最初の界磁チョッパ制御方式の車両となりました。東急の方針変更で7000系は2編成となり、以降の譲渡は東急8090系による7500・7800系となりました。

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2020年12月14日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 56 東急8000系・8500系、長野電鉄以外に譲渡された車両 伊豆急行編

先日の記事にも記述しましたが、東急8500系は長野電鉄の他、伊豆急行、秩父鉄道、インドネシアのPT. Kereta Api、PT Kereta Commuter Indonesiaにも譲渡されました。

8005-t5-070304-2 2007/3/4 熱海 伊豆急8000系 4+2両編成の時代 T5 8005

8252-t12-070304_20201213084101 同 T12編成 8252

伊豆急行の場合、1990年代後半になると1961年12月の開業時から運用されてきた100系の老朽化が進み、その取替が検討されました。最初に候補に挙がったのは親会社の東急8000系でした。しかし東急でもその当時は8000系を廃車にする予定はなく、当面のつなぎ役として導入されたのがJR東日本の113系、115系200系として導入されました。2004年に漸く8000系が導入され、200系と2100系リゾート21」2編成が置き換えられました。2005年度には8500系デハ8700形が1両導入されました。伊豆急ではデハをクモハ・モハにして形式名等は8000のままにしています。

8000_20201213073401
導入時の8000系/8500系編成 4x7+2x6=40両
T1~T7は4両編成で 熱海・以東←クハ8000ーモハ8200ーモハ8100ークハ8000→伊豆急下田 で熱海よりクハ8000形(8011~)にはSIVを搭載、伊豆急下田よりのクハ8000(8001~)にはCPが搭載されています。モハ8100とモハ8200はユニットを組み、前車がM1、後車がM2で主制御器とパンタはM1に、M2にはCP、SIV、パンタが搭載されています。モハ8200形にはトイレが設置されました。
T11~T16は2両編成でT11編成のみクハ8050形8051が存在しましたが、空転・滑走の多発で電装化され、クモハ8250形に改造されました。T12編成以降はCM1-CM2化され、クモハ8250ークモハ8150となりました。

T12編成のデハ8723(→8152)が唯一、8500系由来の車両です。8049と8723で2両編成化の試作車が2004年11月に先行改造されました。

80003
青背景はトランバカテル 2012/4/27まで

2008年度にさらに5両導入され、既存の4両、2両編成が分割され、3両編成が15編成組成されました。
A編成:TA1~  4両編成の熱海側2両と2両編成の伊豆急下田より1両から組成された3両編成 クハ8000ーモハ8200*ークモハ8150
B編成:TB1~  4両編成の伊豆急下田より2両と2両編成の熱海より1両から組成された3両編成 クモハ8250ーモハ8100ークハ8000*
(*)はトイレ付き車両


8151-090813

8251-090813-3
2009/8/13 熱海 トランバカテルラッピング編成 3+3化後

8002-170318 2017/3/18 伊東 TB2編成

8013-170318-2 2017/3/18 宇佐見 TA3編成

8152-170318 2017/3/18 伊東 TA7編成 クモハ8152は唯一の東急8500系由来




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2020年12月11日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 55 東急8500系、長野電鉄でも8500系 その2

昨日の記事にあるように8500系2003年から置き換えが開始されました。東急で廃車になった車両は2005年から譲渡が始まりました。
譲渡先は長野電鉄、伊豆急行、秩父鉄道の国内3社とインドネシアのPT. Kereta Api、PT Kereta Commuter Indonesiaです。

8500-8501-180901 2018/9/1 須坂 8500系のトップナンバー(東急、長電どちらにおいても)

長野電鉄には
2005年度 3両編成2本+部品取り用2両 8両
2006年度 3両編成2本 6両
2008年度 3両編成2本 6両     計20両 が譲渡され、系列名は東急と同じ8500系となりました。2011年度まで譲渡が続く予定でしたが、事情により中断しているとのことです。

8500-8513-091231-2 2009/12/31 須坂 長野より先頭車は8603から8513へ

形式別には
デハ8500形 8501, 8502, 8503, 8505, 8524 (8505,8524は8504,8505に改番)
デハ8600形 8601, 8602, 8603, 8605, 8624 (8511-8515に改番)
デハ8700形 8718(部品取り)、8730(先頭車化8506に)
デハ8800形 8824(同上)・8841(先頭車化デハ8516に)
サハ8900形 8903・8905・8908・8910・8920・8944(8551・8553・8552・8554・8555・8556に改番)

これらから、形式的には
8500_20201210111101

湯田中←デハ8500-サハ8550-デハ8510→長野 が6編成(T1~T6)となりました。T1~T4編成の補助電源装置がMGであるのに対してT5.T6編成はSIVに、T6編成の先頭車はどちらも中間車からの改造車となりました。

8500-8505-180901
2018/9/1 第5編成以降は前面にスカートが付きました。

8500-8516-091231-2 2009/12/31 須坂 8500系の場合もともと食パンスタイルのため、中間車から改造の先頭車も本来の先頭車とそれほど違和感はありませんが・・・。HM用のステイが付いているのもこの編成の特徴です。そのためにナンバーの掲出位置が他の編成と異なっています。

T1・T2編成の投入により、3500系2000系の一部が置き換えられました。8500系は長野電鉄では初の運転台にワンハンドル式主幹制御器を装備する界磁チョッパ制御車で、さらにLED式行先表示器、車内案内表示器(千鳥配置)、ドアチャイム、車椅子スペースが設置され、ワンマン運転用に車内チャイム付自動放送装置も搭載されています。
譲渡にあたり、降雪の多い地域を走るため、客用ドアの凍結対策としてドアレールヒーター、ブレーキ力の低下を防ぐ耐雪ブレーキ装置、長時間停車時の車内保温対策として3/4ドアカット機構が追加装備されました。回生ブレーキ機構は引き続き維持されていますが、ブレーキ失効速度は東急時代の22km/hから25km/hに変更されました。これに伴いブレーキシュー(制輪子)はレジン製から鋳鉄製に交換されました。勾配用の抑速ブレーキは装備していないので、30~40‰の勾配が連続する信州中野駅 - 湯田中駅間には入線できません。
諸々の改造は東急テクノシステムが担当しました。

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2020年12月10日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 54 東急8500系、長野電鉄でも8500系 その1

長野電鉄では老朽化した2000系および3500系の置き換え用として東急田園都市線で活躍していた8500系2005年から導入しました。

まずは東急における8500系の製造に至る経緯、活躍について見て行こうと思います。

8002-040501

8001-040501 2004/5/1 下神明 5連化され、大井町線で活躍していた頃の8000系トップナンバー編成

1969年5月11日、渋谷~二子玉川園間、二子玉川園~砧本村間が廃止され、渋谷~二子玉川間は新玉川線として地下線で建設されました。開通は1977年4月7日でした。新玉川線用の車両としてA-A基準を満たした車両として1969年から導入されたのが8000系でした。新玉川線は営団半蔵門線との相互乗り入れすることになり、東急・営団の共通車両規格、路線識別用の赤帯の貼付、機器取り扱いの変更、電動車比率の向上による先頭車の電動車化に対応した系列として1975年から導入されたのが8500系でした。
通勤電車として技術的に集大成された車両として1976年、東急としては初めての鉄道友の会「ローレル賞」が授与されました。

8500-8506-160826
2016/8/26 二子新地 貫通扉ガラス窓のKのマークは東武鉄道非乗り入れ車両を示しています。
上の8000系の写真と較べて、運転台が150mm高くなり、正面窓は小さくなり、行先表示幕の両側に、種別表示幕、運行番号表示幕が設置されたのが分かります。

1979年から田園都市線~新玉川線~半蔵門線の全列車直通運転の開始による編成両数の増強で1991年までに東急車輛製造にて400両が製造されました。2003年からは田園都市線~半蔵門線~東武伊勢崎線・日光線の3社直通運転が開始され、この直通運転に使用される車両として運行範囲が拡大され、最多の在籍数を誇る系列となりました。

主要諸元
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 3.3 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 10両 1,424人 5両 704人
車両定員 先頭車136(座席56 - 48)人 中間車144(座席64 - 51)人
自重 電動車31.0 - 36.0 t 付随車28.3 - 30.0 t
全長 20,000 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,100 mm
台車 軸ばね式ダイレクトマウント空気ばね台車 TS-807M・A・C TS-815M・A・C形
主電動機 直流複巻電動機 130 kW 8642編成の一部はかご形三相誘導電動機 170 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 5.31 VVVF車うちデハ0718-デハ0818ユニット 6.07
制御方式 界磁チョッパ制御 一部はVVVFインバータ制御
制御装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ(ATC連動形)
保安装置 田園都市線用:ATC-P・新CS-ATC・東武形ATS(東武線対応車のみ)大井町線用:ATC-P

8500 編成は田園都市線は10連(8M2T)、大井町線は5連(4M1T)です。

8500-8614-170506 2017/5/6 鷺沼 伊豆急風の8614F

8500-8637-160701 2016/7/1 小菅 青帯の8637F

8500-8538-130119 2013/1/19 中延 大井町線用5連

8500-8542-160826 2016/8/26 二子新地
8642Fは1編成中に界磁チョッパ、試作型のVVVFインバータ、量産型のVVVFインバータと3つの異なる制御装置を搭載しており、東武での乗務員教習の手間を少なくするため、東武線には乗り入れない編成となっていました。

田園都市線では
2003年度から置き換えが開始され、5000系の導入、8590系・2000系の転属で
2003年度…8601F・8602F
2005年度…8603F
2006年度…8605F・8604F・8608F・8611F
2007年度…8607F・8610F・8613F
2008年度…8612F・8609F・8618F・8624F が廃車となりましたが、5000系の導入は当初35編成の予定が18編成で打ち切られたため、24編成が引き続き運用されることになりました。
2017年3月2020系の導入が発表され、
2019年度…8620F・8642F・8632F・8633F・8621F・8623F
2020年度…8606F・8626F・8614F・8615F・8627F が廃車となりました。

大井町線でも田園都市線への2020系導入に伴う2000系(→9020番台)の転属によって
2018年度…8639F・8640F・8641F
2019年度…8638F  と4編成全てが廃車となりました。

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2020年12月 9日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 53 信州中野駅あれこれ

2018年晩夏、信州の旅、小布施駅から長野線電車に乗車、次に下車したのは信州中野駅でした。

Dsc05834 2018/9/1 駅名標

Dsc05825
Dsc05822
開業は1923年3月26日で長野電鉄の前身の河東鉄道が須坂駅と当駅間を開業した時でした。その後、1925年7月25日には当駅~木島駅間が開業、1922年6月10日に開業していた屋代駅~須坂駅間と合わせ、河東線が全通しました。1927年4月28日には当駅から湯田中駅までの平穏線が開通し、分岐駅になりました。同年8月27日は平穏線は山の内線に名称変更されました。

当駅から木島駅までは通称、木島線と呼ばれていましたが、2002年4月1日に廃止され、2012年4月1日の屋代線廃止で現在の路線になりました。

東京(中央本線)、群馬(わたらせ渓谷鉄道)、長野(上田電鉄)の中野駅と区別するため、長野県の旧国名信州をつけていますが、戦前は飯山鉄道(現、飯山線)にも信州をつけた駅名がありましたが、国有化に際して国鉄が「〇州」を忌避したことからすべて信濃に改称されてしまい、当駅だけが信州をつけているそうです。

Dsc05826
駅は相対式2面2線、島式1面2線の計3面4線のホームを持つ地上駅で駅舎は橋上駅舎となっています。
1番線 2002年まで河東線が使用、現在は不使用
2番線 長野線上り
3番線 長野線上り下り
4番線 長野線下り  通常の付番法則とは違い駅舎に最も近いホームが4番線となっています。

Dsc05818
駅前ロータリー

Dsc05817
中野市の観光におけるキャッチコピーは「土人形の街」だそうで、写真のように市の紹介展示では土人形が飾られています。毎年3月下旬に開催される「中野ひな市」では土人形の展示即売会も開催されるそうです。

童謡・流行歌・新民謡などの作曲家として有名な中山晋平(1887-1952)は中野市(生誕当時は下高井郡新野村)の出身で中野市には生誕百年を記念して開設された記念館があります。熱海にも別荘を改修した記念館があります。
国文学者高野辰之(1876-1947)が学び、教鞭をとった小学校を活用した高野辰之記念館も中野市にあります。

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2020年12月 8日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 52 日比谷線3000系から長野電鉄3500・3600系へ その2

営団地下鉄では1990年に、3000系初期車の経年が30年を迎えることで1980年代後半に後継車両の新製が計画されました。1988年にはそれまでのトンネル冷房から車両冷房化に方針転換したこともあり、後継車03系の製造は1988年夏から開始されました。03系1次車(01・02編成)は輸送力増強用として製造されましたが1989年製造の2次車からは3000系の置き換えが開始され、1994年7月23日に03系の増備完了に伴い、3000系の営業運転は終了となりました。

18m車体ということで譲渡の照会はおおくありましたが、車両まるごと譲受したのは長野電鉄のみで、1993年度から1997年度にかけ2両編成15本、3両編成3本の39両が譲渡されました。2両は予備部品確保用で、譲渡に当たり、片側の制御電動車のパンタグラフの撤去、耐雪ブレーキの新設、主抵抗器容量の増大、側扉のレールヒータ新設と半自動化、運転室前面下梁の強化、列車無線の交換、3両編成3600系の湯田中より制御電動車の制御車化といった改造が行われました。長野電鉄では2000系の機器更新用に制御装置、ブレーキ装置、FS510形台車12両分なども譲受しましたが、実際に使用されたのは1999年のA編成の更新時に3両分が使用されたのみでした。

3500-3506-091231

2009/12/31 須坂 N6編成 モハ3500-モハ3510 

3500-3535-091231 2009/12/31 須坂 O5編成

3500-3536-180901
2018/9/1 須坂 O6編成 NAGADENロゴと赤帯が消され営団時代の姿に戻り、運用されていました。

O編成はモハ3520-モハ3530で木島線内での車内運賃接受用に運転台後部にバス用運賃箱と運賃表示器が設置された編成 O1~O6

3500-l1-091231-2 3500-3652-091231
2009/12/31 須坂 L1(上)L2(下)編成 クハ3650-モハ3600-モハ3610 L1~L3 3600系は既に全廃

35003600 3500系3600系として導入された営団3000系 番号対照表

2020年1月からは東京メトロ03系が入線し、3000系として活躍を開始しており、2022年までには全廃される予定です。

一方、3000系の走行機器類は
富山地方鉄道1991年、京阪電鉄初代3000系を譲受した際に軌間を1435mmから1067mmにするために営団3000系のダイレクトマウントFS336台車が使用されました。
日立電鉄には1992年・1993年、営団銀座線の2000系を譲受した際に営団3000系のFS510形台車、パンタグラフ、主電動機、暖房装置、空気ブレーキ装置などが流用され同社の2000・2200・3000形となりました。
銚子電気鉄道には日立電鉄から2000形が譲渡され、デハ1000形となりましたが、同形式には営団3000形の主電動機とパンタグラフなどが使用されています。
富士急行に京王初代5000系が譲渡された富士急行1000形になりましたが、同形式には営団3000系のFS510形台車と主電動機が使用されています。
一畑電気鉄道にも京王初代5000系が譲渡され、2100系・5000系となっていますが富士急行1000形同様に営団3000系のFS510形台車と主電動機が使用されています。

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2020年12月 7日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 51 日比谷線3000系から長野電鉄3500・3600系へ その1

1992年、長野電鉄では長野オリンピックの開催を6年後に控え、普通列車の増発と老朽化した2500系、0系の置き換え・車種統一を目的に営団3000系を導入しました。

3007-150704
2015/7/4 地下鉄博物館の展示から 写真の1次車では側面乗務員ステップ一体形のスカートが設置され、連結器はスカート内に収容されていました。

まずは営団地下鉄における3000系の歴史について。ちなみに3000系と系列名で呼ばれるのは千代田線用6000系の誕生以降であり、登場時は個別の形式名で呼ばれていました。

営団地下鉄において銀座線、丸の内線は第三軌条方式で他社線との相互乗り入れ運転は考慮されませんでしたが、日比谷線は東武伊勢崎線、東急東横線との相互乗り入れが考慮されたため、3事業者間で規格が協議され、設計・製造が行われました。基本性能は丸の内線300形を発展させ、地下線、地上線走行における性能を満足させる車両としました。
それまでの営団車両は単車での走行を基本としていましたが、本形式からは2両を1単位(ユニット構成)とし、将来、中間車を増結し、輸送需要の増大に対処することしました。

3001-150704-3
3001-150704-2
1961年から1971年までに汽車製造・東急車輛製造・近畿車輛・川崎車輛・日本車輌製造・日立製作所において304両(+事故廃車の代替車1両)が製造され、1994年まで運用されました。
車体はセミステンレス製でコルゲート処理が施されました。これはアメリカ・バッド社の方式では無く、汽車製造のものが採用されました。

主要諸元
最高運転速度 日比谷線 70 km/h (運用当時)
東武線内 95 km/h
東急線内 90 km/h
設計最高速度 100 km/h
起動加速度 4.0 km/h/s
減速度(常用) 5.0 km/h/s
減速度(非常) 5.0 km/h/s
車両定員 先頭車120(座席48)人 中間車128(座席56)人
9次車のみ座席55人
自重 31.0 - 33.0 t
全長 18,000 mm
全幅 2,790 mm
全高 3,730 mm (1 - 7次車)3,875 mm (8・9次車)3,995 mm (パンタグラフ付き車両全車)
台車 アルストムリンク式 FS-336形 ミンデンドイツ式FS-348形→SUミンデン式FS-510形
主電動機 直流直巻電動機
主電動機出力 75kW×4 (端子電圧375V)
駆動方式 WN平行カルダン
歯車比 98:15=6.53
編成出力 2,400 kW
制御方式 バーニヤ抵抗制御
制動装置 ATC連動電磁直通ブレーキ・発電ブレーキ(HSC-D形)
保安装置 WS-ATC 東武形ATS・東急形ATS 一部編成にはATO(試験用)

起動加速度 4.0km/h/sは東急7000系とともに関東の電車において現在に至るまで破られていない最大値だそうです。

車種はいずれも電動車の4形式が準備されました。
3000形 (CM1・CM2) 制御電動車 奇数が中目黒、偶数が北千住向き、パンタグラフ搭載 3001~3078
4000形 (M1・M2) 4両編成化用中間電動車 4001~4078 パンタグラフ無し
4500形 (M1・M2) 6両編成化用中間電動車 4501~4578 奇数車にパンタ搭載、8連化に際して4533・4534・4555・4556に簡易運転台が設置され 3500形3501~3504に改番
3500形 (Mc1・Mc2) 8両編成化用中間電動車 車庫内での分割運転のため簡易運転台を設置 3501~3574 奇数車にパンタ搭載

1次車 1960年度製 南千住~仲御徒町間開業用 CM1ーCM2 2連8本 3001~3016
2次車 1961年度製 北千住~南千住・仲御徒町~人形町間延伸開業用 4両編成6本 1次車の中間車2両ユニット8本 =>4両編成14本
    3017~3028・4029~4056
3次車 1962年度製 人形町~東銀座延伸開業用
    3057~3060・4061~4064
4次車-1 1963年8月製 輸送力増強用4両編成2本
    3029~3032・4001~4004 これまでは形式に関係なく連番方式で付番されてきたものを3000形、4000形で空き番を埋める方式に
4次車-2 1963年度製 1964年3月霞ヶ関~恵比寿間(7月中目黒)開業用 4両編成7本と全線開業用の増備車(6両編成9本と4次車-1までの車両の6両化用中間車13編成分)
    3033~3056・3061~3068・4005~4028・4057~4060・4065~4068・4501~4548
    6両編成24本 4両編成10本
5次車 1964年度製 輸送力増強用の車両で6両編成2本と、以前の車両の6両化用中間車3編成分
    3069~3072・4069~4072・4549~4558
    6両編成29本、4両編成7本
6次車 1965年10月製 6両化用中間車3編成分
    4559~4564
    6両編成32本、4両編成4本
7次車 1966年度製 6両編成2本と6両化用中間車4編成分
    3073~3076・4073~4076・4565~4576
    6両編成38本
    4576号が1966年12月、東武線内の衝突事故で廃車されたため、同一番号で代替新造
    このグループの増備で千住検車区は手狭となり、東武鉄道西新井電車区を譲り受け、営団「竹ノ塚検車区」が発足しました。
8次車 1968年度製 輸送力増強用の6両編成1本
    3077・3078・4077・4078・4577・4578
9次車 1970年度製 8両編成化用
    千住検車区の拡張工事完成で8両運転が可能となり、編成を分割して運転する簡易運転台付き3500形を35本分70両新造
    3505~3574 6両編成に組み込み8両化
    2本の6両編成から2両を抜き、4両化 これを2本合わせて 8両化
    抜いた中間車に簡易運転台を設置し、3500形化改造(3501~3504) 8両編成化 2本
    これらにより、8両編成38本

4576号の廃車:1966年12月15日深夜に東武伊勢崎線西新井駅構内において、西新井駅到着の大師線電車(2両編成)が曲線部で脱線し、隣の伊勢崎線下り線を走行中の本形式の6両編成による竹ノ塚行き電車の3両目に衝突しました。この事故で営団3000系も3両が脱線、大破しました。

3000_20201206101901  

3000系 編成表 KBは東急・東武線対応ATS装備、Kは東急線のみ、Bは東武線のみ

30003055f-9407251994/7 八丁堀
日比谷線の3000系の写真は撮っていたいため、動画で撮影したもののキャプチャーを
さよなら運転を間近に控えたマッコウクジララッピング編成(3055F)です。

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2020年12月 4日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 50 小布施駅あれこれ

長野電鉄、長野線小布施駅といえば先日の記事で紹介した「ながでん電車の広場」の他、下の写真のように栗と北斎と花の町として北信濃地域有数の観光地として、長野県内では最も面積の狭い自治体ながらその名は日本中から世界に広まっている小布施町のメインステーションでもあります。

Dsc05777
2018/9/1 駅名標

Dsc05787
両親が健在の頃、ここにもクルマで来たことが何度かあり、その度に「栗かのこ」、「栗おこわ」といった名物を購入して帰った思い出があります。

鉄道で来て、下車したのは今回が初めてでした。
Dsc05789 ホームは島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線で、上の写真の左手が下り信州中野・湯田中方面の1番線、2番線が上り須坂・長野方面、3番線は予備ホームで通常は通路として使用されています。写真を撮っている場所が2つのホームを連絡する構内踏切です。

Dsc05790
島式ホームの屋根と柱は昭和の駅という感じがします。

1923年3月26日に開業し、1972年3月1日、貨物営業廃止、1983年8月14日、手小荷物営業が廃止、1985年駅舎改築、1990年、ながでん電車の広場が開設されました。

Dsc05776 ホーム上には1926年に運転を開始した樽川第二発電所(現・中部電力藤平第二発電所)で使用されていた発電用水車(ペルトン水車)と水圧鉄管が保存・展示されています。

Dsc05799
Dsc05798
ホームから北北東の方角に見える北信五岳の説明も用意されています。飯山市は斑尾山の右手、斑尾山の左手に野尻湖といった位置関係になります。

Dsc05792
1985年に建替えられた駅舎でレンタサイクルなども用意されています。
江戸時代後期の浮世絵師葛飾北斎は宝暦10年9月23日?(1760年10月31日?)武蔵野国葛飾郡本所割下水(現・墨田区の一角)で生を受け、1778年 浮世絵師・勝川春章の門下となりました。狩野派や唐絵、西洋画などあらゆる画法を学び、名所絵(浮世絵風景画)、役者絵を多く手がけ、黄表紙の挿絵なども描きました。小布施との関係は1842年 秋、初めて、信濃国高井郡小布施の高井鴻山邸を訪ねたことからであり、この時、鴻山は、自宅に碧漪軒を建てて、北斎を厚遇しました。その後も小布施が気に入り、旅し、1848年まで滞在しました。嘉永2年4月18日(1849年5月10日) 江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没しました。享年90歳、楽聖ベートーヴェンより、10歳年上で今年は生誕260年ですが、ベートーヴェンが1827年に亡くなているのと比べると、当時の人間としては長寿ですね。

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2020年12月 3日 (木)

2020/12/1 西武9000系Red Lucky Train 9103F 横瀬に回送される

西武池袋線関係では2019年暮れから登場した40000系のLong Seat固定バージョンの第3編成 40153Fが8月20日に、第4編成 40154Fが10月29日にそれぞれ数日かけて小手指まで甲種回送され、9月8日11月18日に営業運転が開始されました。また新宿線に貸し出されていた40152Fも11月14日からは池袋線に戻って活躍しているとのことです。そういった新しい車両の登場でこれまでの職場を追われつつあるのが、廃車や4連改造の進む9000系で、池袋線で10連で活躍していた9103F Red Lucky Train12月1日に横瀬基地に回送されました。

9000-9103-130101 2013/1/1 所沢

9000-9003-120428 2012/4/28 練馬高野台

同編成は1995年1月24日に両端クハ9100,9000、モハ9200 (M1)、9900(M2)が製造され,狭山線で4連で運行されたのち、1995年6月15日、モハ9300(M2)、サハ9400(T1)、モハ9500(M1)、モハ9600(M2)、サハ9700(T2)が竣工し、10連化され本線運用に入りました。尚,9103Fは2次車に分類され、スカートの開口部が小さくなりました。M1は主制御装置、パンタグラフをM2には補助電源装置としてSIV、空気圧縮機CP、T1、T2にはバッテリーが搭載されています。9000系の電装品(主制御装置、主電動機)、台車は旧101系からの再利用で、電動カム軸方式の抵抗制御でした。ブレーキ装置も流用品から抑速機能を除いた発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-D)で、新たに滑走防止装置が付与されていました。

省エネルギーの観点から、2007年10月3日に制御装置がVVVFインバーター方式に更新されました。

9000-9003-140720-6
2014/7/20 所沢

9000-9003-161016
2016/10/16 秋津

9000-9103-200424 2020/4/24 所沢~西所沢間

1057-160211 2016/2/11 八ツ山橋 コラボのきっかけとなった京急1000形2代 1057F

9103Fは9000系8本の中では最初に特別塗装化された編成で、そのきっかけは京浜急行電鉄が新1000形1057Fを登場させた際に「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」と黄色を基調にした編成にしたところ、多くの乗客から「西武鉄道の車両に似ている」との反響があったため、京急が西武にコラボの企画を持ち掛けたところ、西武がそれに応答して9103Fを京急風の塗装の「RED LUCKY TRAIN」にしたということです。2014年7月19日の臨時列車から運行が開始されました。

2020年11月30日を以って10連での本線運用は終了となりましたが、横瀬で4連化され、いずれは多摩湖線系統にやってくる日が楽しみです。9101FのピンクのKPP編成が廃車、解体されたのは残念でしたが、9108Fに続き、色物の4連化は多摩湖線に花を添えます。

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2020年12月 2日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 49 長野電鉄、懐かしの車両 2000系 その3 小布施駅に保存された りんご電車

2018年晩夏、信州の旅で長野電鉄を訪問した大きな目的の一つは、先日の記事で紹介したトレインギャラリーに保存されている2500系(元東急5000系)の見学とこの小布施駅「ながでん電車の広場」に保存された2000系D編成との再会でした。

Dsc05791 2018/9/1 小布施駅の側線に屋根をつけた「ながでん電車の広場」

2000系D編成がここに保存されたのは昨日の記事にあるように2012年7月7日ですが、それ以前、ここには電機ED502、廃車当時はED5002,デハニ201、廃車当時はモハニ131、モハ604、モハ1003の4両が保存されていたそうです。これらの車両は2000系の展示で屋代線信濃川田駅に移動、さらにデハニ201とモハ604は安曇野ちひろ美術館に移設され、ED5002は、JR長野工場の解体を請け負っている、長野市大豆島の直富商事に引き取られて、クモハ252-1、DD16 303とともに保存されているとのことです(情報はこちらから)。

Dsc05779

Dsc05782
Dsc05781 長野よりの3号車はドアが開放されており、車内立ち入りも可能なようでした。


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2020年12月 1日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 48 長野電鉄、懐かしの車両 2000系 その2 りんご電車

昨日に続いて長野電鉄2000系の話題です。

2007-091231  2009/12/31 須坂 1990年までのりんご電車カラーに復元されたD編成、車両基地にはマルーン色のA編成

1957年2月に第12編成が落成・導入され、3月15日から長野~湯田中間の特急として1日5往復の運用が始まりました。各列車には「しらね」「よこて」「しが」「かさだけ」「いわすげ」といった志賀高原にちなんだ列車愛称が付されました。後に「奥志賀」に一本化されましたが、いつの間にか消滅しました。1980年代までは長野電鉄のロマンスカーとして広告されていましたが、当系列の場合、座席が集団見合い配置に固定されているため、いつの間にかその愛称も消えてゆきました。2本配置、予備車確保のため1日1編成使用であったので、効率が悪く、増発も出来ない状態でした。
1959年、この問題を解決するため1編成の増備が決まり、1962年3月1日からは長野~木島間特急「のざわ」が運転されましたが、利用者が伸び悩んだため、1965年4月には廃止され、その後復活しましたが、長野~木島間直通列車の廃止で、消滅しました。

2008-091231

観光客が増加する中で、新たな特急電車として名鉄7000系パノラマカーと同様な2階運転席による「前面展望」電車3000系が計画されましたが、タブレット交換方式などの問題から2000系が増備され、第4編成では空気バネ台車、スカート装備となりました。その後は通勤型電車の増備が続きました。1981年の長野線長野~善光寺下間地下化では難燃化対策や誘導無線取り付け工事が施工されました。1989年から1990年にかけ、全編成の冷房化が行われ、大型の集約分散式CU-113形冷房装置が1両につき2台屋根上に搭載され、補助電源装置もMGからSIVに交換されました。2連窓もユニットサッシ枠に交換され、前照灯はシールドビーム1灯化されました。

2008-091231-4
2005年、東急電鉄から8500系を譲受、長野電鉄8500系として運用開始するにあたり、B編成(モハ2003 - サハ2052 - モハ2004)が8月28日を以って運用離脱し、2006年10月に解体されました。2005年8月には小田急電鉄から10000形4両編成2本が無償譲渡され、2006年12月9日のダイヤ改正から2代目1000系としてA特急「ゆけむり」として運用開始するにあたり、C編成(モハ2005 - サハ2053 - モハ2006)が運用離脱となりました。
2007年は特急運用開始から50周年の記念すべき年でA編成2月17日より塗装をマルーンに塗り替え復元運転を開始しました。D編成1990年まで使用していた「りんご色」に塗り替え、8月25日から運用に就きました。
2011年2月26日、JR東日本253系2100系「スノーモンキー」が運転開始となり、同年3月27日A編成は運用を離脱しました。最後に残ったD編成は2011年4月以降のイベント時などに臨時列車として運転され、2012年3月31日、屋代線の廃止時に最終営業列車として運転され、2000系としてのフィナーレを飾りました。
A編成は2011年3月の営業運転終了後、須坂駅構内に留置されていましたが、2019年春、解体されました。D編成は2012年7月7日より、小布施駅構内の「ながでん電車のひろば」に展示されています。その様子は明日の記事に載せます。

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