2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 80 横須賀色の電車達 その5 荷物・郵便電車
1986年11月1日のダイヤ改正で廃止されるまで、東海道、中央、東北、高崎線、房総方面等各線の中距離電車には郵便・荷物電車が併結されていました。首都圏では湘南色と横須賀色を見ることが出来ました。
1980/5/3 松本
中央東線関係では1月26日の記事にあるように三鷹電車区に配置されたクモニ83が115系編成の新宿方に連結されていました。 撮影年代不詳 錦糸町
気になるのはこのスカ色の塗分け線は前照灯の中心を通っており、湘南色の塗分け線のままスカ色になっているのではないかということです。「房総のクモユニ74」のサイトのお写真を見ると、どの写真も塗分けのラインが前照灯の上から1/4のあたりにあります。 撮影年代不詳 東京
湘南色の塗分け線は前照灯の中心を通り、前照灯間の掴み棒と重なります。
房総西線、東線では東京方にクモユニ74、クモハユ74が連結され、新聞輸送に活躍していました。
モハ63→モハ72→クモユニ74 改造対応表
クモユニ74形といえば田町電車区配置の東海道線の113系に連結された大目玉湘南色の車体が記憶に浮かびますが、房総各線では幕張電車区配置のシールドビーム横須賀色の車体でした。
0番台は1962年から1965年にかけ改造され、111系、113系とのみ併結可能なタイプで000~014の15両が改造されました。ライトは74011までが大型、012~014はシールドビームでした。
100番台は1964年から1965年に改造されたタイプで80系も併結可能となりました。当初は中京地区に投入され、1968年に100~102が200番台、211~213に再改造、1972年に房総地区に転属しました。
200番台は1964年から1965年に改造された200~207の8両で高崎・東北線向きで80系、115系と併結可能にしたタイプでした。ノッチ戻しと抑速ブレーキ対応の主幹制御器を搭載していました。
1975年の配置表ではクモユニ74の000~011が南チタ、105、106は広ヒロ、200~207、211~213が高シマ配置でした。100~102は211~213に改造されました。
千マリ
クモユニ74 012 013 014 103 104 107
クモハユ74 001 002 003
房総のクモユニ74形は1986年に最初、身延線に投入されたクモユニ143形が房総地区に転属となって全廃されました。
クモハユ74形は1969年、房総西線千倉電化でモハ72形から3両改造されたタイプで種車の車体をそのまま流用し、両端に運転室を増設したタイプでした。クモハユ74001はクモハ74として竣工、改めてクモハユ74に改造されました。1978年まで使用され大船電車区に転属後、事業用車代行、訓練車になり、1981年までに全廃されました。
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B767−281様 こんばんは。クモユニ74といえば当時東京駅にあった引き上げ線?に待機している姿を思い出します。白熱灯の大きい前照灯が印象的でした。153系の普通列車にも併結されており、低速域では153系を牽引し、高速域では引っ張られている(押されている)感じでした。もともと旧型電車は一形式一番号なのでクモハユニ74が出た時には物議を醸したそうです。
投稿: 細井忠邦 | 2021年1月28日 (木) 19時59分
細井忠邦さま、おはようございます。
主要幹線の直流電化、電車化が進み、さらに新性能化で旧形電車の余剰化も進んだときに荷物電車として生み出されたのがクモユニでしたね。番台によってそれぞれの線区、併結相手に対応させていたようですね。それが1986年11月の荷電廃止で、房総地区の新聞輸送以外は一斉に廃止となってしまったわけですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2021年1月29日 (金) 04時09分