2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 89 横須賀色の電車達 その14 1975年の飯田線 豊橋駅 part1 クモハ52形
横須賀色の電車シリーズ、東海道本線に沿って、沼津(御殿場線)、富士(身延線)と来ましたので今回は豊橋の飯田線です。
飯田線が完全新性能化され、旧国が淘汰されたのは1983年のことでした。旧国の塗色の歴史を見てみると1968年頃まではぶどう色2号(一般車)、1952年からのクリーム色とマルーンの「初代快速色」(17m車体)、1957年からの黄かん色と青2号の「静鉄快速色」(20m車体)、1964年からの「湘南色」と各種塗色が活躍していましたが、1968年以降は全車、スカ色(クリーム1号と青15号)になりました。
系列は30系(17m級3扉ロングシート車)、31系(17m級3扉ロングシート車)、32系(横須賀線向け2扉クロスシート車)、40系(20m級3扉ロングシート車)、42系(2扉クロスシート車)、50系(17m級3扉ロングシート車)、51系(3扉セミクロスシート車)、52系(流電、京阪神区間の急行用)62系初代(17m級2扉クロスシート車)、70系、80系が活躍しました。
配置区は豊橋機関区、中部天竜機関区、伊那松島機関区でした。
1975年3月31日時点の配置データでは
豊橋機関区(静トヨ)1943年8月1日、飯田線の国有化とともに開設
クモハ42 008 009 011 013
クモハ50 000 002 004 008
クモハ52 001 002 003 004 005
クモハ54 002 006 007 008 112 119 121 123 127 129 131
クモニ13 025 026
クモニ83 101 102 103
クモヤ22 112 113 201
クモル23 050
クハ47 114
クハ68 038 042 068 098 416 418 420
クハユニ56 001 002 003 004 011 012
クエ28 100
サハ48 021 024 034
サハ75 101 102 103 106
サハ87 001
中部天竜支区 1943年に機関区として開設、後に豊橋機関区の支区に
クモハ51 015 019 021 044 046
クハ47 151
クハ68 401 403 405 407
サエ9320 9320
伊那松島機関区(静ママ) 1909年に伊那電車軌道松島工場として開設、1943年の国有化で機関区に
クモハ43 007 009 013 015
クモハ51 023 027 029 069 200
クモハ53 000 001 007 008
クモハ54 001 009 104 106 108 110 111 117 133
クモハ61 003 004 005
クモエ21 009
クハ47 009 011 069 070 074 076 102 104 108 116 153 155
クハ68 013 400 402 404 408 409 410 412 414
クハニ67 901 903 905
旧国が活躍していた時代に飯田線を訪問することはありませんでしたが、1975年3月、同月10日のダイヤ改正で歴史を閉じる急行「高千穂・桜島」に乗車し、下関まで向かった際に豊橋駅で車窓から何枚か飯田線で活躍中の旧国を撮影したのが今回、紹介する写真です。
1975/3/5 豊橋機関区
最初は豊橋区で休むクモハ52です。元々、モハ52形として001~006の6両製造されましたが、1945年7月7日の空襲で明石電車区構内で006が全焼したため、5両が飯田線に転属となりました。飯田線転属前は阪和線で活躍していましたが、乗客数の増加で2扉クロスシート車は輸送に不適となり、同社の適性が生かせる線区ということで身延線か飯田線ということになり、身延線は低屋根化改造が必要であったことから飯田線になったそうです。1957年4月に52004,52005が、そして同年9月に52001~52003が伊那松島機関区に転属しました。
転属当初はクハ47形と組み、普通列車に使用されていましたが、同年10月から飯田線を走破する快速列車に使用されることとなり、豊橋機関区転属となりました。塗色は窓周りをオレンジ、腰板をダークブルーとした快速専用色となりました。その後、湘南色を経て、最終的に横須賀色になりました。80系以前の旧国が湘南色になったのは、クモハ52形を含む編成が唯一の例だそうです。
2010/12/5 吹田総合車両所本所玄関前
クモハ52001は1978年10月の廃車後、吹田工場に移され、半室運転台の復元、パンタグラフのPS13からPS11化、側面の通風用ルーバーの復元、二次車竣工直後の塗装化などがなされ、吹田総合車両所本所玄関前に保存されました。
2014/8/12 リニア・鉄道館
クモハ52004は川崎車輛製でしたが、飯田線に縁の深い日本車輛製造豊川工場に保管され、1991年からは中部天竜駅構内に開設された佐久間レールパークに移され、2011年からはリニア・鉄道館に移され展示されることになりました。
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