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2020年12月23日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 63 日光戦争、東武側の対抗策

253系東武直通特急の話題から東武鉄道まで話が飛んでいますが、国鉄と東武の間で首都圏~日光間の乗客の争奪戦が始まる前の東武は1948年8月から日光向けに一般乗客用の特急列車の運行を開始しました。このときに運用されたのは1937年から1939年にかけて製造されたモハ5310形、クハ350形でした。これらの車両は戦時中はロングシート化され、一般車として運用されていましたが、特急運用のため,再度固定クロスシートに改造したもので、「華厳」「鬼怒」の愛称が付けられましたが、特急用車両としては設備面で見劣りがするものでした。

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5701-140716-5 2014/7/16 東武博物館 5700系 A編成

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5700-140716 2014/7/16 東武博物館 5700系 B編成

1950年6月から国鉄が上野~日光間で準急「にっこう」の運行を開始するのに対抗して、接客設備の改善を目指し登場させたのが5700系でした。1951年と1953年の2回に分けて12両が新造された本格的特急用車両で日本車輛製造東京支店、汽車製造東京製作所、ナニワ工機製の3社が製造を担当し、
非貫通構造の運転台タイプ(A)編成 モハ5700+クハ700 2両編成2本
貫通構造の運転台タイプ (B)編成 モハ5710+クハ710 2両編成2本
Bと同様の車体に直角カルダン駆動装置 モハ5720+クハ720 2両編成2本   が製造されました。
 
車体長18m、車体幅2.8mmの半鋼製車体、モハ5700、モハ5710は東洋電機製造製のTDK-528/9-HMをモハの各台車に2基ずつ吊り掛け式で装架し、歯数比18:62=3.44、定格速度59.0km/h、加速性能を重視する一般車並みの設定でした。モハ5720は東芝製SE-507Bを各台車に2基ずつ直角カルダン方式で装架し、歯数比10:49=4.9、定格速度70.0km/hで5700,5710とは明確な性能差がありました。そのため、格下げ時には5720のみ特急用として残されました。

1955年10月、国鉄がキハ55系を投入すると、東武は速度と車内設備の向上を狙い、全金属製車体、カルダン駆動、MM'ユニット構成、全電動車方式、最高許容速度145km/hの1700系8両(1956年)、1710系4両(1957年)を登場させました。製造は5700系同様、ナニワ工機、日本車輌製造、汽車製造 が担当しました。1700系が登場すると5700系、5710系は急行運用となり、1700系全編成が登場した時にはC編成5720系も急行運用に格下げされました、

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2014/7/16 東武博物館 1720系

1959年、国鉄が157系を登場させると東武は1700系の電動機を改良、中速度から高速域の性能向上を図り、平坦線釣合速度は165 km/h(運転最高速度は110 km/h)。起動加速度2.3 km/h、減速度3.7 km/h/s(常用)の高性能車を登場させました。これが1720系、通称デラックスロマンスカー(Deluxe Romance Car 略称:DRC)です。1960年から1973年にかけ6両編成7本が、ナニワ工機、日本車輛製造で製造されました。

国鉄151系157系に対抗して内装の充実化も図られ、座席は当時の国鉄特急形一等車と同等の3段ロック式リクライニングシートとフットレストを全車に装備し、前後間隔(シートピッチ)は1,100 mmと広く、向かい合わせ使用時でもテーブルが使用可能なよう、窓側に折り畳み式テーブルを設けました。8個の回転椅子とジュークボックスが設けられたフリースペース、サロンルームが準備されました。当初はアナログレコートを演奏するジュークボックスがありましたが、1989年CDの急速な普及による入手困難と座席数増加の目的から通常座席に変更されました。1編成あたり2箇所ビュッフェが設けられました。外国人観光客に配慮して、和式と洋式の2種類のトイレが設けられました。日本の鉄道車両としては最初にマジックドアがに導入されました。

1700系も1720系登場と前後する時期に冷房装置の搭載改造が行われ、当初は全面貫通スタイル、前照灯は貫通扉上に1灯でしたが、1971年12月に「さよなら運転」を行い、1720系と同様のスタイルに生まれ変わる更新改造を受けることになりました。

1990年6月1日、後継車である100系スペーシア」の営業運転が開始され、1991年8月31日を以って全車両が置き換えられました。1700系からの更新車も同時期に廃車となりましたが、営業運転を離脱した1700・1720系は台車・主電動機などが200系に更新され現在も活躍中です。

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コメント

東武5700系のラストランを撮影に走り回りました

松本に在住していたときに 地元 SBC信越放送のアナウンサーさんとご一緒しました

5700系は名車でしたね

準急豊島園さま、おはようございます。

私は東武鉄道に関しては不勉強で、5700系に関しても東武博物館で知った次第ですが、戦後間もないことああいった特急車両を走らせていた東武のすばらしさを感じました。その後、1700系、1720系が誕生した後も急行列車として長らく活躍した素晴らしい系列だったのですね。

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