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2021年1月29日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 81  横須賀色の電車達 その6 千葉ローカルで活躍した113系

横須賀色の電車シリーズ、今回は房総西線(内房線)、房総東線(外房線)、総武本線、成田線、東金線、鹿島線等で活躍していた113系について触れます。

58-7403 1974/3 錦糸町 新宿や両国から銚子、館山、安房鴨川に運行されていた気動車急行

私が小学生の頃の1960年代半ばまでは房総各線は非電化で東京から岩井まで夏休みの家族旅行で出かけたときは新宿をキハ28の急行で出発、房総西線にはキハ35が走っていたのを記憶しています。通勤電車スタイルではありながら、外吊り式の側扉が印象的でした。

長らく、千葉県内の国鉄路線は非電化で蒸気機関車牽引列車が遅くまで残り、蒸気王国、さらにディーゼル王国と呼ばれました。各線は以下のように電化されました。鹿島線は1970年8月20日の開業時から電化されていました。

1968年3月28日 総武本線:千葉~佐倉間 成田線:佐倉~成田間
1968年7月13日 内房線;千葉~木更津
1969年7月11日 内房線:木更津~千倉
1971年7月1日  内房線:千倉~安房鴨川
1972年7月15日 外房線:蘇我~安房鴨川
1973年9月28日 成田~我孫子間電化、東金線全線電化
1974年10月26日 総武本線:佐倉~銚子 成田線:成田~松岸間

73_20210128183601 撮影年代不詳 千葉駅 安房鴨川行きの外房線電車

電化されてもいきなり新車が投入されるわけではなく、首都圏等から置き換えで回ってきた72系電車が走っていました。当時の千葉駅の様子は、「二邑亭駄菓子のよろず話」改め■■ 道楽者の部屋 ■■>蔵出し鉄道写真館>千葉駅  (1973年10月)で見ることが出来ます。

そして千葉鉄道管理局内で唯一の電車区は津田沼区でした。同じ千葉県でも常磐線の松戸電車区は東京北鉄道管理局管内でした。72系は1977年まで配置され、113系は1969年に千倉電化で42両(番号は上述のように1001,1301から7編成)が新製配置、1972年7月5日の幕張電車区の開設後も千葉ローカル用車両の配置が続き、1986年に全車、幕張に転出となりました。

1979_20210128192001
1979年 津田沼電車区 113系編成表 

111・113系の車歴データから1969年に同区に配置された車両を見ると、クハ111-1001~1007、モハユニット113/112-1001~1014、クハ111-1301~1307が新製配置されていることが分かりますが、同区に残っているのは薄青の車両のみで、他の4編成は幕張区の151~154編成となっていることが分かります。

113系1000番台は横須賀線~総武快速線直通運用を見越した長い地下線運転を考慮し、不燃化基準を徹底した車両で
1)車内各部に不燃若しくは、難燃材料を用いる。
2)主回路抵抗器周辺には配線を行わず、電線管若しくは密閉ダクト配線とする。等の設計変更がなされました。

113-000000-edit  
撮影年代不詳 千葉 外房線ローカル6連

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2021年1月28日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 80  横須賀色の電車達 その5 荷物・郵便電車

1986年11月1日のダイヤ改正で廃止されるまで、東海道、中央、東北、高崎線、房総方面等各線の中距離電車には郵便・荷物電車が併結されていました。首都圏では湘南色と横須賀色を見ることが出来ました。

83800-750300-b
1975/3 三鷹 クモニ83+115系

83-83-800503_20210127185901 1980/5/3 松本

中央東線関係では1月26日の記事にあるように三鷹電車区に配置されたクモニ83が115系編成の新宿方に連結されていました。

74-2 撮影年代不詳 錦糸町
気になるのはこのスカ色の塗分け線は前照灯の中心を通っており、湘南色の塗分け線のままスカ色になっているのではないかということです。「房総のクモユニ74」のサイトのお写真を見ると、どの写真も塗分けのラインが前照灯の上から1/4のあたりにあります。

74-1 撮影年代不詳 東京
湘南色の塗分け線は前照灯の中心を通り、前照灯間の掴み棒と重なります。

房総西線、東線では東京方にクモユニ74、クモハユ74が連結され、新聞輸送に活躍していました。

Photo_20210127200001
モハ63→モハ72→クモユニ74 改造対応表

クモユニ74形といえば田町電車区配置の東海道線の113系に連結された大目玉湘南色の車体が記憶に浮かびますが、房総各線では幕張電車区配置のシールドビーム横須賀色の車体でした。
0番台は1962年から1965年にかけ改造され、111系、113系とのみ併結可能なタイプで000~014の15両が改造されました。ライトは74011までが大型、012~014はシールドビームでした。
100番台は1964年から1965年に改造されたタイプで80系も併結可能となりました。当初は中京地区に投入され、1968年に100~102が200番台、211~213に再改造、1972年に房総地区に転属しました。
200番台は1964年から1965年に改造された200~207の8両で高崎・東北線向きで80系、115系と併結可能にしたタイプでした。ノッチ戻しと抑速ブレーキ対応の主幹制御器を搭載していました。

1975年の配置表ではクモユニ74の000~011が南チタ、105、106は広ヒロ、200~207、211~213が高シマ配置でした。100~102は211~213に改造されました。

千マリ
クモユニ74 012 013 014 103 104 107
クモハユ74 001 002 003

房総のクモユニ74形は1986年に最初、身延線に投入されたクモユニ143形が房総地区に転属となって全廃されました。

クモハユ74形は1969年、房総西線千倉電化でモハ72形から3両改造されたタイプで種車の車体をそのまま流用し、両端に運転室を増設したタイプでした。クモハユ74001はクモハ74として竣工、改めてクモハユ74に改造されました。1978年まで使用され大船電車区に転属後、事業用車代行、訓練車になり、1981年までに全廃されました。

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2021年1月27日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 79  横須賀色の電車達 その4 豊田電車区配置の横須賀色電車 新性能編

1986年11月1日、国鉄最後のダイヤ改正で、三鷹電車区に配置されていた横須賀色の115系は豊田電車区に移動しました。

198611
1986/11 豊田電車区の115系 編成表

1986年11月の改正で豊田区に転属した115系はこのように編成が組み替えられました。中央東線の特徴的は3連2組にサハ2両を挟んだ8連はなくなり、貫通タイプの6連と3連2組の6連となり、これらは新宿~松本間に、12編成以降の3連編成は冷房編成と非冷房編成があり、運用範囲は立川・高尾~河口湖・小淵沢となりました。
9、30編成の1000番台車(サハ115-1027、クモハ115-1065+モハ114-1159、クハ115-1208)は三鷹区新製配置、モハ115-1102+モハ114-1174は新前橋区新製配置車輛です。

編成の構成は時間経過とともに変化して行き1993年の編成表ではM1~M8(除くM6i)が6連でMcM'TMM'T’cタイプ、M6はTcMM'MM'T'cタイプ、M9は3連ⅹ2タイプとなりました。M10~M31が3連となりました。1993年12月のダイヤ改正で新宿乗り入れがなくなりました。

1997年にはM1~M8が6連でMcM'TMM'T’cタイプ、M9~M13が3連ⅹ2タイプ、M31~M44までが3連となりました。

115-m1-070329-3
2007/3/29 東山梨 M1編成 クモハ115-304+モハ114-332+クハ115-354

115-m12-141206
2014/12/6 四方津 最晩年、3+3の6れんで活躍するM12編成他

2002年には基本番台は消滅しM1~M12まですべて3連となりました。M7,8,9,11は非リニューアル、他はリニューアル済み編成となっていました。2000年12月の改正で長野までの広域運用がなくなり、中央本線立川~小淵沢間、富士急行線河口湖までの運用を担当するようになりました。

115-m40-050129
2005/1/29 西浦和 むさしの号として活躍するM40編成

115-m40-120818 2012/8/18 ホリデー快速として活躍するM40編成

そんな中、異彩を放ったのがM40編成でした。McM'TMM'T’cタイプでモハ114-374には霜取り用パンタが装備されていました。

2014年12月7日以降、長野総合車両センターの211系に運用を譲り、離脱しました。


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2021年1月26日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 78  横須賀色の電車達 その3 三鷹電車区配置の横須賀色電車 新性能編

再び、横須賀色電車の話題です。

1150-000000-edit 撮影年代不詳 八王子

1150-000000-edit_20210125152501 撮影年代不詳 新宿

1966年の中央東線・篠ノ井線の松本電化ダイヤ改正(1965年5月20日に塩尻~南松本まで電化)で三鷹電車区に既存の客車列車(EF13EF64牽引の)や70系置き換え用として115系が投入されました。1968年からはローカル列車運用のみならず急行「かいじ」「かわぐち」にも投入されました。「かいじ」運用では1970年から2年間、サロ165形が連結されており、新前橋電車区のサロ165-14,15がジャンパ連結器を変更し、三鷹電車区に貸し出され、14は横須賀色に変更、15は湘南色のまま使用されました。

197904_20210125143801 
1979/4/1 三鷹電車区 115系およびクモニ83形荷物電車 編成表

115-800503
1980/5/3 松本

115-820101 1982/1/1 三鷹電車区

1975年3月のダイヤ改正では300番台、新製冷房車が投入され、一部残されていた客車列車、70系電車を置き換えました。70系は呉線に転用されました。1984年2月、1985年3月のダイヤ改正では編成短縮化で不足する制御車を補うため、サハ115の基本番台がクハに改造され各地に転出、1986年11月のダイヤ改正で豊田区に移管され三鷹区の配置はなくなりました。

1150
三鷹区配置のサハ115に運転台取り付け工事

115系基本番台の履歴データによると
Mc+M' 1,801~17,817 全17ユニット
T'c 175~190 全228両
T 1~10 13~16 23,24 全37両   が三鷹区新製配置ですので、1979年4月時点では新製配置された基本番台は全て三鷹区に配置されています。サハ115の運転台取り付け改造は1983年11月から1985年3月にかけて行われクハ115-607~-619に改造・改番されました。クハ115-612はさらにクハ401-901に改造されました。
ちなみにクハ115-601~606は1983年クハ111形300番台を115系に編入したもので主幹制御器をMC22からMC53へ、戸閉機器をTK8Aに変更したものでした。1994年にJR西日本で余剰となった113系5400番台から3両、115系化されましたが、こちらは620~622と付番されました。

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2021年1月25日 (月)

2020年3月改正から運行を開始したTX 3000系を撮影する

横須賀色の電車の話題はひとまず置いて、突然ですが久しぶりに乗車、撮影した首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(TX)の車両の話題を。

秋葉原とつくば58.3kmを結ぶTXは計画より5年遅れ、2005年9月1日に開業し、早くも15年の歳月が経過しました。2009年に1日の平均乗車人数が開業時の目標である27万人を突破、前年度の営業成績が開業以来初めて黒字となり、2011年3月11日の東日本大震災で終日運転見合わせ、以降徐行運転や計画停電で運転見合わせを強いられる日が続きましたが9月12日には,平休日ともに震災前の通常ダイヤに戻りました。2019年5月31日には開業以来6両編成運転であったのを8連化することが決定し,2030年代前半に供用開始が計画されています。2018年度の1日平均輸送人員は38万6千人2020年度はコロナの影響で減少が予測されますが、これまでは増加の一途を辿ってきました。

車両は以前の記事(1,2,3,4)でも紹介していますが、秋葉原~守谷の直流区間用のTX-1000系、守谷~つくばまでの交流区間用に対応した交直両用のTX-2000系、そして2020年3月14日のダイヤ改正で登場したTX-3000系が活躍しています。TXの車両の特徴は1067mmの狭軌鉄道であるにも拘わらず,車体幅が2930mmと最大級の車体幅を持っていることです。

1000-1103-210115

1000-1111-210115 2021/1/15 北千住 1103F と 1111F 
2003年3月に先行試作編成1編成、2004年3月から2005年1月にかけ量産編成14編成の計15編成が製造された直流専用のTX-1000系
帯は車体側面上部にのみ

2000-2161-210115_20210124140501 2021/1/15 北千住

2157-1311032013/11/3 守谷
2161Fと2157F 
2003年3月に先行試作編成1編成、2004年1月から7月にかけ、量産編成15編成、計16編成が製造されたTX-1000系と同じスタイルのTX-2000系量産車

2000-2167-210115 2021/1/15 2167F
2008年度にマイナーチェンジして登場した1次増備編成(2167F~2170F)、前面にスピード感を表すVラインが追加され、可動式ホームドア柵を識別しやすいように車側中央部にも帯が追加されました。

2000-2173-210115
2021/1/15 北千住 2173F
2012年に3編成増備された2次増備編成(2171~2173F)
室内灯を蛍光灯からLED照明とし、省エネルギー化を進め,座席の座り心地も改善されました。暖房容量の増加、視覚障害者への配慮として従来からのドア開閉チャイムに加えてドア開案内チャイムを付加し、駅停車中に5秒間隔でチャイムを鳴動させています。

3000-3181-210115

3000-3684-210115-21
2021/1/15 北千住 3181F
2020年3月のダイヤ改正から登場した新系列のTX-3000系で3181F~3185Fの5編成が投入されました。

前面のスタイルは丸みを帯びたスタイルとなり、帯のパターンも変わりました。ホームドア可動柵を認識しやすいようにドア部分は青色となりました。各ドアの上部には42インチハーフ液晶式車内案内表示器が設置され、車両側窓へのUVカットグリーンガラス、荷棚や座席横の仕切り、車端部のドアに透明強化ガラスが採用されました。

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2021年1月22日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 77  横須賀色の電車達 その2 三鷹・松本配置の横須賀色電車 旧国編

昨日の新前橋、小山電車区の横須賀色車両に続き、今回は中央線、篠ノ井線、信越本線で活躍した横須賀色の旧形国電です。

配置は三鷹区、松本運転所です。北松本支所にも旧国が配置されていましたがこちらは大糸線用で当初は横須賀色も配置されていたようですが1970年代後半にはスカイブルーに統一されたようです。

1975年3月31日現在

三鷹電車区 西ミツ

モハ71 001~021
モハ72 851~860
クハ76 017 018 034 035 036 043 045 051 053-063 071 306 351
クハ79 419 430 444 446 452 457 466 478

76-2 撮影年代不詳 高尾 クハ76 

<70系>
三鷹電車区は田町、明石、、宮原、高槻、鳳電車区と並んで70系が新製配置された電車区で1951年度にモハ70形800番台801~804、モハ71形001.1952年度にモハ71形006~017、クハ76形053~063の28両が配置されました。当初はぶどう色でしたが、1952年1953年に横須賀線からクハ76形5両が転入し、モハ71クハ76の編成となった際に全車、横須賀色になったそうです。山線を走るスカ色から、山スカと呼ばれました。私も小学校の頃、中央線を走る姿はよく見ていました。横須賀線と違いモハは低屋根、ギヤ比はモハ70形が2.56なのに対してモハ71形は63・72系と同じ2.87でした。狭小断面のトンネル対応で屋根は低屋根でした。

クハ76351は1957年5月14日に横須賀線東逗子~逗子間の池子踏切でトラックと衝突して脱線・大破したクハ76005を1958年6月、大井工場で復旧し、全金製の300番台と同様の車体を載せた車両です。
1960年に横須賀線のモハ70002,003,001,004が歯車比を2.87に変更、低屋根化され、パンタグラフの折り畳み高さをモハ72850番台と同じにして、モハ71018-021に改番、三鷹区に転出しました。020,021の2両は豊川工場のミスでぶどう色に塗装されましたが、1961年9月に横須賀色となりました。

79300iv 撮影年代不詳 高尾 クハ79

<72系>
モハ72形850番台は1956年度第二次車として製造された低屋根車850-864からなります。当初、864まで三鷹区に配置されていましたが、横須賀線からモハ71改造タイプが転入したことで861-864は転出しました。
中央東線ではクハ79形、モハ72形850番台を組み込んだ編成が運用されましたが、トイレの関係から72系のみの編成はなく、必ず70系3両プラス72系1両といった構成で編成されました。

1966年から中央東線に115系が投入され、1975年から1976年にかけ、冷房車の115系300番台が投入されると1976年1-3月に広島運転所にモハ71形21両、クハ76形18両が転出、クハ76形045,071の2両がモハ72形とともに波動輸送用として運用されました。

松本運転所 長モト

モハ70 034 036-039 041 043 044 047 053 066 067 069 104-106 111 113 115 116 123 124
クハ68 023 052 056 058 075 082 090 097 099 101 102 111
クハ76 006 008 010 014 019 021 072-075  

1972年3月の改正で阪和線と中央西線から70系29両とクハ68形10両が長野運転所に転入 信越本線長野地区で運転される普通列車が電車化されました。軽井沢~柏崎間で新潟色と混じって運転されました。1974年に381系の増備で松本運転所に配置換え、その後、仙石線から1975年にモハ70形3両、1976年に新潟地区からモハ70形1両、クハ68形2両が転入しました。
横須賀色 クハ68と70系の編成写真はこちらのサイトで。

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2021年1月21日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 76  横須賀色の電車達 その1 北関東で活躍した横須賀色の電車達

昨日のしなの鉄道115系S16,S26横須賀色復刻編成に続き、横須賀色(スカ色)車両の話題です。

横須賀線に1950年1月、クリームと青の横須賀色電車が登場した後、同じ塗色を纏った電車を日本各地で見ることができました。

記憶にあるところでは、吾妻線、千葉ローカル、中央東線、御殿場線、身延線、飯田線、中央西線、阪和線などです。その多くが旧形国電であり、101系以降の新性能電車は111、113、115系のみでこれらが横須賀色で活躍したのは、横須賀線、総武快速線、千葉ローカル、中央東線のみでした。身延線ではモハ62形、クハ66形という113系もどきの旧性能車も活躍しました。

横須賀色の車両は横須賀線で活躍した車両の転属、それぞれの線区で電化に伴う新規導入と経緯は様々ですが今となっては懐かしい思い出です。

1970年代終盤まで、新前橋電車区、小山電車区に配置された車両が横須賀色に塗られており、前車は上越、信越、両毛、吾妻線で後車は日光線で活躍していました。まずは配置データを。

1975年3月31日現在
新前橋電車区
クモハ40 044
クモハ41 020 023 029 044 047
クモハ60 010 020 080 101 125 
クモハ73 183 391
モハ30 001 003
モハ70 049 050 051 052 056 057 062 063 064 085 086 087 088 094 095 096 107 300 301 305
モハ72 654 926
クハ55 401 402 403 404 406 431 442
クハ76 020 022 025 028 037 065 066 068 081 082 085 088 091 092 093
クハ77 000 001 002 003 004 006
クハ79 172 340
クハニ67 901 902

55

41-edit 撮影年代不詳 羽根尾 吾妻線のクハ55+クモハ41

新前橋電車区は1959年に開設されました。モハ30形クモハ40形の運転室を撤去し、中間電動車化した形式で当初はモハ40800番台でしたが1953年6月1日実施の車両形式称号規程改正にかかったため、モハ30形となりました。新前橋と鳳にみ配置されました。クハニ67とクモハ41に挟まれた3連で高崎-横川限定運用 に就いていました(このタイプの編成についてはこちらのサイトに写真)。 クハニ67形900番台はクハ55形に荷物室を設置改造したもので900~905の6両が改造されました。
新前橋区で圧倒的多数を誇る70系は両毛線電化で大船電車区から転属してきた車両たちです。1968年の電化で横須賀線で最後まで運用されていた42両とサロ85形を改造したクハ77形6両が転属しました。

小山電車区
クモハ40 054
クモハ41 038 045 096 113
クハ55 400
サハ57 049

国鉄40系グループの
クモハ40は両運転台式、クモハ41は片運転台式の制御電動車です。
クハ55形は1932年から1943年までに」96両製造されました。後年、地方線区への転用で便所が設置され、400番台となった車両があります。400~406、430~442
サハ57形は1933年から1941年にかけて47両が製造されましたが、1933年にサロハ56形として京浜東北線向けに13両製造された二等三等付随車が1938年の二等車廃止でサハ57形に改造され、57048~57060となりました。
日光線で活躍したスカ色旧形国電の姿はこちらのサイトにあります。1975年の配置表のデータとお写真の番号がまさにぴったり合っていて編成構成が良く分かります。

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2021年1月20日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 75 しなの鉄道の115系 横須賀色

しなの鉄道の115系、色物シリーズ、今回はS16編成S26編成が纏っている横須賀色です。

115-s16-180831 2018/8/31 長野 S16編成

1月8日の記事でも紹介しましたが、横須賀線を走る車両はクリーム色と青色の塗り分けになっています。この塗色が採用された経緯は1940年に開催される予定だった東京オリンピック(戦争により中止)のイメージカラーを転用し、当時の国鉄副技師長のコメントにあるように「海に近い地域を走るので砂浜のクリーム色と海の青」を意味してのものだったようです。

この色、当初はクリーム色1号と青2号の組み合わせで、1949年12月のモハ32028の塗装試験(前面と右側は窓回りと扉がクリーム色に幕板・腰板を藤色、左側は窓回りと扉が橙色で幕板・腰板を薄緑、連結面は本来のぶどう色1号で窓回りが左が黄色で右が灰色となり、「お化け塗装」と言われたそうです)が始まりとのことで、1950年1月頃登場した更新修繕車から続々塗り替えられ、1962年の外部塗色標準化でクリーム1号と青15号の組み合わせに変更されたそうです。この更新修繕は東海道線区間で平行する湘南電車に80系が投入されるにあたり、横須賀線電車の格差を是正するために緊急に整備されたもので、元々二等車で比較的状態が良かったサロ45形は塗色変更のみに留められましたが、それ以外の車両は外部塗装を剥離、横須賀色に変更、内装の木部の洗浄、ニスの塗り直し、座席の復旧整備、鋼板製プレスドアへの変更等が実施されました。

以来、32系に続き、40系、42系(モハユニ44形)、50系(サハ75形)、51系(モハユニ61形)、52系(サハ48形)、70系、80系(サロ85形)、111系・113系E217 系E235系がこの塗装(帯色)を纏っています。

現在、E235系1000番台への置き換えが進行中のE217系からはステンレス製車体に窓上、窓下に横須賀色の帯を纏うスタイルとなりましたが、デビュー時は従来と同じクリーム1号と青15号でしたが、更新車では青色が明るい色調の青20号に変更となりました。E235系1000番台もE217系の更新車と同じクリーム1号と青20号の組み合わせとなっています。

Dsc00585_20210119185001

Dsc005932020/12/28 長野 湘南色と横須賀色が並ぶ光景は湘南横須賀分離前の東海道線を彷彿させます。

S16編成はクモハ115-1072+モハ114-1170+クハ115-1215から構成されており、1980年3月4日、日立製作所で竣工しています。新製配置は松本運転所でした。1986年の編成表ではR10編成1993年の編成表ではR8編成で、1993年2月10日に初代長野色に塗装変更されています。2002年の編成表では長野総合車両所に転属しており、同所のN1編成となっています。1999年3月29日に大宮でリニューアル改造を受けており、2002年3月29日にはパンタグラフがシングルアームに変更されています。2007年12月18日に長野工場でATS-P取り付け工事、2010年7月7日、EB装置取り付け工事が施工され、2015年3月にJR東日本からしなの鉄道に譲渡されました。2017年7月16日に、横須賀色に塗装変更されました。

115-s26-180902 2018/9/2 小諸 S26編成

S26編成はクモハ115-1076+クモハ114-1512から構成され、改造前はモハ114-1182でした。1981年6月19日、川崎重工で竣工、新製配置は北松本で、O4編成としてR編成への増結用編成でした。1988年2月17日、長野工場で改造を受け、先頭車化、引き続きO4編成で1991年4月22日、初代長野色に塗色変更、1994年5月18日に二代目長野色に塗色変更、2002年の編成表では長野総合車両所のN53編成に、2001年3月11日、トイレの設置、2002年12月17日、パンタグラフのシングルアーム化、2008年3月27日,ATS-P取り付け工事、2008年8月8日、EB装置取り付け工事が施工されました。2013年3月にしなの鉄道に譲渡、2015年9月19日、しなの鉄道色に塗装変更、そして2018年10月12日に横須賀色になりました。

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2021年1月19日 (火)

9000系9102Fも多摩湖線運用に

西武多摩湖線には昨年10月より101N系9000系4連の混合運用体制となり、9000系については9108F9105Fが投入されたことは既に報告しましたが、目撃情報サイトによると1月8日に9102Fの回送があり、1月11日から6410レで始まる運用に9102Fが投入されたようです。私も1月17日日曜日に乗車しました。

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Dsc00854 2021/1/17 萩山 4連、ワンマン化された9102F

尚、同編成は1月14日には西武園線運用にも就いているようです。

9102Fは1992年5月30日に9101+9202+9902+9002に4連が西武所沢工場で竣工、中間車6両が同年10月14日に竣工し、10連となりました。当初は新宿線で活躍、1998年3月26日のダイヤ改正で池袋線に配置転換となりました。VVVF化は2007年3月31日に竣工、減パン(M4:9600形)、シングルアーム化改造も同時期に施工されました。

9000-9002-120428
2012/4/26 練馬高野台

9000-9102-180319 2018/3/19 練馬高野台

池袋線での運用は2020年8月18日に離脱、横瀬基地で4連化、武蔵丘車両研修場でワンマン化改造が行われ、2021年1月11日から4連での営業運転が開始されました。

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2021年1月18日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 74 しなの鉄道の115系 二代目長野色

しなの鉄道の115系、色物シリーズ、今回はS15編成が纏っている二代目長野色(フォギーグレー+アルパインブルー+リフレッシュグリーン)
です。
この塗色は1998年の長野オリンピック以来、2015年10月の定期運用終了まで続きました。

115-s15-180902


115-s15-180902-3
2018/9/2   上田 S15編成 快速列車は現行ダイヤでは下り7本、上り6本運転されており、停車駅は軽井沢、中軽井沢、(信濃追分)、(御代田)、小諸、(田中)、(大屋)、上田、(坂城)、(戸倉)、(屋代)、(篠ノ井)、(川中島)、長野,(北しなの線内各駅),豊野、牟礼,黒姫、妙高高原()は列車によっては通過となっています。

S15編成はクモハ115-1015+モハ114-1020+クハ115-1014から構成され、1978年2月23日、東急車輛製造で竣工、新製配置は新前橋電車区でした。1986年11月の編成表では1978年8月21日、日本車輛製造竣工のサハ115-1020を伴った4連のT1020編成1993年の編成表では長野総合車両所に転属、N12編成となっています。初代長野色への塗色変更は1993年3月25日でした。2002年の編成表では長野総合車両所のN13編成でリニューアル改造は1999年3月31日に施工、パンタグラフのシングルアーム化は2002年2月20日に施工されています。2015年に譲渡されました。

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2021年1月15日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 73 しなの鉄道の115系 コカコーララッピング

しなの鉄道の115系、色物車、今回はS11編成に施された「コカ・コーラ」ラッピングです。

115-s11-180901-3

 

115-s11-180901 2018/9/1 長野 車外も車内もコカ・コーラだらけの電車でした。旅行2日目に長野から豊野まで乗車したのがこの編成でした。

私は全く記憶にありませんが、1987年JR発足当初、JR東日本が全国初のラッピング車両として長野運転所のN12編成をコカ・コーラの自動販売機と同じ色に塗り広告電車を登場させ4年間運行させたそうです。それを再現させたのがこの編成です。

しなの鉄道では30年後の2017年3月4日からコカ・コーラ電車の運行を開始しました。復刻に際しての資金はインターネット募金のクラウド・ファンディングによる資金調達が行われたそうです。3年半に渡る走行の後、2020年9月16日に終了がアナウンスされ、10月2日にラストランを迎えました。

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115-s11-180901-212018/9/2 御代田 さらに旅の最終局面でも遭遇しました。

S11編成はクモハ115-1020+モハ114-1027+クハ115-1019から構成されており、1978年3月13日、日本車輛製造で竣工、新製配置は松本運転所でした。1979年の編成表ではモハ115-1008+モハ114-1028を含めた5連のR9編成1986年11月の編成表では長野に転属、3連のN12編成1993年の編成表では松本運転所に転属、R20編成でした。1987年4月からコカ・コーララッピングされたのがまさにこの編成で、1990年4月28日に初代長野色に塗色変更されています。冷房装置取り付けは1993年度1997年10月1日に譲渡、リニューアル工事は1999年度に行われています。

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2021年1月14日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 72 しなの鉄道の115系 台鉄自強号色

しなの鉄道の115系、色物シリーズ、今回はS9編成が纏っている台湾鉄道自強号色です。

Dsc00564 2020/12/28 長野

1995年と2003年に仕事で台湾を訪問していますが、いずれの機会も鉄道に乗る機会には恵まれず台湾の鉄道に関してはまったく知識がありません。

自強号(じきょうごう)というのは台湾鉄道の列車種別のひとつで日本の特急に相当するもののようです。自強とは1971年に台湾の中華民国国民政府が国際連合から離脱した際のスローガン、莊敬自強 處變不驚(恭しく自らを強め、状況の変化に驚くことなかれ)に由来するそうです。

1978年4月25日に縦貫線(西部幹線:基隆~台北~高雄)の高級列車「観光号」の運行を、車輌の老朽化を原因として中止し、その代わりに、イギリス製のEMU100型電車を投入、暫定的に「莒光号」として運行しました。 1978年8月15日から、これを「自強号」としての運行するようになったが始まりだそうです。その後、1980~1990年代に、東部幹線など非電化区間用にディーゼル動車のDR2800型、DR2900型、また電化区間の輸送力増強用にEMU200型(現在のEMU1200型)、EMU300型、E1000型PPといった車両が投入され、運行区間の拡大と、列車本数の拡充がなされました。現在では多種多様な形式で運行されていますが、塗装スタイルは黄色をベースにオレンジの帯といったスタイルとなっています。

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2018/9/2 軽井沢 
2018年の旅行でもS9編成には遭遇していましたが、このときはしなの鉄道色でした。塗装変更されたのは同年11月12日でした。

Dsc00650 2020/12/28に長野を訪問した時には1運用に入っており、妙高高原から1125に長野駅に到着後、電留線に入線し、1436長野発で軽井沢に向かうというものでした。

S9編成はクモハ115-1527+モハ114-1048+クハ115-1223から構成されています。

クモハ115-1527は元モハ115-1012で1978年5月19日、日本車輛製造で竣功、クハ115-1223は1981年6月19日、川崎重工で竣功しています。モハユニットは新製配置が松本、冷房化は1993年度であったのに対して、クハは北松本に新製配置、冷房は同じく1993年度に取り付けられています。1986年11月時点では長野第一運転区のN23編成、1993年4月時点では松本運転所のR16編成でした。初代長野色への塗色変更は1990年8月9日に行われています。1997年10月1日に譲渡されました。

Dsc00659
Dsc00655交通部台湾鉄道管理局のマークも

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2021年1月13日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 71 しなの鉄道の115系 初代長野色

しなの鉄道の115系、色物衆、2番目は初代長野色です。

この塗装は1989年4月に登場したもので、1998年2月の長野オリンピックに合わせ、二代目長野色が登場した際に塗装変更で消滅してゆきました。しなの鉄道ではS7編成が2017年4月からこの塗装を纏っています。私自身、この塗装の時代はもっぱら旅客機の写真に夢中で鉄道雑誌などで紹介されていたのかもしれませんが、全く見た覚えのない塗装でした。

115-s7-180831 2018/8/31 長野

S7編成はクモハ115-1018+モハ114-1023+クハ115-1017から構成されており、3両とも1978年3月3日、日本車輛製造製で松本運転所に新製配置、その後長野第一運転区に転属、1986年11月時点ではN11編成として活躍し、1993年4月1日時点では松本運転所に在籍、R13編成として活躍し、1997年10月1日の開業時に譲渡されています。初代長野色への塗色変更は1991年8月3日でした。

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2021年1月12日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 70 しなの鉄道の115系 湘南色

しなの鉄道の115系編成には国鉄時代、JR東日本時代を彷彿させる塗装の編成がありますが、今回はS3編成、S25編成に施された湘南色です。

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2018/9/2 小諸 S3編成

Dsc00603 2020/12/28 長野 北しなの線に投入されたS3編成

クモハ115-1013+モハ114-1018+クハ115-1012で構成されるS3編成1978年1月25日川崎重工製造の元松本運転所のR3編成で、1991年11月19日に初代長野色に塗色変更され、1997年10月1日の開業譲渡前にしなの鉄道色に塗色変更されました、2005年1月14日付でリニューアル工事が施工され、湘南色に塗色変更されたのは2017年5月19日のことでした。ATS-P搭載工事は譲渡後に施工されました。

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2018/9/1 長野 S25編成のしなの鉄道色時代の姿

クモハ115-1075+クモハ114-1511で構成されるS25編成1981年6月19日、川重製造でモハ114-1181が1988年1月28日付でクモハ114に先頭車化改造され、2両編成となりました(O3編成)。モハ114が先頭車化改造されるまでのO編成(O1~O4)は増結用2両編成クモハ+モハでR編成の甲府、中津川方に増結される編成でした。
譲渡は2013年6月1日で、しなの鉄道色への塗色変更は2015年2月25日でした。リニューアルはされておらず、湘南色への変更は2019年5月でした。今年3月12日には運用離脱がアナウンスされています。

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2021年1月11日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 69 しなの鉄道の115系 しなの鉄道色

2018年晩夏、信州の旅、今回からはしなの鉄道に譲渡された115系の話題です。

115-s2-180902
2018/9/2 テクノさかき S2編成

JP東日本からは1997年10月1日の開業に備え、松本運転所から3両編成11本、169系が引退した2013年3月16日のダイヤ改正で長野総合車両センターの2両編成7本、北陸新幹線金沢延伸開業の2015年3月14日のダイヤ改正で長野総合車両センターの3両編成5本が譲渡されました。

115r3  
 
しなの鉄道 115系 3両編成

115-s8-091231-1 2009/12/31 篠ノ井 S8編成 現在は「ろくもん」に

115-s12-180902 2018/9/2 テクノさかき S12編成

115r2
 
しなの鉄道 115系 2両編成

115-s27-180902 2018/9/2 長野 S27編成

3両編成はS1~S16、2両編成にはS21~S27の編成番号は付番されましたが、S8は2014年7月2日付けで観光列車「ろくもん」に改造、塗装も変更されました。既に3両編成から2本(S5,S6)、2両編成から3本、廃車もしくは運用離脱がアナウンスされた編成が出ています。

1977年から1982年にかけて上越・信越線における旧性能車70系・80系の置き換え目的に製造された耐寒耐雪車両で4人掛けシートのシートピッチを1420mmかた1490mmに改善し、冷房に関しては準備工事をした車両でした。トイレに関しては「ろくもん」編成以外は,使用禁止となっています。クハ115-1200番台はクハ115-1000番台に続く偶数向きのクハで1099の続番として1201から付番されたもので、1243まで製造されました。奇数向きは1101から1159まででした。クモハ115,114-1500はモハ115-1000、114-1000番台を編成短縮化で新造車に準じた運転台ユニットを接合したグループです。

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2021年1月 8日 (金)

横須賀線・総武快速線で活躍を開始したE235系1000番台を撮影

JR東日本は2020年12月21日から横須賀線・総武快速線等でE235系1000番台の運行を開始しました。

E2351000-f04-201230-5 2020/12/30 戸塚 F-04編成

E2351000-j04-201230 2020/12/30 戸塚 J-04編成

E235系は2017年5月から山手線で運行開始されており、横須賀・総武快速線は二線区目の投入になります。配置はE217系同様、鎌倉車両センターで基本編成11両(F編成)51本、付属編成4両(J編成)46本の計745両が製造され、E217系を置き換えてゆく予定とのことです。

E2351000-j03-201230-2 2020/12/30 逗子 J-03とF-03の連結部 「ここは車両連結部です」という案内が聞こえます。

編成両数はE217系と同じですが、MT比に関しては基本の11両編成が4M7Tだったのを6M5Tとしました。

山手線で運行されている0番台との違いは、塗色、編成構成、グリーン車の存在の他、架線・路線の地上設備の状況監視を行う線路設備モニタリング装置が搭載され、INTEROS(INtegrated Train communication networks for Evolvable Railway Operation System)で車両の搭載機器の状態監視も行い、それらのデータをリアルタイムに地上システムへ送信することで安全性・安定性の向上が図られていることです。また、架線の通電時に充電、架線の停電時には充電された電力を使用して最寄駅等まで走行可能な蓄電池による非常走行用電源装置を初めて採用したことです。

E2351000-f03-210104 2021/1/4 新川崎 F-03編成

グリーン車には液晶ディスプレイの車内案内装置を搭載し、電源コンセントが各座席の肘掛けに設置され、無料公衆無線LANサービス(無料Wi-Fi)も利用可能となっています。

Small-e2351000

普通車に関してはシートはE217系ではセミクロスとロングの混成でしたが、E235系1000番台では全てロングシートとなりました。トイレの配置もE217系では増1、1、11号車でしたが、E235系1000番台では増1,1,6号車となりました。形態もE217系では和式、洋式とありましたが、E235系1000番台では全て車いす対応大型洋式トイレとなっています。

E2351000-j02-210104 2021/1/4 田浦 J-02編成 逗子~久里浜折り返しの11H運用

E2351000unyo
12月21日投入開始から1月7日までの編成と運用 白地は平日ダイヤ、小豆色は休日ダイヤ
平日運用では03が逗子で11両と4両に分離して、11Hの逗子~久里浜折り返し運用に

投入後の様子を横須賀・総武快速線の運用データから調べてみると(情報はこちらから)

12月21日:F-01+J-01が 01に投入
12月22日:01,49と4連の逗子~久里浜間運用11Hに、(F-01編成が802Sで運用中にドア故障を起こしたための運用変更)
      F-05+J-05が160Sから投入
12月23日:01,51,11H F-04+J-04が160Sから投入
12月24日:01,03,09と11H F-01+J-01が運用に復帰
12月25日:01,03,05,09と11H、F-02+J-02が160Sから投入
26日(休日)は01,03,05,07、27日も同様 F-03+J-03が701Sから投入
28日、29日は01,03,05,07,11H、
30日、31日~1月3日は26日同様、30日にはE217系Y-44の運用離脱が確認され、1月5日に長野総合車両センターへ配給輸送が行われました。
1月4日以降の平日は12月25日と同様のパターンを繰り返しています。

E217-y44-161121 2016/11/21 新川崎 E217系として最初に運用を離脱し、廃車回送されたY-44編成

E217系に関しては1994年から1999年にかけて製造されていますが、古い方からでなく最初に廃車回送になったのが、1999年製造の編成だったのは驚きでした。

編成は01,03,05,07が15連、11Hが4連でF01~F05, J01~J05の編成が日替わりで担当しています。

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2021年1月 7日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 68 169系の誕生から終焉まで

昨日の記事で坂城駅横に保存される169系3両編成(クモハ169/モハ168-1+クハ169-27)について触れましたが、165系900番台、新製車27組81両、サロ165からの改造車19両、サハシ153からの改造車10両の総計110両がどのように編成され、どのような運用に投入され、いつ廃車に至ったかを見てゆきたく思います。

169_20210106202801 急行「妙高」 熊ノ平信号所

1.試作車、量産車製造、他系列からの改造編入

1967年12月に碓氷峠協調運転試作車としてクモハ165/モハ164-901~904、クハ165-901~904の3両編成4組12両が日本車輌で製造されました。冷房工事準備車として落成し、クモハ、クハはAU12形、モハは低屋根構造でAU12S形搭載を前提にしていました。

1968年8月からは量産車第一陣としてクモハ169/モハ168-1~25、クハ169-1~24が製造され、クモハ169/モハ168-1~7を日本車輌、8~23を東急車輛、24,25を近畿車輛、クハ169-1~3を日本車輌、4~21を東急車輛、22~24を近畿車輛が担当しました。これらは冷房準備車として製造されクハ/クモハは分散式AU13E形、モハは集中式AU72形の搭載を前提にし、パンタグラフ部の構造は低屋根構造とはなりませんでした。

1969年9月の増備車両は冷房車両となり、クモハ169/モハ168-26,27、クハ169-25~27ともに東急車輌で落成しました。クハ/クモハは分散式AU13E形、モハは集中式AU72形を搭載し、クハに冷房電源専用として110 kVAのMH128-DM85形電動発電機(MG)が設置されました。

169_20210106133501
169系の投入でそれまで新前橋、長野に配置され、信越線の急行に使用されていた165系は新前橋に異動となりましたが、横軽対策済みで長野に残留したサロ165形19両が長野工場にてサロ169形に改造されました。冷房装置はAU12Sが6台搭載され、電源は自車給電用に40kVAのMG(MH122A-DM76A)を床下に搭載しました。これらのサロは169系の信越線での定期運用終了前に廃車されています。

169_20210106133801  サハシ169形は1968年当時、宮原区で余剰となっていたサハシ153形10両から、1965年10月の中央東線急行電車化でサハシ165-50番台が改造されたときと同じ仕様で改造され、日程の都合で改造は2次に渡って施工されました。1次ではジャンパ連結器、協調運転用引き通し回路の増設、横軽対策などの暫定改造で、2次は耐寒耐雪構造への変更とビュッフェ部の改造で寿司コーナーがそばコーナーに変更され、出入り台横に業務用控室が設置され、小窓が追加されました。床下に自車給電用に40kVAのMG MH101-DM65が搭載され、当初冷房はビュッフェ部分のみでしたが、1969年から1970年にかけ、客室部分にもAU12が搭載され、MGは110kVAのMH128-DM85に増強されました。これらのサハシも1980年代を待たずに廃車となっています。

2.信越線での運用

S169 1967年10月時点では信越線急行を担当する長野区の165系はMcM'Tc+McM'TsTsTcで5両編成8組、3両編成8組、予備車として各形式が3両ずつでした。169系導入にあたり、McM'Tcは転出しましたが、Ts車19両はサロ169形化改造の種車となりました。

169系急行は1968年10月のヨンサントオ改正でデビューし、当初は長野運転所所属のサロ2両とサハシ1両をMcM'とT’cに挟んだ6連+3連+3連の12連で運行されました。この時点ではMcM'T’c22組、TsTsTb8組で9両基本編成8本、3両付属編成6本、予備車McM'3組Tc2両、Ts3両、Tb2両の計103両体制でした。

列車名は「信州:上野~長野/湯田中」「妙高:上野~直江津」でした。1972年3月489系特急「白山」の登場、1975年3月の特急「あさま」の189系化などで、1976年11月30日限りでビュッフェの営業終了、1978年10月改正を前にサハシは編成から外され、11両化されました。

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1979年4月1日時点での長野運転所169系編成データ サハシが除かれ、サロが2両の時代

さらにグリーン車の利用率低下もあり、1982年11月の改正ではサロも1両減車となり、10両編成となりました。ヨンサントウ改正で一旦消滅した上野~湯田中間急行「志賀」は169系の登場で一旦は消滅しましたが、1969年10月改正で復活し、1982年11月の改正で長野電鉄乗り入れもなくなりました。

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軽井沢駅

信越線急行運用の減少で余剰となった車両は松本運転所に転出し、モハ168形は中央線狭小トンネル通過対策としてパンタグラフがPS23形に変更されました。1985年3月のダイヤ改正で169系による急行「信州」は全廃となり、169系はサロなしの9連(3連x3)になり、「妙高」でのみ運行されましたが、1986年11月のダイヤ改正でそれも189系による運行となり、信越線での169系の定期運行は終了しました。

3.他系列への改造、廃車

試作車として1967年に165系900番台で製造されたTcM'Mc4組12両は新前橋電車区配置され165系と共通運用され、1968年に量産化改造され169系900番台に改番されました。1984年から1985年にかけ、クハ/クモハ169-900台の各4両はクハ455形に系列間改造され、それぞれクハ455-300番台、-400番台となりました。モハ168-900番台4両は電装解除され、サハ165形100番台に改造され、松本運転所に配属、急行「天竜」に使用されました。
クモハ169-9が1982年7月にモハ168-5が1978年3月にクハ169-2が1987年2月にそれぞれ事故廃車となった以外は量産車3形式はJR東日本の承継されました。

1986_20210106195701 1986/11 国鉄最後のダイヤ改正時の長野第一運転区、松本運転所お169系編成表 
「天竜」を改称した「かもしか」用編成はクリーム10号、緑14号で座席は新幹線シートに

1993
1993年3月のダイヤ改正時の三鷹区、幕張区編成表

三鷹、幕張の編成は首都圏の波動輸送用に使用され、2003年、1998年までに全廃されました。

松本と長野の間では編成毎の交換もありましたが、200年、2001年までには廃車となり、4編成12両がしなの鉄道に譲渡されました。

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2021年1月 6日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 67 坂城駅そばの169系トップナンバー保存車

再び、2018年晩夏、信州の旅に戻ります。2018年9月2日、この旅の最終日は長野から篠ノ井へ、しなの鉄道線に乗車し、最初に降り立ったのは坂城駅でした。

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駅は埴科(埴科)郡坂城(さかき)町にあり、1888年8月15日、官設鉄道が長野~上田間を延伸開業した際に篠ノ井駅・屋代駅・上田駅と一緒に開業しました。

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駅の南側にはENEOS北信油層所に続く荷役設備があり、しなの鉄道線とJR貨物の駅となっており、根岸駅との間に高速貨物列車と専用貨物列車各1往復が設定されています。旅客駅は島式ホーム1面2線で業務は坂城町に委託された簡易委託駅となっています。

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風情のある木造駅舎の駅です。

北陸新幹線開業前は特急「あさま」が一部停車していましたが、現在はしなの鉄道の快速が一部停車、観光列車のろくもんが停車する駅となっています。

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2018/9/2 坂城 169系保存車輛

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駅の北東側に保存されている169系3両編成はクモハ169-1+モハ168-1+クハ169-27からなる3両編成で、しなの鉄道開業以来、S51編成として活躍してきた編成ですが2013年3月29日に同所に保存されることとなりました。

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各車両の・は横軽通過対応車で勾配を上下するため連結器にかかる負荷が大きいため連結器やそれを支える台枠構造を改造強化した車両を区別するための標記でした。モハ168の◆印は狭小トンネル対応の折り畳み高さの低いパンタ(PS23等)を搭載している車両の標記でした。

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2021年1月 5日 (火)

2020年の御用納め、18切符で再び長野へ その2 姨捨から長野へ

 2020年12月28日の長野日帰りの旅、松本駅周辺を歩いた後は篠ノ井線の列車で長野へ。

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松本を出て45分で姨捨駅に到着。ここからの車窓風景は肥薩線の矢岳越え、根室本線の狩勝越えと並び日本三大車窓と言われています。眼下に善光寺平が広がります。

長野には1時間13分で到着です。今回、事前に長野駅発着のしなの鉄道線、北しなの線の時刻と車両の運用を調べて来たので、

Dsc00565edit_20210104212501 電留線に停車しているお目当てのS9編成が14:36発の軽井沢行きであることはすぐに分かりました。

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北しなの線からは湘南色のS3編成、

Dsc00585 スカ色のS16編成もやってきました。生憎、ろくもん編成は検査で入場中でしたが、何よりも未遭遇だった台鉄カラーに会えたのは収穫でした。

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SR1も予定通りやって来ました。

14:36発の軽井沢行きのホーム横付けの姿を撮影した後、長野電鉄の地下ホームへ移動。善光寺下まで乗車、徒歩10分程度で長野電鉄が地上に出るポイントへ。

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ここで2020年から長野電鉄で活躍を開始した元東京メトロ03系の3000系を撮影することもできました。

Dsc00673 帰りは本郷駅まで歩き、長野駅まで乗車。

長野から16:06発の甲府行き、甲府着19:16、甲府発19:45大月行き、大月着20:33、大月20:50発の中央線特別快速、国分寺着21:56.国分寺22:00、一橋学園22:03で無事帰宅しました。
往路は5:17~12:22、復路は16:06~22:03で往路は松本での接続待ちが90分ありましたが、長野での滞在時間的には有意義な日帰りの旅となりました。

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2021年1月 4日 (月)

2020年の御用納め、18切符で再び長野へ その1 松本まで

2020年は1月末のクルーズ船から始まり、新型コロナウイルスの蔓延に世界が翻弄された年となりました。3月下旬から5月上旬の第一波、6月には一旦終息の気配を見せるものの、7月から9月にかけての第二波、そして11月初旬、冬の気配が近づくとこれまでの感染者数を遙かに超える新規感染者、そして重症者の増加でまさに医療逼迫の年越しとなってしまいました。安倍政権時代の2020年4月7日に緊急事態宣言が出され、5月25日に解除されましたが、第三波における全国新規感染者数は第二波のピーク時全国1500人に対して4500人、重症数は280人に対して700人弱とこれまでの人数を遙かに上回るものとなっています。この事態に対して首都圏の知事達は政府に緊急事態宣言のさい発令を要請したというニュースも流れている年明けとなりました。

そんな中、政府が進めて来たGoToトラベルキャンペーンは遅まきながら12月28日から一時停止となりましたが、私は2018年晩夏の信州旅行シリーズの今後の記事の材料として、長野電鉄には東京メトロから3500・3600系を置き換えるために,2020年から同じ日比谷線の後継車の03系が譲渡され,3000系として活躍を開始しており、しなの鉄道ではJRから譲渡され活躍を続ける115系に各種の特別塗装(ラッピング・イベント塗装)車が登場し,中でも2018年に重要部検査を受けた後、台湾鉄道EMU100型電車風の塗装を纏い、「台湾自強号色」として運行されるS9編成、そしてJR東日本E129系と同型のsustinaS23によるSR1系を是非,記録しておこうと思い、小平から18切符で長野まで往復してきました。

Dsc00448 2020/12/28 一橋学園 世間的には御用納めの月曜の朝でしたが、同駅の一番列車でまず国分寺へ

Dsc00449 国分寺5:33発の高尾行きに乗車

Dsc00451 5:58 高尾駅3番線に到着、4番線には同じE233系の大月行き1451Mが待っており、3分の接続で発車

Dsc00460 このE233系6連は大月で富士急行線からやってくる4連のパートナー編成を併結して東京方面に戻ります。2018年8月31日に同駅で目撃した光景と同じでした。

Dsc00458 大月では富士急行で活躍する元国鉄・JR東日本の205系(6000系6003編成),田の字窓の初期編成とも遭遇

Dsc00454 大月からは6:54発の高尾からやってくる427Mで松本へ
早朝の便で乗客が少ないこと、コロナウイルス蔓延に伴う措置として各駅でドアが全開されることなどもあり、211系6連の車内の温度はかなり低温となっていました。沿線の様子を見ていると、小淵沢までは雪などありませんでしたが、小淵沢から先、信濃境、富士見あたりではかなりの積雪があり、茅野に抜ける頃には雨に変わっており、そこから先は晴天、松本到着時も晴天でした。

Dsc00468 9:35松本に定刻に到着。篠ノ井方面の普通列車は11:09までないので、駅周辺を散策。

Dsc00498 松本駅西口(アルプス口)が抜け、南下、アルピコ交通(松本電鉄)上高地線の西松本駅、

Dsc00502 JR東日本の松本運輸区、車両センターの前を通り、

Dsc00523 東口(お城口)から再び駅構内へ

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アルピコ交通上高地線にはかつて活躍したモハ10系の塗装を模した3003-3004編成が入線中


Dsc00550 松本からは長野~松本間のシャトル運用に投入されているE127系100番台2両編成で長野へ

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