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2020年12月17日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 59 長野電鉄2100系となったJR東日本253系 その1

今回は長野電鉄2100系スノーモンキー」として活躍する元JR東日本253系特急車両の話題です。

東京都心と成田空港(開港時、運行開始時点では新東京国際空港)間50-60kmを結ぶ鉄道として当初は成田新幹線が計画されていました。しかし騒音公害問題などによる自治体や沿線住民による反対運動の激化で計画・建設は中止されました。空港自体の建設も難航し、千葉県内の道路・鉄道などのインフラ建設は大幅に狂い、1978年5月の開港時には京成電鉄が成田空港駅(現在の東成田駅)までの「スカイライナー」の運行を開始したものの、ターミナルには直結せず、有料バスでの乗り継ぎを余儀なくされることもあり、利用客は伸びませんでした。首都高速・東関東自動車経由の高速バスも渋滞による遅延のため時間が読めない問題点がありました。
1987年、成田新幹線の路盤と空港第一ターミナル直下の駅施設を活用し、JR東日本と京成電鉄が成田空港に乗り入れる上下分離方式案(成田空港高速鉄道)の整備が決定され、1991年に開業に漕ぎつけました。

253-ne01-030304 2003/3/4 恵比寿 Ne-01編成

JR東日本が都心や周辺地域と成田空港ターミナルのアクセス特急として用意したのが「成田エクスプレス」で1990年から2002年に渡り、東急車輛製造、近畿車輛で111両が製造された253系特急車両が運用されました。1991年3月19日のダイヤ改正から営業運転が開始されました。

主要諸元
最高運転速度 130 km/h(0・200番台)120 km/h(1000番台)
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 1000番台:2.0 km/h/s
減速度(常用) 0番台:4.0 km/h/s 1000番台:5.2 km/h/s(増圧時)
編成定員 290名(6両編成)
編成重量 203.3 t(6両編成)
全長 20,000 mm
全幅 2,946 mm
全高 3,995 mm
車体 普通鋼
台車 ロールゴム軸箱方式ボルスタレス台車 DT56形(電動車)・TR241形(制御車・付随車)
  軸梁式のDT69形(電動車)・TR254形(制御車・付随車) 
主電動機 直流直巻電動機 MT61形(0・200番台)かご形三相誘導電動機 MT74A形(1000番台)
主電動機出力 120kW
駆動方式 中空軸平行カルダンたわみ板継手方式
歯車比 17:82 (4.82)
編成出力 1,920 kW(6両編成 4M2T)
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ制御・弱め界磁制御・界磁添加励磁制御(0・200番台)VVVFインバータ制御(1000番台)
制動装置 電気指令式空気ブレーキ (回生ブレーキ・抑速ブレーキ付き)
保安装置 ATS-SN・ATS-P・ATC-5(使用停止)(0・200番台)ATS-SN・ATS-P・東武形(T型)ATS(1000番台)

1992年に鉄道友の会からローレル賞を授与され、さらに第4回ブルネル賞の近距離列車部門最優秀賞も受賞しました。

253-ne101-090918 2009/9/18 成田 Ne-101編成 リニューアル後

車両デザイン開発はGKインダストリアルデザインが担当し、車体のカラー白・灰・赤・黒は「北極圏の白」、「成層圏の灰色の空」、「地平線に輝く赤い太陽」、「果て無き黒い宇宙」をイメージしています。

253-ne103-090913 2009/9/13 酒々井 Ne-103編成を先頭にした3+3+6編成

製造は5次に渡り、
1次車1990年に製造され
クロ253(Tsc)-モハ253(M)-クモハ252(M'c)
の3両編成でクロ253は前部にコンパートメント(個室・定員4名)と後部の開放式グリーン室(定員20名)からなり、開放式グリーン室の座席が1人掛け座席を2列配置の0番台と2人掛け座席と1人掛け座席を千鳥配置した100番台の2タイプが用意され、前車が編成番号(Ne01-11)、後車が(Ne101-110)と計21編成、63両製造されました。普通車の座席は荷物を置く空間を確保するため片持ち式の2人掛けの非リクライニング座席を向かい合わせに固定したボックス式クロスシートが装備されました。

2次車から4次車はモハ253-100(M1)-モハ252(M')-サハ253(T)の中間車3両から構成され、
1992年に6本、1994年に4本、1996年に2本製造(計36両)され、Ne01-11、Ne101編成に組み込まれ6連化されました。

253-ne201-090918 2009/9/18 成田 Ne-201編成

5次車2002年日韓サッカーワールドカップ開催に伴う輸送力増強のための増備車で6両編成2本(Ne201,Ne202編成の計12両)が東急車輛製造で製造されました。台車や車内設備の変更で200番台(M1車は300番台)に区分されました。
2002年と言えば、電車の制御システムはVVVFの時代となっていましたが、従来車との共通化のため、界磁添加励磁制御方式が踏襲されました。そのために中央・総武緩行線で使用されていた205系を武蔵野線に転用する際にVVVF化で捻出された主電動機、主制御器、励磁装置、断流器、誘導分流器が再利用されました。
この界磁添加励磁システムの再利用の思い出されるのが101系の製造が長く続いた際にMT46A電動機を新造せずに151系の181系化改造で余剰となったMT46Aを新造された101系に流用した件です。
グリーン車の開放室は座席を2+1人掛け(両端は1+1人掛け)に変更し、定員は28人となりました。普通車は従来の固定式クロスシートから2人掛けの回転リクライニングシートに変更されました。

5次車の登場に伴い、在来車の更新改造もなされ、グリーン車クロ253形の6両編成組み込み車両(1 - 11・101)は従来の座席を撤去して5次車と同一仕様の座席に交換し、定員が8人増加しました。3両編成組み込み車両(102 - 110)は開放式グリーン室を普通室に変更し、クロハ253形(1 - 9)に形式変更されました。座席は5次車と同一の回転リクライニングシートに変更され、普通室の定員は40人となりました。普通車はボックスシートから集団見合い式シート配列に変更されました。

2009年10月1日以降、後継のE259系が「成田エクスプレス」に投入され、まず3両編成が運用離脱、2010年6月30日を以って、全編成がE259系に置き換えられました。

2010年11月、車歴の浅い5次車は大宮車両センター(Ne-201)、東急車輛製造横浜製作所(Ne-202)に入場し、1000番台化改造を受けました。これらの編成は東武日光・鬼怒川線直通特急「日光」「きぬがわ」に使用されるため内外装のリニューアル、制御装置のVVVF化、オール普通車化、前面貫通扉閉鎖、電気連結器の撤去など改造を受け、2011年春から運用される予定でしたが、東日本大震災の影響による計画停電などで東武直通特急が運休となり、2011年6月4日から運用に投入されました。

2010年9月までに1~4次車の編成は全編成除籍されましたが、2010年6月、長野電鉄はNe-107、Ne-108の2編成の譲受を発表、愛称は公募により、「スノーモンキー」に決まりました。

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コメント

B767−281様 こんばんは。253系のクロ253、クロ151の再来などと言われた車両ですね。4人用の個室はさすがになかなか利用者はいなかったのかな、と思います。私は国鉄車両の中でのクロ151が最高と思っています。コロナは置いておくとしたら今存在しても結構需要はあるのでは、と思います。下手なサロンカーのようなものを作るのだったら151系(もちろん走行機器関係は最新で)を作ったら商売になるのではなどと変な夢想をしてしまいます。本日東京都の感染者は800人越え。それでも「最大限の危機感」などと寝ぼけたことを言っています。国民や都民にお願いばかりでなく、政治が何をするのかきちんと話して欲しいです。

細井忠邦さま、おはようございます。

私も岡山から特急はとに乗車した際に、クロ151の慣れの果てのクロハ181を見た覚えがありますが、ああいう車両が毎日当たり前のように走っていた時代があったというのが新幹線開業前、数年間の東海道線だったのですね。確かにゴージャスな列車としてはTRAIN SUITE 四季島、トワイライト瑞風、ななつ星などがありますが、なかなか会うことすらできませんからに。
話はかわりますが、菅政権、学術会議委員のの任命拒否に始まり、コロナ対策の失敗、そして夜の会食と総スカン状態ですね。もはや自民党内からも批判噴出であっという間に退陣に追い込まれるかもしれませんね。

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