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2021年4月30日 (金)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 4 北陸新幹線 高崎~軽井沢

本来、この区間は前回2018年の旅の逆ルートを辿る予定でしたが、武蔵野線電車の遅れのため、急遽、新幹線の利用となりました。

Dsc02768 2021/4/3 高崎駅新幹線ホーム

Dsc02771 同駅は2本のホームの中間に通過本線がある構造で、E7系などが減速することなく駆け抜けてゆきました。

Dsc02781 上り線にはこの秋で引退となるE4系Maxの姿も

Dsc02789_20210429162101 定刻にあさま303号が到着 F6編成でした。

高崎駅8:22発の「あさま603号」に乗車すると、8:30に安中榛名に停車、8:42に軽井沢に到着します。高崎から僅か、20分で軽井沢に到着します。新幹線開業前の1985年の時刻表で比較すると、上野を7:00に出発した「あさま1号3001M」は大宮7:22、高崎8:12、磯部8:27、横川8:42、軽井沢8:59となっています。碓氷峠時代は高崎から47分かかっていました。そのうちの17分が碓氷峠通過でした。

北陸新幹線は北海道新幹線(青森市~札幌市)、九州新幹線(福岡市~鹿児島市)、東北新幹線(盛岡市~青森市)、九州新幹線(福岡市~長崎市)の計5路線で整備新幹線として決定されました。

高崎~長野間のルートは両者を直線的に結ぶ鳥居峠経由の「長野原ルート」と信越本線に沿って進む「信越本線沿いルート」がが考案されましたが、前者は草津白根山に長大トンネルを建設する必要があることから施工は不可能となり、信越本線沿いルートとなりました。しかし、高崎~軽井沢間の標高差は840mあり、信越本線は碓氷峠を通過し、66.7‰の勾配でしたが、新幹線規格の12‰勾配で建設するためには延長70kmの迂回ルートとなるため、工費や所要時間の拡大が見込まれました。建設を担当する日本鉄道建設公団は高崎を出て左に進み、松井田駅上空を橋梁で通過、物見山の下をトンネルで抜け、佐久方面に抜ける南周りのルート案を当初考えましたが、これは軽井沢を経由しないため、国鉄が難色を示しました。最終的に高崎を出て、登り始め30‰の勾配で軽井沢に向かい、中間に途中駅を設けられるように1km程度の水平部分を設けるルートに決定しました。
以前、小諸駅の記事で触れましたが、北陸新幹線の高崎~軽井沢間は標準(フル規格)、軽井沢~長野間は新幹線直通線(ミニ新幹線)で建設する計画が当時の運輸省案でした。しかし、1990年の「整備新幹線着工等についての政府・与党申合わせ」において長野までのフル規格での建設が決定しました。

Dsc02794_20210429162301 高崎を出発して8分で安中榛名に停車

高崎を起点として18.5kmの地点に設置されたのが安中榛名駅です。整備新幹線建設において、群馬県内の各自治体は県内に駅が設置されない場合は地方負担分の拠出に対応しないと主張していましたが、当初、新安中という名前で駅が企画されることになり、誕生したのがこの駅です。

JR東日本によるとこの駅の開業以来の1日平均乗降客は270人前後で北陸新幹線では最小、JR東日本管内の新幹線駅でもいわて沼宮内に次いで2番目に少ない駅となっています。いわて沼宮内駅の場合、IGRいわて銀河鉄道の乗降客が1日1000人程度あるので、新幹線と合算すると同駅が最少となります。駅周辺にはかつてはコンビニエンスストアがあったそうですが2013年に閉店し、それ以降商業施設は全くない状態となっています。榛名と駅名に冠されていますが観光地である榛名山に向かうバス等もありません。

Dsc02795_20210429162301 東京発7:24で軽井沢着8:42、昔に比べるとずいぶん速くなったと感じます。

Dsc02797_20210429162801 新幹線改札口には自動改札機も設置されており、どこか首都圏の駅と錯覚しそうです。

東海道新幹線は、富士川を境に50Hzと60Hzの商用交流周波数の違いを越えていますが、車両に供給される交流の周波数は60Hzに統一されていました。これは1964年当時の技術では車両側における周波数の切替が難しかったことによるせいですが、北陸新幹線においては高崎~金沢間において、軽井沢~佐久平間の新軽井沢き電区分所で東京電力から中部電力に切り替わり、周波数も50Hzから60Hzに切り替わります。さらに上越妙高~糸魚川間の新髙田き電区分所で東北電力から供給を受けるために50Hzになり、糸魚川~黒部宇奈月温泉間の新糸魚川き電区分所で北陸電力に切り替わり、周波数も再度、60Hzになります。
事故等で新上越変電所が供給を停止した場合は隣接する新長野変電所または新黒部変電所からの延長き電により60Hz電力が供給されることになっています.そのため,同区間にある新桑取補助き電区分所、新能生補助き電区分所、新梶屋敷補助き電区分所の電気設備は50Hz/60Hz両用となっているそうです(情報源)。

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2021年4月29日 (木)

西武2000系8連 2003F 横瀬に廃車回送

ネット記事やTwitter等のSNS情報によると、4月27日火曜日、西武新宿線系統で長らく活躍していた2000系、2003編成が廃車され、解体のため横瀬基地に回送されたそうです。

2000-8-2003f-150607
2000-8-2003-150607-2
2000-8-2003f-150607-3 2015/6/7 萩山

8連の2000系は1977年から1979年にかけて製造された6連(2001~2033F)
クハ2001形 Tc1 2000番台奇数
モハ2101形 M1 2100番台奇数
モハ2101形 M2 2100番台偶数
モハ2101形 M3 2200番台奇数
モハ2101形 M4 2200番台偶数
クハ2001形 Tc2 2000番台偶数

のうち、1983年、新宿線駅ホームの有効長延伸で8連での運転が可能になったことから、2001F,2003F,2005,2007Fの4本に2031F,2033Fの中間電動車を2001Fから2007FのM2とM3の間に2300番台奇数M3,2300番台偶数M4として組み込み8連化したグループでした。

2000-8-2004-170503 2017/5/3 2004の運転台

2000-8-2004-160506-11
2000-8-2004-160506-2

2000-8-2004-1605062016/5/6 沼袋

2005Fが2017年に廃車となっており、残るは2001Fと2007Fの2編成となりました。

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2021年4月28日 (水)

2000N系 4+4+2編成 再び

以前、朝ラッシュ時の運用で2000N系の2+4+4編成3併結による10連目撃の報告をしました。

Dsc03631 2021/4/21 沼袋 通勤急行 西武新宿行 2000N系 4+4+2による10連

4月21日、水曜日のことですが昨日のレッドアロークラッシック撮影で沼袋駅で上り通過列車を狙っていたら、沼袋駅を8:22頃通過する通勤急行2754レが2505F+2513F+2453Fによる10連でした。

Dsc03642_20210427135301
Dsc03643

Dsc03647_202104271354012021/4/21 小平 折り返し急行新所沢行

折り返しは2803レ急行新所沢行でした。

2754レ~2803レと続く運用は運用情報によると40000系10連が本来使用される運用のようですが、この日は急遽、2000N系10連で対応することになったため、4+4+2の10連になったのかもしれません。

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2021年4月27日 (火)

ニューレッドアロークラッシク10105F ラストランHMで走る

2021年3月19日西武鉄道ニュースによると、2011年11月27日から先代5000系カラーを纏い2020年3月までは西武池袋線にて「ちちぶ」「むさし」として運用され、同年3月13日のダイヤ改正以降は西武新宿線にて「小江戸」として運用されて来た10000系10105F2021年4月29日を以って定期運用から退く予定が発表されました。

2021年4月16日からはそのラストランキャンペーンの一環として編成最前部・最後尾にラストランHM、中間の4号車側面にラストランロゴが掲出され、「西武線アプリ」では同編成の走行中(朝の入曽基地から本川越駅までの回送列車も含め)にはラストランアイコンが示されるとのことです。

10000-10105f-red-arrow-classic-120506 2012/5/5 練馬高野台

10000-10105f-red-arrow-classic-120506-8 2012/5/6 所沢 通常塗装の10000系と並ぶ やはりクラッシック塗装の方が遥かに華やかなことが良く分かる

10000-10105f-red-arrow-classic-140720 2014/7/20 所沢 特急「むさし」

10000-10105f-10103f-170204 2017/2/4 所沢にて10103F Platinum Expressと並ぶ

10000-10705-red-arrow-classic-200229-2 2020/2/29 西所沢 2017年頃に入場した際に前面の帯が太くなりました。 池袋線での活躍もあと僅か

10000-10105-200515 2020/5/15 田無 新宿線に転属 特急「小江戸」

10000-rac-10105f-201009-2 2020/10/9 小平 新宿線転属後はまさにコロナの時代でした。

Dsc03609 2021/4/20 小平 

Img_5344

Img_5345 2021/4/23 井荻 中線を通過                           ラストランHMを掲載した姿

4月16日西武鉄道ニュースによると10105Fは定期運行終了後もリクエストに応え、

5月1,2日 西所沢駅から西武球場で臨時運行
 臨時91号 西所沢857西武球場前902
 臨時93号 西所沢1124西武球場前1129
 臨時95号 西所沢1355西武球場前1401
5月15日、16日 池袋~西武秩父臨時特急電車
 臨時91号 池袋9:39発~西武秩父11:14
 臨時92号 西武秩父15:04発~池袋16:39着
5月29日 西武新宿~本川越間、臨時特急電車
 小江戸91号 西武新宿9:42発~本川越10:44着
 小江戸92号 本川越14:45発~西武新宿15:42着   の予定が発表されています。

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2021年4月26日 (月)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 3 高崎線 倉賀野駅 part1 EF210-300番台

2021年春の信州の旅、高崎線列車に乗車し、わざわざ終点高崎の一つ手前、倉賀野で一旦下車したのは、以前にも記述しましたが、同駅でEF210-320号機を見かけたからでした。

Dsc02761

Dsc02755

2021/4/3 倉賀野 吹田機関区配置のEF210-320号機

Dsc02757
Dsc02759 添乗の乗務員氏は高崎からやってきた湘南新宿ライン2829Y列車で到着、そのまま機関車へ

JR貨物のEF210形は国鉄時代から直流区間標準形式のEF65形に代わる1300t牽引の主力形式として1996年から製造されており、同年3月に試作機901号機、1998年7月から11月には基本番台1~18号機が三菱電機・川崎重工業で製造されました。2000年3月以降はVVVFインバーター素子をIGBT化、制御システムを1C1M方式とした100番台101~173が同じく三菱電機・川崎重工業で2010年度まで製造されました。さらに2012年9月からは瀬野八補機として30年以上活躍してきたEF67形0番台の置き換えを目的に100番台をベースに勾配後押機関車としての機能としてシリコン油を内蔵した緩衝装置を連結器に内蔵した300番台が量産されてきました。


Ef210301-130322-2 2013/3/22 天神川 広島機関区時代の301号機

300番台の301~303号機は新製当初は広島機関区に配置されましたが、301号機が吹田機関区に貸し出され、その後、転属、302,303号機も転属し、2014年3月のダイヤ改正から、
171 吹貨西2077レ広島貨タ
172 広島貨タ後1060レ西条単1561レ広島貨タから後5080レ単597まで8往復
173 広島貨タ後1090レ西条単1551レ広島貨タから後2070レ単587まで6往復
174 広島貨タ2076レ吹貨西   といった300番台専用の運用が設定されました。

2015年には304~309号機が増備されたため、2016年3月のダイヤ改正では
171 吹貨西5085レ広島貨タ
172 広島貨タ後5050レ西条単569レ広島貨タから後1074レ単597レまで3往復
173 広島貨タ後5080レ西条単1551レ広島貨タから臨後8090レ臨単8599レまで10往復
174 広島貨タ後1090レ西条単1555レ広島貨タから後2082レ単1553レまで9往復
175 広島貨タ後1060レ西条単1569レ広島貨タから後58レ単557レまで2往復
176 広島貨タ臨後8056レ西条臨単8563レ広島貨タから後2080レ単575レまで2往復 広島貨タ1074レ大阪タ単1488吹貨東
177 吹貨西3051レ幡生操
178 幡生操3050レ大阪他73レ高松タ
179 高松タ3077レ新居浜3076レ高松タ
180 高松タ72吹貨西
と行程が増えました。

Ef210304-160904 2016/9/4 東淀川 補機運用に入るため広島へ向かう貨物列車を牽引する304号機

2017年には310,311号機が増備され、運用行程は184までに増加、2018年度には312~315号機が増備され、運用行程は187に、2019年度には316~318号機が増備されましたが、運用行程は186に、2020年度には319~329号機まで増備され、300番台専用運用は181~194に、そして吹田区の100番台とも共通運用が組まれ、103~106、110~113、118、119、122、123、126~129で東京タ、新鶴見まで顔を出すようになりました。さらに新鶴見機関区に326~329号機が新製配置されました。

Dsc02762 316号機以降は側面はこれまでのJRFロゴから桃太郎のキャラクターステッカー装飾が施されるようになりました。

2021年3月の改正以降は吹田機関区のEF210-100、-300共通運用では103~106、111~114、117~120、122、123、126~132、134~138で関東地区に顔を出しています。これらのうち、倉賀野へ顔を出すのは
117 名古屋タ3098レ稲沢1098レ新鶴見3099レ倉賀野3090レ根岸臨8571レ宇都宮タ臨8572レ新鶴見
122 幡生操1056レ新鶴見4067レ倉賀野単4967レ高崎操
123 高崎操単3096レ倉賀野3096レ新座タ69レ幡生操
135 東京タ臨8765レ倉賀野臨単8765レ高崎操
136 高崎操単4066レ倉賀野4066レ新鶴見5057レ幡生操 で

時間帯からしてEF210-320 号機は117の3099レの到着後だったのだと思われます。

一方、EF210-300番台、増備の陰でそれまでの瀬野八補機EF67形がどうなったかというと、EF60形から改造された基本番台3両は2号機が2013年3月27日に廃車、3号機が2014年3月10日に廃車、1号機も2014年5月に運用を離脱、保留車となりました。EF65形から改造の100番台5両のうち、103、104号機は2015年の検査切れで運用を離脱、2016年3月に105号機が最後の全般検査を終えてから同形式の全般検査は施行されていないことが明らかとなっています。EF67形の運用はEF210-300番台と当初は共通でしたが、2015年3月改正で区別され、4仕業となり、2017年3月改正では2仕業となりました。2021年3月改正でも2仕業残されています。

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2021年4月23日 (金)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 2 高崎線 倉賀野駅 part1

2021年春、信州の旅、最初は高崎線の倉賀野駅です。

Dsc02758_20210422155701
Dsc027642021/4/3 駅名標

この駅は高崎線と八高線が合流する駅ですが、列車運行上は全ての列車が高崎駅まで運行されており、水郡線の安積永盛駅と同じような関係にあります。八高線の施設上の分岐点は北藤岡駅構内にあります。そして、JR東日本とJR貨物の駅が併設されています。番地的にはJR東日本の駅が倉賀野町1797番地であるのに対してJR貨物の駅は東側にあり、町名も東中里町65番地となっています。

1894年5月1日日本鉄道の駅として開業しました。高崎線の開業の歴史的には1883年7月28日に上野~熊谷、10月21日に熊谷~本庄、12月27日に本庄~新町、1884年5月1日、新町~高崎間が延伸開業していますので、倉賀野駅は同区間の開業後10年後に新設されたことになります。1906年11月1日には日本鉄道が官設鉄道に、1917年4月28日、同駅から上州岩鼻を結ぶ陸軍の火薬製造所の貨物輸送のための岩鼻軽便鉄道が開業しました。軽便鉄道という社名ですが軌間は1067mmだったそうです。

大日本帝国陸軍は1882年11月に「東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所」と称した黒色火薬の製造所を設置し、1923年4月に「陸軍造兵廠火工廠岩鼻火薬製造所」へ、1940年4月に「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」へとそれぞれ改称し、1945年の終戦を迎えるまで、黒色火薬やダイナマイト、軍用火薬、民間用の産業火薬の生産・供給を行なっていました。1945年の8月の太平洋戦争終戦、陸軍の解体で同年8月30日、全線が廃止されました。火薬製造所跡地は北から順に量子科学技術研究開発機構(旧法人名:日本原子力研究開発機構)高崎量子応用研究所、群馬県立公園群馬の森、日本化薬高崎工場として利用されています。

1960年9月15日、亜細亜石油(現ENEOS)は倉賀野駅からの専用線を開設しましたが、同線は岩鼻軽便鉄道の線路敷の一部を再利用したものでした。国鉄は倉賀野駅を貨物ターミナルとして整備することとし、石油基地、自動車基地、コンテナ基地、飼料基地、セメント基地を次々に設置し、これらの施設に向かう線路もかつての岩鼻軽便鉄道 の線路敷きの一部を使用したものでした。その後、 専用線や自動車基地、飼料基地は廃止されましたが、石油基地とコンテナ基地は現在も稼働しています。

Dsc02766 2021/4/3 高崎行 225D

現在の八高線は1931年7月1日、同駅から児玉駅までが開業しました。1933年1月25日、寄居駅まで延伸、1934年10月6日、小川町~寄居間が開業し、八王子まで全通しました。

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2021年4月22日 (木)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 1 概要編

2018年晩夏の信州の旅の記事を書いていて、その後、しなの鉄道にデビューした115系S9編成台湾鉄路管理局「自強号」色を撮っておかなくてはと思い2020年12月28日に長野日帰り旅行を行いましたが、2021年3月ののダイヤ改正ではSR1系一般車200番台がデビューしており、さらに小海線沿線を旅するプランもあり、2021年4月3日土曜日、日帰りで小平~高崎~軽井沢~戸倉~小諸~中込~野辺山~小淵沢~高尾~国分寺と周りました。その旅の様子を今回から数回にわたりレポートします。

この旅、当初の予定では、
新小平 524
南浦和 550/553
さいたま新都心 602/606
高崎 729/730
横川 803/810 JR関東バス
軽井沢 844/853 快速長野行    

と軽井沢まではJR東日本在来線とJR関東バスを乗り継いでゆく予定でした。

Dsc02748_20210421162201 2021/4/3 新小平駅の武蔵野線西船橋方面列車案内 この後、524過ぎに突然、列車遅延の案内が

Dsc02752_20210421162501 南浦和では遅れは挽回できず、604発に乗ることに この直後、本来乗る筈だった高崎行E233系が列車線を通過して行きました。

ところが旅の出だしの新小平駅で524発の府中本町始発の武蔵野線海浜幕張行が5分遅延とのこと。余裕を見て一本前の509発に乗るようにしておけばよかったと思ったのも時すでに遅し、南浦和で京浜東北北行には乗れず、横川~軽井沢間のバスは一本やり過ごすと次は1010発となることから、急遽予定を変更し、高崎~軽井沢間は北陸新幹線を利用することにしました。

Dsc02792_20210421163101 18切符の一日分の運賃(¥2410)に対して、新幹線2駅分の乗車券+特急券はこういう値段になっています。

新小平 524+5
南浦和 555/604
浦和 607/618
倉賀野 743/752          倉賀野で下車したのはJR貨物のEF210-300番台を撮影するためです。
高崎 757/822 あさま603号
軽井沢 842/853 快速長野行
戸倉 948

戸倉まで行ったのは前回の2018年の旅行ではしなの鉄道線の車両基地を訪問していなかったからです。

戸倉駅北側西南側に広がる車両基地の様子を見学、SR1系200番台をじっくり見学した後は小諸まで戻り、小海線に1204発の230Dは2007年から小海線に投入されているハイブリッド式気動車キハE200系でした。

小諸 1204
滑津 1227/1322
中込 1236/1406
野辺山 1536/1621 HIGHRAIL2号
小淵沢 1656/1723
高尾 1944

滑津では佐久市旧中込学校と隣接する成知公園に保存されるC56101号機と佐久鉄道のキホハニ56を見学、野辺山では野辺山歴史民俗館のC5696号機を見学、ちょうどこの日は快速HIGHRAIL2号の運転日でもあったので、小淵沢までの指定券を購入し、乗車しました。

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2021年4月21日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 112  最後は横川駅

2018年の8月31日から9月2日にかけて中央本線、篠ノ井線、しなの鉄道北しなの線、飯田線、長野電鉄、しなの鉄道線、上田電鉄別所線、碓氷峠と周った旅も横川駅までやって来ました。

Dsc06008_20210420155901 2018/9/2 横川駅駅舎 駅舎の横には有名な「峠の釜めし」のおぎのやの売店も

Ef63-3-050816 2005/8/16 駅舎の横にはEF63 3号機の動輪が保存されています。

Dsc06012 ここが行き止まりになって早や四半世紀近い年月が経ちます。

141219 2014/12/19 広島県の横川駅

余談ですが、横川と漢字で表記する駅は広島県にもあり、山陽本線から可部線が分岐する駅です。ただ、読みはよこがわです。また韓国の慶尚南道河東郡にもあり、こちらはフェンチョンと発音します。

Dsc06013_20210420160601 高崎方面

Dsc06014 行き止まり、駅の南側、軽井沢寄りには、碓氷峠鉄道文化村が

1997年10月1日の北陸新幹線長野部分開業で信越本線横川~軽井沢間が廃止され、終着駅となりましたが、特急「あさま」「白山」などが停車した12両編成が停車できるプラットホームは今も残されています。

180902_20210420160801 高崎までの列車頻度は朝夕のラッシュ時は30分おき、それ以外は1時間に1本

Dsc06016 高崎との間は211系3連がピストン輸送していました。

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2021年4月20日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 111  軽井沢駅からJR関東バスにて碓氷峠を下る

2018年晩夏の信州の旅、軽井沢から横川までは、同区間の信越本線廃止後は国道18号線碓氷バイパスを経由するJRバス関東の路線があります。

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2018/9/2 軽井沢駅周辺案内図上の案内図、左が北ですがバスは駅の北東側にあるバスターミナルの5番乗り場から発着しています。

Dsc05998 横川駅までの運賃は現在は520円

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所要時間は34分程で、両端駅でそれぞれ列車に接続しています。
日中は約2時間おきに走っています。通常便はバイパス経由で横川駅までノンストップですが、季節によっては旧道経由の便も出ています。

Dsc06001 旧道経由の便は途中、熊野平、めがね橋などにも停車します。

Dsc06005 乗車したバスはバイパス経由のため、一旦西方向に向かい線路を渡り、南下、南軽井沢の交差点を左折、碓氷バイパスへ、

Dsc06007
途中で眠りについてしまいましたが、定刻に横川駅に到着しました。

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2021年4月19日 (月)

2021年4月16日、中野駅で発生した人身事故で中央快速線電車が大久保駅を過ぎた辺りから逆走し新宿駅に

2021年4月16日、たまたま昼間、会食の予定があり、家内と丸の内に出かけました。

1時間程度の会食が終わり、このまま帰るのも勿体ないということで丸の内北口のOAZOの丸善に立ち寄りました。結局、何も購入することなく、東京駅発13:25の快速高尾行に乗車しました。

新宿には定刻の13:39に到着、そのまま定時に出発し、大久保を通過し、中央卸売市場淀橋市場が進行方向右手に見えて来るあたりで、緊急停車。何事かと思っていると、一本前の13:20発の中央線特別快速高尾行が、「13:40頃、中野駅で人身事故が発生した」との車内アナウンス。
復旧は14:30頃の見込み、とのアナウンスも。

こういった事態で、乗客への振り替え輸送等を考慮して、駅間で停車した編成を最寄りの駅に移動させ、急ぐ乗客に別の列車に乗り換える機会を与えることを最近は考慮しているようで、なんと緊急停車後、20分くらいしてから運転士がまず先頭部から後方へ移動。続いて約5分後、今度は車掌が最後部から前方へ移動、それぞれ持ち場を交換しました。乗車していた編成はT05の10両貫通編成で、乗務員たちは車外に出ることなく、最前部と最後部の行き来が出来ました。

緊急停車から30分後の14:10頃、「この電車は取り敢えず、新宿駅まで戻る」とのアナウンス。「準備が出来次第、動きます。」とのこと。

私も幼少の頃から中央線に数限りなく乗車していますが、快速電車がこういう事態で逆走するのは初めてのことでした。14:20、下り線を逆走開始、新宿駅の11番線に入線。12番線には東京発13:29の中央線特別快速大月行が入線していました。

11番線に戻った我々の編成と12番線の大月行編成、どちらが先に出発するかはその時点では未定でしたが、順番通り、我々の編成が先に出発することに、ただ通常ダイヤでは我々の編成は三鷹で跡から来る大月行に道を譲ることになっていましたが、大月行も新宿からは快速として運転されることに変更され、三鷹での追い越しはなくなりました。

ファイルサイズの制約等から緊急停車した地点を発車、新宿駅11番線に入線するまでの逆走動画をアップすることはできませんが、手持ちのスマホで記録はしました。

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2021年4月16日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 110  軽井沢駅に保存される車両たち その4 クモハ169-6

軽井沢駅に保存・展示されている車両最後はしなの鉄道で活躍後、廃車となり、2013年7月から「旧軽井沢駅舎記念館」の展示品として静態保存されていましたが、軽井沢駅のリニューアルで「森の小リスキッズステーション」に移設され、「森の小リスキッズステーション」に移設され、幼児用遊具に改造されたクモハ169-6です。

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Dsc05985_20210415153001 2018/9/2 軽井沢駅 橋上駅部分から撮影 側面の標記はYellow Kids Densya 169でした。

この車両、2021年2月19日に駅構内から搬出され、長野市内のリサイクル会社へ輸送されたそうです。搬出時の様子はこちらに。

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2021年4月15日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 109  軽井沢駅に保存される車両たち その3 EF63 2号機

昨日の記事に続き、旧軽井沢駅舎記念館に静態保存されている車両、EF63形電機の2号機です。

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2018/9/2 旧軽井沢駅舎記念館


Dsc02801 2021/4/3 しなの鉄道 軽井沢駅ホームから

横川~軽井沢間最大勾配66.7‰を超えるため、1893年からアプト式ラック鉄道方式が採用され、電化後はEC40、ED42等の形式が対応して来ましたが、高度経済成長期の時代のニーズに対応すべく、国鉄は主要幹線の輸送力増強に着手し、碓氷峠を含む信越本線系統でも所要時間の短縮が企画され、ラック鉄道を廃止、一般的な粘着運転に切り替えることとなりました。それにあたり、諸案が検討されましたが、66.7‰勾配はそのままで複線の新線が1963年までに完成することになりました。この新線区間専用の新型電機としてEF60形をベースに開発されたのがEF63形でした。

主要諸元
全長 18,050 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,060 mm
運転整備重量 108.0 t
台車 DT125形(両端)DT126形(中間)
軸重 17 - 19 t
動力伝達方式 1段歯車減速吊り掛け式
主電動機 MT52 (MT52A) 形直流直巻電動機×6基
歯車比 16:71 (4.44)
制御方式 抵抗制御、直並列3段組合せ、弱め界磁(バーニア制御付)
制御装置 自動進段電動カム軸制御器
制動装置 EL14AS形自動空気ブレーキ
抑速発電ブレーキ 電磁吸着ブレーキ 電機子短絡ブレーキ
保安装置 ATS-SN(JR移行後)
過速度検知装置
設計最高速度 100 km/h
定格速度 39 km/h
定格出力 2,550 kW
定格引張力 23,400 kg


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Ef63-2-ef63-21 撮影年代不詳 軽井沢駅でスタンバイする2号機重連

2号機は試作車1号機に続く1次車として2-6号機が東芝、7-13号機が新三菱電機・三菱電機で1963年に製造されました。塗色はぶどう色2号で落成し、後に青15号、クリーム1号二変更されました。
試作の1号機からの変更は
・前面窓のワイパーの形状変更並びに運転台窓上にツララ切りを追加装備。
・スカート形状は四角形。
・先行試作車の運用実績に基づき速度検知用遊輪の設計と装備位置変更(中間台車の内側に装備)、双頭型両用連結器の装備、側面非常用蓄電池搬入口の位置変更と大型化を実施。 等でした。

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2021年4月14日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 108  軽井沢駅に保存される車両たち その2 10000形’EC40形)電機

4月9日の記事にあるように、横川~軽井沢間は1893年4月1日に開業しましたが、当初は非電化でした。同区間にはトンネルが26か所存在し、運転速度も低く、乗務員や乗客は蒸気機関車からの煤煙に苦しめられていました。一酸化炭素中毒事故も発生したため、煙突の形状を工夫して、煤煙を後方に導く努力もされましたが、望ましい効果は上がりませんでした。解決策として同区間を電化し、労働環境改善と輸送力増加を図ることとしました。

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2018/9/2 軽井沢駅

1912年5月11日、同区間の電化開業用にドイツAEG(Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaft)社に発注され12両が輸入されたのが10000形(後の1928年の車両称号規程改正でEC40形)です。電気関係をAEG、機械関係をエスリンゲン機械工場が担当し、1911年に製造されました。本形式の導入により、横川~軽井沢間の所要時間は蒸機時代の75分から49分に短縮され、1列車あたりの輸送力も若干増加しました。

主要諸元
軸配置 Czz
軌間 1067 mm (狭軌)
電気方式 直流600V (第三軌条方式・架空電車線方式併用)
全長 9660【9550】 mm  【】内は最終時点での数値 以下同じ
全幅 2950 mm(集電靴中心間)
車体幅 2600 mm
全高 3615【4200】 mm
運転整備重量 46.00 t
動輪径 900 mm(動輪新品時)802 mm(歯輪有効径)
軸重 16.38/16.98/13.53 t(第1/2/3軸)
動力伝達方式 歯車1段減速、連結棒式(動輪・歯輪とも)
主電動機 直流直巻電動機 MT3 × 2基
主電動機出力 210 kW (1時間定格)
歯車比 動輪:6.50 (14:91)
歯輪:5.86 (15:88)
制御方式 抵抗制御
制御装置 電磁単位スイッチ式制御器
制動装置 真空ブレーキ【EL-14B自動空気ブレーキ】
発電ブレーキ・手用動輪用ブレーキ・手用ラック歯車用帯ブレーキ
最高運転速度 25.0 km/h (18.0 km/h)
定格速度 14.21 km/h
定格出力 210 kW (420 kW)
定格引張力 53.9 kN(107.8kN)

車体は短いボンネット(機器室)を有する凸型で、当初、運転台は両側に設けられていましたが、1914年に軽井沢方の運転台は撤去され、主電動機送風機が設置され横川側のみの片運転台方式となりました。

配置は横川機関区で、横川~軽井沢間、限定運用され、1911年11月からAEG・エスレンゲン両社の技術者の指導の下、試運転が実施され、1912年5月から貨物列車の一部、7月から旅客列車の一部を担当するようになりました。編成の勾配の山麓側と中間に1両ずつ連結され運用されました。1915年8月からは山麓側に2両、中間に1両連結し,200t列車の運行が開始されました。1925年には、山麓側に2両、中間に2両連結で300t列車の運行も開始されました。1931年には自動空気ブレーキの導入等により、横川方3両、軽井沢方1両により320t列車の運行も始まりました。
1918年3月7日には熊ノ平駅で列車脱線事故が発生し、10004、10009の2両が被災しましたが、修復されました。1931年、老朽化で故障が多発するようになり、後継機として設計されED42形に代替されることになり、まず12号機が1931年5月に廃車、1936年4月には残る全車が廃車となりました。

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廃車後は大宮工場に保管されていましたが、1941年にEC40 1,2,1942年に3,4が京福電気鉄道に譲渡されることとなり、1,2号機はテキ511形511・512となり、越前本線や三国芦原線で使用されました。3,4号機は部品取りに使用され解体されました。1964年2月17日、511は国鉄で復元保存されるため、京福での勤めを終え、国鉄に変換されました。国鉄からは代替機としてED28 11号機が譲渡され、テキ531形531となりました。
返還後、大宮工場で明治時代の姿に復元され、鉄道記念物に指定、10000として旧軽井沢駅舎記念館に静態保存されました。

Dsc02805_20210413210901 2021/4/3 軽井沢駅 しなの鉄道に乗車前にホームから
特徴的な動輪3個とロッド構造も分かります。

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2021年4月13日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 107  軽井沢駅に保存される車両たち その1 草軽電気鉄道デキ12形電機

軽井沢駅にはアプト式時代、EF63形時代に活躍した歴史的車両の他、当駅(正しくは新軽井沢駅)から草津温泉駅までを結んでいた草津軽便鉄道→草津電気鉄道→草軽電気鉄道の電機デキ12形13号が保存されています。

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12-1809022018/9/2 軽井沢駅前

草軽軽便鉄道1913年11月25日、新軽井沢から着工去れ、1915年7月22日、小瀬まで開通しました。1917年7月19日、吾妻まで延伸、1919年11月7日、嬬恋まで延伸、1924年2月5日、社名を草津電機鉄道に変更、11月1日には新軽井沢~嬬恋間が電化されました。1926年8月15日、草津前口まで延伸、9月19日、草津温泉まで到達し,全線開業となりました。1939年4月28日、社名を草軽電気鉄道と変更しました。

路線データ
路線距離(営業キロ):新軽井沢 - 草津温泉間 55.5km 所要時間2時間半から3時間
軌間:762mm
駅数:21駅(起終点駅含む。路線廃止時点)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
建設費用を抑えるため、急曲線やスイッチバックが多く、線路規格は低く、山岳路線でありながらトンネルはひとつもありませんでした。

1935年に渋川~草津間に国鉄バス路線が開通し、バスの車体の大型化もあり、草軽の輸送力の低さが露呈、1945年には国鉄長野原線が開業し、長野原から草津温泉までは国鉄バスが連携輸送しました。1947年には政府補助金制度が廃止となり、1949年9月1日の台風災害、1950年8月4日の台風による吾妻川、橋梁の流出、さらに1959年8月14日の台風による再度の吾妻川橋梁の流出で嬬恋 - 上州三原間は部分廃止に,1960年4月25日、新軽井沢 - 上州三原間廃止,残った上州三原 - 草津温泉間も1962年2月1日に廃止となり、全線廃止となりました。

私も両親が遺した別荘が北軽井沢の北8km程の長野原町応桑にあり、かつて草軽電気鉄道が走っていたと思われる場所には何度か行ってますが、中軽井沢から鬼押し出し、北軽井沢、羽根尾に146号線を北上しても1時間程度であることを考えると草軽電気鉄道の速度はかなり低かったなと感じます。

車両は電気機関車デキ12形、電車モハ100形、客車ホハ10形、ホハ15形、ホハ21形,ホハ23形、ホハ30形、サマーオープンカーとして白樺1号、あさま1号/2号,貨車コワフ30形、コワフ100形、ト1形、ト22形、ト28形、チト58形、ホト100形、ホト110形が1960年の部分廃止時に在籍していました。

これらのうちデキ12形デキ13号とモハ105、コワフ104が保存されましたが、モハ105は長岡市で2002年に解体されました。デキ13は軽井沢駅前北口に、コワフ104は旧草軽電鉄車庫跡(草軽交通本社整備工場敷地内)に保存されています。

12-180902_20210411082901 デキ13本体の横には車輪も保存されています。

12-180902_20210411083001デキ12形電機は1920年米国ジェフリー社製で信越電力(のち東京電燈)が発電所建設工事用として使用したものを電化の際に譲り受けました。1924年11月の電化時に6両が使用され、1924年度中に3両を追加、1935年3月にデキ21、1937年にデキ22が追加されました。番号変更でデキ21はデキ50に、車体も背の高い凸形車体へ改造されました。デキ22はデキ21に番号変更されました。1939年3月にデキ22-24が増備されました。
当初は屋根のないオープンキャブだった運転台を密閉型へ改装し、先輪と従輪及び朝顔型連結器を設置し、集電装置を車体中央の門型の台に設置したトロリーポールから、運転台上に設置した高く張り上げた独特の形状のパンタグラフに交換して、L字型の車体となりました。後に電気ブレーキの追加とそれに伴う機械室天板の嵩上げ及び側面全周に渡る通風口の設置、機械室の左右に一段張り出すような形状の安定用の死重を追加といった改造が施されました。1959年にデキ14が老朽化で廃車されましたが、残りは全て廃線時まで使用されました。凸形車体に改造されたデキ50形 (50) は、1947年に栃尾電鉄(後の越後交通栃尾線)に譲渡されました。

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2021年4月12日 (月)

西武9000系 9103Fの前照灯 LED化

既にTwitter等のSNSで話題になっていますが、3月24日に武蔵丘車両検修場を出場し、翌日から多摩湖線運用に就いた9103Fですが、就役からわずか1週間強の4月5日から前照灯をLED化されています。

Dsc03366 2021/4/9 一橋学園 3枚とも

かつて運輸省令では鉄道車両の前照灯は「夜間の前部標識として前灯を上部に1個掲出する」と定められていました。「進行方向を照らす灯り」
というよりは「遠くから列車の存在を認識させるための灯り」としての役割に重点が置かれていました。

灯体の位置も当初の上部から最初に窓下に2灯を配置する方式にしたのは営団地下鉄丸の内線300形だったそうです。これは万が一電球が切れた場合に片方が切れたときに生きている片側で運転が継続できることと、最寄り駅まで運転して駅で電球交換が容易に行えることから採用されたそうです。

機材的にはフィラメントに電流を流し、ジュール熱による輻射を利用した白熱灯から、電極間のアーク放電による発光を利用したHID(high-Intensity discharge) ランプ、電界発光(Electroluminescence)効果による発光ダイオードを利用したLED(light emitting diode )ライトへと進化してきました。

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HIDライトは1年程度で交換していますが、場合によっては3ヶ月で交換ということもありました。それに較べ、LEDではライトの寿命が10倍程度延びたそうです。消費電力も同程度の視認性で比較して70~80%の消費削減が見込めるとのことです。

そもそも乗り物へのLEDライトの使用は自動車のテールランプ・ブレーキランプへの使用が最初だそうです。これはLEDがブレーキ作動から点灯までの時間差が少ないこと、長寿命であるため高頻度の使用に耐えうることからだそうです。

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西武鉄道では国分寺線や新宿線で運用されている2047Fが昨年8月頃からLED前照灯を装備していましたが、最近元のLEDタイプに戻されたそうです。ちなみに多摩湖線を走る他の9000系編成や2000N系編成に同様の動きはありません。

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2021年4月 9日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 106  JR東日本・しなの鉄道 軽井沢駅

2018年晩夏の旅もしなの鉄道の東の端、軽井沢駅までやってきました。この駅は1997年10月1日の北陸新幹線長野開業で信越本線軽井沢~篠ノ井間は経営分離され、しなの鉄道線となり、横川~軽井沢間が廃止されました。それまでの途中駅がしなの鉄道の起点駅となり、新幹線との接続駅となり、大きく様変わりしました。北陸新幹線の開業前は信濃追分までが高崎支社の管内でしたが、開業後は長野支社管内となりました。

Dsc05956 2018/9/2 しなの鉄道軽井沢駅 駅名標

Dsc05961_20210408153301 国鉄・新幹線開業前のJR東日本時代の駅名標も見ることができます。

Dsc05955 しなの鉄道の列車の発着風景、島式ホーム2線方式です。

高崎~横川間は1885年10月15日に官営鉄道により開業、横川~軽井沢間の碓氷峠は直線距離でわずか10kmであるものの、高低差(標高差)が552mあり、鉄道敷設は難工事が予想されました。そこで暫定的に後に国道18号と命名される道路上に線路を敷設し、馬車鉄道で結ぶこととしました。こうして1888年9月5日、線路の敷設が完了し、営業が始められました。途中駅は横川 - 坂本 - 碓氷橋 - 熊ノ平 - 中尾橋 - 軽井沢で碓氷橋、中尾橋両所で馬の継替えを行い、運行本数は日4往復、所要時間は約2時間半でした。一方、直江津から南下してきた路線が軽井沢駅まで到達したのが1888年12月1日のことでした。

1890年には碓氷線の建設が決定し、1893年4月1日にアプト式の官営鉄道線が開通し,馬車鉄道は僅か5年で廃線となり、資材一切は群馬鉄道馬車に売却されました。当初は非電化でしたが、1912年5月11日、直流600V,第三軌条方式で電化されました。我が国の幹線電化1号でした。

軽井沢以西の信越本線は長らく非電化でしたが、1963年6月21日に長野駅までの間が電化、同年7月15日、横川~軽井沢間は新線に切り替えられ、アプト式から直流1500V電化、EF63重連による粘着運転方式となりました。同年9月30日、アプト式区間は廃止されました。

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Dsc05970
Dsc05978
北陸新幹線開業で駅舎も全面改築され、橋上駅となりました。旧駅舎は解体されましたが、新駅舎開業後、明治期の姿を復元した(旧)軽井沢駅舎記念館が建てられ,2017年より、改札口や出札窓口を新設し,駅舎として機能するようになりました。

Dsc05971 現在の駅舎

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Dsc05987 北陸新幹線改札口 東京からだと最速1時間5分で軽井沢に到着します。かつての信越本線時代とは隔世の感があります。

Ef63-24 撮影年代不詳 横川方から見た軽井沢駅 189系「あさま」に併結されるEF63重連

Dsc05984 駅舎からみた横川方面の線路、完全に分断されています。Dsc05992 長野方面 新幹線ホームができて在来線のスペースが約半分になっています。

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2021年4月 8日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 105  御代田駅そばの御代田交通記念館に保存されているD51 787号機

御代田駅で下車したのは駅から歩いて数分、しなの鉄道の列車からも見える御代田交通記念館に保存されているD51 787号機を見学するためでした。
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2018/9/2 御代田交通記念館

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Dsc05939 動態保存機と言ってもおかしくないくらい黒光りした状態です。

この機関車は「御代田町D51-787号機保存整備協議会」の手により,動態保存機と同様に整備されていることで有名です(情報)。

履歴は沖田祐作氏の機関車表データによると
1943-9-29 汽車製造大阪工場 製番2327
配属 東京局
1943-10-7配属 水戸
1954-6-12借入 木曽福島
1954-7-10 木曽福島
1957-3-30 新缶に交換
1960-12-7 換気装置取付
1971-4-17 木曽福島 廃車
とのことです。
汽車製造は明治時代に我が国の鉄道行政で活躍した井上勝が1896年9月7日に設立した日本初の民間機関車メーカーで、井上が鉄道庁長官を辞した後、長州藩の先輩である井上馨や、黒田長成、前田利嗣、毛利五郎らの旧諸侯、岩崎久弥、住友吉左衛門、渋沢栄一、安田善次郎らの実業界の有力者らに出資を仰ぎ、1899年7月、大阪市西区川北大字島屋(現・此花区島屋)に開業した会社でした。1972年に川崎重工業と合併し終結しましたが、76年間に機関車約3,950両、客車・電車約8,370両、貨車約4万5,620両、計約5万7,940両の鉄道車両が製造されました。

D51型蒸機に関しては
1935年度(10両):D51 14 - 23(製造番号1371 - 1380)
1936年度(5両):D51 38 - 42(製造番号1451 - 1455)
1937年度(17両):D51 79 - 85・91 - 100(製造番号1532 - 1538・1560 - 1569)
1938年度(6両):D51 101 - 106(製造番号1570 - 1575)
1939年度(15両):D51 442 - 456(製造番号1861 - 1875)
1940年度(20両):D51 457 - 468・581 - 588(製造番号1786 - 1887・2024 - 2031)
1942年度(13両):D51 773 - 785(製造番号2256 - 2261・2282 - 2286・2303・2265)
1943年度(15両):D51 786 - 790・866 - 875(製造番号2326 - 2330・2355 - 2364)
1941年度と1944年度以外、全年度に渡り、製造を担当しており、101両製造しています。

Dsc05937 一体形ドームは戦時形のような蒲鉾スタイルです。

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逆転器リンクプレートの穴は小穴タイプ、砂管は3本とも並行に垂直に落ちています。

私がこれまで見てきた中では
14号機 流山総合運動公園
96号機 碓氷峠鉄道文化村
101号機 島田中央小公園
451号機 昭島市立昭和公園
452号機 青梅鉄道公園
453号機 柏西口第一公園
777号機 刈谷交通児童遊園
866号機 現役

砂管のパターンはどれも3本とも並行に垂直に落ちるタイプです。汽車会社に関してはこの法則性が守られていたようです。

Dsc05927 説明板もしっかり準備されており、

Dsc05928 公開日に関する情報もあります。

新型コロナウイルスの蔓延で最近の公開状況は不明ですが,今度は公開しているときに訪問したいものです。

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2021年4月 7日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 104  しなの鉄道 御代田駅

小諸駅から再びしなの鉄道線に乗車、次に下車したのは御代田駅でした。この駅も先日の記事にあるように1888年12月1日官設鉄道の上田~軽井沢間の延伸で開業しました。

Dsc05950 2018/9/2 駅名標

Dsc05920 標高820.43mは筑波山の御幸ヶ原800m(男体山、女体山の間の按点)よりも高い高さです。

Dsc05921
御代田町は浅間山の南麓に広がり、高原であるため年間を通じて涼しく,降水量も比較的少ないため、高原野菜(レタス、白菜、キャベツ)の栽培が盛んであり、精密機械工業や食品加工,製造業が盛んな町です。

Dsc05944 駅舎

Dsc05947 改札口

Dsc05952115系S11編成 コカコーララッピング

江戸時代、御代田には江戸板橋宿から数えて21番目の宿場町「小田井宿」がありました。軽井沢の追分宿と佐久の岩村田宿のちょうど中間の宿で旅籠は5軒ほどの小さな宿場街でした。参勤交代などでは大名は追分宿に宿をとり、小田井宿には姫君などの女性が休泊したことから「姫の宿」と言われたそうです。1861年(文久元年)、皇女和宮が14代将軍徳川家茂に降嫁する際に立ち寄った記録があります。毎年8月15日には和宮が宿に立ち寄った際に給仕した少年が童子の人形を拝領したと伝えられていることを再現した小田井宿まつりが開かれています。

ちなみに御代田の東隣の駅は信濃追分で北国街道と中山道の分岐点(追分)からこの名がつけられ、分去れの碑が残っています。北国街道は追分から35里で北陸道髙田に至り,信州を横断しており、善光寺参拝の信仰の道でもありました。一方、中山道は江戸日本橋から129里で京都参上大橋に至る五街道のひとつで宿場は69箇所ありました。御代田の一里塚は小田井宿から追分宿へ半里(2km)ほど進んだ場所にあり、保存状態も良く長野県の史跡に指定されています。

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2021年4月 6日 (火)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 103 小諸城址懐古園駐車場に保存されているC56 144号機

このシリーズ、久しぶりの保存蒸機です。
小諸といえば小海線、小海線といえば高原のポニーの愛称で親しまれたのがC56型蒸機で、沿線には数台のC56が保存されています。

Dsc05907
Dsc059042018/9/2 前照灯が欠損しているのは些か残念ですが,後の部分は良く整備されています。

C56144号機は沖田祐作氏の「機関車表」データによると
1938-6-4 日立製作所笠戸工場 製番987
札幌局配属 配置 深川
1941-3-31現在 深川
1943現在 中込
1972-8-30吉松
1973-1-10廃車 中込
1973-3-28保存   製造直後の新製配置は北海道でしたが、5年後に小海線中込機関区に、一旦,九州の吉松に転属となりますが,最後は中込で35年の車生を終えています。

Dsc05909 後部、炭水車の前照灯も欠損しています。
夏場はどうしても周りの樹木の関係で機関車が被われてしまうような感じです。

Dsc05908説明板 も整備されており,製作費用の63,900円という数字には驚かされます。


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2021年4月 5日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 102 JR東日本・しなの鉄道  小諸駅と小諸城址懐古園

上田に戻り、しなの鉄道に乗車、再び軽井沢を目指します。上田~小諸間は以外と近く乗車時間は約20分です。

Dsc05892-2 2018/9/2 駅名標

小諸駅は1888年12月1日官設鉄道の上田~軽井沢間の延伸開業の際に田中駅・御代田駅・軽井沢駅と同時に開業しました。現在の小海線にあたる佐久鉄道が開業したのは1915年8月8日でした。1926年12月1日、小諸町から北佐久郡川辺村を経て,北御牧村島川原に至る布引電気鉄道(軌間1067mmDC600V)の路線が開業しましたが、経営不振が続き,8年後の1934年9月11日に休業、1936年10月28日に廃止されました。

Dsc05898 出発を待つ長野方面列車 115系S3編成 しなの鉄道の上下線の列車停止位置はズレています。

Dsc05902 小海線列車 キハ110系 国鉄時代は信越本線と小海線のレールは繋がっていたそうですが、今は分断されています。

小諸駅は信越本線時代は特急「あさま」全列車が停車する長野県東部の拠点駅でした。しかし、北陸新幹線は小諸駅を通らず,東京から乗り換え無しで小諸に至る公共交通機関は高速バスのみとなりました。北陸新幹線は当初、運輸省などによるとミニ新幹線規格での整備が構想されていましたが、1989年政府・与党がフル規格着工を決定し,建設が決まりました。

Dsc05900 駅舎

Dsc05899 駅舎内部の様子 駅舎や内部の様子を見ても新幹線の駅となった軽井沢、上田,長野とはだいぶ違う印象を持ちます。

Dsc05901 小諸城址を整備した懐古園 小諸城三の門

Dsc05903-3

小諸は大井光忠が築城、豊臣秀吉配下の仙石秀久が改修・整備した小諸城(別名:酔月城、白鶴城、鍋蓋城)を中心とする城下町であり、小諸城は日本で唯一城郭部が城下町よりも低い位置に存在する穴城となっています。火山灰土が浸食されて形成された田切地形を天然の堀として利用した難攻不落の要塞としても有名でした。

懐古園内には小諸市動物園、児童遊園地、洋画家の小山敬三美術館、かつては火山博物館だった郷土博物館、藤村記念館、懐古神社、徴古館があり、園に隣接して小諸寅さん記念館、鹿嶋神社、小諸義塾記念館などの施設があります。

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2021年4月 2日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 101 上田電鉄 別所温泉駅

上田電鉄の旅、上田駅から約30分、11.6kmの路線の終着駅が別所温泉駅(BE15)です。

180902_202104012004012018/9/2 レトロなスタイルの駅名標

1921年6月17日の開業時は別所駅、1924年11月22日には信濃別所駅に改称、1930年1月19日に現在の別所温泉駅に再改称されました。



180902-2 駅舎とホーム


180902-2_20210401200601
180902_20210401200901
ホームの各所の表示もレトロ風です。

180902_20210401201001 ホームの上田方向にモハ5250形の保存車両があります。

5252-180902-3
5250-180902 車体番号は5252で1990年代に訪問した際は5251と5252の2両が保存されていましたが、5251は2011年にさくら国際高校に譲渡され移設されました。写真のように戸袋窓が縦長楕円であることから丸窓電車の愛称で親しまれました。

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2021年4月 1日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 100 上田電鉄 下之郷駅

上田電鉄の旅、上田から乗車して最初に下車したのは下之郷駅でした。

180902_20210331190701 2018/9/2 なかなか派手な駅名標

180902_20210331190801 ホーム上の駅舎建物外壁には生島足島神社旧斎館「報恩殿」(2014年解体)の朱塗りの柱と漆喰の壁を模した装飾塗装が施されています。

180902_20210331190901 駅名標にもあるように生島足島神社は駅からすぐの場所に

この駅は1921年6月17日、上田温泉電軌川西線の駅として開業し、1926年8月12日には依田窪線が当駅を起点に西丸子まで開業し、分岐駅となりました。1939年3月19日には、川西線が別所線、依田窪線が西丸子線に路線名称を変更しました。

生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)は万物を生み育て生命力を与える神である生島大神と国中を満ち足らしめる神である足島大神を主祭神とする神社だそうです。

180902_20210331191501
西丸子線は1961年6月29日、梅雨前線の豪雨被害で休止、1963年11月1日には廃止されました。

5251-180902-4

5251-180902-3

5251-180902
1986年10月1日、それまで青木線の分岐駅だった上田原駅に隣接して設置されていた車両基地・車両工場が当駅そばに移転しました。
何と言っても興味深いのは車両基地横に1986年に譲渡され、1993年7200系の導入で廃車されるまで活躍したクハ5251(元東急5202の電装解除車)が倉庫として残されていることです。撮影当日は生憎シートが掛けられていましたが、イベントの際には松本電気鉄道から譲り受けたパンタ付きの姿を見ることが出来るようです。

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