西武国分寺線 鷹の台駅での列車交換
物心ついてから1964年12月に杉並区清水3丁目、当時は沓掛町の公務員住宅に引っ越すまで私は北多摩郡東村山町回田(後の富士見町2丁目)の公務員住宅に住んでいました。小学校は南台小学校、2年の2学期から国立学園に転入となり、小川駅まで徒歩、西武国分寺線、中央線(国分寺~国立間)、国立駅から徒歩の通学でした。今から56~57年前の話ですが、地名は変わり,西武拝島線の開業、国鉄武蔵野線の開業とおおきな変化がありましたが、街はあの当時と変わらない風情を保っています。
当時、西武国分寺線には1927年川崎造船所製のモハ151形・クハ1151形が活躍していました。西武鉄道の前身の旧西武鉄道が1927年、村山線(高田馬場~東村山間)に合わせて増備した車両で導入時はモハ550形・クハ600形と名付けられました。17m全鋼製で屋根は深く、前面と側扉上にアーチ型水切り、屋根上にはお椀型のベンチレータと子供心にも一度見たら心に焼き付くスタイルの車両でした。国分寺を出発し,恋ヶ窪に至る区間や恋ヶ窪から鷹の台へのカーブなど蛇行で進むときのカランコロンといった走行音が今も耳に残っています。
1962年9月1日にそれまでブリジストンの工場引き込み線だった線路が萩山まで延伸、1950年5月15日に上水線として小川~玉川上水間が開通していた線路と繋がり、後に拝島まで伸びる西武拝島線の西武新宿線との連絡が完成しました。小平で本川越方面と分かれて多摩湖方面に進む電車は玉川上水・多摩湖という行き先になり、小学校1年だった私はしばしば萩山駅での多摩湖線、玉川上水線の分割・併合作業を見ていました。
小川駅の橋上駅化は1964年7月19日、まだ恋ヶ窪駅には交換設備がなく、終日、国分寺線の列車交換は鷹の台駅で行われていたのを記憶しています。
2019/5/1 駅名標 2020/1/29 国分寺行きが2番線に入線する際に掲示される案内板
その鷹の台駅での交換風景、現行のダイヤでは日中は小川・恋ヶ窪での交換だけとなり、見ることができませんが平日の朝、7~8分ヘッドの時間帯(上り:6614レ、658~6646レ、901,下り:6611レ、657~6643レ、901)には見ることができます。 2021/1/29 2049Fと2033Fの交換風景
2021/1/31 平日日中、休日、1番ホームしか使われていないときのホーム案内板、
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鷹之台駅を通る線路は中央線に新府中街道の西に駅を建設して新府中街道の西の経由に変更して恋ヶ窪駅は武蔵野線に建設して西国分寺駅を通らない鷹之台駅から南の武蔵野線と交差する線路は貨物線に転用しよう。
投稿: ガーゴイル | 2021年12月23日 (木) 19時18分