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2021年2月 4日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 84  横須賀色の電車達 その9 1977年の身延線 part1 クハ68形

横須賀色の旧形国電と言って思い出すのは飯田線と身延線かと思います。彼女らの全盛時代、飯田線は豊橋でしか写真を撮ったことがありませんでしたが、身延線は1977年9月23日の秋分の日に甲府から富士まで全線乗車し、旧国を記録しました。

1_20210203185101
1979/4/1 時点での沼津機関区身延線関係の編成表

このときの撮影目的はEF10で、旧国はついででした。EF15が身延線に投入され、EF10が置き換えられるとの情報で秋分の日の休みを利用しての撮影旅行でした。

55770923 身延駅の留置線 クハ68形

このときの撮影目的はEF10で、旧国はついででした。EF15が身延線に投入され、EF10が置き換えられるとの情報で秋分の日の休みを利用しての撮影旅行でした。



クハ68形はモハ51形、モハ54形、モハユニ61形、クハ68形、クロハ69形の5形式100両からなる51系の1形式で1936年から1943年にかけ鉄道省が製造しました。初期鋼製国電の流れとして20m2扉クロスシートの42系に続いて3扉セミクロスシートとして登場したのが51系です。
クハ68形として製造されたのは20両で
1936年度 
日本車輌製造支店(3両) : 68001 - 68003 
日本車輌製造(5両) : 68004 - 68006・68010・68011
川崎車輛(5両) : 68007 - 68009・68012・68013
1937年度
日本車輌製造(2両) : 68014・68015
川崎車輛(2両) : 68016・68017
1938年度
日本車輌製造(3両) : 68018 - 68020

42系のクロハ59を改造したグループが68021
- 68035, 68037
として加わり、これらが戦時改造でクハ55になった後、再びクハ68に改造され、クハ68001~023奇数(二代目)になりました。オリジナルの68001~020も戦時改造でクハ55になり、さらにクハ68に再改造されクハ68024~058偶数となりました。
さらに
クハ55として製造された平妻形が68060~68092偶数、68075、68077に
クハ55として製造された半流形が68078~68092偶数、68093~68104、68106に
サロハ46形改造のクロハ59形(3両)をクハ55形に改造、それをクハ68形に再改造、68107,68109、68111
クハ47形(一部はサハ48形から改造)からクハ68形に改造、68200、68210、68211
という複雑な経緯を辿っています。

当時の身延線では
68019 クロハ59形から 68019[II] ← 55148 ← 68034 ← 59014
68093 クハ55形から  68093 ← 55075
68095 クハ55形から  68095 ← 55077
68103  クハ55形から      68103 ← 55086
68107 サロハ46形から  68107[II] ← 55107 ← 59023 ← 46015 ← 46101
68109 サロハ46形から  68109[II] ← 55108 ← 59024 ← 46016 ← 46102
が活躍していました。

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