« 2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 93  横須賀色の電車達 その18 1976年の阪和線 | トップページ | クハ79形のいろいろな顔 その1 木製車の鋼体化、若しくは他形式からの編入車 »

2021年3月 1日 (月)

最後の9000系 9104Fが横瀬に廃車回送と国分寺駅ホームドア設置。

ここ数日、西武鉄道関係のニュースがいろいろありました。

【9104Fの10連での営業運転終了】

9000-9004-100102-2

2010/1/2 所沢 VVVF化後、エコマークステッカーを付けていた頃の9104F

Dsc01491_20210227200501
2021/1/31 小手指 最後に撮影した10連の9104F

2月24日、池袋線で最後まで残っていた9000系10連の9104Fが横瀬基地に回送されました(情報源)。
すぐに4連化され、9104ー9204-9904-9004は武蔵ヶ丘検修場に戻され、ワンマン化改造工事が施行され、多摩湖線に投入されるのでしょうか。

【西武国分寺線国分寺駅5番線へのホームドア設置】

210226-3
2021/2/26 国分寺

国分寺駅の国分寺線ホーム(5番線)のホームドアに関しては1月24日の終電後から1月25日の初電までに2053Fにより、西武球場前駅から,国分寺駅まで輸送され、一部を残して設置されました(情報源)。

210226
2021/2/26 夕刻 未設置だった恋ヶ窪より1両分の設置工事が行われていました。
こちらのホームドアは池袋駅、練馬駅、高田馬場駅と同じ従来タイプのホームドアで3月2日13時35分頃から,使用開始されるとのアナウンスがありました(情報源)。

【西武多摩湖線国分寺駅7番線へのホームドア設置】

210226_20210227202401

210226-4
2021/2/26 国分寺 7番線ホームのホームドア

同じく2月24日、国分寺駅7番線、多摩湖線ホームにホームドアが設置されました。22日101N系のラストラン終了からわずかでの設置でした。ホームドアは西武球場前駅から2000N系4連の2519Fに搭載され、深夜に多摩湖線で運ばれたとのことです(ホームドア臨時列車の動画)。

こちらのホームドアは西武鉄道では初となる軽量型ホームドアで可動部にパイプ状ドアパネルを用い戸袋もコンパクトで軽量構造にしたものだそうで3月中旬から稼働とのことです。

さらに2月27日1月23日に施工されるはずが大雪の予報で途中で中止となった,1245Fと1251Fの101N系の車両交換が実施されました(情報源)。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« 2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 93  横須賀色の電車達 その18 1976年の阪和線 | トップページ | クハ79形のいろいろな顔 その1 木製車の鋼体化、若しくは他形式からの編入車 »

民鉄:西武鉄道グループ」カテゴリの記事

コメント

B 767-281様お早うございます。ホームドアも各社で設置が進むと同時に改良も進んでいるのですね。9004Fは普通鋼製10連貫通編成最後となるそうです。こちらも一つの歴史の終わりですか。さて総務省の汚職問題呆れます。深夜の飲酒などもそうですが、もういい加減にしてほしいです。

細井忠邦さま、おはようございます。

確かに9000系10連としての活躍は終了となり、普通鋼製貫通10連という編成は西武線からは消滅しましたね。ただ、歴史的にみると西武の貫通10連の歴史というのは6000系から始まっており、9000系がそれに続いたという感じで、鋼製車という意味ではまだ2000系、2000N系が大量に存在しているので、それほど大きな変化とは感じない気もいたします。
今回の首相長男と総務省官僚の問題、バレて謝り、返金すれば何でも許されるという風潮はやめて欲しいですね。

B767-281様、おはようございます

西武鉄道列車位置情報
3月5日(金)今朝を確認しましたら
狭山線には近江鉄道と263Fが運用に入り、驚いています!

昨日3月4日に263Fが9104Fを横瀬から武蔵丘に牽引していたそうです

準急豊島園さま、おはようございます。

先日、Twitterで多摩川線から移動した1251Fが早速,狭山線運用に入ったという記事を目にして、同じく金曜日、狭山線の列車運行情報を見て入っていることを知りました。生憎,金曜日の運用は朝9時台で終了のようでしたが。
9104F 4連も早速,武蔵ヶ丘に戻ったのですね。9103F, 9104Fがいつどういった形で多摩湖線に登場するかが楽しみですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 93  横須賀色の電車達 その18 1976年の阪和線 | トップページ | クハ79形のいろいろな顔 その1 木製車の鋼体化、若しくは他形式からの編入車 »

カテゴリー

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村