クハ79形のいろいろな顔 その6 72系として新製されたグループ 全金属車920番台量産化に向けて
クハ79形の形態変化、最後は国鉄新性能電車モハ90形に繋がるクハ79形920番台です。
当時、国鉄では1947年に63系の試作車として登場したジュラルミン電車6両 (63900 - 902, 78200 - 202) の車体腐食に伴う更新工事が進行していました。全金属車輛の登場にむけ、これら6両を仕様の比較検討用として、車内の掴み棒の形状、位置、蛍光灯の配置、色彩などが1両ごとに変えられ、
63900→72900
63901→73901
63902→72901
78200→79900
78201→79902
78202→78900 と車種の変更も行われました。(リンク先でクハ79900,902の姿を見ることができます。)
これらの試作結果をみて、量産先行試作車としてクハ79920~923が製造されました。
さらに1956年から1957年にかけ、事故休車だった車両を活用し、全金属車体の追加試作が実施され、
73174→73900(1957年3月に改番)
73400→73902
78144→79904 となりました。(リンク先でクハ79904の姿を見ることができます。)私は鉄道ピクトリアル誌のブドウ色塗装の姿しか見ていませんでしたが、中央西線のスカ色塗装の姿、カッコいいですね。
これらの結果を考慮し、量産車クハ79924~949、951、953、955が製造されました。
車体は10系客車の設計思想が取り入れられた軽量構造の全金属車体で、従来窓上下にあった補強帯を外板の内側に隠し、雨樋を高い位置に設置し幕板に埋め込みました。窓は3段窓からアルミサッシ2段窓とし、量産車では室内灯は蛍光灯が採用されました。
撮影年代不詳 尻手
1976/3 放出
1975/1/2 名古屋 クハ79953
1975年4月1日時点でのクハ79900番台、920番台の配置データです。
陸前原ノ町 900 902 926 943
津田沼 932 945 949
東神奈川 941 944 946 951
豊田 942
中原 930 933 935 936 938 940 947
沼津 937 939
神領 904 924 953
城川原 928 934
高槻 931
明石 920 922
淀川 923 925 927 929 948 955 このグループで初めて淀川電車区に新製配置されました。
製造は920,921が日本車輛支店、他は近畿車輛でした。
1975年3月末以前の廃車は
クハ79921 1972.10.2 仙台 1972.8.18事故 仙石線踏切でのダンプカーとの衝突事故 でした。
1974年7月7日の七夕豪雨が横浜市久里浜周辺を襲い、小河川が氾濫し、横浜線から捻出され転用のため久里浜駅構内に疎開留置されていた東京南鉄道管理局東神奈川電車区(南ヒナ)所属のクモハ6両、モハ13両、サハ1両、クハ12両の計32両が冠水事故で廃車となりました。この事故でクハ79941、944、946の3両が犠牲になりました。除籍の日付は1975年7月25日でした(情報はこちら)。
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コメント
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B767−281様お早うございます。在籍していた時にはほぼ見向きもされなかった72系列ですが、最近は出版物が多く出回り、今まで見たこともなかった写真も発表される様になり、改めてこの系列の奥深さを認識しています。さて79920番台、いよいよ90形にあと一歩という姿ですね。南武線にいた時には好んで乗っておりました。偶数番号の車は南武線引退後も鶴見線に移って最後の活躍をしていたのを思い出します。久里浜での冠水は本当に残念でした。話では仙石線に移動予定だったそうです。あの台風被害がなくそのまま移動していたら、72970番第79600番台は登場しなかったかもしれません。何事もそうですが予期せぬ出来事が歴史を動かしますね。桜木町事故もそうですが。前にも書きましたが79904は横浜線で見ています。恐らく72年ごろかなと思います。窓が大きく特徴ある姿でした。この車も元は中央線用で京浜線を経て横浜線に移動していたようです。続編楽しみにしております。
投稿: 細井忠邦 | 2021年3月10日 (水) 11時53分
細井忠邦さま、おはようございます。
63系から始まり、桜木町事件の悲惨な経験を経て、登場した72系列、わたしも実際に乗車はしているもののその実態は今までよく理解できていませんでしたが、今回改めていろいろな資料で勉強することができました。まあなんて言っても面白かったのは方向性に拘って偶数車と奇数車を別々に増備する点でしたね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2021年3月11日 (木) 04時16分