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2021年1月20日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 75 しなの鉄道の115系 横須賀色

しなの鉄道の115系、色物シリーズ、今回はS16編成S26編成が纏っている横須賀色です。

115-s16-180831 2018/8/31 長野 S16編成

1月8日の記事でも紹介しましたが、横須賀線を走る車両はクリーム色と青色の塗り分けになっています。この塗色が採用された経緯は1940年に開催される予定だった東京オリンピック(戦争により中止)のイメージカラーを転用し、当時の国鉄副技師長のコメントにあるように「海に近い地域を走るので砂浜のクリーム色と海の青」を意味してのものだったようです。

この色、当初はクリーム色1号と青2号の組み合わせで、1949年12月のモハ32028の塗装試験(前面と右側は窓回りと扉がクリーム色に幕板・腰板を藤色、左側は窓回りと扉が橙色で幕板・腰板を薄緑、連結面は本来のぶどう色1号で窓回りが左が黄色で右が灰色となり、「お化け塗装」と言われたそうです)が始まりとのことで、1950年1月頃登場した更新修繕車から続々塗り替えられ、1962年の外部塗色標準化でクリーム1号と青15号の組み合わせに変更されたそうです。この更新修繕は東海道線区間で平行する湘南電車に80系が投入されるにあたり、横須賀線電車の格差を是正するために緊急に整備されたもので、元々二等車で比較的状態が良かったサロ45形は塗色変更のみに留められましたが、それ以外の車両は外部塗装を剥離、横須賀色に変更、内装の木部の洗浄、ニスの塗り直し、座席の復旧整備、鋼板製プレスドアへの変更等が実施されました。

以来、32系に続き、40系、42系(モハユニ44形)、50系(サハ75形)、51系(モハユニ61形)、52系(サハ48形)、70系、80系(サロ85形)、111系・113系E217 系E235系がこの塗装(帯色)を纏っています。

現在、E235系1000番台への置き換えが進行中のE217系からはステンレス製車体に窓上、窓下に横須賀色の帯を纏うスタイルとなりましたが、デビュー時は従来と同じクリーム1号と青15号でしたが、更新車では青色が明るい色調の青20号に変更となりました。E235系1000番台もE217系の更新車と同じクリーム1号と青20号の組み合わせとなっています。

Dsc00585_20210119185001

Dsc005932020/12/28 長野 湘南色と横須賀色が並ぶ光景は湘南横須賀分離前の東海道線を彷彿させます。

S16編成はクモハ115-1072+モハ114-1170+クハ115-1215から構成されており、1980年3月4日、日立製作所で竣工しています。新製配置は松本運転所でした。1986年の編成表ではR10編成1993年の編成表ではR8編成で、1993年2月10日に初代長野色に塗装変更されています。2002年の編成表では長野総合車両所に転属しており、同所のN1編成となっています。1999年3月29日に大宮でリニューアル改造を受けており、2002年3月29日にはパンタグラフがシングルアームに変更されています。2007年12月18日に長野工場でATS-P取り付け工事、2010年7月7日、EB装置取り付け工事が施工され、2015年3月にJR東日本からしなの鉄道に譲渡されました。2017年7月16日に、横須賀色に塗装変更されました。

115-s26-180902 2018/9/2 小諸 S26編成

S26編成はクモハ115-1076+クモハ114-1512から構成され、改造前はモハ114-1182でした。1981年6月19日、川崎重工で竣工、新製配置は北松本で、O4編成としてR編成への増結用編成でした。1988年2月17日、長野工場で改造を受け、先頭車化、引き続きO4編成で1991年4月22日、初代長野色に塗色変更、1994年5月18日に二代目長野色に塗色変更、2002年の編成表では長野総合車両所のN53編成に、2001年3月11日、トイレの設置、2002年12月17日、パンタグラフのシングルアーム化、2008年3月27日,ATS-P取り付け工事、2008年8月8日、EB装置取り付け工事が施工されました。2013年3月にしなの鉄道に譲渡、2015年9月19日、しなの鉄道色に塗装変更、そして2018年10月12日に横須賀色になりました。

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コメント

こんにちは。お昼休みに伺いました


スカ色塗装、1940年の東京オリンピック開催記念だったのですね
オリンピックは中止

2020年、235系1000番台が横須賀線 総武快速線にデビュー
そして東京オリンピック中止

偶然でありますが、何なのかを感じました

三島の大場在住先輩から
伊豆箱根鉄道に撮り鉄が多数いるが、何かあるのか??と連絡ありました
東京からの踊り子の車両が3月で入れ換えを説明しました
静岡県は変異ウイルス市中感染の可能性あるのに物好きだな!と呆れていました

B767−281様 こんばんは。やはり115系には湘南色かスカ色ですね。ところで古い写真を見ると戦後すぐは車両不足で、横須線には色々な車両が動員されていたのですね。40系ではモハ41、サハ57のスカ色がよく出てきます。サハ57の方は代用2等車もありました。日本人なら怒るかもしれませんが、足の長いアメリカ兵には評判が良かった、というエピソードもどこかで読みました。もちろんモハ63も動員されていましたが、さすがにスカ色はないようです。モハ41やサハ57はスカ色のまま総武線などに散っていきしばらくそのままの塗装で使われた記録も出てきます。その後初期のモハ70が更新に入るとモハ30(2代目=モハ40の運転台撤去)がスカ色で応援に。モハ72500番代も何両かスカ色になって応援に入っていたそうです。さて、オリンピック中止にしたら違約金が、というフェイクが流れているようですが、それは違うようです。早く中止を決めお金をコロナ対策に使ってほしいものです。

準急豊島園さま、おはようございます。

1940年の東京、1980年のモスクワ、西側諸国の多くがボイコット、そして2020年の東京とオリンピックは40年ごとに受難の年を迎えていますね。それに横須賀線の新車、更新車デビューが重なっているというのも面白いですね。

確かに185系が長らく務めてきた伊豆方面の特急から引退する時期なので伊豆方面にファンが集まっているのですね。気持ちはわからないでもないですが、くれぐれも感染クラスターには気を付けて頂きたいですね。

細井忠邦さま、おはようございます。
私も横須賀線にスカ色が導入されて以降の直流区間のスカ色車両の歴史を追っかけていますが、戦後間もないころの戦前型電車の改造の話題が豊富で面白いですね。

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